2019年12月

2019年12月31日

2019年を振り返る

早いもので、あっという間に2020年がやって来る。
昭和生まれで、ノストラダムスの大予言に怯えながら幼少期を過ごした自分としては、一応無事に2020年まで生きてこられたってことがまずびっくりなわけだが、さらに驚くのは、この1年で私の「アッチャー・インディア」を読んでくれる人がずいぶん増えたってことだ。

インドのロックやヒップホップという極めてニッチかつマイナーなテーマのブログを開設した当初は、自分しか価値の分からない宝物を掘り出しては磨いて並べているような気分になったものだった。
隣のインド映画の鉱山には大勢の採掘人が集まり、買い付けのお客さんたちで賑わっているのを横目に、「ヒンドゥーのエミネム」とか「アンチカーストのデスメタル」なんていう掘り出し物を陳列しては、ヒマにまかせて並べた品にはたきをかけたりチャイを飲んだりしていたはずなのに、気がついたらこの1年でずいぶんお客さんが来てくれるようになっていた。
(お読みくださっているみなさん、ありがとうございます)

そりゃもちろん、もはや日本でも完全に人気の定着したインド映画と比べたら、インドのインディー音楽は認知度も人気も遠く及ばないが、それでもかつてのように1日の訪問者数が1ケタなんてことは無くなったし、普通の日で数十人、多い日には数百人の方がこのブログを読んでくださるようになった。
1日で千人近い人が読んでくれたこともある。
この1年は多くの出会いに恵まれた年でもあって、インド研究者の方々、インドの各方面で活躍されている方々、さらには映画、音楽、出版、芸能などの世界で活躍している方々とお会いする機会もあり、じつは普通の勤め人のおっさんである私は大いに刺激をいただいた。
あらためてみなさんに感謝する次第です。

また、1月の映画『あまねき旋律』の上映後トークショーをはじめ、8月のマサラワーラー鹿島さんとの"Indian Rock Night"、 10月のサラーム海上さんとHirokoさんとの"Gully Boy -Indian HipHop Night-"、11月の狛江プルワリさんでのイベントと、ブログの画面を飛び出して、みなさんに直接お話しする機会を何度もいただけたのもありがたかった。

あんまりお礼ばかり書いていると遺書みたいな感じになってくるのでこのへんでやめておくが、とにかく私の2019年は本当にいい1年だった。
じつは今年は厄年、しかも本厄ってやつだったのだけど、そんなことは一切感じなくて、もう良いことしかなかった。
最後にもう1回、改めてみなさんに感謝申し上げます。


インドの音楽シーンでの今年いちばんの話題は何かと考えてみると、それはやはりNaezyとDivineをモデルにしたインド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』の公開だろう。
それまで、ごく一部のファンしか聴いていなかったインドのストリートヒップホップが、ボリウッドのトップスターであるランヴィール・シンの主演で映画化されるという異常事態は、インドのインディーミュージック史上最大の出来事と言ってもよいかもしれない。
2月の本国での公開以降、インドのヒップホップシーンは空前の盛り上がりを見せた。
映画の内容も素晴らしく、早々に開催された日本での自主上映で鑑賞した私は、見終わった後しばらく立ち上がれないほどの衝撃を受けた。
そしてまさかインドでの公開と同じ年のうちに、ここ日本でも公式上映されるとは思わなかった。
『ガリーボーイ』については何度も書いているが、とくに気合を入れて書いたのはこのあたり。

最初に見たときの感想


日本での公開が正式に決定した時期に書いたもの


麻田先生、餡子さん、Natsumeさんのリリック翻訳プロジェクトも掲載させてもらった




インドの音楽シーンを見渡すと、『ガリーボーイ』効果もあって、今年はヒップホップシーンがとくに元気だった印象。
ヒップホップについてはずいぶん書いた。
正直にいうと、これまで欧米や日本のヒップホップの熱心なリスナーでは無かったのだが、インドのシーンを通して、このカルチャーの魅力にあらためて気づくことができたのは自分にとって大きかった。

まずは、これまでのインドのヒップホップの歴史を自分なりにまとめたもの。
インドのヒップホップシーンの変化は本当に早く、Divineらによって巻き起こった「ガリーラップ」のムーブメントすらもはや過去に感じるほどだ。 


映画『ガリーボーイ』ではムンバイ最大のスラム、ダラヴィが舞台となっているが、こちらはデリーのシーンを引っ張るAzadi Recordsの紹介。
積極的な活動は現在も相変わらずだが、ここでも紹介している鬼才トラックメーカーのSez on the Beatはすでにレーベルを離れている模様。


インド本国のヒップホップブームは海外のインド系ミュージシャンにも飛び火し、これはアメリカで活動しているプロデューサーによる作品。
音楽的にも、「ガリーラップ以降」の世界的な潮流との同期を感じさせる内容だ。


こちらはイギリス在住のパーカッショニスト/ジャズミュージシャンがインドのヒップホップ界隈のミュージシャンと作ったアルバム。
ヒップホップアルバムというよりは、ジャズとインド音楽の融合といった色合いが強いが、大傑作!


地元言語のシーンとは別に、英語のヒップホップはかなり洗練されたサウンドを聴かせるアーティストが多い。
インドの音楽シーンにおける日本のカルチャーの影響についてはずっと注目して来たが、この生地で紹介しているHanumankindの"Kamehameha"には驚かされた。



日本文化の影響を感じさせる曲といえば、このSanjeeta Bhattacharyaの"Natsukashii"はいい曲だった。
彼女はボストンのバークリー音楽院出身。
国内の才能も育って来ているとは言え、彼女のような留学組や帰国子女、NRI(海外在住インド人)のインドの音楽シーンにおける存在感は、やはり大きい。



日本との関わりで言うと、じつは彼らは日本の音楽に影響を受けたわけではないようなのだが、なぜか現地で「Jポップ」として紹介されている北東部ミゾラム州のバンド、Avora Recordsも印象深かった。
「インドのJポップバンド」という肩書きが面白かったのか、彼らのことを紹介した記事はこのブログ始まって以来の瞬間最大風速(1日あたり閲覧数)を記録した。
 


インドのミュージシャンの来日公演が相次いだのも印象的だった。
今年はケーララのスラッシュメタルバンドのAmorphiaや、ムンバイの女性ドリーミーポップデュオGouri and Akshaのように、アーティスト本人のネットワークを活かして来日した例や、高松で行われたアカペラの大会に来日したAditi Rameshを擁するVoctronicaなどが日本のステージに立った。
コアなファンを持つ音楽に関しては、もはや国籍や国境はほとんど意味を失ったと言えるだろう。(それでも、さまざまな面で「インドらしさ」が溢れるミュージシャンが多いこともまたインドのシーンの魅力なのだが) 

来日といえば、ヨギ・シン!
かねてから個人的に注目していた謎の占い師集団、ヨギ・シンが11月に丸の内で活動していることが確認され、連日捜索に出かけた顛末は熱を込めて書かせてもらった。
その正体をつきとめるには至らなかったが、今回の来日、そしてその後の調査で、彼らのことはかなり分かってきた。
とくに、前回の記事で書いた通り、その「占い」のトリックに肉薄できたことは大きな収穫だった。
これからもヨギ・シンについては書いてゆきます。




音楽以外の話題では、こんなインド文化論みたいなものも書いてみた。
インド人のこうした「文化的貪欲さ」みたいなものからは、学ぶところが大きいと個人的に感じている。



音楽以外では、今年は映画について書いたものも多かった。
『ガリーボーイ』 以外では、『パドマーワト』『バジュランギおじさん』『ヒンディー・ミディアム』『カーラ』なんかについて書いている。
本音を言うと、昨今のインド映画ブームに乗っかってレビューを書いたら読者数が増えるかもしれない、という下心も多少あって、映画に関してはほぼ知識ゼロにも関わらずダメモトで挑戦してみたのだけど、作品の力なのか、見れば何かしら語りたいことが出てくるもので、調子に乗ってずいぶん書いてしまった。
うれしいことに、音楽をテーマにした『シークレット・スーパースター』ではパンフレットに寄稿する機会までいただいた。
映画に関しては私なんかより詳しい人がゴマンといるし、今後もあくまでメインは音楽でやってゆくつもりだが、またインド映画を見たら何か書きたくなっちゃうんだろうなあ。


今年紹介したミュージシャンのなかで、個人的にもっとも印象に残っているのはプネーのバンドEasy Wanderlingsだ。
彼らのような洗練された音楽性のドリームポップ/フォークロックバンドはインド国内にも何組かいるが、海外のレーベルと契約しているParekh and Singh(コルカタ)や、海外公演の経験もあるWhen Chai Met Toast(ケーララ)と違って、Easy Wanderlingsはまだ知る人ぞ知る存在。
だが、優れた楽曲センスはもちろん、演奏力やハーモニーなどを含めて、彼らの音楽の心地よさは一級品で、もし自分がカフェを経営するなら、彼らの曲をずっと流しておきたいくらいだ。
彼らについては、4月にインタビューを含めた記事を掲載し、12月には素晴らしい新曲とアニメーションのミュージックビデオを取り上げた。
音楽性はもちろん、詩的かつ哲学的な歌詞のセンスも素晴らしい彼らに、ぜひ注目してほしい。





まあそんなこんなで、今年も1年間ありがとうございました。
これ以外の記事も一応がんばって書いてみたつもりです。
過去の記事が探しにくいのがこのブログの欠点なのですが、もし良かったらいろいろと読んでいただけたらうれしいです。

というわけで、2020年もよろしくお願いします!



--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

ジャンル別記事一覧!


goshimasayama18 at 06:18|PermalinkComments(0)インドよもやま話 

2019年12月30日

知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その2)

前回の記事(その1)はこちらから


インドが知られざるマジック大国であることを発見した私は、ヨギ・シンの手がかりを求めて、インドの伝統的な奇術やマジシャンについて調べ始めた。
どんなジャンルにも専門書はあるもので、Lee Siegelという作家/宗教研究者が書いた"Net of Magic : wonders and deceptions in India"という本(1991年、Chicago University Press)は、デリーのShadipurという地区で暮らすマジシャン・カーストの様子がいきいきと描かれていて、大変面白かった。
この本によると、マジシャンになれるのはマジシャン・カースト内に生まれた人間に限られており、たとえ彼らが孤児を迎えて育てたとしても、孤児はあくまでも助手の役割しかすることができないという。

インドのマジックは、単純なショーというより、「神の奇跡」を模して演じられる。
興味深いことに、ときにはマジシャンが「占い」を行うこともあるようだ。

マジックショーは神の名を唱えることから始まる。
彼らのショーの中で、例えばオモチャの鳥が本物の鳥になったり、死んだ人が生き返るというマジックが披露されるとき、それは神による奇跡だという演出がなされる。
また、この本には息子が親の決めた結婚に従わないという相談に対して、マジシャンが魔法の実(ここではライム)を渡して、心変わりをさせるまじないを教えたりする場面も描かれていた。
インドでは、マジシャン、占い師、超能力者の境界は、きわめて曖昧なのだ。

この虚実が一体となった世界は何かに似ていると思ったのだが、考えてみたらそれはプロレスだった。
プロレスは、身もふたもない言い方をしてしまえば、屈強な男たちが、闘いを「演じる」興行なわけだが、その強靭に鍛え上げられた肉体から繰り出す技の基礎には、競技名からも分かるとおり、レスリングの技術が存在している。
シュート(リアルファイト)の技術のあるアスリートが、「パフォーマンスとしての戦い」をするというわけだ。
さらには、個々のプロレスラーのキャラクターについても、虚実が複雑に絡み合っている。
例えば、インド系の伝説的プロレスラー、タイガー・ジェット・シンは、地元カナダでは小学校にその名が冠せられるほどの名士でありながら、リング上ではヒール(悪役)として非道の限りを尽くすというキャラクターを演じている(タイガー・ジェット・シンについては、近々何か書くつもり)。
全てをリアルとして手に汗握ることも、虚構と割り切ってショーとして楽しむこともできるのだが、完全に虚構とは言い切れない何かがそこにはある。
この構造はインドのマジックと全く同じだ。

虚実といえば、マジシャンたちは自身の信仰に関係なく宗教を演出に取り入れているようで、例えばムスリムのマジシャンが、ヒンドゥーの神話や神の名をパフォーマンスで口にすることもあるという。
ヒンドゥーのなかにもムスリムのなかにもマジシャンは存在しており、彼らはときに同じ伝統を共有している。
ということは、シク教徒の占い師ヨギ・シンも、マジックとトリックと超能力が渾然一体となった、インドの大地の魔術文化のなかにいると言ってよいだろう。

マジックについての調査を続けるうちに、ヨギ・シンが行なうようなマジック(相手の心を読む)は、ひとつのカテゴリーとして確立しているということが分かってきた。
「カードマジック」とか「ステージマジック」のようないちジャンルとして、相手の心を読むことを主眼としたマジックの専門家が、世界中大勢いるのだ。
このジャンルについて調べてゆけば、きっと彼に近づくことができる。 
そう確信して調査を続けることにした。

ここで少し言い訳をさせてもらうが、ここから先、いよいよヨギ・シンが行う秘術の核心に触れることになる。
ところが、彼らが行う占い(というかマジック)の、いわゆるタネについて、どう書いたものか、未だに結論が出せずにいるだ。
ヨギ・シンと世界中のマジシャンたちの共通財産でもあるそのトリックを、軽々しく公開すべきでないだろう。
だが、それを書かなければ、ヨギ・シンの本質について書くことはできない。
なんとももどかしいジレンマだが、書ける範囲で書くことにすることをご容赦いただきたい。


人の心を読むことをテーマとしたマジックについて調べ始めて間もなく、ヨギ・シンが使う手法によく似た技法を見つけることができた。
それはこんな演出のマジックだ。

マジシャンは、お客さんの中から一人を選び、好きな数字(数字以外、例えば親や恋人の名前でも、持っているお金の合計金額でも何でもいい)を頭の中でイメージしてもらう。
次に、マジシャンはお客さんの心を読むふりをしてメモ用紙に何事かを書きつけると、書いた面がお客に見えないように自分の側に向けて、メモを体の前で保持する。
続いて、お客さんに、その想像した言葉を大きな声で口にしてもらう。
そこで隠していたメモ用紙を開示すると、なんとそこには、たった今お客さんが言った内容がそっくりそのまま書かれている。
(マジシャンが紙に何かを書いたのは、お客さんが答えを言う前だったのに!)

このマジックとヨギ・シンの「占い」の違いは、ヨギ・シンの場合、最初に書いた紙を自分が持つのではなく相手の手の中に握らせるという部分だ。
だが、それ以外はほぼ全く同じであり、ヨギ・シンもこのマジックを応用しているはずだと考えて良いだろう。
このマジックのルーツが分かれば、彼らがどうやってこの技法を自分たちのものにしたのか、その歴史が分かるかもしれない。

だが、それは調べるまでもないことだった。
なぜなら、このマジックの名前そのものが、この技のルーツを、何よりも雄弁に語っていたからだ。
「ヨギ・トリック」。
本当はこの名前ではないのだが、タネ明かしやネタばらしを避けるために、ここではそう呼ぶことにする。
(読んでくださっているみなさんには申し訳ないが、やはりここでヨギ・シンやマジシャンたちのメシの種を奪ってしまうことはできない。以降、この技術の本当の名前やトリックの核心には触れないが、極力ヨギ・シンの謎に迫れるように書いてみる)
このマジックには、欧米で生まれたのではなく、インドの占い師やグルたちによって作られたことが一目で分かるような名前がつけられていた。
しかも、この技法について解説したウェブサイトには、この「ヨギ・トリック」は「もともと読心術や降霊術等に使われていた」という記述まであった。
間違いない。
この「ヨギ・トリック」も、インドのマジシャンや占い師によって編み出され、やがて世界中に流出した技術のうちのひとつなのだ。

マジシャンのJames L. Clarkが執筆した"Mind Magic and Mentalism for Dummies"という本によると「ヨギ・トリック」の起源は、歴史の中で失われてしまっているものの、1898年にWilliam Robinsonなる人物が"Spirit Slate and Kindred Phenomena"という著書でそのトリックを紹介した頃には、この技はすでにマジシャンたちに知れ渡っていたという。

このWilliam Robinsonという男が、ヨギ・シンたちの技術を欧米のマジシャンに広めた「犯人」の一人なのだろうか。
そう思ってこの男について調べて見たところ、彼もまた一筋縄ではいかない人物だった。

William Robinsonは、20世紀初めのイギリスで人気を博したアメリカ人のマジシャンだった。
彼は、Ching Ling Fooという中国人マジシャンから着想を得て、自らも東洋人のギミックを使うことを思い立つと、中国風のメイクを施し、髪を辮髪に結い上げてChung Ling Sooというキャラクターを演じて大人気となった。
フーディーニがキャリアの初期にインド人マジシャンを装ったように、彼もまた東洋のミステリアスなイメージを演出に取り入れたのだ。
彼の中国人ギミックは、舞台上では決して英語を話さず、取材の際も通訳をつけて対応するというほどの徹底ぶりだった。
彼の生涯は、その死に様まで記憶に残るものとなった。
1918年3月23日、彼はショーの最中に銃弾を受け止めるマジックに失敗して命を落としたのだ。
死後に身元を調べて、彼がじつは白人だったことを知った人々は大いに驚いたというから、彼もまた虚実皮膜の人物だったのである。
19世紀の早い段階から、パンジャーブ地方のマハラジャをはじめとするシク教徒たちはイギリスに移り住んでいたようだから、ひょっとしたら彼は「ヨギ・トリック」をインド人のマジシャンか占い師から学んだのかもしれない。

いずれにしても、この「ヨギ・トリック」について調べるうちに、そのタネについては大まかに理解することができた。
だが、それでも疑問は残る。
このトリックでは、占い師(手品師)自身が手にしているメモに、相手が思った言葉を書きつけることはできても、トリックをかける相手自身が握っているメモに書くことはどうしても不可能なのだ。
さらに、1993年にバンコクで高野秀行氏が遭遇したヨギ・シンは、高野氏の小指の付け根あたりに、「好きな数字」を青色で浮かび上がらせるという技まで披露したという。
また、デリーでヨギ・シンらしきターバン姿の占い師に遭遇したという人からは、自分が言葉で伝える前に、母親の名前や兄弟の数を的中させられたという報告もあった。
どうやらヨギ・シンは、私が調べた「ヨギ・トリック」だけではなく、複数の技法を組み合わせて、「占い」をしているらしい。
その中に本物の超常現象が含まれている可能性も、完全に否定することはできない。 

世界中のマジシャンたちが、古くから「ヨギ・トリック」を自らのショーに取り入れて、観客を驚かせ、喝采を浴びている一方で、本家のヨギ・シンたちは、今日も旅先の異国の街で、あくまでも占いを装い、詐欺師と呼ばれながら生業を続けている。
現代のマジシャンたちは、「ヨギ・トリック」のタネを知っていても、いまだにそのルーツとなった集団が世界中を旅して、「占い師」として生き続けていることをほとんど知らないだろう。
ヨギ・シンと会い、その不思議な技に驚かされた(そしてお金を巻き上げられた)人も、彼らが歴史ある流浪の占い師集団であることも、そのテクニックが今ではマジック界で広く取り入れられていることも知らないだろう。

ヨギ・シンの「魔術」を暴くことが野暮で無粋とは知りつつも、ここまで深く彼らのことを知っている人間は自分の他にはいないかもしれないという思い上がりから、この記事を書いた。
彼らは100年以上に渡る不思議な伝統を保持して生きる集団でありながら、これまであまりにも大切にされてこなかった。
インドでは100年以上にわたる伝統を守り続ける集団は珍しくもないと思うが、それにしても、技術を搾取され、今も不安定な身分で世界中を渡り歩いて暮らす彼らには、そろそろ正当な評価が与えられても良いのではないだろうか。
100年以上にわたってグローバリゼーションの波間に揺られてきたヨギ・シンたち。
果たして100年後も、世界中の街角で彼らに出会うことができるのだろうか。


ヨギ・シンについての、マジックの分野からの記事はひとまずこれでおしまい。
彼らには、これからもまた別の角度から迫ってみたいと思います。
そして、100年後と言わず、今すぐにでも彼らに再会したい。
強くそう願っています。


(続き。ヨギ・シンの謎に深く迫っていた謎の人物について)



--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

ジャンル別記事一覧!


goshimasayama18 at 04:55|PermalinkComments(5)ヨギ・シン 

2019年12月24日

知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その1)

虹を見るとき、いつも思う。 
もしこの現象が、空気中の水滴と光の屈折が引き起こしたものに過ぎないということを知らなかったら、どんなに感動できただろう、と。
この雨上がりの空にかかる色彩の橋が、神々や精霊のしわざかもしれないと思えたら、どんなに素晴らしいだろう。
学ぶのは大切なことだが、知れば知るほど、この世界から神秘は失われてゆく。

知りすぎた我々の周りからは、神や妖怪や精霊たちの居場所は失われ、我々は物質だけの味気ない世界で暮らすようになった。
それでもなお、この世界に残された謎の正体を知りたがってしまうのが人間の性というもので、何が言いたいのかというと、先日からしつこく書いているヨギ・シンのことなのである。

ネッシーもツチノコも人面犬も口裂け女も、もはや誰もまともに信じている人はいない今日、 ヨギ・シンは、この不思議が失われた世界の最後の謎とも言える存在なのだ。
しかも、他の謎や都市伝説と違って、「彼」は確実にこの世界に存在している。

ヨギ・シンを知らない人のために、「彼」の「発見」から出会いまでは、少し長くなるが以下を参照してほしい。







参照するのがめんどくさい方のために端折って書くと、占い師とも詐欺師ともつかない不思議なインド人との遭遇体験が、世界中で報告されているのだ。

「彼」は、じつに不思議な手口で人の心を読み、お金をだまし取って生計を立てている。
いや、だまし取ると言っては「彼」に失礼だ。
「彼」がしていることは、客観的に見て、一般的な占い師やマジシャンと変わらない。
トリックを使った技をさも超常現象のように見せかけることも、科学的根拠のない未来予想を告げてお金を要求することも、それだけで詐欺とは呼べないだろう。
欧米の都市で彼が'scam'(詐欺)と呼ばれる理由があるとしたら、事前に有料だと言わずに、「占い」のあとでお金を請求することと、お客が支払った金額に満足せず、さらにその何倍ものお金を請求することだと思うが、これは別に詐欺行為ではなく、単に欧米と南アジアの商習慣の違いである。
さらにお金を請求されても、それ以上払わなかったという人も、払わずに逃げたという人も何人もいるし、それに対して脅されたり暴力を振るわれたりしたという話は聞いたことがない。
かなり贔屓目な私の意見など参考にならないかもしれないが、彼はそんなに悪い男ではないのだ。

運良く(あるいは、運悪く)「彼」に出会ったとしよう。
「彼」はあなたに「君は幸運な顔をしている」などと声をかけてくる。
「彼」は小さな紙に何事かを書きつけると、それを丸めてあなたの手に握らせてから、あなたの好きな花や数字を尋ねる。
あなたがそれに答えると、「彼」は握りしめている紙を広げて読んでみるように言う。
すると、なんとそこには、さっきあなたが答えた通りの花の名前や数字が書かれている。
その後、さらに高度な質問(例えば、母親の名前など)を的中させたり、未来を占ったりしたうえで、その対価としてお金を要求するというのが、代表的な「彼」の手口だ。

古くはミャンマーで1950年代に出版された小説にその存在の記述があり、90年代にはノンフィクション作家の高野秀行さんがバンコクで遭遇している。(『辺境中毒!』という本にそのエピソードが書かれている)
インターネットが発達した2000年代以降、驚くべきことに、「彼」との遭遇はロンドン、シンガポール、メルボルン、ニューヨーク、トロントなど、世界中の都市で報告されている。
最新の報告は、数日前に日本人の青年が香港で遭遇したという事例だ。
ミャンマーの小説の舞台は1930年代だというから、少なくとも100年近い歴史のある占い(もしくは詐欺)ということになる。

「彼」は、名前を名乗るときも名乗らないときもあるが、名乗る時は必ず「ヨギ・シン」という名であることが分かっている。
「シン(Singh)」はシク教徒の男性ほぼ全員に名付けられるライオンを意味する名前で、「ヨギ」はヨガなどの行者を意味している。
自分はパンジャーブ出身であると言うこともあり、ターバンなど、シク教徒らしき特徴であることも多い。
(「シク教」は16世紀に現在のインド・パキスタンの国境地帯であるパンジャーブ地方で成立した宗教で、男性はターバンを着用することが教義に定められている。現在ではターバンを巻かないシク教徒もいる)


報告された時代と場所がこれだけ多岐にわたっているということは、長年にわたって同じ手口を生業とするグループが存在するということだ。
『インド通』という本を書いた大谷幸三氏によると、シク教徒のなかで、こうした辻占で生活する、低い身分とされている集団があるという。
だが、それ以上のことは何も分からない。
彼らは世界中に何人いるのか。
いつ頃から、彼らは存在しているのか。
海外に出てまで辻占をして、はたして採算は取れるのか。
そして、彼らの技術には、どんなトリックがあるのか。
彼らについて知りたいことはいくらでもあった。

そんな時、なんと「彼」が東京に現れたという情報が入った。
先月(2019年11月)のことだ。
様々な方からの情報が寄せられ(謎のインド人占い師と遭遇した人が検索して私のブログを見つけて、コメントを残してくれたのだ)、写真や遭遇地点の情報をもとに、私は出没報告のあった丸の内を捜索した。
そして、幾日にも渡る捜索の結果、私はついにヨギ・シンと思われる男と遭遇したのだ!
だが、「彼」の正体を知っていることをほのめかした私は警戒され、「彼」は何も語らずに立ち去ってしまった。
私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。
まさか怪しいインド人に怪しい男扱いされるとは想像もしていなかったが、考えてみれば、海外で詐欺とも取れる行為をする彼らが警戒を怠らないのは当然のことだった。
もし私が警察や入国管理局の関係者だったとしたら、「彼」は拘束されたり、強制退去させられたりするかもしれない。
私は作戦を誤ったのだ。

その後、それまで何日も続いていた東京でのヨギ・シン遭遇報告はぱったりと途絶えてしまった。
報告によると、ターバンを巻いた初老の男、ターバンのないもう一人の初老の男、そして私が会った比較的若い男の、少なくとも3人のヨギ・シンが東京に来ていたはずだ。
彼らは正体を知っている人間がいることを恐れて、東京から去ってしまったのだろうか。

直接彼らと接触する術を失った私は、別の方面からの調査を行うことにした。
ヨギ・シンの最大の謎と言ってよい、不思議な「技」についての調査だ。
私は、彼の「技」と同じようなテクニックを、テレビか舞台でマジシャンが披露しているのを見た記憶があった。
彼の「技」と同じか、少なくともよく似た技術が、マジックのなかにあるはずだ。
彼の「技」のルーツが分かれば、彼らについてきっと何か分かることがある。
例えば、もし彼の「技」が20世紀前半にイギリスのマジシャンによって発明されたものだということが分かれば、彼らの技法はその時代にインドからイギリスに渡った移民によってコミュニティにもたらされたと推測できる。(実際、シク教徒はインド独立前後にイギリスに移民として渡った者が多かった)

私は、大型書店、図書館、そしてインターネットで、マジック関連の文献の中に手がかりがないか調べ始めた。
そこで改めて気づいたのは、マジックの種類というのは、数え切れないほど無数にあるということだ。
その一つ一つを調べて、彼の「技」との類似点がないかを確認するには、相当な労力と時間が必要だ。

それに、調べれば調べるほど、プロのマジシャンが行うマジックのタネが分かってしまうというデメリットもあった。
私はマジックを見るのが結構好きなのだ。
ヨギ・シンの秘密を探るためとはいえ、知りたくないマジックのタネまで知ってしまうというのはあまりにもむなしい。
マジックもまた、知ることでその神秘を失うのだ。
いずれにしても、多すぎるマジックのタネを、片っ端から調べてゆくのは効率が悪すぎる。
彼の「技」によく似た、数を的中させるマジックといえば、まず思い浮かぶのはカードマジックだ。
私は手始めにカードマジックから調べてゆくことにした。

すると、カードマジックのごく初歩的な部分のなかに、気になる言葉があるのを発見した。
カードマジックについて書かれた本に、「ヒンズー・シャッフル」という単語があったのだ。
「ヒンズー」はほぼ間違いなくヒンドゥー教のことだろう。
これはきっとなにかインドに関係があるに違いない。
調べてみると、我々日本人がトランプをシャッフルするときに行うごく一般的なやり方を、マジックの世界では「ヒンズー・シャッフル」と呼ぶということが分かった。
語源は、かつてインドのマジシャンたちがこのシャッフルを多用していたからだという。

インドのマジシャン。
私はその言葉を見つけて、はっとした。
なぜ今までその発想に至らなかったのだろう。
華やかなラスベガスなどのイメージから、私はマジックの本場といえばアメリカ、そしてそのルーツであるヨーロッパだとばかり考えていた。
だが、インドほどの歴史と文化を誇る土地であれば、そこに豊かな奇術の歴史があっても全くおかしくはないのだ。
調べてみると、インドはイブン・バットゥータが旅行記を著した13世紀から、世にも不思議な奇術を行うマジシャンたちの国として知られていたという。

そう、インドはかつて、マジック大国だったのだ。
とくにロープマジックについては深い歴史とバリエーションがあり、また誰もが見たことがあるであろう箱の中の人物に剣を刺すマジック(もともとは箱ではなく籠が使われていたようだ)も、寝たまま空中浮遊した(ように見える)人物にフラフープを通してみせるマジックも、その発祥の地はインドだという。

考えてみれば、インドほど怪しげでミステリアスな、マジックが似合う国は他にないのではないだろうか。
なにしろ、かのフーディーニも、そのキャリアの初期には顔を褐色に塗り、インド人の魔術師に見えるような演出をしていたという。
インドはむしろマジックの本場とも言える国なのだ。
インドの民衆が誇る知的財産とも言えるマジックは、悲しいことに、植民地支配や独立後の欧米との経済力の格差によって、先進国に流出してしまったのである。

皮肉なことに、悲願の独立を果たしたインド社会では、藩王国の解体によって、宮廷を舞台に活躍していた芸術家たちはパトロンを失ってしまった。
路上で生計を立てていた大道芸人たちも、近年の都市開発によって居場所を奪われ、もはやその文化は風前の灯火だという。
近代国家として歩みだしたインドに、マジシャンたちのための場所はほとんど残されていなかったのだ。
そもそも幼い頃から親族共同体のなかでともに暮らして修行する伝統的な手品師の生き方は、近代的な学校制度とも相入れないものだった。
さらに、映画やテレビといった新しい娯楽が、彼らの衰退に追い打ちをかける。

彼らの先祖から技術を盗んだ先進国のマジシャンたちは、今日もタキシードを着て、華やかなステージで洗練されたマジックを披露する。
着飾った観客たちのなかに、そのマジックのいくつかのルーツがインドにあると想像する人が、はたしているだろうか。

そう考えてみると、一度はインドから奪われたマジックという「文化遺産」を使って、先進国の都市で人々を幻惑してはお金を稼いでゆくヨギ・シンは、たとえ本人が意図していなかったとしても、インドの伝統にのっとったやり方で、文化的かつ歴史的なリベンジを果たしているとも考えられる。

長くなったうえに、話が迷走気味になってきたので、今回はここまで。
次回は、いよいよヨギ・シンの「技」の核心に迫る。
虹の神秘を失わずに、その本質を伝えるには、どう書いたものか。


(写真は丸の内の路上で11月に撮影されたターバン姿のヨギ・シン。彼を含め、少なくとも3名のグループが来日していたと思われる)
ヨギ・シン2加工済み


その他参考文献:前川道介(1991)『アブラカダブラ 奇術の世界史』白水社、Lee Siegel(1991)"Net of Magic : wonders and deceptions in India" The University of Chicago Press
参考ウェブサイト:https://qz.com/india/1330572/indian-magic-once-captivated-the-world-including-harry-houdini



(つづき)



--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

ジャンル別記事一覧!



goshimasayama18 at 00:47|PermalinkComments(2)ヨギ・シン 

2019年12月16日

ゴアに帰って来たSunburn Festivalと「悪魔の音楽」批判


以前、インド西岸の街ゴアが、西洋人ヒッピーたちの楽園となり、90年代にはゴアトランス発祥の地となったのち、いまではインド人による音楽フェスティバルの一大拠点になるに至った経緯を書いた。

かつての記事はこちらから:




1960年代以降、欧米社会をドロップアウトしたヒッピーと呼ばれる若者たちは、こぞってゴアを目指した。
物価が安く温暖で、かつてポルトガル領だったことから欧米人ツーリストが過ごしやすい文化を持つゴアは、自由とドラッグと音楽を愛するヒッピーたちの理想郷だった。
1990年代に入ると、彼らがビーチサイドで行うパーティーのための音楽として、サイケデリックなテクノに民族音楽を融合した「ゴアトランス」が生まれた。
そのパーティーを目指して集まる者たちは、ヒッピーではなくレイヴァーと自称するようになった。


2000年代以降、無秩序なパーティーに対する規制が強化されるようになると、レイヴァーたちはこの街を去っていった。
そこにやってきたのが経済発展著しいインドの若者たちだ。
レイヴァーの文化的遺産であるパーティー文化はインドの若者たちに引き継がれ、ゴアはインド人たちがもっともクールな音楽フェスを楽しむリゾート地へと変貌した。

その象徴が、2007年に始まったSunburn Festivalだ。
インド人によるEDM/テクノ/ハウス系フェスのさきがけであるSunburn Festivalは、第1回の開催で5,000人の観客を集めると、回を追うごとに動員数を増やし、今では35万人が集う、アジア最大の、そして世界で3番目の規模のEDM系フェスティバルとなった。
世界で3番目ということは、フロリダのUltra Festival、ベルギーのTomorrowlandに次ぐ規模ということだから、その人気ぶりが分かるだろう。

Sunburn Festivalは、2016年以降は、のどかな港町のゴアからマハーラーシュトラ州の学園都市プネーに開催地を移して行われていたが、今年は久しぶりにゴアに戻って来て開催されることとなった。
2月にはSunburn Klassiqueと称して、このフェスティバルがインドの野外パーティーカルチャーの故郷であるゴアへ帰還したことを祝うイベントが行われた。

海外からは、インド系アメリカ人のEDMプロデューサーとして世界的な人気を誇るKSHMR, ベルリンの覆面ハウスDJとして知られるClaptoneらの世界的なアーティストが出演。
インドからも、国内テクノシーンの第一人者であるArjun Vagale、1990年代から活動するインド系クラブミュージックのMidival Punditzなどがラインナップに名を連ねた。

そして、年末の12月27〜29日には、いよいよ本番のSunburn Festival Goa 2019が行われる。
出演者として、マイアミ出身のハウス/テクノDJであるMaceo Plex, ベルギーのハウスDJ/プロデューサーのLost Frequencies、サマソニへの出演も記憶に新しいThe Chainsmokersらの豪華なアーティストたちがラインナップされている。


旅行やビジネスでインドを訪れただけの人には想像しづらいかもしれないが、この映像を見れば、インドにも欧米と同じようなパーティーカルチャーが確実に根付いていることが分かるだろう(とはいえ、こうしたイベントに集う若者たちは、12億人を超えるインドの人口のごく一部でしかないのだが)。
ところが、ゴアに里帰りを果たすSunburn Festivalに対して、宗教的な側面から、かなりトンデモな言いがかりがつけられているのだ。
インド大手紙Times Of Indiaの12月8日付の記事によると、保守的なヒンドゥーの政治家から、フェスの中止を求める声が上がっているという。


トランスミュージックは悪魔の音楽、取り締まるべき:ゴアの前大臣

ゴア最大のEDMフェスティバルが数週間後に迫っている。Siolim地区の立法議会議員で前大臣のVinod Paliencarは、「トランスミュージックはヒンドゥー神話の『乳海攪拌』のときに、悪魔が神々に対して演奏していた音楽である」と主張した。
この立法議会議員は、4ヶ月前までBJP(訳注:インド人民党。ヒンドゥー至上主義的傾向が強いとされる中央政府の現政権与党)内閣の水産大臣を務めており、「ウパニシャッド(ヒンドゥー神話)によると、トランスミュージックがプレイされるときは、常に悪が善を打ち破ることになる」と述べて、トランスパーティーの取り締まりをしようとしていた。
Paliencarの選挙区には、ゴアのナイトライフとゴアトランスで有名なアンジュナとバガトール(訳注:ビーチの名前。前述のレイヴパーティーの動画や今年のSunburnの会場がバガトールであり、アンジュナにはヒッピー向けの宿や店が多い) が含まれている。
(筆者訳、後略) 
若者が熱狂する音楽を「悪魔の音楽」と呼ぶという、1950年代のロックンロールの時代から繰り返された、ずいぶんと古典的な言いがかりである。
「乳海攪拌」とは、ヒンドゥー教における天地創造神話の一部だ。
神と悪魔が激しい戦いの末に、アムリタという霊薬を得るために、ミルクでできた海を攪拌すると、そこから天地のあらゆる存在が湧き出でたきた、という壮大な物語で、インドのみならず東南アジアにも広く伝わっている。
まさかそんな神話が、現代のクラブミュージックに対する批判に使われるとは思わなかった。
さすがにこれはゴアの人口の66%を占めるヒンドゥー教徒の、とりわけ保守的な層に向けた人気取りのための発言だと思うが、もしかしたらこの政治家自身も本気でこのトンデモな理論を信じているのかもしれないと思わせるところが、インドの面白いところでもあり、恐ろしいところでもある。

そもそも、今回のSunburnは決してトランスに特化したイベントではない。
メインはEDMやテクノ/ハウス系の音楽で、いわゆるトランス系のアーティストはSpace CatやLaughing Buddhaなどごく一部だ。
おそらく彼は狭義のトランスというジャンルを批判しているのではなく、クラブミュージック全般を指してトランスと呼んでいるものと思われるが、それはそれでいかにもゴアらしい誤解と言えるだろう。

いずれにしても、以前の記事でも紹介したように、ヒッピー/レイヴァーたちやパーティーカルチャーは、必ずしもゴアの地元民からは歓迎されていなかった。
外国から来た無法者たちによる治安の悪化やドラッグの蔓延は(彼ら自身は「自由を愛する」というつもりだったとしても)、穏やかな暮らしを愛する地元の人々にとっては、むしろ忌むべきものだったのだ。
ポルトガル領時代から暮らすカトリックの住民にとっては、インド併合後のヒッピーやヒンドゥー教徒の流入は歓迎せざるものであり、ポルトガル時代のほうが良かったという声も多いと聞く。
以前の記事では、カトリック系住民からのヒッピー批判をお伝えしたが、今回は、ゴアでも圧倒的多数派となったヒンドゥーの側からの、同様の批判というわけである。
よそ者たちの乱痴気騒ぎを歓迎しないという点では同意見だとしても、あまりにもヒンドゥー・ナショナリズム的なその主張は、異なる信仰を持つ住民たちにはどのように響いているのか、少し気になるところではある。

このVinod Palincarという政治家は、すでに開催が承認されているSunburn Festivalの中止を要求するとともに、「若者たちを守るためには、悪魔の音楽ではなく神々の音楽こそ演奏されるべきだ」とも述べている。
10万人規模のビッグイベントを本気で潰そうとしているのか、それとも人気取りのためのハッタリなのかは不明だが、彼の発言が、あまりにも多くの宗教や主義、価値観が混在する現代インドを象徴したものであることは確かである。


最後に、Sunburn Festival Goa2019にも出演するムンバイ出身のトランスDJ/プロデューサーのDesigner Hippiesを紹介して今回の記事を終わりにしたい。
Designer HippiesはRomeoとDeepesh Sharmaの兄弟によるデュオで、結成は1999年。20年にもわたるキャリアを誇る。
この時期に活動を開始しているということは、おそらくは海外の先進的なカルチャーに触れることのできる富裕層の出身だったのだろう。
20世紀末〜'00年代初頭といえば、イギリスではインド系移民たちによる伝統音楽とクラブミュージックを融合させたエイジアン・アンダーグラウンド・ムーブメント(例えばTalvin Singh, Karsh Kaleら)が勃興し、またインドでもそれに呼応するようにMidival Punditzらが注目され始めた時代。
Designer Hippiesは、彼らのスタイルがいわゆる「インドらしさ」に欠けるものだったからか、こうしたムーブメントに乗ることなく、世界中でコアなファンを持つトランス・シーンを舞台に地道な活動を続けてきた。
彼らは2007年の第1回Sunburn Festivalにも出演しており、他にもオーストラリア、タイ、イスラエル、イビサ、ブラジル、南アフリカ、韓国、日本などでのプレイを経験している。


サウンドは紛うことなきゴア・サウンド直系のサイケデリック・トランス。
彼もまた、ゴアでヒッピー/レイヴァーたちが撒いた種から育ったアーティストの一人と言えるだろう。
今回のSunburn Goaは、このフェスだけではなく、彼らにとってもゴアへの里帰りなのだ。
トランス系のアーティストたちは、このDesigner Hippiesの名が冠されたステージに出演することになっているようで、ヘッドライナーはイスラエルの大御所トランスアーティストであるSpace Catが務めるそうだ。

それにしても、いよいよ目前に迫ったSunburn Goaは、はたして無事に開催されるのだろうか。
ゴアのパーティーカルチャーは、ひとつの文化としてポジティブな側面もあるものだと信じたいし、なんとかして伝統文化や地域文化との共存ができると良いのだが…。





(余談というか追記。本文から削った部分なのですが、一応載っけておきます)

Sunburn Festivalは以前もヒンドゥー至上主義者たちの脅迫を受けている。
こうしたダンス系のフェスティバルはなにかと宗教的保守層からの批判の的になりがちだ。
この手のフェスの主な客層は、近年のインドの著しい経済成長(それは富の偏在や貧富の差を助長するものであったが)の結果として誕生した、外国文化を取り入れることに積極的な新しい富裕層の若者たちである。
インドに急速に流入している新しい消費文化、物質文化は、敬虔で保守的な価値観を重視する人たちの批判の対象となっているのだ。

一方で、レイヴ/パーティーカルチャーは、単なる消費文化ではなく、欧米社会の中ではむしろ過度な物質主義への対抗文化として発展してきた一面もある。
野外で夜通しリズミカルな音楽を聴きながら、自然と生命を祝福するということは、おそらくは歴史が始まる前から行われていたであろう、人間の根源的な営みとも言える。
実際彼らは、ヒンドゥー教のみならず、南米の先住民文化のイメージなども積極的に作品に取り入れていた。
トランスミュージックの野外パーティーは、現代社会のなかに突如として現れた、プリミティブな祝祭の場だったのだ。

過度な物質主義からの脱却を目指したかつての欧米の若者たちと、急速な経済成長の発展にともない、新しい娯楽を見つけることに貪欲なインドの若者たち。
トランスミュージックは、ちょうどその二つが交わる位置に存在している。
レイヴ/パーティーカルチャーの本質とは、プリミティヴィスムと消費文化の奇妙な融合であったということもできるかもしれない。
 

その後、自由の名のもとに行われていた無秩序なパーティーは、ドラッグの蔓延や風紀の紊乱を理由に世界中で取り締まりが強化され、運営のしっかりした大規模な商業レイヴ(Sunburnのような)以外は開催できなくなってゆく。
インドの政治の世界では、BJPの躍進にともないヒンドゥー・ナショナリズムが力を増し、欧米の文化やイスラームに対する批判の声が大きくなってゆく。
今回のトンデモなSunburn Festival批判も、こうした大きな流れの中に位置付けることができるのだが、それはまた、別のお話。
どんどん話がややこしくなり、とても手に負えないのでこのへんでやめておく。


--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

ジャンル別記事一覧!


2019年12月13日

またインドのアーティストが知らないうちに来日していた!女性ドリーミー・ポップデュオ Gouri and Aksha


またしても知らないうちにインドのアーティストが来日公演を行っていたことが判明!
これまた少し前の話になるが、Rolling Stone Indiaの記事によると、ムンバイのソウル/ポップデュオのGouri and Akshaが今年5月に大阪のいくつかの会場でライブを行なったとのこと。

彼女たちは、その後9月にデビューシングル"Look Inside"をリリースしたばかりの新人アーティスト。
前回紹介したEasy Wanderlingsの"My Place To You"を思い起こさせるような、美しいアニメのビデオが印象的なこの曲は、フォークを基調にしながらも、生演奏とエレクトロニックサウンドが融合した叙情的な一曲。



最小限の画面の変化ながら、浮遊感あふれるサウンドとあいまって、幻想的な視覚効果が強く印象に残る映像だ。

Rolling Stone Indiaの記事によると、Gouri and Aksha ーすなわちGouri RanjitとAksha Kiniー はミュージカル『アラジン』のムンバイ公演のリハーサルで出会い、二人で好きな曲を歌ったりハモったりするようになったという。
やがて、デリーでの1ヶ月の公演の間に、ホテルの部屋をシェアして、一緒に曲を書くようになったそうだ。
印象的なアニメーションビデオは、プネーの若手女性アニメ作家Anusha Menonによるもの。
湖畔に座る少女は、彼女たちのうちの一人をモデルにしたものだと思うが、私はそこに、彼女の衣装のせいだけでなく、極めてインドらしからぬものを感じた。

そのことを説明する前に、彼女たちがYouTubeにアップしている他の曲も聴いてみよう。
ピアノとヴォーカルのデュオスタイルで披露される楽曲たちは、ちょっとキャロル・キングを思わせるような情感がある。


ここで、ピアノを弾きながら歌っている方(GouriとAkshaのどっちだろう?)の髪型に注目してほしい。
お分かりだろうか。
彼女にはなんと、前髪がある!
90年代以降、インドの社会は急激に変化しつづけているが、今でもインドの女性の髪型はほとんどがロングのワンレングスだ。
それがもっともインド女性に似合う髪型だからということもあるのだろうが、ロックやヒップホップなどのジャンルで活躍する女性アーティストたちも変わらない。
(おそらくだが、インドの成人女性に前髪のある髪型が好まれないのは、「子どもっぽく見える」という理由からなのではないかと思う)
髪型一つからも、彼女たちが新しい感性を持った世代のアーティストだということが伝わってくるというものだ。

そんな彼女たちに、さっそくメールでインタビューを申し込んでみた。


凡平「とても独創的な音楽を演奏していますが、どんな音楽的な影響を受けているか教えてください」

G&A「たくさんの影響を受けているわ。例を挙げるとしたら、Fiona Apple, Sara Bareilles, Hiatus Kayoteとか。Moses SomneyとかMaroなんかの新しくて素晴らしい音楽からも学んでいるの。これまでにいろんな音楽から学んできたことが、無意識のうちに私たちのソングライティングに現れていると思うわ」


凡平「"Look Inside"はエレクトロニックな音と生演奏が融合したサウンドですが、YouTubeにアップされている他の曲はアコースティックですね。今後はどんなタイプの曲を作っていくつもりですか?」

G&A「曲を作っている時には、ジャンルのことはあんまり考えてないの。どんなものからもインスピレーションを得られるわ。ちょっとした出来事とか、新しく見つけたAbeltonのプラグインとか、私たちの好きなコードの響きとか。そうしたら、アイデアや気持ちを制限したり決めつけたりしないで、自由に羽ばたかせて曲を作るの。
そうは言っても、"Look Inside"は、今のところ私たちがプロデュースした唯一の曲よ。私たちは他の曲をプロデュースしているところなの。YouTubeやSoundcloudにアップしてあるアコースティックバージョンの曲をね」


凡平「Anusha Menonによる"Look Inside"のミュージックビデオが本当に素晴らしいですね。どうやって彼女とコラボレーションすることになったのでしょうか?」

G&A「彼女にコンタクトする前から、私たちは彼女をインスタグラムでフォローしてたの。正直に言うと、私たちはちょっとだけアニメの要素が入ったシングルフレームの絵が欲しかっただけだったの。でもAnushaが曲を聴いたらインスパイアされて、1曲分のきちんとした映像を作ってくれたの。
この曲はもともと内省的なものだったから、ダークで夜の要素が欲しかった。私たちはとくにAnushaの作品の『ワビ・サビ』スタイルな部分が好きだったから、そういうものをお願いしたわ。あとは全部Anushaがやってくれたのよ。私たちが飼っている2匹の猫、ObitoとPakaluを登場させるっていうアイデアもAnushaのものよ。2匹とも、私たちの内面的なパートナーでもあるから(ハートマーク)」


凡平「日本ツアーをすることになったきっかけは?」

Aksha「実は私は今、短期契約で日本で働いているのよ。
こっちに来たとき、いくつかのライブ会場にコンタクトして、私たちの音源をシェアしてみたの。そうしたら、驚くことにたくさんの場所からライブをやってほしいっていう連絡が来たわ。
だからGouriに日本に飛んで来てもらって、彼女が日本にいるうちに、できるだけ多くのギグをしたの」


凡平「ライブはどんなところで行いましたか?大阪だけ?」

G&A「ええ、Akshaの仕事があったから、遠くでライブをするってわけにはいかなかったの。だから、大阪の、全然違う雰囲気の素敵な3つの会場でライブをしたのよ。
1つめは、Art and Nepalっていうアートギャラリー兼カフェ。
2つめは、Soundgarden Bar and Cafe. ここは心斎橋のど真ん中にあって、ツインピークスみたいな不思議な魅力がある場所。
3カ所目は、El Nagueっていう白い素敵なアップライトピアノがあるイタリアンレストランよ。」


なんと、来日公演の理由が日本で働いていたからだということに驚いた。
彼女たちもまた、昨今のインドのインディー音楽シーンで目立つ多くの国際派アーティストと同様に、インドという枠組みの中だけで捉えるのではなく、グローバルなインディーミュージックシーンのなかに位置づけられるべきアーティストなのだろう。
欧米の音楽に影響を受け、当たり前のようにデビュー前に海外でライブを行う、新しいインドのアーティストたち。
彼女の前髪は、そうした新しい世代の姿勢を表す象徴でもあるのだ。(もちろん本人はそんなことは意識していないだろうが)

アコースティックなサウンドを基底に持ちつつ、現代的なアプローチも積極的に取り入れるGouri and Akshaの活動に、これからも注目していきたい。



--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

ジャンル別記事一覧!


2019年12月07日

プネーのドリームポップバンド Easy Wanderlingsの素晴らしい新曲とミュージックビデオ


少し前の話題になるが、以前もこのブログで紹介したプネー出身のドリームポップバンド、Easy Wanderlingsが9月にリリースした"My Place To You"がたいへん素晴らしかった。

以前の紹介記事 :


この作品は、"Beneath the Fireworks"と"Madeline"の2曲によって構成されており、プレスリリースによると、2曲とも、愛する人のために、自分の生活を惜しみなく捧げている人々をテーマにしているそうだ。
それぞれが全く異なる雰囲気の楽曲ながら、2曲はシームレスにつながっているものでもあるという。

彼ららしい心地よい音色と上質なメロディーに加えて、今作ではCGアニメーションによる素晴らしいミュージックビデオも制作されている。
楽曲とマッチした幻想的かつエモーショナルな映像はとても美しく、正直に言うと、初めて見た時には感動のあまり涙が出たくらいだ。

まずは、1曲めに収録されている"Beneath the Fireworks"のミュージックビデオをご覧いただきたい。


幻想的でありながら、どこか日常の感情を想起させる世界観が素晴らしい。
登場人物の動きは最小限だが、レイヤーされたイラストをうまく使って広がりのある視覚効果を実現しており、音楽に合わせた情感豊かな映像の美しさは息を呑むばかりだ。

それにしても、この不思議な映像はいったい何を表しているのだろうか。
なぜ、男は輪郭のみで描かれているのだろうか。
通常、白いサリーは寡婦が着るものとされている。
ということは、輪郭で描かれた男はすでに死んでしまっているということなのだろうか。
歌詞もまた、さまざまな解釈ができそうな内容だ。
例えば1番の後半からサビでは、このような歌詞が歌われている。

Get a rope and tie me up
Coz if I walk out this door, I fear I might be gone. 
To this world that’s calling me, to live on the edge of the river, 
Sitting here on the fence thinking what the fireworks are for?   
ロープを取って縛り付けてくれ
ドアの向こうへ行ってしまったら 戻れなくなるのが怖いんだ
私に呼びかけるこの世界へと 川のふちでの暮らしへと
フェンスに座って考えている この花火はいったい何のためなのかと

(歌詞は、例えばこのサイトから読むことができる。https://www.metrolyrics.com/beneath-the-fireworks-lyrics-easy-wanderlings.html

この曲に続く"Madeline"もまた曲、映像ともに美しく、とてもエモーショナルだ。


幻想的な世界に遊ぶ母子が詩的に表現されている。
指先から放たれる光線は、想像力のメタファーなのだろうか。
穏やかな夜に見る夢のような美しい楽曲と映像だ。

これらの素晴らしい作品について、Easy Wanderlingsの中心人物のSanyことSanyanth Narothにメールで聞いてみた。


凡平「この美しいアニメは誰が作ったものなんでしょう。ちょっと宮崎駿を思わせるところもありますよね。このアニメ作家とコラボレーションするようになった経緯を教えてください。」

Sany「ビデオを楽しんでくれて嬉しいよ。これらの作品は、二人のインドでとてもよく知られたアニメーターのSailesh Gopalan とPreetham Gunalanが手がけたんだ。
Saileshは、"Brown Paper Bag Comics"という作品で知られていて、インスタグラムで読むことができる。たくさんのフォロワーがいる作家なんだ。彼は日本のアニメをたくさん見ていて、すごく影響を受けているんだよ。僕も日本のアニメが大好きだから、彼に頼んだってわけ。アニメで流れている音楽も大好きで、僕は久石譲の大ファンなんだ。
つまり、日本のアニメ好きっていう点で僕らは繋がることができて、彼には自由にコンセプトを考えて作品を作ってもらうことにした。とても楽しいプロセスだったし、みんなに気に入ってもらえてうれしいよ。」

Saileshの"Brown Paper Bag Comics"は、幻想的なミュージックビデオとはうってかわって、社会風刺的な四コマ漫画だ。
https://www.instagram.com/brownpaperbagcomics/
服飾産業が児童労働を黙認していることを激しく批判しながら、幼い使用人を酷使する富裕層を皮肉るなど、インド社会の矛盾を指摘した作風は、ユーモラスではあるが、はっとさせられる。
ちなみにSaileshが最も影響を受けた作品は、『ONE PEACE』とのこと。
Sanyが久石譲のファンだというのも、この2曲のイントロの美しいアレンジを聞けば納得だ。


凡平「"Beneath the Fireworks"のビデオでは、父親は透明人間として描かれていて、母親は白いサリーを着ていますよね。これは、『じつは父親は死んでしまっているけれど、彼の魂はまだ家族のために働いている』ということを意味しているのでしょうか。それとも、これは『愛する人に無償の愛を捧げる』ということのメタファーですか?」

Sany「このビデオでは、伝統的なシステムの中で結婚した女性を描いている。彼女はパートナーの要求を全て満たすために、自分のしたいことや幸せを犠牲にして、人生の全てを捧げているんだ。そして、長い間ともに暮らした夫が亡くなったとき、彼女は自分が誰なのか、何が彼女を幸せにしてくれるのか、わからなくなってしまう。
この曲では、全ての女性に、いったん立ち止まって、じぶんがしている素晴らしいことを振り返って、自分自身と自分の幸福のために時間を使ってほしいっていうことを訴えかけているっていうわけさ」


つい男性側の立場で考えてしまったが、これは女性の視点からの物語でもあったのだ。
インドでは、伝統的に夫に先立たれた女性は不吉な存在とされ、派手な色の服を着ることや、装飾品を身に付けること、さらには甘いお菓子を食べることすら禁じられた極めて低い地位に甘んじることになる。
ここでは、こうした価値観のもとで嫁ぐこと自体が、寡婦として生きるのと同じように、自分の希望を殺して生きることでもあると表現しているわけだ。


凡平「"Beneath the Fireworks"の歌詞はとても深いですよね。哲学的なようにも聞こえます。花火(Fireworks)は何かのメタファーなのでしょうか?例えば『この世界に生きる喜び』とか?」

Sany「ありがとう。この曲の歌詞は、『実存的危機』についてのものなんだ。『犠牲と責任』というもっと大きなテーマにも関わってくる。
犠牲ということに関しては、誰かが自分の夢や情熱をあきらめているおかげで、彼らが愛している人が自分の夢を追求できているっていうことなんだよ。 きっとみんな個人的なレベルで、自分との関わりを感じてもらえるテーマじゃないかな。誰かの無言の努力を受け取る側にいるとしても、誰かのために努力を捧げる側にいるとしても。
『花火』は誰もが誰かの努力や奮闘のもとで生きているという意味に捉えることができる、って僕は感じているよ」

誰かのために人生を捧げることを、自らを犠牲にして鮮やかな閃光で暗闇を照らす花火に例えるとは、とても詩的な表現だ。


凡平「"Beneath the Fireworks"の最後に、母親が指から光線を出し始めます。これは亡くなった人との精神的な繋がりのようなものですか?」

Sany「この曲の最後に出てくる光線は、"Madeline"の母子が不思議な世界を作り出す時に使っていた光線と同じものなんだ。"Beneath the Fireworks"では、"Madeline"に出てきた子どもが成長して、都市で平凡で活気のない生活をしている。彼が再び『描くこと』に対する情熱を見出すまではね。
この曲の最後で、『光線』が再び彼を見つけ出して、彼は再び子どもの頃に描いたのと同じ絵を描こうと決意したんだ」


凡平「"Madeline"のビデオはまるで夢のようにシュールですよね。ここでも最後に、息子が透明人間になってしまいます。これは何を意味しているんですか?」

Sany「小さな町や村で暮らしていた人が、故郷を出て、夢を追って新しい人生のために大都市に行くっていうのはよくあることさ。この息子は、魔法のような世界と母親のもとを離れ、大都市に移ってキャリアを追求するんだけど、その中で彼は喜びを失い、生気を感じられなくなってしまう。だから彼をチョークの輪郭で描いているのさ」


…と、私の解釈はことごとく外れていたが、これでこの曲が表現している内容がはっきりと理解できた。
曲順でいうと、"Beneath the Fireworks"が先になっているが、ストーリーとしての時系列は"Madeline"が先なのだ。
母の愛情のもとで、自由に想像の世界に遊び、絵を描いていた男の子は、やがて成長し、所謂「社会的な成功」を求めて大都市へと出てゆく。
だが、そこでの生活は毎日が同じことの繰り返し。
無味乾燥で喜びの失せたものだった。
単調な日々にうんざりしつつも、日常を捨てて夢に生きることを躊躇いながら暮らしていた。
ある日、彼は仕事帰りに子どもたちが自由に描いた絵を目にして、幼い頃の描くことの喜びを思い出す。
そして、彼は自分を育ててくれた母の半生に想いを馳せる。
読書と自然を愛していた若い頃の母は、結婚によって自分自身のための喜びを全て手放し、全ての愛情を家族に注いで生きてきた。
彼が大好きだった絵を描くための想像力も、母からもらったものだ。
(ところで、"Beneath the Fireworks"の冒頭の写真にも出てくる少女二人は、彼の妹たち、もしくは彼の恋人とその妹だろうか)
母の無償の愛、そして、自身の生活の虚しさに気づいた彼は、再び想像力を自由に羽ばたかせ、絵を描くことを決意する。

本来の意味など理解しなくても、詩的な歌詞と映像はじゅうぶんに感動的なものだが、こうしてストーリーを理解すると、まるで一本の映画を観終わったかのような充足感が感じられる。

この楽曲のような「女性の生き方」というテーマは、最近ではインドの映画でも頻繁に扱われており、都市で暮らすリベラルな中産階級にとっては、非常にアクチュアルなものなのだろう。
こうした社会的なテーマを、単に啓蒙的なメッセージとして伝えるだけではなく、詩的にもストーリー的にも情感豊かな作品に仕上げたEasy Wanderlingsと、アニメーターのSailesh Gopalan, Preetham Gunalanの力量には唸らされるばかりだ。

楽曲の素晴らしさに関しては説明の必要はないだろう。
キャッチーなメロディーと、ナチュラルで心地よいアレンジはあいかわらず冴え渡っているが、個人的にはみずみずしいエレキギターの音色の美しさに注目したい。
歌声同様、決して派手ではないかもしれないが、じつに巧みで上質なものだ。

彼らの音楽は、この2曲のアニメーションのように、どこかあたたかく、誰が聴いても懐かしさを感じさせるような不思議な魅力がある。
彼らの音楽は、ここ日本でも、世界でももっと広く受け入れられる可能性を秘めているはずだ。
彼らも、インタビューのたびに日本での成功を望んでいると語っている。
日本の音楽関係者のみなさん、Easy Wanderlingsの音楽はいかがですか?


--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

ジャンル別記事一覧!



2019年12月02日

インド音楽シーンのオシャレターバン史

先日紹介した白黒二色ターバンのFaridkotに続いて、他のシク教徒のアーティスト達(のターバン)も見てみよう。

まずは古いところから、80年代から活躍するパンジャービー・ポップ・シンガー、Malkit Singhの"Chal Hun"のビデオをご覧ください。
 
オールドスクールなバングラー歌謡といった趣きのサウンドと、コミカルなタッチで民族衣装の人々が集ったパーティーを描いたビデオがレトロで良い。
この時代のシク教徒のポップシンガーは、このMalkit Singhのように赤やピンクや水色などのド派手で大ぶりなターバンを巻いていることが多かった。
シク教徒は本来は神から与えられた髪や髭を切ったり剃ったりしてはいけないことになっており、彼らのターバンのサイズが大きいのは、ターバンの下に長髪を隠しているからなのかもしれない。

現代のド派手系ターバンの代表としては、バングラー・ポップ・シンガーのManjit Singhを挙げてみたい。
彼が先日リリースした、"Top Off"のミュージックビデオは現代的なオシャレターバンの見本市だ。
 
鮮やかなボルドーカラーのターバンと、額の部分に衣装に合わせた黒い下地をチラ見せする着こなし(かぶりこなし)はじつに粋だ。
同系色が入ったジャージや黒いジャケットにはボルドーのターバン、カジュアルなジーンズには黄色のターバン(ここでも、黒いスタジャンに合わせてターバン下地の色は黒)とかぶり分けているのもポイントが高い。
後半に出て来る派手なシャツに赤いターバンを合わせているのも(よく見るとボルドーとはまた違う色)、最高にキマっている。
最近ではシク系シンガーでも、ターバンをかぶらない人が増えているが(例:バングラー・ラッパーのYo Yo Honey SinghやBadshah)、このManjitを見れば、単純に「ターバンはかぶったほうがかっこいい」ということが分かってもらえるだろう。

続いては、このManjit Singhが、パンジャーブ系イギリス人シクのManj Musikと共演した"Beauty Queen"を見ていただこう。
Manji Musikは、映画『ガリーボーイ』の審査員役として、Raja Kumariらとともにカメオ出演していた音楽プロデューサーだ。


今回も、Manjit Singhは、黒ターバンに赤の下地チラ見せ(赤いアロハシャツとコーディネート)、黄色いターバンに黒い下地チラ見せ(黄色系統のド派手なシャツと)と、完璧なかぶりこなしを見せているが、ここで注目したいのはもう一人のManj Musikだ。
Manjit Singhのように、ターバンが額で「ハの字」になるかぶり方は、下地とのコーディネートが楽しめるし、ターバンの存在感をアピールできる一方、ターバンが目立ち過ぎてしまい、場合によっては野暮ったく見えてしまう危険性がある。
そこで、在外シク教徒のミュージシャンを中心に、カジュアルかつすっきり見せるために流行している(多分)のが、このManj Musikのように、額でターバンが水平に近い形になるかぶり方だ。
(このかぶり方自体は、パンジャーブの老人がしているのも見たことがあるので以前からあるスタイルのようだが)
このかぶり方だと、ターバンのシルエットがだいぶすっきりとして、ドゥーラグや80年代のアメリカの黒人ミュージシャンがよくかぶっていた円筒形の帽子(これも名前は知らないが、よくドラムやパーカッションの人がかぶっていたアレ)のような雰囲気もある。
 
例えば、初期Desi HipHop(南アジア系のヒップホップ)を代表するアーティストである、パンジャーブ系イギリス人の三人組のRDBを見てみよう。
彼らはほぼいつもこのかぶり方をしていて、インド系ラッパーのJ.Hindをフィーチャーした"K.I.N.G Singh Is King"(2011年)のミュージックビデオでもその様子が見て取れる。

このかぶり方の場合、ほとんど必ず黒が選ばれているということは抑えておきたい。
楽曲としては、トゥンビ(バングラーで印象的な高音部のシンプルなフレーズを奏でる弦楽器)のビートとラップをごく自然に合わせているのが印象深い。

インド国内でも、2018年にデビューして以来、デリーのヒップホップシーンをリードしているストリートラッパーのPrabh Deepも常に黒いターバンでこの巻き方を堅持している。

かなりタイトフィットな彼のスタイルは、一見ドゥーラグかバンダナのようにも見えるが、上部や後ろ姿が映ると、まぎれもなくターバンであるということが分かる。
ストリートラップという新しいスタイルの表現を志しながらも、ヒップホップ・ファッションとターバンを融合し、自身のルーツを大事にしようとする彼の意気が伝わってくる。
(ちなみに彼のファーストアルバムのタイトルは、「歴史的名作」を意味する'Classic'と、シク教の'Sikh'をかけあわせた"Class-Sikh")
リズム的にはバングラーの影響はほぼ消失しており、完全なヒップホップのビートの楽曲だが、彼が見せるダンスは典型的なバングラーのものであるところにも注目したい。

一方で、ムンバイのブルータル・デスメタルバンドGutslitのリーダーでベーシストのGurdip Singhは、ジャンルのイメージに合わせて常に黒のターバンを身につけているが、その「巻き方」には、より伝統的な額が「ハの字型」になるスタイルを採用している。


これは、海外ツアーなども行なっている彼らが、「ターバンを巻いたデスメタラー」という非常にユニークなイメージを最大限に効果的に活用するためだろう。
インドのバンドというアイデンティティーを強く打ち出すためには、ドゥーラグやキャップのように見えるスタイルではなく、伝統的なイメージでターバンを巻くほうが良いに決まっている。
実際、彼らは自分たちのイメージイラストにも積極的に「ターバンを巻いた骸骨」を用いている。
GutslitLogo
Gutslitはサウンド面でも非常にレベルの高いバンドであるが、もしターバン姿のメンバーがいなかったら、彼らがここまでメタルファンの印象に残ることも、毎年のように海外ツアーに出ることも難しかったかもしれない。


インド国内人口の2%に満たないシク教徒が、国内外のインド系音楽シーンで目立っているのには理由がある。
シク教は16世紀にパンジャーブ地方で生まれた宗教で、ごく大雑把にいうと、ヒンドゥーとイスラームの折衷的な教義を持つとされる。
パンジャーブ州では今でも人口の6割近くがシク教徒であり、世界中で暮らすシク教徒たちも、ほとんどがこの地域にルーツを持っている。
シク教徒たちは勇猛な戦士として知られ、英国支配下の時代から重用されており、海外へと渡る者も多かった。
またパンジャーブ地方はインド・パキスタン両国にまたがる地域に位置しているため、分離独立時にイスラーム国家となったパキスタン側から大量の移民が発生し、多くのパンジャービー達が海外に渡った。

やがて、海外在住のパンジャービーたちは、シンプルなリズムを特徴とする故郷の伝統音楽「バングラー(Bhangra)」と欧米のダンスミュージックを融合させた「バングラー・ビート」という音楽を作り出した。
複雑なリズムを特徴とする他のインド古典音楽と違い、直線的なビートのバングラーは、ダンスミュージックとの相性が抜群だったのだ。
90年代から00年代にかけて、バングラー・ビートはパンジャービー系移民の枠を超えて世界的なブームを巻き起こした。
バングラー・ビートはインドにルーツを持つ最新の流行音楽としてボリウッドに導入されると、ヒップホップやEDM、ラテン音楽などと融合し、今日までインドの音楽シーンのメインストリームとなっている。
彼らが持つ伝統的なリズムと、歴史に翻弄された数奇な運命が、シクのミュージシャンたちを南アジア系音楽の中心へと導いたのだ。

現在では、前回紹介したファンク・ロックのFaridkotや、今回紹介したPrabh Deepのように、典型的なバングラーではなく、さまざまなジャンルで活躍するシクのアーティストたちがいる。

最後に、今回ファッションとターバンについて調べていた中で見つけた、とびきり素敵な画像を紹介したい。
おしゃれターバン
https://news.yale.edu/2016/11/21/under-turban-film-and-talk-explore-sikh-identityより。A scene from "Under the Turban," about members of the fashion world in Londonとのこと)
イギリスのオシャレなシク教徒たち。
カッコ良すぎるだろ! 
先頭の男性の、伝統的なスタイルに見せかけて、ドレープ感を出した巻き方も新しい。

個人的には、少し前に話題となったコンゴのオシャレ集団サプールの次に注目すべきローカル先端ファッションは、オシャレなシク教徒ではないかと思っている。
みなさんも、ぜひシク教徒たちのオシャレなターバンに注目してみてほしい。
それでは!

--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!


凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 

ジャンル別記事一覧!