本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編謎のターバン・トラップ!Gurbax

2018年04月25日

原点、っていうか20年前の思い出。シッキムにて。

インドによく通ってた20年ほど前、今となっては前世紀末の話。

当時はデリーやコルカタやムンバイといった大都市でも、街角から流れてくるのはインド映画の音楽や宗教歌ばかり。

ロックやヒップホップなんて洋楽も国産のも全然聴こえてこなかったし、カセットテープ屋さん(当時、インドの主流音楽メディアはCDではなくカセットだった)に行ってもほとんど映画音楽や古典音楽しか並んでいなかった。

当時、アタクシはインドとロックが三度のメシより好きな若者だったので、インド感たっぷりのインドのロックバンドってのがあったら聴きたいなあ、と思っていたものだった。
その頃、ラヴィ・シャンカルの甥のアナンダ・シャンカルがロックの名曲をシタールでカバーしたアルバムがCDで再発されていたのだけど、B級趣味の企画盤っぽくてあんまり好みじゃなかったし。
前にも書いたけど、デリーのカセット屋で「インドのロックをくれ」と言ったら、出てきたのはジュリアナ東京みたいな音楽だった。
 インドのロック好きの人たちが本気でやっているロックバンドは無いものか、と探していたけどどこにも見つからなかったし、そもそも見つけ方が分からなかった。仕方なく、イギリスのインドかぶれバンドのクーラシェイカーあたりを「なんか現地のノリと違うんだよなあ」とか思いながら聴いていたものだった。

これはインド北東部、シッキム州を訪れたときのお話。

シッキムはネパール国境の東にちょこんとあるごく小さな州で、1975年まで「シッキム王国」という独立国だった歴史を持つ。
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シッキム州の場所

シッキムの住民はネパール系やチベット系の、日本人と似た、いわゆる「平たい顔族」の人たちが多い。
どこを開いてもアーリア系やドラヴィダ系の濃い顔ばかりの「地球の歩き方 インド」の中で、薄い顔の人たちが民族衣装を着て微笑んでいるシッキムのページに、どことなく安心感と懐かしさを感じたものだった。

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シッキムの人々

シッキムの州都ガントクから乗り合いバスで山あいのルムテクという村に向かったときのこと。

ルムテクはチベット仏教の大きな僧院が有名(っていうかそれしかない)な小さな村で、オフシーズンだったせいか、1軒だけある宿にも英語が分かる人がおらず、「ここ泊まる。食事する」と身振り手振りでなんとかチェックインを済ませた。

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ルムテクのゴンパ(僧院)

ルムテクは素朴な雰囲気の村で、とてもリラックスして過ごすことができた。

僧院も素晴らしく、おおぜいの少年僧たちがめいめいに暗唱するお経は、伽藍の高い天井に反響して、不思議な音楽的な響きが感じられた。

さて、翌日。

他に見る場所もないので、ガントクに帰るバス乗り場に行くと、もうその日のバスは全て出た後だという。
途方に暮れていると、こぎれいな車に乗ったインド人男性がやって来て、「これからガントクに行くんだけど、よかったら一緒に乗っていかないか」と誘ってくれた。

「観光客に向こうから声をかけてくる奴はほぼ悪者」というインドの大原則があるのだけど、このあたりは素朴な人たちばっかりだったし、オフシーズンのこんな小さな村に観光客相手の詐欺師もいないだろうと判断して、ありがたく乗せてもらうことにした。

彼の名前はパサンサン。カリンポンという街で自営業をしているという。
ドライバーが運転する車の後部座席で、パサンサンとの会話は大いに盛り上がった。

何故か。それは彼がインドで初めて出会ったロック好きだったから。

「ディープパープルがデリーに来た時には3日かけて見に行ったんだ。スティーヴ・モーズは凄いね。リッチーのプレイを再現するだけじゃなくて、自分のフレーズも弾けるんだ」「ブータンに行った時に、旅行で来ていたミック・ジャガーに会ったことがあるんだよ」なんて話がまさかこんなところで聞けるとは!


最初ちょっと警戒したことも忘れ、すっかり打ち解けた私に、彼は「ローリング・ストーンズのYou Can’t Always Get What You Wantをインド風にカバーしたこともあるんだ」と言うと、おもむろに歌い出した。

 

「まずイントロはシタールから入るんだ」

“I saw her today at the reception

A glass of wine in her hand

 

「ここでタブラが入ってくる」
タブラ の音色を真似ながら、パサンサンは歌い続ける。

“I knew she would meet her connection

At her feet was a footloose man

 

「ここでギターが入って、サビだ」

“You can’t always get what you want

 

これには本当にびっくりした。
なぜって、これこそがまさに当時の自分が聴きたかったインドのロックそのものだったから!

すっかり意気投合したパサンサンは、その日1日、ガントクの街を案内してくれた。

晩御飯はパサンサンの奢りでビールを飲みながらまたロック談義。

当時の日記によると、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ストーンズ、ザ・フー、ジェスロ・タル、ジャニス・ジョプリン、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、スコーピオンズ、テン・イヤーズ・アフター、ゴダイゴなんかの話をしたとある。

インターネットも一般的になる前、西洋の音楽の音源もほとんど流通していないインドで、彼はどうやってこんなに(当時から見ても)昔のバンドの知識を得たんだろう。

その日は二人ともガントクに泊まって、次の日一緒にカリンポンを案内してくれることになった。ロックをインド風にカバーした音源も聴かせてくれるという。

 

ホテルに帰る前、パサンサンが言った。

「今日ドライバーに給料を支払わないといけないんだけど、今日は銀行が休みなんだ。800ルピー貸してくれないか?」


おっと。

これはインドでは絶対にお金を貸してはいけない場面。貸したら絶対に返ってこない。
ガイドブックにも、大学教授を名乗る身なりのいい家族連れにお金を騙し取られたとか、そういう体験談がわんさと載っている。 

でも。アタクシは思った。

あんな小さな村でたまたま会って、ここまで趣味が一致して意気投合した男が、さらに詐欺師だなんて、いくらなんでもそんな偶然は無いんじゃないだろうか。

それに800ルピーは当時の日本円で2,000円くらい。

インドでは大金とはいえ、ドライバーを雇えるくらいの男がかすめ取ろうとする金額ではないだろう。

翌日に返してもらうことを約束し、その日はパサンサンが紹介してくれた、ふざけた名前の「ホテル・パンダ」に宿泊。酔いも手伝って心地よい眠りについた。

 

翌日。

約束していた朝9時にホテルのフロントに行くと、パサンサンはまだ来ていない。まあ、インド人だしな…と思いながら10分、20分、30分。

さすがにおかしいと思ってパサンサンが宿泊していた部屋をノックしてみたが返事がない。

よく見ると、鍵は外からかかっている。

やばい!と思ってホテルのフロントで聞くと、「その男ならもうとっくにチェックアウトしたよ」とのこと。

 

やられた!

信じた俺がバカだった!

800ルピーも惜しいけど、彼がカリンポンで聴かせると約束してくれた、インド風にカバーしたロックの名曲の数々が聴けなくなってしまったことが何よりも残念だった。

 

ホテルの前で困った顔をしていると、映画俳優のようにハンサムな向かいのオーディオ屋の兄ちゃんが「どうした?」と声をかけてきた。

「昨日ここに泊まってたロック好きのパサンサンって男を知ってるか?」

と聞くと、「おー、君もロック好きなのか!」と大音量でボンジョビやドアーズやエルヴィス(すごい組み合わせ!)をかけながらロックの話をしてくる。

音が大きすぎて通りの人はみんなこっちを不快そうに見てくるし、そもそも会話がままならないくらいのヴォリュームだ。

「で、昨日俺が800ルピー貸したパサンサンって男、知ってる?」

「いや、知らない。よく知らない人にお金を貸したらいけないよ」

知らないんなら早く言ってくれよ!

それにシッキム、どうしてこんなにロック好きが多いんだよ!

 

情けないやら悔しいやらで、その日は一日中、前日にパサンサンに案内された場所を巡りながら彼の消息を探したけど、結局何も分からないまま。

彼を探すことはあきらめて、次の目的地のネパールに向かうことにした。

 

それ以降、インドの旅の中であんなにロックが好きな男に会うことは無かった。

ゴアにはトランスのCDを売るインド人がいたし、ネパールのポカラでは、欧米人ツーリスト向けに当時流行ってたオアシスの曲をカバーしているバンドを見かけたけど、どちらも「仕事としてやってる」って感じで、心からの音楽好きであるようには見えなかった。

 

欧米のロックをインド風にカバーした音楽なんてものも聴く機会は無かった。

当時そんなことをやっていたのはパサンサンとその仲間くらいだったんだろうか。

インターネットが発達した時代になり、インドでもロックバンドが増えてきていて、遠く離れた日本でも彼らの音楽が容易に聴けるようになった。

それでも、あの日パサンサンから聞いたようなアプローチで洋楽のロックを演奏しているバンドにはいまだにお目にかかったことがない。

今でも、彼の音源が聴いてみたいと思う。

そして、あのとき感じた「インドのロックが聴いてみたい」という気持ちが、このブログを書くきっかけのずっと根っこのほうにあるのかな、とも少しだけ思う。


それにしてもパサンサン、晩飯もホテル代も出してくれて、1日潰してまで800ルピー騙し取るって、彼の暮らしぶりを考えたらずいぶんわりに合わないペテンだったと思うけど、あれは本当になんだったんだろう。
思うに、彼も最初は純粋にロック談義を楽しんでいたのだろうけど、途中で間抜けな日本人が完全に気心を許してるのを感じて、「これくらいの金なら掠め取ってもいいかな」と考えたんじゃないだろうか。

次回あたりで、この20年前からロックが盛んな(?)シッキム州出身のロックンロールバンド、先日紹介したGirish and the Chroniclesのインタビューがお届けできそうです。

本日はこのへんで。



追伸:
とある方からご指摘いただき、一箇所訂正しました。
アナンダ・シャンカルは、ラヴィ・シャンカルの「娘」ではなく「甥」。
ラヴィの娘でシタール奏者なのは「アヌーシュカ・シャンカル」でした。
シャンカル家の皆様に謹んでお詫び申し上げます。
アナンダってそもそも男の名前だし娘じゃねえよな。


この記事へのコメント

1. Posted by 麻田豊   2019年05月17日 22:18
5 カナ表記は「シャンカル」。
2. Posted by 軽刈田 凡平   2019年05月17日 22:39
そうでした!以前に書いた記事だったので、そのままになっていました!
しかしなぜ一般的なカナ表記は長音のあるシャンカールなんでしょうね…
ガーンディーはガンジーなのに。

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