『世界はリズムで満ちている』は音楽映画の傑作!ベンガルの漂泊の歌い人、バウルとボブ・ディラン

2020年04月01日

ヒンディー語映画『きっと、またあえる』はボリウッド映画の幕の内弁当だ

ヒンディー語映画『きっと、またあえる』が4月24日に公開になる。(シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか)

新型コロナウイルス流行につき、公開延期となっていましたが、8/21(金)公開が決定しました!

先日行われた試写会でこの映画を拝見することができたので、今回は私なりに紹介&解説してみます。

映画公式Twitter:



この映画の原題である"Chhichhore"は、ヒンディー語で「軽薄な、お気楽な(人)」という意味らしい。
インド映画ファンならお気づきの通り、『きっと、またあえる』という邦題は、2009年にインドで大ヒットした『きっと、うまくいく』(日本では2013年に公開。原題"3 Idiots")、 そして2016年に公開されインド映画の世界興行収入歴代1位を記録した『ダンガル きっと、つよくなる』(日本では2018年に公開。原題"Dangal". いずれもヒンディー語)にあやかったものだ。
安易な命名と言いたくなるところだが、これにはちゃんと(?)理由がある。

この作品は、『ダンガル きっと、つよくなる』でもメガホンを取ったニテーシュ・ティワーリー監督によるもので、なおかつ『きっと、うまくいく』と同じ、インドが誇る名門工科大学IIT(をモデルにした大学)を舞台にした青春コメディ・ヒューマンドラマなのである。
ストーリー的なつながりがあるわけではないが、先行の大ヒット2作品を意識した邦題をつけたくなるのもわからないでもない。
主演は『きっと、うまくいく』と同じラージクマール・ヒラニ監督の『PK』でパキスタン人青年役を好演したスシャント・シン・ラージプート。
ヒロインに『愛するがゆえに(原題"Aashiqui2")』や『サーホー』のシュラッダー・カプール。
他にも実力派のキャストたちが、個性的なキャラクターの学生時代と40代を見事に演じ分けている。


(以下のあらすじは、クライマックスや具体的なエピソードには触れずに書いたつもりですが、映画を見るまでストーリーを知りたくないという方は、2本めの動画の下にあるレビューまで飛ばしてください。)

日本版の予告編は、楽しくてなおかつ感動的な雰囲気がとてもよく伝わってくる。





あらすじ
アルニット(通称、"アニ")は、名門ボンベイ工科大学卒業のエリートビジネスマン。
妻と別れ、今では一人息子のラーガヴと豪邸で二人きりで暮らしている。
自信家のアニと違い、受験生のラーガヴは気弱な性格で、「負け犬」と呼ばれることを極度に恐れていた。

ところが、「あるできこと」をきっかけに、ラーガヴは脳に障害を負い、昏睡状態に陥ってしまう。
アニの完璧主義的な子育てが、知らず知らずのうちにラーガヴを追い詰めていたのだ。

アニは、寝たきりになった息子に、自分が学生時代に「負け犬の集まり」と呼ばれていた寮で暮らしていた話をして元気づけようとする。
成功者であり、強い父親である自分も、かつては「負け犬」と呼ばれていたことを伝えれば、弱気な息子もきっと自分に自身が持てるはず。

挫折や弱みを息子に見せたことがなかったアニは、寮生活の思い出話を信じさせるために、一癖も二癖もある学生時代の仲間たちを久しぶりに呼び集める。

エロで頭がいっぱいのセクサ、汚い言葉遣いでは右に出るもののいないアシッド、マザコンのマミー、アル中の「へべれけ」、そしてスポーツ万能だったがすっかり「負け犬寮」暮らしが板についてしまったデレク。
かつて「負け犬」と呼ばれていた彼らは、今ではそれぞれが大企業の重要なポジションについて活躍していた。
彼らは旧友(アニ)の一大事に仕事を休んで駆けつけ、アニとともに寮での思い出をラーガヴに語りかける。

学生時代、彼らが暮らしていたボロボロの寮"H4"は、「負け犬たちの寮」と呼ばれていた。
ことあるごとに彼らを馬鹿にするエリート集団の寮"H3"を見返すために、"H4"の仲間たちは寮対抗の競技大会"GC"に勝負をかけることにした。
クリケット、バスケットボール、卓球、カバディ、バドミントン、陸上、チェス、キャロム…、スポーツからテーブルゲームまで、30もの種目が行われるこの大会に、"H4"の「負け犬たち」はそれぞれの特技を活かして挑んでゆく。
…そして、恋の思い出も。
アニは、男子が多い理系大学で「ハレー彗星級」の美女だったマヤと恋に落ちる。
アニとマヤの恋は実り、卒業後に家庭を築くことができたものの、ラーガヴが生まれたのちに、価値観の違いから別居してしまっていた。
思い出話をしてゆくうちに、卒業後、競争社会でエリートとして暮らしてきた旧友たちの気持ちに、少しづつ変化が訪れる。

そして、アニとマヤの関係にも、ぬくもりが戻り始めてゆく。
ラーガヴのために必死で思い出話を語る、かつての「負け犬たち」。
やがて父(アニ)の思い出話と、息子(ラーガヴ)の容体は、思いもしなかった展開を迎える…。




インド版の予告編は、よりコミカルさが全面に出た仕上がりになっている。



主人公アニの学生時代と現在を行き来しながら進むこのストーリーには、親子の確執と邂逅、カレッジでの青春、憧れの女性との恋愛、ライバルとの争い、そして「本当に大切なものは何か」という問いかけといった、インド映画の定番テーマがぜいたくに、かつバランスよく盛り込まれている。
登場人物は多いが、それぞれに個性が強くキャラが立っていて、まさにインド映画の幕の内弁当のような作品だ。

寮生活のエピソードは、じっさいにIITボンベイ校の卒業生であるティワーリー監督の実体験に基づいているという。
ストーリーで大きな意味を持つ寮対抗の競技大会'GC'は、実際にIITで行われている行事だそうで、登場人物たちの名前やキャラクターも、監督の実際の友人がもとになっているとのことだ。
ムンバイのような大都市の学生文化は、インドの若者たちのカルチャーの中で大きな位置を占めており、例えばこのブログでいつも紹介しているようなインドのインディーミュージシャンたちも、カレッジで行われるフェスティバルを重要な演奏の機会としている(映画『ガリーボーイ』に出てきたカレッジでのライブシーンを思い出してみてほしい)。

カーストに基づく身分差別が知られるインドだが、都市部では「学歴の差」がカーストに代わる新しい社会格差として定着するという現象が起きている。
加熱する受験戦争やエリート主義に対する異議は、『きっと、うまくいく』や『ヒンディー・ミディアム』といった映画でも取り上げられた人々の共感を呼ぶトピックで、ティワーリー監督も「学生時代に負け犬だったとしても、その後の人生で成功できる」というテーマをこの作品の中心に据えている。

試写会で配布されたプレス資料に松岡環先生が書いていたが(すばらしい文章だったので、きっと同じものがパンフレットにも載ることと思う)、父アニの学生時代だった1992年は、インドが経済開放政策を導入し、飛躍的な経済成長の幕開けとなった時代だ。
今では贅沢な暮らしをしているアニや同級生達は、卒業後、こうした経済成長の波に乗って成功を納めたのだろう。
しかし、アニの家に生まれた息子ラーガヴは、成功の象徴である恵まれた生活が日常になってしまっており、受験に失敗してこの暮らしから落ちこぼれることを極度に恐れている。
こうした「ひとまず豊かな暮らしは出来ているが、親の世代のような社会の成長はもう望めず、努力を怠ればきっと転落してしまう」という感覚は、日本の若者にも共感できるものだろう。

昨今のちょっと社会派のボリウッド作品によくある「あまり踊らない系の映画」だが、ここぞという場面でド派手なミュージカルシーンをぶち込んで大切なメッセージを伝える演出は、インド映画ファンもきっと満足できるはず。
ヒロインの登場シーンやクライマックスなどでは、いかにもインド映画らしいけれん味たっぷりの演出が楽しめる一方で、まるでヨーロッパ映画のような鮮やかだが落ち着いた色彩の映像も美しい。
垢抜けないけれどレトロでどこか愛らしい、90年代のムンバイの学生たちのファッションも見どころだ。
(シュラッダー・カプールが演じるマヤだけは、時代を考えるとオシャレすぎるような気がするが)

大人が見れば旧友に会いたくなる、小さい子を持つ親が見れば子どもに優しくなれる、受験を控えた子どもたちが見れば少し気持ちが楽になる、そんな温かい映画なので、こんなご時世ではありますが、ぜひみなさんもご覧になってみてはいかがでしょう。

ところで、ストーリーにはいっさい関係のない話だけど、ボロボロの寮という設定の'H4'が、ちょうど同じ時代にインドひとり旅をしていた私が泊まってた宿よりだいぶマシだったことに驚いた。
貧乏バックパッカーが泊まる宿ってのはエリート学生だったら顔をそむけるような環境だったんだなあ…。



6月15日追記:
コロナウイルスが一段落し、公開日が8月21日に決まったという矢先に、なんと主演のスシャント・シン・ラージプートが亡くなったというニュースが飛び込んできた。
詳細は不明だが、自ら死を選んだということらしい。
インドの報道では、「映画では自死を諌める役だったのに…」という皮肉めいたものも見かけられるが、役と役者は別のものだ。
スシャントのみならず、心のうちにどんな葛藤があろうと、役柄を全うして、我々に感動を届けてくれる俳優たちを、改めて讃えたい。
コロナのせいだけでなく、なんとも言い難い時期の公開になってしまったが、希望を与えてくれる映画の内容と、苦くて厳しい現実を両方を受け止めて、命というものについて改めて考えることとしたい。
それが、スシャントの冥福を祈ることにもなると信じて。

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もうじき公開から1ヶ月。
そろそろ、この映画を見て感じた、ちょっともやもやした部分を書き残しておきたいと思う。
映画の本質的な部分(ラストとか)に触れるので、未見の方でそういうの気にする方はここでお引き返しください。




それは、端的に言うと、「勝ち負け(合格と不合格、成功と敗北)に疲れ果てて、生きることを止めようとした人の救いが、結局『勝つこと』っていうのはどうなの?」ということだ。
別にそうであってはいけないわけではないのだけど、普通に考えたら、この物語のラストは、勝ち負けとは関係のないところに喜びや生きる道を見出す、ということになるのが自然なのではないだろうか?
同じように過剰な学歴社会への疑問がテーマだった『きっと、うまくいく』も、『ヒンディー・ミディアム』も、どっちかっていうとそういう感じの結末だったし。

この物語の結末は、結局のところ「勝つこと」なわけだが、そこには物語の冒頭のラーガヴと同じような絶望を感じているはずの、描かれていない別の敗者(不合格者)がいるわけで、果たして手放しに喜んでいいものなのだろうか。
 インドでは学歴社会の過当競争を苦にした自殺者もけっこう出ているわけで、果たしてこれで本当にいいのだろうか…。
ボリウッド映画に対してそんなふうに難しく考えること自体、無粋っていうのは置いておいて。

自分なりに考えてみたのだが、たぶんこの結末が用意された理由として、2つの可能性があると思う。

ひとつ目は、この映画の最重要テーマが「学歴社会への問題提起」ではなく「人生において不可避な失敗というものを、どう受け止めるか」であるということ。
最後が「合格」で終わることにあまり意味はなく、それはむしろおまけであって、ラーガヴが失敗を恐れなくなったことこそが重要なのだ、という解釈はできそうだ。

それからもうひとつの可能性は、インドでこのテーマの映画をハッピーエンドにするは、「勝つ(合格する)」以外説得力を持たないのではないか、ということ。
小学校受験がテーマの『ヒンディー・ミディアム』や、すでに大学合格後の生活が描かれた『きっと、うまくいく』と違い、大学受験そのものが描かれたこの作品では、やはり最後に合格しないことにはおさまりがつかない。
加熱する受験戦争をテーマにしているのに、エンディングには勝利を持ってこないとハッピーを感じられない、みたいな、ひょっとしたら現代のインド社会では、そんなこともあるのかなあ、なんて考えた次第。

インドの大学は、エンジニアとか医学部みたいな職業に直結した専攻が圧倒的に人気だというし、大きな経済成長を果たしたとはいえ、まだまだ多様な生き方(それも、ある程度の豊かさが確保できる生き方)が選べる状況ではない。
カースト(ジャーティ)による世襲から解放されても、結局は、手堅く高収入な仕事に就くことに対するプレッシャーが大きいことには変わりはない。
この映画のハッピーエンドがこれしか有り得ないのだとしたら、そんなインド社会の一面を表しているのかもしれない。



(エンタメ映画に対して余計なこと書いちゃってゴメンナサイ!) 


goshimasayama18 at 19:39│Comments(0)インド映画 

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