ヒップホップで食べ歩くインドの旅コロナ禍のインドでのホーリー系音楽フェス事情!

2021年03月28日

300回記念!諸先輩を讃える。

このブログ『アッチャー・インディア 読んだり聴いたり考えたり』も今回でちょうど300本目の記事となる。
いつもご愛読いただいている方も、最近このブログを見つけてくれた方も、みなさんありがとうございます。

始めた頃は300回も続くとは思わなかったなあ。
当初は音楽ネタがどこまで続くか分からなかったので、どう転んでもいいように、音楽っぽい言葉を入れずに『アッチャー・インディア』っていうタイトルを付けたんだった。(「アッチャー」はヒンディー語でgoodという意味で、あいづち的に使われることも多い)


これまで3年とちょっと、タイガー・ジェット・シンや謎の占い師ヨギ・シンの話題にたびたび脱線しながらも、なんとか音楽の話題を中心にここまで続けてこれたのは、ひとえに読者みなさんと、そして何よりもつねに面白い音楽と話題を提供してくれているインドのミュージシャンたちのおかげ。
あらためて感謝とリスペクトを捧げます。

今ではイベントをやらせてもらったり、たまに雑誌や映画のパンフに書かせてもらったりもしていますが、今回は、私がインドの音楽シーンの面白さを発信するずっと前からこの世界に注目していた人たちを紹介して、彼らにも最大級のリスペクトを捧げたいと思います。


最初に紹介するのは、Indian Music Catalogというウェブサイトを2014年から主宰されていたnaokiさん。
このIndian Music Catalogこそ、日本におけるインドのインディー音楽紹介系ウェブサイトの草分けだと言える。(このサイトと私のブログ以外、ほとんど分ける草生えてないけど)

naokiさんはデリーに住んでいた経験があるとのことで、現地で実際に見たアーティストについての記事などもあり、情報は早く、センスは良く、音楽の知識は豊富で、記事の分量も長すぎず読みやすい。

私がブログを始めようと思い立った時、当然、Indian Music Catalogのことは気になっていた。
その時点で、オシャレなインド音楽に関しては、ほとんど全てnaokiさんによって紹介され尽くしていたと言っても過言ではない。
このアッチャー・インディアを書くにあたり、欧米のポピュラー音楽的なセンスの良さよりも「インドらしさ」のあるアーティストを中心に紹介したり、記事の切り口を「音楽と社会」にしたりしたのは、先行するIndian Music Catalogとの差別化を図りたかったという理由も大きかった。
ブログを始めた当初は、しゅっとしたnaokiさんの文章との違いを際立たせるために、意味もなく落語っぽい語り口で書いたりもしていた(さすがに馬鹿馬鹿しくなってすぐやめたけど)。
日本では無名なインドのアーティストを扱うにあたって、naokiさんが掘り出したネタを横取りするようなことはしたくなかったから、Indian Music Catalogで紹介されたアーティストは、アッチャー・インディアではできるだけ取り上げないようにしていたし、書くとしても違う視点で書くようにしていた。

naokiさんもたびたび記事に書いている通り、インドのインディー音楽というのは、日本人にとってかなりニッチなジャンルだ。
似たようなテーマのブログを始めるにあたり、一言挨拶しようかとも思ったのだけど、いきなりわけのわからない奴から連絡が来たら快く思われないかもしれないという不安もあって、活動が軌道に乗ってから改めて連絡しようと先延ばしにしていた。
その後、Indian Music Catalogの更新は2018年を最後に途絶えてしまい、改めてコンタクトするのも微妙な感じになってしまったので、ずっと不義理なままになってしまっている。
naokiさんがもしまだインドの音楽に興味を持たれているようだったら、ぜひご挨拶したいと思っているのだが、確認するすべもないので、サイトが更新されていないか、今でもたまにチェックしている。(naokiさんの記事も楽しみだし)


次に紹介したいのは、社会学者の栗田知宏さん。
栗田さんのことを最初に知ったのは『南アジア系社会の周辺化された人々 下からの創発的実践』という本を読んだときのこと。
栗田さんはこの本の中で「ブリティッシュ・エイジアン音楽の諸実践における『代表性』と周縁化──サブ・エスニシティの観点から」という論文を書いているのだが、これを読んでぶったまげた。
この論文のなかで、栗田さんは、UKの南アジア系音楽シーンについて、北インドのパンジャーブ人の音楽「バングラー」がコミュニティの代表性を獲得しているがゆえに、南インドやベンガル系の人々が周縁化してしまっている状況を、現地でのミュージシャンやDJへのインタビューを交えて著している。
これがめちゃくちゃ面白かった。

正直に言うと、ブログを始めた当初、映画音楽以外のインド系のポピュラー音楽に興味を持っている人なんてまずいないだろうから、多少テキトーでも明らかな間違いじゃなければ書いちゃっていいか、みたいな思い上がった気持ちも少しあった。
ところが、アーティストたちの中にどっぷり入っているホンモノの研究者がいて、しかも書いているものは学術的な文章なのに読みやすく、面白いのだ。
率直に、やばい、と感じた。
これはいいかげんなことを書くわけにはいかないな、と思ったのだ。

栗田さんとは、その後ナガランドのドキュメンタリー映画『あまねき旋律』のイベントのときに知り合うことができ、以降も何度かお会いしている。
(コロナ禍以降、なかなかお会いする機会がないのが残念だ)
栗田さんの知識や感性には常に刺激を受けていて、話すたびに、段違いの「知的な基礎体力」みたいなものを感じている。
映画『ガリーボーイ』のパンフレットで栗田さんの文章を読まれた方も多いと思うが、栗田ファンからすると、あれは一般の映画ファン向けにかなりライトに書かれたものだった(それでも十分面白かったし、商業映画だから仕方のないことなのだが)。
栗田さんの研究されてきたことを、いつかまとめて読んでみたいと気長に待っている。


最後に紹介するのは、お会いしたことがなく、そして今後もお会いすることができない方だ。
その人の名前は、野上郁哉さん。
彼は、東京外国語大学の大学院に在籍していた2008年に『国境知らずの音楽雑誌 Oar』を創刊し編集長を務めていた人物で、コアな音楽好きならこの雑誌を覚えている人もいるかもしれない。
創刊後、1年に1号のペースで『Oar』を出版していたのだが、第3号を出したのち、野上さんは交通事故に遭い、24歳の若さで亡くなってしまった。
彼が『Oar』を作っていた頃、私は転職したり二人目の子供が生まれたりして、南アジアや音楽の世界から離れていたので、リアルタイムでは彼のことを知ることができなかった。

野上さんのことは、栗田さんを介して知り合った、東京外語大学でウルドゥー語/ウルドゥー文学の教鞭をとっていた麻田豊先生から伺った。
『Oar』を初めて読んだのも、麻田先生に貸してもらってからのことだ。
第1号の特集は「未知なる音楽を求めて ーインド・ネパールを旅するー」、第2号は「恍惚と陶酔 ーパキスタン音楽の旅」、第3号は「玉樹チベット族自治州と中国アンダーグラウンド・ミュージックの旅」、そして第4号は彼の没後に発売され、追悼号となったようだ。
OAR

この『Oar』、率直に言うと、文章も構成も荒削りな部分はある。
それでも、学生でありつつ、未知の音楽を紹介しようと雑誌を創刊した彼の情熱が純化したような内容に、リスペクトしか感じようがなかった。
彼はもともとロック好きだったらしく、創刊号にはインドのロックバンドの先駆的存在であるIndian Oceanの来日公演の詳報なども掲載されている。
インドのロックやインディー音楽の隆盛がもう5年ほど早ければ、それは確実に野上さんのアンテナに引っかかっていたはずだ。

彼がお気に入りとして挙げていた南アジア音楽以外のアルバムにも、私と趣味が重なるものが多く、もし会うことができたら、きっと盛り上がっただろう。
だが、もし彼が存命でも、やはり親しく話すような機会はなかったかもしれない。
彼がこの情熱を持って南アジアの音楽を掘り進めていたら、おそらく私は発信する側ではなく、野上さんが発信する情報を享受する側にいただろうからだ。
ヒンディー/ウルドゥーやパンジャービー語の語学力をはじめ、きちんとした地域研究のベースがある野上さんの情報発信が軌道に乗っていれば、私は自らインドの音楽のブログを立ち上げようと思うこともなかったかもしれない。
『Oar』とは別に、彼のブログを冊子(というにはずいぶん立派なものだが)にしたものも読ませていただいたのだが、これにもやられてしまった。
好奇心と探究心の赴くままに、音楽を聴き、本を読み、研究し、文章を書き…という彼のバイタリティあふれる存在感が伝わってきて、なんとも表現し難い刺激を受けた。
会ったことのない故人に勝手に自分の気持ちを乗せるのも失礼だと思うので、書き方が難しいのだが、文章の向こう側にある彼の存在から、なにかこうビシッとしたものを受け取らせてもらった。
それは確実に、今の自分に影響を与えている。


もちろん、南アジアの音楽シーンに早い段階から注目していたのはこの3人だけでなく、他にもたくさんの人たちがいる。
こないだのSTRAIGHT OUTTA INDIAで共演したHirokoさんは現地で古典舞踊のカタック・ダンスを学びながら現地のラッパーやミュージシャンと交流していたし(その後の彼らとの共演は以前記事にした通り)、同イベントのマネジメントからパキスタン編の紹介まで大活躍してくれたちゃいろさんはインド/パキスタン地域の音楽への目配りがとても広くて深い(コンゴの音楽にも詳しい)。
音楽評論の分野では、『ガリーボーイ』公開時のイベントで共演させてもらったサラーム海上さんが著書『プラネット・インディア』でインドのエレクトロニック系インディーミュージック創成期を取材して書いているし、アイドルカルチャーへの造詣も深いライターの鈴木妄想さんはインドのヒップホップにかなり早い段階から注目していた。
ロックに関して言えば、秋葉原のCLUB GOODMANで開催したIndian Rock Nightで共演したマサラワーラーの鹿島さんが南インドを中心にかなりいろいろなバンドを掘っていて、レアなCDも所有している。
先日インタビューさせてもらったNoriko Shaktiさんはタブラプレイヤーでありつつ、インドのクラブミュージックシーンでも活躍しているのは、記事に書いたとおりだ。
(うっかり名前を挙げるのを忘れてしまっている人もいると思うので、あとでこっそり追記するかもしれない。それから私の知らないところにも、この分野に早い段階から興味を持っていた人はきっといるはずだ)


というわけで、今回はキリのいい300本目の記事ということで、これまでなかなか触れる機会のなかった、南アジア系インディー音楽の分野で活躍されている諸先輩について書かせてもらいました。
自分は現地に住んだ経験もアカデミックなバックグラウンドもないけれど、これからも先人たちにリスペクトの気持ちを持ちつつ、自分なりのやり方で自分のやりたいことをとことんやったろう、と思っています。


次回から通常運転に戻ります! 




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goshimasayama18 at 23:55│Comments(0)インドよもやま話 | インド本

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