2020年02月

2020年02月22日

祝『ガリーボーイ』フィルムフェア賞13冠達成!! そして『WALKING MAN』とのシンクロニシティーを考える




日本でDVDが発売されたばかりの『ガリーボーイ』が、ヒンディー語映画界最高の賞であり、ボリウッドのアカデミー賞とも呼ばれているフィルムフェア賞(Filmfare Awards)で主要部門の総ナメにして、13冠を達成した。

その内訳は以下の通り。
  • 作品賞
  • 監督賞 ゾーヤー・アクタル(Zoya Akhtar)
  • 主演男優賞 ランヴィール・シン(Ranveer Singh)
  • 主演女優賞 アーリヤー・バット(Alia Bhatt) 
  • 助演男優賞 シッダーント・チャトゥルヴェーディ(Soddhant Chaturvedi)
  • 助演女優賞 アムリター・スバーシュ(Amruta Subhash)
  • 最優秀脚本賞 ゾーヤー・アクタル(Zoya Akhtar)、リーマー・カーグティー(Reema Kagti)
  • 最優秀ダイアローグ賞 ヴィジャイ・マウリヤ(Vijay Maurya)
  • 最優秀音楽監督賞 ゾーヤー・アクタル(Zoya Akhtar)、アンクル・テワリ(Ankur Tewari)
  • 最優秀作詞家賞 "Apna Time Aayega" ディヴァイン(Divine)、アンクル・テワリ(Ankur Tewari)
  • 最優秀美術賞 スザンヌ・カプラン・マーワンジー Suzanne Caplan Merwanji
  • 最優秀撮影賞 ジェイ・オーザ(Jay Oza)
  • 最優秀バックグラウンド・スコア賞 カーシュ・カーレイ(Karsh Kale)
今年のフィルムフェア賞は、まさに『ガリーボーイ』のためにあったと言って良いだろう。
ここまでの高い評価を得た『ガリーボーイ』だが、じつは興行成績に関しては2019年に公開されたヒンディー語映画のうち、8位に甘んじている。
『ガリーボーイ』はインド国内で14億ルピー、世界で24億ルピーと、十分にヒット作品と呼べるだけの数字を叩き出しているが、興行成績1位の"War"(国内32億ルピー、世界48億ルピー)と比べると、その売り上げは
半分程度でしかない。(出典はBollywood Hungama "Bollywood Top Grossers Worldwide"
これは、大都市ムンバイのストリートヒップホップという斬新なテーマが、必ずしもすべての層に受け入れられたわけではないということを意味している。

それにもかかわらず、『ガリーボーイ』がここまで圧倒的な評価を得られたのは、スラム生まれのラップという新しくて熱いカルチャーをボリウッドに導入して素晴らしい作品に仕上げた制作陣の手腕、そしてそれに見事に応えた役者たちの熱演によるものだ。
この革新的な映画のストーリーは、じつは、親子の葛藤、夢と現実の相克、身分違いの恋、サクセスストーリーといった、ボリウッドの王道とも言えるモチーフで構成されている。
だが、そうしたクラシックな要素と、新しいカルチャー、新しいヒーロー像、新しい女性像がとてもバランスよく配置されており、王道でありながらも革新的な、奇跡のような作品となったのだ。
今後ボリウッドの歴史に永く名を残すことになるであろう『ガリーボーイ』を称えるのと同時に、もう一本紹介したい映画がある。

同じく2019年に公開された国産ヒップホップ映画『WALKING MAN』である。
(この映画のDVDは4月24日発売予定)
この『WALKING MAN』と『ガリーボーイ』には、シンクロニシティーとも言える共通点が数多くあり、同じ時代に極東アジアと南アジアで作られた、よく似た質感を持つヒップホップ映画について、きちんと何か書き残しておくべきではないかと思っているのだ。
WALKINGMAN

『ガリーボーイ』は、実在のラッパーNaezyとDivineをモデルに制作された映画であり、ニューヨークのラッパー、Nasがエグゼクティブプロデューサーとして名を連ねている。
一方の『WALKING MAN』はラッパーANARCHYの初監督作品だ。
ANARCHYは京都市向島の市営団地に生まれ、彫師の父との父子家庭で育ち、喧嘩に明け暮れる少年時代を過ごした。
15歳でラッパーとしての活動を開始。暴走族の総長を務めたり、少年院で1年を過ごすなど波乱に満ちた青春を過ごしたのち、2006年に25歳でファーストアルバム"Rob The World"を発表する。
自身の生い立ちや経験をベースにした力強いラップで話題と支持を集め、私、軽刈田も、インドの音楽シーンにはまる前、彼の音楽を聴いて強い衝撃を受けたものだった。

この2本の映画の共通点を探すとしたら、ストーリー以前に、実際のラッパーが作品に深く携わっているということがまず挙げられるだろう。
(『ガリーボーイ』のNasは、制作に関わったわけではなく、実際には完成した映画を見てエグゼクティブ・プロデューサーに名乗り出たということらしいが、名を連ねることを許可したということは、この映画のリアルさを認めたということだと理解して良いだろう)
つまり、この2作品は「本物が作った(あるいは本物がモチーフになった)映画」なのだ。 

実在のラッパーをモチーフにした映画と言えば、ヒップホップの本場アメリカではN.W.A.の軌跡を描いた『ストレイト・アウタ・コンプトン』と、エミネムの半生をもとに本人が主演した『8マイル』がまず挙げられるが、『ガリーボーイ』と『WALKING MAN』には、この2作品とは大きく異なる共通点がある。
それは、『〜コンプトン』と『8マイル』の主人公たちが物語の最初からすでにラッパーだったのに対して、『ガリーボーイ』『WALKING MAN』の主人公は、映画の冒頭では都市の下流に生きる単なる若者であり、ストーリーの中でヒップホップに出会い、ラップに目覚めてゆくということである。
『ガリーボーイ』のムラドは、Nasに憧れつつも、自分がラッパーになろうとは考えておらず、地元にヒップホップシーンがあることも知らなかったという設定だし、『WALKING MAN』のアトムに至っては、ヒップホップファンですらない。

つまり、アメリカの2作品が「ラッパーたちのサクセスストーリー」であるのに対して、日印の2本は、「声を上げる手段を持たない若者が、ヒップホップと出会い、ラッパーになるまで」を描いた映画なのだ。
『ガリーボーイ』も『WALKING MAN』も、日印のシーンを代表するラッパーが関わっていながらも、ヒップホップファンのみを対象にした映画ではなく、ラッパーとしての第一歩にフォーカスすることで、ヒップホップの精神を、万人に向けて分かりやすく提示した作品なのである。
アメリカと日印のヒップホップの定着度の違いと言ってしまえばそれまでだが、コアなファン層以外もターゲットとしたことで、より作品のテーマが結晶化され、理解しやすくなっているとも言えるだろう。
そのテーマとは何か。

『WALKING MAN』の舞台は、川崎の工業地帯だ。
貧しい母子家庭で妹と暮らしながら廃品回収業で生計を立てる寡黙な青年アトム(野村周平)は、母の急病をきっかけに、母の収入は絶たれ、治療費が必要なのに公的なサービスも受けられないという八方塞がりの窮地に陥る。
この最悪の状態から、アトムはラップとの出会いによって、自分のコトバと自信を手にして変わってゆく、というのが『WALKING MAN』のあらすじである。

一方で、『ガリーボーイ』の主人公ムラドは、ムンバイのスラム街ダラヴィに暮らしている。
カレッジの音楽祭に出演していたラッパーとの出会いから、自身もラッパーとなったムラドは、怪我をした父に代わって裕福な家庭の運転手として働くことになる。
ムラドはそこで圧倒的な貧富の差を目のあたりにして、ラッパーとしての表現を深化させてゆく。

親の怪我や病気による窮状、そこからのヒップホップによる「救い」といったストーリーもよく似ているが、ここで注目したいのは、この2作品の主人公のキャラクターである。
ヒップホップ映画の主人公であれば、ふつうはささくれ立った「怒れる若者」タイプか、もしくはファンキーでポジティブなキャラクターを設定しそうなものだが、この2作品の主人公は、いずれも内省的で、生まれ持ったスター性などまるでない性格づけがされている。
『ガリーボーイ』のムラドは、仲間が自動車泥棒をする場面で怖気付いたり、自分のリリックをラップしてみろと言われて緊張してしまうような性格だし、『WALKING MAN』のアトムは、「吃音」という大きなハンデを持ち、自分の感情を素直に出すことすらできないという設定だ。
こうした主人公たちの「不器用さ」は、ヒップホップの本質のひとつである「抑圧された、声なき者たちの声」という部分を象徴したものと理解することができるだろう。
(マーケティング的に見れば、こうした主人公の性格づけは、バッドボーイ的なヒップホップファン以外にも共感を得やすくするための設定とも取ることもできるし、『ガリーボーイ』に関しては、ムラドのモデルになったNaezyも実際にシャイで内向的な青年のようである) 
彼らが内向的で、社会からの疎外感を感じているからこそ、自分の言葉で自身を堂々とレペゼンするヒップホップが彼らの救いとして大きな意味を持ち、また彼らがラッパーとしての一歩を踏み出すことが、人間的な成長として描けるのだ。

ムラドとアトムの成長を描く手段として、ラップバトルが使われているのも印象的だ。
フリースタイルに臨んだ2人が、どう挫折し、どう乗り越えるか、という展開は、『8マイル』の影響はあるにしても、あまりにも似通っている。
彼らがラップバトルで勝利するために戦うべきは、じつは対戦相手ではなく、自分自身の中にある。
自分の弱点を認め、その上で自分自身を誇り、自分の言葉で表現することが、結果的にオーディエンスの心を動かすという展開は、ヒップホップの意義を見事に表したものである。

他にも、家族との葛藤(ムラドは父との、アトムは妹との確執がある)、主人公に協力する兄貴的な人物の存在(ムラドにはMCシェール、アトムには山本)など、この2つの映画の共通点はまだまだある。

制作された国や時期を考えれば、この2つの作品が影響を与え合う可能性はまったく無いにもかかわらず、これだけの一致があるということは、はたして偶然なのだろうか。
従来のタフでワイルド、言葉巧みで男性的なラッパー像からは大きく異なるムラドとアトムというキャラクターは、いったい何を表しているのだろうか。
私は、ここにこそヒップホップというアートの本質と、その今日的な意味が描かれているのではないかと思う。
ヒップホップ、すなわち、ラップ、B-ボーイング(ブレイクダンス)、DJ(ヒューマンビートボックスのような広義のビートメイキングを含む)、グラフィティアートは、スキルとセンスさえあれば、体一つでいくらでもクールネスを体現できるアートフォームであり、ハンデを魅力に変えることができる魔法なのだ。
内省的なムラドとアトムは、自信すら持てないほどに抑圧された若者の象徴だ。
ヒップホップはそうした者たちにこそ大きな意味を持ち、また彼らこそが最良の表現者になれる。
こうした、いわば、「希望としてのヒップホップ」を描いたのが、『ガリーボーイ』であり『WALKING MAN』なのである。
その希望の普遍性を表すためには、主人公は従来のラッパー像とは異なる「弱い」人間である必要があったし、家族との葛藤を抱えた「居場所のない」若者である必要があったのだ。

この作品の核は階級差別に対する闘いです。インドだけに限りません。私達は抑圧を無くし、人が自分を表現できる能力を磨き、自分に自信を持って、夢を追いかけることができる世界にしていかなければならないと思います」
これは、『ガリーボーイ』のゾーヤー・アクタル監督の言葉だ。 
ムラドとアトムのハードな環境の背景には、世界中で広がる一方の格差社会があるということも、もちろんこのシンクロニシティの理由のひとつである。
今更かもしれないが、この2作品のシンクロニシティに触れて、ヒップホップはもはやアメリカの黒人文化という段階を完全に脱したということを実感した。
ヒップホップは、その故郷アメリカを遠く離れ、日本でもインドでも、単なるパーティーミュージックでも外国文化への憧れでもなく、抑圧された者たちの言葉を乗せた、リアルでローカルな文化となったのだ。
この「ローカル化」は、逆説的に、ヒップホップのグローバル化でもあり、その日本とインドにおける2019年のマイルストーンとしてこの2本の映画を位置付けることもできるだろう。

共通点だけでなく、この2作品の異なる点にも注目してみたい。
それは家族やコミュニティーとの「繋がり」の描かれ方だ。
『ガリーボーイ』では、家族やコミュニティーは、自由を縛る保守的な価値観とつながったものとして描かれ、「絆」がすなわち主人公を苦しめるくびきとして描かれている。
一方で、『WALKING MAN』のアトムは、吃音というハンデを持ち、また誰からの援助も得られない極貧の母子家庭に暮らしているという設定だ。
つまり、逆に「絆の不在」「疎外感」が彼を苦しめているのである。
絆による不自由と、絆の不在による疎外感。
この2作品が乗り越えるべき壁として描いたテーマは、そのままインドと日本の社会を象徴しているように思えるのだが、いかがだろうか。

それから個人的に衝撃だったのが、ムンバイのスラムに暮らすムラドがスマホを持ち、大学に通う学生だったのに対して、川崎のアトムは(おそらくは)大学に通うことなく場末の廃品回収業者で働いており、スマホを持つことを「目標」としているということだ。
ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは比較的「恵まれた」環境のようだし(あくまでもより劣悪なスラムとの比較の話だが)、住む場所すらなく路上で暮らす人々や、電気や水道すらない農村部の人々と比べれば、インド社会の最底辺とは言えないということには留意すべきだが、それでも、ムンバイのスラムの「あたりまえ」が日本の若者の憧れとして描かれているという事実はショックだった。
日本が落ちぶれたのか、インドが成長著しいのか、おそらくはその両方なのだろうが、この言いようもない衝撃を、ヒップホップ映画からの「お前の足元のリアルをきちんと見ろ!」というメッセージとして受け取った次第である。

最後に、もう一つ気になった点である、「吃音とラップの親和性」についても触れておきたい。
すでに書いた通り、『WALKING MAN』のアトムは吃音者という設定だが、実際に日本には達磨という吃音のラッパーがいるし、インドにもTienasという吃音者ラッパーがいる。
映画のなかで、アトムが通行者を数えるカウンターでリズムを刻みながら、吃ることなく言葉を発する場面が出てくるが、実際にこうした吃音の克服法があるのだろうか。
あまり興味本位で考えるべきではないかもしれないが、「吃音」という「声を持てぬもの」を象徴するようなハンデを抱えたラッパーが日印それぞれに存在しているということも(他の国にもいるのかもしれない)、また意味深い共通点であるように感じられる。

基本的にはインドのカルチャーを紹介するというスタンスで書いているブログなので、『WALKING MAN』のことは公開時には紹介しなかったのだが、『ガリーボーイ』と合わせて見ることで、現代社会とヒップホップの現在地をより的確に感じることができる、粗削りだが良い作品である。
ヒップホップや音楽に心を動かされたことがある、すべての人にお勧めしたい2本だ。


もう十分に長くなったが、最後の最後に、似たテーマを扱った、ムンバイと日本のヒップホップの曲を並べて紹介したい。

まずは、『ガリーボーイ』の中から、大都市ムンバイの格差をテーマにした"Doori"、そして日本からは『WALKING MAN』の監督を務めたANARCHYの"Fate".




続いてはリアルにダラヴィ出身で、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたMC Altafの"Code Mumbai 17"(17はダラヴィのピンコード)と、横浜代表Ozrosaurusの"AREA AREA".
オジロの地元レペゼンソングなら横浜の市外局番を冠した"Rolling 045"なんだけど、この2曲はビートの感じが似ていて自分がDJだったら繋げてみたい。



地元レペゼンソングでもう1組。
『ガリーボーイ』のMCシェールのモデルとなったDivineのデビュー曲"Yeh Mera Bombay"(これが俺のボンベイ)。ムンバイの下町を仲間と練り歩きながら、ヒップホップなんて関係なさそうなオッサンとオバハンも巻き込むミュージックビデオに地元愛を感じる。
日本からは当然、SHINGO★西成の"大阪UP"でしょう。



最後にオールドスクールなビートでB-Boysをテーマにした楽曲。
インドからはMumbai's Finestの"Beast Mode". これはダンス、グラフィティ・アート、ビート・ボクシング、BMX、スケボーなどの要素を含むムンバイのBeast Mode Crewのテーマ曲のようだ。
となると日本からは
Rhymesterのクラシック"B-Boyイズム"で迎え撃つことになるでしょう。
ちなみにB-Boyという言葉は、日本だと「ヒップホップ好き」という意味で使われるけど、本来はブレイクダンサーという意味。踊れないのに海外でうっかり言わないよう注意。



それでは今日はこのへんで!

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2020年02月16日

探偵は一人だけではなかった! 「ヨギ・シン」をめぐる謎の情報を追う


これまで何度もこのブログで特集してきた、謎のインド人占い師「ヨギ・シン」。
100年ほど前から世界中で遭遇が報告されているこの不思議な占い師に、私はかねてから異常なほどの関心を寄せてきた。





そして昨年11月、ついには東京で実際に彼と接近遭遇することに成功したのだが(その経緯は過去の記事を参照していただきたい)、彼らの正体は依然として謎のままであり、私は継続して彼らに関する情報を探し求めている。

英語を使って占いを行うヨギ・シンは、おもに英語圏や英語が通じる国際都市に出没している。
だから、私はいつもは海外のウェブサイトやブログで「彼」の情報を収集しているのだが、その日にかぎって、私は日本語での検索を試みることにした。
昨年11月に私が遭遇した際の「ある顛末」以降、日本国内でのヨギ・シン遭遇報告はぱぅたりと途絶えていた。
あれから数ヶ月が経過し、再び日本のどこかに彼が出現したという情報があるかもしれないと思ったからだ。

ところが、そこで私は、全く予想していなかった驚くべき文章を発見してしまった。
mixiの『詐欺師のメッカ タイにようこそ』というコミュニティーに投稿された『インド人街頭占い師の秘密』という投稿がそれである。
(オリジナルはこちらから読める https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6066795&id=72080907
2012年10月31日に投稿されたこの文章は、おそらく日本で最初に書かれたヨギ・シンについての考察だろう。
一体誰が書いたのかは不明だが、そこに書かれていたのは、まさに驚愕の内容だった。 
この文章は、こんなふうに始まる。

インド人街頭占い師は、世界中にいます。
大都市で現地人を相手にしたり、有名観光地で観光客を相手にしたりしていますが、最も多いのが、バンコク(特にカオサンロード)、インドのデリー、ニューデリー。
ほかにも香港、シンガポール、バリ、クアラルンプール、上海、NY、サンフランシスコ等アメリカ各地、、トロント、シドニー、メルボルン、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーン等、英語が通じるところならどこにでもいるのですが、なぜかみんな同じような格好をして同じ名前を名乗り、同じようなことをやります。

この時点で、この文章を書いた人が、ヨギ・シンについて、かなり詳しく把握しているということが分かるだろう。
ヨギ・シンの出没地点についても的確だし、上海、ブリュッセル、ウィーンについては、むしろ私のほうが聞いたことがなかった。

そして、この後に続く箇条書きの内容が、また驚くべきものだった。


1.外見
ターバンをしている人が多いけれど、スーツ姿のターバン無しや、シャツとズボン姿の若い人もいます。若くてもTシャツではなく、わりときちんとした服装です。

2.「You have a lucky face!」
と、声をかけてきます。
You are lucky lady!とか、lucky manとか、言い方はいろいろありますが、「ラッキー」が入るのが特徴。

3.「自分はヨギ・シンだ」と名乗ります。ヨガ行者のシンさんということです。
なぜかみんな同じ名前です。

4.「占いをしてあげる」と言って、その前にまず、自分の特殊能力を証明しようとします。その方法は、好きな数字、好きな花、好きな色を当てて見せることです。これはまず第一段階。
この当てものが成功して客が十分驚いたら、終了して占いに進むこともありますが、次の段階があることが多いです。

5.第二段階として、年齢、誕生日、母親の名前、配偶者の名前、恋人の名前、兄弟の数、願い事(wish)等を当ててみせます。

6.第三段階として、敵の名前、嫌いな人の名前等を当ててみせます。

7.やっと占いに入ります。
「7月にいいことがある」「80何歳まで生きる」「90何歳まで生きる」というのが定番のようです。
性格判断としては、「あなたは考えすぎる」と、「はっきりものを言い過ぎるのが欠点だ」が定番です。

8.脅しをかけることもあります。
「ライバルがあなたに呪いをかけている」「堕胎した子供が憑いている」などと言って、「二週間日連続であなたのために祈って呪いをはらってやるからお金を」と、大金を要求します。あくまで一部の人ですが。

9.寄付を要求
貧しい子供たちの写真を見せ、「この子たちのために寄付を」と、具体的な金額を提示します。貧乏人用、中流用、金持ち用の三種類の寄付額が書かれたボードを示し、「自分のクラスの額を払え」と言うのですが、貧乏人用でさえかなり高いです。

10.たいていの人は、「高すぎる」「持ち合わせがない」と言って、払いません。
すると、「そこにATMがあるから、おろしなさい」と、ATMまで同行されそうになります。
11.結局客は要求の何分の一かを払い、占い師はしぶしぶ受け取りますが、別れ際にパワーストーンを一個くれます。寄付金が多い人には、一個といわずネックレスでくれることもあります。

なんということだろう。
外見、名前、占いの方法、ここに書かれているほぼ全ての内容が、私がこれまで調べたものと一致している。
いったいこの人物は、どうやってヨギ・シンのことを知り、ここまでの情報を調べたのだろうか。

6番めに書かれた「敵の名前や嫌いな人物の名前を当てる」という部分については、私がこれまでに聞いたことがないものだったが、それはすなわち、この人物のほうが私よりもヨギ・シンについて詳しいということでもある。
このひょっとしたら、この投稿がされた2012年ごろのヨギ・シンは、こういった話法を使う者が多かったのかもしれない。
他にも、お金の要求方法や、パワーストーンをくれるということなど、必ずしも一般化できない内容も含まれているが、それだけこれを書いた人物が多くの情報を調べ上げているということだ。

9番目にかかれた「貧乏人、中流、金持ち」と3段階の料金を提示するというやり方は、ヨギ・シンに関しては聞いたことがなかったが、かつて私がヴァラナシで遭遇した怪しげなヒンドゥーの行者に頼みもしない祈祷をされたときと全く同じやり口である。
誰に対しても同じ価格ではなく、経済状況に応じて違う金額を払わせるという考え方はいかにもインド的な発想で、同じ方法を「ヨギ・シン」が使ったいたとしてもまったく不思議ではない。

それにしても、今から7年以上前に、ここまで詳しくヨギ・シンのことを調べあげたこの人物は、いったい何者なのだろうか?
ヨギ・シンについて、それぞれの街での遭遇報告や、「どうやら世界中にいるらしい」といったことまで記載しているウェブサイトは見たことがあったが、ここまで詳細に情報をまとめあげているものは見たことがなかった。

しかも、この人物がしているのは、「情報の収集」だけではなかった。
このあとに続くヨギ・シンのトリックについての考察がまたすごい。

●どうやって当てるのか?
好きな数字、好きな花、好きな色は、全世界的にもっとも平凡な答えというのがあります。それは、
1から5の間で好きな数字=3
1から10の間で好きな数字=7
好きな色=BLUE
好きな花=ROSE

です。
あらかじめこの答えを1枚の紙に書いておいて、丸めて客に握らせてから質問をします。客が平凡な人で、紙に書いてある通りの答えを言ったら、握っている紙を広げさせます。これでトリックの必要もなく超能力者のふりができます。 
日本人の場合、好きな花は、ローズとチェリーブラッサムが同じくらいの人気です。だから占い師は、日本人と見ると、「好きな花を二つ言え」と要求し、紙には「R、C」(Rose, Cherryblossomの略)と書いておきます。

●予想外の答えだったら?
3 /7/BLUE/ ROSEの代わりに、例えば、4/9/RED/PANSY と客が答えたらどうするのか?
占い師は客の答えを、いちいち紙にメモしていきます。答え合わせの時に必要だからというのが建前ですが、目的は別にあります。答えを2回書いて、2枚のメモを作るのです。そのうち一枚を丸めて、客の手の中の紙と、こっそりすりかえます。

すり替えのやり方は、
①自分が写っている集合写真等を出して来て、「この中でわしはどれかわかるか?」などと言って客の注意を引き付け、隙を見てすり替えます。

②「丸めた紙を額に当てて、目を閉じて呪文を唱えろ」と要求します。
客がやろうとすると、「そうじゃなくて、こうするんだ」と、紙を取り、自分で手本を見せますが、このときにすり替えています。
③「手相を見てやろう」と言って、紙を握っている手を開けさせ、「この線がどうのこうの」と、指でさわってりして、この時にすり替えます。あまりに露骨なので、この方法はあまり使われないようです。

答えを2回書く代わりに、感圧紙を使う人もいます。感圧紙とは、ノーカーボン紙ともいい、普通の白い紙にしか見えないのに、重ねるとカーボン紙の役割をします。
でもこの場合、字が全く一緒になってしまうので、もし比較されると、バレてしまいます。
●すり替えなしで当てる
誕生日、母親の名前、家族構成、初恋の人の名前等、難しいことも上の紙のすり替えで当てられますが、本人に書かせて当てることもでき、この場合すり替えは不要です。
やり方はいろいろ考えられますが、また感圧紙を使ってみましょう。

1と2は普通の紙、3と4は感圧紙です。重ねて、メモ帳等に仕込み、生年月日、好きな動物、母親の名前を書いてもらいます。
客に紙(1)を取って丸め、握っていてもらいます。
4枚目に写っている内容をこっそり見れば、当てられます。

もっと便利なマジックグッズを使う人もいます。たとえば、このクリップボードにはさんだ紙に書いてもらったら、内容が全部、離れた所のディスプレーに映ります。
https://www.youtube.com/watch?v=O3_GKVmlD_Y

最新バージョンは、自分のアイフォンにも映せるようです。

マジックグッズでなくても、電子ペンを使えば、同じことができます。ペンの形状がちょっと変わっているのが難ですが。
https://www.youtube.com/watch?v=qHD5z9KcKUQ

●すり替え無し、紙にも書かないのに当てられたら?
カオサンロードは、トリックの余地無く母親の名前を当てる占い師がいることで有名です。インドの観光地のホテル周辺でもそういうことがあるようです。
当てられるのは、観光客で、付近のホテルやゲストハウスに泊っている人です。
推測すると、どうも、占い師に情報を流しているホテルやゲストハウスがあるようです。
なぜなら外国人が宿泊する場合、フロントはパスポートの提示を要求し、コピーをとったりスキャンしたりします。
パスポートには本人の名前、写真、生年月日等が印刷されているし、あと、「緊急連絡先」という欄があります。in case of accident notifyとか、emergency contactとか、どこの国のパスポートにもあって、自分で書き込むようになっています。
ここに母親の名前を英語で書いていたら、そして占い師に母親の名前をいきなり当てられたら、自分のパスポートのコピーが占い師に渡っている可能性を考慮してよいかもしれません。

●連れと別々にされ、トリックの余地なく当てられたら?
たとえば夫婦が占い師の二人連れに会い、別々に、占い師一人ずつと相対することになった場合。
連れが何を話しているのかわからないほど離れた場所に誘導されたら、そこにトリックがあります。一人からもう一人の個人情報を聞き出し、その情報を二人の占い師が通信機器を使って共有し、読心術ができるふりをしている可能性があります。

●占い師ヨギ・シンの正体は?
本人たちに聞くと、「○○アシュラムに属している」とか「○○テンプルに属している」とか言いますが、真偽は不明です。
シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいるからです。
何か大きな組織があって、マニュアルがあるのか、それともそんなものは無くて、口コミで手法が広がった個人営業者集団なのか?
誰か知ってたら教えて下さい。

●本物のサイキックはいるのか?
インド人占い師はトリックを使う詐欺師と、ネットではさんざんな評判ですが、中には、占いがすごく当たっていて感銘を受け、電話番号を教えてもらって時々相談しているという人もいます。
中には本物の占い師もいるのかもしれません。

あまりの詳細な分析に、驚きが止まらない。
好きな数字なら3、好きな花ならRose、という部分については、思い当たることがあった。
少し前に読んだ「インド大魔法団」(山田真美著、清流社、1997年。この本、めちゃくちゃ面白いのでいずれ詳しく紹介します)という本の中で、インドのマジシャンがこんなことを言っていたのだ。

「ひとつ単純な手品を例にとってお話ししましょう。まず一枚の紙切れを用意して、そこに誰にも見られないように〈薔薇、3〉と書いてください。そしてそれを机の上に伏せて置きます。次に、目の前の人にふたつの質問をするんです。ひとつめは〈あなたの好きな赤い花は何ですか〉。ふたつめは〈一から五までの間の数字を言ってください〉。すると興味深いことに、大多数の回答者は迷わず〈薔薇〉、〈三〉と答えてきます。こうなったら魔術師の思うつぼ。〈あなたの答えは初めからわかっていました。何を隠そう、私には予知能力があるのです〉。そう言って、おもむろに紙を表向きにしてやりましょう。びっくり仰天されること請け合いですよ」

「ただし、この手品には重要なポイントがあるのです。第一に、相手に考える時間を与えないということです。〈好きな赤い花は?さあ、すぐに答えて?〉という具合に、早口で急かすように問いかけるのがコツです。赤い花といえば大半の人が瞬間に薔薇を思い浮かべる、その反射神経だけを利用した手品なのですから。(中略)
二番目に大切なのは言葉の使い方、つまりレトリックの問題で、〈一から五までのあいだの数字〉という風に、〈あいだの〉というところを強調して質問するのがコツです。すると、質問された人は無意識的に、一から五までの数字のちょうど真ん中にある数字、すなわち三を選ばされてしまうのです」


これは、mixiに投稿した人物が書いているのと全く同じ手法である。
『インド大魔法団』によると、物理的なトリック無しに相手の心のうちを読む方法は、インドのマジシャンたちの間では、素人にタネを明かしても問題がないほどに知られているようであり、同じ技法をヨギ・シンが使っていたとしても、全く不思議ではない。

まずは最大公約数的な答えを紙に書いておき、そのうえで、万が一相手が予想外の回答をしたときには、「すり替え」のテクニックを使って予言を的中させるというのは、じつに合理的なやり方だ。
「すり替え」のトリックは、以前私が調べた「ヨギ・トリック」の技法を使えば可能である。
(ちなみに、mixiの投稿にあったような、答え合わせのときに必要だからと言ってヨギ・シンが答えをあからさまにメモするという話は、私が知る限りでは聞いたことがない)

さらに、母親の名前をあてるトリックについての考察も筋が通っている。
「ヨギ・シンに母親の名前を当てられた」という報告は多くあり、そのなかには、自分が母親の名前を伝えていないのに的中されたというものもあったのだが、ホテルやゲストハウスから情報を得ていると考えればこれも説明がつく。
ヨギ・シンが、自らの予知能力にリアリティーを持たせるために、複数のテクニックを組み合わせているとしたら、彼らは怪しげな詐欺師に見えて、実はかなり熟練したパフォーマーだということになる。

「シーク教徒のしるしであるターバンを巻いているのに、ヒンズー教的な話をしたり、ヨガ行者だといいながらもヨガの知識が乏しい人もいる」という指摘に関しては、留意すべき部分があるだろう。
インドのローカル文化においては信仰を超えて宗教的文化が共有されていることもあるし、「ヨギ」という言葉は、ヨガ行者だけでなく、より広い意味での行者や聖者を指すこともある。
つまり、この部分だけで彼が「シク教徒」や「ヨギ」であるということがフェイクだとは言えないのである。
インドの人々が、危険から身を守るため以外の理由で(例えば、特定の宗教が暴力的に弾圧されているような状況以外で)他の信仰を騙ることは考えにくいように思う。
私の考えでは、彼らは紛れもなくパンジャーブにルーツを持つシク教徒だろう。

彼らが「本物かどうか」という問いは、「何をもって本物とするか」ということも含めて、ナンセンスであるように思える。
プロレスラーが格闘家であるのと同時にパフォーマーであるのと同じように、ヨギ・シンも占い師であると同時に手品師でもあり、見方によっては聖人でもあり詐欺師でもあると考えるのが、私にはしっくりとくる。

それにしても、最後にさらりと書かれている「電話番号を教えてもらって時々相談している人もいる」という情報には驚いた。
私はヨギ・シンは尻尾をつかまれないためにも連絡先の交換などはしないと思っていたからだ。
じつはこれについては、さらに驚くべき情報を見つけてしまったので後述する。

これを書いた人物は、いったいどうやってこれだけの情報を集め、仮説を組み立てたのだろうか。
情報集めはインターネットを駆使してできるとしても、ここに書かれているかなり詳細な仮説については、一朝一夕に考えられるものではない。
マジックグッズにかなり詳しいことを考えると、この人物もマジシャンなのだろうか。
あらゆる状況を想定してトリックを推理しているところを見ると、この人物も相当な熱意を持ってヨギ・シンの謎に取り組んでいるということが分かる。
(個人的には、通信機器やハイテク機器を使ったものに関しては、あまり可能性がないのではないかと感じているが)
今から7年以上前の書き込みではあるが、この人物がいったいどうやって情報を集めたのか、その後ヨギ・シンの正体に迫るより詳しい情報をつかむことができたのか、機会があればぜひ伺ってみたい。


今回、ヨギ・シンに関する日本語の情報を収集するにあたり、もう1件面白い書き込みを見つけた。
2014年1月22日に、「Yahoo!知恵袋」へのこんな投稿である。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13119851783

この筋書き通りでした。このドケチな私が500ドル(5万円くらい)払いました。
今日遅めのランチをとりに会社を出たときに、インド人が私を見てハッと立ち止まり、You are Lucky と話しかけてきました。結構綺麗な身なりをしていたので、疑うこともなく話を聞きました。
名前はヨギシンでした。彼は、インド訛りの英語で
○「あなたは会社で非常に疲れているのだろう、おそらく自分の出した結果ほど評価されていないのでイライラしている。(その通り)」
○「幸せそうに振舞っているが、心は幸せではない(まぁ当てはまる)」
○「あなたは自分の会社を興すであろうし、それがもう少しで花開く(ネットショップ準備中)」
○「あなたは人に何か言われて何かするよりも、自分で引っ張っていきたいタイプ。(まぁ)」と聞いてもいないことをベラベラと勝手にしゃべり始めて、それが以外に合っていたので、私が驚いていると、まだ話したいことがあると、近くのコーヒーショップで話をすることになりました。

好きな花、番号、母親の名前、主人の名前を当てたら、報酬として金をよこせと。
金持ち500ドル、中流300ドル、貧乏人100ドルでした。

手帳みたいなのをもってて、そこに神様の写真と、恵まれない子供の写真が入っており、
そこにお金をいれろと言ってきました。

ここでピン!と昔シドニーでもヨギシンに会った事を思い出し、シドニーにも行った事あるんじゃないかとしつこく聞くと、オーストラリア、イギリス、カナダと英語圏の滞在を認めていました。

手持ちのお金がないといったら、私も丁度ATMに行く用事があったので、ATMまで一緒についてきました。
断らずになぜか私もお金を渡してしまいました。

10年前にシドニーで全く同じことがあり、思い起こせばその時も100ドル払いました。
今回はシンガポールで、ヨギシンと遭遇。疑うことなく、500ドルを渡してしまいました。

さらに、私がお金をもっていると思ったのか、どんどん要求が増えてきました。

○ 黒魔術にかかっているので、それを取り払ってやる
○ 明日ランチを一緒にしないか、そして携帯電話をひとつかってくれ
○ ディナーをおごってくれ
○ 今晩、会わないか

ここらへんから、ちょっと怪しいなと思いつつも、金返せとは言えず話だけ聞いて
you are so lucky to get the money from the most stingy person like me. 私みたいなドケチからお金をもらえてラッキーだね。と伝え、ヨギシンは別れ際に赤い石をくれました。やっぱ騙されたのかな。私疲れてたんだわきっと・・・

補足
さっき電話がかかってきて、ものすごいパワーの黒魔術にかかっているそうです。
至急取り払う必要があると言っていました。

なぜか「暮らしと生活ガイド>ショッピング>100円ショップ」のカテゴリーに書き込みされたこの投稿(もはや質問ですらないが)は、ネタだと思われたのか、まともな回答はひとつもついていないが、ヨギ・シンのことを知っている人が読めば、これが実際の体験談であるということが分かるだろう。
冒頭の「この筋書き通りでした」が何を指すのかは不明だが、前述のmixiの投稿のことを指しているのかもしれない。
それにしても驚かされるのは、この文章を書いた人物が、シドニーとシンガポールで2回ヨギ・シンに会っているということ、そして、ヨギ・シンから頻繁に連絡が来て、食事に誘われたり、口説かれたり(?)しているということだ。
またしても秘密主義だと思っていたヨギ・シンの印象が覆される情報だ。
これも、500ドルも支払ったという「太客」だからだろうか。


ヨギ・シンの出没情報と、遭遇報告(もちろん過去のものでも大歓迎)については、今後も募集し続けるので、ぜひコメントかメッセージを寄せてください! 
また、今回紹介したmixiやYahoo!知恵袋の投稿をした方をご存知でしたら、ご連絡いただけたらうれしいです。

ヨギ・シンについては、その後も地道に調査を進めています。
また何か書けるとよいのだけど。

ひとまず今回は、これまで!


(続き。ついに明らかになるヨギ・シンのルーツに迫ります)


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goshimasayama18 at 20:35|PermalinkComments(2)ヨギ・シン 

2020年02月11日

Daisuke Tanabe氏にインドのクラブシーンについて聞く!

おそらくは、日本のコンテンポラリー・ミュージックの世界で、最も多くインドでの活動を経験しているミュージシャンだろう。

Daisuke Tanabe — 世界的に活躍する電子音楽アーティストである彼は、2016年を皮切りに、これまでに3度のインドツアーを行っている。
のみならず、2018年にはムンバイのエレクトロニカ系レーベルKnowmad RecordsからEP "Cat Steps"をリリースするなど、彼とインドのシーンとのつながりは、非常に深いようである。
つい先月もインド4都市でのライブを行ったばかりのTanabe氏に、メールでインドのクラブミュージックシーンについて聞いてみた。

DaisukeTanabe

Tanabe氏とインドの音楽シーンとの最初の接点は、2016年にムンバイのエレクトロニカ・アーティストKumailのリミックスを手掛けたことだったという。
Kumailと「いつかインドでライブができたらいいね」と話していたところ、さっそくその年に最初のインドツアーが決定した。
Daisuke Tanabe、初のインドツアーは、'Magnetic Fields Festival'への出演と、ムンバイ、ベンガルール、プネーの3都市を回るものだった。
実際に訪れてみると、インドにはすでに彼の音楽を長く聞いているリスナーが大勢おり、大歓迎を受けたという。
これまで何度もこのブログで書いてきた通り、コアなファンを持つジャンルや、「音の響き」そのものが重視される音楽では、国籍や国境はあまり意味を持たない。

Tanabe氏自身も意外だったという大歓迎は、彼の音楽のスタイルと、そして質の高さが、国や文化の壁を軽々と超えるものだということの証明と言えるだろう。
ちなみに彼以外にインドでのライブを経験している日本人アーティストには、フィールドレコーディングによる音源を再構築してユニークなサウンドを作るYosi Horikawa、ポストロックのMono、デスメタルの兀突骨などがいる。
いずれも唯一無二の「音の個性」を持ったアーティストばかりである。

Knowmad RecordsからリリースされたEP"Cat Steps".

繊細かつ自由。
リズム、ハーモニー、ノイズが気まぐれに、しかし美しく展開する作風はまさにCat Stepsのタイトルにふさわしい。

Kumailの"Bottom Feeder"のDaisuke Tanabe Remixは、叙情と混沌と美の2分半だ。

Daisuke Tanabeのインドでの最初のライブは、ラージャスターン州の砂漠の中の宮殿で行われる電子音楽系のフェス、Magnetic Fields Festivalだった。
インドらしい異国情緒と国内外の先端的な音楽が融合した、かなりユニークなフェスティバルだ。
Sunburn, VH1 Supersonic, NH7 Weekenderなど、近年大規模な音楽フェスが増えているインドだが、ローカルの伝統文化と新しい音楽を融合するという発想のフェスは珍しい。
彼が出演した2016年のアフタームービーからも、その独特な雰囲気が感じられる。


このMagnetic Fields Festivalは、チケットがかなり高額なフェスであるため、Tanabe氏曰く、客層は裕福そうな人が多く、オーディエンスのマナーもとても良かったとのこと。
日本では音楽ファンにもインド好きにもまだほとんど知られていないイベントだが、伝統的なインドと最先端の音楽シーンをかなり面白い形で体験できる、素晴らしいフェスティバルのようだ。
(かつての記事でも少し紹介しているので、興味のある方はこちらもどうぞ)


2018年の9月には、リリースしたばかりの"Cat Steps"を引っさげて、ニューデリー、ムンバイ、バンガロール、プネーを回る2度目のインドツアーを挙行。
今年1月のツアーでは、ムンバイ、バンガロール、ニューデリーに加えて、ゴアでのライブも行った。

Tanabe2018tour
和の要素を感じさせるフライヤーがクールだ。
Tanabe2020Tour

ヨーロッパ各国や中国など、さまざまな国でのライブ経験のあるTanabe氏に、インドのオーディエンスの印象について聞いてみたところ、「最初から最後までとにかくよく踊る」とのこと。
国によってはアーティストの動きにかぶりつくところもあれば、じっと音楽に耳を澄ますオーディエンスが多いところもあるそうだが、「インドはとにかく反応が良い」そうだ。
インド映画を見れば分かる通り、インド人は筋金入りのダンス好きだ。
インドに行ったことがある人なら、子どもたちがラジカセから流れる映画音楽に合わせて、キレキレのダンスを踊っているのを見かけたことがある人も多いだろう。
インドでは、大衆映画のファンから、クラブに来るような新しい音楽のファンまで、とにかく踊りまくる。
すばらしい国ではないか。

インドの都市ごとのシーンの印象について聞いてみたところ、あくまでも彼がライブを行った場所の印象だとことわったうえで、こう語ってくれた。

「ムンバイはインドの中でも特にパーティ好きと言うか、眠らない街という印象」、「デリーも大都市の雰囲気があるが、シーンに関してはムンバイよりある意味で大人な雰囲気」、そして「バンガロールはインドのローカルアーティストに聞くと、こぞって実験的な音楽に対しても耳を開いているという返事が返ってくる」そうで、今回初めて訪れたパーティーシーズンのゴアは、「オーディエンスの外国人率が他の都市と比べてダントツに高く、緩い雰囲気ではあるものの、やはり真剣に聴いてくれる印象」とのことだった。

このコメントは非常に面白い。
というのも、Tanabe氏が語るそれぞれの都市の印象が、各都市の歴史的・文化的な特徴とも重なっているように思えるからだ。
ムンバイはインド最大の都市であり、娯楽の中心地。ボリウッドのようなメインストリームの音楽からアンダーグラウンドなヒップホップ、エレクトロニック系、ハードコアまで様々なサウンドが生まれる土地である。
首都デリーは、古くから様々な王朝が栄えた文化的都市。インドで最初の国産電子音楽ユニットであるMIDIval Punditzやインド発のレゲエユニットReggae Rajahsなど、洗練されたセンスを感じさせるアーティストを多く輩出している。
バンガロールは20世紀末からIT産業によって急速に発展した国際都市で、音楽的にはポストロックなど、実験的なバンドが多い印象である。
そして、ゴアは古くから欧米人ヒッピーたちに愛されたリゾート地で、言わずと知れたゴア・トランスの発祥の地だ。

「ゴアは未だにトランスのパーティーも盛んなようで、興味深かったのは土地柄的にインドの人が最初に耳にする電子音楽はトランスが多い」というコメントも面白い。
ゴアはかつて西洋人のヒッピー/レイヴァーたちのトランスパーティーの世界的な中心地だったが(今でもHilltopやShiva Valleyというトランスで有名なヴェニューがある)、2000年頃からレイヴへの規制が強化され、外国人中心のパーティーと入れ替わるように、インドの若者たちが自分たちの音楽文化を作りあげてきたという歴史を持っている。

(ゴアの音楽シーンの歴史については、この3つの記事にまとめている) 



Tanabe氏は「実は以前はトランスも聴いていたので、インドでの人気の理由にはそこら辺の根っこの部分で近いものを感じ取っているのかもしれない」と述べている。
彼の有機的かつ刺激的なサウンドのルーツに実はトランスがあって、それがインドのオーディエンスにも無意識的に伝わっているとしたら、偶然なのか必然なのかは分からないが、音の持つ不思議な「縁」を感じさせられる話ではある。

また、Tanabe氏から聞いた各都市の「風営法」についての情報も興味深かった。
ムンバイでは、クラブイベントは深夜2時ごろまでに終了することが多いようだが、近々条例が改正され、さらに長時間の営業が可能になる見込みだという。
一方、バンガロールでは、つい最近まで音楽イベントに対する規制がかなり強かったようで、現在では緩和されているものの、そうした事情を知らない人も多く、イベントを行うこと自体が難しい状況もあるという。
バンガロールでは、昨年、地元言語であるカンナダ語以外の言葉でラップしていたミュージシャンが、観客からのクレームで強制的にステージを中止させられるという事件も起きている。
ITバブル以降急速に発展したバンガロールでは、実験的な音楽が好まれるシーンがある一方で、まだまだ保守的な一面もあるということがうかがえる。

インドの音楽シーンを俯瞰すると、中産階級以上の新しいもの好きな若者たちが新しい音楽を積極的に支持している反面、宗教的に保守的な層(ヒンドゥーにしろ、イスラームにしろ)は、享楽的な欧米文化の流入に強い危機感と反発を抱く傾向がある。
実際、EDM系の大規模フェスであるSunburn Festivalはヒンドゥー原理主義者からの脅迫を受けているし、人気ラッパーのNaezyは父親から「ラップはイスラーム的に許されないもの」と言われていたようだ。(Naezyの場合、結局、ラップはイスラームの伝統的な詩の文化に通じるもの、ということで、お父さんには理解してもらえたという)
こうした文化的な緊張感が、様々な形でインドの音楽シーンに影響を与えているようだ。


Daisuke TanabeがムンバイのKnowmad Recordsから"Cat Steps"をリリースした経緯については、こちらのblock.fmの記事に詳しい。

「リリースして誰かに聴いてもらうということには変わりないし、今はもうどこの国からリリースしたっていうのはほとんど関係ない時代」という言葉が深い。
インターネットで世界中がつながった今、優れた音楽であれば、あらゆる場所にファンがいるし、またコアな愛好家がいるジャンルであれば、あらゆる場所にアーティストがいる。
Tanabe氏はこれまで、日本のCirculationsやイギリスのBrownswood、ドイツのProject: Mooncircleといったレーベルから作品をリリースしてきたが、今回のKnowmadからのリリースによって、インドのファンベースをより強固なものにすることができたようである。
勢いのある途上国のレーベルからリリースすることは、メリットにも成りうるのだ。

Tanabe氏は、特段インドにこだわって活動しているというわけではなく、ファンやプロモーターからのニーズがあるところ、面白いシーンがあるところであれば、国や地域の先入観にとらわれず(つまり、欧米や先進国でなくても)、どこにでも出向いてゆくというスタンスなのだろう。
そんな活動のフィールドのなかに、当たり前のようにインドという国が入ってくる時代が、もう到来しているのだ。

Tanabe氏とのやりとりで印象に残った言葉に、「インドのアーティストやプロモーター、オーディエンスと会話すると、海外からのステレオタイプなインド像を覆してやるという気概みたいなものもよく見受けられる」というものがあった。

インドの音楽と聞いてイメージするものといえば、映画音楽か伝統音楽という人がほとんどで、電子音楽やポストロック、メタルなどを思い浮かべる人はとても少ない。
今では、インドにもこうしたジャンルの面白いアーティストがいるし、熱心なファンもいる。
彼らには新しいインドの音楽シーンを作っていこうという熱意と気概があり、すでにMagnetic FieldsやSunburnのような大きなイベントも行われている。

何が言いたいのかというと、日本の音楽ファンやアーティストも、インドをはじめとする途上国のシーンにもっと着目したほうが面白いのではないか、ということだ。
まだ形成途中の、熱くて形が定まっていないシーンに触れられることなんて、日本や欧米の音楽だけを聴いていたら、なかなか味わえないことだ。
まして、インドは「とにかく踊る国」である。
こんな面白い国の音楽シーンを、放っておく手はない。



…と、ここで記事を終わりにしても良いのだけど、とは言っても、いざ現地の音楽シーンを体験しに行こうにも、どこに行ったらよいのか分からないという人も多いだろう。
インドには、ヒップホップやテクノがかかるクラブもあれば、ボリウッド映画のダンスチューンがかかりまくるディスコみたいな店(これはこれで面白そうだが)もある。

というわけで、最後に、Tanabe氏に聞いたインド各地のクラブ情報をお届けしたいと思います。


まずは、ムンバイから。
「どの都市にもライブ会場があり、僕が初めて訪れた時(25年ほど前とのこと)には想像もできなかった都市にもクラブがあったりします。お隣の国のネパールでもフェスティバルがあったりと、まだまだ行ってみたい会場や国はたくさんですが、知っている都市の中ではムンバイが特にクラブに対して非常に精力的な印象でした。
僕が今回プレイしたAnti Socialという会場は他の都市にも支店ができて居るようで、情報も得やすいかもしれません。

他にもBonoboもよく名前を聞く会場の一つです。」



「デリーではSummer House cafeという会場でライブしましたが、こちらも音も良く、また料理も美味しいものが食べられます。」

(註:このSummer House Cafeはデリーの若者たちが集う、音楽や新しいカルチャーの中心地Hauz Khasに位置している)
 

「バンガロールでは前回、今回ともにFoxtrotという会場でライブしましたが、こちらも他の会場と同じく非常に良い雰囲気の中で、料理や飲み物が楽しめます。」



「ゴアは街を歩けばイベントのポスターが至る所に貼ってあるので、イベントを探すのは最も簡単だと思われます。ただイベントが多いのでお気に入りの場所を探すのには多少時間を要するかもしれません。

どの街も全く違った顔を持って居るのでどれか一つは選べないので、とりあえず今回訪れた会場を挙げてみました。」


とのこと!
インドでは、日本のような音楽がメインのクラブやライブハウスというものはあまり無いようで、どこもレストランバーやカフェバー的な、食事と飲み物も楽しめるようなお店になっている。
今回紹介したようなお店は、現地ではオシャレスポットなので、いかにもバックパッカーのようなヨレヨレの格好で行くのは控えたほうが良いかもしれない。
 
お店にもよるが、イベントによっては、ロックやヒップホップ、はたまたスタンダップコメディの日なんかもあるみたいなので、訪れる前にホームページをチェックして、好みのジャンルのイベントを狙って行くことをオススメする。
ムンバイに関しては、現地在住のHirokoさん、ラッパーのIbex、ビートメーカーのKushmirに聞いた情報も参考になるはず。(この記事で紹介されています)


次にインドを訪れるなら、ぜひ現地の音楽シーンの熱さも味わってみては!



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2020年02月03日

2月29日(土)狛江プルワリさんにて「ヨギ・シン」とインド音楽(ただし古典でも映画音楽でもないロックやヒップホップやダンスミュージック)の夜 開催!



4年に一度の2月29日(土)、狛江の「印度料理プルワリ」さんにて、またまたイベントを行います!
企画名は"Indian Night".
今後、プルワリさんではこの名前でインド関連の様々なイベントをやってゆく予定だそうで、私もちょくちょく協力させてもらうことになると思います!
皆さんお楽しみに。


【Indian Night】
2月29日(土)印度料理プルワリ (狛江駅からすぐ)
https://phoolwari.co.jp/
18:30open 19:00start
1,500円(軽めのビュッフェつき、1ドリンク別)
 
phoolwari
(プルワリさんのサイトから。当日はここまでがっつりでなく気軽につまめる軽食スタイルだと思いますが…)


今回のテーマは、ずばり「ヨギ・シン」と「ノレるインドのインディー・ミュージック」!

前半は、このブログでも何度も特集している、世界中に出没する謎のインド人占い師集団「ヨギ・シン」についてたっぷりお届けします!

ヨギ・シンの「発見」からまさかの「来日」「遭遇」、さらにその正体の考察まで、話すので、「ヨギ・シンって何?」という人も大丈夫。
さらに、今回は、まだブログには書いていない彼らが使う「トリック」の秘密、そして100年近くにわたって世界中に出没している彼らのルーツ(と思われる情報)についても紹介。
未公開写真など、ここでしか聞けない、見られない情報も用意してます。
ヨギ・シンの謎と不思議を、あますことなく紹介します!
ヨギ・シンのファン(いるのか?)はもちろん、単純に不思議で面白い話が聞きたい人も満足できること間違いなし!

後半は、食事も落ち着いてきたところで、インドのロック、ヒップホップ、ダンスミュージックなどのミュージックビデオを流してトークします。
今回はお店のマダムからのリクエストで、「ストレスが発散できそうな、ノリのいい、盛り上がりそうな曲」を中心にかける予定!

映画音楽や古典音楽ではない、インドの音楽好きの若者たちが作ってる等身大のかっこいい音楽を紹介しまくります。
いかにもインドっぽい曲から、言われなければイギリスあたりのアーティストと間違えそうなもの、とにかく激しいやつ等、いろいろ取り揃えてお届けします!
飲みたい方は好きなように飲んで盛り上がってください!
(私も何か飲みながらやるつもり)

会場のプルワリさんは、デリー出身のシェフZakirさんが腕を振るう北インド料理のお店!
マトンもベジ料理もかなり美味しいです。
アットホームな雰囲気の気さくなお店です!

Phoolwari2

2月29日(土)
18:30open 19:00start
1,500円(軽めのビュッフェつき、1ドリンク別)

お越しいただける方は、ブログのメッセージからでも、TwitterのDMでも、Facebook経由でメッセンジャーでも、それぞれにコメントを残してくれてもOKです!
みなさんにお会いできるのを楽しみにしています!
当日は楽しみましょう!!



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goshimasayama18 at 21:26|PermalinkComments(2)インドよもやま話 

2020年02月01日

ムンバイのハードコアバンドRiot Peddlersとインドのパンクロックシーン!

ムンバイのハードコアパンクバンドRiot Peddlersが、デビュー作以来7年ぶりとなるニューEPをリリースした。
今回はその話題を書こうと思っていたのだが、200本を超える記事を書いてきたこのブログで、実はパンクロックについて触れるのはこれが初めて!
というわけで、今回はインドのパンクロックシーンについてもあわせて紹介してみます。


いきなり結論から書くと、21世紀に入ってからインディーミュージックシーンが発展したインドでは、パンクロックの存在感は決して大きくない。
というか、外から眺める限り、その存在はかなり小さいように見える。

これにはいくつかの理由が考えられる。
まず1つめは、かつてのアメリカやイギリスでパンクバンドをやっていたような、社会に不満を持つ若者たちの表現手段が、パンクロックからヒップホップに完全に移行してしまったということ。これはインドに限らず世界的な傾向だろう。
それに、バンドをやるためには、楽器やリハーサルスタジオにも安くないお金がかかる。
とくにインドの場合、経済的に恵まれない層の若者たちにとって、エレキギターやドラムセットを買うなんて夢のまた夢のまた夢。
体一つでできるラップと違い、そもそもロックはそれなりに裕福でないとできないジャンルなのだ。


インドでパンク人気がいまひとつな理由は、他にも考えられる。
パンクロックのサウンド面での特徴といえば、それはもちろん「激しさ」ということになるだろうが、インドでは、激しい音楽のジャンルとしては、パンクよりもヘヴィメタルのほうが圧倒的に人気なのだ。
階級社会のインドでは、人々は自分を「より良く見せよう」という意識が高い。
そのせいかどうかは分からないが、あえて低俗にふるまい初期衝動の発散に終始するパンクロックよりも、構築的で技巧的なヘヴィメタルを志す若者たちが多いのである。
インドにはとくにデスメタルやメタルコアなどのエクストリーム系のバンドが多く、それに対してハードコア・パンクは非常に少ない(これも今日ではインドに限らない世界的な傾向と言えるかもしれないが…)
もうひとつ言えば、インドでは、パンクロックが流行した時代('70〜'90頃)にインディーミュージックが盛んでなく、パンクのシーンが形成されなかったということも、パンク不在の理由として挙げられるだろう。

そんなわけで、インドではパンクロックは、決して盛んなわけではないのだが、それでも各地で草の根的な活動を繰り広げているバンドたちがいる。
まずは、冒頭でも触れたムンバイのスリーピースバンドRiot Pedllers.
TheRiotPeddlers
(画像は彼らのFacebookから拝借)
モヒカン頭のインド人は初めて見たという人が多いのではないだろうか。
彼らのファーストアルバム"Sarkarsm"から、"Bollywood Song"をさっそく聴いていただこう。


いかにもインドっぽい旋律のヘタクソな歌から始まるが、これはインドの娯楽の絶対的メインストリームであるボリウッドをおちょくっているのである。
その後の歌詞を冒頭の4行だけ載せると、こんな感じである。

I hate this song, it makes me sick
Bollywood can suck my dick
I have a big frown on my face,
Need to get the fuck out of this place
あえて訳すまでもないと思うが、ここにはボリウッドに対する痛烈な嫌悪感が表されている。
インドの娯楽映画は日本にもファンが多いので少し言いづらいのだが(私も別に嫌いではない)、あんなものはクソだと思う人が一定の割合でいるというのは、主流文化の避けられない宿命だろう。こういうカウンターカルチャーが無かったら、かえって不健全というものだ。
アルバムタイトルの"Sarkarsm"は、インドの諸言語で「権力者」 を意味する'sarkar'と、英語で「皮肉」を意味する'sarcasm'をかけ合わせた造語で、「権力やメインストリームに対する皮肉」といった意味と思われる。
(ちなみに"Sarkar"というタイトルの映画はヒンディー語でもタミル語でもあって、ヒンディー語版は名優アミターブ・バッチャン主演のマフィア映画のシリーズ、タミル語版はヴィジャイ主演の選挙をテーマにした作品)

続いては、新作"Strength in Dumbers"(今度は「数の力」という意味の'strength in numbers'をもじっていて「アホどもの力」とでも訳せるだろうか)から"Muslim Dudes On Bikes".

ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭にともなって肩身の狭い思いをしているムスリムへの、少々手荒い応援歌である(ちなみにバンドのメンバーは3人ともヒンドゥーのようだ)。
このEPは5曲入りでたったの11分というパンクロックらしい潔い内容。
彼らのサウンドは、これといった特徴のないハードコアパンクだが、主流文化に毒づき、マイノリティーに共感する彼らのアティテュードは、間違いなくパンクロックのものである。

続いて紹介するバンドは、プネーのFalse Flag.
これは2018年にリリースされたネパールのパンクバンドNeck Deep in FilthとのスプリットEPで、最初の4曲がFalse Flagの楽曲。

彼らについて紹介した記事によると、False Flagはマルキシズム的な思想に基づいた、反女性差別、反カースト差別的な主張を持ったバンドとのことである。
以前、ジャマイカン・ミュージックを武器に戦う活動家のDelhi Sultanateを紹介したときにも思ったことだが、政治的な主張をより多くの人に伝えたいのであれば、もっとインドの大衆に受け入れられやすいジャンルだってあるはずだ。
それでもこうしたインドでは全くポピュラーではないジャンルを選んでいる理由は、おそらくだが、彼らにとっては、その思想とパンクロックのサウンドは不可分のものであって、どちらか片方では成立し得ないものだからなのだろう。
政治性が極端に排除された日本の音楽シーンのことを考えると、ちょっと背筋が伸びる思いである。
まあ、パンクロックを聴いて背筋を伸ばすのもなんだけど。

こちらは、昨年デビューしたムンバイの5人組Pacifist.
スマホで撮ったみたいな縦長の画像に味わいを感じる。
ここまで紹介したどのバンドもまともなミュージックビデオを作成していないことからも、インドのパンクシーンがかなり草の根的な状況であることが分かるだろう。

彼らはAt The Drive InやHelmetなどの影響を受けているとのことだが、ヴォーカリストのSidharth Raveendranはもともとはデスメタルバンドのメンバーだったそうだ。

こうした経歴や、この映像の観客の様子からも、インドのハードコアパンクがメタルシーンとかなり接近しているということが見て取れる。

続いては、同じくムンバイから、Green Dayあたりが大好きそうなバンド、Punk On Toastの"My Friends"を紹介する。
 
ギターをかかえて両足を揃えてジャンプ!
なんだか青春っぽい。
Hi-Standardあたりを思い出すアラフォーの人も多いんじゃないだろうか。
この曲はかなりポップなメロディックパンクだが、彼らの他の曲はもっとハードコアっぽかったりもする。
インドのパンクロックの中心地を挙げるとしたら、やはり最大の都市ムンバイということになるようで、ムンバイには、他にもマスコアからの影響を受けたDeath By FungiやGreyfadeといったバンドが存在している。

インド東部のウエスト・ベンガル州コルカタのThe Lightyears Explodeは、よりポップな音楽性のバンド。
政治的というよりは内政的なテーマを歌っているようだ。


同じくコルカタにはRoad2Renaissanceというバンドもいる。
曲は、その名も"Marijuana Song".
DoorsやPink Floydらの影響も公言している彼らをパンクバンドとして紹介いいものかどうか迷うが、パンク的な要素のあるサウンドではある。

あくまで印象としてだが、コルカタのバンドからはニューヨークのバンドのような文学的洗練を感じることが多い。
タゴールやサタジット・レイで知られる文化的な土地であることと、なにか関係があるのだろうか。


歴史を遡って、インドで最初のパンクバンドについて調べてみると、どうやら2002年にムンバイで結成されたTripwireというバンドに行き着くようだ。

Ramones, Sex Pistols, Black Flag, Bad  Religionといったクラシックなバンドの影響を受けているようだが、個人的には彼らのサウンドからはあまりパンクを感じない。
労働者階級出身であることがパンクスの絶対条件だとは思わないが、彼らからは、隠しきれない「育ちの良さ」みたいなものが感じられてしまって、パンク的な破壊衝動をあまり感じられないというのが正直なところである。

2004年にデリーで結成されたSuperfuzzというバンドもインドにおける初期パンクロックにカテゴライズされることがあるようだ。

この曲に関しては、ニルヴァーナ風のサウンドに、リアム・ギャラガー風のヴォーカルといった感じだが、全ての曲がこのスタイルというわけでもなく、ロックバンドとしての作曲/パフォーマンス能力はこの時代のインドにしてはなかなか高いものを持っているようである。
その後、彼らはIndigo Childrenと改名し、90年代のUKのバンドを思わせるようなポップなロックを演奏している。

と、ここまで読んで(聴いて)いただいて分かる通り、インドのパンクバンドは、サウンド的には亜流の域を出ないものが多く、強いオリジナリティやカリスマ的な人気バンドが存在しているわけではない。
それでも、破壊衝動や社会への怒りと不満をパンクロックに乗せて表現している人たちがインドにもいるということに、まず何よりもうれしさを感じる。
カウンターカルチャーとしての音楽の本流がヒップホップに移ってしまったとしても、やはりどうしてもパンクロックでしか表現できないフィーリングというものがあるのだ。

かつて、ブルーハーツは『パンクロック』という曲で、極めて率直にこう歌った。

僕 パンクロックが好きだ 
中途ハンパな気持ちじゃなくて
本当に心から好きなんだ 

インドにも同じように感じている若者たちがいるのだと思うと、かつてこのジャンルにずいぶん力をもらった一人として、単純にうれしい。

インドのパンクロックシーンはまだまだ発展途上だし、その規模から考えると、これから爆発的に成長するとも思えないが、インドの都市の片隅で、ヘタクソなパンクバンドに合わせてモッシュしている若者たちがいると思うと、またいっそうインドという国が身近に感じられるというものである。

がんばれ!インドのパンクバンド!


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goshimasayama18 at 14:15|PermalinkComments(0)インドのロック