2019年11月

2019年11月23日

11/30(土)狛江の印度料理プルワリさんで「インド人の知らないインド音楽」開催!

かねてからTwitterやFacebookで告知している通り、11月30日(土)に狛江駅すぐの「印度料理プルワリ」さんで「インド人の知らないインド音楽」というタイトルでイベントを行ないます!

11.30狛江_page-0001

8月にマサラワーラー鹿島さんと行った"Indian Rock Night"、10月にサラーム海上さん、Hiroko Sarahさんと行った"Gully Boy -Indian HipHop Night-"では文字通りロックやヒップホップというテーマで音楽紹介とトークをしてきましたが、今回は最近のインディーズ系の音楽をオールジャンルで紹介する予定!
もちろん、まだブログで紹介していないカッコいい音楽も用意しています。
今回は、こんなふうに居酒屋風?に「おしながき」を用意して、みなさんのリクエストを聞きながら進めて行こうかなあ、と考えています。
もちろんおまかせでも可。
(おしながきはまだ作成中で、まだまだ「メニュー」は増える予定)
おしながき-1


さらに、先日とうとう来日を果たした、謎のインド人占い師、ヨギ・シンとの遭遇体験談も、裏話を交えて披露します!

そして音楽とトークはもちろん、プルワリさんのインド人のご主人(デリー出身のムスリム!)が作るターリーも期待大!

果たしてどうなることやら、未知数の企画ですが、インドか音楽、どっちかが好きな人はもちろん、どっちもよく知らないという人にも楽しめること間違い無しです。
みなさんのご参加、心よりお待ちしております!


軽刈田 凡平presents 「インド人の知らないインド音楽」
会場: インド料理プルワリ (下記リンク参照 小田急「狛江駅」からすぐ)
日時: 11月30日(土) 18:30open, 19:00start (だいたい2時間くらい)
価格: 3,000円 (ターリー、ソフトドリンク付き)
予約: 軽刈田のブログ、Twitter、FacebookからのコメントまたはメッセージでOK!



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goshimasayama18 at 13:29|PermalinkComments(0)

2019年11月21日

Faridkotのファンキーでオシャレな「ターバン・ポップ」!


前回まで、「謎のインド人占い師ヨギ・シン」の話題ばかり書いていたので、私自身もすっかり忘れていたのだが、このブログはインドの最近の音楽(ロックとかヒップホップとか)を紹介するブログなんだった。
というわけで、今日からひとまず平常運転に戻ります。
とはいえ今回は前回からの流れでシク教にまつわる話。

シク教徒の男性ってオシャレだなあ、と思う。
体格がいい人が多いせいもあるが、スーツを着ても民族衣装を着ても、だいたいバッチリ決まって見えるし、何よりもターバンの着こなし(かぶりこなし)がとても粋なのだ。

「ターバン」というと伝統的なものという印象が強く、あまりファッショナブルなイメージはないかもしれないが、シク教徒の男性たちは、じつはターバンを含めたコーディネートにとても気を遣っているオシャレさんたちなのだ。
その日のファッションやTPOに合わせて、白や薄い水色みたいなシンプルなものから赤や黄色などのド派手なものまで、いろんな種類のターバンを使い分けているのも素敵だし、額の部分にちらっと見えるターバンの下にかぶるやつ(名前知らない)を差し色にしたりするのなんて、本当に粋だなあと思う。


なぜ急にこんな話をしたかというと、Faridkotというバンドが今年4月にリリースした"Subah"という曲のビデオで見たとてもクールなターバンを、とにかく紹介したかったからなのである。 

私はモノトーンの太いストライプのターバンというものを初めて見た。
このすごく個性的なターバンを、レトロな丸いサングラスと合わせるなんて最高ではないか。
音楽的にも、どこか80年代っぽいエレクトロニックなビートに、ファンキーなギターのカッティングがとても心地良い。
ちょっと"Random Access Memories"の頃のDaft Punkを思わせる雰囲気もある。
そこだけ古典音楽の影響を感じさせる女性ヴォーカルがまたいいスパイスになっている。 
この曲では、衣装も音楽性も、インド人が得意な、伝統的なものを現代的にアレンジするセンスが、素晴らしくクールかつポップな形で結晶しているのだ。
これはまさに、アーバン・ポップ(Urban Pop)ならぬターバン・ポップ!(Turban Pop)

FaridkotはヴォーカルのIP SinghとギターのRajarshi Sanyalのデュオ。
現在は二人組だが、もともとは2008年に5人編成のバンドとしてデリーで結成された彼らは、自身の音楽を、親しみやすいメロディーとブルージーなギターが融合した'Confused Pop'と定義している。
Faridkotというのはパンジャーブ州にある街の名前のようで、アメリカのバンドでいうとBostonとかChicagoみたいなバンド名ということなのだろう。

面白いのは、いくつかの記事で、彼らの音楽を表すときに「スーフィー(Sufi)音楽」という言葉が使われているということだ(彼らは自分たちでもスーフィー音楽の影響を公言している)。
スーフィー/スーフィズムは、「イスラーム神秘主義」と訳され、修行によって神との究極的な合一を目指す思想とされる。
音楽ではヌスラト・ファテー・アリー・ハーンらに代表される「カウワーリー」が有名だ。
 以前からパキスタンなどには、スーフィー音楽とロックを融合した「スーフィー・ロック」というジャンルがあったが、当然ながらそれはムスリムによって演奏される音楽ジャンルだった。
ところが、Faridkotのメンバーは、IP Singhはどう見てもシク教徒だし、Rajarshi Sanyalは名前からするとヒンドゥーのようである。
私は「スーフィー」というのは、音楽のスタイルである前に、ムスリムであることを前提とするものだと思っていた。
だがどうやらそうではなく、たとえ異なる信仰を持っていても、その力強く恍惚的な音楽性から影響を受けたなら、自由に自分の音楽に取り入れて、それを公言しても良いものらしい。
なんともおおらかな、いい話ではないか。

彼らは2011年にリリースしたファーストアルバム"Ek"がラジオで高く評価され、2014年にはユニバーサルに移籍してセカンドアルバム"Phir Se"を発表した。
変わったところでは、スタローンやシュワルツェネッガーが出演した『エクスペンダブルズ3』のヒンディー語版テーマ曲も担当したようだ。
彼らの楽曲のミュージックビデオは、ショートフィルム風で見応えがあるものも多い。
 
少年の淡い恋と友情を描いた"Mahi Ve" 

インドの子どもたちってどうしてこんなにかわいいんだろう。
シク教徒の男の子のおだんごターバンもとってもキュートだ。

貧しい青年の一途な片思いを描いた"Laila"のミュージックビデオは、インド映画でもよくあるちょっとストーカーっぽい純愛もの。

これはちょっとどういう感情になったらいいのか分からない。

というわけで、今回はI.P. Singhのツートンカラーのターバンが印象的なFaridkotを紹介してみました。
シクのミュージシャンのターバン事情については、まだまだ興味深い例が多いので、次回はさらに掘り下げて書いてみたいと思います!

ちなみに、ターバンは教義として着用することになっているシク教徒以外でも、ラージャスターン州などでは伝統的に広く用いられており(デザインや巻き方が異なる)、また王侯や戦士の正装としても使われてきた。
シク教徒でも、最近は若い人たちを中心にターバンを巻かない人が増えてきており、また宗派によっては着用の義務がないこともあるようだ。
…という通りいっぺんのターバンの説明を念のためここにも書いておきます。



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goshimasayama18 at 21:48|PermalinkComments(0)インドのロック | インドのR&B

2019年11月16日

ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その3)

これまでの「ヨギ・シン」シリーズ

1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
 

2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
 

3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」
 

4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」
 

5.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)」



目の前に、ずっと探し求めていた相手がいる。
2時間ほど前に「イチさん」から送られて来た画像に写っていた、口まわりから耳元まで短いヒゲを生やしたダークカラーのスーツの南アジア系の男。
世界中で遭遇体験が報告されている、人の心を読むことができる謎の占い師、「ヨギ・シン」の一人。
写真だとダークグレーに見えたスーツは、近くで見ると暗い色のチェック柄だ。
数日前から丸の内近辺に出没している「ヨギ・シン」(少なくとも3人いることが分かっている)は「あなたの顔からエネルギーが出ている」と声をかけてくるという報告を受けていた。
だが、彼が私に向かって発した第一声は、意外なことに「顔からエネルギー」ではなく、"How are you?"だった。

ここが肝心だ。
戸惑いを見せず、自分のペースを崩さず、話の主導権を握る必要がある。
インドの物売りや客引きが、観光客相手にそうするように。
「ファイン。あなたは、占い師のミスター・シンでしょう」

私は笑顔のまま右手を差し出し、握手を求めた。
彼が反射的に出した右手を握り返す。

図々しくもフレンドリーなインドの商売人と渡り合うなら、こちらも同じくらい図々しくネゴシエーションをする必要がある。
そうすれば、向こうも負けじと馴れ馴れしく接してくるはずだ。

「ああ、そうだ。私を知っているんだね。君の顔からエネルギーが出ているのを感じるよ」
そんな答えが来ることばかりを予想していた私は、次に彼が発した至極平凡な反応に、一瞬虚をつかれた。

「以前、会ったことがあったかな?」

まったく想定外の言葉だったが、ここは調子を合わせるしかない。
笑顔を崩さずに淀みなく答える。

「ええ、私はあなたと会ったことがある」

意外にも、彼の顔に浮かんだのは、親密さではなく、わずかな困惑の表情だった。
少し焦ったような口調で、彼が問いかける。

「あなたはどこから来たんだ?いったい誰を探しているんだ?」

「ミスター・シン、私は日本人だ。あなたを探していたんだ」

「私といつ会った?」

彼は努めて平静を装っていたが、その口調からは焦りと困惑が高まっていることが感じられた。

「数日前に会ったじゃないか」

私はつとめてフレンドリーに、適当な出任せを口にした。
インドで初対面なのに「ハロー、フレンド」と話しかけてくる路上の人々のように。
それでも、彼の慎重な姿勢は変わらない

「どこで私に会ったんだ?」

彼の表情に警戒心が浮かぶ。
私には敵意も悪意も、金をだまし取ろうという気もない。
これ以上適当な嘘の続きも思いつかず、少しだけ正直に、こちらの意図を伝えることにした。

「実は、数日前に私の友達があなたに会ったんだ。あなたの話を聞いて、私もあなたに会いたいと思っていた。あなたは占い師のミスター・シンでしょう」

こう伝えれば、彼は警戒心を解いて、本来の占い師として私に接してくれるはずだった。
この奇妙な日本人は、あなたの上客なのだ。
ところが、彼の反応はまたしても予想外のものだった。

「いや、私は違う。あなたは誰を探しているんだ?」

まさかの否定。
まだこちらのフレンドリーさが足りなかったんだろうか。
笑顔を崩さずに、さらに図々しくたたみかける。

「あなたは占い師のミスター・シンのはずだ。私の友人があなたに会っている。あなたは素晴らしい占い師だと聞いている」

「違う。私ではない」

彼が示しているのは、明確な「拒絶」。 
はぐらかされた時やすっとぼけられた時にどう対応するか、予想以上の高額の料金を請求された時にどうやり過ごすかは事前に準備していた。
しかし向こうが拒絶したときへの対応は、全く考えていなかった。
この時点で、私はなお、自分に敵意がないこと、そして、彼の正体を知っていることを伝えれば、彼が心を開いて、話をしてくれるものと信じていた。

「聞いてくれ、私はあなたに敵意はない。あなたを占い師としてリスペクトしている。占い師のミスター・シン。話を聞かせてくれ」

「違う」

彼は今にも立ち去りそうなそぶりを見せた。
なんとしても引き止めなければ。
そして、心を閉ざす彼に、正確に意図を伝えなければ。

「聞いてほしい。私は警察ではないし、決してあなたが詐欺師だなんて思ってはいない。私はただ、あなたがたの文化について知りたいだけなんだ。私の友人からあなたのことは聞いている。あなたは占い師でしょう。これは、あなたでしょう」

私は、最後の手段として、イチさんからスマホに送られて来た、通行人に声をかける彼の画像を見せた。
きっと、もう言い逃れができないことが分かれば、諦めて占い師として接してくれるはずだ。
そう思っていた。

彼の表情に驚きの色が浮かぶ。
しばらく私のスマホを凝視したのち、彼は目線を逸らして、ふたたびこう答えた。 

「違う」

そう言うと、彼は向きを変え、東京国際フォーラムの中庭を南に向かって歩いてゆき、一度も振り返らずに、歩道を右に曲がって、姿を消した。

あまりにも明確な拒絶に、私は立ち去る彼を呆然と眺めることしかできなかった。
いったい何が起きたのか、まったく理解できなかった。
ただ千載一遇のチャンスを完全に棒に降ってしまったことだけは分かった。
彼は、自分が占い師だということを明確に否定した。

もしかして、イチさんが送ってきた写真の男とは別人だったのだろうか。
今話した男はチェックのジャケットを着ていた。
送られてきた画像の男のジャケットは、無地のダークグレーに見える。
別人であってほしい。
祈りながら画像を拡大してみると、写真の男が着ているのは、やはり先ほど間近に見たのと同じ、暗い色のチェック柄のジャケットだった。

それとも、彼はそもそもヨギ・シンではなかったのか。
だが、それなら最初に「占い師のミスター・シン」と話しかけた時点で、はっきりと否定していたはずだ。
あの時彼は「以前会ったことがあったかな」と反応した。
自分はシンではない、とか、占い師ではなくエンジニアだ、とか言うのでもなく、いつ、どこで会ったかということを執拗に尋ねてきた。
それに、彼はイチさんから送られてきた写真の中でも、私と話す前も、通行人に声をかけていた。
彼がヨギ・シンであることはやはり間違いないだろう。

立ち去る彼は、少なくとも角を曲がるまでは、携帯電話で誰かに連絡するようなそぶりは見せなかった。
もし彼が、自分たちの正体を知っている人間が探し回っていることを脅威だと感じたのなら(彼の態度はそれを物語っていた)、まず仲間に伝えるはずだ。
すぐに電話を出さなかったところを見ると、彼らが日本で使える携帯電話を持っていない可能性もある。

彼は南側に歩いて行った。
これまで報告されているヨギ・シンとの遭遇地点で国際フォーラムより南側にあるのは、日生劇場だけだ。
彼らは少なくとも3人はいるはずだ。
もし彼が日生劇場付近にいる仲間に状況を報告しに行くとしても、国際フォーラムより北にある丸の内仲通りや二重橋付近、大手町にはまだもう1人のヨギ・シンがいるかもしれない。
私の希望はもはやそれしか残されていなかった。

丸の内、二重橋、大手町。
大手町、二重橋、丸の内。
目を凝らしながら、遭遇報告のあった場所を何度も往復した。
スーツ姿の日本人男性の黒い髪を、何度も黒いターバンに見間違えた。
だが、ヨギ・シンはいない。
捜索する通りを広げても、ターバンの男も、50歳くらいのインド人も全く見当たらない。 
今日はこのエリアにはいないのか。

それならば、ダメモトでさっき会った男でもいい。
もう一度しっかりと話せば、何か教えてくれるかもしれない。
ほんの僅かな可能性にかけてみたかった。
ふたたび国際フォーラム、日生劇場前。
前日に報告があったシャンテ周辺。
だが、どんなに歩いても、彼も、別のヨギ・シンらしき男もいなかった。
日が落ち、とても彼のトリックができない暗さになった頃、私は完全に失敗したということをようやく理解した。


それにしても、彼の態度はいったい何だったのだろうか。
彼とのやりとりは、実際はもっと長く、彼は私に少なくとも2回以上「どこから来たんだ?(Where are you from?)」と尋ねてきた。
そのたびに、私は'from Japan'と答えたが、彼は、例えば私が警察のような組織から来た人間なのか、なぜ自分のことを知っているのか、と聞きたかったのかもしれない。
あるいは、彼が日本に来る前に、別の国で会ったことがあると思ったのか。

世界中で人々に声をかけて、口八丁手八丁で金をせしめるタフな男。
天皇即位の祭典で厳重な警備が敷かれた丸の内でも、構わずにその商売を行う豪胆な男。
ヨギ・シンは話好きで、口の上手い男だとばかり思っていた。
だが、私が話しかけた男は、最後まで警戒心を解かない、慎重で猜疑心の強い人物だった。

そして、明確な拒絶。
普通、自分から客に声をかけて稼いでいる占い師が「あなたは占い師ですよね」と声をかけられたなら、これ以上ないチャンスのはずである。
だが、彼は自分が占い師であることを完全に否定した。
ただ頑なにNoだけを繰り返した。
このことが意味するのは、彼が、自分のしているのは占いではなく詐欺行為である、少なくともバレてはまずい行いであると認識しているということだ。
そして、その占い/詐欺行為は、彼がどんなことをするか知らない人間にしか通用しないということを、よく理解しているのだ。

遠い異国で、違法スレスレ(もしくは違法)なことをして働くということは、想像以上にシビアなのだろう。
ひとつ間違えれば、逮捕や拘束、強制送還ということもありうる。
彼らが、自分たちのことを嗅ぎ回る人間に対して、慎重すぎるくらい慎重になるのは、考えれば分かることだった。
 
それにしても、そこまでの危険を冒す価値があるほど、この「ビジネス」は身入りが良いのだろうか。
他の南アジア系の労働者のように、インド料理店で働いたり肉体労働をするよりも効率的なものなのだろうか(さすがにITやエンジニアのスキルがあれば、この辻占はやらないだろうが)。
これもぜひ聞いてみたかった。
あるいは、代々占いを生業にしてきた彼らは、単に他の生き方を知らないだけなのかもしれない。
そう考えると、彼の拒絶反応は、先祖代々が守り通してきた商売の秘密、そして今も世界中で働く仲間たちが守り通している彼らの「占い」の秘密を守るためのものだったのかもしれない。

あの頑なな態度は何かに似ていると思ったが、それはインドであやしい男に声をかけられ、絶対に関わりたくないと感じた時の自分の態度そのものだった。
あの完全な拒絶は、自分の身を守るものが何一つない外国で、自分の身を脅かすかもしれない人物、自分からなにかを奪おうとしている人物に対する態度だった。


私が彼に出会うまで、毎日のように寄せられていたヨギ・シンとの遭遇報告は、その後、一件もない。


ヨギ・シン2加工済み
ヨギストーン

今でも、自分が長年探し求めていた「彼」と東京で会えたということが信じられない。
だが、手元にあるイチさんから送られてきたターバン姿の「ヨギ・シン2」の画像と、「みょ」さんから送られてきた「彼」からもらったという黒い石の画像が、「彼」が実際に東京にいたという何よりの証拠だ。
(イチさんからは、私が遭遇した「ヨギ・シン3」の画像も送られてきているが、それはじかに接したときの彼の態度を考えて、公表は控える。ごくありふれたインド人の姿が写っている。)

私の手には、握手した時の彼の手の感覚が残っている。
それは、堅くも柔らかくもなく、温かくも冷たくもない、ただただ普通の手だった。






最後に教訓。
もしあなたの住んでいる近くの街で、ヨギ・シンの出没情報があり、彼に会いに行こうと思ったら、
  • それらしき人物を見つけても、決して自分から話しかけてはいけない
  • 声をかけられるのを待つしかない
  • 顔からエネルギーを出そうとする必要は、たぶんない(むしろ、信じやすそうな雰囲気を出した方が声をかけられやすいかもしれない)
  • 「彼」のことを聞きたかったら、まずは何も知らないふりをして占いを受け、そのあとに少しずつ聞くのが良いだろう
  • 詮索するような態度は見せない方が良い
  • 彼はお金のためにやっているのだから、謝礼をはずむと言えば、何か教えてくれるかもしれない
私は自分こそが理解者だと思って接したが、結局私は「彼」に警戒され、逃げられただけだった。
自分の愚かさを痛感している。
これからも、「彼」については調べてゆきたいが、今回のヨギ・シン捜索記はひとまずこれまでとなるのではないかと思う。

続編が書けることを期待している。
もし、この謎のインド人占い師について、何か情報があったら、どんな些細なことでもお寄せください。




追記:ヨギ・シンのトリックの秘密にせまった続編はこちらです。



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goshimasayama18 at 16:36|PermalinkComments(0)ヨギ・シン 

2019年11月14日

ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)

これまでの「ヨギ・シン」シリーズはこちらから!
1.「謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」


2.「謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」


3.「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」


4.「ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)」


11月11日(月)、ブログに新たなヨギ・シンとの遭遇情報が寄せられた。
「タカノY」さんからの情報は、7日(木)にイチさんが二重橋付近で目撃したターバン姿の「ヨギ・シン2」と思われる男との遭遇報告だった。
昨日、14:30頃丸の内中通り明治生命本社裏で出会いました。上下黒のスーツにターバンといういでたちでヨギと名乗っていました。英会話は苦手ですが言ってることの内容はブログに書かれていることと同じ内容でした。私の場合は好きな色を当て、お金の話をされたので直感的にノーマネーを繰り返し足早に立ち去り被害には会いませんでした。
満を持してと言うべきか、今回の一連の報告のなかで、初めて「彼」がその名前を明かしている。
これまで、同様のトリックを使うインド人占い師が海外でその名を名乗っていたことから、便宜上「ヨギ・シン」と呼んできたが、これで「彼」が正真正銘のヨギ・シンであることが判明した。
「彼」はヨギとしか名乗っていないが、シク教徒の男性は、必ず「シン」(Singh)という名前も持つことになっているからだ。
(例:タイガー・ジェット・シン、ランヴィール・シンなど。Singhは日本では通例シンと書かれるが、原音に近く書くならスィンもしくはスィンフ、スィング)
お金を払わずに立ち去ることができたという事例も初の報告だ。
聞けば、タカノYさんはかつて海外旅行中に現金を取られたことがあったそうで、今回も反射的に警戒心が働いたようだ。

ここで、これまでに報告のあった11月6日以降の7件の事例をA〜Fのアルファベットで地図にプロットしてみた。
ヨギ・シン遭遇地点2

A地点は、11月6日(水)に最初の遭遇報告があった場所で、「イチさん」がスーツ姿でターバン無しの「ヨギ・シン1」に声をかけられた東京国際フォーラム前だ。

B地点は、翌日7日(木)に「イチさん」が、スーツにターバン姿の「ヨギ・シン2」を目撃した二重橋付近。

C地点は、A地点と同じ国際フォーラム前で、「Nさん」が8日(金)に声をかけられている。
「ヨギ・シン1」か「ヨギ・シン2」かは不明だが、ターバン姿であれば印象に残るはずなので、おそらくタイプ1の「彼」ではないかと思う。

D地点は日生劇場前。
Nさんと同じ8日(金)に、TKさんが声をかけられた場所だ。
こちらもタイプ1か2かは不明だが、「あなたの顔からエネルギーが出ている」という声のかけ方はイチさんの報告と同様であり、タイプ1の可能性が高い。
今回の報告事例でもっとも南側での遭遇となる。

E地点は、10日(日)に「みょ」さんが遭遇した場所で、報告事例の中でもっとも北に位置している。
後のやりとりで、F地点のタカノYさんの報告と同様、ターバンを巻いたタイプ2であることが判明。
この事例では、「みょ」さんの機転で生まれた年を1年サバを読んで伝えると、「彼」は実際の誕生年ではなく、「みょ」さんが言った年を的中させたという。
これで、彼に真実を言い当てる超能力があるのではなく、発言した言葉を的中させているだけだということが分かった(それでも十分に不思議ではあるが)。
興味深いことに、「みょ」さんは占いのあとに「黒い石」をもらったという。

実は、「黒い石」については以前Twitter経由で複数の方から報告をいただいたことがある。
その時の報告によると、20年ほど前に、バンコクの安宿街カオサンの裏通りで、近親者の名前や数字を「彼」に次々と当てられたそうで、しかも、「彼」による予言(NYに行くことになる、恋人ができる、等)がその後実際に的中したそうだ。
その後、その石は紛失してしまったそうだが、もしかしたら「みょ」さんがもらったものと同じようなものだったのかもしれない。
2019年5月19日のTweet参照)

F地点は、先ほど紹介した10日(日)にタカノYさんが「彼」と出会った場所。

この地図を見て分かる通り、これまでの遭遇情報は、すべて線路の西側である。
9日(土)の捜索では、八重洲、日本橋、銀座といった線路東側のエリアも回ってみたのだが、どうやら「彼」は線路の東側には一度も足を踏み入れていないようだ。
彼の出没範囲は、かなり狭いエリアに限られているということが分かった。
この範囲内を重点的に捜索すれば、おそらく確実に「彼」と出会えるはずだ。

私は、緊張感とともに、奇妙なプレッシャーを感じた。
ひとつめは、これまでおそらく(当事者以外)誰も知ることができなかった謎を、自分の手で解明してしまうかもしれないという緊張感。
「撰ばれてあることの恍惚と不安、二つ我に有り」というやつだ。
そしてより大きな重圧は、果たして、自分がやろうとしていることが「彼」らのためになるのだろうか、という疑問だった。
大谷幸三氏の「インド通」によると、「彼」らは、インドでは自らの生業を恥じるほどに低い身分の存在だという。
そうした人々が秘密としてきたことを、(読者数の少ないブログとはいえ)自分なんかが興味本位で暴き、白日のもとに晒してしまってよいのだろうか。

一方で、私なりの考えもあった。
英語による海外でのヨギ・シン遭遇報告を読むと、ほとんどの報告で、「詐欺(scam)」という言葉が使われている。
「メルボルンでこういう手口の詐欺が頻発、気をつけて!」というように。
詐欺と呼ぶ側の気持ちも分かる。
最初に有料であることを提示せず、頼んでもいないサービスを提供したあとで料金を請求する(しかも、支払った金額では足りないと主張し、それ以上の料金を求める)という行為は、インドではよくある話でも、欧米や日本の感覚では詐欺と呼ばれても仕方がない。

けれども私は、ヨギ・シンの洗練された話術やテクニックに、単純に詐欺として片付けてしまうには惜しい何かを感じていた。
誰にも価値を認められぬまま消え去ろうとしている「伝統」とでも言うべきものが、そこにはある。
世界中のネット掲示板で、すでにヨギ・シンについては少なくない情報が書かれている。
(報告の件数の多さのわりに、書かれているのはその名前と不思議な手口くらいだが)
遅かれ早かれ、「彼」の存在はもっと広く知られ、その謎が暴かれる日が来るだろう。
それならば、「彼」をただの詐欺師として見ているのではなく、その洗練された技法にある種の敬意を持っている自分こそが、この仕事をやるべきなのではないだろうか。
こんな考えは思い上がりだろうか。
そんなことを思いながら、私は再び丸の内に向かった。

その日は仕事の休みを取っており、ほぼ終日をヨギ・シン捜索に時間を費やすことができた。
午前中の捜索は、空振り。
昼時に一件別の場所での用事を済ませ、昼食を食べ終わった頃に、「イチさん」からメッセージが届いていることに気づいた。
なんと、国際フォーラム付近で、ヨギ・シン1ともヨギ・シン2とも違う第三の「彼」が現れたというのだ。
メッセージには、通行人に声をかける30代〜40代くらいに見えるインド人風の男の写真が添付されていた。
その男は濃い色のスーツに身を包み、もみあげから口のまわりまで短い髭を生やしている。 
その姿を目に焼き付けると、私は最寄駅から電車に乗り、国際フォーラムを目指した。

「彼」に会ったら聞きたいことは、すでに心に決めていた。
「彼」のコミュニティーについて。
「彼」の家族について。
そして、「彼」自身について。
聞くだけではなく、私が彼らの伝統に対してリスペクトの気持ちを持っていることも伝えたかった。
できれば、連絡先を交換したりもしたい。
例えば日本の「ナマステ・インディア」みたいなイベントに彼らが出演したら、「彼」は詐欺師扱いではなく、正当な敬意と称賛を得られるのではないだろうか。
そんなアイデアを「彼」に伝えられたら、そして、実際に日本でのイベントで、ヨギ・シンの占いの実演ができたら、どんなに素晴らしいだろう。

東京駅で電車を降り、丸の内南口から東京国際フォーラムを目指す。
線路沿いの道を南に歩くと、やがてガラス張りの国際フォーラムの威容が目に入る。
イチさんから送られて来た画像には、国際フォーラム周辺と思われる歩道で、通行人に声をかけている「彼」の姿が映っていた。
目指すべき人物像は分かっている。

まずは、線路を背に、北側から国際フォーラム周囲の歩道を、ゆっくりと反時計回りに回ってゆく。
多くの人が行き交うフォーラム北側の通りに、「彼」の姿はない。
左に曲がり、フォーラム西側の道に入ると、人通りはぐっと少なくなる。
注意しつつ南下するが、ここにも「彼」はいない。
フォーラムの南側まで来たが、「彼」は見当たらなかった。
イチさんの報告から到着まで2時間あまり。
その間に「彼」は姿を消してしまったのか。
またしても間に合わなかったのだろうか。

南側の通りから、東西二つの建物に別れた国際フォーラムの中庭に入る。
ここにはたくさんのベンチが並んでいて、人通りも多く、以前から「彼」がいてもおかしくないと思っていた場所だ。
この時も、中庭のベンチは半分ほどが埋まっており、フォーラム内のさまざまなホールやショップに向かう人々が行き交っていた。
慎重に、中庭全体に、視線を巡らせてゆく。

ふと、前方20メートルほどのところに、私と同じように、何かを探すかのように周囲を見渡しながら歩いている人物がいることに気がついた。
ダークカラーのスーツ姿を着た、短い髭に覆われた顔の南アジア系の男が、あたりに視線を配りながら、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。
さきほどイチさんが画像を送ってきた男に、とてもよく似ている。

間違いない。 
第三の「彼」だ。
その男は、近くを歩いていた初老の男性に突然声をかけた。
呼びかけられた男性は、少し驚いた表情を見せた後、困惑したような笑みを見せながら、何かを断るしぐさをした。
もし急に見知らぬ外国人に「あなたの顔からエネルギーが出ている」とか「好きな色や数字を教えて欲しい」と声をかけられたら、きっとこんな反応をするはずだ。 
あるいは、英語が得意でなく、分からないと答えたのかもしれない。
私はゆっくりと「彼」に近づいていった。

「彼」は拒否の姿勢を示した初老の男性を引き止めるのをあきらめ、再びこちらに向きを変えた。
そのとき、「彼」と私の目があった。
私はここぞとばかりに顔からエネルギーを出そうとした。
その気持ちが通じたかのように、「彼」がこちらに向かって歩いてくる。
5メートル、4メートル、3メートル…。
私は「彼」に敵意はないことを示すべく微笑みかけた。
「彼」はもう手を伸ばせば触れられそうな距離にいる。
「彼」は私の顔から出ているエネルギーに気づいてくれただろうか。
その時、「彼」が口にしたのは、あのフレーズではなく意外な言葉だった。
"How are you?"


(つづく、またはintermission)

つづきはこちら


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goshimasayama18 at 00:13|PermalinkComments(0)ヨギ・シン 

2019年11月12日

ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)

これまでの「ヨギ・シン」シリーズの記事:
その1「(100回記念特集)謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
その2「(100回記念企画)謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
その3「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」

あの謎のインド人占い師集団、「ヨギ・シン」が東京に来ている。
水、木、金と3日続けてヨギ・シン遭遇の報告を受けた私は、11月のある土曜日、「彼」との遭遇情報があった丸の内〜有楽町エリアに捜索に行くことにした。

休日だったが、「彼」に上客だと思われるために、カジュアルな服装は避け、丸の内のビジネスマンっぽく見えるようジャケットを着て出かけた。
小脇には洋書のペーパーバックを抱え、英語ができる人間だと思わせる演出もしてみた。
今回来日している「彼」は、「君はラッキーな顔をしている」ではなく「君の顔からエネルギーが出ている」と話しかけてくるようなので、鏡の前で、通行人に怪しまれない程度の「エネルギーが出ていそうな表情」を練習し、心がけることにした。

ここまで準備をして言うのもなんだが、もし「彼」を見つけたら、声をかけてもらうまで待っているつもりはない。
自分から近寄って行って話しかけるつもりだ。
「彼」にどう話しかけるか、何を聞くかについてはすでに考えていた。

まず、最初に「あなたは高名な占い師のヨギ・シンではないか。ぜひあなたの話が聞きたい」と声をかける。
百戦錬磨のインド人占い師相手にどこまでできるか分からないが、先制攻撃をしかけて、できれば話の主導権を握りたい。
彼が占いをしてくれるのであれば、その技術をじっくり拝見させてもらおう。
手の中に渡された紙をすぐに開いて見るようなことはしない。
日本でも多くのマジシャンが行っている、心の中を的中させるマジックのタネが知りたいわけではないのだ。
彼が占いをしてくれたとしても、話が全て終わるまで、お金は払わない。
一度お金を払ってしまえば、「続きを聞きたいならもっと払え」という無限ループに陥ってしまうだろう。
そうなってしまっては、なんとしても話を聞きたい自分に勝ち目はない。
逆に、相手を焦らし、「もう少し話せばお金がもらえるかもしれない」という状況を作り出すのがこちらの作戦だ。
そのためには、焦らずに、羽振りの良い鷹揚な感じを演出しなければならない。

まず知りたいのは、「彼」のコミュニティについてだ。
「カースト」や「ジャーティ」(カーストに基づく職業集団)という言葉はデリケートだから使わない方が良いだろう。

彼のコミュニティはもともとこういう占いを生業にしているのか。
そのコミュニティには何人くらいいるのか。
同じコミュニティの占い師は海外には何人くらいいるのか。そして、どこにいるのか。
インド国内にはこの手の占い師は何人くらいいるのか。
この占いやコミュニティは何という名前なのか。
誰がこの占い(トリック)を考えたのか。

家族についても聞いてみたい。
父も、その父も同じように占いを仕事をしていたのか。
子どもや兄弟は何人いて、そのうち何人が占いをしているのか。
家族は海外にも暮らしているのか。
女も占いをするのか。

そして、彼個人についても聞きたいことがたくさんある。
占いは誰に習ったのか。
この占いを誰かに教えたのか。
これまでどんな国に行ったことがあるのか。
日本にはなぜ来たのか。
日本に知り合いは住んでいるのか。
どこに滞在しているのか。

順調に話を聞くことができたとして、「彼」にいったいいくら支払ったら良いだろうか。
何しろ相手は百戦錬磨。
うっかり口車に乗らないように、財布の中身はあらかじめ少なめにしておこう。
観光客相手のインドの商売人の常で、いくら支払っても、必ず「それでは少ない」と言ってくるのは分かっている。
最初に渡すのは、こちらの気持ちよりも少なめの金額にする必要がある。

と、そんなことを考えながら、東京駅についたのはちょうどお昼時だった。
丸の内中央改札を出て、行幸通りを二重橋のほうに向かう。
イチさんからの報告では、ターバン姿の「ヨギ・シン2」にはお昼の時間帯に二重橋に行けば会えるとあった。
企業が休みである土曜日に「彼」が「出勤」しているのかどうか分からないが、私にできるのは彼に会えることを祈ることだけだ。

だが、二重橋に近づいてみると、いつもの土曜日とはまるで様子が違うことに気がついた。
翌日に天皇陛下即位パレードを控え、道路上には数十メートルおきに警備の警察官が立っていた。
皇居に近づけば近づくほど警察官の数は増え、地下鉄二重橋駅の近くはほとんど数メートル間隔で警察官の姿がある。
こんな場所で外国人が怪しげな占いをしていれば、間違いなく不審に思われてしまうだろう。
さらに、この日は即位記念の祭典が行われており、各地から集まったかなりの数の祭半纏姿の男女が、皇居方面を目指して歩いていた。
端的に言うと、丸の内のビジネスマン相手に英語で占いを行ってきた「彼」の顧客にはあまりなりそうもない人たちばかりだ。
二重橋駅近辺を何度か往復してみたが、「彼」と思われる姿はなかった。
ひょっとしたら今日も来たのかもしれないが、この状況を見て場所を変えたのかもしれない。

皇居のお堀に面した日比谷通りから1本離れ、歩行者天国になっている中通りも歩いてみたが、やはり「彼」の姿はない。
そしてここにも多くの警察官が配置されている。
ずっと同じ場所で警備をしている警察官に、このあたりで不思議な占いをしているインド人を見かけなかったか聞こうとしたが、やっぱりやめた。
国民的な大イベントを前に怪しいやつだと思われたらたまったものではないし、何より「彼」の情報を警察に伝えることで、「彼」の今後の商売を邪魔するようなことはしたくない。

買い物客や祝典に向かう人々でごった返す丸の内エリアの全ての通りを回っても、「彼」の気配を見つけることはできず、今度は喧騒を避けて、丸の内の北側から大手町のエリアに向かうことにした。

丸善が入っているOAZOを越えると、人通りは一気に少なくなる。
皇居から離れるせいか警察官の姿も減り、お祭りに来た人々もいない。
人が多すぎる今日の丸の内では、道端で声をかけて占いを行うことは難しい。
「彼」が人気の少ない大手町エリアに場所を移し、休日出勤してきた数少ないビジネスマンを今日のターゲットすると考えても不思議ではない。
ここでも各ブロックを歩き回ってみたが、やはり「彼」の気配はなかった。
土曜日の大手町は、秋の日差しに輝くガラス張りのビルが墓標のように並び、首都高速の日陰になったベンチでホームレスが昼寝をしているだけだった。

残る希望はイチさんとNさんが「ヨギ・シン1」と遭遇した有楽町エリアだが、その前にひとつ確かめておきたいことがあった。
もし、二重橋付近で占いをしていた「ヨギ・シン2」が警備と喧騒を逃れて別の場所に行くとしたら、それは東京駅の反対側、皇居から離れた八重洲側ではないだろうか。
念のため、八重洲も捜索してみたい。
そう考えた私は、丸ノ内駅北口の東西自由通路を通って、八重洲側に出た。
ぴかぴかのオフィスビルや高級ショップが並ぶ丸の内側と比べて、居酒屋やカラオケが立ち並ぶ雑然とした雰囲気の八重洲は、いかにも怪しげな辻占がいそうなエリアだ。
碁盤の目状になっている区画をくまなく回る。
だが、やはりここにもインド人の姿はない。

八重洲まで来たついでに、日本橋まで足を伸ばしてみることにした。
高島屋や三越といった高級百貨店があるこのエリアは、土曜ともなればヨギ・シンにとって良い客筋の人々が多く集まってくる。
高級百貨店の周辺を中心に、歩いている人々に目をこらす。
だが、ここも空振り。

こうなったら、残されているのは2件の「ヨギ・シン」遭遇情報が寄せられた有楽町側に向かうしかない。
重点的に捜索すべきエリアは、2回の遭遇報告がある国際フォーラム周辺だ。
私は東京駅と有楽町の間の高架をくぐり、情報が寄せられた地点へと向かった。
傾きかけた日差しの中、国際フォーラム、ビックカメラ周辺のエリアを徹底捜索する。
国際フォーラムの中庭は、話をするのに最適のベンチも多く、とくに念入りに調べた。
ビックカメラには外国人観光客も多い。
彼らも「彼」の顧客になり得るだろう。
だが、ここにもインド人占い師の影も形もない。
有楽町駅の改札を出たところでは、ネルシャツにサングラス姿の中年の男が地べたに座り、フォークギターをかき鳴らしながら浜田省吾を熱唱していた。
しだいにむなしさが募ってくる。
目撃情報のあった全ての地点を捜索したが、彼の姿はいっさい無かった。
だが、これで帰るわけにはいかなかった。
最後にもう1箇所、どうしても見ておきたいところがある。

それは、銀座だ。
土日には歩行者天国が設けられ、デパートや高級ショップが連なる銀座であれば、通行者に声をかけやすく、客筋も良い。
外国人観光客も多いから、日本語が苦手な日本人だけをターゲットにすることもない。
もし、私が「彼」で土曜日も「仕事」をするとしたら、この近辺なら間違いなく銀座を選ぶ。
私は三たび線路をくぐり、銀座へと向かった。
並木通り、レンガ通り、ガス燈通り、そして広々とした歩行者天国になっている中央通り。
高級ブランド店を横目に、南北に長い銀座エリアを探索する。
さらに中央通りの東側の名前を知らない通りまで、目を凝らして歩き回ったが、占いをしているインド人の姿はどこにも見当たらなかった。

さすがに日が落ちてきたので、本日の捜索はここで終了。
帰宅前に、有楽町駅から国際フォーラムのエリアを改めて一周したが、やはり彼の姿はなかった。
すっかり暗くなった国際フォーラムの中庭では、大ホールへの入場を待つ大勢の人たちが列を作って並んでいる。
自分より年上の男女が多いが、何かコンサートがあるのだろう。
するとその行列から少し離れたところから、並んでいる人たちに向かって、昼間見かけたネルシャツにサングラス姿の男がギターをかき鳴らし、ハマショーの歌を歌っているのが目に入った。
そうか、今夜は国際フォーラムで浜田省吾のコンサートがあるのだ。

男は「悲しみは雪のように」を熱唱しているが、列に並んだ人々は見向きもしない。
そりゃそうだ。
これから本物を見るというのに、どこの誰とも分からない男が歌うハマショーを聴いてどうする。
だが、私はとてもこの男を笑う気にはなれなかった。
ハマショーファンは、彼に気づいても、誰も彼の歌を聴いてはいなかった
しかし、私はここまで歩き回ってヨギ・シンを探しているのに、「彼」気づかれてすらいないのだから。

こうして土曜日の捜索が終わった。
スマホに入っている歩数計のアプリは、2万6千歩を超える数値を示していた。
さすがにくたびれた。

へとへとになって家に帰り、スマホを開くと、そこにはFacebookに新たな遭遇報告が寄せられていた。
「TKさん」からの報告は、またしてもすぐ近くのエリアからのものだった。
私も昨日遭遇しました。 
----- 
夕方、日比谷駅から銀座に向かうところ、日生劇場の前でスーツの外国の方(おそらくインド?)と目が合う。 

道迷ったかな?と思ったら、 
「キミの顔から良いエネルギーがでてる」 
「来年の一月、キミは仕事で昇進するよ」 
と言われ、(そこで怪しいと思えばよかったのですが) 
突然彼はメモを書き、クシャクシャにして僕に手渡しました。 

「好きな色は?」 
「うーん、黒かな?赤かな?」 
「ひとつに決めて」 
「じゃ、赤」 

「好きな数字は?」 
「うーん、9かなぁ、、」 

彼はまたメモにサラサラと書き、 
「いまキミが望むことは?」 
「家族の幸せ」 
「キミの手元のクシャクシャのメモと、いま私が書いたメモが一緒だったら、その夢は叶うよ」 
と言われ開いてみると、、 
なんと「Red」「9」と書いてある!! 

と思ったら、最後に 
「金くれ」 
「いやいや、小銭じゃなくてペパーマネーだよ」 
「1000円じゃなくて、3000円」 
と言われ、1000円だけ渡して去りました。。
昨日のことというから、前回の記事で書いた「Nさん」の報告と同じ金曜日のことだ。
日生劇場前というのは、これまでの目撃地点ではもっとも南側だが、やはりこれまで報告のある丸の内、有楽町からの徒歩圏内。
帝国ホテルにも近く、やはり「上客」が見込める場所だ。
やはり、「彼」は確実にこのエリアを徘徊しているのだ。
時間さえあれば、いつか必ず会える。


一夜明けて、日曜日。 
さすがに昨日の疲れが残っているので、今日は家でゆっくり休むことにする。
この土日は警察官も多いし、「彼」の顧客になりそうなビジネスマンは少ない。
きっと「彼」も休日にしているのだろう。
「会えなかった」というネタで1本書くのもしんどいな、と思っていると、ブログに新しいコメントが寄せられた。
「みょ」さんという方からのコメントは、またしても心拍数が高まるようなものだった。
 はじめまして。
一時間ほど前にその方に突然占われ?ました。
大手町のみずほビルのあたりです。
最後に黒い石を渡されたのが印象的でした。
たった1時間前の遭遇報告だ!
今日は休日。
私は慌てて身支度を整えると、再び大手町に向かった。

東京駅に到着した頃には、即位パレードは終了していたが、それでも多くの警察官が警備にあたっていた。
丸の内北口改札から、大手町へ。
ついさっきまで、ここに「彼」がいたのだと思うと、高揚感と緊張感で自然と背筋が伸びる。
たぶん顔からエネルギーも出ているはずだ。

ほどなくしてみずほ銀行本店が入る大手町タワーに到着。
まずは周囲に目をこらしながら、敷地周辺の歩道を一周する。
「彼」の姿はない。
ビルの警備員が外に立っていたので、怪しまれないように、待ち合わせを装って「このあたりで50歳くらいのインド人の姿を見かけなかったか」と聞いてみたが、記憶にないとのこと。
周囲の歩道をもう一周。
さらに、隣接する大手町ファーストスクエアとの間にある中庭のようなスペースも歩いて見たが、やはり「彼」はいない。

「みょ」さんの遭遇から報告まで1時間。
さらに、私の到着までにもう1時間くらい経過している。
さすがに「彼」もずっとここにとどまってはいないのだろう。
捜索する区画を1ブロックずつ広げてみるが、やはり彼の姿はない。
最後にもう一度、目撃情報頻発地帯である国際フォーラム周辺を捜索したが、手がかりなし。
TKさんからの報告のあった日生劇場前も確認してみたかったが、あいにくとっぷりと日が落ち、とても外で手品ができる明るさではなくなってきたので、本日も捜索終了。
またしても会えなかった。
国際フォーラムの近くに、なぜか今日も浜田省吾の弾き語りをしていた男がいて、仲間と談笑していた。
今日はハマショーのコンサートは無いだろうに、まだいたのか、と思ったが、自分のやっていることを考えると、やはり彼をバカにする気持ちにはなれなかった。
好きなアーティストの歌を気持ちよく歌っている彼と、得体の知れないインド人を探して土日を無駄にし、歩き疲れて疲労困憊の自分、どっちがバカかは考えるまでもなく明らかだからだ。

有楽町駅から電車に乗り、Spotifyで浜田省吾を聴きながら家路についた。
疲れ切った心と体に、ハマショーの歌声が沁みた。

(つづく)

つづきはこちら



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goshimasayama18 at 06:58|PermalinkComments(2)ヨギ・シン 

2019年11月10日

あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?

「あのヨギ・シンがついに来日」と言っても、この弱小ブログをかなり前から熱心に読んでいただいている方以外は、知らない人がほとんどだろう
だが、ヨギ・シンは、私にとってはU2より、レディー・ガガよりも来日が待たれていた「伝説のインド人」なのだ。

ヨギ・シンは100年近く前から世界中でその存在が報告されているインド人の占い師だ。
シク教徒と思われる「彼」は、東南アジア、オセアニア、北米、ヨーロッパ、そしてもちろんインドなど、さまざまな地域で、手品のような不思議なテクニックを使い、人の心の中を的中させて、その対価としてお金を払わせてゆく。
その時代背景や出現地域の多彩さから考えると、どうやらこの奇妙な占いを生業にしているシク教徒の国際的なグループがいるようなのである。

「彼」については以前ブログにその正体の推測を含めてかなり詳しく書いたので、興味を持った方はぜひこちらを読んでいただきたい。

 

詐欺師まがいと言ってしまえばそれまでだが、神出鬼没で巧みなトリックと話術を使う「彼」の存在は好奇心を駆り立ててやまない。
ヨギ・シンの出現地域はおもに英語が通じる地域に限られており、私の知る限り、ここ日本ではこれまでに「彼」との遭遇が報告されたことはなかった。
「彼」とじかに会って、その不思議な技術をまぢかで見ること、そして「彼」らについて詳しく話を聞くことは、私の悲願の一つだった。

ヨギ・シンの記事を書いてから1年が経とうとしていた2019年11月6日。
事態は大きく動き始める。
ヨギ・シンの記事は、2018年の11月に、ブログの100本目の記念として書いたものだったが、この古い記事に「イチさん」という方から、こんなコメントがついたのだ。
いま東京丸の内で会いました。
丸めた黄色い紙を使っていました。
8000円支払いました。
あの人は何者だろうとググってここに辿り着きました。 
短いながらも、衝撃的な言葉が並んでいる。
なんということだろう。
あの「彼」が東京にいるというのだ!

私はにわかには信じられなかった。
「彼」に会う願ってもいないチャンスだが、ブログのコメントには、イチさんの連絡先情報は何も書かれておらず、こちらからコンタクトを取ることはできない。
私はイチさんが読んでくれることを祈りつつ、コメント欄にもっと詳しい情報を知りたいという旨の返信を書いた。
すると翌日、イチさんが、詳細な遭遇の様子を報告してくれた。
おそらく、これが日本初のヨギ・シン遭遇記である。
昨日(11月6日)13時30分ごろ、私は友人と東京駅の近くでランチを済ませた後、リモコンの電池を買うために有楽町ビックカメラに行き、それから職場(丸の内)に戻ろうと国際フォーラムの横を歩いていると、50歳くらいのスーツを着たインド人にexcuse meと呼び止められました。
私は道でも訊かれるのだろうと思ったところ、「あなたの眉間からエナジーが溢れている、正直な人だ、でもネガティブに考えると事態は悪い方に行く、ポジティブに考えるように」とアドバイスを受けました。
私は転職したてなので貴重なアドバイスだと思って、感謝を伝えると、彼はパンジャブ出身であり、ヨガを勉強していると話してくれました。
何を今成し遂げたいか、と訊かれたので転職したてなので新しい仕事でうまく行くと好いと思っている旨話すと、彼は黄色い小さい紙を黒革の財布から取り出し、何か書いて丸め、私に握らせました。そして彼はブルー以外で私の好きな色を尋ね、また10から20までの数字で好きな数字を選ぶように云いました。
私はイエローかグリーン、祖母の命日の13、と答えると、彼は色は一つを選べ、と云いました。私はグリーンと答えました。
パンジャーブ出身。ヨガをしている。
「彼」に間違いない。
シク教徒はパンジャーブ州に多く、「ヨギ」とはヨガ行者を意味する言葉だ。
「あなたはラッキーな顔をしている」ではなく、「あなたの眉間からエナジーが溢れている」云々という言葉や、ブルー以外で好きな色を選ばせるということ、10〜20という条件のなかで好きな数字を選ばせるというのは新しいパターンだ。
私は高鳴る鼓動を感じながら、イチさんからの報告を読み進めた。

彼は私の手から丸めた紙を取ると、それを開き、そこにはgreen 13と書かれていました。
何が起こるのか予測していなかったので、私はそこにすり替えの余地があったのか確認はしていませんでしたし、彼の動作を正確には記憶していません。
私が驚くと彼は黒革の財布をひろげ、そこには古い写真や多数の黄色い紙など入っていましたが、そこにお金を入れるように私に言いました。彼はバンクーバーに行かねばならないのでその為だと云っていました。
私はズボンの後ろポケットに手を入れ、ランチで一万円札で払ったお釣りの紙幣のうち、いちばん外側にあった5千円札を彼の財布に入れました。触ったのが千円札ならよかったのに、と少し後悔しました。
彼は次に私のパートナーの頭文字を云うよう命じました。私はWと答えました。妻は中国系アメリカ人であり本名では頭文字はSだったので、私は本名か通名かで違うと云うと、彼は「そうだろう、本名を云いなさい、だから混乱したんだ」と云いました。
実は私の妻は今年7月に他界しており、私はその旨彼に伝えると、そうか、彼女は現世に未練があり、まだここにいる、と云いました。
彼は、私にはMの頭文字の女性二人が現れ、一人は悪い方に、もう一人は良い方に私に作用する、と云いました。一人は何となく心当たりがあるといえばありますが、良い方か悪い方かは見当つきません。
彼はこれらの会話中もずっと小さな紙にメモを取ったりしており、そのうち一枚の紙を丸めて私に握らせました。
私は14時15分から会議があったので、そろそろ行かねばならないと彼に伝えると、彼は予め書いてあった10項目の願望の中から重要なものを3つ選べ、あと3つの花の名前から好きなものを選べ、と云い、私は仕事の成功、家族の平安、子供の幸せ、あとroseを選ぶと彼は私が握っていた紙を開くように、と云いました。
そこにはrose 2と書いてあり、彼はその2は子供の数だ、と云いました。この時は絶対にすり替えが起こらないよう、私は手の中の紙に注意を払っていました。(子供は2人です)
私は会議に行かねばならなかったので、礼を云ってそこを去ろうとすると、彼はバンクーバーに行かねばならないので3万円払え、このお金は将来、何倍にもなって私に返ってくる、と云いました。私は3万円も持ってないと答えると、そんな筈はないと彼は云いました。(実は定期入れの中に2万円くらい入っていました)
面倒だった私は、ランチのお釣りの8千円のうち、残りの3千円を彼の黒革の財布に入れると、彼は自分の顔を覚えておくように、と云い、少し見つめ合った後、彼はそこを去りました。
私は14時15分からの会議の後、似た経験のある人はいないか調べたくなり、ネットで検索して貴ページに辿り着いたものです。
占い詐欺だったのかもしれませんが、日本において英語であの遣り取りをするのは決して容易ではないと思われ、割には合わないと思います。
以上、ご参考になれば。 
なんという興味深い報告だろう。
読み終わった私は興奮を抑えることができなかった。
いつもながらの鮮やかな手口も見過ごせないが、何よりも「彼」が日本向けにその話術をアレンジしてきていることに興味を惹かれた。
海外の事例では、自分の所属する教団や慈善団体への寄付としてお金を請求するパターンが多いようだが、今回は「バンクーバーに行かねばならないので3万円払え、このお金は将来、何倍にもなって返ってくる」 と発言している。
寄付文化が一般的でない日本では、馴染みのない団体への寄付を募るよりも、単純に困っていることを訴えた方が効果的だろう。
それに、「このお金は将来何倍にもなって返ってくる」という言葉もよく考えられている。
このフレーズには、現世利益的であるだけではなく、言外に金銭に対する超自然的な力を持っていることを匂わせ「もし払わなかったらこの何倍もの経済的損失があるかもしれない」という感情を起こさせる。
あくまでも聞き手が勝手に思うことであって、まったく脅迫めいたことは言っていないというのもポイントだ。 

さらに言えば、丸の内という場所のセレクトも的確である。
イチさんも指摘している通り、英語で占いを行うヨギ・シンは、英会話が苦手な人が多い日本では、なかなか商売を行うことは難しいだろう。
東京が国際的な大都市でありながらも、これまで「彼」との遭遇が報告されてこなかったのは、物価の高さ(最近はそうでもないようだが)や、彼の拠点となるパンジャーブ人コミュニティーが発展していないためだけでなく、「英語があまり通じない」という理由があったからではないかと思う。
ところが、大企業の多い丸の内なら、国際的なビジネスマンも多く、占いだけでなくスピリチュアルな内容の会話にも応じられる高い英語力が期待できる。
裕福な人も多いだろうから、丸の内は彼らにとって、東京のなかでもかなり「客筋が良い」街と言えるだろう。
渋谷や新宿ほどごみごみしておらず、声をかけるのに適度なスペースがあるのも良い。
イチさんの報告を最初に読んだ時、占い師なのに伝統的な格好ではなくスーツ姿だというのを意外に感じたが、この街に溶け込み、怪しまれないためにはスーツ姿が最適だ。
ヨギ・シンはここ日本でも高い情報収拾能力と適応力を発揮しているようだ。
在日パンジャーブ人コミュニティーとも繋がっているのだろうか。

イチさんからの報告を読んで、私は一刻も早く丸の内に行きたくて仕方がなかった。
お昼時に改めてお礼を書き込むと、イチさんからさらなる驚くべきコメントがあった。
実は私はインドとは縁浅からぬものがあり、大学の卒業旅行はインド、仕事もインドと深い関わりがあったこともあり、数年前にはインド人に騙されて、相当に嫌な思いをしたこともあります。
アガスティアの葉を自身で経験したインド駐在員からは、あれは絶対に本物だ、と、そう信じるべき理由も含め聞いたこともあり、今回のことはどう理解すべきか正直迷っています。
あの人通りの中から、私を見つけて話しかけて来た、あのインド人、まったくの偶然とも思えないのですよ。

 
と書き込んで、オフィスに戻る途中、私が会ったインド人とは別のターバン巻いたインド人が、インド人の通行人に例の占いをしてるのを発見しました。写真撮りました。
よかったら二重橋前に昼に来れば会えますよ!
ということで、やはりインチキだった模様。
写真のターバンの人物は、私の八千円とは違う人物です。
このターゲットのインド人はこの後、走って逃げてました。 
なんと、おそらく日本で初めてであろうヨギ・シンとの遭遇報告だけでなく、「彼」の写真も撮影したというのだ。
しかも、「彼」は一人ではなかった。
イチさんが前日に出会った50歳くらいの男と、それとは別のターバンの男の、少なくとも2人が東京に来ている!
仮に、イチさんが出会ったほうを「ヨギ・シン1」、ターバンのほうを「ヨギ・シン2」と呼ぶことにする。
タフなネゴシエーションをすることで知られるインド人が走って逃げ出したということにも、ただならぬものを感じる。
世界中の報告事例(おもにインド人以外によるものが多い)では、「彼」らから暴力や脅迫めいた気配を感じたとされるものはなかった。
逃げ出したインド人は、「彼」から、同じ文化圏で育った者だけが感じられる何か超自然的な脅威を感じたのだろうか。(ただ急いでいただけの可能性もあるが)

これが、イチさんが撮影に成功した「ヨギ・シン2」の写真である。

ヨギ・シン1加工済み
ヨギ・シン2加工済み

右側がインド人を相手に占いを行なっている「ヨギ・シン2」だ。
ターバンを巻いたスーツ姿の男性のヒゲには白髪が多く、少なくとも50歳は超えているように思える。
ターバンは言うまでもなくシク教徒のシンボルで、彼がまぎれもなく「ヨギ・シン」であることの証明だ。
(最近はターバンを巻かないシクの男性も多いので、「ヨギ・シン1」がシク教徒でないということにはならない)
よく見ると、財布のようなものを手にして、2枚目ではペンを持っているのが分かる。
これは、イチさんのコメントにある「古い写真や多数の黄色い紙」 が入っていたという財布と同じものだろう。
2枚目のペンは、「彼はこれらの会話中もずっと小さな紙にメモを取ったりしており」という報告と合致する。

2枚目の写真は、もとの画像をかなり拡大したものなのだが、2枚とも絶妙な角度や粗さで「彼」の顔をうかがい知ることができない。
このミステリアスさがさらなる好奇心を刺激する。
(念のためお伝えしておくと、イチさんからは顔に目線を入れることを勧められたのだが、角度や画質から明確に個人を特定できるものではないと判断して、「彼」と思われる人物についてはそのまま掲載することにした)

イチさんは「やはりインチキだった模様」と書いているが、これを完全に「インチキ」と呼んでよいのかどうか、私には判断できない。
ご夫人を亡くし、転職したばかりの局面で、これまで様々な縁があったインドの占い師に偶然声をかけられたイチさんが、そこに何かを感じたということも、その直後に別の占い師が同じトリックをしているのを見かけてやはりインチキだと思ったということも、十分に理解できる。
心の中を紙に書いて的中させるトリックは、同じことをマジシャンがやっているのを見たことがあるので、なんらかのテクニックを使えばできることなのだろう。
だが、だからといって彼をインチキだと言ってしまったら、科学的な根拠のない占いは、全て詐欺ということになってしまう。
あのサイババも、彼が手からビブーティー(聖灰)を出すトリックを暴いた映像が公開されたことがあったが、それでも彼のことを崇拝する信者が減ったようには思えない。
もし、「彼」がトリックを使って人を騙し、お金を取ることしか考えていなかったとしても、「彼」のテクニックや話術には、人の心に強い印象を残す、極めて洗練された何かがあることは間違いない。
「真実」ではないかもしれないが、完全に「偽り」だと言うことができない領域に、ヨギ・シンはいる。
それは例えば、プロレスが純粋な格闘技ではないとしても、それでもなお、そこには見る人の心を強く動かす何かがあるというのと、よく似ている。

イチさんが「ヨギ・シン1」と遭遇したのが水曜日、「ヨギ・シン2」を目撃したのが木曜日だ。
この時点で、私は週末になったら丸の内にヨギ・シンを探しに行くことを決意していた。
かみさんは訳のわからないインド人にうつつを抜かす私を不気味そうに見ているが、構うことはない。
長年の間、ずっと会いたかった「彼」、いつどこに行けば会えるのかけっして分からなかった「彼」、そして、日本に来ることはまずないだろうと思っていた「彼」が東京に来ているのだ。
こんなチャンスは二度とない。

そして、ヨギ・シン捜索を翌日に控えた金曜日には、Facebookのページに、また別の方からこんなコメントが寄せられた。
一時間前、有楽町で話しかけられました。
私も、話しかけられた後気になり、ブログにたどり着きました。
コメントされていた方と同じく、スーツのインド人でした。
話された内容もコメントの方と同じく片方の女性はどうのとの内容で、
ラッキーナンバーと好きな色を聞かれ、当てられました。
手品としても価値があったと思い、1000円渡したところ、5000円欲しい!
と言われ、結局断り握手して帰りました。
帰り道、財布を見てみると、現金の所持金がちょうど渡したのも含めて5000円だったので驚きました。
危険な感じは全くありませんでした。
メンタリストダイゴとかテレビで見ててやらせだろとか思っていたので、実際自分が当てられてびっくりしています。
ブログを拝見して、もっと真剣に聞いてみれば良かったと後悔しております。
是非体験してみてください。
その際はup 楽しみにしてます。
ちなみに国際フォーラム出入口、グレーのスーツです。
「ヨギ・シン1」と思われる人物との遭遇レポートだ!
「片方の女性はどうの」というのは、イチさんの報告にあった「Mの頭文字の女性二人が現れ、一人は悪い方に、もう一人は良い方に私に作用する」と同じ言葉だろう。
国籍を問わず、Mから始まる名前は多い。
これも誰にでも当てはまる、じつによくできた名文句だ。
「彼」はイチさんに対しても、今回報告してくれたNさんに対しても、所持金をほぼぴたりと当てている。
最初に5,000円を出したイチさんには30,000円といい、1,000円を出したNさんには5,000円と言っているから、最初に出した金額の5〜6倍を言うことにしているのだろうが、これを瞬時に自然に言えるということは、この「彼」がかなり話術に長けているということがうかがえる。

Nさんがコメントしてくれた時刻から考えると、「彼」との遭遇は金曜日の午後4時から5時くらいの時間帯だったようだ。 
「彼」らが丸の内から有楽町のエリアで、水、木、金と3日間にわたって活動をしていたことは間違いない。
「彼」は確実に東京にいる。
待ってろよ、ヨギ・シン。


(つづく)

つづきはこちら


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goshimasayama18 at 14:07|PermalinkComments(4)ヨギ・シン 

2019年11月04日

帰ってきたガリーボーイ歌詞翻訳!"Train Song" by麻田豊、餡子、Natsume

『ガリーボーイ』リリック翻訳シリーズの番外編、いわばアンコールも(たぶん)今回でラスト!
麻田先生、餡子さん、Natsumeさん、本当にお疲れ様でした!
打ち上げどこかでやりましょう(業務連絡)。

最後に紹介するのは、"Train Song".
今回もラップではなく、『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかでは珍しい普通に歌われている曲なのだけど、この曲が素晴らしい名曲!
私も大いに気に入っています。

歌は英語とヒンディー語のパートに分かれていて、英語部分を歌っているのはタブラプレイヤー/エレクトロニカ・アーティストとしても知られるインド系イギリス人のKarsh Kale、ヒンディー語部分は南インド出身で、さまざまな言語の映画音楽の歌手としても知られるRaghu Dixit.
英語部分の作詞はKarsh Kaleを中心にしたメンバーで行われているようで、ヒンディー語部分の作詞は、前回紹介した"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)でも作詞を手がけたジャーヴェード・アフタル。
ゾーヤー・アフタル監督の父親であり、ボリウッドの脚本家/作詞家、ウルドゥー詩人として伝説的な人物である彼が、ここでも活躍している。
作曲はデリーを中心に活動を続けるエレクトロニカ・デュオのMidival PunditzとKarsh Kaleの共作。
Midival PunditzとKarshはいずれも2000年前後から活動するベテランで、いわばインド系クラブミュージックのパイオニアだ。
ヒップホップにこだわった映画のなかで、ここだけジャンルも国籍も超えた(そして、しっかりアフタル・ファミリーの大御所ジャーヴェードも入った)大物のコラボレーションを持って来るあたり、非常に面白いバランス感覚だと言える。


TrainSong1

TrainSong2

TrainSong3

餡子さんのコメント:
ヒンディー語パートと英語パートに分かれている歌で、ヒンディー語パートはムラドのこれまでの話と、今回の成功を讃える内容になっています。
英語の部分は歌だけ聞くとハテナ?ですが、エンディングの場面で駅でサフィーナと会うときに流れるのでその情景を表してるのだと思います。

Natsumeさんの考察で「心臓」は体の左側にあるから「左側の出口」というのは心臓とリンクしているのでは、という解釈をしました。
今回の歌詞の翻訳のためカラーチー在住の麻田先生の知人の方にもご協力いただきました!

格差社会への憤りや、自分自身を誇る血圧高めのラップが多い『ガリーボーイ』のサウンドトラックのなかで、この曲の開放感は独特の輝きを放っている。
詩的なメタファーに満ちた歌詞も印象的で、ヒンディー語部分はじつにヒンディー語的な、英語部分は非常に英語的な歌い回しになっており、それがごく自然に融合しているのも面白い。
英語、ヒンディー語それぞれのフォークっぽいメロディーラインに続いて、スケールの大きいコーラスに続く展開は、何度聴いても心地よい爽快感がある。

この"Train Song"は、短い曲ながら、大御所ウルドゥー詩人、在外インド系ミュージシャン、国内クラブミュージックのパイオニア、映画音楽界の人気シンガーという様々な才能が有機的に絡み合いながらそれぞれの良さを活かしあっている、まさに現代のインドの音楽シーンを象徴する名曲と言ってよいだろう。

"Train Song"にはヒップホップ的な要素は皆無だが、この曲の背景には、ヒップホップに憧れるスラムの青年がラッパーになって留学帰りのプロデューサーと出会い、自分の言葉(ヒンディー/ウルドゥー語)でNasのオープニング・アクトを目指すというこの映画のストーリーと地続きの、グローバル化しながらも独自性を失わず、むしろその輝きを増してゆく現代インドの音楽シーンの面白さが詰まっているのだ。

この曲に絡めて『ガリーボーイ』のもう一つのテーマを紹介するとすれば、それは「調和と融合」ということになるかもしれない。
この「調和と融合」は、ヒップホップに代表される、実際のインドのインディーミュージックシーンを理解する上でも重要なキーワードだ。
スラム出身の青年のリリックと、富裕層出身でアメリカの名門大学で音楽を学んだビートメーカーのトラックの融合。
アメリカから来たラップと、インドの伝統的なリズムやポエトリーの融合。
ムスリムのラッパーとヒンドゥーのラッパー(MCシェールのモデルとなったDivineはクリスチャンだが)のコラボレーション。
映画のなかで起きるこういった出来事は、全て実際の音楽シーンでも実現していることだ。
そもそも、宗教の垣根を越えた詩人や音楽家の庇護や共演は、インドでは何百年も前の王朝時代からあたり前のように行われていた。

現実世界ではコミュニティの分断と対立のニュースばかりが報じられるなか、インドの音楽シーンのこうした美徳は、ますますその価値を増しているようにも思える。

『ガリーボーイ』で提示されたような、さまざまな魅力に満ちた実際のインドの音楽シーンについて、これからもこのブログで積極的に紹介してゆきたいと思います!



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goshimasayama18 at 12:13|PermalinkComments(0)インド映画 | インドのロック

2019年11月02日

帰ってきた『ガリーボーイ』歌詞翻訳!"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)by 麻田豊、餡子、Natsume


先日まで集中連載していた、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』のラップのリリック翻訳シリーズ。

大好評にお応えして、このプロジェクトを進めている餡子さん、麻田先生、Natsumeさんによるチームから新たに届いた翻訳を紹介します!
今回紹介する楽曲は、"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)。

ところで、今回は記事のタイトルが「ラップ翻訳」ではなく、「歌詞翻訳」となっていることに注目。
そう、今回紹介する曲はラップではない。
この"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)は、イギリス生まれのインド系プロデューサー、Rishi Richが作ったトラックに乗せて、主演のランヴィール・シンが、ゾーヤー・アフタル監督の父でもあるジャーヴェード・アフタルによる詩を朗読したもので、そういう意味では「歌詞」と呼ぶのも厳密には違うかもしれない。
(あえて言えば、ポエトリー・リーディングやSlamと呼ばれるジャンルに近いか。なお、監督らのAkhtarという苗字については、映画のパンフレットをはじめ「アクタル」と記載されているものが多いが、今回は翻訳に携わった麻田先生にならって「アフタル」に統一する)


EkHeeRaasta



餡子さんによるコメント:
このリリックのシーンは、ムラドが電車に揺られている中周りにぼんやりと死んだ目をしたサラリーマンたちが映されて、「レールの上に載せられた人生」で「たった一本の道」を歩むしかない…という状況があらわされてますね。

この曲の作詞をしたジャーヴェード・アフタルは、ウルドゥー語詩人であると同時にヒンディー語映画の作詞家・脚本家としても長く活躍し、インド政府からパドマー・シュリー、パドマー・ブーシャンという2つの称号を受勲している伝説的な人物だ。
(北インドで広く話されるヒンディー語と、パキスタンの公用語で北インドのムスリムにも話者が多いウルドゥー語は、文字が異なり、語彙にも違いがあるが、言語的には非常に近く、会話においては相互の意思疎通が可能なことが多い)
無理やり日本に例えれば、倉本聰と谷川俊太郎と阿久悠を、足して割らずに数倍にしたくらいの人物ということになるかもしれない。
ちなみにジャーヴェードの父も映画音楽の作詞でも活躍した詩人で、さらに祖父も詩人である。

ゾーヤー監督は、母が女優/脚本家のハニー・イラーニー(ただしゾーヤーが6歳のときに両親は別居し、やがて離婚。ジャーヴェードは女優のシャバーナー・アーズミーと再婚した)、弟がこの映画でも共同製作を努めたファルハーン・アフタルという生粋のボリウッド一家の出身で、映画製作を「ファミリー・ビジネス」と呼んではばからない。
これまで紹介してきたように、『ガリーボーイ』は、インド社会の中で抑圧されてきたスラムの若者が、アメリカの黒人文化であるヒップホップに影響を受け、ストリートラップ(ガリーラップ)によって成長・成功してゆく作品であるが、アフタル・ファミリーそして監督の父ジャーヴェード・アフタルという補助線を引くとまた違う背景が見えてくる。
すなわち、伝統的なヒンディー/ウルドゥーの詩からヒップホップという新しいポエトリー文化への連続性である。
(ウルドゥー語学文学の研究者である麻田先生は早くからこの指摘をしていたが、さすがの視点!)
 
ゾーヤー・アフタル監督は、主人公ムラードのモデルとなったNaezyのラップを初めて聴いたときの印象として、「これまでインドでこんなふうにリアルな表現をする音楽を聴いたことがなかった」という趣旨の発言をしていたが、これは映像作家としてだけではなく、詩に造詣が深いアフタル・ファミリーの一員としての感想でもあったはずだ。
この『ガリーボーイ』では、"Doori Poem"(へだたり/詩)でもジャーヴェード・アフタルが作詞を担当し、"Doori"ではなんとラッパーのDivineとリリックの共作までしている。

さらに言えば、Naezyはラッパーであることを、父に「非イスラーム的である」と咎められ、一時期活動を休止していたが、今では「ラップはイスラーム文化の伝統的な"詩"と同じようなものである」という理解が得られ、活動を再開している。
インドは今でも若者が恋人に詩を送るような、ポエトリー文化の盛んな国。
インドのヒップホップカルチャーには、おそらくだがこうした詩作文化の伝統も、大きく影響しているのではないだろうか。

それにしても、国家から叙勲されるような大詩人がヒップホップ映画に参加し、ラッパーと共作すらしてしまうボリウッドの懐の深さには恐れ入るしかない。
そういえば、映画のテーマとなっている親子の確執や身分違いの恋、現実と夢との相克といった題材も、決して目新しいものではなく、インド映画の伝統とも言えるものである。
『ガリーボーイ』はヒップホップというインドにおける新しい文化を扱った映画でありながら、アフタル・ファミリーというボリウッドの伝統を担ってきた一家の、正統な系譜に連なる作品でもあるのだ。



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goshimasayama18 at 23:23|PermalinkComments(0)インド映画 

2019年11月01日

インド写真集にやられる(その2) 三井昌志『渋イケメンの旅』


先日、銀座のソニーイメージングギャラリーに、三井昌志さんの写真展『渋イケメンの旅』を見に行ってきた。
これは、写真家の三井さんがインドじゅうをバイクで旅して出会った、渋くてカッコイイ働く男、すなわち「渋イケメン」を撮影した写真を集めた展示企画だ。
渋イケメンの旅
(画像は三井さんのウェブサイト「たびそら」よりhttp://tabisora.com/blog/exhibition2019-sony/

三井さんは、「渋イケメン」シリーズの写真集をこれまで2冊発表しており(『渋イケメンの国』『渋イケメンの世界』)、このたびシリーズ3作目で、写真だけでなく文章も充実した『渋イケメンの旅』を発売したばかり。

三井さんによると、「渋イケメン」の定義はこうだ。

1.目力が強く、面構えに存在感がある

2.年齢を重ねることを恐れず、自然な「渋み」を漂わせている

3.外見には無頓着で、「異性にモテよう」という意識が希薄である

日本では絶滅危惧種の「渋イケメン」だが、インドでは肉体労働者や職人などに、このタイプの男たちがわりとたくさんいる。
知識や理屈だけではなく、経験と技術に裏打ちされた仕事ができる男だけが漂わせる、自信と貫禄。
決して暮らしぶりがよいわけでも、教養や学歴が高いわけでもないかもしれないが、彼らには「粗野な品格」とでも呼べるような雰囲気がある。
無駄口は叩かず、愛想笑いはせず、困っている人がいれば、助ける。
思えば、小さい頃に思い描いていた「大人」というのは、わりと渋イケメン的な人間像だった気がする。
(大人になった私が果てしてそういう人間になれたかどうかは言わぬが花でしょう)

前回紹介した名越啓介さんの『バガボンド インド・クンブメーラ聖者の疾走』が、「宗教的祝祭」を撮影したものであるのに対して、三井さんが撮影しているのは日々の「労働」。
俗世を捨てた修行者たちが集まる非日常的な世界ではなくて、市井を生きる人々の「日常」そのものだ。
クンブメーラのサドゥーたちがロックスターやラスタマンだとしたら、三井さんが撮影するのはさしずめブルースマン。
繰り返される日々に、すり減らされるのではなく深みを増して生きてきた男たちの写真は、ガキとくたびれたおっさんばかりの国になってしまった日本で見ると、率直に言って心に刺さる。

今の日本にも熟練の労働者はいるだろうが、
我々が知識や目新しさ、人あたりの良さばかりをもてはやしてしまったせいで、渋イケメン的な男性はすっかり見なくなってしまった。
俺だって、例えば家の水道工事に来てもらうんだったら渋イケメンよりも愛想のいい人のほうがいいもの。

三井さんは、バイクでインド中を回り、小さな街の工場や、名もない村の畑や、道端のチャイ屋などで、「渋イケメン」を見つけては撮影したそうだ。
三井さんが撮った「渋イケメン」には、厳しさだけでなくどこか温かみを感じさせる表情の男たちが多いのも特徴だ。
観光地でないインドの街や村には、外国人に対して本当に親切であたたかい人がたくさんいる。
コミュニティの構成員全員の顔が見えるような街では、悪い人間はなかなか生まれようがない。

代々同じように、生まれて、働いて、家族を作り、子孫を育て、そして死んでゆくという人生を、あるがままに受け入れて暮らしている人々。
旅人の感傷と知りつつも、古い時代のままに生きるインドの人々に姿には、やはりどこかほっとしてしまう。

しかし、都市部を中心に、インドの価値観も変わりつつある。
『渋イケメンの旅』(本のほう)のなかに、「そんなわけでインドでは、日本(も含めた東アジア圏)でよく見られるようなフェミニンな男はまったく人気がない。つるっとしてかわいいジャニーズ系のアイドルなんてものは存在しないし、もしいたとしても誰にも見向きもされないだろう」という文章が出てくるが、今ではインドでも韓流アイドルが流行している
(例えば、BTSのライブ・ドキュメンタリー映画の"Burn The Stage"はインド40都市で公開され、人気を博したという。参考:「インドで盛り上がるK-Pop旋風!」) 
90年代以降のIT人材のバブル的な需要増加や経済成長もあり、インドでも「汗の匂いのしない、センスの良い男たち」の存在感は大きくなるばかりだ。

無責任な外国人としては、古い価値観からの自由を求めて音楽で表現をはじめた若い世代のミュージシャンたちにも、いわゆる昔ながらの「渋イケメン」にも、それぞれにインドならではの言いようのない魅力を感じてしまう。

前回の記事で、『地球の歩き方』インド編の名文句、「私は実はあなたなのだ」を紹介したが、三井さんの視線を通したインドは、渋く、たくましく、やさしい。
インドの最新の音楽は、ネットを通してでも知ることができるが、渋イケメンたちに会うには実際にインドに行くしかない。
そんなわけで、私は三井さんの写真を見るたびに、インドに旅したくなってしまうのだ。


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goshimasayama18 at 23:30|PermalinkComments(0)インド本