インドのメタル系フェスの最高峰!Bangalore Open Air特集!コルカタのインディーミュージックシーンその2 現在のコルカタのロックバンドたち

2020年03月08日

特集!コルカタのインディーミュージックシーンその1 驚愕の60〜70年代ロック!

どうやら最近巷では、南インド料理ブームに続いて、ベンガル料理が注目されているようだ。
さらに4月には、ベンガルが誇る世界文学史上の偉人、タゴールをテーマにしたドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』も公開される。
(不肖、軽刈田もこの映画のパンフレットに 文章を書かせてもらっています。今なおベンガルの地で愛唱されている、タゴールの歌とともに生きる人々を綴った素晴らしい作品。必見!)

というわけで、ベンガルブームの波が密かに迫ってきている昨今、インド4大都市の一つであり、ウエストベンガル州の州都であるコルカタのインディー音楽の歴史を特集してみようというのがこの企画。

まずはベンガルという土地についてざっとおさらいをすると、この地図の赤い部分が、インドのウエストベンガル州だ。
WestBengalMap
(出典:Wikipedia)

この地図では空白になっているが、ウエストベンガル州の東側の抉れたように見える部分には、バングラデシュがある。
抉れた先の、ちぎれそうになっている部分は、このブログでも何度も特集してきたインド北東部だ。
インドの東のはずれにあるのに、なぜ「西」ベンガル州なのかというと、ベンガル地方の東半分は、バングラデシュとして別の国になっているからなのである。

コルカタ―かつてのカルカッタ―は、いにしえの王朝が栄えた古都ではない。
かつては小さな村しかなかったこの地域が栄え始めたのは、イギリスの東インド会社が拠点を構えてからのことだった。
1877年には、イギリス領インド帝国の首都に定められ、行政の中心地となったことで、官僚として働くインド人の知識階級が成長した。
コルカタは、タゴールをはじめ、映画監督のサタジット・レイや、宗教家/思想家のスワミ・ヴィヴェーカーナンダのような、伝統を踏まえつつもどこか進取の気性に富んだ人物を多く排出した街という印象があるが、それはこの街が、藩王国時代からの伝統ではなく、イギリス支配以降の「新しい」時代の影響を強く受けているということも関係している。
古いものと新しいもの、東と西の文化が混ざり合う風土があったのだ。
そして、イギリスによるインド統治の中心地だからこそ、支配のなかで自分たちのアイデンティティを捉えなおそうという気風が育ったのだろう。
 
コルカタの歴史は穏やかなものではなかった。
知識階級となったベンガル人たちは、やがてイギリス支配からの独立運動に取り組み始める。 
スバシュ・チャンドラ・ボースや「中村屋のボース」として知られるラース・ビハリ・ボースといった独立運動の英雄は、いずれもベンガルの出身である。 
こうした動きを削ぐため、イギリスは1905年にはベンガルのヒンドゥーとムスリムの団結を避けるべく居住地を分割し、1911年には首都をデリーへ移転した。 
ベンガル出身の2人のボースは、ついにインドの独立を見ることはなく、チャンドラ・ボースは台湾で、R.B.ボースは日本で、いずれも1945年に亡くなっている。

インドとパキスタンがイギリスからの「分離独立」を果たしたのは、その2年後の1947年のことだ。
この独立にともない、ベンガルの地は、インド領ウエストベンガル州と、東パキスタン(のちのバングラデシュ)に分断される。
イギリス領だったころの分割統治が、そのまま2つの国を生んでしまったのだ。
ヒンドゥーがマジョリティを占める世俗主義国家インドと、イスラームを国教とする東パキスタンへの分割は、多くの難民を生み、カルカッタはその後長く路上生活者のあふれる街という印象を持たれることになった。
さらに、分離独立によって、主要産業である綿花やジュートの原料生産地の東ベンガルを失ったコルカタの経済は、その後長く低迷することになる。

だが、イギリス統治時代に育まれた、新しい文化に積極的な気風は、独立後もこの街に生き続けていた。
アングロ-インディアンと呼ばれるイギリス人の血を引くインド人たちのコミュニティーが、西洋文化の受容を続けていたこともその理由の一つだったようだ。 
1960年代には、ビートルズやジミ・ヘンドリックスなどの欧米の新しい音楽の影響を受けた本格的なロックバンドがカルカッタに登場する。
The Cavaliers, The Flintstones, Calcutta-16といったバンドたちは、サウンドだけ聴けばインドのバンドであることを感じさせない、同時代のアメリカやイギリスのバンドのようなロックを演奏している。



The CavaliersのリズムギタリストだったDilip Balakrishnanが、Calcutta-16に合流する形で誕生したGreat Bearは、インドで最初のプログレッシブ・ロックバンドとされている。

King CrimsonやELPのような構築的なプログレではなく、初期Pink Floydのようなサイケデリック・サウンドは、テクニックよりも雰囲気で聴かせるタイプのようだ。

メンバーの脱退によりGreat Bearが解散したのち、Balakrishnanは、The CavaliersのベーシストLew Hilt、Calcutta-16のドラマーNondon Bagchiらとともに、1974年にHighを結成する。

このHighは、今でも評価の高いコルカタ・ロックシーンの伝説的なバンドだ。
Grateful Dead, The Beatles, Rolling Stones, Pink Floydの影響を受けた彼らは、カバー曲の演奏が中心だった当時のシーンでは珍しく、英語のオリジナル曲をいくつも残している。
 

この"Is It Love", "Place in The Sun"の2曲は彼らのオリジナル曲。
彼らは欧米のバンドのカバーも多く手掛けており、Marshall Tucker Bandの"Can't You See", Allman Brothers Bandの"Wasted Words"などの優れたカバーを披露している。


Highは70〜80年代にインドでは数少ないロックファンの人気を博したようだが、90年に中心人物のBalakrishnanが39歳の若さで亡くなり、その活動を終える。
これだけの質の高いバンドでありながら、彼らはインドのインディー音楽の黄金時代がやってくるずっと前に解散してしまったのだ。
彼らが活動していた時代は、楽器や機材の調達にも苦労し、バンドだけで生活してゆくことなどとてもできなかったようだ(これは今のインドのインディーミュージシャンたちもあまり変わらないかもしれないが)。
これだけの音楽の才能を持ったリーダーのBalakrishnanですら、企業に務めながら音楽活動をしていたという。

それにしても、60年代、70年代のインドに、ここまで洗練されたロックバンドがいたということに、ただただ驚かされる。
これもコルカタという街の持つ独自性が育んだ、素晴らしい文化遺産のひとつと呼ぶことができるだろう。
Highの作品は、2009年にインドのSaReGaMaレーベルから再発売され、翌年には新たなメンバーを加えて、'High Again'という名前で再結成を行ったようだ。

次回はより新しい時代のコルカタのシーンを紹介したい。

参考サイト:
https://www.redbull.com/in-en/a-high-point-in-indian-rock

http://www.sunday-guardian.com/artbeat/high-to-dilip-remembering-the-granddaddies-of-kolkatas-rock-scene-2 

https://www.businesstoday.in/magazine/bt-more/return-of-the-native/story/4765.html

https://www.facebook.com/pg/HIGH.THE.BAND/about/



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