2021年08月

2021年08月29日

あらためて、インドのヒップホップの話(その1 ムンバイ編 インド版ストリートラップ「ガリーラップ」と最大都市の多様なMCたち)



mumbairappers



6月のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(アトロク)に続いて、J-WAVE「ACROSS THE SKY」内のSKY-HIさんによるアジアのヒップホップ特集コーナー「IMASIA」にて、インドのヒップホップについて、2週にわたって語ってきました。
自分が好きな音楽をこうしてみなさんにお話する機会をいただけるというのは、まさに望外の喜びというやつでして、関係者の皆様ならびにいつも素晴らしい音楽を作ってくれているインドのアーティスト各位には、改めて感謝しています。


正直に言うと、自分はもともとロック寄りのリスナーなので、ヒップホップに関する知識は非常に限られているし、偏っている。
SKY-HIさんに収録外のときに「結局いちばんラップが上手いのってJay-Zですよね」とか言われても、「Jay-ZってLinkin Parkと一緒にやってた人だよな…。Jay-Zの代表曲って"NY State of Mind"?それはNasだっけ?」なんて考えてしまい、気の利いた返しもできない。(ちなみにあとで調べたら"NY〜"はやっぱりNasの曲で、Jay-Zの代表曲は"Empire State of Mind"だった)

こんな私がしたり顔でヒップホップを語るというのは、すごくwackなことなのだけど、(wackは「ダサい、偽物」といった意味。ちなみに大してヒップホップ知らないのにこういうヒップホップ的なスラングを使いたがるのもwackなことだとは思う)、幸か不幸か、インドのヒップホップの面白さに気付いている人は日本にはほとんどいない。
だから、誰か他にインドのヒップホップシーンについて熱く語ってくれる人が出てくるまで、しばらくの間、このめちゃくちゃ面白い音楽シーンの魅力を、書いたり語ったりさせていただきたい所存なのである。

文系ロックリスナー出身ゆえ、本場のラッパーとの比較とか、ヒップホップ的クールネスの解説とかはできなくて、話が社会的背景とかアーティストのウンチクに偏りがちなのはご容赦願いたい。
とにかく、このタイミングでインドのヒップホップが日本でも少しずつ注目を集めてきているようなので、ここでいっぺん全体像を書いておきたい、と思った次第。

というわけで、今回は、改めて紹介するインドのヒップホップシーン概要。
インドはめちゃくちゃ広いので、まずはムンバイ編から。


番組でも話した通り、19歳のときに初めて訪れたインドで、下町の働くおじさんたちはまるでブルースマンのように見えた。
みんな口が達者で豪快なのだけど、彼らの顔に刻まれたシワや影を宿した瞳からは、どんなに努力しても這い上がることのできない格差社会への諦めのようなものが感じられた。
路地裏では、子どもたち音割れしているラジカセで音楽をガンガンに流して、笑顔を弾けさせながらキレキレのダンスを踊っていた。
90年代、インドの下町は1970年頃のアメリカの黒人街のようだった。
もし彼らが、歌や楽器を覚えて、ブルースやファンクやソウルみたいな音楽(レゲエでも良さそうだ)を演奏したら、きっと「本物」の音楽が生み出されるのになあ、なんて思ったものだった。
インドで流通している音楽が、安っぽくて甘ったるい映画の主題歌ばかりなのが、なんだかもったいないような気がしたのだ。


時は流れて2010年代。あのソウルフルな思い出から約20年が経過した。
アメリカでも、ソウルやファンクの時代からだいたい20年後の90年代にヒップホップカルチャーが花開いたことを思えば、インドの若者たちの間で、今ヒップホップが人気なのは、必然と言えるのかもしれない。


今日のインドのヒップホップブームの礎となった曲をひとつ挙げるとしたら、やはりこの曲ということになるだろう。

Naezy - "Aafat!"
ムンバイの下町、Kurla West地区に暮らしていたNavedは、USのラッパーに憧れる不良少年だった。
Sean Paulのコピーをして女の子の気を引こうとしていたというから、どこにでもいるヤンチャな少年だったのだろう。
ある日、警察の厄介になった彼は、悪事ばかりの生活に見切りをつけ、本名とcrazyを掛け合わせたNaezyという名前でラッパーとしての活動を始める。
彼は、何日も部屋にこもって書いた自作のリリックを、iPadでダウンロードしたビートに乗せ、iPadに繋いだマイクでコーディングし、iPadで撮影したミュージックビデオを、もちろんiPadからYouTubeにアップした。

iPadで全ての表現を完結してしまったNaezyの「あるもので工夫して間に合わせる」方法論は、インドでは「ジュガール」(Jugaad)と呼ばれている。
この自由な発想は、2台のレコードプレーヤーでビートを作ることを発明したブロンクスのヒップホップ・オリジネイターたちにも通底するものを感じる。
(ちなみにインターネット以前の主要な音楽の流通形態がカセットテープだったインドでは、今日までターンテーブルによる音楽カルチャーが生まれることはなく、代わりにヒューマンビートボックスが普及した)

そもそも、ポピュラー音楽といえば自国の映画音楽ばかりだったインドの若者がヒップホップに出会えたのは、経済成長とインターネットの普及があってこそのことだった。
インドのヒップホップブームは、国内や世界のグローバル化と無関係ではないのである。

"Aafat!"のミュージックビデオは「スラムみたいな地区にすごいラッパーがいる」と話題になり、映画監督ゾーヤー・アクタルの耳にも入ることになる。
興味を持ったアクタル監督は、Naezyをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』を撮影し、2019年に大ヒットを記録した。
この映画が、発展途上だったインドのヒップホップシーンの起爆剤となるのだが、それはもう少し後の話。


同時期のムンバイでは、別の下町地区Andheri Eastで育ったDIVINEが、下町の路地を意味するGullyというヒンディー語を、英語の「ストリート」と同じような、身近でクール言葉として使い始め、インドならではのストリートラップを開拓し始めていた。

DIVINE "Yeh Mera Bombay"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルも、このDIVINEが提唱したGully=Streetという概念から取られたもので、彼は映画に登場するMCシェールというキャラクターのモデルでもある。

Naezyと共演した"Mere Gully Mein"は『ガリーボーイ』でも主人公たちがスラムでミュージックビデオを撮影する曲としてフィーチャーされている一曲。
DIVINEは日本で言うとZeebraとかOzrosaurusのMacchoみたいなアニキっぽい存在感(声質も似ている)のラッパーで、今日に至るまでインドのヒップホップシーンをリードし続けている。

DIVINE feat. Naezy "Mere Gully Mein"
『ガリーボーイ』の舞台は、NaezyやDIVINEのホームタウンではなく、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に置き換えられている。
映画の主人公のムラドはカレッジに通っているし、実際のNaezyもiPadを持っていたし、「インドのスラムの住人って、社会の最底辺なのに結構裕福なんだな」と思った人もいるかもしれないが、それは大きな誤解。
インドではスラム暮らしというのは最底辺ではないのである。

ダラヴィは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』など、数々の作品の舞台になった「有名」なスラムであるがゆえに、各所からの支援があり、他のムンバイのスラムと比べても、比較的「まし」な環境なのだ。
もちろん、それでも過密で不衛生な住環境であることに変わりはないのだが、インドの街には、住む家さえなく路上で暮らしている人たちもたくさんいるし、地方に行けば電気も水道もない環境で暮らしている人たちも何億人もいることを考えると、ダラヴィは決して最底辺の環境ではないのである。

とはいえ、ガリー出身のラッパーたちが、抑圧された環境の若者たちをレペゼンして、同じ境遇の少年あちの希望となっていることは紛れもない事実。
じっさい、映画同様にダラヴィ出身のラッパーたちも活躍している。
偏見にさらされ、抑圧された立場にあるスラム出身の若者たちがアメリカの黒人たちによって生み出されたヒップホップという表現形態を選ぶのは必然だった。
今回は、数多いダラヴィ出身のラッパーから、MC Altafを紹介したい。

MC Altaf "Code Mumbai 17"
MC Altafはダラヴィのヒップホップクルー'Enimiez'の出身。
同郷のクルー'7 bantaiz'のStony Psykoに影響を受けてラッパーの道を志したという。
タイトルの'Code Mumbai 17'(17はヒンディー語でsatrahと発音する)は、ダラヴィのピンコード(郵便番号)を意味している。
ヒップホップの「レペゼン意識」(地元やコミュニティを代表しようというアティテュード)というやつである。
彼はその後、DIVINEらとともにNasのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属となり、ダラヴィやムンバイだけでなく、インドを代表するラッパーになりつつある。

ダラヴィのヒップホップシーンについてはこちらの記事で詳述。
インド南部のタミル系の住民も多いこの地域では、タミル語でラップするラッパーもいて、多言語・他宗教が共生するという、貧しくとも'unity'なヒップホップ環境が存在している。



この街のヒップホップはガリーラップだけではない。
大都市なだけあって、ムンバイのヒップホップシーンは多様性に溢れている。

Tienas "Fake Adidas"
Tienas " A Song To Die"
Tienasは英語ラップを得意としているラッパーで、チル系からノイズ系まで、エクスペリメンタルなビートを使用することも多い。





6人組のクルーSwadesiもアンダーグラウンドな表現にこだわっているユニットのひとつだ。
彼らは伝統音楽とヒップホップを融合したビートに社会的なメッセージ色の強いラップを乗せるスタイルを貫いている。
この"Warli Revolt"では、独特の絵画様式を持つことで知られるワールリー族の伝統的なリズムに乗せて、少数民族が搾取され、抑圧される様子を伝えている。

Swadesi "Warli Revolt"
Sarathy Korwar "Mumbay(feat. MC Mawali)"
SwadesiのMC Mawaliがイギリス在住のパーカッション奏者Sarathy Korwarと共演したこの"Mumbay"では、ジャズと古典音楽を融合した7拍子のビートに合わせて、ムンバイの街の様子をクールに描き出している。

海外に多く暮らしているインド系移民は、経済だけではなくポップカルチャーの面でもインドを支えており、近年ではこのSarathy KorwarとMC Mawaliの例のように、海外在住のインド系アーティストと本国のアーティストの共演も増えてきている。
アメリカ在住のビートメーカーAAKASHはムンバイの地元ラッパーと共演したアルバムを発表。
トラップなどの新しいビートでシーンに新風を吹き込んだ。

MC Altaf, D'Evil "Wazan Hai"(Prod by AAKASH)
ヒップホップ人気の高まりとともに若者の憧れとなっているスニーカーショップで撮影されたミュージックビデオも印象的だ。
はじめはストリート発の社会的ムーブメントとして注目されてきたインドのヒップホップは、今ではファッションやポップカルチャーとしても存在感を高めている。


ポップ寄りのラッパーとして絶大な人気を誇っているのは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたEmiway Bantaiだ。
彼は'Machayenge'と称するポップなシリーズで絶大な人気を誇っている。
'IMASIA'で紹介したのはシリーズ3作目の"Machayenge 3".

Emiway Bantai "Machayenge 3"
このミュージックビデオだけ見ると、ポップで軟派なラッパーのようにも見えるが、この曲でもその片鱗が窺える通り、彼はラップが相当に上手い。
彼はそのスキルとセンスを活かして、多くの人気ラッパーにビーフを挑み、その容赦ないスタイルで名を上げたところで、こうしたポップな曲をリリースして人気を確固たるものとした。




フィメール・ラッパーについても触れておこう。
ムンバイ在住のマラヤーリー系(南部ケーララ州系)フィメール・ラッパーDee MCは、今なお抑圧されがちな女性の立場を代弁するラッパーとして、シーンで活躍している。


インドのヒップホップも、一部のラッパーたちのリリックがミソジニー的であるとの批判を浴びることがあるが、彼女曰く、ムンバイのヒップホップシーンで女性であることを理由に困難を感じたことはないとのこと。
こうした健全さはムンバイのシーンの美しさと言えるだろう。



さて、ここで最初に紹介したNaezyとDIVINEに話を戻してみたい。

じつはNaezyは、『ガリーボーイ』公開前後のいちばんオイシイ時期、音楽活動を休止していた。
彼は敬虔なムスリムでもあるのだが、iPadをくれた父に、「ヒップホップはイスラーム的ではない」と止められていたからだ。
その後、晴れて「ラップもイスラームの伝統である詩と通じるもの」と父の理解が得られ、活動を再開したNaezyは、今でもムンバイのストリートラッパーとして活動を続けている。

Naezy, Rakhis "Kasa Kai"


一方のDIVINEは、映画『ガリーボーイ』 のヒットの勢いを借りて、精力的に活動を続けていた。
その結果、一躍人気者となった彼は、もはやインディペンデントなストリートラッパーで居続けることはできなくなってしまった。
皮肉にも、映画の成功によって、ガリーラッパーというアイデンティティを手放さざるを得なくなってしまったのだ。

その後のDIVINEの音楽的葛藤についてはこの記事に書いている。


今回は、ストリートの少年だった彼がヒップホップで成り上がったストーリーをミュージックビデオにしたこの曲を紹介したい。

DIVINE "RIDER Feat. Lisa Mishra"


インド最大の都市であり、エンターテインメントの中心地であるがゆえに、とにかく多様で層が厚いムンバイのヒップホップシーン。
ラッパーだけでなく、ビートメーカーに焦点を当てた記事も紹介しておきます。


まだまだ紹介しきれていないアーティストもいるのだけど、本日はここまで。
ムンバイ以外のシーンについては、日を改めて書かせてもらいます。 





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2021年08月28日

8/28(土) としま未来文化財団「バングラデシュの詩とラップ」

昨日、としま未来文化財団さんによるイベント「バングラデシュの詩とラップ」で『タゴール・ソングス』の佐々木美佳監督とのトークイベントを行ってきました。

このコロナ禍と猛暑にもかかわらず、2回の映画上映会も、その合間に行われたトークイベントも全て満席!
正直、かなりニッチなテーマなので、お客さん集まるかなー、とちょっと心配だったのですが、多くの方にお越しいただき、ありがたい限りでした。

満席となってしまったため、そして何より、感染状況を考慮して、会場にお越しできなかった方々のために、当日紹介した曲をブログでもご案内したいと思います。
当日時間の都合で紹介できなかった曲を含めて大盤振る舞い!

一部、動画がブログ内で再生できない楽曲もあるので、その場合はリンク先のYouTubeでご覧ください。



最初に紹介したのは、『タゴール・ソングス』にも登場したダッカのラッパーNizam Rabby.
ダッカのストリートラッパーである彼は、映画の中でも語っていた通り、タゴールの詩に影響を受け、タゴールのように社会に影響を与えうる表現者になることを目指しているという。
このミュージックビデオは、ダッカのラッパーたちによるマイクリレーの中のNizamのパート。

"#BanglarBagh" Nizam Rabby

いかにもストリートラッパー然とした佇まいの彼は、フリースタイルを得意とするラッパーであると同時に、社会的、政治的かつ詩的な要素のあるリリックを書くアーティストでもある。
彼の新曲が、この"KKK"。


“KKK” Nizam Rabby
佐々木監督によると、この曲は汚職や政治を批判する内容とのこと。

ニューヨークのブロンクスでアメリカの黒人文化として生まれたラップ/ヒップホップは、世界中に広がり、抑圧された立場の人々が社会に対するメッセージを発する手段となった。
バングラデシュも例外ではなく、ラップは韻律のある詩の伝統とも結びつき、ローカルな魅力もたたえた新しい文化としての存在感を放っている。
 


"Gully Boy 1" Tabib Mahmud, Rana

バングラデシュのヒップホップにおいて特筆すべき点はその社会性で、 この曲では少年ラッパーの視点を通して、社会の矛盾を指摘している。
(タイトルの通り、この曲は2019年に公開された映画『ガリーボーイ』に大きな影響を受けている)

この少年ラッパーRana君は、田舎で働く父を残して、母と兄弟とともにダッカに上京し、ストリートで花を売って家計を助けているという。
学校は1年生までしか通っておらず、ヒップホップダンススクールでラップに出会ったそうだ。(『ガリーボーイ』の舞台となったダラヴィのように、貧しい子供たちにヒップホップを通して誇りを持ってもらうためのフリースクールがダッカにもあるのだろう)
そこでRanaはラッパーのMahmud Hasan Tabibに見出され、本格的にラップを習い始めた。
Tabibはダッカのストリートラッパーであると同時に、ダッカ大学でアラビア語専攻の学生であり、詩人でもあった。 
たった1日で、ほぼコンピューターとマイクとヘッドフォンだけで録音されたこの曲は、YouTubeで旋風を巻き起こし、Ranaに1,700ドルの収入をもたらしたという。

RanaとTabibのメッセージは1曲だけで完結するものではなかった。
彼らは次々と"Gully Boy"シリーズの楽曲をリリースしてゆく。



2作目では、ストリートには数多くのRanaと同じ境遇の子どもたちがいるということが語られ、自分の将来のためだけに教育を受ける裕福な若者たちが批判されている。
3作目では、国家予算のほんの一部でも子どもたちのために使うことができれば、状況は改善され、バングラデシュはさらなる豊かな国になるだろうということがラップされる。

あまりにも社会的で大真面目なリリックだが、前半で子どもの視点から現状の問題点が語られ、後半で大学生のTabibからその解決のための方法が説明されるという構成はよく考えられていて面白い。

Tabibはラップを教育に活かそうというビジョンがあるようで、子どもたちが世界の通貨を覚えるためのこんな曲もリリースしている。



"International Currency Rap Song" Tabib Mahmud

学研や進研ゼミの「歌で覚える掛け算九九」みたいなものなのか、最後に教材の宣伝が入るし、なんだか思わず笑ってしまいそうになるが、彼は大真面目だ。
ラップという手段を通して社会や教育をより良くしようという、これ以上なく健全なヒップホップの実践とも言えるだろう。


ここから先は都市別のラッパー紹介コーナー。
ダッカをレペゼンするJalali Setについては、イベントでは"Dhaka City"という曲を紹介したので、ここでは別の曲を紹介したい。

Sura Target "Jalali Set"
ベンガルの伝統音楽っぽい曲をサンプリングし、典型的なストリートラップのスタイルで聴かせるこの曲のYouTube動画には、ムンバイの「元祖ガリーボーイ」の一人DIVINEからも称賛のコメントが寄せられている。

"Bakruddho" Nawshin
(曲は0:30頃から)


(※会場で動画が紹介できなかったアーティストです)
こちらはダッカのフィメール・ラッパー。

バングラデシュでは女性のラッパーっぽいファッションはまだ一般的ではなく、伝統的な衣装で堂々とラップを披露する姿が印象的。
佐々木監督によると、リリックの内容は「バングラデシュで女性に生まれて、恥や困難を感じるのはなぜ」といったものだそうで、社会の保守性や家父長制に疑問を投げかけるもののようだ。
 
ヒップホップはギャング的な要素も含んだストリートカルチャーなので、マチズモ的、ミソジニー的な要素が批判されることもあるが(インドのパーティー的なヒップホップでもそういう批判がある)、一方で、女性の権利や人権を主張するための手段になっている一面もある。
この曲はそのバングラデシュ的な実践と言えるだろう。



続いて、ダッカ郊外のGazipurのラッパーたちによる曲。
 
"City Gazipur" EliN-3X-Manam-MX MK-YeaH Shah AAmin Ale
 
ダッカから30キロほどの場所にある、東京における八王子のような位置づけの街のようだが、ミュージックビデオが結構凝っている。
路地裏をラッパー仲間で練り歩く映像は、やはり映画『ガリーボーイ』の影響を感じさせられるものだ。


"CYPHER CTG"  Enu Syed x Anwar Hossain x Royal Mash x 5sta Kamrul x Phenol

こちらは南東部の都市チッタゴンのラッパーたちによる曲。
チッタゴンは世界中の老朽化した船舶が解体される「船の墓場」(子どもたちを含めた労働者が裸足で有害物質を扱う劣悪な環境が問題視される)やロヒンギャの難民キャンプで知られる港町。
また、チッタゴン語というベンガル語のなかでも個性の強い方言が話されており、少数民族が多く暮らしている地域でもある。
バングラデシュというと、社会問題や貧困ばかりが強調されがちだが、ミュージックビデオを通して、そこに暮らす若者たちのリアルな暮らしに触れることができるのもヒップホップの面白さのひとつだ。

続いては、北東部シレット地方にルーツを持つラッパーたちの曲。
シレットも独自の言語(方言)を持つ地域である。
この地方の出身者は、19世紀のイギリス統治時代から、 船乗りとして多くが海外に移住しており、今でもイギリスや北米に多くのシレット系住民が暮らしている。
また、インドのアッサム州にもシレット語を話す地域があり、この曲では、アメリカ、バングラデシュ、イギリス、インドの4か国のシレット系ラッパーの共演となっている。
 U. Sylhety Cypher C Let, B. Monk, Arin Dez, Mogze, Rhythmsta, Pollob Vai

シレットは海外からの送金もあり、地方都市にもかかわらず、バングラデシュの中でも裕福な街として知られている。
他の地方のラッパーたちが場末のストリートでミュージックビデオを撮影する中、シレットのラッパーは結構豊かな暮らしをしているようでもある。
この曲では、「ベンガル人」ではなく「シレット人」としてのアイデンティティが強調されている。
「ベンガル人をぶっ潰せ」みたいな過激なリリックも入っているそうだが、これは深刻な民族対立というよりはヒップホップ的なイキリのようなものだろう。


バングラデシュのヒップホップを語る上で、アメリカやイギリスに暮らすバングラデシュ系住民の存在は無視することができない。
彼らは、いち早くヒップホップに触れ、現地のコミュニティ向けに楽曲を発表するとともに、本国へヒップホップを紹介する役割をも果たした。
今では、アイデンティティを強調したディアスポラや母国のマーケット向けの楽曲ではなく、移住先のマジョリティ社会に向けた楽曲をリリースしているアーティストもいる。
このAnik Khanの"Man Down"はその典型と言えるだろう。

"Man Down" Anik Khan 

(こちらも本日紹介できなかった曲)
曲調としてはまったく南アジア的ではないし、歌詞の内容にもベンガル的な要素はなさそうだが、この曲ではダッカ生まれNYクイーンズ育ちのAnik Khanが、ロンドン出身のベンガリ・シンガーのNishとDJ LYANとの国境を超えたベンガル人によるコラボレーションが行われている。
(この曲については、先日『ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学 交渉するエスニシティと文化実践』〔青土社〕を出版した文化社会学者の栗田知宏さんに教えていただいた)

英語でラップする海外在住のラッパーでも、ベンガル人としてのアイデンティティを全面に打ち出した曲をリリースしている例もある。
 
"Culture" Sha Vlimpse
ニュージャージーを拠点に活動しているSha Vlimpseは、エミネムの影響を感じさせるフロウが印象的だが、リリックのテーマやミュージックビデオは、自身のルーツへのこだわりを感じさせるものになっている。
バングラデシュのルーツを強調するために、伝統的な表現方法ではなく英語のラップが使われるという文化的な「ねじれ」は、移民2世以降の世代たちのリアリティでもあるのだろう。
 
 
"Matha Ta Fatabo" Bhanga Bangla
Bhanga Banglaはニューヨークのバングラデシュ系ラップグループで、バングラデシュに初めてトラップ(ダークで不穏な雰囲気のビート)を紹介したアーティストとされている。
彼らは在外バングラデシュ系グループだが、バングラデシュ国内のマーケットを意識して楽曲を発表しているようで、結果的に母国に新しいサウンドを紹介する役割を担っていると言えそうだ。

ミュージックビデオは2041年のダッカが舞台で、武力による移民や外国人排斥が現実となったディストピア世界を描いている。
2041年でもカレーを食べていて、女性はサリーを着ているというところに、バングラデシュ人の世界観が感じられて面白い。
彼らにとって、服装や食文化は、海外への移住や数十年先の未来に容易に変わってしまうものでは決してないのだ。

もちろん、ベンガル語のラップはバングラデシュとバングラデシュ系移民だけのものではない。
ベンガル地方の西半分である、インドのウエストベンガル州にも数多くの個性的なラッパーが存在している。



"Middle Class Panchali" Cizzy

ジャジーで落ち着いたビートとラップはいかにもコルカタらしい伝統的なもの。
タイトルのPanchaliとはベンガルの伝統的な民話の表現形式だそうで、韻律などにベンガルの伝統的な要素が見られるとのこと。
ラップでは、バングラデシュはより政治的なテーマが好まれ、ウエストベンガルではより文学的なテーマが好まれる傾向が強いようだ。
こちらはコルカタのフィメール・ラッパー。
"Meye Na" Rialan

女性に対する暴力などの社会問題が軽視される現状を糾弾した曲。
曲のテーマはバングラデシュのフィメール・ラッパーNawshinと共通しているが、ファッション的にはウエストベンガルのほうがぐっと垢抜けているのが印象的。


もうひと組、コルカタのラッパーを紹介したい。
"Nonte Fonte" Oldboy x WhySir

不思議な響きのタイトルは、ベンガル語の子ども向けアニメのタイトルから撮られたようだ。
ミュージックビデオの最後に、インドのウエストベンガルから、バングラデシュや海外のベンガル人に向けて、団結して楽しもうというメッセージが語られている。

国籍や宗教や民族といった伝統的なコミュニティの壁を易々と超えることができるのが、新しいカルチャーであるヒップホップの魅力である。
この曲では、最初に紹介したNizam Rabbyがムンバイの社会派ラッパーと国境を超えたコラボレーションを行っている。

"Brasht" AZAAD FORWARD BLOC ft. NIZAM RABBYジャーナリストの殺害と逮捕、表現の自由の欠如、生命と人権の保護の欠如、政治家の不正、女性に対する暴力などがテーマ。
インドとバングラデシュのラッパーが、国籍を超えてヒップホップというカルチャーと政治・社会への問題意識でつながったコラボレーションだ。


最後に、「ベンガル地方の伝説的な詩人たちのラップバトル」というユニークすぎる設定のミュージックビデオを紹介したい。

"Kazi Nazrul Vs Rabindranath Tagore" Fusion Productions


完全なコメディだが、ベンガルを代表する詩人であるタゴールと、バングラデシュの国民的な詩人カジ・ノズルルが、お互いの作品の一節を引用したりしながらラップバトルするという設定はとにかく面白い。
日本にはここまで広く深く親しまれている詩人はいないように思うし、そもそも文学史上の偉人たちをテーマにラップバトルのミュージックビデオを作ろうという発想も生まれないだろう。

映画『タゴール・ソングス』でも分かるとおり、詩や文学が生活に深く根ざしていることが分かる映像でもある。


佐々木美佳監督は、秋ごろにタゴール・ソングスの撮影をテーマにしたエッセイ的な本を出版する予定だそうで、こちらも期待して待ちましょう!



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2021年08月19日

ウッタル・プラデーシュ州が生んだ狂気の才能 Ghzi Purのエクスペリメンタル・ノイズビート!



インターネットで世界中がつながった時代とは言っても、その土地だけが持つカルチャーというものは、やはり厳然として存在している。
国ごとの違いについては言うまでもないが、たとえばインド国内のヒップホップシーンを見ても、ムンバイとデリーとベンガルールとコルカタには明らかな個性の違いがあるし、同じ州内でもムンバイとプネーには異なる音楽文化を見出すことができる。(言語化しづらい部分だが、強いて言えば、ムンバイはストリート色が強く、デリーはパンジャービーが多くてラップは殺伐路線、ベンガルールは英語ラップとローカルなカンナダ語ラップの二極化が進んでいて、コルカタは落ち着いたビートの曲が多いと感じている。ムンバイとプネーの比較については、いろんな意味で大阪と京都みたいな印象)

とはいえ、こうした類型化とは別に、予想外の地域から意表を突くようなアーティストが登場してくるのも2020年代の音楽シーンの面白いところで、率直に言って、今回紹介するアーティストは、以前紹介したジャールカンドのTre Ess, The Mellow Turtle以来の衝撃だった。




今回紹介するアーティストを意識したきっかけは、ムンバイのラッパーTienasの楽曲でだった。
かつてはlo-fi/chill系のビートを使うことが多かったTienasが最近多用している、エクスペリメンタルで尖りまくったビートを手掛けていたのが彼だったのだ。
そのサウンドは、先進的な文化的要素が集う大都市ムンバイならではのものだと思っていたから、彼のアーティスト・ネームがその故郷から取られたものだと分かった時には驚いた。
彼の名前は、Ghzi pur.
その名前は、ウッタル・プラデーシュ州の街Ghazipurから取られたものだ。



彼を起用したTienasは、ムンバイを拠点に活動しているラッパーで、流行にはとらわれずに詩的かつ社会的なサウンドとリリックを追求しているアーティスト。
近年ではインドの最重要アンダーグラウンドヒップホップレーベルであるデリーのAzadi Recordsと契約し、驚異的なサウンドの楽曲を発表しつづけている。
 
Tienasは英語でのラップにこだわっており、その実験的なサウンドに反して、ラップのフロウはヒップホップのマナーに忠実であることが多い。
だが、Ghzi Purに関しては、おそらくそのルーツはヒップホップではなく、ノイズ的な電子音楽なのだろう。
(このあたり、まったく詳しくないジャンルなので、アーティスト名を想像して挙げることができない…。無念)


映像作家のRana Ghoseとの54分間にわたるコラボレーション・ライブは、個人の社会の狂気を具現化したかのようなサウンドとビジュアル。
言葉のない強烈なアジテーションだ。
この作品からは、彼らが馬鹿げた宗教的保守性や、政治による暴力に激しく抗議していることが見て取れる。



そこまで実験的でないビートでも、生々しくざらついた質感は決してゆるがない。

Soundcloudではさらに多くの楽曲が提供されているが、いずれもノイズを多様した不穏で緊張感にあふれる楽曲ばかりである。


この怒りや狂気を煮詰めたようなこのサウンドのルーツは、どこにあるのだろうか?

Ghzi Purが拠点とする北インドのウッタル・プラデーシュ州は、最大の人口を擁する州である。
ツーリストにとってはタージマハールのあるアーグラーやガンジス河の聖地ヴァーラーナシーでおなじみがだが、インドのなかでは経済発展の遅れた保守的な地域でもある。
州都は18世紀にアワド藩王国の州都として栄えたラクナウ。
農業以外に大きな産業を持たず、ムンバイやデリーのような大都市もないウッタル・プラデーシュは、人口規模に反して、インドの音楽シーン的には全く存在感のない土地だ。

いったい、どうしてこの地方からこのブッ飛びすぎたアーティストが出現したのか。
音楽シーンやライブの機会が無いがゆえに、彼の脳内でラディカルな音楽性が先鋭化されていったのだろうか?
彼のYouTubeチャンネルやソーシャルメディアのアカウントを見ても、その説明となりそうな記述はいっさい無く、Soundcloudには、ただ一言'Making trash music for a trash society led by a trash government.'と書かれているだけである。
どうやら彼は、思想的にもかなり尖った考えの持ち主のようだ。
Ghzi Purとは、はたしてどんなミュージシャンなのだろうか。

調べても分からない時は聞いてみる。
これがこのブログの鉄則。

現在、彼にいくつかの質問を送り、回答を待っているところだ。




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2021年08月06日

ここ最近の気になる曲特集! インドのヒップホップ集大成、ノスタルジック・ポップ、強烈メタル&オルタナティブ・ロック!


忙しさにかまけてブログの更新を怠っていた間も、インドの音楽シーンでは日々名曲が量産されていた。
記事にできなかった佳曲はtwitterで紹介しているのだが、時とともに流れてしまうツイートにとどめるだけではもったいない楽曲が立て続けにリリースされたので、記事にしたためておくことにする。
(このブログの過去の記事だって探しづらくて埋もれちゃうじゃないか、というご意見もあるかもしれないが…スミマセン)


まず紹介したいのは、南部のIT都市ベンガルールを拠点に活動するラッパー、Smokey The Ghostの新曲"Hip Hop Is Indian".


インドでは地元言語(ベンガルールならカンナダ語)でラップするラッパーが多い中で、Smokey The Ghostは英語でのラップにこだわっている。
その理由はおそらく、lo-fi的だったりエクスペリメンタルだったりするビートとの相性を考えてのことだろう。
英語ラップと言っても、彼はアメリカっぽい英語ではなく、あえて南インド訛りの英語でラップすることで地元をレペゼンする意識を表明している。

だが、この曲で彼がテーマにしているのは、もっとスケールの大きい、「インド全体のヒップホップ・シーン」だ。
シタールを大胆に導入した、これ以上ないほどインド的なビートに乗せて、Smokeyはインド全土のラッパーやクラシックのタイトルを盛り込んだリリックをライムしている。

1番のヴァースでは、インドには珍しいスクラッチDJ(カセットテープが主流でレコード文化が根付かなかったインドでは、ビートメイキングにターンテーブルが使われることはなかった)のDJ Panicに始まり、Smokeyとの共演経験もあるデリーのPrabh Deep, 北東部を代表するラッパーであるメガラヤ州のKhasi BloodzMeba Ofilia, ムンバイのフィーメイル・ラッパーDee MC, ベンガルールの盟友Brodha V(彼に関しては、代表曲の"Aatma Raama"が挙げられている)、ムンバイのシーンを初期から支えたACE, DIVINE(本名のVivianの名前でラップされる)、Naezy(DIVINEとNaezyの名曲"Mere Gully Mein"のリリックも登場)、そしてBombay BassmentBob Omuloの名前がshout outされる。

続く2番のヴァースでも、BadshahYo Yo Honey Singhといったメインストリームラッパーから、Jay Seanなどの在外インド人ラッパー/シンガー、南インド諸州のラッパーたちまで、ジャンルも地域も国境すらも超えて、インド系ヒップホップ・アーティストを幅広く讃えているのだ。
(コルカタのラッパーに触れられていないのがちょっと残念ではあるが、ベンガル語のシーンはやはりインド全体の中ではマイナーなのか…)

言語、民族、宗教、文化、地域、思想など、あらゆる多様性にあふれるインドは、多様性の分だけ対立の種にも事欠かない。
インディペンデントのミュージシャンたちに話を聞く限りでは、若い世代にはこうした対立にうんざりしている人も多いようで、そんな時、ヒップホップのような新しい文化が、分断を超える役割を果たしているのだ。
スキルとセンスとリリックの内容で評価されるラップの世界では、信仰やバックグラウンドが異なるアーティスト同士が認め合い、リスペクトしあっている。

インドの優れたヒップホップが聴きたければ、この曲に名前が出てくるアーティストを掘ってゆけば間違いない。
この曲は、インドにおけるヒップホップ・カルチャーを讃える美しいアンセムだ。


(Smokey The Ghostについては、以前書いたこの記事でも特集しています)



続いて紹介する曲は、個人的にインドで最高のシンガーソングライターだと思っているPrateek Kuhadの新EPからの曲"Shehron Ke Raaz".
Prateekは昨年アメリカの名門Elektraレーベルとの契約を発表したので、てっきり英語の曲を中心にリリースしてゆくのかと思ったら、意外にも全曲ヒンディー語のEPをリリースしてきた。
アトロクに出演したときに紹介した"Kasoor"も大好評だったが、今回の"Shehron Ke Raaz"も、切ないメロディーと繊細なファルセットボイスが絶品な名曲!

Prateek Kuhadはいつも美しいミュージックビデオを作ることでも知られているが、この作品の映像作家Reema Senguptaとは、2017年の"Tum Jab Paas"以来のコラボレーションとなる。
ノスタルジックな映像の舞台は、ムンバイの老舗イラーニー・カフェである"Excelcior Cafe".(もちろん日本のあのチェーン店とは無関係だ)
イラーニー・カフェとは、19世紀にイランから移住してきたパールスィー(ゾロアスター教徒)やムスリムによって運営される、独自の食文化を提供する飲食店のこと。
近年その数は減少の一途を辿っており、イラーニー・カフェは古き良き時代のムンバイを象徴する存在でもあるのだ。
どこか懐かしさを感じさせるPrateekの音楽にぴったりな映像の舞台と言えるだろう。

タイトルの意味は「街の秘密」。
「今夜、君と僕はこの街の秘密」という歌詞も美しい。
歌詞の英訳はこのリリックビデオで見ることができる。
なお、Cafe Excelsiorを含めたムンバイのイラーニー・カフェについては、Komeさんのブログのこちらの記事に、とても詳しく書かれている。






KASCK"Death To The Crooked"は、このブログでは久しぶりに取り上げるオーセンティックなヘヴィ・メタル。
KASCKはマハーラーシュトラ州プネー出身のスラッシュメタルバンドで、この曲を含むデビューEP"Deal With The Devil"を9月に発表する予定。
プログレッシブ・メタルや技巧的なデスメタルが盛んなインドで、サウンドもタイトルも、ここまで伝統的なヘヴィメタルの世界観を継承しているバンドは珍しい。

だが、ミュージックビデオを見てもらえば分かる通り、楽曲のテーマはヘヴィメタルらしいファンタジーや抽象性とは真逆の、むしろハードコア・パンク的とも言える極めて社会的・政治的なものだ。
歌詞の内容は、盲目的な宗教ナショナリズムによる憎悪、政治や権力の暴走などを扱っている。
インド社会を反映した強烈なアジテーションとド直球なメタル・サウンドの組み合わせが、なんとも言えないカタルシスと高揚感を生む曲だ。



JBABEは、チェンナイのロックバンドF16sのギター・ヴォーカルJosh Fernandezのソロプロジェクト 。
"Punch Me In My Third Eye"は、叙情的なポップロックを奏でるF16sとはうってかわって、90年代のグランジ/オルタナティブ的なエネルギーが爆発した一曲だ。
親に従いインドの伝統的なお見合いの席で顔を合わせたものの、もはや伝統的な価値観を持ち合わせていない若い世代をコミカルな描いたミュージックビデオがとにかく面白い。

両親の間で居心地悪そうに座る男女が、二人きりになった瞬間にあけすけな本音で語り出し、暴れ始めるというあらすじ(想像上の出来事?)で、タイトルも伝統的な考え方を皮肉ったものだろう。
ミュージックビデオ監督のLendrick Kumarという名前にもニヤリとさせられた。

インドの多様性は、言語や文化や宗教といった横軸の広がり、カーストや貧富といった縦軸の格差に加えて、保守的な価値観と新しい考え方という、世代や思想的な面にもおよんでおり、まさに四次元的な多様さを持っていると言える。

インドでは、そうした多様性のせめぎ合いの中で、面白い楽曲が日々生み出されているのだ。




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