2022年05月

2022年05月30日

R.I.P. Sidhu Moose Wala パンジャービー・ギャングスタ逝く


sidhu-moosewala

2022年5月29日深夜、パンジャーブ州マンサ郡ムーサ出身のバングラー・シンガー、Sidhu Moose Walaが地元で射殺されたという衝撃的なニュースが飛び込んできた。
以前もこのブログで紹介したことがあるが、彼は現代的なヒップホップのビートに乗せてコブシの効いたバングラーを歌いまくる新世代パンジャービー・シンガーの第一人者。
享年28歳。
あまりにも若すぎる死だ。




彼の楽曲はYouTubeで軒並み数千万から数億回もの再生回数を誇っている。
彼は2人の仲間と自家用車に乗っていたところを、30発もの銃弾で撃たれ、病院に運ばれたが亡くなってしまったようだ。
同行の2人も負傷したというニュースが入ってきている。
犯人はまだつかまっていない。

彼の最後のリリースは、亡くなる4日前にリリースされた"Levels"と、2週間前にリリースされた"The Last Ride".



霊柩車も登場するミュージックビデオが、結果的に彼の死を暗示するかのようになってしまった。

彼が亡くなった当時、現地では1984年に黄金寺院(彼も信仰するシク教の聖地)に立て篭もった過激派シク教徒を政府軍が武力攻撃した「ブルースター作戦」の記念日(6月3〜6日)を控え、厳重な警備が敷かれていた。
後述のように、Sidhu Moose Walaはシク教徒としてかなりラディカルな姿勢を打ち出しているためか(あるいは、単にセレブリティーだからか)、警護の対象となっていたようだが、銃撃はその隙をついて行われた。

パンジャーブ州の小さな村ムーサで生まれたSidhu Moose WalaことShubhdeep Singh Sidhuは、その斬新なスタイルと過激なアティテュードで、2017年のデビュー以来、瞬く間にトップスターとなった。
「バングラー・ラップ」のスタイルはPanjabi MCら海外在住のパンジャービー系アーティストたちによって発明され、インドに逆輸入されたジャンルだが、Sidhuは逆輸出というべきか、海外で暮らす移民たちにも支持され、北米ツアーを行うなど、国境を超えた人気(ただし、ほぼインド系住民に限るが)を誇っていた。
(この海外での人気に関しては、彼が一時期カナダを活動拠点としていたことも関係しているかもしれない)

思想の面で言えば、彼は敬虔な、というよりも、急進的なシク教の信者だった。
かつて黄金寺院に立て篭もった過激派たちと同様に、シク教徒による独立国家「カリスタン」の樹立を理想とする思想を抱いていることを明言していた。
軍人である彼の父とは真っ向から対立する考え方だった。

過激なのは思想だけではなかった。
彼は銃器を愛し、銃をテーマにした楽曲をいくつもリリースし、警察から無許可で銃のトレーニングを受けたことで逮捕されるなど、ギャングスタ的な生き方を実践していた。

グーグルマップを見れば分かるが、彼の生まれ故郷ムーサはほんとうに小さな村だ。
彼は成功後も地元を離れず、その郊外に邸宅を構えていた。
彼が殺された理由が、その過激な思想ゆえの政治的なものなのか、貧しい田舎であまりにも羽振りが良かったためだったのか。
図らずも、その死に様で彼のギャングスタ的な生き方がリアルなものだったことが証明されてしまった。
彼のマチズモ的な生き方は議論を呼ぶものだったが、それでも率直に言って抗えない魅力を持っていたことは紛れもない事実だった。

自らの表現に殉じるような死を迎えたとはいえ、彼の魅力を思想や言動の「過激さ」だけだと考えるのは誤りだろう。
彼は思想やアティテュードありきのアーティストではなかった。
その類稀なセンスとスキルが支持されていなければ、何曲もの楽曲が数億回も再生されることはない。
Sidhuは非常に多作なアーティストで、わずか4年ほどの活動期間の間に100曲を超える曲をリリースしている。
彼のリリースしてきた楽曲を(ほんの少しだが)振り返りつつ、冥福を祈りたい。

最近共演が多かったカナダ出身のパンジャービー系ラッパーSunny Maltonと共演した"F**k Em All".
 

オーセンティックなラップの後にSidhuが続くと、バングラー独特のアクの強い節回しがまた違った雰囲気に聴こえる。
まるでヒップホップの曲にレゲエシンガーがフィーチャーされているかのような印象になるのが面白い。


"Me And My Girlfriend"


かわいらしいタイトルだが、ミュージックビデオは物騒だ。
「銃が俺の彼女」なのか「銃みたいに強烈な俺の彼女」なのかは分からないが、今にして思えばのどかに見えるパンジャーブの田舎でのリアルなギャングスタ・ライフだったのだろう。


彼の出世作"So High"は、カナダ時代の楽曲で、5億回にも迫る再生回数を誇っている。



インドのヒップホップシーンからも彼の死を悼む声が続々と上がっており、共演経験のあったRaja Kumariをはじめ、デリーのSeedhe MautやベンガルールのBrodha Vが追悼のメッセージをツイートしている。





"Legend"

 

インドのミュージシャンが「射殺」というショッキングな最期を遂げることは前例がなく、しばらくは音楽シーンに動揺が続きそうだ。
YouTubeの彼のミュージックビデオには、ファンからの'Legend never dies'と彼の功績を讃える声がたくさん寄せられている。
2パックやビギーのように、彼もまた歴史に残るアーティストとしてインドの音楽シーンで永遠に語り継がれてゆくことだろう。
あらためて、Sidhu Moose Walaの冥福を祈りたい。








追記(5月31日):



Yahoo! JapanでもRolling Stone IndiaやCNNの記事を引用する形でSidhu Moose Walaの死が報じられた。
彼が初めて大手メディアで日本に紹介されたのが訃報だったというのが本当に残念だ。

どちらの見出しも「政治家に転身した人気ラッパー」とあるが、これは2021年に国民会議派(Congress Party. インド独立以来長く中央政権を維持してきたが、最近ではインド人民党〔BJP〕政権のもと野党に甘んじている)から州議会選挙に出馬したが、地元だったにもかかわらず2割ほどの得票しか得られず、落選(それでも得票率2位だったらしいが)したことを意味している。

Rolling Stone Japanの記事では、政界入り時のコメントが「地位や名声のために政界入りするわけじゃありません」「僕は制度を変える一員になりたい。人々の声を届けるために議会に参加するのです」と、「僕」という一人称で、です・ます調で書かれていたのが、こう言ってはなんだがちょっと面白かった。
印象違うんだよなあ。
国民会議派がシク教徒の独立国家を支持する彼を本気で政治家として買っていたとは思えず、彼の出馬は、おそらくだが日本で言うところの「タレント候補」のようなものだったのではないだろうか。

ちなみに選挙後、Sidhuは許容された期間外に戸別訪問を行ったとして告訴されている。
当選した州の与党「庶民党(Aam Aadmi Party)」の候補者は、おそらくは彼のギャングスタ的な姿勢を指してのことだと思うが、彼の楽曲は「反パンジャーブ的である」と非難していたという。

「政治家に転身」といっても決してラッパーのキャリアを捨てたわけではなく、Sidhuはその後も積極的に楽曲をリリースしているし、この落選を"Scapegoat"という楽曲としてリリースもしている。

記事に、警察署長が「シドゥのマネージャーとカナダ人ギャング団との抗争が原因」と発表したとあるが、これはインド系カナダ人(おそらくはカナダに多く暮らしている同郷のパンジャーブ系)のことを指しているのだろう。
いくらなんでも白人やアフリカ系のギャングがパンジャーブ州のこんな田舎にいたら目立ちすぎる。
ありえない。
Sidhuの家族は、ろくに調査もしないでギャングの抗争と結びつけたことを批判しており、警察署長もこの発言は誤って引用されたものだと否定している。

彼が警護されていたセレブだったということで、この犯行は影響力のある人物を優遇する「VIPカルチャー」への反発だったのではないかという見方もされているようだ。
警護下にあった人気スターの射殺事件に対して、彼が所属していた国民会議派も中央政権を握るBJPも、州の政権与党である庶民党の失態だと非難しており、彼の死がさっそく政治的な抗争に利用されているというのがなんともインドらしい。

続報では、この殺人事件に関連して6人が勾留されているようだ。
(このあたりの情報のソースは主にBBC:https://www.bbc.com/news/world-asia-india-61629130https://www.bbc.com/news/world-asia-india-61642596


インスタグラムでは#sidhumoosewalaというハッシュタグの投稿は現時点で640万件を超えており、米人気ラッパーのドレイクも追悼の意を表明している。
Sidhu Moose Walaは豪奢な伝統的ターバン姿で荼毘に付された。




追記2(6月7日)
Sidhu Moose Wala射殺事件の捜査は錯綜しているようだ。
パンジャーブ警察は、襲撃犯をパンジャーブ、ハリヤーナ、ラージャスターン、マハーラーシュトラに在住する8人と特定し、行方を追っているようだ。
犯行前、付近の防犯カメラには、犯人のうち一人がファンを装ってSidhuが運転するSUVに近づき、セルフィーを撮った後で共犯者に電話したと見られている。
(6月1日頃に1名の容疑者を逮捕したとの情報もあったが、関連は不明)

前回の追記で書いたカナダのギャング云々というのは、カナダ在住のパンジャーブ系ギャングGoldy Brarが、Sidhuの殺害は彼の仲間Vicky Middukheraと弟のGurlal Brarの死(いずれもここ2年の間にインドで射殺されている)に対する復讐であることをFacebookで表明したことを指しているようだ。

Sidhu殺害事件に関しては、Goldy Brarのギャング仲間で、別件でデリーのTihar刑務所に服役中のLawrence Bishnoiが取り調べを受けているようだが、彼は仲間が殺害に関わったことをほのめかしつつも、自分自身は犯行を指示できる状況になかったと訴えているようだ。
パンジャーブ系国際ギャング団とバングラー・ラップについては、あらためて特集する機会を持ちたい。


情報ソース:
https://www.ndtv.com/india-news/sidhu-moose-wala-murder-cctv-of-man-who-took-selfie-with-singer-probed-3041951
https://www.indiatoday.in/india/story/gangster-goldy-brar-claims-responsibility-sidhu-moose-wala-murder-1955740-2022-05-29



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2022年05月28日

北チェンナイはタミルのブロンクスかニューオーリンズか Casteless Collectiveの熱すぎるリズムそしてメッセージ



「カースト」のことを書くのはいろいろな意味で気が重いのだが、今回は、インドが持つ最大の負の遺産であるカースト制度に真っ向からプロテストを訴えているバンド、その名もCasteless Collectiveを紹介したい。
CastelessCollective


カーストについて語るのは非常にやっかいだ。
カーストがどのような意味を持つかは、その人が暮らしている環境やコミュニティによって大きく異なるからだ。
海外や都市部で「先進的な」暮らしをしているインド人のなかには「カースト差別はすでに過去のもの」という意見を持つ人もいる。
私は1990年代にすでにそういう意見の人に会ったことがあるのだが、その人はインドの印象を良くしたいとかではなく、心からそう思っているふうだった。
彼にとっては、それが「真実」だったのだろう。
だが、インドの田舎や保守的なエリアに生まれた人にとっては、カーストの影響を受けずに育つことは難しい。(その結果が差別意識であれ、問題意識であれ)

日本人には理解が難しい「カースト差別」をごく単純に説明すると、伝統的な世襲制職業コミュニティ(「ジャーティ」と呼ばれる)の「清浄」と「ケガレ」の感覚に基づく差別と言えるだろうか。
カーストの階層のなかでは、司祭階級にルーツを持つバラモン(ブラーミン)がもっとも清浄であるとされ、死(葬儀、と畜など)や汚れ(清掃、洗濯など)を扱う者たちは、カースト枠外の最下層の存在とされてきた。
最下層とされた人々は、ケガレが移るという理由で、カースト内の人々と触れたり、食事をともにしたり、視界に入ることすら禁じられ、長い間、非人間的な差別を受けてきた。(「不可触民」と呼ばれて蔑視されてきた彼らは、今では「抑圧されたもの」を意味する「ダリット」と称されることが多い)

今なお深刻なカースト差別の最悪な形のひとつが「名誉殺人」だ。
これは、低カーストの男性と交際している高位カーストの女性が「一族の名誉を守るため」という理由で親族から殺されてしまうという恐ろしい犯罪で、池亀彩著『インド残酷物語 世界一たくましい民』によると、2014〜16年の3年間で、タミル・ナードゥ州だけで92件もの名誉殺人が起きているという。
その被害者の8割がカースト・ヒンドゥー(ダリット以外のヒンドゥー教徒)の女性で、残りの2割は相手のダリットの男性だ。
これはあくまでも氷山の一角で、同じ時期に発生した名誉殺人の疑いのある不審死まで含めると、タミルナードゥ州内だけでも174件にものぼる。
インド全体で考えれば、この数字は何倍にも膨れ上がるはずだ。
ビリー・ホリデイの『奇妙な果実(A Strange Fruits)』は、リンチを受けて殺され、木に吊るされた黒人のことを歌った曲だが、インドではいまだに同じようなことが行われているのだ。

私がインドの社会や音楽シーンに興味を持ち続ける大きな理由のひとつは、こうした差別や格差に対して、音楽がどんな役割を果たせるか見届けたいという思いがあるからだ。

20世紀前半から、アメリカの黒人たちは、独自の文化をルーツとした素晴らしい音楽を生み出し、差別や過酷な環境に生きる彼ら自身をエンパワーしてきた。
ブルース、ソウル、ファンク、そしてヒップホップ。
1960年代の公民権運動から2010年代のブラック・ライヴス・マターまで、その音楽が社会のなかで大きな役割を担ってきたことは衆知のとおりだ。
泥水から美しい花を咲かせるように、彼らの音楽はその普遍的な魅力で、今日のポピュラーミュージックの礎となってきた。

いまも苛烈な差別が続くインドでも、音楽は社会の中で大きな役割を持つことができるのではないか?
あるいは、過酷な環境のなかから、新たに力と普遍的魅力を持った音楽が生まれてくるのではないか?
カーストに起因する問題が全て音楽で解決すると考えるとしたら、それはあまりにも能天気すぎるが、このブログでも何度も書いているように、実際にインドでもすでに音楽によるエンパワーメントは始まっている。

前置きが長くなったが、今回紹介するCasteless Collectiveはまさにその好例だ。
インド南部、タミルナードゥ州の州都チェンナイで結成されたCasteless Collecriveは、メンバー全員がダリット出身。
このバンドは、同じくダリット出身の映画監督Pa. Ranjitが設立したニーラム文化センター(Neelam Panpaatu Maiyam)に集まる若者たちによって、2017年に結成された。


(Pa.Ranjitがメガホンを取り、タミル映画界のスーパースター、ラジニカーントが主演した映画"Kaala"については、この記事で詳しく紹介している。格差や差別やナショナリズムへの抗議と怒りに満ちた素晴らしい作品だ)


Casteless Collectiveは12〜19人のメンバーで構成されたバンドだ(記事や媒体により人数の表記が異なっている)。
その中には、ドラムやギター、男女のヴォーカルやラッパーといった馴染みのあるパートに加えて、ガーナ(Gaana)と呼ばれるタミルの伝統音楽のミュージシャンたちも含まれている。
Casteless Collectiveは、ファンクやブルースとガーナをかけ合わせたフュージョン・ロックバンドなのだ。


「ガーナ」とは、もともと彼らが拠点とする北チェンナイの葬儀でダリットたちが演奏する音楽だった。
(北インドのヒンディー語などの言語では、'Gaana'は歌全般を意味する言葉だが、少なくとも北チェンナイのタミル語では、Gaanaというとこの葬送にルーツをもつ音楽を指すようだ)


2022.7.6追記:タミル文化に詳しい方から、「ガーナ」は必ずしも葬儀で演奏される音楽でも被差別階級の音楽でもなく、ストリートミュージック全般を指すのではないか、というご指摘をいただいた。私は南インドの文化にはまったく詳しくないので、これはおそらく私に誤解があり、その方の指摘が正しいものと思う。北チェンナイ発祥の「ガーナ」は、その発端には被差別階級や葬儀との関連があったかもしれないが、少なくとも現在はそうしたテーマとは関係なく親しまれている音楽であるようだ。私が書いた内容は、間違いではなくても、例えば、現代のポップミュージックを紹介するときに「R&Bは過酷な黒人差別の中から生まれた音楽だ」と書くくらいに唐突だった可能性がある。ただ、以下のVICE Asiaのインタビューを見れば分かる通り、Casteless Collectiveの音楽を紹介する文脈では、ガーナはやはり被差別の苦しみから生まれた音楽と理解して間違いなさそうなので、こうした現状をふまえた上で記事を読んでもらえるとありがたいです。



20世期初頭に南インド各地から仕事を求めてチェンナイ北部にやってきたダリットたちが生み出したガーナは、葬送音楽らしからぬ派手なパーカッションとリズミカルな歌が特徴の音楽だ。
1980年代頃からポップスとしても消費されはじめ、今ではポピュラー音楽のメインストリームである映画音楽にも使われるようになった。
まるでニューオーリンズのジャズ葬から生まれたセカンドラインのようなエピソードだ。

このニューオーリンズのような音楽文化を生んだ北チェンナイは、南インド各地から来た貧しい労働者が数多く暮らす地域でもあり、「治安が悪く犯罪が多発」というヒップホップ発祥の地、ニューヨークのブロンクスみたいなイメージを持たれている場所でもある。

(ニューオーリンズで黒人たちの葬送のための音楽として生まれたセカンドラインは、ジャズやファンクのいちジャンルとなり、ポップミュージックにも導入さている。ヒップホップ創成期のブロンクスはカリブ地域から渡った黒人やヒスパニック系の移民が多く暮らす犯罪多発地域だった)

こうした文化的背景のせいか、Casteless Collectiveの音楽は、音楽性のみならず、その精神性においても、アメリカのブラックミュージックのような力強いメッセージを持った非常に面白いフュージョンになっているのだ。
「北チェンナイ」を意味する"Vada Chennai"は、地元をレペゼンしつつ抑圧に対する怒りを訴える、彼らの醍醐味が存分に味わえる曲だ。



本当のチェンナイ北部を知っているのか?
奴らは美しいものを全て破壊し、真実を埋めてしまった
俺たちは奴らに奪われた土地を取り戻す必要がある
さあ、戦おう、第二の独立のために


1947年にイギリスからの独立を果たしてから75年の歳月が過ぎたが、ダリットの人々にとっては、自身の尊厳を取り戻す本当の意味での「独立」はいまだに達成されていないと訴えることからこの曲は始まる。

このいかにもインドらしい(そしてタミルらしい)プロテスト音楽を奏でる彼らのことを手っ取り早く彼らを知るには、Vice Asiaが作ったこのドキュメンタリーが最適だ。


彼らの言葉に耳を傾ければ、その思想と理想が理解できるだろう。

「Casteless Collectiveのサウンドはチェンナイの土壌から生まれた音だ。チェンナイの血と汗なんだ。Casteless Collectiveは、人々が抱えている問題や苦労や必要なものを伝え、平等をもたらすために存在している。大事なのはカーストに関する全ての考えを根絶すること。カーストのない社会にすることだよ。それがCasteless Collectiveなんだ」

インドには、明確に思想を表明しているインディーミュージシャンも少なくないが(例えばSka VengersのTaru Dalmia)、考えてみれば彼らほどその思想を直接的にバンド名に冠したアーティストは他に思いつかない。
彼らのソウルミュージックでもある「ガーナ」について語っている内容も興味深い。

「ガーナは俺たちの心の痛みから生まれる音楽だ。ガーナのミュージシャンたちは長い間搾取されてきた。ガーナは理論的なものじゃないから、学ぶことはできない。フィーリングなんだ」
「ガーナはブルースみたいなものだ。タミルのブルースさ。ヒップホップが持つ痛みと同じようなところから生まれた。ヒップホップとガーナを融合させるのは難しかったけど、メンバーのArivuはラップもできて、ガーナ音楽も歌えたのさ」

やはりというべきか、彼らとガーナの関係は、アフリカ系アメリカ人と黒人音楽の関係になぞらえて理解することができるもののようだ。
ブルースのように、やるせない境遇の憂鬱をぶっとばすためのものであり、ヒップホップのようにそこにメッセージを乗せて伝えることもできる。
彼らがアメリカの音楽に影響を受けていることも確かだろうが、似たような環境で生まれた音楽であるがゆえのシンクロニシティーがあるのだろう。
ちなみにアメリカ合衆国におけるアフリカ系市民の割合は12.6%だそうだが、インドのダリットの割合は16.6%とされている。
とくに地方においては、インターネットや電力へのアクセスすらままならないダリットも多く、根深い社会構造的な問題からそのエンパワーメントは容易ではないが、人口規模を考えれば、彼らの生み出すブルース/ヒップホップ的な音楽がインドで大きなうねりを生み出すことも夢ではないのかもしれない。

今度は、ラッパーであるArivuの言葉に注目してみよう。

「祖父たちがよく話していたよ。俺たちには土地なんてなかったんだ。人の家に表玄関から入ることも許されなかったし、コップから水を飲むことも許されなかった。何千年もそんなことが続いているんだ。俺は大学で勉強して、カーストの抑圧がいかに大きいものかを学んだ。今でも差別は続いている。ここじゃ人々は土地なんてもっていない。手でゴミを拾っている人たちの子供は、同じ仕事をするしかない。カーストは目に見えないかもしれない。居心地の良い場所でこの話を聞いている人は、きっと先祖が土地持ちかなんかで、いろんな人を抑圧してきたんだろうよ。私立の学校やインターナショナル・スクールに行ってる奴らが『カーストなんてもうない』なんて言うのは馬鹿げているよ」

冒頭に書いたように、カーストをめぐる状況はインドでもさまざまだが、チェンナイ北部のダリット出身である彼のこの発言には痛みをともなうリアリティがある。

「俺はストリートのリアルを伝えるアーティストになりたかった。俺は大学に入ってから、詩を書くようになった。歌を通して、自分の痛みを表現したかったんだ。そうしたら友達が『まるでラップみたいだな。続けたらラッパーになれるよ』と言ってくれた。ラップシーンに入ってから、ラップの歴史を知ったよ。抑圧に対する声だということをね。そのことを知ってすごく嬉しかった。よし、ラップを通して俺たちの生活を伝えてみよう、って思った」

ヒップホップというカルチャー、ラップというアートフォームの普遍性を感じるエピソードだ。
彼らのこうした主張は、その楽曲に色濃く反映されている。

"Jaibhim Anthem"は、ダリット解放運動の活動家であり、インド憲法を起草した法学者・政治家でもあるビームラーオ・アンベードカル(1891−1956)を称える歌。


俺の話をちゃんと聞けばわかるはずさ
この国はカーストの偏見に溢れている
俺たちは学校にも入れてもらえないし、寺院も魂を救ってくれない
道路も歩けないし、殺されることだってある
何千年もこんなことが続いてきた
変わったというけれど、だれが保証してくれるんだ?
歴史を振り返ってみれば、誰が俺たちのストーリーを変えてくれたか分かるだろう
ジャイ・ビーム 声を挙げよう カーストなんていらない 喜びの声を



アンベードカルは晩年に50万人のダリットたちを率いて、カースト差別の根源であるヒンドゥー教と訣別し、仏教徒に改修した、インドにおける仏教復興運動の祖でもある。
こうした経緯から平等主義に比重を置くことが多い彼らは、新仏教(Neo-Buddhist)と呼ばれることも多いが、この名称は結局彼らの出自に注目したものだとして、必ずしも歓迎されている呼び方ではない。
「ジャイ・ビーム」の叫びは、現代まで続くダリット解放運動の父であるアンベードカルへの共感とリスペクトを表す合言葉であり、平等や権利を訴える場面で広く使われている。
(前述の映画"Kaala"やSka VengersのTaru Dalmiaを取り上げたドキュメンタリーでもこの言葉を唱えるシーンがある。詳しくはリンク先の記事を参照)

長い間被差別階級に甘んじてきたダリットたちは、公立学校への入学や公務員への就職の際に、一定の枠が与えられている。
こうしたクォータ制度(インドではreservation=留保制度と呼ばれることが多い)に対する彼らのステートメントがこの曲だ。



お前らの先祖は俺たちの先祖を虐げてきた
だから俺たちにクォータ制度が割り当てられているんだろ?
欲しいものをいつも手に入れてきたからって威張るなよ
俺たちは先祖とは違う、俺たちはもうおとなしくしないからな

(冒頭の部分。原語はタミル語)

ヘヴィロック的なサウンドに乗せて歌われるメッセージはまるでボブ・マーリーのような熱いプロテストだ。
留保制度は様々な問題をはらんでいて、この制度で高等教育に進学したダリットの学生が学業についていけずドロップアウトしてしまうこともあり、また上位カーストの学生が逆差別だと抗議の自殺をするなど、けっして万能の解決策ではない。
だが、それでもこの制度がインド社会の歴史的負債とも言える格差是正に大きな役割を果たしてきたことは間違いない。
そうした批判もふまえた上での主張が、この"Quota"だというわけだ。


Arivuはソロのラッパーとしてもバンドと同様のメッセージを発信している。
ビートメーカーのofROとタッグを組んだ"Anti Indian"もまた強烈な一曲。




なんだって?俺がアンチ・インディアンだっていうのか?
なんだって?俺はただタミル人として投票しているだけ
俺はあんたみたいなただの人間さ

なのに俺の夢も希望も潰されてしまった
目を閉じて俺の話を聞いてくれ
おまえは俺の土地を滅ぼし 俺の家を燃やそうとした
おまえは俺たちの森に戦争を持ち込んだ
歴史は偽りに満ちている
おまえは俺を生贄にして 俺の国を滅ぼした 数十万もの人々だ
それでも俺はおまえたちと一緒になった
俺の夢をおまえが叶えてくれることを望んでいた
俺はひとつになることを望んだが おまえは俺たちの分断が続くことを望んでいる
言語や宗教や人種や生まれによる分断のことさ
教育で分断し 見えない線で分断し 肌の色で分断する
俺の土地は自分の血で血まみれだ
この戦いは俺たちの世代でもまだ続いている
おまえに俺の痛みは分からない


"Anti Indian"は、日本で言うと「反日」とか「売国」に近いようなニュアンスの言葉だと考えてよいだろう。
チェンナイに暮らす彼らは、カースト差別とは別に、北インドの南インドの構造的格差の当事者でもある。
インドという国は、伝統的に首都デリーを中心とした北インドのヒンディー語圏のアーリアの人々が支配的であり、彼らとは全く別の言語体系・人種的ルーツを持つドラヴィダ系の南インド人はなにかと低く見られがちだ。
こうした状況のなかで、チェンナイを州都とするタミルナードゥ州は、とくに自らの文化への誇りが強い土地であり、北インド的な価値観の押し付けに対する強い対抗意識を持っている。
だが、タミル的なアイデンティティというのものも一枚岩ではなく、例えばそれはタミルの中の上位カーストの価値観に依拠していることもあるから一筋縄ではいかない。
例えば、カースト・ヒンドゥーのタミル人たちは、自分たちの牛を誇りとして大切にする文化を持っているが(たとえばこの記事を参照「タミルのラッパーのミュージックビデオがほぼインド映画だった話 Hiphop Tamizhaとタミルの牛追い祭り」)、ダリットたちにとって牛は貴重な食材のひとつである。

"Anti Indian"のミュージックビデオで、Arivuはライブの途中で曲を止めて、観客にこう語りかける。

「曲を止めてすまない。ちょっと言いたいことがある。
俺たちがタミル人でもインド人(ここでは北インド出身者のことか)でもマラヤーリー(タミルナードゥ州の西隣ケーララ州にルーツを持つ人々)でも関係ない。俺たちは人間だ。
ただの人間、それだけだ。
最後に残るのは人間愛(humanity)だ。人間であること(humanity)だけが永遠なんだ。
俺たちはひとつだ。人間であるってことは、俺たちを結びつける力なんだ」

このメッセージのあまりの誠実さに、正直、書いていてちょっと背筋が伸びた。
社会的、政治的であることから全く逃げずに、こんなにも真摯な姿勢を貫いているアーティストは世界的に見ても稀有な存在だろう。

Arivuはラッパーとしての技量も非常に高く、この"Kallamouni"の2:10からの凄まじい勢いの鬼気迫るラップを聴いてみてほしい。



Casteless Collectiveのメンバーたちも語っているように、これまで、ダリット自身が主人公となって、自分たちを虐げてきた人々や制度を公然と批判できる音楽は彼らのコミュニティに存在しなかった。
音楽的にも文化的にも自らのルーツを誇りつつ、強烈なプロテストを繰り広げる彼らは、遠く日本から見ていても胸がすくようなすがすがしさと熱さがある。
北チェンナイのダリット・コミュニティから生まれた彼らの音楽が、その熱さと真摯さで、ファンクやヒップホップのように、より多くの人をエンパワーすることも、決して夢ではないと信じている。




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2022年05月08日

インドのアニメーション・ミュージックビデオ特集!(その2・コマ撮り編)


前回お届けしたインドのアニメーション・ミュージックビデオ特集。
 

これまでブログで紹介していなかった作品を中心に、5つの動画を紹介したけれど、まだまだ紹介しきれなかった作品がある。
ということで、今回は、インドのインディー音楽シーンのアニメーション・ミュージックビデオ特集第2弾。
「コマ撮りアニメ編」をお届けします!

デリーを拠点にするヒンディー・ロックバンドThe Local Train"Gustaakh"は、ネオン輝く近未来都市を舞台にした「怪獣もの」という意表を突く設定。


ハリウッドのSFか日本の特撮を思わせるインドらしからぬセンスだが、映像も非常に凝っていてこれがなかなか面白い。
(そのわりに、曲によっては1,000万から2,000万回再生されている彼らの楽曲のなかでは少なめな72万回再生なのがもったいない…)
2018年にリリースされた彼らのセカンドアルバム"Vaaqif"の収録曲で、ミュージックビデオは映画監督Vijesh RajanのシナリオをMosambi Juice Productionsなるスタジオが制作している。
彼らは毎回映画を思わせる凝ったミュージックビデオを作っているが、この作品も30人以上ものスタッフが関わって作られている。
ちなみに曲のタイトルはヒンディー語/ウルドゥー語で「傲慢」を意味しているようだ。


こちらもニューデリーのシンガーソングライターKamakshi Khanna"Qareeb"(アラビア語由来の言葉で「近く」を意味しているらしい)は、フェルトを使ったやわらかな雰囲気が印象的なミュージックビデオだ。



ストーリーは、恋愛に拠り所をもとめていた孤独な若い女性が、音楽を通して自分に自信を取り戻すまでを描いたもの。
監督は実写作品も手掛けている映像作家のArsh Grewal.
彼女のインスタグラムを見ると、Parekh & SinghやSanjeeta Bhattacharya, Lifafaらのインディミュージシャンも数多くフォローしており、次なるコラボレーションに期待がかかる。
Kamakshi Khannaは最近リリースしたSanjeeta Bhattacharyaとのコラボレーション"Swimming"も女性たちだけの幻想的な世界観を美しく描いたミュージックビデオが秀逸だった。


コルカタ出身のシンガーソングライターTajdar Junaid"Ekta Golpo"は、ベンガル民謡っぽい素朴なメロディーをカントリー的なアレンジで歌った曲。


Tajdar JunaidはWhale in the Pondと並んで、コルカタらしい詩的なサウンドのベンガリ・フォークポップを代表するアーティストだ。
楽曲のリリース数は少なく、マイペースに活動しているアーティストのようだが、昨年はムンバイのギタリストBlackstratbluesとのコラボレーションを発表している。
「雲の王国」を舞台にかわいらしい馬たちが繰り広げる民話的ストーリーのアニメーションは、Pigeon and Co.なるプロダクションが手掛けたもの。
こちらも素朴なサウンドに似合う幻想的な作風だ。



前回のアニメーション・ミュージックビデオ特集でも取り上げたTaba Chake"Morning Sun"は、身近なものを活かした、カジュアルながらもアイディアが光っている。


インド北東部シッキム州出身の映像作家Tribeny Raiが完全に予算ゼロで作った作品とのこと。
アコースティックかつポップな楽曲とよく合った映像作品に仕上がっている。


インドを代表するメロディーメイカー、Prateek Kuhad"With You/For You"は、コマ撮りならではの実写を交えた映像が効果的。


ミュージックビデオを手掛けたのは、グラフィックデザイナーのKaran Kumar.
こちらもローバジェットながらも、カラフルでポップな色彩が曲調に合っている。
予算があるならあるなりに、無いなら無いなりに、楽曲に合わせた素敵な作品を作ってくるところにインドの映像作家たちの底力を感じる。

アニメーションのミュージックビデオ、じつはまだまだ紹介したい作品がたくさんあるのだけど、きりがないので今回はいったんここまで。
続きはまたいつか書いてみたいと思います。



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goshimasayama18 at 16:03|PermalinkComments(0)インドのロック 

2022年05月05日

インドのアニメーション・ミュージックビデオ特集!(その1)


いつ頃からか、インドのインディペンデント音楽シーンで、面白いアニメのミュージックビデオが作られていることに気づいた。
その傾向は、密になっての撮影が困難となったコロナ禍以降、さらに加速している。
考えてみれば、もともと巨大な映画産業をバックボーンとした映像文化があり、近年ではIT人材でも世界を席巻しているインドで面白いアニメが作られるのは、必然とも言える。

インディーの映像作家の作品ゆえ、ローバジェットで荒削りなものも多いが、同様に限られた予算で音楽を作り、なんとかして印象に残るミュージックビデオを作りたいというインディーミュージシャンたちと意気投合してコラボレーションしているのだろう。ユニークな発想や感覚の作品が多く、どれもまるで短編映画を見るかのように楽しめる。

というわけで、今回はインドのインディー音楽シーンで見つけた、アニメーションのミュージックビデオ特集をお届けします。


Takar Nabam "Good Night"
 
Rolling Stone Indiaが選んだ2021年のベストミュージックビデオ部門の3位に選ばれたのがこの作品。
インド北東部アルナーチャル・プラデーシュ州出身のシンガーソングライターTakar Nabamの曲に、新進アニメーション作家のHage Nobin(名前と見た目を見る限り、彼もまた北東部出身者のようだ)が映像をつけた。
1954年に、ソ連による宇宙開発実験でスプートニク2号に乗せられて宇宙に打ち上げられ、そのまま命を絶った「はじめて宇宙空間に到達した地球の動物」である犬のライカをテーマにしたストーリーが胸を打つ。
初期ピクサー作品のような質感のCGアニメーションは、無国籍な雰囲気で「インドのアーティストが英語でソ連の犬のことを歌う」というこの曲によく似合っている。




Smoke Screen "Chiku"


マハーラーシュトラ州の学園都市プネーを拠点に活動するロックバンドSmokeScreenとニューデリーのアニメーション作家Ishan Srivastavaのコラボレーション。
カートゥーンのようなかわいらしい映像だが、ストーリーはかなり不憫なもの。
彼らによると「超ダークな喜劇」または「超こっけいな悲劇」というこの作品は、「聖書風であると同時に究極にニヒリスティックなショートムービー」だそうだ。
主人公の男の子は「神の子」を表しているのだろうか、あまりにも衝撃的な結末に開いた口がふさがらない。


Antariksh "Quest"


ニューデリーのギタリスト/ヴォーカリストのVarun Rajputを中心としたヒンディーロックバンドAntarikshの"Quest"は、シタールのソロを取り入れたプログレッシブ・メタル。
インドにはこの手のバンドが多いが、それはプログレッシブ・ロックとインド古典音楽が「リズムの複雑さ」という点で共通しているからなんじゃないか、と常々感じている。

このビデオはラッパーのPrabh Deepの作品も手掛けたことがあるビジュアル・アーティストのPratik Deyが監督を務めている。
インディペンデント制作にしてはかなりしっかりとした体制で作られた作品のようで、コンセプトとヴィジュアライゼーションにはPratikのほかにBalaram JとShreya Menonという人物が名を連ね、さらにバックグラウンド・アーティストとして3人、アニメーション担当として9人がクレジットされている。
時間が止まったディストピア的な世界(しかしそれは現代インドとよく似た世界でもある)を舞台とした物語に、メンバーの演奏シーンや不思議な世界を旅する男の映像が融合され、存在理由を問いかける哲学的な歌詞とあいまって、こちらも非常に印象的な作品。
ギターソロには、元メガデスで日本語が達者なことでも知られるマーティ・フリードマンが参加していて、彼もまたアニメーションで描かれている。



When Chai Met Toast "When We Feel Young"


ここまで、文学的だったり哲学的だったりする作品を紹介してきたが、日常やノスタルジーを上手に描いているアーティストも(アニメーションと音楽の両方に)存在する。
南インド・ケーララ州のバンドWhen Chai Met Toastのフォーク・ポップに、西インド・グジャラート州のAnjali Kamatによる独特のタッチのイラストがよく似合っていて、両者のコラボレーションは相性抜群だ。
彼女のアニメーションはアコースティックなサウンドを志向するアーティストによく取り上げられていて、例えば他にはこんな作品がある。


Taba Chake "Walk With Me"


Taba Chakeは最初に紹介したTakar Nabamと同じ北東部アルナーチャル・プラデーシュ出身のシンガーソングライターで、今ではムンバイを拠点に活動している。
彼もフォーキーなスタイルを特徴としていて、その世界観はAnjali Kamatのアニメーションと良く合う。
スマホが手放せない現代生活も、彼女の手にかかると、どこか優しくてあたたかみのある雰囲気に仕上がるのがさすがだ。
彼女は他にもPrateek Kuhadのリリックビデオなども手掛けていて、インドのインディーポップシーンに欠かせないアーティストになりつつある。


…と、今回はすでに5つもの作品を紹介してしまったので、ここまでにするけれど、ご覧の通り、作風もさまざまな映像作家たちが、インドのミュージシャンの音楽をアニメで彩っている。

インドには他にもまだまだ面白いアニメーションのミュージックビデオが存在しているので、続きは近いうちにまた書きたいと思います!
それでは!




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