2023年11月06日
ヨギ・シンとの対話(後編)
前回の記事
ヨギ・シンたちは世界中を渡り歩いて、路上で人の心を読む「技」を披露する。
魔法のように見えるその技にはもちろんトリックがあるのだが、彼らは、それは瞑想による特殊能力で、マジックではなく本当に心を読んでいるのだという。
その主張を100%信じるならば、彼らはパンジャーブの寺で貧しい子ども達を養っていて、世界中で占いをしながら寄付を募っているのだ。
…冷静に考えると、かなり無理のある話だが、プラディープとの会話を通して、彼らはたとえそのトリックを見破られても「そういうことをする愚か者もいるが、俺は違う」と、その設定を絶対に崩さないことがわかった。
彼らの技は、あくまでもリアルだというのだ。
この感覚、どこかで覚えがあると頭をひねっていたら、思いあたるものがあった。
それはプロレスだ。
プロレスは、選手同士がお互いの協力のもと技を掛け合って見せるという極めてエンターテイメント性の強い「格闘技」(というか、格闘技の形を借りたエンターテイメント)だが、あくまで「真剣勝負」としてリング上で演じられる。
プロレスラーたちは、ときにスーダン生まれの「黒い呪術師」とか「シカゴのスラム街の用心棒」とか、現実とは異なる荒唐無稽なキャラクターを演じて、ファンを沸かせる。(ちなみに前者はアブドーラ・ザ・ブッチャー、後者は名タッグのロード・ウォリアーズ。彼らの出身地も肩書きも完全なフィクションだ)
現実にはありえない離れ業をリアルとして見せ、現実とは異なるキャラクターを演じ切るという意味で、ヨギ・シンはプロレスと全く同じなのである。
プロレスに関して言えば、総合格闘技ブームとミスター高橋による暴露本(プロレスには勝敗や筋書きの取り決めがあり、それがどのように決められるかを詳述した)によって、いわゆる「リアルファイト」ではないことがファンに知れ渡ることになった。
だが、それでプロレスというジャンルが滅びることはなく、ファンは今では「お約束」を分かった上で楽しむものとして受け入れている。
ヨギ・シンをプロレスに例えるなら、彼らが行っているのは、そうした裏を知られることなく、ファンに「最強の格闘技」だと信じられていた昭和の時代のプロレスということになるだろう。
当時からプロレスを八百長だと批判する人がいたように、ヨギ・シンもまた、彼らの世界観を共有しない世界中の人たちから、「詐欺」として非難されている。
確かに、頼んでもいない占いをいきなりしてきて、法外な金を請求されたら気分が悪いのも分からなくもない。
とはいえ、こうしたグレーゾーンの不思議さを味わう余裕なく詐欺師呼ばわりするのはなんだかちょっと悲しい気がする。
私がプロレスファンだからだろうか。
私はヨギ・シンの正体を暴き、そのトリックをネット上で晒してしまったわけだが、決して暴露本を書いたミスター高橋になりたいわけではない。
まだプロレスがうさんくさくていかがわしいものと思われていた(しかしファンは最強の格闘技だと信じて疑わなかった)1980年代に『私、プロレスの味方です』という本を出版した、作家の村松友視になりたいのだ。
いくらその謎を解いても、プロレスにもヨギ・シンにもなお到達できない永遠の謎がある。
夢が覚めても、夢が終わるわけではない。
だんだん何を書いているのかわからなくなってきたが、プラディープとの会話はまだまだ続く。
「それじゃあ君はメディテーションをして、カレッジで学んで、ときに海外に出かけて占いをして、お寺のためにお金を稼いでいるってわけ?」
「うん。コロナのときは大変だった。世界中でコロナが流行していたからね」
パンデミックの時期には海外に行くことができず、占いで稼ぐことができなかったと言っているのだろう。
まだ若い彼は、コロナ禍の頃は占い師ではなかったと思うが、コロナは彼の「デビュー」の時期にも影響を与えたのだろうか。「じつはコロナの前、2019年にもこのあたりで君のような占い師に会ったことがあるんだ」
「日本でってこと? それはどんな人だった?」
と聞く彼に、当時遭遇報告をくれた人から送ってもらったターバン姿の男の画像を見せた。
「この右側に写っているターバンの人、知ってる?」
プラディープはしばらく私のスマホを凝視した後、
「知らないな。でも僕の先生なら知っているかもしれないから、聞いてみるよ。もし知ってたらあなたに伝える。この画面の写真撮ってもいい?」と彼は私のスマホの画像を撮影した。
撮影した目的は「自分たちが怪しまれて詮索されている」もしくは「自分たちとは別のグループが東京で活動していた」という事実をリーダー的な人物に報告するためだろう。
この写真を入手した経緯を伝えると、誰が撮影したのかと尋ねてきた。撮影した目的は「自分たちが怪しまれて詮索されている」もしくは「自分たちとは別のグループが東京で活動していた」という事実をリーダー的な人物に報告するためだろう。
「2019年のことだし、直接交流がある人じゃないから誰なのかは分からない。その人が君たちについてネガティブなことを言っていたわけじゃないよ。
でも、君のような占い師についてインターネットで調べると…そうだな、例えばグーグルで『シク 占い師』と検索すると、詐欺だと言っている人がたくさんいる。私はこういう状況が悲しいんだ」
「それ、見せてもらえる?」と身を乗り出した彼に、私は適当に検索して、ロンドンで、ターバン姿の占い師たちを詐欺として告発しているtiktokの映像を見せた。
「これは誰が言っているの?」
「分からないけど、ロンドンにいる人みたい。シクの占い師の詐欺だと言っている」
「これはシク教徒じゃないと思う。別の人たちだよ」
「とにかく、こういうのをシク教徒の占い師の詐欺だと言っている人もいるんだよ。
悲しいことだよ。あなたのことを詐欺師だといいたいわけじゃないけど」
「うん。こういう詐欺をする人もいるってことは知っている。寺もなければ先生もいないような人たちが、こういうことをしてお金を騙し取るんだ。明日国に帰ったら、寺の写真を撮って送るよ」
結論から言うと、彼からその写真は送られてこなかった。
論理的に考えれば、仮に彼から寺の写真が送られてきたとしても、それで彼のやっていることが詐欺ではないという証明にはならない。
彼の主張は「プロレスは八百長なんですよね?」と聞かれたときに、デスマッチでできた体じゅうの傷を見せて「この傷を見ろ!これでも八百長だって言うのか!」と答えた大仁田厚と同じ論法である。
大仁田の傷が本物だからといって、試合の勝敗が事前に決められていなかったことにはならないし、彼が寺の写真を送ってきたからといって、彼が本当のことを言っているかどうかは分かりようがない。
ここで注目したいのは、少し前に彼が「詐欺師たち」を「別の寺の人たち」だと言っていたのにもかかわらず、今度は「詐欺師たちはシク教徒ではなく、寺も師匠もない人々だ」と言っていることだ。
彼は、自身も(そう呼びたくはないが)詐欺師であるにもかかわらず、詐欺師の悪評をできるだけ自分のコミュニティから遠ざけようとしているのだ。
ナイーブすぎるかもしれないが、この言葉には少し胸が痛んだ。
プロレスに例えれば「なかには八百長をする選手もいる。うちの団体にはいないけどね」と言わざるを得ないプロレスラーの心境といったところだろうか。
別に悪いことをしているわけではないのだが、思わず彼をフォローする言葉を発してしまった。
「あなたを詐欺師だって言いたいわけじゃない。あなたは誠実な人でしょう」
「オーケー」
「あなたはまだ若い。上の世代の占い師は変われないかもしれないけど、あなたはこれから他のものになることだってできる」
率直に言うと君はいい奴だし、君みたいな人が詐欺師呼ばわりされるのは私も辛い、と続けようとしたのだが、彼は遮って、
「上の世代にはすごく力のある人たちもいる。何も必要としないで、ただ見るだけで相手のことが分かる人もいるんだ」
と自信を持って返してきた。
私にトリックを見破られているのに、彼は「自分たちの占いはリアルだ。俺はしくじったかもしれないが、先輩たちは本当にすごいんだ」と答えたのである。
総合格闘技の試合に負けたときのプロレスラーのような発言である。
それとも、もしかしたら本当に超能力が使える占い師がいるのだろうか?
「本物の占い師もいるのは分かるよ」
「うん」
「でも、他に詐欺師もいるでしょ」
「いろんな人がいる」
「ところで、どうして占いをする場所としてここを選んだの?」
「日本ってこと?」
「いや、このエリア(丸の内・大手町)のこと。はっきり言って、ここはベストな選択だよ。このあたりには大きい会社も多いし、お金持ちの人も多い。誰かがアドバイスしたの?」
2019年にこのエリアにヨギ・シンが出没した時から、私は日本に彼らをサポートし、助言している存在がいるのではないかとにらんでいた。
おそらくそれは、彼らと同じコミュニティ出身の、別の仕事をしている(例えばIT系のエンジニアとか)仲間なのではないかと考えている。
パンジャーブにルーツを持つシク系移民は世界中に散らばっている。
この説には自信があるのだが、プラディープは尻尾を掴ませるようなことは言わない。
「このあたりは英語を話せる人が多いからね。他の地域にも行ったけど、他の地域では英語を話せる人はほとんどいないから」
彼はこう答えたが、私が知る限り、これまで日本で丸の内、大手町、銀座以外の場所でヨギ・シンの出没報告が寄せられたことはない。
彼らは試行錯誤せず、最初から丸の内を選んでいた。彼はこう答えたが、私が知る限り、これまで日本で丸の内、大手町、銀座以外の場所でヨギ・シンの出没報告が寄せられたことはない。
ここがベストだと彼らに助言した、東京に詳しい人間が背後にいるはずなのである。
彼らの「仲間」について、もう少しつっこんで聞いてみる。
「今回、日本には一人で来たの?」
「そうだ」
前回会った時と同じ回答だが、これは明確に嘘である。
彼の出没とほとんど時を同じくして、このエリアで中年のターバンを巻いた占い師との遭遇報告も寄せられている。
彼の出没とほとんど時を同じくして、このエリアで中年のターバンを巻いた占い師との遭遇報告も寄せられている。
「この近くで、もっと年配のターバンを巻いた別の占い師を見たって言う人もいるよ。君の家族か友達じゃないの?」
「知らないな。さっきの写真の人のこと?」
「違うよ。あれは2019年に撮られた写真だ。写真は持ってないけど、最近そういう占い師に会ったって言っている人がいる。
50歳か60歳くらいのターバンを巻いた人に会って、貧しい人は5,000円、ミドルクラスは10,000円とか書いた紙を見せられたって。それで1万円払ってルドラクシャ(菩提樹の実)をもらったっていう人がいるんだよ。あなたの知り合いじゃないの?」
「いや、まったく知らないね」
「本当に?」
「本当だ。まったく知らない。このエリアで会ったのか?」
「そう。このエリアでターバンを巻いた占い師に会ったっていう人がいるんだ。SNSで見かけたんだよ」
「オーケー」
ここで私は、彼がオーケーと答えるとき、どこか自信のなさが漂っているということに気づいた。
「もしその人の写真があるなら、先生に聞いてみる。写真はあるの?」
「その人の写真はないんだけど、その人がくれたルドラクシャ(菩提樹の実)の写真はアップされているよ」

その遭遇者の方は、数日前に丸の内で会ったターバンを巻いた占い師に1万円を払い、このルドラクシャを「寝室に置くように」と渡されたのだという。
プラディープはこの画像も自分のスマホで撮影していた。
これ以上この話題を突き詰めても得られるものがなさそうなので、先日彼が見せてくれた「先生」の写真について、気になっていたことを聞いてみた。
「こないだ見せてくれた君の先生の写真だけど、ターバンを巻いていなかったよね? シク教徒っぽくなかったけど彼はヒンドゥーなの?」
「彼らは宗教を持っていないと言っている。ヒンドゥーでもシクでもないんだ。だから僕も先生がヒンドゥーなのかシクなのかムスリムなのか知らない。
人間は、生まれた時はシクとかヒンドゥーとかムスリムとか関係なく、ただの人間だ。でも人々には寺があって、ある人はシクだとか、ある人はヒンドゥーだとか、ある人はムスリムだとかいう。まるでジャーティーみたいにね」
プラディープは最初に「彼ら(they)」と言ったが、確かにインドにはこうした特定の宗教に依拠しない精神的指導者がいる。
彼の師匠もそうした導師の一人だと言いたいのだろう。
「ジャーティー」というのはカーストに基づく職能集団のことで、インドには、これによって優越感を持ったり差別したりする因習(われわれがイメージするいわゆるカースト制度)がいまだに残っている。
「じゃあこの先生は、宗教の指導者ではなく、精神的な指導者ってことだね」
「そう。彼らは神はひとつだと言っている」
「そういう考え方は好きだな。特定の宗教は信じてないけど、神の存在は信じているから」
「うん、いい考え方だね」
彼の精神的な「師匠」が実在するのかどうかは分からないが(それっぽい適当な写真を使っている可能性も高い)、このあたりの考え方には彼の本音が見え隠れしているようにも聞こえる。
インドの伝統的な思想のひとつであり、また現代的に言えばかなりリベラルでもあるこうした考え方は、彼の雰囲気に合っているように感じた。
ここでもうひとつ、以前からずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ところで、君たちみたいな占い師は、ほとんどの人がヨギ・シンと名乗っているよね」
「ヨギは『ヨガをする男』(ヨガ・マン)という意味だ。それは名前じゃなくて、ただのヨガという意味だよ」
「つまり本当の名前じゃないってことだね」
「そうだ」
「シンはシク教徒の男性がみんな名乗る名前だね」
「そう。つまりヨガ・マンという意味だ。名前じゃなくて、ヨガをやっている、メディテーションをやっているということだ」
「ヨギ・シンというのがこの占いをするシク教徒の名前だと思っている人はたくさんいるよ」
「あなたはスマホやインターネットでいろんなことを見て詐欺だと思っているようだね。僕も先生から詐欺をする人もたくさんいると聞いているよ」
ところで、今気づいたのだが、彼が使っている「瞑想(メディテーション)」という言葉は、「ヨガ」の訳語なのではないだろうか。
ヨガはもともと哲学であり瞑想法だが、日本や西洋ではエクササイズとしてのイメージが強い。
このあたりの誤解を招かないように、彼はメディテーションという言葉を選んでいるのかもしれない。
そのことに気づいている彼は、ヨギ・シンと名乗らなかったのではないか。
ヨギ・シンという名前についての会話から、話題はだんだんと彼の出自へと移っていった。
「君はずっと寺に滞在しているの?」
「うん。僕は寺で生まれた」
「それで君は今も寺のために働いているというわけだね」
「そう。そこは保護施設(シェルター)のようなところでもあるんだ」
「子ども達のための保護施設っていうこと?」
「そうだよ」
「デリケートな話題でごめん、君は両親なしで育ったの?」
「うん。両親ともいなかった。僕は両親を知らないんだ」
「それは大変だったね」
「今はそう感じていないけどね」
昨日は「占いは先祖代々の家業だ」と言っていたプラディープが、今日は自分は孤児だったと主張している。
どちらが真実かは分からないが、身寄りのない子どもたちが瞑想による超能力を身につけた導師がいる寺で育ち(じつはそれはトリックのある技術なのだが)、その技を身につけて世界中を旅して寺院の運営資金を集めているというのは、なんだかタイガーマスクみたいな話ではある。
しかし、この話を続けていると、そのうちお金を要求されそうなので、話題を変えてみる。
「そういえば、カナダでシク教のリーダーが殺されて、インドとカナダの間で国際問題になっているよね。インド政府が彼を殺したと言っている人もいるみたいだね」
今年6月にカナダで起きたシク教指導者ハルディープ・シン・ニジャールの暗殺事件について、彼に話を振ってみた。
この事件を受けて、カナダのトルドー首相は、ハルディープ師が「カリスタン運動」に関与していたためにインド政府によって暗殺されたとほのめかし、両国の関係は一気に険悪化した。
カリスタン運動とは、パンジャーブにシク教徒の独立国家建設を目指す動きのことだ。
この運動の支持者にはテロ行為も辞さない過激派もいて、彼らは1984年には弾圧への報復として時のインド首相インディラ・ガーンディーを暗殺し、1985年に329人が犠牲になったエア・インディア182便爆破事件を起こしている。
「そうだ。シク教徒を殺したと言ってカナダ政府がインドを批判したことで、問題になっている」
「このことについてどう思う?」
「カナダ人のこと? カナダの政府には好感を持っているよ。インドの政府は、シク教徒やムスリムを殺して、インドに住んでいいのはヒンドゥー教徒だけだと言っている。これは良いことじゃない」
インドの与党であり、モディ首相が所属するインド人民党(BJP)はヒンドゥー至上主義を基盤としており、とくにムスリムを排斥する傾向があるとして国内外からの批判を受けている。
しかしシク教とBJPの関係は決して険悪ではないと聞いていたので、この辛辣な批判には驚いた。
「BJPはかなりヒンドゥー至上主義的な政党だよね」
「うん。だから僕らはカリスタン(シク教徒による独立国家)が欲しいんだ。ヒンドゥスタン(インド)とパキスタンが分離したようにね。
パキスタンとヒンドゥスタンが分裂したとき、僕たちシク教徒は新しい国を作ることもできた。でも僕らは断ったんだ。インドと別々になりたくはないと言ってね。でも今になってインド政府はヒンドゥーこそが宗教だという。だから僕らはインドからカリスタンを分割したいと思っているんだ」
カナダのシク教徒ギャング団による資金が、カリスタン運動に流れているという話もある。
海外でグレーな活動に手を染めるヨギ・シンの一派も、こうした思想を持っているのだろうか。
「あなたはカリスタン運動を支持しているの?」
「いや、支持しているわけじゃないよ。僕がインドに住んでいること自体はとてもいいことだ。でももし政府がヒンドゥー教だけが宗教だと言ったら、それは良くないことだ。
僕らが政府に言っているのは、宗教はヒンドゥーだけじゃないということ。僕らは一つだ。シクもムスリムも平等だと言っている。宗教なんて意味はない。みんな人間だ」
今ひとつ彼の思想がわかりにくいが、前半の発言は、シク教徒の一般論としてのカリスタンに対する考え方で、後半が彼の個人的な意見ということだろうか。
それとも、思わず出てしまったカリスタン支持を隠そうとしているのかもしれない。
「1947年の分離独立のときにパンジャーブ地方も印パ両国に分割されたよね。分離独立の時、たくさんのシク教徒がパキスタン側からインドに移り住んだって聞いている」
「そうだ。僕もパキスタンから来た」
21歳の彼がパキスタンから移住してきたとは考えにくいから、彼の両親や祖父母がパキスタンから来たと言いたいのだろう。
だが、少し前に「両親を知らない」と言ったこととの矛盾に気がついたのか、彼はこう言い直した。
21歳の彼がパキスタンから移住してきたとは考えにくいから、彼の両親や祖父母がパキスタンから来たと言いたいのだろう。
だが、少し前に「両親を知らない」と言ったこととの矛盾に気がついたのか、彼はこう言い直した。
「僕の、僕の、えーと、僕の先生は、僕らはパキスタンから来たと言っている」
「僕ら」というのが、彼のコミュニティを指しているのかどうか定かではないが、これは興味深い情報だ。
なぜなら、ヨギ・シンの正体と目される'B'というコミュニティは、もともとその多くが現パキスタン領内にあるシアールコートという街に住んでいたと言われているからだ。
「パキスタンのどこから来たの?シアールコート?」
「いや、いや。分からない。ただ、僕の先生は僕らはパキスタンから来たと言った。
僕の両親もそんな感じだと言っていた。でも僕は両親は知らないから」
彼の回答はあいかわらず要領を得ないが、私が少し質問を急ぎすぎたのかもしれない。
昨日会ったときから、彼は明確に'B'のコミュニティの一員であることを否定していた。
私の質問の意図を感じ取って、うまくかわした可能性もある。
彼の回答はあいかわらず要領を得ないが、私が少し質問を急ぎすぎたのかもしれない。
昨日会ったときから、彼は明確に'B'のコミュニティの一員であることを否定していた。
私の質問の意図を感じ取って、うまくかわした可能性もある。
「じゃあ君は、自分のジャーティーを知らないんだね」
「そうだ。でも僕の先生は僕はシク教徒だと言った。だから僕は髪を切ってないんだ。髭は短くしているけどね」
彼の髪は肩くらいまでの長さで、髭は5ミリくらいに揃えられている。
シク教には、髪も髭も神から与えられたものであるから切ったり剃ったりしてはいけないという戒律がある。
今では全員が厳密にその教えを守っているわけではないが(髭や髪の手入れをしている人も多い)、彼が「髪を切っていないんだ」と言ったとき、その言葉は誇らしげに聞こえたし、「髭は短くしているけど」と言った時はすこしバツが悪そうに見えた。
彼の髪は肩くらいまでの長さで、髭は5ミリくらいに揃えられている。
シク教には、髪も髭も神から与えられたものであるから切ったり剃ったりしてはいけないという戒律がある。
今では全員が厳密にその教えを守っているわけではないが(髭や髪の手入れをしている人も多い)、彼が「髪を切っていないんだ」と言ったとき、その言葉は誇らしげに聞こえたし、「髭は短くしているけど」と言った時はすこしバツが悪そうに見えた。
「グッドルッキングだよ」というと、彼は照れくさそうにありがとうと言った。
ふと腕時計を見ると、彼がここを離れる時間だと言っていた17時を回っていた。
まだまだ聞きたいことはあったが、これから飛行機に乗って帰国するという話が本当なら、あまり引き止めるわけにはいかない。
「もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃない?」
「もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃない?」
「あと5分くらいは大丈夫だよ」
この返事には正直驚いたし、ちょっと感動した。
私は彼に占いを見破ったと言い、彼が隠そうとしていることをあの手この手で暴こうとしている。
私が彼の立場だったら、一刻も早く立ち去ろうとするだろう。
プラディープは私に、少しは親しみや安心感を感じてくれているのだろうか。
残りの時間で、聞きたかったことをできるだけ聞いてみよう。
「女の人は君みたいな占いはしないの?」
「女の人?しないね。僕の寺では女の人はしない。他の寺は知らないけど。あなたは女性の占い師の写真を持っているの?」
「いや、持ってないし私も知らない。ニューヨークとかシンガポールとかロンドンであなたみたいな占い師に会ったという人は、みんな男性だったというから聞いたんだ」
「そう、男の占い師だけだ。ロンドンに行ったことある?」
「ないよ。インドには5回行ったことがあるけど、ヨーロッパには行ったことはない。インドのほうが好きだな」
「ナイス。いつインドに来るの?」
「次?たぶん来年かな。最後に行ったのは10年くらい前だから、もうずいぶん前になる。今度は家族も連れて行きたいよ」
「いいね」
「インドからいろんなことを学んだよ。日本にはインドの文化が好きな人がたくさんいるよ。ボリウッド映画のファンもね」
「日本人はインド人が好きなの?」
「うん。たくさんのインド料理屋さんもあるし、インド映画のファンもたくさんいる。最近『パターン』っていう映画を見たよ」
「シャー・ルク・カーンだね」
インド映画やK-Popについての本当に他愛のない話をしているうちに、いよいよ彼が立ち去らなければいけない時刻が来てしまった。
別れの挨拶の前に、リラックスして雑談できたのは、良かったと思う。
「ありがとう。会えてよかった。ペンもありがとう」
「これからも連絡を取り合おうね」
「ハバナイスデイ、グッバイ」
雑踏に消える彼を見て、私ははっと気づいた。
彼は今日、一度もお金の要求をしなかった。
お金のためでないなら、どうして私に会ってくれたのだろう。雑踏に消える彼を見て、私ははっと気づいた。
彼は今日、一度もお金の要求をしなかった。
彼の正体を探ろうとしている人物に会っても、彼にメリットはひとつもない。
途中で話を切り上げて去ることだってできたはずだ。
もしかして、プラディープは本当に友情のためだけに会ってくれたのだろうか。
そんなふうに考えるのはさすがにナイーブすぎると思うが、もしかしたら。
21歳の若さで、自分の腕とハッタリだけを頼りに異国な街でグレーな仕事をして生きる彼の心境を想像してみる。
警察沙汰になるリスクもあるし、うまくいっても詐欺師呼ばわりされる仕事は、決して誇らしいわけではないのだろう。
5年後、10年後も、彼はまだこの家業を続けているのだろうか。
ヨギ・シンという存在が世界中からいなくなってしまう未来を想像するとさみしい気持ちになるが、プラディープにずっとこの生き方をしてほしいとは思わない。
インドに帰った彼は、東京をどう思い出すのだろう。
ところで冒頭部分で、プロレスの本質はエンタメであると書いたが、ではプロレスには戦いがないのかというと、そんなことはなくて、それは間違いなく存在している。
(もうこの話題はいいよと思っている人がほとんどだろうが、もう少し続けさせてもらう)
プロレスの根底にはガチの格闘技がある。
プロレスの根底にはガチの格闘技がある。
華麗な空中殺法でファンを魅了した初代タイガーマスク(佐山サトル)はその後シューティング(リアルファイト)へと進み、日本にアメリカ的ショープロレスを持ち込んだ第一人者である武藤敬司は道場でのガチンコ勝負でもめっぽう強かったという。
世界各地に出没しているヨギ・シンのほとんどが、占い師としてはフェイクだったとしても、彼らの中には本物の超能力者もいるのかもしれない。
「上の世代にはもっとすごい人もいる」
と断言したプラディープの言葉には、もしかしたらと思わせる力強さがあった。
はたして、さらなる強力なヨギ・シンが来日することはあるのだろうか。
(つづく)
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世界各地に出没しているヨギ・シンのほとんどが、占い師としてはフェイクだったとしても、彼らの中には本物の超能力者もいるのかもしれない。
「上の世代にはもっとすごい人もいる」
と断言したプラディープの言葉には、もしかしたらと思わせる力強さがあった。
はたして、さらなる強力なヨギ・シンが来日することはあるのだろうか。
(つづく)
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