2021年06月

2021年06月29日

デリーの渋谷系ポップとインディアン・フォークトロニカの話 Peter Cat Recording Co.のフロントマン Suryakant Sawhney a.k.a. Lifafa



peter-cat
Peter Cat Recording Co.(以下PCRC)は、2009年にヴォーカル/ギターのSuryakant Sawhneyを中心に結成されたバンドだ。
どこか懐かしさを感じさせる彼らのサウンドからは、ジャズ、サイケ、ソウル、ディスコ、ジプシー音楽など、多岐にわたる音楽の影響が感じられる。
彼らは2018年にはパリのレーベルPanacheと契約しており、インドのインディー・アーティストのなかでは、世界的にもそのセンスが評価されているバンドのひとつである。



この"Floated By"と"Where the Money Flows"は、バカラック・マナーのノスタルジックなバラード。



かと思えば、この"Memory Box"はクラシックなディスコ・サウンドだ。
(曲は32秒頃からリズムイン。それにしても8分を超える楽曲は長すぎるけど)

この3曲はいずれも2019年に発表されたアルバム"Bismillah"の収録曲で、このアルバムはRolling Stone Indiaによる年間ベストアルバムのひとつに選出されるなど、高い評価を得た。

もう少し前の時代の彼らの音楽性も興味深い。

この"Portrait of a Time"はオールディーズ・ジャズを思わせる曲だし…


"Love Demons"のように、独特のサイケデリック感覚をたたえた楽曲もある。
このギターのチューニングのゆらぎっぷり!(狂っているとはあえて言わない)

お聴きいただいて分かる通り、彼らのサウンドは、往年のポピュラーミュージックを現代的なセンスで再構築したもので、そこには、物質的には豊かだが退屈な日常への諦念や、その虚無感への対抗手段としての遊び心が存在している。
こうしたスタイルや精神は、日本のインディー音楽史で言えば、「渋谷系」的なアプローチと呼ぶことができるだろう。(音楽性に反して、ビジュアル面では毎回かなり濃いインド色を出しているのが面白い)

それでは、PCRCの中心人物Suryakant Sawhneyという人物は、例えば大滝詠一的なポップミュージック職人なのかというと、ことはそんなに単純ではない。
Suryakantは、自身のソロプロジェクトである'Lifafa'名義で、PCRCとは全く異なる、なんとも形容し難い音楽を発表しているのだ。

2019年にリリースしたファーストアルバムの"Jaago"の冒頭を飾るタイトルチューンでは、宗教音楽を思わせるハルモニウムとヒンディー語のヴォーカルから始まる。
だが、長いイントロが終わると、インド的なサウンドがループされ、有機的ながらも独特なグルーヴが形成されてゆく。

同アルバム収録のNikammaも、インド的な音色のビートの上を漂う気怠げなヒンディー語のヴォーカルが印象的だ。
これはいったい、新しい音楽なのか、懐かしい音楽なのか。
デジタルに反復するビートと、ローカル色の濃い音色とヒンディー語の響き。
あえてLifafaのジャンルに名前をつけるとしたら、「インディアン・フォークトロニカ」ということになるだろうか。

つい先日、Suryakantはコロナ禍のなかLifafa名義のセカンドアルバム"Superpower 2020"をリリース。
あいかわらずインドっぽい要素と現代的な要素が混在した、独特の音楽世界を表現している。


Suryakant曰く、PCRCがギターで作曲したヨーロッパ音楽なのに対して、Lifafaはコンピューターで作曲したヒンディー・オリエンテッドな電子音楽で、さらには政治的・社会的なテーマも扱っているとのこと。
ある記事によると、Lifafaのトラックはボリウッドのクラシックな音源をサンプリングして作られたものだという。
PCRCで欧米のポップミュージックを再構築したように、彼はインドの過去の音楽遺産を再構築して、現代に通じるアートを作ろうとしているのだろうか。


PCRCの中心人物にしてLifafaの張本人であるSuryakant Sawhneyは、そのサウンド同様に、なんとも不思議な経歴の持ち主だ。
船乗りの父を持つ彼は、子供時代の大部分を、地中海を航行する商用船の上で過ごしたという。
父はディーン・マーティンのような古風なポップスのファン、母はヒンドゥーの賛美歌バジャンの歌手だったというから、彼の音楽に見られるヨーロッパ的憂愁や、洋楽ポップスとインドの伝統音楽の影響といった要素は、幼い時期に全て揃っていたのだ。

Suryakantが10代の頃に父が亡くなり、彼は母と共にデリー近郊のグルガオンで暮らすこととなった。
音楽的に恵まれた環境に育ったとはいえ、彼は最初からミュージシャンを目指していたわけではなく、その頃の彼の興味は映像製作の分野に向いていた。
父を亡くしてもなお彼の家庭は裕福だったようで、大学時代は米サンフランシスコに留学し、アニメーションを学んだ。
だが、資金面から映画制作を断念した彼は、次なる表現の手段として、インドに帰国してPeter Cat Recording Co.を結成する。



海外経験のあるアーティストが欧米の音楽ジャンルをインドに導入し、国内のシーンの第一人者になるという現象は、インドでは珍しくない。(例えばレゲエ/スカのSka Vengers, ドリームポップのEasy Wanderlings, シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharya, トラップのSu Realなど)
だが、PCRCにしろLifafaにしろ、Suryakantの音楽に対するアプローチは、単に海外の音楽ジャンルの導入にとどまらないセンスを感じる。
そのスタイルの向こう側に、お手本となったジャンルの模倣に留まらないオリジナリティと精神性が感じられるのだ。



欧米のポピュラー音楽の伝統を踏まえたクールネスと、インドならではのサウンドが、Suryakantという触媒を通して、様々な形象で溢れ出している。
決してメインストリームで聴かれる音楽ではないかもしれないが、彼の音楽がもっと様々な場面で評価されるようになることを願ってやまない。

例えば、PCRCが落ち着いた喫茶店で流れていたり、Lifafaがチャイとインドスイーツが美味しいカフェで流れていたりしたら、すごくハマると思うのだけど。



参考サイト:
https://www.platform-mag.com/music/lifafa-aka-suryakant-sawhney.html

https://www.thestrandmagazine.com/single-post/2020/09/25/in-conversation-suryakant-sawhney-doesnt-fit-in-a-box

https://www.rediff.com/getahead/report/have-you-heard-suryakant-sawhney-sing/20200311.htm





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2021年06月24日

インドで活躍するLGBTQ+とミュージシャンたち(2021年版)

6月は、LGBTQ+を支持する'Pride Month'として、世界中でさまざまな発信が行われている。

インドは宗教的に保守的なイメージを持たれることが多いが(だからこそと言うべきか)、インディーミュージックシーンではLGBTQ+をサポートする意図を持ったミュージックビデオが目立つ。
また、自身がLGBTQ+であることをオープンにして活動しているミュージシャンも活動している。
(昨年このテーマで書いた以下の記事参照)



彼らは決して有名アーティストというわけではないが、その堂々たる存在感は、ジェンダーやセクシュアリティーに関係なく、我々に勇気と刺激を与えてくれる。

本題に入る前に、あらためて説明すると、LGBTQ+とは、同性愛者、バイセクシュアル、トランスジェンダー(身体の性別と内面の性別が異なる)、男女のどちらでもないと感じている人、自身の性自認や性的指向が決まっていない人などの性的少数者の総称だ。 
マジョリティであるヘテロセクシュアル(異性愛者)やシスジェンダー(肉体上の性別と性自認が一致している人)とは異なる存在として、'LGBTQ+'というひとつの言葉で表されることも多いが、このくくりの中にも多様性が存在しているのだ。

インド社会におけるLGBTQ+へのまなざしもまた多様である。
前回の記事でも書いた通り、2018年まで「同性間での性行為を違法とする」という時代遅れな法令(1861年に制定されたもの)が存在していたかと思えば、トランスジェンダーの女性(肉体上の性別が男性で、性自認が女性である人)が「ヒジュラー」というある種の聖性を持った存在として受け入れられていたりもする。
とはいえ、インド社会に現代的な意味でのインクルージョンが古くから存在していたわけではなく、ヒジュラーは偏見や差別の対象でもあったし、さらに言えばそれ以外の性的マイノリティたちには、長い間(多くの場合は今でも)居場所すらなかったという現実もある。

こうした伝統の反面、2019年に急逝したQueen Harishのように、男性として生まれながらも、伝統舞踊ラージャスターニー・ダンスの「女型」として、アーティストとして非常に高い評価を得ていた例もある。
彼(彼女と言うべきか)の人生については、このパロミタさんが翻訳した、生前最後のインタビュー記事が詳しい。


私の知る限り、Queen Harishは自身の性自認や性的指向をオープンにしてはいなかったようだが、出生時の性とは違う性を表現するアーティストとして、彼が(彼女がと言うべきか)高く評価されていたことに異論を唱える人はいないだろう。
(Queen Harishは性別を超越した立場の表現者であり、これから挙げるようなLGBTQ+としてのメッセージを発信しているアーティストと同列に語るのは違和感があるが、インド社会のジェンダーとアート/芸能にまつわる一例として紹介した。ちなみにQueen Harishは、ムンバイで活躍している日本人シンガー/ダンサーのHiroko Sarahさんのラージャスターニー・ダンスの師匠でもあった)


さて、いつも通りインドのインディーミュージックの話題に移ろう。
インドのインディー音楽シーンをチェックしていると、こちらが意識していなくても、LGBTQ+をテーマにした作品に出会うことがたびたびある。
実力派シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharyaが今年2月にリリースした"Khoya Sa"は、女性同性愛者をテーマにした詩的な映像が美しい作品だ。
このミュージックビデオは、現代インドの郊外における「従来の愛の文化的概念に困惑している女性たち」を描いており、社会的束縛のなかにいても、愛は自由であることを表現しているのだという。
Sanjeetaはアメリカの名門バークリー音楽大学を卒業したエリートでもある。
これまで英語やスペイン語で歌ったり(日本語タイトルの曲もある)、マダガスカルのシンガーと共演したりと、国際的かつ都会的なイメージだった彼女が、あえてヒンディー語で歌い、郊外を舞台とした映像作品を作ったことに、強いメッセージ性を感じる。

(ちなみに彼女はミュージックビデオのなかで同性愛者を演じているが、性的指向や性自認を明らかにしてはいない。当事者性に焦点を当てるのではなく、作品の価値の普遍性にこそ注目すべきであることは言うまでもないだろう)

Sanjeetaの叙情的な表現とは対照的に、より強烈にクィア性を打ち出しているアーティストもいる。
Marc MascarenhasことTropical Marcaはムンバイで活動している「インドで最初のドラァグ・クイーン」だ。
彼女は、スウェーデン人のPetter Wallenbergが設立したLGBTQ+の権利と平等を訴える国際的アーティスト集団'Rainbow Riot'とコラボレーションして、2019年に"Tropical Queen"という楽曲をリリースした。



Sanjeetaが郊外での性的マイノリティの心細さを表現していたのとはうって変わって、大都市ムンバイでは、ここまで大胆な表現が許容されている。(もちろん、こうした表現を快く思わない保守層も少なからずいるわけだが)
インドは良くも悪くも伝統と変化が様々な形で共存している。
これもまた自由で新しいインドの一面だと言えるだろう。
Petter Wallenbergは他にもムンバイで多くのコラボレーションを行っており、これはインド初のLGBT合唱団との共演。

同性愛がインドで「合法化」されたことについて、「以前は芋虫のように隠れていたけど、今は蝶になったよ」と語っている男性の言葉が印象に残る。

ムンバイだけではなく、デリーにもLGBTQ+の権利を歌うバンドが存在している。

ヴォーカリストのSharif D Rangnekarを中心に結成されたFriends of Lingerは、性的マイノリティだけでなく、女性の尊厳や、ヒンドゥー・ナショナリズムによるジャーナリストへの暴力など、社会的なテーマを取り上げているバンドだ。
都市部のリベラル層の間では、インドに存在する多くの社会問題と同様に、性的マイノリティの権利も注目されるトピックになってきているのだろう。
近年ではインド映画においても、同性愛がテーマとされていることは昨年の記事でも書いたとおりだ。


いつも感じていることだが、インドの社会をリサーチしていると、かの国ではなく、むしろ日本の社会や社会問題が、強烈な逆光に照らし出されるような感覚を覚える。
インド社会を全体として見れば、LGBTQ+をめぐる状況には改善されなければならない点が多く存在しているが、当事者も、そうでないアーティストも、音楽の力を借りて、彼らのための主張を堂々と表現していることに関しては、我々も大いに見習うべきだろう。

今年のPride Monthも残りわずか。
いずれの国でも、性的マイノリティとされる人々が、差別や偏見に晒されずに生きてゆけるようになることを願うばかりだ。



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2021年06月16日

『アトロク(アフター6ジャンクション)』出演してきました!

というわけで、本日、TBSラジオの人気番組「アトロク」こと『アフター6ジャンクション』に出演してまいりました。
ライムスター宇多丸さん、水曜パートナーの日比さん、スタッフのみなさん、ありがとうございました!
めちゃくちゃ楽しかったー!

8時台の「ビヨンド・ザ・カルチャー」のコーナーでインドの音楽について、たっぷりお話しさせてもらったのですが、なにしろ広くて深いインド音楽の世界。
今日お話ししたのはまだまだ入門編!

紹介した曲はこの6曲でした!

Prateek Kuhad "Kasoor"



Panjabi MC "Muncian To Bach Ke"



Sidhu Moose Wala "Moose Drilla"



DIVINE "Jungli Sher"



Emiway Bantai "Firse Macheyenge"



Armaan Malik, Eric Nam with KSHMR "Echo"




というわけで、今回は、アトロクでお話しした内容をさらに深掘りできる、これまでに書いた記事を特集したいと思います!

1曲めに紹介したシンガー・ソングライターのPrateek Kuhadについてはこちらから!
心をぐっと揺さぶられる"Kasoor"のミュージックビデオは必見です。
 


Panjabi MCからSidhu Moose Walaまで、バングラーとインドのヒップホップの歴史については、こちらの記事で、2回に分けて詳しく書いています。




続いて、インドのストリート・ラップである「ガリー・ラップ」の代表格、DIVINEについては何度か特集しています。

この記事、ごく初期に書いたもので、ちょっと文体が謎な感じになっています。

こちらは、映画『ガリーボーイ』のヒット以降の、方向性を模索している彼について書いたもの。


ムンバイにある「アジア最大のスラム」ダラヴィのヒップホップシーンについても、2回に分けて書いています。




その『ガリーボーイ』にも出演していた、インドのヒップホップ新世代、軽さと高いスキルを兼ね備えたEmiway Bantai.
彼のビーフの戦績を交えた紹介はこちらの記事でしています。



最後に紹介したI-Pop meets K-Pop, インドの人気シンガーがK-PopやEDMとコラボレーションした歴史的な曲についてはこちらから!





記事の下のところから、ジャンル別に記事を探せるようにしていますので、ぜひ気になるジャンルから読み進めてもらえたらうれしいです。

最近書いたこちらの'Always Listening'の記事もよろしく!




最後に、アトロクでインドのシーンに興味を持ってくださった方向けに、いくつかオススメの記事を貼り付けておきます。

番組ではインドでもK-Popがポップカルチャーとして大人気という話をしましたが、それに対して日本文化はアニメ、マンガを中心にサブカルチャーとして根強い人気を持っています。(これは世界中どこでも同じですね)
そして、長い歴史と洗練を誇るインドの文化もまた、世界中の人を惹きつけています。
驚くべきことに、なんとインドで日本語で歌っているインド人シンガーと、インドでヒンディー語で歌っている日本人シンガーもいたりします。
 
 


古い時代にもインドのインディーミュージックは存在していた!
インドのボブ・ディランことSusmit Boseについて特集した記事。
 


今回は触れなかったインドのロックについては、このへんが聴きやすいです。
 
 


プロフィール紹介と最後にちょこっとだけ話題に出た、謎のインド人占い師「ヨギ・シン」については、この記事から始まるシリーズを読んでいただければ、あなたもその魅力の虜になるはず。
 



まだまだ発展途上ですが、それだけに勢いがあって、多様性に富み、そして才能あふれるミュージシャンが次々に出てくるインドのインディーミュージックシーンを、これからもたまに覗きにきてください。

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2021年06月14日

Always Listening by Audio-Technicaに記事を書きました!

Audio-Technicaさんが運営している音楽情報サイト"Always Listening"にSpotifyのインドのヒットチャートを分析した記事を書かせていただきました!

記事はコチラ↓


Always Listeningでインドの音楽シーンに興味をもってくださった方のために、紹介した音楽をさらに深掘りできるブログ記事のリンク一覧をご用意しました。

最新型パンジャービー・ラッパーのSidhu Moose Walaについてはこちらから!
じつはかなりハードコアな一面も持っている男です。




彼と共演しているRaja KumariやDIVINEについても深く紹介しています。


DIVINEについては記事では触れていませんでしたが、Sidhu Moose Walaの"Moosedrilla"の後半で熱いラップを披露しているラッパーで、映画『ガリーボーイ』の登場人物のモデルの一人でもあります。


Always-Listeningで紹介したRitvizのようなインド風エレクトロニック・ダンスミュージックは、勝手に印DMと呼んで親しんでいます。



バンド名も面白い南部ケーララ州出身の英国風フォークロックバンドWhen Chai Met Toastは、じつはチャイよりもコーヒー好き。
(インド南部はコーヒー文化圏なんです)
インドには、彼らのようにインドらしさ皆無なサウンドのアーティストもたくさんいるのです。




英語ヴォーカルのシンガーソングライターはとくに優れた才能が多く、注目しているシーンです。
記事で触れたDitty, Nida, Prateek Kuhadに加えて、Raghav Meattleもお気に入りの一人。




ブログ『アッチャー ・インディア 読んだり聴いたり考えたり』には、他にもいろんな記事を書いていますので(全部で300本以上!)、ぜひ他にも読んでみてください。


今回の'Always-Listening'みたいに、ヒットチャートをもとに記事を書くというのは、これまでありそうでなかったのだけど、とても良い経験でした!
Always Listeningには他にも世界中の音楽に関する興味深い記事がたくさん載っているので、ぜひいろいろとお楽しみください!





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2021年06月13日

バングラー・ギャングスタ・ヒップホップの現在形 Sidhu Moose Wala(その2)



(前回の記事はこちら)


ポピュラーミュージックとしてのバングラーは、ヒップホップの影響を受けながらも、音楽的にはヒップホップから離れ、独自性を強めていく一方だった。
その傾向は、「ガリー・ラップ」以降、インドにストリート系のラップ/ヒップホップが根付いたことで、より強調されてゆくものと思っていた。

ところが、である。
このSidhu Moose Walaというアーティストを知って、その先入観は完全に覆された。
例えば、彼が今年リリースした"Moosedrilla"という曲を聴いてみよう。
サウンドからもタイトルからも分かる通り、この曲では、近年世界中のヒップホップシーンを席巻しているドリル的なビート(ダークで重く、かつ不穏な雰囲気を持つ)を導入している。
この曲を収録したアルバムのタイトルは"Moosetape".
これもヒップホップ・カルチャーのミックステープ(定義は難しいが、「アルバム」よりはカジュアルな作品集と考えればそんなに間違いない)を意識したものだ。
共演はあのDIVINE.
これは、パンジャービー系ラッパーのリアル・ヒップホップ志向と、ガリーラッパーのスタイル多様化(それには多分にセールス狙いもあるだろうが)が生んだコラボレーションだ。

Sidhu Moose Walaは、他に"Old Skool"という曲も発表している。
つまり、彼は明らかにバングラーの歌い方をしながらも、かなり明確にヒップホップを匂わせているのだ。


バングラーとヒップホップの融合を明確に意識し、ドリルのような最新のサウンドも取り入れているSidhu Moose Wala.
彼は決してニッチでマイナーなアーティストではない。
動画の再生回数は軒並み数千万回から数億回、サブスクのヒットチャートでも常連の、現代インドを代表する人気アーティストの一人なのである。

2017年にリリースしたこの"So High"のYouTube再生回数はなんと4億回。


トラディショナルなバングラーの要素を大胆に取り入れた"Unfuckwithable"は、タイトルもローカル感満載のミュージックビデオも最高!

共演のAfsana Khanは、パンジャーブ映画のプレイバックシンガーとしても活躍している女性歌手で、往年のソウル・シンガーのような熱を帯びたヴォーカルが素晴らしい。

最近では、デリーのPrabh Deepのように、シク教徒の象徴であるターバンをドゥーラグ(よく黒人ラッパーがかぶっていた水泳帽みたいなアレ)的な雰囲気でかぶり、バングラーの影響がほとんどないフロウでラップするアーティストも存在している。
(他にも、Shikandar Kahlonなど、ターバン姿でヒップホップ的スタイルのフロウでラップするシク教徒のラッパーは増えてきている)
だが、Sidhu Moose Walaは最新のヒップホップの要素を取り入れながらも、バングラーの歌い方を決して変えず、ターバンもクラシックなスタイルを崩さない。

バングラーとヒップホップを新しい次元で結びつける、このSidhu Moose Walaとは、どんな男なのだろうか。

Sidhu Moose WalaことShubhdeep Singh Sidhuはパンジャーブ州マーンサー(Mansa)県、ムーサ(Moosa)村出身の28歳。
ステージネームの'Sidhu Moose Wala'は「ムーサ村の男、Sidhu」を意味する。
シク教徒には軍人が多いが、彼の父も軍隊に所属した後、戦場での負傷を理由に退役し、警察官となった人物である。
少年時代からラッパーの2パックの影響を受け、ヒップホップに傾倒するのと同時に、地元の音楽学校でパンジャービー音楽を学んでいたというから、彼の音楽性はごく自然に培われたものなのだろう。
2016年に同州の工学系の大学を卒業した後、彼はカナダに渡って本格的な音楽活動を始めている。
 
Ninjaというパンジャーブ系シンガーの楽曲"Lisence"で作詞家としてのデビューを果たした後、2017年に同郷パンジャーブ出身の女性シンガーGurlez Akhtarとのデュエット曲"G Wagon"でプロの歌手としてのキャリアをスタートさせた。
カナダは70万人近いパンジャーブ人が暮らしている、彼らの一大ディアスポラでもある(あのタイガー・ジェット・シンもその一人だ)。

デビュー曲から、まさに銃・クルマ・女の世界観を確立させている。

こうした要素だけ見ると、彼は伝統と欧米カルチャーへのあこがれが混在した、よくいるタイプのインドの若者のような印象を受けるが、ことはそんなに単純ではない。
彼は、銃器を愛好し(彼のミュージックビデオにもたびたび登場する)、思想的にはシク教徒の独立国家を目指すカリスタン運動の支持者であるという、かなり危ない一面も持ち合わせているのだ。
皮肉にも、カリスタン運動は、父が所属していた軍とは真っ向から対立する考え方だ。
他にも、警察官から無許可で銃のトレーニングを受けたことで逮捕されるなど(警察官は彼のファンだったのだろうか?)、そのヤバさは本場のギャングスター・ラッパーにも引けを取らない。
ちなみにその後、彼はそのスキャンダルを、幾多の犯罪に関与したとされる映画俳優Sanjay Duttに例えた楽曲としてリリースしている。
彼のアンチ・ヒーロー的なスタイルは、見せかけではなく筋金入りなのだ。

それでも、彼はデビュー後瞬く間にスターとなった。
2017年には上述の"So High"が大ヒットし、この曲は同年のBrit Asia Music TV Awardsの最優秀作詞賞を受賞。
2018年にはPTC Punjabi Music Awardsで"Issa Jatt"がBest New Age Sensation賞に選出されている。
 
さらに、同じ年にファーストアルバム"PBX1"を発表し、カナダのアルバムチャートのトップに上り詰めるとともに、2019年のBrit Asia Music TVのベストアルバム賞を受賞("Legend"で最優秀楽曲賞も同時受賞)。
2019年以降も"Mafia Style"とか"Homicide"といった物騒なタイトルの楽曲を次々と世に送り出し、2020年にはセカンドアルバムの"Snitches Get Stitches"をリリース。
今年5月には、全31曲入りというすさまじいボリューム(日本からサブスクで聴けるのは、6月12日現在で11曲のみ)のサードアルバム"Moosetape"をリリースするなど、精力的な活動を続けており、インド国内と在外インド人コミュニティの双方から支持を集めている。

こうした彼の人気ぶりも、その音楽スタイル同様に、国内外のインド系社会の変化を反映しているように思う。
これまでも、イギリスや北米出身のインド系アーティストが、現地のインド系コミュニティでのヒットを経て、インドに逆輸入を経て人気を博すというパターンは存在していた(例えば前回紹介したPanjabi MC)。
また、最近ではRaja Kumariのように、インドの音楽シーンの伸長にともなって、活動拠点をインドに移すアーティストもいる。
だが、インドの農村で生まれたシンガーが、現代的なヒップホップとバングラ―を融合した音楽性で、ディアスポラと母国の両方で同時に高い人気を誇るというのは、これまでほとんど無いことだったように思う。
(Raja Kumariはカリフォルニア出身の南インド系〔テルグー系〕女性で、R&B的なヴォーカリストとして、また幼少期から学んだ古典音楽のリズムを活かしたラップのフロウで人気。"Moosetapes"でSidhu Moose Walaとも共演している)


つい数年前まで、インドの音楽シーンでは「垢抜けた」音楽性で人気を集めるのは、海外出身、もしくは留学経験のあるアーティストばかりだった。
村落部出身の若者が、危険なギャングスタのイメージで世間を挑発し、洋楽的なサウンドを導入して世界中のインド系社会でスターになるという現象は、インターネットの普及とともに発展してきたインドの音楽シーンのひとつの到達点と言えるのかもしれない。


ここで話をバングラーとヒップホップに戻す。
正直に言うと、これまで、バングラ―系シンガー/ラッパーについては、彼らのファッションやミュージックビデオがどんなに洗練されてきても、その吉幾三っぽい謳いまわしや20年前とほとんど変わらないサウンドから、どこか垢抜けない、田舎っぽい印象を持っていた。
別に垢抜けなくて田舎っぽい音楽でも構わないのだが(バングラ―の歌の強烈な「アゲ感」には抗えない魅力があるし)、彼らには、ヒップホップ的な成り上がり&ひけらかしカルチャーやファッションには直感的にあこがれても、その音楽的な魅力については、十分に理解できていないのではないかと感じていた。。

ところが、このSidhu Moose Walaに関しては、ヒップホップ・カルチャーを十分に理解したうえで、あえてバングラ―の伝統的な歌い方を守っているように思える。
ジャマイカ人たちのトースティング(ラップ的なもの)やダンスホールのフロウがヒップホップのサウンドとは異なるように、パンジャーブ人にとっては、バングラ―的なフロウこそが魂であり、守るべきものであり、クールなものなのだ。

同様に、彼らが巻くターバンにしても、我々はついエキゾチックなものとして見てしまうが、これもラスタマンのドレッドロックスと同じように、信仰に根差した誇るべき文化なのである。

パンジャービー語を母語として話す人々の数は、世界中で1.5億人もいて、これはフランス語を母語とする人口の倍近い数字である。
さらに、海外で暮らすパンジャーブ系の人々の数は、カナダとイギリスに70万人ずつアメリカに25万人にものぼる。

バングラーをワールドミュージック的なものとしてではなく、ポピュラーミュージックの枠組みの中に位置づけて聴くべき時代が、もう来ているのかもしれない。





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goshimasayama18 at 23:39|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

バングラー・ギャングスタ・ヒップホップの現在形 Sidhu Moose Wala(その1)



これまでも何度か書いてきた通り、インドの「ヒップホップ」には大きく分けて2つの成り立ちがある。


インドにおけるヒップホップ第一波は、1990年代に欧米(おもにイギリス)経由で流入してきた「バングラー・ビート」だった。
このムーブメントの主役は、インド系移民、そのなかでもとくに、シク教徒などのパンジャーブ人(パンジャービー)たちだ。
彼らは、もともとパンジャーブ(インド北西部からパキスタン東部にわたる地域)の民謡/ダンス音楽だった「バングラー」をヒップホップやクラブミュージックと融合させ、「バングラー・ビート」 という独自の音楽を作り上げた。
バングラー・ビートはインド国内に逆輸入され、またたく間に大人気となった。

(そのあたりの詳細は、この記事から続く全3回のシリーズで)

インドだけではない。
この時代、バングラーは世界を席巻していた。
2003年には、Jay-ZがリミックスしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"(Beware of the Boys)が、UKのR&Bチャートで1位、USのダンスチャートで3位になるという快挙を達成する。
世界的に見れば、バングラーはこの時代に一瞬だけ注目を浴びた「一発屋ジャンル」ということになるだろう。

だが、インド国内ではその後もモダン・バングラーの勢いは止まらなかった。
パンジャーブ系のメンバーを中心にデリーで結成されたMafia Mundeer (インドの音楽シーンを牽引するYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaarなどが在籍していたユニット)らが人気を博し、バングラー・ラップは今日に至るまで人気ジャンルであり続けている。
こうした「バングラー系ヒップホップ」に「物言い」をつけるとしたら、「ヒップホップと言われているけど、音楽的には全然ヒップホップじゃない」ということ、そして「コマーシャルな音楽で、ストリートの精神がない」ということになるだろう。 

「音楽的には全然ヒップホップでない」とは、どういうことか。
これは説明するよりも、聴いてもらったほうが早いだろう。
例えば、さきほど話題に出たPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"はこんな感じ。


バングラー・ビートは、間違いなくヒップホップの影響を受けたジャンルであり、それまでにインドに存在していたどんなジャンルよりもヒップホップ的ではあるが、お聴きいただいて分かる通り、決して「ヒップホップ」ではない。
(正確に言うと、Panjabi MCはこれよりも早い時期にはよりヒップホップ的なサウンドを志していたが、ある時期からよりバングラ―的なスタイルへと大きく舵を切った。また、同じ時期にイギリスで活躍していたRDBのように、よりヒップホップに近い音楽性のグループも存在している。)

その後もバングラー系「ヒップホップ」は独自の進化を遂げるが、音楽的にはむしろEDMやラテン的なリズムに接近しており、やはりヒップホップと呼んでいいものかどうか、微妙な状態が続いている。(最近になってRaftaarやBadshahがヒップホップ回帰的な音楽性を打ち出しているのは面白い現象)
例えば、インド国内のバングラー・ラップの代表格、Yo Yo Honey Singhが昨年リリースした"Loka"はこんな感じである。

この曲をヒップホップとカテゴライズするのは無理があると思うかもしれないが、インド人に「インドのヒップホップに興味がある」と言ったら「Honey Singhとか?」と聞かれたことが実際にある。
インドでは、彼の音楽はヒップホップの範疇に入っていると考えて間違いないだろう。

もうひとつの批判である「バングラーは売れ線の音楽で、ストリートの精神がない」とはどういうことか。
1990年代〜2000年頃、まだインターネットが一般的ではなく、海外が今よりはるかに遠かった時代に、バングラー・ビートは、映画音楽などの商業音楽のプロデューサーたちによってインドに導入された。
つまり、インドでは、バングラー・ラップは日本で言うところの「歌謡曲」的なメインカルチャーの一部であり、ストリートから自発的に発生したムーブメントではなかったのだ。
インドでは、こうしてコマーシャルな形で入ってきたバングラー・ラップが、ヒップホップとして受け入れられていた。 
だが、インドにもヒップホップ・グローバリゼーションの波がやってくる。


2010年代の中頃にインドに登場したのが「ガリー・ラップ」だ。
彼らは、インターネットの発展によって出会った本場アメリカのヒップホップの影響を直接的に受けていることを特徴としている。
(狭義の「ガリー・ラップ」とは、映画『ガリーボーイ』のモデルになったNaezyやDIVINEなどムンバイのストリート・ラッパーたちによるムーブメントを指すが、ここでは便宜的に2010年代以降の、おもにUSのヒップホップに影響を受けたインド国内のヒップホップ・ムーブメント全体を表す言葉として使う)
ガリー・ラッパーたちは、アメリカのラッパーたちが、貧困や差別、格差や不正義といったインドとも共通するテーマを表現していることに刺激を受け、自分たちの言葉でラップを始めた。

彼らの多くが、それまでインドにほとんど存在しなかった英語ラップ的なフロウでラップし、これまでのバングラー・ヒップホップとは一線を画す音楽性を提示した。
また、(ボリウッド・ダンス的でない)ブレイクダンスや、グラフィティ、ヒューマン・ビートボックスといったヒップホップ・カルチャー全般も、スラムを含めた都市部のストリートで人気を集めるようになった。

ミュージックビデオの世界観も含めて、ガリーラップの象徴的な楽曲を挙げるとしたら、(たびたび紹介しているが)DIVINEの"Yeh Mera Bombay"、そしてDIVINEとNaezyが共演した"Mere Gully Mein"となるだろう。

映画『ガリーボーイ』でも使われたこの曲のビートは、USのヒップホップとはまた異なる感触だが、この時代のガリーラップに特有のものだ。

商業主義的かつリアルさに欠けたバングラー系のヒップホップは、ガリー系ラッパーにとっては「フェイク」だった。
映画『ガリーボーイ』の冒頭で、主人公が盗んだ車の中で流れたパンジャービー系の「ヒップホップ」に嫌悪を表すシーンには、こういう背景がある。
日本のストリート系ヒップホップの黎明期に、ハードコア寄りの姿勢を示していたラッパーが、一様に'J-Rap'としてカテゴライズされていたJ-Pop寄りのラッパーを叩いていた現象に近いとも言えるかもしれない。

さらに長くなるが、音楽性ではなく、スタイルというかアティテュードの話をするとまた面白い。

ガリー・ラップがヒップホップの社会的かつコンシャスな部分を踏襲しているとすれば、バングラー系ラップはヒップホップのパーティー的・ギャングスタ的な側面を踏襲していると言える。

二重にステレオタイプ的な表現をすることを許してもらえるならば、パンジャービー系ラッパーたちの価値観というのは、ヒップホップの露悪的な部分と親和性が高い。
すなわち、「金、オンナ、車(とくにランボルギーニが最高)、力、パーティー、バイオレンス」みたいな要素が、バングラー・ラップのミュージックビデオでは称揚されているのだ。

こうしたマチズモ的な価値観は、おそらく、ヒップホップの影響だけではなく、パンジャービー文化にもともと内包されていたものでもあるのだろう。
(念のためことわっておくと、パンジャーブ系ラッパーの多くが信仰しているシク教では、男女平等が教義とされており、「ギャングスタ」的な傾向は、宗教的な理由にもとづくものではない。また、ミュージックビデオなどで表される暴力性や物質主義的な要素を快く思わないパンジャービーたちも大勢いることは言うまでもない。ちなみに最近では、DIVINEやEmiway Bantaiといったガリー出身のラッパーたちも、スーパーカーや南国のリゾートが出てくる「成功者」のイメージのミュージックビデオを作るようになってきている)


まだ主役のSidhu Moose Walaが出てきていませんが、長くなりそうなので、2回に分けます!
(続き)


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goshimasayama18 at 23:20|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

2021年06月01日

K-pop meets 'I-Pop'! インドと韓国のコラボレーションは新しい扉を開くのか?


5月21日にリリースされたArmaan Malik, Eric Nam, KSHMRのコラボレーションによる新曲"Echo"の評判が良い。

6月1日の時点でYouTubeの再生回数は1,000万回以上。
ヒット映画の音楽ともなれば億を超えることも珍しくないインドでは決してずば抜けた数字ではないが、映画と関係のない音楽としては大健闘していると言っていいだろう。 


この楽曲に関わった人物を整理してみよう。
Armaan Malikはムンバイ出身のシンガー。
代々インド映画の音楽を作ってきた一家に生まれたArmaanは、幼い頃から古典音楽を学び、アメリカの名門バークリー音楽大学で学んだのち、EDM, R&B, そしてもちろん映画音楽などの分野で活躍している。
インド映画のプレイバック・シンガーにはよくある話だが、彼もまた多くの言語で歌っており、ヒンディー、英語、ベンガル語、テルグー語、マラーティー語、タミル語、グジャラーティー語、パンジャービー語、ウルドゥー語、マラヤーラム語、カンナダ語の楽曲をレコーディングしたことがあるという。


この"Chale Aana"は2019年のボリウッド映画"De De Pyaar De"の挿入歌で、作曲はArmaanの兄であるAmaal Mallik. (兄のAmaalは、弟と違って姓のアルファベット表記の'L'が2つある)

この曲の再生回数は1.6億回とケタ違いだ。
彼が歌う他の映画音楽では、5億再生を超えているものもある。

映画音楽以外の活動も見逃せない。
2020年のMTV Europe Music Awardsで、近年勢いづくヒップホップ勢を抑えてBest India Actを受賞した"Control"は、"Echo"同様にインドらしさをまったく感じさせない「洋楽的」なポップソングだ。

Armaanは、映画音楽という大衆音楽と、洋楽的なポピュラー・ミュージックという、対照的なふたつのジャンルの第一線で活躍しているシンガーなのだ。


Eric Namはアトランタ出身の韓国系アメリカ人シンガー。
011年に名門ボストン・カレッジを卒業し、ニューヨークのデロイト・コンサルティングで勤務するというエリート中のエリートだった彼は、YouTubeへのカバー曲動画の投稿や韓国でのオーディション番組への参加を経て、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた。

シンガーとしては、韓国語と英語の両方で楽曲をリリースしており、海外ツアーを行うなど、すでに国際的な活躍をしている。

この"Honestly"を聴けば分かる通り、そのサウンドはK-popのイメージを裏切らないきらびやかなダンスポップ。
声の質もArmaanに近く、ヴォーカリストとしての相性がぴったりなのがこの曲からも分かるだろう。


"Echo"のプロデュースを務めたKSHMRことNiles Hollwell-Dharはカリフォルニア出身のインド系アメリカ人のEDMアーティストだ。
名前の通り、カシミール地方出身のヒンドゥー教徒の父を持つ(母親はインド系ではないようだ)。
2003年に高校の友人と結成したヒップホップユニットThe Cataracsで活動したのち、2014年にKSHMRの名義でEDMに転向。
UltrasやTommorowlandなどの大規模フェスでもプレイし、2016年、2017年、2020年にはDJ Magの世界トップDJの12位に輝いているEDMシーンのトップスターの一人だ。

活動の場が違うので簡単には比較できないが、ジャンル内の評価で言えば、このKSHMRが3人の中でもっとも大きな成功を収めていると言えるかもしれない。
(再生回数で言えば圧倒的にArmaan Malikだが)

この曲はインドで行われたアジア最大のEDMフェス'Sunburn'のテーマ曲として作られたもの。

インド国内のマーケットを意識した作品では、このようにビジュアルにもサウンドにもインドらしい要素を取り入れており、最近ではインド国内のアーティストとのコラボレーションも多い。


…長くなったが、要は、この曲でコラボレーションした3人には、非常に多様性に富んだ背景があるということである。
国籍としては、インド、韓国、アメリカ。
音楽ジャンルとしては、フィルミ(インド映画音楽)、インド古典音楽、R&B、K-pop、EDM...
こうした多様性のある3人のコラボレーションなのだから、ものすごい化学反応が起きて、斬新なフュージョン音楽が生まれるのではないかと期待していたのだが、誤解を恐れずに言えば、出来上がった作品は、ポップミュージックとしての質は高いものの、音楽的な冒険はせずに、手堅くまとめたという印象だ。
"Echo"には、Armaanの古典音楽的な歌い回しも出てこなければ、KSHMRの得意なフュージョンの要素もない。
ミュージックビデオの映像も、K-Pop的な派手さや伝統的なインドのイメージとは無縁な、率直に言うとかなり地味なものである。

Eric Namは、Rolling Stone Indiaにこう語っている。
「"Echo"は3人のアジア人がグローバルな舞台で団結した重要な例なんだ。僕らの仲間がもっと増えたらいいのにって思ってる。僕たち(引用者注:アジア人)全体を代表してやってのけることができる人たちの、もっと大きなネットワークが欲しいんだ。僕らは、自分たちみたいなカルチャーに関わる人たちを、もっと大きなスクリーンで見たいと思って成長してきた。でも、伝統的に、そういう場所は僕らにオープンじゃなかったんだ。ようやく、少しずつオープンになってきてはいるけどね。それから今、人種間や社会的な緊張がこれまでになく高まってきている。だから、僕らにとって、今こそこういうことをやるのに最高の時なんだよ」

この言葉の中の、「アジア人にもショービジネスが少しずつオープンになってきている」というのはK-popの成功を、「人種間や社会的な緊張が高まっている」というのはコロナ以降のアジア人差別を指しているのだろう。
"Echo"をこのタイミングでリリースしたのは、5月がアメリカ合衆国における「アジア系アメリカ人および太平洋諸島出身者月間」(Asian American and Pacific Islander Heritage Month)であることも意識していたという。

だからこそ、彼らは偏見にもつながるステレオタイプと裏表な典型的なアジアの要素を前面に出すのではなく、あえて無国籍なポップミュージックを作り、音楽の質そのもので勝負しようとしたのだろう。
しかし、無国籍なポップミュージックとは、結局のところ、欧米の白人が作ったジャンルを意味している。
今のところ、インド国内と韓国の一部のファンには高い評価を得ているようだが、この方法論が世界でどこまで通用するのか、応援しつつ見守ってゆきたい。

ところで、記事のタイトルに'K-pop meets "I-pop"'と書いたが、'I-pop'とはこの曲を紹介するにあたり、インドの媒体が多用している言葉。
インドは英語が話せる人材も多いし、最近ではArmaanのようにバークリーなどの欧米の一流の音楽大学に進学する若者も増えている。
I-PopがK-Popのように、世界で評価される日が来るのだろうか。
その時に、"Echo"はエポック・メイキングな楽曲として思い出されるものになるはずだ。


関連記事:






参考サイト:
https://rollingstoneindia.com/exclusive-armaan-malik-eric-nam-and-kshmr-collaborate-on-new-single-echo/

https://www.bollywoodbubble.com/bollywood-news/exclusive-armaan-malik-on-echo-taking-i-pop-global-dabbling-with-wanting-to-breakout-and-fear-of-rejection/




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