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2021年06月24日

インドで活躍するLGBTQ+とミュージシャンたち(2021年版)

6月は、LGBTQ+を支持する'Pride Month'として、世界中でさまざまな発信が行われている。

インドは宗教的に保守的なイメージを持たれることが多いが(だからこそと言うべきか)、インディーミュージックシーンではLGBTQ+をサポートする意図を持ったミュージックビデオが目立つ。
また、自身がLGBTQ+であることをオープンにして活動しているミュージシャンも活動している。
(昨年このテーマで書いた以下の記事参照)



彼らは決して有名アーティストというわけではないが、その堂々たる存在感は、ジェンダーやセクシュアリティーに関係なく、我々に勇気と刺激を与えてくれる。

本題に入る前に、あらためて説明すると、LGBTQ+とは、同性愛者、バイセクシュアル、トランスジェンダー(身体の性別と内面の性別が異なる)、男女のどちらでもないと感じている人、自身の性自認や性的指向が決まっていない人などの性的少数者の総称だ。 
マジョリティであるヘテロセクシュアル(異性愛者)やシスジェンダー(肉体上の性別と性自認が一致している人)とは異なる存在として、'LGBTQ+'というひとつの言葉で表されることも多いが、このくくりの中にも多様性が存在しているのだ。

インド社会におけるLGBTQ+へのまなざしもまた多様である。
前回の記事でも書いた通り、2018年まで「同性間での性行為を違法とする」という時代遅れな法令(1861年に制定されたもの)が存在していたかと思えば、トランスジェンダーの女性(肉体上の性別が男性で、性自認が女性である人)が「ヒジュラー」というある種の聖性を持った存在として受け入れられていたりもする。
とはいえ、インド社会に現代的な意味でのインクルージョンが古くから存在していたわけではなく、ヒジュラーは偏見や差別の対象でもあったし、さらに言えばそれ以外の性的マイノリティたちには、長い間(多くの場合は今でも)居場所すらなかったという現実もある。

こうした伝統の反面、2019年に急逝したQueen Harishのように、男性として生まれながらも、伝統舞踊ラージャスターニー・ダンスの「女型」として、アーティストとして非常に高い評価を得ていた例もある。
彼(彼女と言うべきか)の人生については、このパロミタさんが翻訳した、生前最後のインタビュー記事が詳しい。


私の知る限り、Queen Harishは自身の性自認や性的指向をオープンにしてはいなかったようだが、出生時の性とは違う性を表現するアーティストとして、彼が(彼女がと言うべきか)高く評価されていたことに異論を唱える人はいないだろう。
(Queen Harishは性別を超越した立場の表現者であり、これから挙げるようなLGBTQ+としてのメッセージを発信しているアーティストと同列に語るのは違和感があるが、インド社会のジェンダーとアート/芸能にまつわる一例として紹介した。ちなみにQueen Harishは、ムンバイで活躍している日本人シンガー/ダンサーのHiroko Sarahさんのラージャスターニー・ダンスの師匠でもあった)


さて、いつも通りインドのインディーミュージックの話題に移ろう。
インドのインディー音楽シーンをチェックしていると、こちらが意識していなくても、LGBTQ+をテーマにした作品に出会うことがたびたびある。
実力派シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharyaが今年2月にリリースした"Khoya Sa"は、女性同性愛者をテーマにした詩的な映像が美しい作品だ。
このミュージックビデオは、現代インドの郊外における「従来の愛の文化的概念に困惑している女性たち」を描いており、社会的束縛のなかにいても、愛は自由であることを表現しているのだという。
Sanjeetaはアメリカの名門バークリー音楽大学を卒業したエリートでもある。
これまで英語やスペイン語で歌ったり(日本語タイトルの曲もある)、マダガスカルのシンガーと共演したりと、国際的かつ都会的なイメージだった彼女が、あえてヒンディー語で歌い、郊外を舞台とした映像作品を作ったことに、強いメッセージ性を感じる。

(ちなみに彼女はミュージックビデオのなかで同性愛者を演じているが、性的指向や性自認を明らかにしてはいない。当事者性に焦点を当てるのではなく、作品の価値の普遍性にこそ注目すべきであることは言うまでもないだろう)

Sanjeetaの叙情的な表現とは対照的に、より強烈にクィア性を打ち出しているアーティストもいる。
Marc MascarenhasことTropical Marcaはムンバイで活動している「インドで最初のドラァグ・クイーン」だ。
彼女は、スウェーデン人のPetter Wallenbergが設立したLGBTQ+の権利と平等を訴える国際的アーティスト集団'Rainbow Riot'とコラボレーションして、2019年に"Tropical Queen"という楽曲をリリースした。



Sanjeetaが郊外での性的マイノリティの心細さを表現していたのとはうって変わって、大都市ムンバイでは、ここまで大胆な表現が許容されている。(もちろん、こうした表現を快く思わない保守層も少なからずいるわけだが)
インドは良くも悪くも伝統と変化が様々な形で共存している。
これもまた自由で新しいインドの一面だと言えるだろう。
Petter Wallenbergは他にもムンバイで多くのコラボレーションを行っており、これはインド初のLGBT合唱団との共演。

同性愛がインドで「合法化」されたことについて、「以前は芋虫のように隠れていたけど、今は蝶になったよ」と語っている男性の言葉が印象に残る。

ムンバイだけではなく、デリーにもLGBTQ+の権利を歌うバンドが存在している。

ヴォーカリストのSharif D Rangnekarを中心に結成されたFriends of Lingerは、性的マイノリティだけでなく、女性の尊厳や、ヒンドゥー・ナショナリズムによるジャーナリストへの暴力など、社会的なテーマを取り上げているバンドだ。
都市部のリベラル層の間では、インドに存在する多くの社会問題と同様に、性的マイノリティの権利も注目されるトピックになってきているのだろう。
近年ではインド映画においても、同性愛がテーマとされていることは昨年の記事でも書いたとおりだ。


いつも感じていることだが、インドの社会をリサーチしていると、かの国ではなく、むしろ日本の社会や社会問題が、強烈な逆光に照らし出されるような感覚を覚える。
インド社会を全体として見れば、LGBTQ+をめぐる状況には改善されなければならない点が多く存在しているが、当事者も、そうでないアーティストも、音楽の力を借りて、彼らのための主張を堂々と表現していることに関しては、我々も大いに見習うべきだろう。

今年のPride Monthも残りわずか。
いずれの国でも、性的マイノリティとされる人々が、差別や偏見に晒されずに生きてゆけるようになることを願うばかりだ。



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goshimasayama18 at 23:54│Comments(0)

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