2020年11月

2020年11月29日

ゴアを拠点に活躍する多才すぎる日本人アーティストNoriko Shaktiに注目!

いつものようにRolling Stone Indiaのウェブサイトをチェックしていたら、いきなり日本人女性らしき名前が飛び込んできたので驚いた。
彼女の名前はNoriko Shakti.
 
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現在、ゴアを拠点に音楽活動をしている彼女は、日本でダンスミュージック制作とDJのスキルを得たのち、ヨーロッパで楽曲をリリースし、さらにコルカタでタブラを習得してバウルとの共演もしているという、多彩すぎる経歴の持ち主だ。

Rolling Stone Indiaで紹介されていたEP "Within the Time and Place"の収録曲、"CovidWar"がまた強烈だった。


トランシーなオープニングに続いて、銃撃音をサンプリングしたヘヴィなビートにインドや和の要素が絡むサウンドはユニークかつクール。
ミュージックビデオでは、コロナウイルス禍のためか、ダンサーたちが自宅と思われる場所で踊っているが、それが高揚感のあるサウンドとあいまって、日常から異次元に脱出していくような不思議な感覚をかきたてる。
他のEP収録曲も、モッドなジャズナンバーあり、インド古典音楽あり、アンビエントありと、じつにバラエティーに富んでいる。

異色の経歴、不思議なミュージックビデオ、そしてEPの多彩なサウンド、何から何まで気になることが多すぎる!
というわけで、現在もゴアで暮らしている彼女に、さっそくZoomでのインタビューを申し込んでみた。 



電子音楽からタブラ、そしてコルカタ留学へ

ーダンスミュージックからタブラまで、いろいろな音楽をされているようですが、まずはNorikoさんの音楽遍歴を教えてください。

Noriko Shakti(以下NS):「小さい頃からピアノを習ったり、合唱団に入ったりと音楽に親しんでいましたが、東京の一般的なサラリーマン家庭で育ちました。中学・高校の頃、当時流行っていたメロコアやパンクを友達の影響で聴くようになって、だんだんライブハウスやクラブに行くようになったんです。
高校2年のときにフジロックに行って、世界にはこんなにいろんな音楽があるんだなあーと素直に感動してしまって…。バイト代でターンテーブルを買って、音楽をやっている先輩の影響でシーケンサーを触ったり、DJをしたりするようになりました。当時は、Aphex Twinとかの電子音楽が好きだったんですが、同時にレゲエなどライブミュージックも好きでした。
ちょうどDiwali RiddimとかSean Paulとかのダンスホールが流行っていた時期で、そこからファンデーション、ラバーズロックやダブも聴くようになって、渋いなあーなんて思ってました(笑)」

DJとしての道を歩み始めた彼女は、新宿GARAM、新宿ドゥースラー、吉祥寺の4th Floorやスターパインズカフェ、Warp、恵比寿みるく、渋谷Moduleなどでプレイするようになる。
いくつかのコンピレーション・アルバムに楽曲を提供したのもこの頃だ。

NS「ずっとDJや打ち込みの音楽をやっていたんですけど、20代になってから、電子音楽の限界を感じたというか、アナログ楽器もできたほうがいいと感じるようになって、パーカッションの演奏をきちんと学んでみたいと思い始めたんです。
その頃ヨガにもはまっていて、呼吸とか瞑想とかそういう世界も探求するようになっていたのですけど、『インドって面白い』と思った頃に、ちょうどタブラというものがあると知って(笑)」

ータブラという楽器のことはどうやって知ったんですか?

NS「Talvin Singhなど、UKのアーティストが作るミクスチャー音楽に触れていたので、タブラを知ってはいました。UKの音楽シーンの移民カルチャーに惹かれていたのと、世界一難しいと言われる楽器に挑戦してみたいと思って、インド大使館のタブラ教室でインド人の先生に習い始めました。
もともとピアノや音楽制作の経験があったので、その先生から、ハルモニウムの伴奏を頼まれたり、一緒にステージで共演したりするようになりました。代々木公園で行われている『ナマステ・インディア』(インド文化の一大イベント)で一緒に演奏したこともあります。
そのうち先生から、『君は音楽をやったほうがいい。タブラでも声楽でもインドに行って勉強したほうがいい』って言われるようになり、『面白そう!行ってみようかな』って(笑)。
で、奨学金のテストを受けてインドに来たって感じですね」

ー簡単に言いますけど、すごいですね(笑)

NS「コルカタのRabindra Bharati大学に行くことになったんですが、コルカタに行ってびっくりしました。ヨガにはまってたときに1回だけ南インドを旅行したことはあったんですけど、北インドは初めてで、相当カオスだったので(笑)。
バンコクからコルカタ行きの飛行機に乗る時点から、誰もちゃんと並ばない(笑)」

ー(笑)結局、そのコルカタに長くいることになったんですよね。

NS「途中で日本に帰ってきたり、台湾にアーティスト・イン・レジデンスで行ってたりもしたんですが、コルカタには足掛け5年くらいはいました。イヤだったらすぐ帰ってくればいいや、くらいの気持ちでいたのですが、タブラが面白かったし、音楽好きのインド人の気質もすごく合ったので」

ー「大学でタブラを学ぶ」っていうのはどんな感じなんですか?

NS「セオリーと実技の授業がありました。ほとんどの同級生が古典音楽一家の出身だったので、ついて行くのに必死で勉強しました。インドでは古典音楽は子供の頃から習うのが普通なので。
他にも、インド音楽の歴史とか、アコースティックス(音響学)とか、内耳の構造みたいな授業もありました。ベンガル語も分からなかったし、ずっと日本で育った程度の英語力しかなかったのに、急に大学院の修士課程に入ってしまったので、英語もベンガル語もほぼ独学で必死に学びました」

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(当時の授業の様子。どちらもNoriko Shaktiさん提供)

ーどなたか一人の師匠について学ぶというわけではないのですね。

NS「技術的な部分はいろんな人に習いました。
最近はインドの古典音楽も、日本でよく言われているように、ひとりの師匠のもとで一生を捧げて修行するというよりも、『この人にこれを習いたい』って思ったら教えてもらいに行ったり、古典シーンで活躍している先輩のところに遊びに行ったときに教えてもらったりしました。
出し惜しみなくカジュアルに教えてもらえましたね。
修士、博士論文はリサーチ、英語での文章力が必須になります」


彼女の話を聞いていると、西洋も東洋も、現代音楽も古典音楽も関係なく、自然体で夢中になれる音楽を追求しているのだなあ、という印象を受ける。
東京のクラブでのDJから、コルカタの大学での修行まで、ジャンルも場所も関係なく音楽に向き合ってきたのだろう。
電子音楽からインドの伝統楽器タブラにつながったNoriko Shaktiの音楽遍歴は、さらなる展開を見せる。



シャンティニケタンのフェスティバルでのDJ、そしてゴアでのバウルとの共演!

ーコルカタでは、DJをやったり、クラブシーンに顔を出したりしてたんですか?

NS「コルカタにはいちおう小さいクラブがあったり、シンセとか打ち込みで曲を作るアーティストたちがいたりもします。
あと、シャンティニケタンの野外フェスでDJをしたりもしました。パールヴァティ・バウルさんが歌って、その同じステージでDJをしました。
ただ、タブラの勉強がめちゃくちゃ大変なんで、電子音楽はしばらくお休みしてました」

「バウル」とは、ベンガル地方、つまりインドの西ベンガル州とバングラデシュに何百年も前から存在する、修行者であり世捨て人でもある、不思議な吟遊詩人だ。
かつては賎民のような存在だったとも言われているが、その詩世界や生き方はタゴールやボブ・ディランにも影響を与えたとして、20世紀以降、急速に評価を高めており、今ではUNESCOの無形文化遺産にも登録されている。

 

それにしても、ベンガルの伝統を担うバウルとDJが同じステージでプレイするとは…。
この想像を超えるイベントは、"Route2"というフェスティバルで、極めてオルタナティブかつジャンルの垣根を超えたイベントだったようだ。
ここで名前の挙がったパールバティ・バウル(Parvathy Baul)は、世界的にも著名な女性のバウルで、日本公演の経験もある。
他にも、ラージャスターンのフォークミュージシャンや、マニプル州のImphal Talkies、コルカタのHybrid Protokolらが出演したこのフェスで、彼女はレゲエや電子音楽をプレイして大いに盛り上げたという。


ーずっとコルカタに住んでいたNorikoさんが、どういうきっかけでゴアで暮らすことになったんですか?

NS「本当に偶然でした。ゴアには以前にも2回来たことがあったんですが、観光地としか思っていなくて、数日しか滞在しなかったんです。
去年の12月にコルカタで博士論文を提出し終わったあと、結果が出るまで待たされることになって、その間ずっとコルカタにいるのもなあ…と思っていたら、以前デリーで会ったバウル・シンガーの友人が、今ゴアにいるから一緒に演奏しようよ、と誘ってくれたんです。
それでゴアに行くことにして、結局ゴアで20回くらいそのバウルのおじさんといっしょに演奏しました。
ツーリストとしてでなく、演奏者としてゴアで過ごすのは初めてだったので、楽しかったです。
ゴアにいるうちに、今度は、モールチャン(口琴)の奏者の人に『アルバムをプロデュースしてほしい』と依頼されて、クラブミュージックにモールチャンをフィーチャーした曲を作ったり。
そんなこんなでゴアの滞在が伸びているうちにコロナが起こって、ロックダウンになってしまって。
最初はバウルのおじさんと、一緒に演奏していたシタールプレイヤーと、3人で住居をシェアして暮らしてたんですが、今は家を借りてパートナーと住んでいます。あと近所の犬と(笑)」 

このインタビューの最中、Norikoさんの部屋の中を我がもの顔でうろうろしている犬がいたので、てっきり飼い犬なのだと思っていたのだが、そうではなく勝手に入ってきた近所の犬だそうで、いかにもおおらかなゴアらしい暮らしをしているようだ。

ーゴアではどんな場所で演奏しているんですか?

NS「ライブミュージックの場合は、カフェとかレストランですね。あとバーとか。ゴアにはいわゆるライブハウスはあんまりないんです。
バウルのおじさんとシタールプレイヤーと一緒に住んでいたときは、めちゃくちゃギグがたくさんあったので、ひたすら演奏と練習、っていう暮らしをしていました。」

ーゴアと古典音楽のイメージがあんまり重ならないんですが、ゴアにも古典音楽の演奏をしている人はけっこういるんですか?(ゴアといえば、かつては欧米のヒッピー系ツーリストたちによるサイケデリック・トランスの一大拠点だった街であり、今でもダンスミュージックのイメージが強い)

NS「少ないけど少しはいますね。
あとKarsh Kale(インド系イギリス人のタブラ奏者/エレクトロニカ・ミュージシャンで、最近ではボリウッド音楽なども手がけている)もゴアに住んでますよ!
他にもゴアにスタジオを構えているプロデューサーは結構います」

ーその一緒に演奏していたというバウルの方は、どんな方なんでしょう?
じつは今、日本ではちょっとしたベンガル文化のブームが来てるんです。ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』がロングラン上映されていたり、川内有緒さんの『バウルを探して 完全版』が発売になったり、バウルという存在が気になっているという人も増えていると思います。あとベンガル料理のお店も増えてきています」

NS「えー!そうなんですか?日本帰らなきゃ(笑)
バウルの話はすごく面白いんですよ。大学で研究もしていたので、バウルについての記事を学術誌に書いたこともあるんです。
バウルのルーツは、実はラージャスターンにもあるんです。ラージャスターンからヨーロッパ方面に行った人たちがジプシーになり、東に行った人たちのなかには、現在のバウルになった人たちに合流した人もいたようです。
もちろん、バウルの起源はミステリアスで、スーフィー、ヒンドゥー、イスラームといったいろんな文化を取り入れて出来上がったのですが。
ダンスのフォームにはスーフィーの影響がありますね。
本来は定住しないで一生旅をしていないとバウルとは言えないってことになっているんですけど、今のバウルは家を持ったり、結婚したり、外国人の彼女作ったり(笑)、いろんな人がいます。
私の友人は、ウエストベンガル出身なんですけど、祖先はアクバル帝の時代にラージャスターンからベンガルに移住してきたそうです。
彼もバウルなのでいろんなところを旅していて、若いときにはデリーでパフォーマンスをする機会が多かったようで、デリーにパトロンがいるみたいです。
彼とはデリーで音楽家の友達のつながりで知り合いました。
バウルは彼らが旅をしてゆく中で作り上げられていったカルチャーなので、バウルの家に生まれなくても、彼らのコミュニティーに入ってバウルになることはできます。
そうやっていろんなカルチャーを吸収してバウルという存在ができています。
楽器も、ラージャスターンのマンガニヤールのひとたちが使うものとベンガルのバウルが使うものは、名前は違うんですけどほぼ一緒だったりして、すごく面白いです」 

バウルの起源は不明だが、15世紀にベンガル語の文献に初めて登場するとされている。
バウルはカーストや血縁に基づく存在ではないため、ラージャスターンから来た人々がそこに内包されている可能性もあるのだ。南アジア文化の流動性や多様性を考えるうえで、かなり興味深い話ではある

ーバウルというと、ベンガル地方で、近隣の村々を回ってマドゥコリ(ごく簡単に言うと、演奏と托鉢)をして生活しているというイメージでしたけど、今ではインドじゅうを回っているバウルもいるということですか?

「インドじゅうのフェスティバルやイベントに呼ばれているバウルもいます。そういう意味では、他のジャンルのミュージシャンと変わらないところもありますね」

バウルという存在は、本来はアーティスト/表現者であるというよりも、修行者/求道者であり、その歌は『俗世』を離れ真理を追求する生き方と不可分なものだ。
現代化が進む南アジア社会のなかで、こうした強烈な魅力を持つバウルの文化は、よりいっそう憧れられ、引用される対象にもなっている。
以前も紹介したように、インドでは多くのインディー・ミュージシャンがバウルとのコラボレーションを行っており、現代のカウンターカルチャーの中でも大きな存在感を放っている。


ーゴアは20年前に一度行ったことがあるだけなんですが、今のゴアはどんな感じですか?
当時は欧米人たちのトランス一色でした。Norikoさんはトランスからゴアに惹かれたわけではないんですよね。まあ、当時のトランスってかなり独特な音楽ではありましたが…(笑)。

NS「トランスは、それこそ学生の頃とか流行っていたんですけど、やっぱり独特な感じでしたよね。私はあんまりハマらなかったです。
アンジュナ・ビーチのあたりは今でもPsy-Tranceとか、テクノが多いです。
アランボール・ビーチのほうに行くと、多国籍なライブミュージックが多くなりますね。
ゴアにはロシア人とイスラエル人が多くて、彼らはトランスが好きだったり、中東系の人たちも多いんですが、彼らはウードとか自分たちの民族楽器を持ってきて演奏したりしています。
Goa Sunsplashというレゲエのフェスもあります。Reggae  Rajahsの人たちが主催していて、彼らはデリーのバンドですが、メンバーの一人はゴアを拠点に活動しているようです。ゴアはムンバイが近いから、ムンバイから来る人たちも多いです」



ー20年前は欧米のツーリストやアーティストがトランスのシーンを作っている印象でしたが、今ではインド人がシーンの中心になっているんですか?

NS「インド人が多いと思います。バンガロールやムンバイからゴアに移住して音楽活動している人も多いですし。外国人もいますけど、インド人のほうが多いですね。
外国人は冬のシーズンしか来ないし、今年の場合は、コロナの影響でもう外国人が来られないので、観光客はインド人ばっかりです。去年までは外国人の演奏者もけっこういたんですけど。
コロナの影響でEDM系フェスティバルのSunburnも中止になっちゃいましたね」

ゴアのシーンからバウルの起源まで、話は尽きないが、ここで、彼女が8月31日にリリースしたEP"Within the Time and Place"に話題を移そう。
冒頭で紹介した多彩すぎるサウンドや、不思議なミュージックビデオは、いったいどうやって作られたものなのだろうか。


EP "Within The Time and Place"の楽曲と背景

ーニューEPの"Within The Time and Place"の話を聞かせてください。収録曲のジャンルがすごくバラエティーに富んでいますよね。

NS「ムンバイ在住のダンサーの原田優子さんからお誘いを受けて、1ヶ月弱で全て作りました。もともと作っていた曲もありましたが、このEPについては、ディレクターのAshley Loboがぐいぐい引っ張ってくれたところもあります。
1曲目はCovidWarはもともと持っていた曲だったんですが、この激しい曲に合わせて、今の状況や葛藤を表したりしよう、ということで採用になりました」

"Within The Time and Place"は、日本とインドのアーティストがオンラインで舞台作品を作り、配信するというプロジェクト"WITHIN"のために作られた音楽作品だったものだという。
この作品は、ムンバイ在住のコンテンポラリーダンサー原田優子さんが国際交流基金ニューデリー日本文化センターに働きかけて制作されたものだ。
インドでは、コロナウイルス禍の急速な拡大によるロックダウンによって、全ての表現活動やエンターテインメントの灯が消えた。
このオンライン作品は、「今こそ、原始祈りであった『踊り』を通して表現をすべき時だ」という思いのもとに作られている。


NS「インドのロックダウンは3月25日から始まって、最初は週末だけの予定だったんですがどんどん伸びていきました。5月の初めごろに、ムンバイに住んでいるダンサーの原田優子さんから電話がかかってきたのですが、ムンバイのロックダウンは本当に外に出られないみたいで大変そうでした。
優子さんはムンバイのAshley Loboのダンスカンパニー(Danceworx)でずっとダンスを教えている方なんですが、彼女がAshleyとか国際交流基金に声をかけたり、Ashleyの弟子のプロデューサー(Shohini Dutta)を連れてきてくれたりして、このプロジェクトが始まりました。
もう一人のダンサーは、愛智伸江さん。
ダンサーの場合、ダンスできる場所がないと、本当にどうしようもない状況になってしまうと思うんですけど、それでも踊り続けるしかないんじゃないか、っていうのを二人で話し合っていたそうです。もともと二人ともバレエ留学していたり、広く活躍されている方々です」

ー収録曲について教えてください。もとからあった曲が多いのでしょうか。

NS「2曲目の"Those Days"はAshleyのアイディアですね。
彼はすごくアーティスティックな人で、私たちアーティストの個人的な部分をすごく大事にするんです。『君が人生で初めて触った楽器は何?』とか、『いちばん好きだった音楽は何?』とかそういう質問をされて、最初に触ったのはピアノで、ジャズも好きだし、クラシックも好きだし…って話をしていたら、『ドローイングのシーンに合わせて、速いテンポのジャズを作ったらどうかな』みたいなことを言われて。
私はずっとエレクトロニカとか電子音楽だったので、はじめてああいうタイプの曲を作りました。ピアノで曲を作ることになるとは思わなかったです(笑)

3曲目の"Summer Reminiscing"はブレイクビーツっぽい曲。
以前作った曲を聴かせたときに、チルアウトな雰囲気で上がりもせず下がりもせず、Zen (禅)な雰囲気の曲もいいね、っていう話になったんです。それだったらブレイクビーツの曲を作ろう、と思って、最初はBonoboをイメージして、そこから作った曲です。

4曲目の"Tensei Taal (Reincarnation)"は絶対タブラを演奏するシーンをやってくれ、と言われて作った曲です。
インドの古典楽器であるタブラをずっとやってきましたが、タブラのビートとかインドの古典音楽のビートって、輪廻のリズムと言われたりするんですよね。
どんなに最悪な状況でも、命は繰り返していくっていうことを思い浮かべて作りました。
『タール』('Taal'=インド古典音楽におけるリズムの概念)って、死と生がいっしょになっているというか、始まりと終わりが同じところに来るっていうのがインド音楽のいちばんの特徴だと思うんです。そんなイメージを持ちながら、すごく短時間で作りました。
このプロジェクトでやるんだったら、ハードなイメージで、シタール使って、タブラがメインになるシンプルな感じにしようと思って、ばーっと自分でタブラを叩いて、ほぼ一発取りで作ってます。
ちょっと電子音楽っぽいシンセとか少しだけ入れていますけど、ほとんどシタールとタブラとベルだけですね

最後の"Within the Time and Place"は、フィナーレで希望を感じさせる音がいいねっていうアイデアをもらって作りました。
最初はもう少し別のイメージで作ってたんですけど、もうちょっとオーガニックな響きがいいなあ、ということでああいう感じになりました」

ーオンライン舞台作品のための音源をリリースしたきっかけは?

NS「パートナーや周りの声を受けて、という形です。
ダンスプロジェクトにテクニカルディレクターとして関わったManuも、助言やインドの音楽シーンの人たちをつなげてくれるなど動いてくれました。彼はMidival Punditzのマネージャーでもあるんです。
自分でミックス、マスターしてリリースしたら、Rolling Stone Indiaや、新聞などのメディアから反響をいただけました」

ーこれからの活動について教えてください。
これまで、DJとしてレゲエをプレイしたり、クラブミュージックを作ったりという活動と、タブラ・プレイヤーとしての活動をしてきたわけですが、今後はそれぞれの分野で別々に活動してゆくのでしょうか?
それとも、電子音楽/ダンスミュージックとインド古典を融合したりすることもあるのでしょうか?

NS「コロナウイルス禍の状況ですが、シンガーとのデュオでのギグや、アートフェスティバルへの出演が決まっています。今作ってる曲のなかには、自分でタブラを叩いてる曲もありますよ。
ダンスミュージックのなかでタブラを使ったり、シタールとかサロードとか、タンプーラのドローン音を使ったりというのは、UKの音楽ではこれまでにわりとあるんですよね。そういった曲も、今後作ってゆくと思います。
リリースの予定としては、地元ゴアのクラブをスポンサーにして、レコード盤を出します。
次のシングルはちゃんとしたミュージックビデオも作って、YouTubeやその他プラットフォームよりリリースします!
他には、ボリウッドシンガーのプロデュースや、映画の音楽などもやってます。
あと、また別の話なのですが、日本の演歌って、インド古典のラーガの音階に沿った曲がめっちゃいっぱいあるんですよ」

ーえ!演歌ですか?僕もパンジャービーとか北インド音楽の節回しって、すごく演歌っぽいなあと思っていたんです。

NS「あれは演歌なんですよ。インドの(笑)。
ラーガ、つまりインドの古典音楽のスケール(音階)を考えると、インドから中央アジア、中国、韓国、日本といろいろな地域に流入しています。
例えば日本の声明はマントラがもとになっていますし、雅楽にもインドの音楽や舞いの影響があって、その時代から日本はかなりインド文化に影響を受けているんです。演歌というのも、いってしまえばセミ・クラシカルですよね。セミ・クラシカルである演歌の響きやスケールはインドのラーガに置き換えられるというのを、ずっと私も思っていて。
そういう意味では、ずっと好きだったレゲエもジャマイカの演歌ですからね、言ってみれば(笑)。
日本の演歌をエレクトロニカとインド古典でカバーしたプロジェクトをやろうと思っています」

ーそれ、めちゃくちゃ面白そうです。
それこそ、インドの演歌みたいなバングラーは、いろいろな新しい音楽と融合していますけど、日本の演歌は誰もやっていないじゃないですか。
誰かそういうことをやらないかなあ、と思っていたので、すごく楽しみです。

NS「曲がたまったらまとめて出そうと思っていて、今は美空ひばりの曲をエレクトロニカと私のタブラとオートチューンで面白いサウンドにしてゆくというアイデアを考えてます」

まさか、かねてから提唱していた「北インド音楽=演歌説」にこんなところから共感してくれる人が現れるとは。
しかも、彼女の頭の中には、かなり具体的なサウンドのビジョンがあるようだ。
これはなんとも楽しみだ。 


ー先日boxout fm(デリーのレゲエバンドReggae Rajahsのメンバーが運営しているオンライン放送局)から配信されたミックスを聴かせてもらったんですが、テクノ、ドラムンベース、レゲエとさまざまなジャンルをプレイしていますが、それでもどこか一貫性を感じるサウンドが印象的でした。
何か音響的な部分へのこだわりがあるのでしょうか?
インドの古典音楽も音の響きをすごく大事にするジャンルですよね。

NS「うーん…。こだわりですか。
昔はダブステップとかブレイクコアみたいな、ノイジーで低音が効いたうるさい感じの音が大好きだったんですが、現在はもっとファンクショナルな音楽がやりたいなあと思うようになりました。
何というか、踊れるし、チルできる、みたいな二面性というか…レゲエもそういう音楽だと思ってるんですけど、リスニングミュージックとしても良いし、フィジカルにも聴ける音楽でもあるし、そういうものに憧れがあります。インド古典もそうだと思います。よく聴いてみるとすごく複雑なことをしていたりもするけど、理論を知らない外国人が聴いても、ノルことができるし。
そういう音の二面性みたいなものに惹かれている部分があると思います」 


音楽遍歴からコルカタでの留学生活、日本とインドでの音楽活動やバウルの話題にもおよぶ、盛り沢山のインタビューだった。
それにしても、幼少期のピアノからクラブDJを経て、タブラにたどり着いた彼女の次なる目的地が、まさか「演歌」だとは思いもしなかった。
制作中のデモ音楽を聴かせてもらったのだが、エレクトロニカ風かつインド風に再構築された演歌も、タブラやバーンスリーを使ったドラムンベース風フュージョンも、いずれもインド的な要素と電子音楽が見事に融合した、完成が非常に楽しみなサウンドだった。
DJであり、電子音楽アーティストであり、そしてタブラ奏者でもあるという稀有な個性に、期待は募るばかりだ。


Noriko Shaktiホームページ


EP "Within the Time and Place"はこちらから


Noriko Shakti YouTubeチャンネルはこちらから


Boxout FMで披露したミックスの模様はこちらから!



参考サイト:







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2020年11月16日

『STRAIGHT OUTTA INDIA インドあの街この街ヒップホップの旅』御礼!


かねてから告知していた通り、11月8日と15日の2週にわたって、インド全土と隣国パキスタン、バングラデシュのヒップホップを紹介しまくるオンラインイベント『STRAIGHT OUTTA INDIA』を開催しました!
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ご視聴いただいた方、どうもありがとうございました!
2回とも大幅に時間をオーバーしてしまってすみませんでした…。
かなり曲もトークも削ったつもりだったんですが、やっぱり2時間にはおさまらなかったです。
「インド時間」という魔法の言葉に甘えてしまいました。

インド全土&パキスタン、バングラデシュという広範囲すぎるエリア設定はやはりかなり無謀だったようで、選曲から構成までなかなかに大変でしたが、主催者側としても、このイベントのためのdigの過程でこれまで気づかなかった地域の傾向が分かったり、新しいアーティストを見つけたり、発見の多いイベントでした。
濃すぎて大変だったかもしれませんが、みなさんもお楽しみいただけたなら何よりです。

イベント中にチャットやQ&Aでいただいたコメントを、ごくごく一部ですが紹介します!
盛り上げてくださったみなさん、ありがとうございました。

「ビッチと言われないヒップホップ!言わない背景が深い〜」
(これは、まだまだ女性の地位が高いとは言えないインド社会において、ヒップホップシーンに女性蔑視的な傾向がないことに対するコメントでした)

「ヒンディーと日本語のリズムが混ざって、すごくいい感じです hirokoさんibexさんかっこいい!」
(これはHirokoさんとIbexがコラボした"Mystic Jounetsu"に対するコメント)

「やっぱりマイノリティの数が恐ろしく多いインドならではの多様なラップの世界、とても楽しかったです。ありがとうございました!」
(そうなんです。ラップという表現手段が、これまで声を上げられなかったマイノリティの表現手段になっているという部分に、いつも希望を感じています)

「パキスタンのHIPHOP、とっても興味深いですね。」
「ちゃいろさん、パキスタンのラップ紹介よかったです~丁寧に紹介してくださってありがとう♪」
(パキスタン編、大好評でした!各アーティストの音のかっこよさや文化的な背景はもとより、国同士が敵対するインドのアーティストとのコラボレーションにはうるっと来た方も多かったようです。)

「 おっしゃれー!」「ほんと、センス良くておしゃれな感じ。」
(コルカタのCizzy、大評判)

「これだけ幅広くご紹介いただいてありがとうございます、ほんとうに楽しかったです」
(そう言っていただけるとがんばった甲斐があります!)

「インドに対する愛が強まりました」
(このコメントは主催者冥利に尽きます!)

「とっても楽しかったです。音楽の癒しの力とかエンパワーメント感じました。これから周りにすすめまくります。」
(こんなに面白い南アジア音楽の世界、もっとファンが増えてくれたらうれしいです!)

みなさん本当にありがとうございました。

ご覧の通り、やってる我々も楽しいイベントになりました!
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(サングラスをかけて何をしているところかは視聴した方だけのお楽しみ。IbexとHirokoさん、失笑?)

兼ねてからお伝えしていた通り、ネタが濃すぎる&多すぎるので、ダイジェストをここに書くことは控えますが、プレイリストを共有させていただきます。

ガリーラップ初期の名曲、Naezyが録音からミュージックビデオ撮影まで全てiPadで制作した"Aafat!"から始まる「南・西編」のYouTubeプレイリストはこちらから!


Spotifyのプレイリストはこちらです。


どちらも、最終選考まで残ったものの、時間の都合で泣く泣くカットした曲も入っています。
また、Spotifyのほうは、残念ながら登録されていなかった曲は入っていません。
いずれも、ムンバイ→プネー→バンガロール→タミル→テルグー→ケーララ→最後に再びムンバイという順番です。

そしてこちらは北・東編!



こちらも時間の都合上紹介できなかった曲が入っていたり、Spotifyにない曲が抜けていたりするのは同じです。
(かっこいいコルカタ編がほとんどSpotifyに入ってないんだよなあ…)
デリーをレペゼンするSun Jから始まり、
デリー&パンジャーブ→チャンディーガル→ラージャスターン→カシミール→パキスタン→ジャールカンド→ビハール→コルカタ→バングラデシュ→オディシャ→北東部→そして全国のラッパーの共演
という順番です。


トークでの背景説明やウンチクがない状態で聴くとどんな印象になるのかちょっと分からないけど、未参加の方もぜひお楽しみください!

終わったばかりですが、また別の切り口でインドの音楽紹介イベントやりたいなー。

最後に、今回、Team Straight Outta Indiaとして一緒に企画&運営した最高のメンバー、Hirokoさん、ちゃいろさん、そしてゲスト出演してくれたIbexに心からのShoutoutを!
ありがとう&またやりましょう!


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goshimasayama18 at 23:26|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

2020年11月13日

DIVINEはどこに行く? 方向性を模索するインド・ヒップホップシーンの兄貴


このブログのごく初期に特集した、ムンバイの、いやインドのヒップホップシーンを代表するラッパー、DIVINE.
 

彼は、インド発のストリートヒップホップである「ガリーラップ」を代表するアーティストであり(そもそも「路地」を表すヒンディー語の'Gully'を最初にヒップホップの文脈で使い始めたのが彼だ)、ボリウッド初のヒップホップ映画として大ヒットした『ガリーボーイ』に登場するMC Sherのモデルにもなったラッパーだ。




映画『ガリーボーイ』の成功や、ヒップホップ市場の急拡大によって、彼はインドの音楽シーンでは珍しい、非映画音楽出身のスターとなった。
アンダーグラウンド出身の彼が、映画音楽中心のインドの音楽シーンでスターになったきっかけが、結局のところボリウッド映画だったというのは皮肉なことだが。

さらに、DIVINEは昨年立ち上げられた、'Mass Appeal India'(あのNasが手掛けるMass Appealレーベルのインド部門)の看板アーティストとして、Universal Musicを通じて世界に向けて発信されることになるという。
まあ、実際にはヒンディー語のラップを聴くのは、自分のような一部の好事家を除けば、海外在住のインド人リスナーくらいだろうから、さすがにこれはインド国内向けの宣伝文句だと思うが、少し前まではインドでも知る人ぞ知るアンダーグラウンドラッパーだった彼の評価と名声は、これまでになく高まっているのだ。

ところが、その彼がここ最近立て続けにリリースした新曲を聴くと、どうやら彼はここに来て、新たな方向性を模索しているようなのである。
(というか、率直に言うと、とっ散らかってるっていうか、迷走している…とも思える)

 
9月23日にリリースされたのが、この"Punya Paap".
タイトルはヒンディー語で『善行と罪』といった意味である。
このミュージックビデオを見た時の衝撃は大きかった。
インドではマイノリティーであるクリスチャンの彼が、その信仰を前面に出し(つまり、大衆受けよりも真摯な表現を選んだということだ)、自身の内面を鬼気迫るラップで吐き出す姿からは、インドのヒップホップ界の帝王にふさわしい貫禄と気迫がびんびん伝わってきた。
リリックの中身はというと、これまでの生き方を振り返り、自分の失敗を望む人々(英訳で'Your song are cheap-sounding'というリリックもあるから、誰かラッパーだろう)に対して、自分は死ぬまでナンバーワンであり続ける、神以外に恐れるものはない、と宣言するというもの。
内省的なリリックと誰だか分からない相手へのdisが少々ミスマッチだが、それでもこの凄まじい緊張感は並大抵のラッパーに出せるものではない。
ビートを手掛けたのはジャマイカのプロデューサーiLL Wayno.
さすがDIVINE、本気で世界規模の作品を作る気なんだな、と感心したものだった。


ところが、続いて10月16日にリリースされた彼の次の曲"Mirchi"を聴いて、思いっきりずっこけた。
"Mirchi"は唐辛子という意味だが、それはさておき、このパーティーラップ、いったいどうしてしまったのか。
DIVINEはYo Yo Honey Singhみたいなコマーシャルラッパーになりたいのだろうか。
コワモテな見た目と無骨なフロウが曲の世界観にあまり合っていないし、タイトルの連呼から始まるフックもどこか野暮ったい。
ガリー(ストリート)ではかっこよく見えていたハードコアな要素が、このラテンっぽい陽気なサウンドと全くマッチしていないのである。
カラフルな衣装も似合っていないし。


…とはいっても、評価やコメント欄を見る限り、インドのファンたちにはかなり好評なようだから、日本からケチをつけるのは野暮ってものなのだが、それにしたって、一応「世界を目指す」ことになっているラッパーが、これはないだろう、というのが正直な感想だ。

まあ、ストリート上がりのハードコアラッパーが、成り上がりの夢を叶えた瞬間に、成金丸出しの曲をリリースして微妙な感じになってしまうというのはインドに限らず、たまにあることだけど。
(ところで、YouTubeのコメント欄、"Punya Paap"はヒンディー語のコメントが多く、Mirchiは英語のコメントが多いのはなぜだろう…)

続いて11月6日にリリースされたのが、この"Mirchi".
 
タイトルの"Mera Bhai"はマイブラザーといった意味。
今度はミュージックビデオがアニメになった。
コロナウイルスの影響だと思うが、最近はインドでもアニメのミュージックビデオが増えている。
前作の"Mirchi"とはうってかわって、"Punya Paap"同様に自分の半生を振り返るという路線の曲である。
迫力あるラップはあいかわらず素晴らしいが、ここ数年のヒップホップのトレンドを追うかのようなオートチューンを使ったフックや3連のフロウが、ちょっと若作りしているように聴こえなくもない。

リリックは、兄弟同様に苦楽を分かち合い、ヒップホップシーンで成り上がってきた仲間(Naezyのことか?)との絆と裏切りについてラップしているように受け取れる。
"Punya Paap"同様に、結局のところ、自分のブラザーとして信用できるのは自分だけ、という結末のようだ。
これも、「ナイーヴさの肯定」というヒップホップの世界的なトレンドを意識しているのかもしれない、と言ったらうがった見方だろうか。

この曲も内面的な要素とdisっぽい要素が共存しているわけだが、"Punya Paap"からあまり間を置かずに似たテーマの曲をリリースしたことで、女々しさが目立ってしまったような印象だ。
しかも間に妙なパーティーラップを挟んでいるので、なんというか、分裂気味の人のような感じになってしまった。
迷走するDIVINE、どこへ行く。

DIVINEが"Yeh Mera Bombay"や"Voice of Street"でデビューしたのが2013年。
Naezyとの"Mere Gully Mein"が2015年だ。 
この2015年頃から、アンダーグラウンドのシーンは急速に活性化し、2019年の『ガリーボーイ』 で一気に注目を浴びるようになった。
2015年当時は、90年代のアメリカのサウンドの模倣やインド独自のガリーラップが多かったインドのヒップホップシーンは、ここ5年ほどの間に、ヒップホップの30年の歴史を凝縮したかのような急激な進化を遂げた。
先日のオンラインイベント"STRAIGHT OUTTA INDIA"でも紹介した通り、プネーのMC STANのような新世代も台頭してきている。


こうしたシーンの大変動に対して、ガリーラップのオリジネイターにしてシーンのベテランであるDIVINEが焦りを感じていることは、想像に難くない。
インドに限らず、シーンで新しいサウンドが主流となったときに、ベテランアーティストが「俺だってそれくらいできるんだぜ」と言わんばかりに挑戦して、ちょっと微妙な感じ(似合わなかったり、必死すぎたり)になってしまうというのは、ジャンルや洋の東西を問わずよくあることだ。
DIVINEも今、その苦悩の真っ只中にいるのだろう。
これまでの「タフでワイルドなガリーの兄貴」のイメージから脱却し、コマーシャルなパーティーラップや内省的な世界観など、新しい方向性を模索しているというわけだ。

よほどのことがない限り、DIVINEがシーンの中でリスペクトを失うことは無いはずだが、できればシーンの趨勢に一喜一憂する姿はあんまり見たくない。
果たして今後の彼のサウンドはいったいどうなってゆくのだろうか。
今聴いてもオールドスクールなヒップホップがかっこいいのと同じように、彼のガリーラップは時代の変化で簡単に色あせてしまうものではないと思っているのだが。


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goshimasayama18 at 22:49|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

2020年11月09日

ウィスパーボイスのシンセポップ、"Samurai". 歌うのはベンガルの古典音楽一家出身のエリートシンガー!



以前も書いたとおり、インドの音楽シーンをチェックしていると、日本語のタイトルがつけられた曲に出会うことがたびたびある。
 
マンガ、アニメ、ゲームといった日本のサブカルチャーの人気はインドでも高く、現地のアーティストにもファンが多いためだ。

先日も、インドのアーティストが歌う"Samurai"(侍!)というタイトルの曲を見つけて聴いてみたところ、これがまた素晴らしかった。
ウィスパーヴォイスの女性ヴォーカルが歌う80年代風のシンセポップに、当時の日本のアニメ風のミュージックビデオがばっちりハマっている。

この絵柄、この色づかい、このメカデザイン。
最近はインドでもこうした80年代的レトロフューチャーを取り入れるアーティストが目につくが(例えばDreamhour)、ここまで徹底した世界観を作り上げている例は珍しい。
しかも彼女の場合、ヴェイパーウェイヴ的に過去の作品を再編集するのではなく、楽曲もビデオも全てゼロから手がけているというのが凄い。

Sayantika曰く、サイバーパンク的ディストピア世界で活躍する女性たちは、いずれも彼女の分身で、この曲は、コロナウイルスによるロックダウンのもとで直面した創作上の困難と、そこから脱したプロセスを表現したものだという。
そのことを踏まえて見れば、単に80年代のテイストを再現しているだけではなく、明確なコンセプトとストーリーがあることがお分かりいただけるだろう。
このまったくインドらしからぬセンスの持ち主である彼女が、なんとコルカタの古典音楽一家の出身だと知って、さらに驚いた。

曾祖父と母親は古典音楽家、父はハーモニカ奏者という音楽一家に育ったSayantikaは、すでに10歳から作曲を始めていたという。
「音楽を始めるのは必然だったのよ」と語る彼女が影響を受けたのは、古典音楽ではなくThe Beatles, Coldplay, Radiohead, Gorillasといった現代の欧米のミュージシャンたちだった。

しかも、彼女の才能は音楽だけではなかったようだ。
理工系の世界的名門として知られるインド工科大学ムンバイ校(IIT Bombay)に進学し、地質学を学んだというから、彼女は相当なエリートでもあるのだ。
誰もが羨むエリートコースに進んだものの、Sayantikaは大学でのフェスティバルやムンバイの音楽シーンに刺激を受け、幼い頃から親しんだ音楽の道に進むことを決意した。
大学卒業後もムンバイに留まって音楽活動を続け、2019年にデビューEP "Yesterday
Forever"をリリース。
"Samurai"同様に80年代風のシンセサウンドを基調にしたこのアルバムは、純粋にポップミュージックとして素晴らしく、とくにメロディーセンスの高さは特筆に値する。

なかでも美しいのがこの"Extraordinary Love"だ。

さまざまな愛の形を描いたミュージックビデオが印象的なこの曲は、Sayantikaからボーイフレンドへのバースデープレゼントとして作られたものだという。
「ありふれた世界の、ありえないほどの愛。あなたの恋人でいられることは本当に特別なこと、あなたはとても特別な人だから」
というストレートなラブソングで、こんな素敵な歌でそんなこと言われる彼氏は幸せものだよな…、としみじみ。


ムンバイを拠点に音楽活動を続けている彼女だが、生まれ育ったベンガル地方のルーツを決して忘れてしまったわけではない。
今年6月にリリースされたこの2枚目のシングル"Aami Banglar"は、ベンガリー語による故郷の文化や自然や人々の讃歌だ。

ベンガル語のやさしい響き、伝統楽器をふんだんに使ったアレンジなど、とても現代的なシンセポップのアーティストとは思えない素朴な曲だが、それだけに彼女のメロディーの良さが際立っている。

歌詞では、
「ベンガルこそ私の魂の居場所、これは私のバウル・ソング
 モンスーンの赤土の大地の匂いがする
 もし『あなたの心が永遠に止まる場所はどこ?』と聞かれたら
 私の答えは『ベンガルよ。いつも』」

と、率直に故郷への愛情が綴られている。
他にも、海やヒマラヤ、女神ドゥルガー、大詩人タゴール、ポウシュ・メラ(バウルなどの伝統音楽家が集うタゴールゆかりの地シャンティニケトンの祭)など、ベンガルらしいモチーフがこれでもかというほど詰め込まれた曲だ。
最後にはバウルのシンガー、Shenker Dasが登場し、バウルらしい深みのある歌声を聴かせてくれている。

(「バウル」はインド領のウエストベンガルにも、ベンガル地方の東側にあたるバングラデシュにも存在している漂泊の修行者にして歌い人。社会の枠から外れた存在である彼らは、とても一言では言い表せない存在だが、このあたりの記事に多少詳しく書いています)




いくつかのウェブサイトの記事によると、彼女の音楽の重要なテーマは、「ノスタルジア」であるようだ。
80年代的シンセポップと、伝統楽器を使ったベンガル賛歌。
この2つは全く異質のもののように感じられるが、彼女にとっては、同じノスタルジアという意識でつながっているものなのだろう。
実際、ポップでモダンな"Samurai"にも、マハーラーシュトラ州(こちらはインド東部のベンガルとは遠く離れたムンバイがある西インドの地方)の楽器Sambalの音色が使われているという。

大都市コルカタで育った20代の彼女にとっては、80年代の人工的なカルチャーも、故郷ベンガルの赤土の大地も、実際の体験に基づいた記憶というよりも、イメージの上でのノスタルジアなのかもしれない。
それでも、現代を生きるベンガル女性のルーツとして、タゴールやバウルとSFアニメが共存しているというのはなんともユニークでクールだ。

この類まれなセンスの持ち主にもかかわらず、デビューEP"Yesterday Forever"のSpotifyでの再生回数はまだ1000回未満。
彼女はもっともっと評価されるべきアーティストだ。

同じくコルカタ出身で、海外のレーベルと契約しているParekh & Singhのように、今後の活躍と、インド国内にとどまらない人気を期待したい。



(インドのヴェイパーウェイヴ的懐古趣味については、この記事に書いています)




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