2020年08月
2020年08月26日
『懐かしい』『旅』『認識』『生きがい』『物語』… インドで生まれた日本語タイトルの楽曲たち!
インドの音楽シーンを見ていると、日本語のタイトルを冠した曲を目にすることがたまにある。
アニメやマンガに代表される日本のサブカルチャーは、インドでも刺激的な新しい文化に敏感な都市部の若者を中心に人気があり、サブカルチャー経由で日本に興味を持つアーティストも多い…ということが、この現象の理由のようだ。
それだけでも日本人としてうれしいが、さらにうれしいことに、日本語タイトルの曲は、音的にも興味深い作品が多いので、今回、まとめて紹介してみます。
まず最初に紹介するのは、以前に特集したこともあるニューデリーのオーガニック・ソウルシンガーSanjeeta Bhattacharyaの"Natsukashii".
考えてみれば、「懐かしい」にあたる言葉って外国語にないのかもしれない。
Nostargicとも少し違うし…。
日本語が使われているというだけではなく、曲ポップで歌っているSanjeetaもとてもチャーミングなので、日本でももっと聴かれてほしい1曲だ。
彼女はアメリカの名門バークリー音楽大学の出身。
スペイン語の歌を歌っていたりもするので、おそらくバークリーで世界中の様々な言語やカルチャーに触れ、「懐かしい」という言葉をタイトルにつけるに至ったのだろう。
曲名だけではなく、アーティスト名に日本語を採用しているアーティストもいる。
ジブリ作品など日本のカルチャーの影響を大きく受けているデリーのエレクトロニカ・アーティスト'Komorebi'ことTarana Marwahだ。
先日リリースした、他のアーティストによる彼女の作品のリミックス集のタイトルは"Ninshiki"(認識)。
彼女のFacebookによると、「'Ninshiki'は日本語で'In Dreams'という意味」と語っていて「うーん、ちょっと違う」と言いたいところだが、他人によって解釈された作品を『認識』と名付けるのは間違っていないし、なかなか良いセンスだと思う。
ここでは、"Ninshiki"に収録された"Rebirth(Psychonaut Remix)"と、原曲(アニメになったKomorebiがインドと東京を行ったり来たりするミュージックビデオが面白い!)を両方紹介してみたい。
日本語の名前を持ったアーティストといえば、前回も紹介したムンバイのアンビエント/エレクトロニカアーティストRiatsuも、漫画/アニメの" Bleech"に出てくる霊的エネルギー「霊圧」から名前も取っている。
先日の記事でも触れた"Kumo"(蜘蛛)は朝露に輝く蜘蛛の巣のきらめきを思わせる美しい曲。
彼は"Tabi"(旅)という曲をリリースしたこともある。
新型コロナウイルスによるロックダウン中に発表された"Tabi"は、25分におよぶ、内的宇宙への旅とも言える静かな大曲だ。
バンガロールのジャズ/ヒップホップバンドFakeer and the Arcが今年5月にリリースしたアルバムのタイトルは、"Ikigai".
ちょうどこの記事を書いているときに、「インドのヨガ講師がIkigaiという言葉を使っていた」というツイートを読んだばかり。
'Ikigai'という言葉は、スペイン出身で日本在住の作家Hector Garciaによるベストセラーのタイトルになっており、インドの書店にも平積みされていて、インド制作のNetflix作品『マスカ 夢と幸せの味』(原題"Maska")でも使われているという。(ちなみにHector Garciaは"Ichigo Ichie"という著書も書いている。)
「生きがい」はグローバルな言葉になりつつあるようだ。
コルカタのテクノユニットHybrid Protokolによる"Tetsuo"は、『アキラ』のキャラクターではなく、塚本晋也監督による「日本最初のサイバーパンク映画」である『鉄男』(Tetsuo the Iron Man)から取られたものだという。
コルカタは古くはアジア初のノーベル賞受賞者である詩人のタゴールや映画監督のサタジット・レイらを輩出した文化の薫り高い都市だが、現代のテクノアーティストが1989年の日本のカルト映画にまで行き着くとは思わなかった。
どこか90年代テクノの影響を感じさせるサウンドが、映画の世界観にも合致しているように感じられる。
インド北東部のアコースティック・ポップバンドLai Lik Leiによる"Eshei"は、曲名こそ日本語では無いが、"Iriguchi"という映画のテーマ曲として作られている。
マニプル州は、無謀な進軍で多大な犠牲者を出した旧日本軍のインパール作戦の戦場となった土地だ。
この曲に日本語のタイトルが採用されている理由は、こうした悲劇的な歴史によるものかもしれないが、モンゴロイド系の民族が暮らすインド北東部では、ナガランド州で日本のアニメのコスプレがブームになるなど、東アジアのカルチャーへの親和性が高い土地でもある。
民族的にも宗教的にもインドのマジョリティーとは異なる北東部の人々にとって(インド北東部はクリスチャンが多い)、日本や韓国のカルチャーは、ボリウッドなどのインドの現代文化よりも身近に感じられるのかもしれない。
ムンバイのビートメーカーKaran Kanchanは、NaezyやDIVINEなど、インドを代表するラッパーたちのトラックを制作するかたわら、ソロ作品では日本文化の影響を大きく取り入れた'J-Trap'なるジャンルの楽曲を多く発表している。
(このJ-Trapというジャンルは、日本発祥ではなく、このKaran Kanchanが提唱しているものだ)
6月に発表した最新作"Monogatari"では、日本の三味線奏者の寂空(Jack)とのコラボレーションにより、よりユニークな世界観を表現している。
じつは、このコラボレーションのきっかけになったのは、私、不肖軽刈田。
以前インタビューしたことがあるKaran Kanchanから「三味線奏者を紹介してほしい」という相談を受け、SNSで声をかけたところ、世界ツアーの経験もある寂空が応えてくれたのだ。
今作では寂空はナレーションのみの参加だが、今後、三味線でのコラボレーションも計画されているそうで、期待は高まるばかりだ。
インドと日本のコラボレーションとしては、以前このブログでも大々的に紹介したムンバイ在住のダンサー/シンガーのHirokoさんと現地のラッパーIbex, ビートメーカーKushmirによる『ミスティック情熱』も記憶に新しい。
Hirokoさんも現地のミュージシャンとの新しいコラボレーションの計画が進行中だそうで、今後、日印共作による面白い作品がどんどん増えてゆくのかもしれない。
と、ざっと日本語のタイトルを持つ曲や、日本との関わりのある曲を紹介した。
面白いのは、「懐かしい」や「生きがい」といった、日本独特の心のあり方をタイトルに採用した曲が多いということ。
かつて、ヨガやインド哲学に代表されるインドの精神文化は、西洋的な消費文化に対するカウンターカルチャーとして、欧米の若者たちに大きな影響を与えた。
また、インドは仏教のルーツとして、日本文化の源流となった国でもある。
それが今日では、欧米的な生活をするようになったインド都市部の若者たちが、日本の文化をその作品に引用しているというわけで、この現象は、世界的なカウンターカルチャーや精神文化の動向という意味でも、なかなか興味深いものがある。
今後も、極東アジアと南アジアの文化の影響のもとで、どんな素晴らしい作品が生まれてくるのか、興味は尽きない。
また何か面白い作品を見つけたら紹介したいと思います!
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2020年08月22日
インディアン・アンビエント/エレクトロニカの深淵に迫る!
インドにはアンビエント/エレクトロニカ系のアーティストがかなり多く存在している。
それも、都会的な洒落たセンスよりも、深遠かつ瞑想的なサウンドを追求している、いかにもインド的なアーティストがじつに多いのである。
あらかじめ正直に言っておくと、私はアンビエントやエレクトロニカには全く詳しくない。
インドといえば古典音楽が有名だが、(またしても詳しくないジャンルを印象で語ることになってしまうが)インドの古典音楽は、声楽にしろ器楽にしろ「全宇宙を内包するような深みがある一音を出すこと」を非常に重視しているように感じられる。
もしかしたら、インド人には、ジャンルに関係なく、深みのある音を追求することが運命づけられているのではないか。
インドのアンビエント/エレクトロニカの独特の音世界には、音楽に楽しさや心地よさ以上のものを込めようとする彼らの哲学が込められているのかもしれない。
今回紹介したアーティストに限らず、インドにはさらに様々なタイプのアンビエント/エレクトロニカ系のアーティストがいる。
もっと聴いてみたければ、手始めにデリーのQilla RecordsやムンバイのJwalaレーベルあたりからチェックしてみると良いだろう。
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それも、都会的な洒落たセンスよりも、深遠かつ瞑想的なサウンドを追求している、いかにもインド的なアーティストがじつに多いのである。
あらかじめ正直に言っておくと、私はアンビエントやエレクトロニカには全く詳しくない。
だから、ひょっとしたらこれから書くことは、インドに限らない世界的な傾向なのかもしれないし、どこか別の国にこのムーブメントのきっかけとなったアーティストがいるのかもしれない。
(もしそうだったらこっそり教えてください)
さらに、インドというとなにかと深遠とか哲学的とか混沌とか言いたくなってしまうという、よくあるステレオタイプの罠にはまっているのかもしれないが、それでもやっぱりインド特有の何かがある気がして、この記事を書いている。
インドといえば古典音楽が有名だが、(またしても詳しくないジャンルを印象で語ることになってしまうが)インドの古典音楽は、声楽にしろ器楽にしろ「全宇宙を内包するような深みがある一音を出すこと」を非常に重視しているように感じられる。
インド音楽には和音(コード)の概念が無いとされているが、その分、一音の響きと深みに、比喩でなく演奏者の全人生を捧げているような、そんな印象受けることがあるのだ。
もしかしたら、インド人には、ジャンルに関係なく、深みのある音を追求することが運命づけられているのではないか。
インドのアンビエント/エレクトロニカを聴いていると、そんな考えすら浮かんでくる。
そんないかにもインド的な電子音楽を、ここでは仮にインディアン・アンビエント/エレクトロニカと呼ぶことにする。
そんないかにもインド的な電子音楽を、ここでは仮にインディアン・アンビエント/エレクトロニカと呼ぶことにする。
典型的なインディアン・アンビエント/エレクトロニカは、寺院の中で反響するシンギングボウルのような、倍音豊かな音色が鳴り続けているということ、そして、あくまでも柔らかなビートと、ときに生楽器を混じえたオーガニックな音や、古典楽器やマントラの詠唱のようなインド的な音響が混じることを特徴としている。
(「それ、普通のアンビエントじゃん」という気もするが、ひとまず先に進めます)
YouTubeの再生回数を見る限り、インディアン・アンビエント/エレクトロニカで最も有名なアーティストは、このAeon Wavesだろう。
彼らの楽曲は、この"Into The Lights"をはじめとする数曲が、世界中のアンビエント・ミュージックを紹介しているyoutubeの'Ambient'チャンネルで紹介されており、いずれも再生回数は10万回を超えている。
この"Voices"では民族音楽風のパーカッションとマントラのようなサウンドを導入して、エスニックかつスピリチュアルな雰囲気を醸し出している。
Aeon Wavesは北西部グジャラート州のアーメダーバード出身のKanishk Budhoriによるソロプロジェクト。
アーメダーバードといえば、ポストロックバンドのAswekeepsearchingを輩出した都市だが、なにか音響へのこだわりを育む土壌があるのだろうか。
このPurva Ashadha and Feugoも、いかにもインディアン・アンビエント/エレクトロニカらしいサウンドを聴かせてくれる。
ビートレスのまま長く引っ張ってゆくサウンドは思索の海を漂っているような瞑想的な響きがある。
Purva Ashadhaはアッサム州出身で現在はムンバイを拠点として活動しており、Feugoはクリシュナ寺院の門前町として知られベジタリアン料理で名高いウドゥピ出身でバンガロール育ち。
決して中心部の大都市出身ではないアーティストが多いのもこのシーンの特徴と言えるだろうか。
この二人のユニットには、のちにFlex Machinaという名前がつけられたようだ。
よりダンス・ミュージック的なアプローチをすることもあるが(例えばこの動画の5分半頃〜)、そのサウンドは、あくまでも、深く、柔らかい。
RiatsuはムンバイのメタルバンドPangeaの元キーボーディストという異色の経歴のアンビエント・アーティスト。
不思議なアーティスト名の由来を聞いたところ、日本の漫画/アニメの"Bleech"に出てくる精神的パワー「霊圧」から名前を取ったという。
この曲のタイトルの"Kumo"は日本語で、雲でなく「蜘蛛」。
朝露にきらめく蜘蛛の巣の美しさを思わせるトラックだ。
最近ではアメリカのエクスペリメンタル・トランペッターJoshua Trinidadとのコラボレーションにも取り組んでいる。
ムンバイのThree Oscillatorsも、金属的だが柔らかい反響音が印象的な心地よいトラックを作っている。
彼は今年1月のDaisuke Tanabeのインドツアーのムンバイ公演にも地元のアーティストとしてラインナップされていた。
バンガロールのEashwar Subramanianは、アンビエントというよりも、ニューエイジ/ヒーリングミュージックと言ってもよさそうな優しい音像を作り出すミュージシャンだ。
Shillong Passでは、チベタン・ベルを使って瞑想的なサウンドを作り出している。
同じくバンガロールのAerate Soundはヒップホップカルチャーの影響を受けたビートメーカーだが、そのサウンドはアンビエント的な心地よさに溢れている。
バンガロールはインドのポストロックの中心地でもあり、音響的な魅力のある多くのミュージシャンが拠点としている都市で、アンビエント/エレクトロニカ系のアーティストも多い。
地元言語カンナダ語のかなりワイルドな印象のヒップホップシーンもあるようだが、Aerate SoundはSmokey The Ghostらのよりチルホップ的傾向の強いラッパーとの共演を主戦場としている。
こちらもバンガロールの男女2人組、Sulk Stationは、トリップホップ的なサウンドに古典音楽的なヴォーカルを導入して、インドならではのチルアウト・ミュージックを作り上げている。
彼らはインドで盛んな古典音楽とのフュージョン・ミュージックとして語ることもできそうだ。
先日リリースした"Perpetuate"で、日常にサイケデリアを融合した素晴らしいミュージックビデオをリリースしたOAFFも、インド古典音楽を取り入れた"Lonely Heart"でインド古典声楽を導入している。
OAFFはムンバイを拠点に活動するKabeer Kathpaliaによるエレクトロニック・ポップ・プロジェクトだ。
こちらもムンバイから。
Hedrunの"Chirp"は自然の中にいるかのような心地よさを感じることができるサウンド。
HedrunはPalash Kothariによるエレクトロニカ・プロジェクトで、彼は私のお気に入りでもあるムンバイのアンビエント/エレクトロニカ系レーベル'Jwala'の共同設立者のうちの一人でもある。
ゴア出身のテクノ・アーティストVinayak^Aも、インド声楽を導入したトラックをリリースしている。
トランスの聖地ゴア出身の彼は、早い時期からにテクノ/トランス触れていたようで、この "Losing Myself"のリリースは2011年。
インド系のクラブミュージックとしては2000年ごろに出現したデリーのMidival PunditzやUKエイジアンのTalvin Singh, Karsh Kaleらに続く第二世代にあたる。
彼はSitar MetalのRishabh SeenやTalvin Singh(タブラで参加)と共演して本格的に電子音楽とインド古典音楽の融合に取り組むなど、意欲的な活動をしている。
OAFFやVinayak^Aのサウンドは、前述のインディアン・アンビエント/エレクトロニカの定義には当てはまらないかもしれないが、いずれも欧米のミュージシャンがエスニック・アンビエントやトランスに導入してきたインド的な要素を、インド人の手によって逆輸入した好例と言えるだろう。
最後に紹介するのはデリーのアンビエント・レーベルQilla Recordsを主宰するKohra(このアーティスト名はウルドゥー語で「霧」を意味しているとのこと)。
7月にリリースしたニューアルバム"Akhõ"は、17世紀のグジャラート州の神秘詩人/哲学者の名前から名付けたものだ。
YouTubeの再生回数を見る限り、インディアン・アンビエント/エレクトロニカで最も有名なアーティストは、このAeon Wavesだろう。
彼らの楽曲は、この"Into The Lights"をはじめとする数曲が、世界中のアンビエント・ミュージックを紹介しているyoutubeの'Ambient'チャンネルで紹介されており、いずれも再生回数は10万回を超えている。
この"Voices"では民族音楽風のパーカッションとマントラのようなサウンドを導入して、エスニックかつスピリチュアルな雰囲気を醸し出している。
Aeon Wavesは北西部グジャラート州のアーメダーバード出身のKanishk Budhoriによるソロプロジェクト。
アーメダーバードといえば、ポストロックバンドのAswekeepsearchingを輩出した都市だが、なにか音響へのこだわりを育む土壌があるのだろうか。
このPurva Ashadha and Feugoも、いかにもインディアン・アンビエント/エレクトロニカらしいサウンドを聴かせてくれる。
ビートレスのまま長く引っ張ってゆくサウンドは思索の海を漂っているような瞑想的な響きがある。
Purva Ashadhaはアッサム州出身で現在はムンバイを拠点として活動しており、Feugoはクリシュナ寺院の門前町として知られベジタリアン料理で名高いウドゥピ出身でバンガロール育ち。
決して中心部の大都市出身ではないアーティストが多いのもこのシーンの特徴と言えるだろうか。
この二人のユニットには、のちにFlex Machinaという名前がつけられたようだ。
よりダンス・ミュージック的なアプローチをすることもあるが(例えばこの動画の5分半頃〜)、そのサウンドは、あくまでも、深く、柔らかい。
RiatsuはムンバイのメタルバンドPangeaの元キーボーディストという異色の経歴のアンビエント・アーティスト。
不思議なアーティスト名の由来を聞いたところ、日本の漫画/アニメの"Bleech"に出てくる精神的パワー「霊圧」から名前を取ったという。
この曲のタイトルの"Kumo"は日本語で、雲でなく「蜘蛛」。
朝露にきらめく蜘蛛の巣の美しさを思わせるトラックだ。
最近ではアメリカのエクスペリメンタル・トランペッターJoshua Trinidadとのコラボレーションにも取り組んでいる。
ムンバイのThree Oscillatorsも、金属的だが柔らかい反響音が印象的な心地よいトラックを作っている。
彼は今年1月のDaisuke Tanabeのインドツアーのムンバイ公演にも地元のアーティストとしてラインナップされていた。
バンガロールのEashwar Subramanianは、アンビエントというよりも、ニューエイジ/ヒーリングミュージックと言ってもよさそうな優しい音像を作り出すミュージシャンだ。
Shillong Passでは、チベタン・ベルを使って瞑想的なサウンドを作り出している。
同じくバンガロールのAerate Soundはヒップホップカルチャーの影響を受けたビートメーカーだが、そのサウンドはアンビエント的な心地よさに溢れている。
バンガロールはインドのポストロックの中心地でもあり、音響的な魅力のある多くのミュージシャンが拠点としている都市で、アンビエント/エレクトロニカ系のアーティストも多い。
地元言語カンナダ語のかなりワイルドな印象のヒップホップシーンもあるようだが、Aerate SoundはSmokey The Ghostらのよりチルホップ的傾向の強いラッパーとの共演を主戦場としている。
こちらもバンガロールの男女2人組、Sulk Stationは、トリップホップ的なサウンドに古典音楽的なヴォーカルを導入して、インドならではのチルアウト・ミュージックを作り上げている。
彼らはインドで盛んな古典音楽とのフュージョン・ミュージックとして語ることもできそうだ。
先日リリースした"Perpetuate"で、日常にサイケデリアを融合した素晴らしいミュージックビデオをリリースしたOAFFも、インド古典音楽を取り入れた"Lonely Heart"でインド古典声楽を導入している。
OAFFはムンバイを拠点に活動するKabeer Kathpaliaによるエレクトロニック・ポップ・プロジェクトだ。
こちらもムンバイから。
Hedrunの"Chirp"は自然の中にいるかのような心地よさを感じることができるサウンド。
HedrunはPalash Kothariによるエレクトロニカ・プロジェクトで、彼は私のお気に入りでもあるムンバイのアンビエント/エレクトロニカ系レーベル'Jwala'の共同設立者のうちの一人でもある。
ゴア出身のテクノ・アーティストVinayak^Aも、インド声楽を導入したトラックをリリースしている。
トランスの聖地ゴア出身の彼は、早い時期からにテクノ/トランス触れていたようで、この "Losing Myself"のリリースは2011年。
インド系のクラブミュージックとしては2000年ごろに出現したデリーのMidival PunditzやUKエイジアンのTalvin Singh, Karsh Kaleらに続く第二世代にあたる。
彼はSitar MetalのRishabh SeenやTalvin Singh(タブラで参加)と共演して本格的に電子音楽とインド古典音楽の融合に取り組むなど、意欲的な活動をしている。
OAFFやVinayak^Aのサウンドは、前述のインディアン・アンビエント/エレクトロニカの定義には当てはまらないかもしれないが、いずれも欧米のミュージシャンがエスニック・アンビエントやトランスに導入してきたインド的な要素を、インド人の手によって逆輸入した好例と言えるだろう。
最後に紹介するのはデリーのアンビエント・レーベルQilla Recordsを主宰するKohra(このアーティスト名はウルドゥー語で「霧」を意味しているとのこと)。
7月にリリースしたニューアルバム"Akhõ"は、17世紀のグジャラート州の神秘詩人/哲学者の名前から名付けたものだ。
彼はこの詩人からの影響をアルバムに込めたという。
彼がRolling Stone Indiaに語ったインタビューの内容がまた面白い。
なんと彼は、2年前から始めた瞑想の影響で、クラブミュージックから出発したアーティストなのに、「パーティーは完全にやめてしまった」そうだ。
「鍛錬や瞑想を始めから、パーティーみたいなことは完全にやめてしまったんだ。たとえ自分のライブをやっていて、他の人たちがパーティーをしていてもね。おかげで、完全に違う心境にたどり着くことができたよ。自分が作っているような音楽に合った状態でいたかったしね。」
(出典:https://rollingstoneindia.com/kohra-new-album-akho/)
彼がRolling Stone Indiaに語ったインタビューの内容がまた面白い。
なんと彼は、2年前から始めた瞑想の影響で、クラブミュージックから出発したアーティストなのに、「パーティーは完全にやめてしまった」そうだ。
「鍛錬や瞑想を始めから、パーティーみたいなことは完全にやめてしまったんだ。たとえ自分のライブをやっていて、他の人たちがパーティーをしていてもね。おかげで、完全に違う心境にたどり着くことができたよ。自分が作っているような音楽に合った状態でいたかったしね。」
(出典:https://rollingstoneindia.com/kohra-new-album-akho/)
瞑想によってクラブ・ミュージックを追い越してしまった彼が、これからどんな音楽を作ってゆくのか、興味は尽きない。
インドのアンビエント/エレクトロニカの独特の音世界には、音楽に楽しさや心地よさ以上のものを込めようとする彼らの哲学が込められているのかもしれない。
今回紹介したアーティストに限らず、インドにはさらに様々なタイプのアンビエント/エレクトロニカ系のアーティストがいる。
もっと聴いてみたければ、手始めにデリーのQilla RecordsやムンバイのJwalaレーベルあたりからチェックしてみると良いだろう。
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2020年08月17日
ヒンディー・ロックの代表格 The Local Trainの映画風ミュージックビデオ
「ヒンディー・ロック」というジャンルがある。
とくに難しい定義があるわけではなく、「ヒンディー語で歌われているロック」というだけのことである。
インドでは、一般的に英語よりもローカル言語で歌われている曲のほうが人気が高い(YouTubeやサブスクの再生回数が多い)。
英語の上手い人材が多い印象の強いインドだが、英会話ができる人の割合は20%、そのなかで「英会話が流暢にできる」という人の割合はたったの4%だけだという調査結果がある。
(出典:「インドで英語が話せる人は人口の何割?」 https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20150801-00048077/ 大卒者では8割以上が「流暢に話せる」もしくは「少し話せる」と答えているから、当然ながら社会階層によってもその割合は大きく異なる)
映画『ヒンディー・ミディアム』で描かれていたように、英語は給料の良い職に就き、上流階級として扱われるための必須条件として扱われているが、国全体として見ると、まだまだ自在に話せる人は少ないのだ。
というわけで、インドにも、洋楽的な世界観を志向し、国際的な成功を目指して英語で歌うミュージシャンは多いけれど、インドの一般的なリスナーにとっては、やはり生まれ育ったときから話しているローカル言語のほうが馴染みやすいという傾向がある。
この状況は、日本の音楽シーンとも似ていると言えるかもしれない。
インドの音楽シーンと言語をめぐる状況をもう少し詳しく見てみよう。
「インドには20を超える公用語がある」と言われているが、インドの言語の中で、もっとも話者数/理解者数が多いのは、インド北部と中部の広い地域で話されているヒンディー語だ。
じつは、連邦政府の公用語として定められているのは、このヒンディー語と英語のみであり、タミル語やベンガル語などの言語は州レベルでの公用語(連邦政府は「指定言語」としている)に過ぎない。
ヒンディー語を公用語としない州でも、ボリウッド映画やテレビ番組などによってヒンディー語に親しんでいる人々は多く、つまり、ヒンディー語で音楽や映画を作れば、それだけ大きな市場にアピールできるのだ。
YouTubeを見る限り、同じようなタイプ/クオリティーの音楽でも、ヒンディー語で歌われている場合、英語を含む他の言語よりも数倍からひと桁くらい再生回数が多いという印象を受ける。
(ただしこれはインディー音楽に限る。映画音楽に関しては、ヒットした映画の曲であれば、言語を問わずさらに2桁くらい高い再生回数を叩き出している)
実際、英語やヒンディー以外の言語で歌うインドのインディーミュージシャンからは、ヒンディー語の曲ばかり聴かれている現状を嘆く声を聞くことも多い。
前置きが長くなったが、こうしたインドで最大の市場を持つヒンディー語のロックを代表する存在が、The Local Trainだ。
彼らは2008年に北インドのチャンディーガル出身のメンバーらによって結成され、その後デリーを拠点に活動を続けている。
垢抜けない印象のあったヒンディー・ロックに、洋楽的なメロディーとアレンジを導入し、その洗練された音楽性で高い人気を集めている。
インド最大言語の人気バンドということで予算も豊富なのか、彼らは凝った映画風のミュージックビデオを作ることでも知られており、2017年にリリースした"Khudi"では、Uber Eatsのようなバイクでの出前を仕事にしている青年が自由を求めて旅に出るまでの過程を鮮やかに描いている。
王道のポップ・ロック・サウンドに、クオリティーの高い映像による誰もが共感できるストーリー。
600万回以上という、インドのインディーバンドにしてはかなり多い再生回数を叩き出している理由が分かるだろう。
旅は彼らにとって大事なテーマなのか、この"Dil Mere"はヒマラヤ山脈の麓の町マナリ(Manali)を舞台にしたロードムービー風に撮影されている。
空撮を多用した美しい自然と、現地の人々の素朴な佇まいが清々しい印象を残すこの映像は、撮影に8日間、編集に30日間をかけたものだという。
このミュージックビデオのYouTubeでの再生回数は1,200万回以上!
彼らの人気の程がお分かりいただけるだろう。
現時点での最新アルバムは2018年にリリースされた"Vaaqif".
その収録曲"Gustaakh"のミュージックビデオは、なんと特撮SF風のコマ撮り作品だ。
日本の怪獣映画(のハリウッドリメイク?)の影響も感じられる作風が面白い。
彼らは、影響を受けたバンドにNirvana, Aerosmith, U2, Alt-J, The 1975を挙げている。
まったく音楽的な共通点のない顔ぶれだが、いずれも商業的に大きな成功を収めたバンドなので、王道のロックを奏でる彼ららしい好みとも言えるだろう。
(ちなみに国内のアーティストでは、Indian OceanとLucky Aliを挙げている)
メンバーの中にはロスアンジェルスの名門音楽学校MIの出身者(ギタリストのParas Thakur)も在籍しており、英語で歌っても良さそうな彼らだが、ヒンディー語で歌う理由をインタビューでこう答えている。
「僕らは90年代に育ったから、インドにロックやポップスが紹介される前の音楽を聴いていた。だから、僕らのルーツも、考え方も、心の中で自問自答するときも、いまだにヒンディー語なんだ。それに加えて、ウルドゥー語(ヒンディーと共通点の多いパキスタンなどの公用語)の詩も僕らの一部になっていて、ずっと楽しんできた。だから、ヒンディー語の音楽を通して自分たちのことを表現するって言うことは、ぼくらにとってすごく自然で、詩的なことでもあるんだ」
(https://travelandleisureindia.in/the-local-train-interview/)
彼らが表現したい世界観は、自分たちのルーツでもあるヒンディー/ウルドゥーでないと表現できないということなのだろう。
The Local Trainは、デリーでの大学祭や各地のフェスでのライブで人気を獲得し、2015年にはゼンハイザーによって「インドNo.1若手バンド」にも選ばれるなど、音楽業界での評価も高い。
つねに新しくて刺激的な音楽を探している映画業界が彼らのことを放っておくはずもなく、実際、彼らの"Aaoge Tum Labhi"は2015年のボリウッド映画"Angry Indian Goddeses"にも採用されている。
これは映画のために作曲したものではなく、彼らが以前に作っていた曲が映画に採用されたという経緯だったようだ。
(そのため、よくあるボリウッド・ソングのように、映画のシーンがミュージックビデオに使われていない。ちなみにこの曲の再生回数も1,000万回を超えている)
ご存知の通り、インドでは音楽シーンの主流は今でも映画音楽だが、彼らはボリウッドについて、どう考えているのだろうか。
「結局のところ、ボリウッドだろうとインディーだろうと、いい曲はいいし、ダメな曲はダメだよね。僕らは雇われて女優のダンスシーンのために曲を変えたりするミュージシャンにはなりたくない。僕らはインディーアーティストとして、自分たちが作りたいものだけを作りたいんだ。僕らの音楽をそのまま求めてくれるんだったら、誰であろうとうれしいよ」
「"Angry Indian Goddeses"で使われた曲も、アルバムでリリースされた通りだった。ディスコ調にしたり、ビートを変えたりはしなかった。インディーバンドにとっては大切なことさ」
自分たちの曲がそのままの形で使われるのであれば構わないが、映画のために魂を売ろうとは思わない。
とくに難しい定義があるわけではなく、「ヒンディー語で歌われているロック」というだけのことである。
インドでは、一般的に英語よりもローカル言語で歌われている曲のほうが人気が高い(YouTubeやサブスクの再生回数が多い)。
英語の上手い人材が多い印象の強いインドだが、英会話ができる人の割合は20%、そのなかで「英会話が流暢にできる」という人の割合はたったの4%だけだという調査結果がある。
(出典:「インドで英語が話せる人は人口の何割?」 https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20150801-00048077/ 大卒者では8割以上が「流暢に話せる」もしくは「少し話せる」と答えているから、当然ながら社会階層によってもその割合は大きく異なる)
映画『ヒンディー・ミディアム』で描かれていたように、英語は給料の良い職に就き、上流階級として扱われるための必須条件として扱われているが、国全体として見ると、まだまだ自在に話せる人は少ないのだ。
というわけで、インドにも、洋楽的な世界観を志向し、国際的な成功を目指して英語で歌うミュージシャンは多いけれど、インドの一般的なリスナーにとっては、やはり生まれ育ったときから話しているローカル言語のほうが馴染みやすいという傾向がある。
この状況は、日本の音楽シーンとも似ていると言えるかもしれない。
インドの音楽シーンと言語をめぐる状況をもう少し詳しく見てみよう。
「インドには20を超える公用語がある」と言われているが、インドの言語の中で、もっとも話者数/理解者数が多いのは、インド北部と中部の広い地域で話されているヒンディー語だ。
じつは、連邦政府の公用語として定められているのは、このヒンディー語と英語のみであり、タミル語やベンガル語などの言語は州レベルでの公用語(連邦政府は「指定言語」としている)に過ぎない。
ヒンディー語を公用語としない州でも、ボリウッド映画やテレビ番組などによってヒンディー語に親しんでいる人々は多く、つまり、ヒンディー語で音楽や映画を作れば、それだけ大きな市場にアピールできるのだ。
YouTubeを見る限り、同じようなタイプ/クオリティーの音楽でも、ヒンディー語で歌われている場合、英語を含む他の言語よりも数倍からひと桁くらい再生回数が多いという印象を受ける。
(ただしこれはインディー音楽に限る。映画音楽に関しては、ヒットした映画の曲であれば、言語を問わずさらに2桁くらい高い再生回数を叩き出している)
実際、英語やヒンディー以外の言語で歌うインドのインディーミュージシャンからは、ヒンディー語の曲ばかり聴かれている現状を嘆く声を聞くことも多い。
前置きが長くなったが、こうしたインドで最大の市場を持つヒンディー語のロックを代表する存在が、The Local Trainだ。
彼らは2008年に北インドのチャンディーガル出身のメンバーらによって結成され、その後デリーを拠点に活動を続けている。
垢抜けない印象のあったヒンディー・ロックに、洋楽的なメロディーとアレンジを導入し、その洗練された音楽性で高い人気を集めている。
インド最大言語の人気バンドということで予算も豊富なのか、彼らは凝った映画風のミュージックビデオを作ることでも知られており、2017年にリリースした"Khudi"では、Uber Eatsのようなバイクでの出前を仕事にしている青年が自由を求めて旅に出るまでの過程を鮮やかに描いている。
王道のポップ・ロック・サウンドに、クオリティーの高い映像による誰もが共感できるストーリー。
600万回以上という、インドのインディーバンドにしてはかなり多い再生回数を叩き出している理由が分かるだろう。
旅は彼らにとって大事なテーマなのか、この"Dil Mere"はヒマラヤ山脈の麓の町マナリ(Manali)を舞台にしたロードムービー風に撮影されている。
空撮を多用した美しい自然と、現地の人々の素朴な佇まいが清々しい印象を残すこの映像は、撮影に8日間、編集に30日間をかけたものだという。
このミュージックビデオのYouTubeでの再生回数は1,200万回以上!
彼らの人気の程がお分かりいただけるだろう。
現時点での最新アルバムは2018年にリリースされた"Vaaqif".
その収録曲"Gustaakh"のミュージックビデオは、なんと特撮SF風のコマ撮り作品だ。
日本の怪獣映画(のハリウッドリメイク?)の影響も感じられる作風が面白い。
彼らは、影響を受けたバンドにNirvana, Aerosmith, U2, Alt-J, The 1975を挙げている。
まったく音楽的な共通点のない顔ぶれだが、いずれも商業的に大きな成功を収めたバンドなので、王道のロックを奏でる彼ららしい好みとも言えるだろう。
(ちなみに国内のアーティストでは、Indian OceanとLucky Aliを挙げている)
メンバーの中にはロスアンジェルスの名門音楽学校MIの出身者(ギタリストのParas Thakur)も在籍しており、英語で歌っても良さそうな彼らだが、ヒンディー語で歌う理由をインタビューでこう答えている。
「僕らは90年代に育ったから、インドにロックやポップスが紹介される前の音楽を聴いていた。だから、僕らのルーツも、考え方も、心の中で自問自答するときも、いまだにヒンディー語なんだ。それに加えて、ウルドゥー語(ヒンディーと共通点の多いパキスタンなどの公用語)の詩も僕らの一部になっていて、ずっと楽しんできた。だから、ヒンディー語の音楽を通して自分たちのことを表現するって言うことは、ぼくらにとってすごく自然で、詩的なことでもあるんだ」
(https://travelandleisureindia.in/the-local-train-interview/)
彼らが表現したい世界観は、自分たちのルーツでもあるヒンディー/ウルドゥーでないと表現できないということなのだろう。
The Local Trainは、デリーでの大学祭や各地のフェスでのライブで人気を獲得し、2015年にはゼンハイザーによって「インドNo.1若手バンド」にも選ばれるなど、音楽業界での評価も高い。
つねに新しくて刺激的な音楽を探している映画業界が彼らのことを放っておくはずもなく、実際、彼らの"Aaoge Tum Labhi"は2015年のボリウッド映画"Angry Indian Goddeses"にも採用されている。
これは映画のために作曲したものではなく、彼らが以前に作っていた曲が映画に採用されたという経緯だったようだ。
(そのため、よくあるボリウッド・ソングのように、映画のシーンがミュージックビデオに使われていない。ちなみにこの曲の再生回数も1,000万回を超えている)
ご存知の通り、インドでは音楽シーンの主流は今でも映画音楽だが、彼らはボリウッドについて、どう考えているのだろうか。
「結局のところ、ボリウッドだろうとインディーだろうと、いい曲はいいし、ダメな曲はダメだよね。僕らは雇われて女優のダンスシーンのために曲を変えたりするミュージシャンにはなりたくない。僕らはインディーアーティストとして、自分たちが作りたいものだけを作りたいんだ。僕らの音楽をそのまま求めてくれるんだったら、誰であろうとうれしいよ」
「"Angry Indian Goddeses"で使われた曲も、アルバムでリリースされた通りだった。ディスコ調にしたり、ビートを変えたりはしなかった。インディーバンドにとっては大切なことさ」
自分たちの曲がそのままの形で使われるのであれば構わないが、映画のために魂を売ろうとは思わない。
人気バンドとなった今も、彼らはインディーアーティストとしての矜持を保っているようだ。
インドのインディー・ロックの、そしてヒンディー・ロックの代表的なバンドであるThe Local Trainが、今後どのような活躍をしてゆくのか、興味が尽きない。
参考サイト:
http://www.pritishaborthakur.com/2016/03/19/in-conversation-with-the-local-train/
https://themanipaljournal.com/2017/02/20/being-indie-and-hindi-the-local-train-interview/
https://travelandleisureindia.in/the-local-train-interview/
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2020年08月14日
『カセットテープ・ダイアリーズ』(原題"Blinded by The Light")は今見るべき作品
グリンダ・チャーダ(Gurinder Chadha)監督、ヴィヴェイク・カルラ(Viveik Kalra)主演の映画、『カセットテープ・ダイアリーズ(原題"Blinded by The Light")』を見に行った。(以下、人名・役名の表記は劇中とパンフレットのものを使う)
この映画は、1980年代のイギリス、ルートンの街を舞台に、パキスタン系移民2世の若者ジャベド(Javed)が、郊外の労働者階級の疎外感、親子の対立、移民への差別などに向き合いながら、ブルース・スプリングスティーンの音楽との出会いにより大きく成長してゆく姿を描いたもの。
英ガーディアン紙のジャーナリスト、サルフラズ・マンスール(Sarfraz Manzoor)の自伝がもとになっており、昨年のサンダンス映画祭で絶賛された作品という触れ込みだ。
7月3日の公開からすでに1ヶ月以上が経ち、映画の内容も、こう言ってはなんだがあまり日本で受けそうなものではないため、案の定というか劇場はかなり空いていた。
7月3日の公開からすでに1ヶ月以上が経ち、映画の内容も、こう言ってはなんだがあまり日本で受けそうなものではないため、案の定というか劇場はかなり空いていた。
コロナウイルスが気になる人も是非見に行ってみてはいかがでしょう。
原題の"Blinded By The Light"はスプリングスティーンのファースト・アルバムの1曲目のタイトル。
不思議な邦題は、ジャベドが10歳からずっと日記に詩を書いていたということと、大学で出会った同郷の友人(インドとパキスタンにまたがるパンジャーブにルーツを持つシク教徒)ループスに借りたカセットテープでスプリングスティーンを知ったということから付けられたものだろう。
劇中にはスプリングスティーン以外にも当時の音楽がふんだんに登場するから、「カセットテープ」という言葉にノスタルジーを感じる80年代の洋楽ファンが見れば、ファッションなども含めてかなり楽しめるはずだ。
とはいっても、これは単なる懐古趣味の作品ではない。
劇中にはスプリングスティーン以外にも当時の音楽がふんだんに登場するから、「カセットテープ」という言葉にノスタルジーを感じる80年代の洋楽ファンが見れば、ファッションなども含めてかなり楽しめるはずだ。
とはいっても、これは単なる懐古趣味の作品ではない。
この映画が扱っているテーマは、極めて現代的かつ普遍的で、娯楽作品としてもよくできているので、スプリングスティーンにもイギリスの南アジア系移民にも80年代カルチャーにも興味がない人でも、全く問題なく楽しめる。
私もスプリングスティーンの音楽は代表曲くらいしか知らなかったのだが、この映画を通して、彼が一貫して労働者階級や焦燥感を抱える郊外の人間を代表してきたということがよく理解できた(映画で見た限りの印象なので、違ったらごめんなさい)。
映画前半のテーマは、郊外の保守的な社会に生まれた主人公の焦燥感だ。
この「保守的」にはふたつの意味がある。
私もスプリングスティーンの音楽は代表曲くらいしか知らなかったのだが、この映画を通して、彼が一貫して労働者階級や焦燥感を抱える郊外の人間を代表してきたということがよく理解できた(映画で見た限りの印象なので、違ったらごめんなさい)。
映画前半のテーマは、郊外の保守的な社会に生まれた主人公の焦燥感だ。
この「保守的」にはふたつの意味がある。
ひとつめはパキスタンからの移民であるジャベドの父親が、家父長制度に基づいた伝統的な価値観を強く持っており、自由に夢を見ることすらできないということ(つまり、移民家庭のなかの保守性)。
そしてふたつめは、彼らの周辺に、移民排斥の動きが描かれているということだ(英国社会の保守性)。
後者については、サッチャー首相の新自由主義政策によって階級間の分断が強まり、労働者層の不満が移民たちに向けられたことが背景となっている。
面白みのない郊外の街で、将来に希望を持てずに暮らす無力感や焦燥感が強く描かれるこの映画の前半を見ながら、最近読んだこの記事のことがずっと頭に浮かんでいた。
この文章は長崎県の高校生の山辺鈴さんが書いたもの。
(この記事には出てこないが、彼女はインドのマハーラーシュトラ州のナーシクという中規模都市に1年間留学しており、その間にスラムの子ども達が主役になるファッションショーを企画・実行するなど、とても意欲的な活動をしている。なんて書くと、冷笑的に「意識高い系」と呼ばれるような人をイメージするかもしれないが、身の回りから世界まで、ここまで相対化して考えられる/書ける人は世代を問わず本当に希有だと思う。ぜひ読んでみてください。)
主人公は、この記事にあるような「見えない分断」の疎外された側にいる。
何が言いたいのかというと、この映画のテーマは、場所も時代も問わず、とても普遍的なものだということだ。
面白みのない郊外の街で、将来に希望を持てずに暮らす無力感や焦燥感が強く描かれるこの映画の前半を見ながら、最近読んだこの記事のことがずっと頭に浮かんでいた。
この文章は長崎県の高校生の山辺鈴さんが書いたもの。
(この記事には出てこないが、彼女はインドのマハーラーシュトラ州のナーシクという中規模都市に1年間留学しており、その間にスラムの子ども達が主役になるファッションショーを企画・実行するなど、とても意欲的な活動をしている。なんて書くと、冷笑的に「意識高い系」と呼ばれるような人をイメージするかもしれないが、身の回りから世界まで、ここまで相対化して考えられる/書ける人は世代を問わず本当に希有だと思う。ぜひ読んでみてください。)
主人公は、この記事にあるような「見えない分断」の疎外された側にいる。
何が言いたいのかというと、この映画のテーマは、場所も時代も問わず、とても普遍的なものだということだ。
現代イギリスのブレグジットと関連付けて見ることもできる作品だが、都市と地方の格差、疎外される移民たち、新自由主義的な価値観のもとで暴力的に右傾化する社会など、今日の日本とも共通したテーマが描かれている。
考えてみれば、「80年代イギリスのパキスタン系移民が、当時ですらすでに時代遅れだったブルース・スプリングスティーンの音楽で自己を確立する」という、あまりにも特殊なストーリーが高く評価されているという時点で、そこに普遍的な意味が無いわけがないのだ。
考えてみれば、「80年代イギリスのパキスタン系移民が、当時ですらすでに時代遅れだったブルース・スプリングスティーンの音楽で自己を確立する」という、あまりにも特殊なストーリーが高く評価されているという時点で、そこに普遍的な意味が無いわけがないのだ。
ところで、ルートンという街は、長崎のような首都から遠く離れた土地だと思って見ていたのだが、実際はロンドンから50kmほどの「郊外」だという。
個人的な話になるが、これは自分が生まれた千葉の街と同じような首都との距離感で、都会ではないが田舎というほどでもない、これといった希望も刺激もないがm若者はとりあえず薄っぺらい流行を追っている、みたいな雰囲気は、そういえば思い当たるところがかなりあった。
後半は、古い価値観に生きる父親と、自分の夢に生きたいジャベドの確執と断絶という、インド映画の定番とも言えるテーマに焦点が当てられる。
この映画はイギリスで制作されたものだが、原作、監督はいずれも南アジア系だ。
このテーマは海外の南アジア系コミュニティーでも同様に大きな意味を持っているのだ。(グリンダ・チャーダ監督による『ベッカムに恋して(原題"Bend It Like Beckham")』でも同じテーマが扱われていた)
この映画にツッコミを入れるとしたら、恋愛、差別、夢、親子の確執などのあらゆる課題が全てスプリングスティーンで解決されてしまうということ。
いくらなんでもそれは無茶な話だと思ったが、原作者のマンズールはスプリングスティーンの熱狂的なファンで、実際に150回もライブを見に行って「最前列で盛り上がっている南アジア系のファン」として本人にも認識されるほどだというから、これは事実に基づいた描写なのだろう。
ちなみにチャーダ監督もディランやスプリングスティーンのファンだという。
イギリスやアメリカの音楽が南アジアの若者たちの希望になるというストーリーは、最近では映画『ガリーボーイ』でも描かれていたし、古くは60年代のインドの一部の若者たちにも起きていたことだ。
それだけ普遍的なテーマであり、またポピュラーミュージックの本質的な部分を描いているということなのだろう。
イギリスやアメリカの音楽が南アジアの若者たちの希望になるというストーリーは、最近では映画『ガリーボーイ』でも描かれていたし、古くは60年代のインドの一部の若者たちにも起きていたことだ。
それだけ普遍的なテーマであり、またポピュラーミュージックの本質的な部分を描いているということなのだろう。
音楽に励まされるというテーマの南アジア系作品では、インド東部とバングラデシュにまたがるベンガル地方の大詩人タゴールが約100年前に作った歌を扱ったドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』も記憶に新しい。
『カセットテープ・ダイアリーズ』は、南アジアカルチャー好きとしての見どころも盛り沢山だ。
主人公の友人ループスが、黒いターバンの下から柄付きの赤いバンダナ風の下地をチラ見せしている80年代風UKシク教徒ファッションも素敵だし、とあるシーンで描かれる黎明期のバングラー・ビート/エイジアン・アンダーグラウンドのクラブイベント(夜出掛けられない保守的な南アジア系の若者たちのために、昼間に行われている!)の様子も興味深い。
この記事(↑)で取り上げたさらに以前にあたる、80年代のUKエイジアン・カルチャーの様子はかなり新鮮だった。
クラブイベントのシーンで流れるこの曲は、まさに映画の舞台となった88年のヒット曲らしい。
イギリスに渡った南アジア系移民たちが、自身のルーツを大切にしつつも、欧米の音楽を導入した新しいサウンドを作り出し、やがてそれが本国インドにも還元されていったというのは、いつもこのブログで書いている通りだ。
インド映画へのオマージュのようなミュージカル・シーンもさまざまな場面で楽しめる(もちろんスプリングスティーンの曲で踊る)。
音楽の面では、スプリングスティーンをはじめとする80年代の曲が主役ともいえる映画だが、それ以外のオリジナル・スコアを手掛けているのはあのA.R.ラフマーン。
とはいえ、今回は主役をスプリングスティーンに譲り、裏方的な役割に徹している。
個人的には、成功を求めて祖国を捨てて渡英したものの、差別や偏見を恐れて、伝統を守りつつも目立たないように生きる父親の姿に、謎のインド人占い師ヨギ・シンのコミュニティー(かなり早い時期にイギリスに渡った保守的なシク教徒のグループ)を思い出した。
ちなみにグリンダ・チャーダ監督も、ケニア出身のシク教徒なので、この記事(↑)のなかにある「南アジアからアフリカに渡り、さらにそこからイギリスに渡った移民」にあたる(かつてイギリス領だったアフリカ諸国には、労働者として多くの南アジア出身者が渡航していた)。
と、かなり微妙な時期ではありますが映画『カセットテープ・ダイアリーズ』を紹介させていただきました。
さっきも書いたけど、映画館はかなり空いているはずなので、興味のある人は往復の感染対策を万全にしたうえで、見に行くべし。
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とはいえ、今回は主役をスプリングスティーンに譲り、裏方的な役割に徹している。
個人的には、成功を求めて祖国を捨てて渡英したものの、差別や偏見を恐れて、伝統を守りつつも目立たないように生きる父親の姿に、謎のインド人占い師ヨギ・シンのコミュニティー(かなり早い時期にイギリスに渡った保守的なシク教徒のグループ)を思い出した。
ちなみにグリンダ・チャーダ監督も、ケニア出身のシク教徒なので、この記事(↑)のなかにある「南アジアからアフリカに渡り、さらにそこからイギリスに渡った移民」にあたる(かつてイギリス領だったアフリカ諸国には、労働者として多くの南アジア出身者が渡航していた)。
と、かなり微妙な時期ではありますが映画『カセットテープ・ダイアリーズ』を紹介させていただきました。
さっきも書いたけど、映画館はかなり空いているはずなので、興味のある人は往復の感染対策を万全にしたうえで、見に行くべし。
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2020年08月08日
歴史的名著!『食べ歩くインド』by小林真樹

アジアハンター代表、小林真樹さんの『食べ歩くインド』(旅行人)。
この本が間違いなく面白いだろうということは分かっていたのだが、インドの音楽シーンについて読むべき本が溜まっていたので、秋頃にいろいろ落ち着いてから買おうと思っていた。
ところが、書店でついうっかり実物を見つけてしまい、手にとって、ぱらぱらとページをめくってみたら、もう駄目だった。
自分はけっしてインドのスペシャリストではないけれど、インドに興味を持ってかれこれ20年。
いつしか、インドに関する本を読むとき、未知のことを知るというよりも、どこか「確認する」みたいになっている自分がいた。
ちょっと調子に乗っていたのかもしれない。
何なんだこの本は。
もう、全く知らないことしか書かれていない。
しかも、それがいちいち面白くて、興味(と食欲)をそそる…。
気がついたら、『北・東編』『南・西編』の二冊を持ってレジに並んでいた。
というわけで、今手元には、読み終わったばかりの2冊がある。
この2冊については、SNS上で、旅好き、南アジア好き、南アジア料理好きのみなさんが、的を射た言葉で絶賛しつつ紹介しているのをたくさん読んでいたので、料理についてはズブの素人の自分は、けっして評したりするまい、と固く心に決めていたのだが、あまりの面白さに、気がついたら、こうしてブログに書いてしまっている。
恐るべきは、私の忍耐力の無さではなく、この本の持つ魔力だ。
南インド料理をはじめとする南アジアの料理は、静かな、しかし熱狂的なブームになっていると言われて久しく、びっくりするほど詳しい人がたくさんいるが、この本ははっきりいって怪物だ。
『北』編の「ガルワール料理」「バスタル地方の部族食」、『南』編の「ラヤシラーマ料理」「オーナムのサッディヤ料理」「ウドゥピ料理」とか、まったく聞いたことのない料理が次から次へと出てくる。
パキスタン、バングラデシュ、ネパールといった周辺諸国の料理はもちろん、南アジアのなかでも独特の文化を持つ、インド北東部の「アッサム料理」「ナガ料理」「マニプリ料理」「カシ(メーガーラヤ)料理」までカバーしており、守備範囲の広さと深さでは全く類を見ない奇書だ。
内容は耳慣れない言葉の連続なのだが、はっきりいってそんなことはどうでもいいくらい、この本は面白い。
今まで誰も記していない、ローカルの文化のなかだけに生きている面白いものを追い求める小林さんの情熱がびんびん伝わってくるからだ。
「北インド/ガルワール料理」から一例を挙げると、例えばこんな文章だ。
他のインドの諸地域同様、ガルワールでも豆は最もポピュラーな食材の一つ。主な料理は、バット(黒豆)を使った汁物料理のバット・キ・カチュロニ、ローストしたウラッド豆の豆粥料理であるチェースー、ベスンのガッテー(団子)を具にしたガッテー・キ・サブジーなど。ガハットダール(ホースグラム)もガルワール全体で一般的で、特にこのガハットの豆粥ペーストと野菜を使ったファーヌー(スープ状の煮込み料理)、また冬の間に保存食料として、ペーストにしたウラッド豆を団子にして日干ししたバリーや、同様にムーング豆の乾燥団子マンゴーリーなどがある。バリーもマンゴーリーも野菜汁に入れて食べる。
(一応言っておくと、耳慣れない単語についてはきちんと説明がされているし、巻末には五十音順の用語説明も付いている)
インド料理についての知識があれば、もちろん一層楽しめるのだろうが、私みたいな素人が読んでも、この笑っちゃうくらいに知らない言葉が出てくる文章は楽しくってしょうがない。
小林さんが書く圧倒的な未知の情報のなかに、自分の持つ限られた知識や経験と重なる部分が見つかると、また格別の喜びがある。
個人的に言えば、「コルカタに中華料理が多い理由はこんなことだったのか」とか、「菓子ロシュ・ゴッラ(ラス・グッラー)の地理的帰属をめぐる西ベンガル州とオディシャ州の法廷闘争なんてものがあったのか。そういえばラッパーのBig Dealが『ラス・グッラーはオディシャ生まれだぜ』ってラップしてたな」とか、「パールシー(ゾロアスター教徒)が炭酸飲料の製造をしてた話って、ロヒントン・ミストリーの小説に出てきたな」なんていう発見に、脳内で予想外のシナプスが繋がる快感があった。
小林さんの興味の対象は、食材や調理方法にとどまらず、年月が生み出した店や客の雰囲気、その土地の歴史や文化、民族の伝統や信仰にも及ぶ。
料理の表層的な味だけではなく、その味を生み出した地層のような背景を紐解いてゆく過程は知的興奮に満ちている。
読んでいると、小林さんのなかで、狂気にも似た好奇心が、静かに、しかし激しく燃えていることが、がんがん伝わってくる。
『食べ歩くインド』を読んで、辻調理師学校を設立した辻静雄の著作を思い出した。
フランスの食と食にまつわる文化に魅せられ、その歴史から最先端までをわかりやすく、かつ詳細に書き記した彼の著書は、日本におけるフランス料理の普及に多大な役割を果たした。
自分は西洋の料理にも全く疎いが、一時期、読み物としての面白さにはまって、彼の本を夢中になって読んでいた。
『食べ歩くインド』も、数十年後には、同じように「古典」としての評価が確立しているはずだ。
今後、日本で、いや、もしかしたら世界で、インドの食や料理について書くとき、『食べ歩くインド』以前と以後に時代が明確に二分されるのではないか、という気すらしている。
なんか興奮して気持ち悪いくらいに絶賛してしまっているが、そういう本だ、これは。
最後にもうひとつだけ。
あとがきに書かれていた「誤解を恐れずにいえば、インド食べ歩きは美味しさの追求が最優先事項ではありません」という文章に、思いっきりシビれた。
(じゃあ何が最優先なのかは、ぜひご自身で読んでみてください)
私は「古典音楽でも映画音楽でもないインド音楽」という、極めてニッチなテーマでブログを書いているが、同様に誤解を恐れずに言えば、そこに音楽としての完成度の高さを追求しているわけではない(何を音楽の完成度とするかは置いておいて)。
ポピュラーミュージックとしての完成度や新しさ、社会へのインパクトを最優先事項とするならば、他に書くべき音楽はいくらでもあるだろう。
それでも、現代ポピュラー音楽の直接的ルーツである欧米から地理的・文化的な距離があるうえに、様々な民族、言語、宗教、伝統、歴史、価値観がときにモザイクのように、ときに坩堝のように合わさったインドという磁場で生み出される新しい音楽(とその背景)に、言いようのない面白さを感じているのだ。
インドという汲めども汲めども決して面白さの尽きない泉のような国で、小林さんが料理文化を追求しているように、自分も音楽カルチャーをこれからも追求していこう、という思いを新たにした次第です。
『食べ歩くインド』を読んでいて思い出したミュージックビデオを2つほど貼りつけておきます。
オディシャ(オリッサ)州プリー出身の日印ハーフのラッパーBig Dealによる、世界初のオディア語ラップ"Mu Heli Odia" .
2:20頃から「奴らにラスグッラーはオディシャのものだと教えてやれ」というリリックが。
西ベンガル州とのラスグッラー訴訟の話を読んだあとだと、この「奴ら」っていうのは、インド人全般って意味じゃなくてベンガル人のことなのかな、なんて思ったりもする。
ジョードプルのヒップホップグループJ19 Squadが同郷のラッパーJagindar RVとSumsa Supariと共演した地元讃歌"Mharo Jodhpur".
『食べ歩くインド』を読んで、この1:00から出てくる団子みたいなのが、全粒粉を丸めて火を通したラージャスターン名物ダール・バーティなるものだと分かったのはうれしかった。(その後に出てくるのは「カスタ・カチョーリー」か?)
インド人は基本的に地元愛が非常に強いので、他にもローカルな食べ物が出てくるミュージックビデオがあった気がするんだが…自分がいかに食文化を見過ごしちゃっているかを思い知らされた。
最後の最後に、『食べ歩くインド』を読んだ全員が必ず思う感想を、私にも言わせてください。
「コロナが落ち着いたら、インドに行ってこの本片手にいろんなものを食べまくりたい!」
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