EDMシーンの世界的大物KSHMRがインドのラッパーたちと共演!2023年度版 軽刈田 凡平's インドのインディー音楽top10

2023年12月24日

ポピュラー音楽にかけられたインドの魔法を解く一冊『インドとビートルズ シタール、ドラッグ&メディテーション』



今回はビートルズの話。
つまりインドのミュージシャンの話ではないのだが、ビートルズはインドの音楽シーンにも多大な影響を及ぼしており、そしてロックの世界にインドという国の存在を最初に知らしめたバンドでもある。
インド人の著者がビートルズとインドとの関係を詳細に掘り下げた本について、このブログで取り上げないわけにはいかないだろう。



取り上げるタイミングが大幅に遅くなってしまったが、昨年末に出版された『インドとビートルズ シタール、ドラッグ&メディテーション』(アジョイ・ボース著、朝日順子訳、青土社)という本が、めちゃくちゃ面白かった。

インドとビートルズ

この本は、ビートルズに端を発するインド幻想を、気持ち良いほどに覚ましてくれる一冊だ。

ビートルズから始まったインド幻想とは何か。
ロックをはじめとする欧米のポピュラー音楽の世界では、インドは西洋の価値観に対するカウンターとしての役割を担ってきた。
瞑想とか神秘とか、そこから転じてサイケデリック(「ドラッグによる幻覚体験が精神を拡張する」みたいな)とか、そういうやつである。

西洋文明の過剰な功利主義によってもたらされた争いや心の荒廃。
その殺伐とした社会に、深い精神性を持つインドの思想や瞑想を取り入れることで、心の平安が訪れたり、高次の意識が覚醒したりする(ような気がする)。
そのためには、本来はヨガとかの本格的な修行が必要なのだろうけど、大変そうなのでとりあえずLSDでもキメながらインドっぽい雰囲気のロックでも演奏してみるか。
ラブ&ピース。

まるでアホである。
まあちょっと過剰に書き過ぎたかもしれないが、これがロックをはじめとするカウンターカルチャーにおけるインド幻想だ。

良くも悪くも、その先駆けとなったのがビートルズだった。
あらためて書くのがためらわれるくらい有名な話だが、ビートルズは1965年12月にリリースされたアルバム『ラバー・ソウル』へのシタール導入や、ジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカルとの出会いをきっかけに、インドへの傾倒を加速度的に強めていった。
ジョージはラヴィに弟子入りしてインド古典音楽風の曲を作り、ジョンはサンスクリット語で導師(グル)と神を讃える歌詞を書いた。
彼らのインド熱は、ビートルズ全員がインドの聖地リシケーシュを訪れ、精神指導者マハリシ・マヘシュ・ヨギのアーシュラム(ヨガや瞑想の道場)に滞在した1968年2月にピークに達し、その後急速に冷めてゆく(ジョージを除いて)。
その過程を丁寧に描き出したのが、この本である。


言葉を選ばずに言うと、この本に出てくる人物たちは、ビートルズのメンバーを含めて全員がまともではない。というか、ろくでもない。
ジョンとジョージは完全なヤク中で、ジョンに至っては「ヒンドゥー教や仏教の僧侶が長年の瞑想で到達する境地にLSDによって簡単に到達することができる」というバカなヒッピー丸出しの考えを持っていた。
(とはいえこの舐めきった思想から超名曲"Tomorrow Never Knows"を生み出してしまうのだからすごい)
ジョージはラヴィ・シャンカルの影響でドラッグを断ち、神についての哲学的な思想を深めるようになるのだが、まともになったというよりも、インドを過剰に礼賛する(よくいるタイプの)東洋かぶれの欧米人になったという感じだ。
ポールは比較的インドかぶれが薄かったようだが、それだけに瞑想や修行にはあまり興味がなく、マハリシに「インドのヘビ使いを呼んでほしい」とかアホな要求をしてみたり、修学旅行気分でアーシュラムで隠れてタバコを吸ったりしている。
まあそれでもインド滞在中に"Blackbird"とか"I Will"とか"Ob-La-Di, Ob-La-Da"みたいな名曲を書いているんだからやっぱり天才である。
ちなみにリンゴは終始あまり何も考えてなさそうで、お腹が弱くてインド料理が口に合わなかった。

しょうもないのはビートルズのメンバーだけではない。
ジョージが傾倒したラヴィ・シャンカルも相当ろくでもない人物だ。
彼が自分よりも音楽的才能が優れていると感じた妻に演奏を禁じたとか、結婚してすぐに10代の別の女性と不倫した(妻とはやがて離婚)とか、唖然とするほかないエピソードもこの本にはしっかり収められている。
その後、ジョージは結局、シタールの演奏は全人生をかけて取り組まなければならないほど難しいということに気づき、早々に習得を断念している。

稀代のトリックスター、マハリシ・マヘシュ・ヨギについては言うまでもないだろう。
物質的な豊かさや欲望を持ったまま至福に至ることができるという、その名も「超越瞑想」の普及のためにありとあらゆる手段を使おうとする彼は、精神指導者というよりはうさんくさい実業家で、彼はビートルズを今で言うところのインフルエンサーとして利用しようとしていた。
高名なグルの秘書から精神指導者として身を起こしたマハリシはインドではほとんど無名な存在だったが、新しい救いを求める欧米社会に目をつけ、影響力と富を得てゆく。
マハリシの「成り上がり」っぷりはこの本の読みどころのひとつだが、これまでも多くの批判に晒されてきた彼については、かなり中立的に書かれているという印象を受ける。
アーシュラムに集ったわがままな欧米セレブたちの心が彼から離れてゆく場面にいたっては、憐れみさえ感じさせられるほどだ。

物語の終盤には、マジック・アレックスという極めつけのいかさま師が登場。
彼は「夜空にかけるレーザーでできた人工の太陽」や「紙のように薄いステレオスピーカーでできた壁紙」を発明したと主張する人物で、こんなバカを信じる奴がいるのかと思っていたら、ジョンをはじめとするビートルズの面々はいともたやすく騙されている。
いくら時代背景が今とは違うとはいえ、間抜けすぎるだろう。

ここではいちいち挙げないが、脇役としてビートルズと一緒にリシケーシュに滞在していたミュージシャンや俳優たちも、傍若無人でろくでもないやつばかりだ。
ビートルズのメンバーを含めて、欧米人の登場人物には、インドをリスペクトしているようでいて、偏見と差別意識が感じられる言動が多々あって、インドとビートルズの両方が好きな私は、読んでいてちょっと切なくなってしまった。
まあ当時のインドやフィリピン、日本といったアジアの国々でも「ビートルズは自国の伝統文化を破壊する」みたいな言説が保守層に信じられていたようだから、偏見に満ちていたのは同じようなものだったのかもしれないが。


登場人物全員がろくでもないと書いたが、念のためにことわっておくと、この本は別に誰かを貶めるために書かれているわけではない。
誰も神格化することなく、彼らを人間としてフェアに描いているだけなのだ。
リバプールの労働者階級の若者だったビートルズのメンバーが、その才能ゆえにファンやメディアに追われ、自由を奪われてあらゆる諍いに巻き込まれてゆく様子を読めば、彼らが名声によって得たものは幸福ではなく苦痛だったのではないかと思えるし、その結果として彼らが傲慢でシニカルな人間になってしまうのも理解できる。
前述したラヴィ・シャンカルについても、ダメ人間として描くだけでなく、彼が傑出した演奏家であることにも十分すぎるくらい紙幅を割いている。
終始懐疑的に(であるがゆえに公正に)描かれているマハリシだって、インドが持つ神秘的な精神性を分かりやすく解釈し、経済的価値に置き換えたパイオニアとして見ることもできるだろう。

彼らは別に人としてダメなのではなく、単にどうしようもなく人間なのである。
インド人だろうがイギリス人だろうが(もちろん日本人も)、誰もが欲望やダメな部分を持った人間であり、この世の苦悩から逃れる近道は世界中のどこにもない。
ドラッグや瞑想で魔法のようにラクになれると嘯かれるよりも、その現実を淡々と提示してもらったほうがよっぽど救いになるというものだ。

70年代以降も、ロックにおけるインド幻想、すなわちアンチ欧米的物質主義の精神的な拠り所というインドのイメージは、かなり長い間続いていた。
90年代にはサイケデリック時代のビートルズの思想を継承するかのようなKula Shakerなんてバンドもいたし、トランスのシーンでは、00年代の初頭くらいまでインドっぽい要素が結構ありがたがられていたように思う。
音楽シーン以外でも、80年代にはソニーや京セラやIBMの研修にマハリシヨギの「超越瞑想」が取り入れられていたというから、ビートルズ発祥のインド幻想は、かなり長い期間影響を残していたのだ。

さすがに今日では、露骨なインド的サイケデリアを全面に出したアーティストを欧米や日本で見ることはほとんどなくなったが、2010年代以降に盛り上がりを見せているインドの音楽シーンでは、逆輸入されたインド幻想がけっこう根強く存在している。




この手のジャンルでは後進国であるインドのアーティストたちは、自国の文化がビートルズをはじめとする本場の先人たちに引用されたことによって、そのカウンターカルチャー的な正統性が担保されたと感じているのかもしれない。
ちょっと卑屈かもしれないが、同じアジア人としてその気持ちはよく分かる。


シニカルな書き方をしてしまったけれど、インドという国を誤解しながらも(ジョージに関しては過度に理想化しながらも)ビートルズが作り出した音楽が素晴らしかったように、その影響を逆輸入して作り上げた音楽もまた面白かったりもする。
ビートルズのインドに対する自分勝手な愛情に、インドのアーティストが真正面から取り組んで返答したアルバム"Songs Inspired by the Film the Beatles and India"なんていうかなり興味深い作品もあるので、ぜひこちらのリンクから聴いてみてほしい。



もちろん、今回書いたようなエキゾチック&サイケデリック目線でのなんちゃって瞑想ではなく、きちんとした伝統と理論に裏打ちされたヨガや瞑想の文化がインドに存在していることは言うまでもない。
ただ、それだってゴダイゴがガンダーラで歌ったみたいな浮世離れした桃源郷として存在しているわけじゃなくて、欲にまみれた現し世と地続きになっているのである。
カウンターカルチャー的なインド幻想はあくまでも幻に過ぎなかったが、その幻を追いかける過程で生まれた作品は、幻ではない本物の光を放ち続けている。



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goshimasayama18 at 18:34│Comments(0)インドのロック | インド本

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