(後編)Rolling Stone Indiaが選ぶ2022年のベストシングルTop22 さらなる多様なポップミュージックたち『エンドロールのつづき』パン・ナリン監督インタビュー 光の根っこにあるもの

2023年01月14日

「光としての映画」への感動の讃歌 『エンドロールのつづき』



1月20日に公開になるインド映画『エンドロールのつづき』。
この映画の試写を見せてもらう機会があったのだが、これが本当に素晴らしかった。



これまで一度でも「映画っていいな」と思ったことがある人だったら、絶対に観たほうがいい。
上映前のざわめき、照明が落ちる時の胸の高鳴り、あっという間に感じられる上映時間が過ぎて、再び明かりがついた時の充足感。
映画にはじめて夢中になったときの感覚が蘇って、思わず熱いものが込み上げてきた。
「現代版『ニューシネマパラダイス』」という評判は、まったく誇張ではない。

この映画は、パン・ナリン監督の少年時代を描いた自伝的作品ということになっている。
主人公は、インドの田舎町(っていうか村)に暮らす少年サマイ。
カーストの最上位であるバラモンの家柄だが、サマイの父が騙されて一家は没落。
親子は小さな駅でチャイ売りをして生計を立てている。

ある日、家族と街に出たサマイは、ギャラクシー座という映画館で映画を見る。
固い座席に割れた音響のさびれた映画館だったが、映写機からスクリーンへと伸びる光の束のなかで、サマイは魔法のような時間を体験した。
このときから、彼は映画に夢中になる。
貧しさと厳格な家柄ゆえ、ふたたび映画館に行くことは許されなくても、映画への憧れは止まらない。
劇場の映写技師ファザルと親しくなった彼は、料理自慢の母がサマイのために作る弁当と引き換えに、映写室から映画を見せてもらうようになる。

サマイの映画への思いはどんどん大きくなってゆき、その後もいろいろなことが起きるのだが、ネタバレがいやな方もいると思うのでここでは割愛する。
単純にストーリーだけを見ても起伏に富んだ素晴らしい作品である。
だが、サマイ少年の思いをよそに、田舎町の映画館も、時代の流れと無縁ではいられなかった。
彼に夢を見させてくれた「フィルムと映写機」の時代の終わりが、静かに迫っていた…。

…というのが、『エンドロールの続き』の、まあ見る前に知っていておいて問題のない範囲のあらすじだ。

この映画の魅力は多岐にわたっているのだが、まず言えるのは、全てのシーンの映像が絵葉書になるレベルで美しいということ。
草原の淡い緑、主人公親子が働く駅のチャイ売り小屋や空の青、色鮮やかな衣装、そして映写機から伸びる啓示のような光。
仮に字幕なしで見たとしても(ちなみに手がかりなしのグジャラート語だ)、構図と色彩の美しさだけで十分に楽しめたはずだ。
予告編でもその素晴らしさは伝わると思うが、その柔らかな美しさは、スクリーンでは何倍にも映えて見える。


主人公サマイを演じているのは、3,000人の子どもの中からオーディションで選ばれたというバヴィン・ラバリ君。
バヴィン君は、サマイ同様にグジャラートの田舎で暮らしていた男の子なのだが、この彼の演技がすばらしい。
ラバリ君はこの映画の撮影まで、映画館に行ったことがなかった(!)とのこと。
松岡環さんの解説によると、劇中で上映されているのは90年代から00年代に撮られたヒンディー語映画だそうで、見たことのない作品ばかりだったが、彼の目の輝きを通して、初めて映画に夢中になった時の興奮がリアルに伝わってくる。


パン・ナリン監督は、この映画のなかで一貫して「映画とは光である」というメッセージを伝えている。
もちろん映画は映写機からの光に間違いないのだが、文字通りの意味だけではない。
暗闇の中で遠い場所の物語を見せてくれる映画は、サマイ君だけでなく、誰にとっても希望であり、夢であり、また人と人、文化と文化をつなぐ存在でもある。

パン・ナリン監督のスタイルは、サマイ少年が心躍らせたボリウッド・エンタメ的なものではなく、どちらかというと洋画的なセンスを感じさせるものだ。
インドは現在でも映画が娯楽の王道を担っているという奇跡のような国だが、この国で映画に夢中になる少年を、監督はいかにもインド的な方法では撮らない。

インドの大地の香りと欧米的な様式を混ぜ合わせて傑作を作り上げた監督の手法は、いつもこのブログで取り上げている、自身のルーツとロックやヒップホップを組み合わせてユニークな音楽を作っているインドのミュージシャンたちを想起させる。
映画にしろ音楽にしろ、ひとつの表現様式が国境を越えて、その土地の文化と融合し、新しい価値を持った芸術作品が生まれる。
グローバル化によって失われゆく伝統もあるが、それは必ずしも、ローカルがグローバルに溶けていってしまうことだけを意味しない。
そこに新しく生まれる文化もあるのだ。
この作品は、フィルムと映写機に象徴される一つの時代の終焉を描いたものだが、見終わった後に強く印象に残るのは、寂しさよりもむしろ希望である。
この映画は、映写機からフィルムを通して放たれる光に対する、レクイエムというよりも讃歌なのだ。

映写機の光が照らす道のりの先にあるのは、タイトルの通り『エンドロールつづき』。
それはすなわちサマイ少年の現在の姿であるナリン監督自身であり、映画の素晴らしさ知っている観客の我々である。
"The Last Film Show"という原題を『エンドロールのつづき』と翻訳したセンスは文学賞ものだ。


最後に、日本人にはちょっと分かりにくい部分の解説をしたい。
サマイ少年が仲良くなる映写技師のファザルはムスリムという設定である。
家庭という責任さえなければスーフィズム(行によって神との合一を目指す「イスラーム神秘主義」)の行者になりたいという、叶わない夢を持った青年だ。
信仰や世代や立場が違っても、映画という光を通して通じ合い、友情を育むことができる。
昨今のインド映画では、ナショナリズム(国家主義というよりも、ヒンドゥー・ナショナリズム)が強すぎて興醒めしてしまうことも多いのだが、この作品に込められたあたたかく静かなメッセージには胸に沁みた。

これもまた、映画が光である理由の一つである。
映画に感動したことがある、全ての人に見てほしい作品だ。



余談です。
個人的にはこの海外版の予告編のほうがグッと来る。
ストーリーをほぼ追った作りになっているので、ネタバレ厳禁派の人にはお勧めしないが、この作品の魅力がより感じられる動画になっているので、気にしない人(もしくは鑑賞後に反芻したい人)は是非。


そしてなんと、この映画を作ったパン・ナリン監督にインタビューをさせてもらえることになった!
次回はその模様をお届けしたい。
乞うご期待!



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goshimasayama18 at 16:25│Comments(0)インド映画 

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