2021年02月

2021年02月21日

インドのスケートボードカルチャーを追う!

インドのスケートボードカルチャーに興味を持ったのは、この曲がきっかけだった。
この曲は、インドの最西端にあるグジャラート州のシンガーソングライターShashwat Bulusuによるものだが、ビデオの撮影場所は彼のホームタウンとは遠く離れたインドの東のはずれ、バングラデシュとミャンマーに挟まれた場所にあるトリプラ州だ。
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ミュージックビデオに出てくる若者の名前はKunal Chhetri.
人気の少ない街中や、トリプラの自然の中で、大して面白くもなさそうにスケートボードを走らせる彼の姿に、不思議と惹きつけられてしまった。
彼の退屈そうな表情やたたずまいに、強烈なリアルさを感じたのだ
例えば大都市の公園で得意げに次々にトリックを披露するような映像だったら、こんなに心に引っかかることはなかっただろう。
若者のカルチャーを成熟させてきたのは、いつだって退屈だったのではないだろうか。

このミュージックビデオを制作したのはBoyer Debbarma.
自身もスケーターであり、なんとインド北東部でスケートボードを専門に撮影するHuckoというメディアを運営しているという。
BoyerがShashwatの音楽に興味を持ってコンタクトしたところ、ShashwatもBoyerの映像をチェックしており、今回のコラボレーションにつながったそうだ。

BoyerのHuckoによる映像の一例を挙げると、こんな感じである。
異国情緒から始まる映像は、スケートボードを楽しむ若者たちが登場した途端に、見慣れた退屈と刺激が交錯する世界へと変質する。
もはやストリートカルチャーには、国籍もバックグラウンドも全く関係ないことを改めて実感させられる映像だ。
それにしても、ヒンドゥーの修行者で世捨て人であるサドゥーとスケーターの若者がチラム(あの大麻吸引具)を回し喫みするインドって、ものすごくクールじゃないか。

考えてみれば、ヒップホップがかなり定着しているインドなら、同じくストリートカルチャーの代表的存在であるスケートボードがすでに根付いていても不思議ではない。
というわけで、今回はインドのスケートボードカルチャーについて調べてみた。


インドのスケートボードカルチャーの歴史はまだ浅く、2000年代以降に欧米のスケーターたちがバックパッカーとしてインドを訪れたことによって、その種が撒かれたようだ。
そのなかでも特に重要な役割を果たしたのが、イギリス人スケーターのNick Smithだ。
インドのカルチャー系ニュースサイトHomegrownのインタビューに対して、Nickはこう語っている。
「俺が10歳の頃、イギリスにはボードなんてなかったから、スーパーマーケットの裏から盗んだ台車で坂道を走っていた。その頃からスケートボードに夢中なんだ。インドでのスケートボード普及に力を注いできたのは、あの夢中だった頃を思い出すからだよ」

インドで最初のスケートパークは、NickがVansのサポートを受けて2003年にゴアに作った'Sk8 Goa'だった。
温暖な海辺のゴアに、欧米の寒い冬を避けて多くのスケーターが訪れるようになった。
ロックやクラブミュージックと同様に、スケートボードでもゴアが欧米の若者文化とインドとの接点となったのだ。

Nick Smithのインドでの活動は、欧米人スケーターのためのものだけではなかった。
この新しいスポーツ/ストリートカルチャーに夢中になった若者たちのために、彼は2010年にベンガルールでインドで最初のスケートボードチーム'Holy Stoked'を結成する。
彼はベンガルールにもPlay Arena(2011年)、Holy Stoked Epic Build(2013年)という二つのスケートパークを設立した。

その後、Nickは活動方針の相違などからHoly Stokedを離れ、新たにAdvaita Collectiveというクルーを結成したそうで、彼のスケートボード初期衝動を追求するインドの旅は、まだまだ終わらないようだ。

Nickがすでに離れた後だと思うが、'Holy Stoked'が2017年に公開した動画がこちら。
BGMはSuicidal Tendenciesとかのスケーターパンク。
分かってるなあ!

ヒップホップ同様、スケートボードに関しても2010年以降にインド各地で同時多発的にシーンが形成されたようだ。
現在ではあらゆる街にスケーターたちがいるようで、この動画は'Hindustan Times'が2015年にデリーのシーンを特集したもの。

ムンバイのヒップホップクルー、Munbai's Finestが2016年にリリースした"Beast Mode"にもスケートボードやランプが登場する。

インドのスケートボードカルチャーは既に一部で注目されているようで、日本語で検索してもいくつかの記事がヒットする。
とくに、ドイツ人女性がインド中部マディヤ・プラデーシュ州の小さな街ジャンワルに設立した無料のスケートパークJanwaar Castleの取り組みは複数のメディアで取り上げられている。

このJanwaar Castleは単なる遊び場ではなく、子どもたちの教育の普及にも役立てられており、利用の条件は「学校にきちんと行くこと」。
ヨガのレッスンも行われていて、また「女性を大事にすること」も教えられているという。

以前、ムンバイ最大のスラム地区ダラヴィで、ヒップホップダンスを通じて子どもたちに誇りを教えようとする取り組みを紹介したが、ストリートカルチャーがインドでは社会を良くするための運動に組み込まれているというのはとても意義深いことだと感じる。


Amazon Indiaで調べたところ、インドでは(クオリティーは別にして)スケートボードは1,000ルピー(1,500円程度)以下のものもあるようで、若者でも気軽に始められる趣味なのだろう。

文中で紹介したSk8 GoaやHoly Stoked Epic Buildは残念ながらクローズしてしまったようだが、インド各地に大小さまざまなスケートパークが存在しているようだ。

もしあなたがスケートボードを趣味にしているなら、コロナが落ち着いたらバックパックに愛用のスケートを括り付けて、これらの街を旅してみるなんていうのも素敵なんじゃないだろうか。
言葉のいらない趣味で異国の仲間たちと通じ合えるなんて最高だ。

これ以外に、変わったところではジャールカンド州のラーンチーにもスケートパーク(少なくともスケーターのグループ)があるようだ。
本当にインドのあらゆる地域の都市にラッパーとスケーターがいる時代になったのだなあ、としみじみと思う。


最後に、最初に紹介したShashwat Bulusuの曲をもう少し紹介したい。
彼はスケーターのために特化した音楽を演奏しているわけではないが、退屈さと情熱が心地よく融合した彼の歌声は、やはり都市の空気感を感じさせるものだ。

以前紹介したPrateek KuhadRaghav Meattleのように、インドではここ数年、非常に実力のあるシンガーソングライターも育ってきている。
Shashwatもまた注目すべき才能の一人だと言えるだろう。
インドの都市文化は、我々が知らないところで大きく変わりつつあるようだ。
(もちろん、良くも悪くも変わらない部分がどっしりとしているのもまたインドなのだけど)



参考サイト:

https://homegrown.co.in/article/804618/the-sunset-by-vembanad-juxtaposes-north-east-s-beauty-skateboarding-with-folk-pop

https://homegrown.co.in/article/800597/highlight-reel-the-evolution-of-skate-culture-in-india

https://homegrown.co.in/article/51995/meet-an-organisation-that-has-brought-skateboarding-to-rural-india-2

https://homegrown.co.in/article/44424/indias-skate-map-a-look-at-all-17-skateparks-across-the-country

https://homegrown.co.in/article/800809/we-profiled-5-of-india-s-most-interesting-sneakerheads

https://www.redbull.com/in-en/five-surprising-facts-about-indian-skateboarding

https://homegrown.co.in/article/10944/evolving-indias-skateboarding-culture-an-interview-with-nick-smith

http://www.caughtinthecrossfire.com/skate/features/death-in-goa/

https://neutmagazine.com/Ulrike-Reinhard-India





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2021年02月13日

Netflix『ザ・ホワイトタイガー/The White Tiger』は21世紀インドの『罪と罰』!


※今回の記事は『ザ・ホワイトタイガー』のネタバレ的な内容を含みます。この映画は冒頭でクライマックスが暗示され、そこに至るまでの過程を楽しむタイプの作品ですが(かつ最も肝心な部分には触れないように書いたつもりですが)気になる方はここでお引き返しください。

Netflix制作の映画『ザ・ホワイトタイガー/The White Tiger』を見た。
原作は、マドラス(現チェンナイ)出身の作家兼ジャーナリストのAravind Adigaによる同名の小説。
一時期、インド系の作家が英語で書いた小説を読むことにはまっていたのだが、原作の小説はその頃に読んだ中でもとくに鮮烈な印象を受けた一冊だった。
Adigaはこのデビュー作で2008年のブッカー賞を受賞している。

ちなみに日本でも2009年に文藝春秋から『グローバリズム出づる処の殺人者より』というタイトルで邦訳が出版されている。
この奇妙な邦題は、この作品のテーマを端的に表したキャッチコピーとしてはなかなかよくできていると思うのだが、あまりにも唐突な印象だからか、あまり評判がよろしくないようだ。

原作の小説は、「主人公がベンガルール(旧称バンガロール)を訪問した当時の中国首相・温家宝に宛てて書いた書簡」という一風変わった形式になっており、映画でも、原作の印象的な文章が、主人公のモノローグとしてそのまま活かされている。
(ちなみに実際に温家宝がベンガルールを訪問したのは2005年だが、映画版では2010年という設定に変更されている)
「『世界最大の民主主義国』でありながらも機会の平等には程遠いインドの成り上がり起業家から、共産党一党体制のもと躍進を遂げた中国首相への親書」というユニークな設定によって、この作品は現代社会への皮肉と洞察にあふれたものになっている。

監督は、これまでも社会派の作品で数多くの映画賞を受賞しているイラン系アメリカ人のラミン・バーラニ(Ramin Bahrani)。
主演はこの作品で初めての大役に抜擢された26歳のアダーシュ・ゴーラヴ(Adarsh Gourav)。
主人公が奉公人として仕える夫婦役を『ストゥリー 女に呪われた町/Stree』『クイーン 旅立つわたしのハネムーン/Queen』のラージクマール・ラオ(Rajkumar Rao)と、最近はハリウッド作品での活躍も目立つプリヤンカー・チョープラ・ジョナス(Priyanka Chopra Jonas)が演じている。
インド人作家のブッカー賞受賞小説を、アメリカ資本のNetflixがイラン系の監督を起用して製作したこの映画そのものが、作品のテーマである「グローバリゼーション」を体現しているとも言えるだろう。

物語のあらすじは、田舎(原作ではビハール州ガヤー地区であることが言及される)の貧しい家庭に生まれた若者バルラム(Balram)が、中央政界ともパイプを持つ地主の息子アショク(Ashok)の愛車ミツビシ・パジェロ(原作ではホンダ・シティ)の運転手となり、最終的にはベンガルールで起業家として成功を手に入れるまでの数奇な運命を描いたもの。

こう書くとシンプルなサクセス・ストーリーのようだが、登場人物の背景がなかなか複雑で、それがこの作品に不思議なリアリティーと緊張感を与えている。
主人公のバルラムは、一世代に一頭しか現れない天才「ホワイトタイガー」と称されるほどの明晰な頭脳を持ちながらも、貧しさゆえにチャンスを手に入れることができず、富める者に仕える仕事しか選べない境遇の若者だ。
バルラムのキャラクターは「貧乏だけどまっすぐな努力家」といった単純なものではなく、自身に染みこんだ奴隷根性に葛藤し、一族の中で絶対的な発言力を持つ祖母に人生を決められてしまう不条理に抵抗するという、知性ゆえの屈折を感じさせるものだ。
バルラムが仕える地主一家の息子アショクと妻のピンキーは、アメリカ帰りの先進的な考えの持ち主で、とくにピンキーは、女性や使用人を見下すインドの階級制度に反発し、夫の家族にも物怖じせずに意見する新しいタイプのインド女性として描かれている(保守的でムスリム嫌いのヒンドゥー教徒一家の中で、彼女だけがクリスチャンだ)。

バルラムは、故郷のラクスマンガル(Laxmangarh)では階級制度の染み付いた村落社会と家族のくびきに苦しめられ、奉公先一家の暮らす地方都市ダンバード(Dhanbad)では封建的な主従関係への服従を強いられる。
理解のあるアショク夫妻と引っ越した大都会デリーで、バルラムはようやく幸福に暮らせるかに思えるのだが、そうならないところにこの物語のリアリズムがある。

先進的なアショクは、保守的な彼の家族とは違い、決して使用人を暴力的に支配するわけではなく、バルラムにも気さくに接してくれる。
だが、バルラムとアショクの間には主人と使用人という決して越えられない一線がある。
アショクはバルラムに対して「友人のように接してくれ」と言う一方で、ありあまる富を自らの一族の安寧のためにだけ使い、使用人のバルラムにはごくわずかな金額しか分け与えない。
これは、先進国の富める人々が、人道的な価値観を主張し、途上国の人々に同情を示しつつも、彼らを安い労働力として使い、自分と同等のチャンスを与えようとしないことによく似た構図である。
アショク夫妻が引っ越すデリー(原作ではグルガオン)の高層マンションの豪華な部屋と、バルラムら使用人が暮らす地下の居住スペースの強烈な格差が印象的だ。
彼らの内面に目を向ければ、搾取する側には無自覚な冷酷さがあり、搾取される側には変わらない現実へのあきらめがある。

旧弊な農村社会であるラクスマンガル、貧富や階級の差が主従関係となる地方都市社会のダンバード、そしてポストモダン的な大都市のデリーと物語の舞台が変わっても、自らの立場を決して変えることができないということに、バルラム否応なしに気づかされる。
やがて彼は、この圧倒的な格差を乗り越えるためには、自分の中の意識を変えるだけではなく、倫理すら無視せざるを得ないという結論に達してゆく。
なぜなら、彼を支配する連中は、自分の身を守るためならば、倫理を曲げることも、使用人を使い捨てることも厭わないのだから。
物語の導入部で、バルラムがじつは指名手配されていることが明かされるのだが、その原因となった彼の行動こそが、この物語のクライマックスだ。

ここから物語は、さながら21世紀のインド版『罪と罰』と言えるような展開を見せるのだが、しかしバルラムには「罪」の意識はほとんどなく、また「罰」を受けることもない。
(すっかり彼の心から離れてしまった故郷の家族が悲惨な末路を迎えたことが示唆され、それが「罰」と言えなくもないのだが、原作では、彼が自身の「行為」を全く後悔していないことが明記されている)

結局のところ、この物語で「罪」の意識を感じざるを得ないのは、構造的に富める側にいる我々なのだ。
「俺がお前らと同じようにチャンスを手に入れるにはこうするしかなかった。それをお前は裁けるのか」
という問いが、少なくとも自分にとってのこの作品の後味の大部分を占めている。
とはいえ、この作品は決して重苦しい作品ではなく、現代社会の不条理を鮮やかに描き出したある種の爽快感を放っていて、この社会性と娯楽性の絶妙なバランスは、原作同様に高く評価されるべきだろう。
バルラムは、自らが罪と罰に苦悩するのではなく、その根源を見る者自身の問題として投げかける。
インドのラスコーリニコフは、なんともしぶとい。


バルラムは最終的に、グローバリゼーションの波に乗って発展著しいベンガルールで起業し、わずか数年の間に莫大な富を築く。
映画では詳述されていないが、彼が始めた事業は、コールセンターで働く人々の通勤車両のアウトソーシングである。
「コールセンター」は'00年代のインドの小説によく見られた舞台背景だ(Chetan Bhagatの"One Night @ Call Center"〔未邦訳〕, Vikas Swarup/ヴィカス・スワループの"Six Suspects"『6人の容疑者』など)。
この頃、欧米企業の本国向け電話対応窓口として、賃金が安く英語が話せる人材が豊富なインドに多くのコールセンターが開設された。
アメリカなどの本国の時間に合わせるために深夜勤務になるのが難点だが(そのために通勤の送迎が必要になる)、欧米企業にとっては安価に電話窓口を設けることができ、インド人にとっては英語力だけでそれなりに良い収入を得ることができる。
こうした需要と供給が一致して、コールセンターはインドの一大産業となった。
だが、コールセンターの仕事は、インド人であるというアイデンティティを無くして働くことを意味する。
コールセンターで働くインド人たちは、顧客にインド人であることを悟らせず、あたかも同じ国内のサービス員だと思わせるために、アメリカ風英語の研修を受け、'Happy Thanksgiving Day'のような季節の挨拶を覚え、名前まで英語風に変えさせられて(例えばVikramならVictor、NanditaならNancyのように)働くことになる。
ときにこちらがインド人であることに気づいた相手から差別的な言葉を受けることもあるし、インドより豊かなアメリカに暮らしているはずの顧客からの、あまりにも無知で非常識なクレームの対応をさせられることもある。
欧米的な豊かさへの憧れと、インド人としてのナショナリズムが交錯する場として、コールセンターはうってつけの舞台設定なのだ。

インド随一の国際都市ベンガルールで、ようやく自由と富を手に入れたバルラムが始めた事業が、こうしたグローバルな産業構造の象徴的な存在であるコールセンターに関わるものだったというのはなかなかに興味深いと思うのだが、考えすぎだろうか。

 
さらに蛇足になるが、以前から、インドの物語を「落語っぽい」と感じていたことについても少し書いておきたい。
奉公人と主人の関係、階級社会、長屋暮らし、貧富や学問の差といった要素がドラマにもおかしさにも通じるという点で、インドの物語には落語と共通する要素がそこかしこに散見される。
この作品でも「インターネットを知っているか?」というアショクに、バルラムが知ったかぶりして「村で何匹か飼ってます。今すぐ市場で買ってきましょうか」と答えるところなどはほとんど滑稽噺の世界だし、そもそも人間の業を描いた物語全体が、「鼠穴」のような重厚な噺のようでもある。
要は、インド社会に日本の江戸時代的な要素が残っているから落語っぽさが感じられるわけだが、その観点から見ると、この作品は「落語的」なインドから、グローバルなインドへの脱却を描いた作品としても見ることができる。
ものすごくどうでもいい分析だけど。


最後に、一応音楽ブログなので、音楽についても触れておきたい。
この作品のために書かれた主題歌"Jungle Mantra"を手掛けているのは、あの『ガリーボーイ』のMCシェールのモデルににもなったムンバイの叩き上げラッパーDIVINEだ。

この曲では、アメリカの人気ラッパーVince Staples(インドでもエクスペリメンタルなラッパーのTre Essが影響を受けたアーティストとして名前挙げていた)との共演が実現している。
タイトル通りマントラを思わせるコーラスが印象的な曲で、世界配信される作品だけあって「インドっぽいラップでよろしく」という発注でもあったのだろうか。
ムンバイのストリートから成り上がり、Nasのレーベルと契約するまでになったDIVINEのサクセスストーリーは、まさにこの映画にぴったりの起用だ。
今度は世界配信される作品の主題歌での世界的ラッパーとの共演が実現したわけで、DIVINEはこの楽曲で主人公バルラムと同じような成功を手にしたと言えるだろう
ちなみに最近の作品を聴く限りでは、DIVINEも単なる華やかな成功だけでなく、内面の様々な葛藤を抱えている様子が見て取れる。




"Jungle Mantra"のビートメーカーはムンバイのKaran Kanchan.
彼は日本にも存在しないJ-Trapというジャンルを勝手に作ってしまうほどのジャパニーズ・カルチャー好きで、そのユニークなサウンドに以前から注目していたのだが、最近ではDIVINEやNaezyといった旧知のムンバイ勢のみならず、Seedhe MautらデリーのAzadi Records一派、R&BシンガーのRamya Pothuri、Mass Appeal IndiaのAarvuttiらに多彩なビートを提供し、インドのトップビートメーカーの一人に成長した。
Netflixがアメリカのビートメーカーに発注することもできただろうが、彼もまた大抜擢の起用と言える。


主題歌以外に、劇中で使われている音楽もなかなか興味深い。
原作では、アショクが車の中で聴く音楽として、StingとEnyaのCDが登場する。
いかにもインテリのインド人が聴きそうな趣味ながら、ちょっと古臭いなあ思っていたら、映画版ではGorillazに変えられていた。
海外帰りの現代的なセンスのインド人の趣味として考えると、なかなかいいところを突いているように思う。
またピンキーの誕生日パーティーの帰り道、車の中でへべれけになりながら盛り上がるときにかかっているのは、Punjabi MCの"Mundian To Bach Ke"のJay-Zによるリミックスで、いかにもこういう場面で彼らが聴きそうな選曲だなあ、とまた唸らされた。
他にも、インド系カナダ人シンガーのRaghavなど、なかなかツボを押さえた音楽が効果的に使われているので、ぜひそのあたりも注目してほしい。
予告編で流れるQueenの"I Want To Break Free"は、本編では使われていないが、この作品のテーマを見事に表した楽曲ではある。


最後に蛇足の蛇足。
Wikipediaの情報によると、主演のアダーシュは小さい頃から古典音楽に親しみ、俳優としてのキャリアを本格的に始める前には、SteepskyやOak Islandというプログレッシヴメタルバンドでヴォーカリストを努めていたこともあるらしい。
Oak Island · 03 Half A Clock

一時期はバンドとともにアメリカ進出を考えるほど本格的に音楽のキャリアを追求していたそうで、今後、俳優だけでなくシンガーとして活躍する姿も見られるかもしれない。

長くなりましたが今回はこの辺で。



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goshimasayama18 at 21:29|PermalinkComments(0)インド映画 | インドの小説

2021年02月09日

インド・ヒップホップ夜明け前(その3)Mafia Mundeerの物語・後編

(シリーズ第1回)


(シリーズ第2回)


デリーの地でヒップホップ・ユニットMafia Mundeerとして活動を始めたYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka, Lil Goluの5人。
彼らの活動形態は、Mafia Mundeerの名義でユニットとして活動するのではなく、メンバー同士がときに共演しながら、ソロとして個々の名義で楽曲をリリースするというものだった。

当時のMafia Mundeerで中心的な役割を担っていたのは、イギリスへの音楽留学経験を持ち、野心にあふれていたYo Yo Honey Singhだったと考えて間違いないだろう。

2010年を過ぎた頃から、Honey Singhがまずスターダムへの階段を登り始める。
流行に目ざといボリウッドが、最新の映画音楽として国産のヒップホップに目をつけたのだ。
時代の空気と彼の強烈な上昇志向が見事に噛み合い、彼は立て続けに人気映画の楽曲を手掛けて急速に知名度を上げてゆく。

2012年、ディーピカー・パードゥコーン主演の映画"Cocktail"に"Angreji Beat"を提供。
2013年には、アクシャイ・クマール主演の"Boss"に"Party All Night"を、そして日本でも公開されたシャー・ルク・カーン主演の"Chennai Express"に、タミルのスーパースター、ラジニカーント(映画には出演していない)に捧げた"Lungi Dance"を提供した。
アメリカや日本のヒップホップを基準に聴くと、どの曲も絶妙にダサく感じられるかもしれないが、インドの一般大衆が考える都会の退廃的なナイトライフのイメージに、Honey Singhがぴったりハマったのだろう。
アメリカ的なヒップホップを追求するのではなく、在外パンジャーブ人のバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを国内向けに翻案した彼の音楽は、インド的ラップの大衆化に大きな役割を果たした。

ヒップホップにありがちな、リリックが女性への暴力を肯定的に描いているという批判もあったが(とくに、デリーの女子大生がフリースタイルラップでHoney Singhを痛烈に批判した"Open Letter To Honey Singh"は大きな話題となった)、彼の快進撃は止まらなかった。

前述の3作品はいずれもヒンディー語映画(いわゆるボリウッド作品)だが、よりローカルなパンジャービー語映画では、2012年に"Mizra"への出演を果たし、2013年の"Tu Mera 22 Main Tera 22"では主役の一人に抜擢されるなど、Honey Singhは銀幕にも進出する。
 

映画音楽のみならず、ソロ作品やプロデュースでもHoney Singhはヒットを連発した。
2011年にソロ作"Brown Rang"をヒットさせると、2012年にはパンジャービー系イギリス人シンガーJaz Dhamiやパンジャービー系カナダ人のJazzy Bとのコラボレーションをリリースして成功を収めた。
だが、良いことばかりは続かない。

急速な成功による他のメンバーとの格差が、彼と仲間との間に亀裂を生じさせてしまったのだ。
Honey SinghがMafia Mundeerの中心的存在であり、最も早く、最も大きな成功を手にしたことは疑うべくも無いのだが、彼の成功は、実際は彼の力だけによるものではなかった。

実は、この時期のHoney Singhのヒット曲"Brown Rang"はBadshahによって、"Dope Shope"は、Raftaarによって書かれたものだったのだ。
しかし、Honey Singhは、これらの楽曲の本来のソングライターに適切なクレジットを与えなかった。
"Brown Rang"を書いたBadshahは、どうせ大して売れないだろうと考えていたが、予想に反して曲は大ヒット。
クレジットを要求したBadshahをHoney Singhがはねつけたことで、彼らの関係は修復できないほどに悪化してしまった。
また、Raftaarに対しては、彼がレコーディングした曲にHoney Singhがヴォーカルをオーバーダビングして自分の曲にしてしまったという。

こうしたトラブルから、まずRaftaarが、次にBadshahがMafia Mundeerを脱退する。
Honey SinghはMafia Mundeerの新しいメンバーとして、AlfaazとJ-Starを加入させるが、以降、Mafia Mundeerというユニット名を聞くことはめっきり少なくなった。
それでも傍若無人にポピュラー音楽シーンの最前線を突っ走っていたHoney Singhは、2014年に突然シーンから姿を消してしまう。 
後に分かったことだが、彼はこのとき、重度のアルコール依存症と双極性障害に悩まされていたのだ。
リハビリのためのシーンからの離脱は18カ月にも及んだ。

Honey Singhが不在の間に、今度はBadshahがソロアーティストとしての成功をつかむ。
2015年の"DJ Waley Babu"が人気を博し、さらにボリウッドにも進出を果たす。
映画"Humpty Sharma Ki Dulhan"で使用された"Saturday Saturday"や、大ヒットした"Kapoor & Sons"でフィーチャーされた"Kar Gayi Chull"が高く評価され、新しいスターとしての地位を不動のものにしたのだ。
Honey Singhは、自分が不在の間に成功を収めたかつての仲間を素直に祝福することができなかった。
リハビリからの復帰作となる主演映画"Zorawar"の記者会見で、彼は「ロールスロイスを運転したことはあるか?ロールスロイスはタタの'ナノ'とは違う」と、自身を超高級車のロールスロイスに、Badshahを「世界一安い車」と言われたインド製の車に例えてこき下ろしてしまう。
ソーシャルメディア上でもお互いに激しい批判を繰り広げた彼らは、2012年以降、いまだに口も聞いていないと言われている。

そのHoney Singhの復帰第一作の映画"Zorawar"の挿入歌"Superman".
この時期、BadshahもHoney SinghもEDMバングラーとでも呼べるようなスタイルを標榜していた。

Honey SinghとBadshahに少し遅れて、Raftaarも人気を獲得してゆく。
彼は2013年にリリースした"WTF Mixtape"でよりヒップホップ的な方法論を提示し、コアなファンの支持を集めることに成功。
さらには、90年代から活躍するイギリスのバングラーユニットRDBのManj Musikとの共演など、独自路線を歩んでゆく。

"WTF Mixtape"からの"FU - (For You)".Manj Musikをフィーチャーして2014年に発表された"Swag Mera Desi"のリリックには、Honey Singhを批判したラインが含まれているとも言われている。
だが、Honey Singhは、Raftaarの成功も快く思わなかったようだ。
かつて自らがMafia Mundeerに誘ったRaftaarのことを「そんなやつは知らない」「一度しか会ったことがない」と切り捨ててしまう。
しかしRaftaarは抗争の加熱を望んでいなかったようで、多少の皮肉を込めつつも、Honey Singhを憎んでいるわけでは無いことを表明している。

「おそらく彼は急な成功でエゴが強くなりすぎて、自分がどこから来たのか、誰も彼を信じていなかった時に誰がそばにいたのかを忘れてしまったのだろう」
「俺に取ってMafia Mundeerはすごく思い出深いし、今でも彼をブラザーだと思っているよ」 
「俺は他人の成功で不安になったりはしないね。音楽は愛やブラザーフッドやポジティヴィティの普遍的な源なんだ。憎しみや嫉妬の余地なんて無いんだよ」

RaftaarとHoney Singhの再共演はいまだに実現していないが、今ではお互いに激しく罵り合う状況ではなくなったようだ。


時期は不明だが、IkkaもおそらくはRaftaarやBadshahの脱退と近い時期に、Mafia Mundeerを離脱したようだ。
その後のIkkaは、いくつかの映画音楽などにも参加し、高いスキルを示していたものの、Honey SinghやBadshah、Raftaarほどにはセールス面での高い評価を得てはいなかった。
ところが、2019年にアメリカのラッパーNasのレーベル'Mass Appeal'のインド版として立ち上げられたMass Appeal Indiaの所属アーティストとして起用されると、レーベルメイトとなったムンバイのストリートラップの帝王DIVINEとの共演(前回の記事で紹介)や、旧友Raftaarとの久しぶりのコラボレーションなどで、本格派ラッパーとしての実力を見せつけた。
2020年にはMass Appeal Indiaからファーストアルバム"I"をリリースし、その評価を確実なものにしつつある。

その後の彼らの活躍についても触れておこう。
Honey Singhはバングラーラップとラテンポップを融合したような音楽性で大衆的な人気を維持し、今では「インドの音楽シーンで最も稼ぐ男」とまで言われている。
現時点での最新曲"Saiyaan Ji"は最近Honey Singhとの共演の多い女性シンガーNeha Kakkarをフィーチャーした現代的バングラーポップ。
この曲のリリックにもLil Goluの名前がクレジットされている。

BadshahもHoney Singh同様に、EDM/ラテン的なバングラーラップのスタイルで活動していたが、最近ではより本格的(つまり、アメリカ的)なヒップホップが徐々にインドにも根付いてきたことを意識してか、本来のヒップホップ的なビートの曲に取り組んだり、逆によりインド的な要素の強い曲をリリースしたりしている。

このミュージックビデオはデリーの近郊都市グルグラム(旧称グルガオン)出身のラッパーFotty Sevenが2020年にリリースした"Boht Tej"にゲスト参加したときのもの。
ビートにはなんと日本の『荒城の月』のメロディーが取り入れられている。

女性シンガーPayal Devと共演したこの"Genda Phool"はベンガル語の民謡を大胆にアレンジしたもので、スリランカ人女優ジャクリーン・フェルナンデスを起用したミュージックビデオは2020年3月にリリースされて以来、すでに7億回以上YouTubeで再生されている(2020年に世界で4番目に視聴されたミュージックビデオでもある)。
これまでの「酒・パーティー・女」的な世界観から離れて、ヒンドゥーの祭礼ドゥルガー・プージャー(とくにインド東部ベンガル地方で祝われる)をモチーフにしているのも興味深い。

「かつて両親に楽をさせるために、魂を売ってコマーシャルな曲をラップしたこともある。でも今ではそういう曲とは関連づけられたくないんだ」
こう語るRaftaarは、商業的な路線からは距離を置いて活動しているようだ。
コマーシャルなシーンの出身であることから、Emiway Bantaiらストリート系のラッパーからのディスも受けたが、デリーのベテランラッパーKR$NAと共演したり、自身のマラヤーリーとしてのルーツを扱ったアルバム"Mr. Nair"(Nairは彼の本名)をリリースしたりするなど、堅実な活動を続けている。
現時点での最新の楽曲"Black Sheep".
最近では仲間のラッパーたちと運営するKalamkaarレーベルがフランスの大手ディストリビューターと契約を結んだというニュースもあり、さらなる活躍が期待できそうだ。

Ikkaの現時点での最新のリリースは、フィーメイル・ラッパーRashmeet Kaurの楽曲にDeep Kalsiとともにゲスト参加したこの楽曲(全員パンジャービーのシンガー/ラッパー)
レゲエっぽいビートに乗せたバングラーポップのR&B風の解釈は、インドのポピュラー音楽のまた新しい可能性を期待させてくれる。


正直にいうと、Mafia Mundeerの元メンバーたち、とくにHoney SinghやBadshahに対しては、その商業的すぎる音楽性から、私もあまりいい印象を持ってなかった。
バングラー・ラップは垢抜けない音楽だと感じていたのだ。
だが、インドの音楽シーンを知ってゆくうちに、パンジャービーにとってのバングラーは、アメリカの黒人にとってのソウル・ミュージックのようなものであり、その現代的解釈は、商業主義の追求というよりも、ごく自然なものであると考えるようになった。
自らのルーツを意識しつつも、新しい音楽をためらわずに導入し、露悪的なまでに自由でワイルドに活動したという点で、彼らはまさしくパーティーミュージックとしてのヒップホップのインド的解釈を成し遂げたと言ってよいだろう。

本格的な成功とほぼ同時に解散してしまったことで、今ではMafia Mundeerという名前を聞くことも少なくなってしまったが、4人の個性的な人気ラッパーの母体となったこのユニットは、インドの現代ポピュラーミュージックを語るうえで、決して無視できない存在なのだ。

ちなみにMafia Mundeerのもう一人のオリジナルメンバーであるLil Goluは、Honey Singhと楽曲を共作したりしている一方、IkkaをまじえてRaftaarとの再会を果たした様子。
Ikkaの"I"にも参加しており、元メンバー同士の抗争からは距離を置いて、全員と良好な関係を築きつつ活動を継続しているようだ。

いつの日か、彼らが再び何者でもなかったころの絆を取り戻して、その成功に至るストーリーをボリウッド映画にでもしてくれたらよいのに、と思っている。
その夢が実現するのはまだまだ先になりそうだが、それまでに彼らがどんな音楽を聴かせてくれるのか、激変するインドのヒップホップシーンでのパイオニアたちの活動に、これからも注目したい。




(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer

http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958

https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html

https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms

https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html



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