2019年10月

2019年10月19日

Gully Boy -Indian HipHop Night- でこんな話をしてきました!

10月15日に、ディスクユニオン新宿のスペースduesにて、"Gully Boy -Indian HipHop Night"に出演してきました。
このイベントは、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』(18日から公開中!)の楽曲や、映画の舞台となったムンバイのヒップホップシーンを紹介するというもの。

不肖軽刈田、今回は日本におけるワールドミュージックの批評/紹介の第一人者で、クラブDJ、ラジオDJとしても活躍されているサラーム海上さん(昨今は中東料理研究もすごい!)、ムンバイで古典舞踊カタックのダンサーとしてする活動かたわらシンガーとして現地のラッパーと楽曲をリリースした経験を持つSarah Hirokoさんという超強力なお二人とともに、思う存分語らせてもらいました。

会場はなんと満員札止め!
ほとんどの方に立ち見でご覧いただき、なんだか申し訳なかったですが、大勢の方にお越しいただけて本当に感謝です。
今回は、お越しいただけなかった方のために、ここで改めて当日プレイした曲を紹介しつつ、お話しした内容や、準備していたけど時間の都合で話せなかった内容を紹介したいと思います!


いちばん初めに紹介したのは『ガリーボーイ』を象徴するこの曲、"Apna Time Aayega"
 
まずHirokoさんから、曲のタイトル"Apna Time Aayega"の意味「俺の時代が来る」について説明。
映画の舞台となったのはムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
貧困や抑圧のなかで暮らしていた若者たちは、ヒップホップに出会ったことで、自分たちの気持ちをリリックに乗せて、音楽として発信できるようになった。
まだまだ音楽だけで生きてゆくのは難しい。
それでも、差別され、見下されてきた彼らが、ラップを通してリアルな感情を世の中に発表できるようになったことは大きな変化だ。
ラップのスキルとセンスさえあれば、賞賛され、憧れられることすらあるようになったこの現在こそ、彼らが「俺の時代が来ている!」と胸を張って言える状況なのだ。
ヒップホップは、スラムの若者たちにとってただの音楽以上の大きな意味を持っている。

ダラヴィでヒップホップの人気が高まってきたのは2010年頃から。
スマホの普及により、スラムの若者たちもインターネット経由で気軽に海外の音楽が聴けるようになった。
アメリカのヒップホップに出会った彼らは、自分たちと同じように差別や貧困のもとで生きるラッパーたちのクールな表現に憧れと親近感を感じ、そして自らもラップやブレイクダンスを始めた。

こうしたストリートから生まれた、インドではまだ新しいカルチャーを扱った映画が、この『ガリーボーイ』というわけだ。
ヒップホップというと、アメリカの黒人文化(もしくは不良文化)という印象が強いかもしれないが、その本質は抑圧された若者たちが自分自身やコミュニティの誇りを取り戻し、自分のコトバを発信するという、とても普遍的なものだ。

『ガリーボーイ』が公開されると、それまでアンダーグラウンドな存在だったインドのストリートラッパーたちは、爆発的な注目を集めるようになった。
"Apna Time Aayega"「俺の時代が来ている」という言葉は、映画の主人公ムラドだけでなく、インドのストリートラッパー一人一人の言葉にもなったのだ。


続いて紹介したのは"Asli HipHop".

タイトルの意味は「リアルなヒップホップ」。
ラップにおいて重要なのは、スキル、言葉のセンス、そして自分自身に正直であること。
楽器もお金も必要のないヒップホップは、スラムの若者たちにぴったりの表現方法だった。
サビでは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という言葉が繰り返される。

ここで、Hirokoさんにムンバイから持って来てもらったムンバイのラッパーたちの写真、そして、ラッパーやトラックメーカーたちからのビデオメッセージが披露された。
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ラッパーたちの背後に、いかにもヒップホップらしいグラフィティも見ることができる。
ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJというヒップホップを構成する4つのアートフォームのうち、唯一インドのシーンで広く普及しなかったのがDJだ。
高価なターンテーブルや、インドでは一般的に普及していないレコード盤を必要とするDJの代わりに、インドのシーンで発展したのが、この"Asli Hip Hop"でも聴くことができるヒューマンビートボックスだ。
ダラヴィには、なんと放課後に無料でビートボクシングを教えるスクールもあるという。

現地のアーティストからのビデオメッセージでは、『ガリーボーイ』を通してインドのヒップホップが日本に広まることを喜ぶ声だけでなく、ヒンディー語のラップや、トラックメーカーのKaran Kanchanによる日本文化への愛などが披露された。(彼は吉田兄弟、和楽器バンド、Daoko、Babymetalらの日本のアーティストのファンだとのことで、彼は自身の名義ではJ-Trapなる日本風のトラップミュージックを作っている)

ところで、この"Asli Hip Hop"が「リアルな」ヒップホップであることを強調していることには理由がある。
ストリート発のヒップホップがインドに生まれる前から、流行に目ざとい映画音楽にはラップが導入されていた。
パンジャーブ州の伝統音楽「バングラー」に現代的なダンスビートを融合させた「バングラー・ビート」は、21世紀のインドの音楽シーンのメインストリームとなり、ラップ風ヴォーカルと融合して量産された。

というわけで、続いて紹介したのは、ストリートの「リアルなヒップホップ」ではないインドのエンターテインメント・ラップミュージック。
今回サラームさんに選曲していただいたのは、2016年に公開された映画"Baar Baar Dekho"から"Kala Chashma"


印象的な高音部のフレーズはバングラーで使われるトゥンビという伝統楽器によるもの。
歌っているのは、ボリウッド系パンジャービーラッパーの代表格のBadshahだ。
彼やYo Yo Honey Singhらのボリウッド・ラッパーたちは、ストリート系ラッパーたちから、無内容で享楽的な姿勢を批判されることも多く、最近は『ガリーボーイ』にも出演しているストリート・ラッパーEmiway BantaiとボリウッドラッパーRaftaarの間の「ビーフ」(ラップを通じてのお互いへの批判合戦)も話題となった。
ここでサラームさんから、「インドには様々なリズムがあるが、現代的なダンスミュージックの四つ打ちと合うのはバングラーだけ」というコメント。
DJでもあるサラームさんならではのこの指摘には大いに唸らされた。
とにかく、これがインドのストリートラップ誕生以前のラップミュージックというわけ。

続いて、典型的ボリウッドラップをもう1曲。

2005年の映画"Bluffmaster"から、"Right Here, Right Now".
サラームさんから、90年代のアメリカのヒップホップのビデオのインド風翻案であると紹介があったが、確かにそんな感じ!

ラップしているのはボリウッドの伝説的名優アミターブ・バッチャンの息子で同じく俳優のアビシェーク・バッチャン。
『ガリーボーイ』のランヴィール・シン同様に俳優自身がラップしている珍しいパターンで、ラップはヘタウマだがさすがに良い声をしている。
本来、こうしたヒップホップ特有の「金・女・パーティー!」といった世界観は、貧しい出自のラッパーたちが、音楽を通して成り上がったことを誇って始まったものだが、ラップしているアビシェークは二世俳優。
「お前は生まれた時から金持ちだろうが!」とつっこみたくなるが、 これも民衆の憧れとしてのボリウッド的な表現のひとつではある。
インドのストリート出身のラッパーたちは、リリックやビデオでもリアルさにこだわっており、こうした享楽的なボリウッドラップとは対照的な姿勢を見せている。
『ガリーボーイ』のなかにも、ムラドがボリウッド風の派手なラップはヒップホップではないと否定する場面が出てくるが、その背景にはこうした対照的な2つのラップシーンの存在があるのだ。


『ガリーボーイ』には、主人公たちのモデルとなったラッパーが存在する。
主人公ムラドのモデルとなったのはNaezy, ムラドの兄貴分MCシェールのモデルとなったのがDivineだ。
NaezyとDivineが共演した楽曲で、ガリーラップのクラシック"Mere Gully Mein"は、ガリーボーイでもリメイクされ大々的にフィーチャーされている。
 
ランヴィールはNaezyのパートをほぼ完コピ。
シッダーント・チャトゥルヴェーディ演じるMCシェールのラップはDivine本人が吹き替えている。

ここでHirokoさんから、ラップで使われるヒンディー語には、スラングやマラーティー語(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州の言語)などの別の言語も使われており、さらにはフロウを心地よくするための文法破格も頻繁に行われているという説明。
映画に使われた楽曲のリリックについては、このブログで次号から麻田豊さん、餡子さん、ナツメさんの3人が手がけた邦訳を掲載する予定なのでお楽しみに!

映画のタイトルにも使われている"Gully"という単語は、スラムにあるような細い路地を表す言葉で、"Mere Gully Mein"は「俺の路地で」という意味だ。
この"Gully"は、Divineが英語の「ストリート」と同じような意味合いで多用したことで、インドのヒップホップシーンでよく使われるようになった。


ムラドのモデルとなったNaezyが注目を集めるきっかけとなった曲が、この2014年にリリースされた"Aafat!"だ。

シンプルなビートだが、言葉がわからなくても確かなスキルとフロウのセンスが感じられる一曲。
彼はこの曲を、家族からプレゼントされたiPadだけで作り上げた。
iPadでビートをダウンロードし、そこにラップを乗せ、さらには近所でこのミュージックビデオを撮影してYouTubeにアップすると、「凄いラッパーがいる」とたちまち話題になった。
(『ガリーボーイ』にもこのエピソードから着想を得たと思われるシーンがある)

ゾーヤー・アクタル監督は、このビデオで彼のことを知り、会いにいったところ、少し話を聞くだけの予定がすっかり話し込んでしまい、この映画を作るインスピレーションを受けたというから、この"Aafat!"がなければ、『ガリーボーイ』という映画もなかったかもしれない。

Naezyが初めてラップに出会ったのはSean Paulのダンスホールレゲエだったそうだ。
真似してラップをしてみたところ、思いのほか上手くでき、友達や女の子たちにも注目を浴びることができて、ラップに興味を持ったという。
出身は、実際はダラヴィではなくKurla Eastという地区の、やはりスラムのような一角だった。("Aafat!"のミュージックビデオを見れば雰囲気が分かるだろう)
10代のころの彼は、悪友たちと盗みや破壊行為を繰り返す不良少年で、あるときとうとう留置所に入れられることになってしまった。
父親は海外に出稼ぎ中。
取り乱した母親を見た彼は、こんな生活をしていてはいずれ取り返しのつかないことになってしまうと悟る。
それ以来、彼は部屋にこもって自分のリリックを書き始めるようになった。
ラッパーNaezyの誕生だ。

ミュージックビデオではいかにもラッパー然としたNaezyだが、サングラスをかけているのは目を見られるのが恥ずかしいからだそうで、素顔はシャイで内省的な青年なのだ。
『ガリーボーイ』でランヴィール・シンが演じたムラドは、ラッパーにしてはかなり内気なキャラクターだが、これはモデルとなったNaezyのこうした性格を反映したものと思われる。
(ヒップホップが一般的でないインドでギャングスタ的なラッパー像を演じても支持が得られないということもあると思うが)

続いて同じくNaezyか今年8月にリリースした"Rukta Nah".

プロデュースは、ビデオメッセージも寄せてくれたKaran Kanchan.
この曲では、世界的なトレンドを意識してトラップっぽいサウンドを聴かせてくれている。
じつはNaezyは、ちょうど『ガリーボーイ』製作中の2018年の一年間、音楽活動を休止していた。
彼はムスリムの家族のもとに生まれており、父親がラップは「非イスラーム的である」と判断したためだ。
映画のモデルになるほどの人気ラッパーでも、まだまだ家族や伝統やコミュニティの価値観との葛藤に悩む実態があるのだ。
今では、父親も「ラップはイスラームの伝統的な詩と通じるもの」という理解を示すようになり、無事音楽活動を続けることができるようになったという。
Naezy自身も、この曲ではサングラスを外した姿でラップを披露し、パフォーマーとしての成長を見せてくれている。


続いてはMCシェールのモデルになったインドのヒップホップ界の兄貴的存在、Divineを紹介!
2013年にリリースされた楽曲"Yeh Mera Bombay".
初期ガリーラップのアンセムだ。

Divineも実際はダラヴィの出身ではないのだが、彼の地元Andheri East地区のJ.B. Nagarという地区も、スラムというかかなり下町っぽい場所のようだ。
「これが俺のボンベイ」という意味のこの曲のビデオに出てくるのは、高層ビルでも高級住宅街でもなく、リクシャーワーラー(三輪タクシーの運転手)や路上の床屋、荷車を引く労働者たちのようなガリーに生きる人々。
まさに、地元をレペゼンするヒップホップなのである。

Divineの本名はVivian Fernandes.
映画のMCシェール(本名Srikanth)は名前からするとヒンドゥーという設定のようだが、モデルとなったDivineはクリスチャンだ。
彼は母子家庭で育った不良少年だったが、教会では敬虔に祈ることからDivineというラッパーネームを名乗ることになった。
友人がニューヨーク出身のラッパー50CentのTシャツを着ていたことからヒップホップに興味を持った彼は、インターネットで調べて、アメリカのラッパーたちが自分と同じような環境に生まれ育ったことを知り、自身もラッパーを志す。
映画を見れば、Divineの持つ兄貴っぽい雰囲気を、シッダーント・チャトゥルヴェーディがかなりリアルに再現していることが分かるだろう。

映画でのムラド(ムスリム)とシェール(ヒンドゥー)のコラボレーションのように、インドのヒップホップシーンでは様々なバックグラウンドのアーティストによる共演がごくふつうに行われている。
Divine曰く「Gullyは特別な場所。ヒンドゥーもムスリムもクリスチャンもいるが、Gullyこそがみんなが信じている宗教だ。国は豊かになっても俺たちの生活は変わらない。だからこそ俺たちの声を聞いてほしい」
ヒップホップこそがその声となったのだ。


Divineの"Yeh Mera Bombay"でもインドっぽいトラックが使われていたが、インドのヒップホップでは、古典音楽や古典のリズムとの融合が頻繁に行われている。
『ガリーボーイ』のサウンドトラックでは、この"India 91"がまさにそうした楽曲にあたる。

"91"はインドを表す国番号だ。

この曲のもとになったのは、南インドの伝統音楽カルナーティックのパーカッショニストであるViveick RajagopalanとラップユニットのSwadesiが共演した"Ta Dhom"というプロジェクトだ。

サラームさんからの紹介によると、ViveickがSwadesiのラッパーたちに古典のリズムを教えたところ、彼らもこの古くて(ヒップホップにとっては)新しいリズムに非常に興味を持ち、このプロジェクトに発展したとのこと。

"India 91"のミュージックビデオにはムンバイを中心とする実際のラッパーたちがカメオ出演しているが、餡子さんが登場する全ラッパーを調べ上げて紹介したこの記事「India 91 ラッパーを探せ!」は圧巻!
ヒンディー、マラーティー、グジャラーティー、パンジャービーという4つの言語でラップされるこの曲は、古典から現代までという縦軸と、地域や言語という横軸の二つの意味でインドの多様性を象徴する一曲だ。


続いて古典のリズムとラップの融合をもう1曲。
プネー出身だが現在はイギリスで活躍するパーカッショニストSarathy Korwarの"Mumbay".
この曲にもSwadesiのMC Mawaliが参加している。

インドの古典音楽には5拍子などの奇数拍のものもあり、この楽曲は7拍子の古典のリズムにジャズとラップを融合したもの。
冒頭に"Apna Time Aayega"のTシャツも登場する。
彼のように海外に拠点を移して活躍するアーティストが、インドのシーンの発展に刺激を受けて母国のラッパーたちと共演する機会も増えてきている。
(Sarathy Korwarについてはこちらの記事で詳しく紹介している。「Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない」

北インドの古典音楽には、Bolという口でリズムを取るラップのような伝統があり(南インドにもよく似たKonnakkolというものがある)、ここでカタックダンサーでもあるHirokoさんがカタックのBolの実演を披露。
インド伝統文化の詩やリズムへのこだわり、そしてダンス好きで口が達者な国民性を考えると、インドにヒップホップが根づくのは必然のような気すらしてくる。
インドの古典のリズムとヒップホップの融合は、他にはインド系アメリカ人ラッパーのRaja Kumariなども取り組んでおり、インドのヒップホップの特徴のひとつになっている。
"India 91"がサウンドトラックに取り入れられたのは、そうした潮流への目配りを表していると言えるだろう。


続いては、Hirokoさんが地元ムンバイのラッパーたちと共演した『ミスティック情熱』を紹介。


インドのヒップホップシーンではまだ珍しいChill Hop/Jazzy HipHop的なビートに、ムンバイのラッパーIbexの日本語ラップ(!)とHirokoさんの歌をフィーチャーした唯一無二の楽曲。
アニメ『サムライチャンプルー』の音楽を手がけた故Nujabesを通してChill Hopのサウンドは世界中に広まり、このジャンルはアニメなどの日本のカルチャーとの親和性の高いものとして受け入れられている。
この曲でHirokoさんがコラボレーションしたラッパーのIbexやビートメーカーのKushmirも日本のアニメに大きく影響を受けているという。
Hirokoさんからはミュージックビデオ制作の苦労話など、インドでの音楽活動の興味深いエピソードを聞かせてもらうことができた。
(このコラボレーションについては、この記事で詳しく紹介している。「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」


続いては、Hirokoさんがムンバイのスラムで子ども達への教育支援活動に協力しているという話題から、ダラヴィで無料のヒップホップダンス教室を開いているSlumgodsを紹介。
彼らはダラヴィが舞台となり世界的に大ヒットした映画"Slumdog Millionaire"のイメージに反発し、「俺たちは犬じゃない」とSlumgodsというクルーを結成、子ども達にダンスを通して自分たちへの誇りを持ってもらうための活動を続けている。


『ガリーボーイ』ではラップに焦点があてられているが、ダラヴィではヒップホップといえばダンスも広く受け入れられている。
ラップにしろダンスにしろ、体一つでクールな自己表現ができるヒップホップは、スラムで生きる人々にぴったりの表現手段なのだ。

続いてHirokoさんが支援活動を行うワダラ地区の子どもがラップするなんともかわいらしい映像が流された。
実際にこの街でHirokoさんたちが支援していた若者の一人は、つい先日ラップのミュージックビデオをリリース。この映像の1分20秒ぐらいからその楽曲が始まる。


Hirokoさんによると、ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは、過酷な環境とはいえまだましなほうで(例えば識字率は7割ほどに達し、これはインドのスラムではもっとも高い)、他のスラムの人々はさらに厳しい生活を強いられている。
また、スラムにすら暮らせない路上生活者たちもおり、そうした暮らしを強いられた人たちが、ダラヴィのラッパーたちのように自分たちの誇りを取り戻せる日がいつか来るのだろうかと考えると、気が遠くなってくる。
いずれにしても、ダラヴィ以外のスラムでも、ヒップホップは希望の光になりつつあるようだ。


ここまで話して、時間が少々余ったので、ムンバイ以外の地区のラッパーの紹介ということで、デリーのPrabh Deepのミュージックビデオを流した。

彼は今インドで最も勢いのあるアンダーグラウンド・ヒップホップレーベル、Azadi Recordsを代表するラッパーで、この曲のトラックをプロデュースしたのは、かつて"Mere Gully Mein"を手がけたSez on the Beat.
ご覧の通りPrabh Deepはパンジャービーのシク教徒なのだが、このビデオを見たサラームさんから、「他のラッパーとは違うパンジャービーの声の出し方」というコメントがあり、さすがの指摘に大いに感心した。


というわけで、90分に及んだトークイベント"Gully Boy -Indian HipHop Night"は、この"Train Song"で締めて終了。

南インド出身のシンガー、Raghu Dixitとイギリス在住のタブラプレイヤーKarsh Kaleのコラボレーションで、ヒンディー語ヴォーカルがDixit、英語がKaleだ。

今回のイベントの模様は、近々HirokoさんのYoutubeチャンネルでも公開する予定なので、ぜひそちらもご覧ください。
そして何よりも、『ガリーボーイ』を未見の方はぜひご覧いただきたい。
いとうせいこう氏監修による字幕もジャパンプレミア上映時から大幅にパワーアップしているという話。

すでにこのブログでも何度も書いてきたとおり、『ガリーボーイ』は普遍的な魅力を持つ音楽映画、青春映画であると同時に、格差や伝統的価値観のなかで、夢や自由を追い求める若者の苦闘と葛藤の物語でもある。
そしてインド社会の抑圧された人々に、ヒップホップという希望の灯がともされた瞬間の記録としても、まさに歴史に残る映画と言えるだろう。
『ガリーボーイ』の続編の構想を知らせる報道もあったが、この映画によって注目を集めるようになったインドじゅうのガリーラッパーたちの活躍や、彼らによってさらに若い世代がヒップホップに希望を見出してゆくインドのヒップホップシーンの現状そのものが、この映画の続編なのである。

90分のイベントで話した内容と、伝えきれなかった内容をお届けしたが、インドのヒップホップで紹介したい曲やエピソードはまだまだたくさんあり、映画がヒットしたらぜひ第2弾のイベントがやってみたい!

お越しいただいた方、YouTubeのストリーミングでご覧いただいた方、そしてこのブログを読んでいただいた方、ありがとうございました!


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2019年10月12日

インド北東部のRage Against The Machine! アッサム州のラップメタルバンド、Ambushによる闘争の音楽



「J-Popバンド」「ボブ・ディラン」と続いた「インド北東部に○○がいた」シリーズ。
今回の第3弾は、前回のボブ・ディランとはうってかわって、90年代から活躍するアメリカのヘヴィロック/ラップメタルバンド Rage Against The Machine(以下RATM)だ。

RATMをご存じない方のために簡単に説明しておく。
1991年にロサンゼルスで結成されたRATMは、レッド・ツェッペリンを想起させるリフとヘヴィなグルーヴに歯切れの良いラップを融合した斬新な音楽性で、90年代に高い人気を集めたヘヴィロックバンドだ。
彼らの代表曲、"Killing In The Name"はこんな感じ。


RATMが特徴的なのは、そのサウンドだけではなかった。
彼らはとことん政治的・社会的なテーマを追求したバンドで、1992年にリリースされたファーストアルバムのジャケットには、アメリカ政府の傀儡政権であった南ベトナム政権下で1964年に抗議の焼身自殺を行った仏教僧の写真を採用した。
マルコムXやチェ・ゲバラらに影響を受けた彼らは、アメリカの覇権主義や資本主義の暴走、そして体制によるあらゆる人権侵害への抗議を表明し、その政治的な思想を鮮明にした活動でも注目を浴びた。
この"Sleep Now In The Fire"のミュージックビデオは、なんとニューヨーク証券取引所前でのゲリラ撮影という攻めっぷりだ。
 
監督は『ボウリング・フォー・コロンバイン』などで知られるマイケル・ムーア。
この頃(99年)彼らはすでに世界中のフェスでトリを務めるような大人気バンドだったが、そのラディカルな姿勢は一向に衰えなかった。

日本で最も知られている曲は、この"Guerrilla Radio"だろう。

総合格闘技"PRIDE"のテーマ曲として有名なこの曲は、当時のブッシュとゴアによる選挙戦を皮肉り、権力者による大衆の支配を糾弾した内容だ。
RATMの政治的・社会的なメッセージは、SlipknotやKORNといった同世代のヘヴィロックバンドがより内面的・個人的なテーマを扱ったのとは対照的で、サウンドだけでなく思想的な面でも、多くのアーティストに影響を与えた。

ついついRATMについての説明が長くなったが、これでもう前回の記事をお読みになった方にはお分りいただけただろう。
独立運動を封じ込めるという名目で、AFSPA(軍事特別法)のもとで令状なしでの拘束や暴力にさらされてきたインド北東部の人々が、RATMの怒りを込めたアジテーションに惹かれるのは、当然というよりも、もはや必然なのだ。
 
ロサンゼルスから遠く離れたインド北東部で、サウンドとアティテュードの両面でRATMの強い影響を受けたバンドが2015年に産声を上げた。
アッサム州Karbi Anglong地区の都市、Diphuの若者たちによって結成されたバンド、Ambushである。
彼らが地元Anglong地区の状況をテーマにした"Bleeding Anglong"をさっそく聴いてみよう。

ご覧の通り、サウンドも、闘争の様子を撮影したミュージックビデオも、驚くほどRATMにそっくりだ。

彼らのFacebookページによると、Anglong地区は「持つもの」と「持たざるもの」に分断されており、「持たざるもの」出身である彼らは、音源発表後も自分たちの楽器を持っておらず、 借りものの楽器で演奏していたという。
この曲のテーマは、かつては平和で美しかった故郷が、AFSPAのもと暴力が横行する地になってしまったことにたいする強烈なプロテストである。

この"9mm"は、彼らの地元でささいな理由で繰り返されるストライキや、暴力の犠牲となった無実の人々について歌ったもの。



Ambushは、自分たちを「声なき者たちの声を表現するために結成された」「彼らの社会や地域で起こっているあらゆる悪に対する革命」であると定義しており、「'Fake encounter'(テロの被疑者に対する治安維持勢力による証拠なき殺人)や政府の腐敗に対する反対」を表明している。
彼らの声明は力強い。
「みんなに言いたいのは、奴らが俺たちを銃弾で黙らせることはできないということだ。俺たちは勇敢で、死ぬことも恐れてはいない。全ての仲間たちよ、立ち上がり、団結する時だ。拳を上げろ!」
(いずれも、Facebookのページより)

彼らは、サウンドだけでなく、反権力、平和、反戦を強く訴えるというアティテュードまでRATMに瓜二つだが、彼らが表現している内容は、コピーやフェイクではなく、これ以上ないほどにリアルなものなのだ。
 
アコースティックギターに乗せて語りかけるように歌うボブ・ディランから、強烈なグルーヴとリフに乗せて不正義を糾弾するRATMまで、あらゆるスタイルの「カウンターカルチャーとしてのロック」が、インド北東部には根づいている。
これは、ムンバイのスラムのラッパーたちが、アメリカの抑圧された黒人たちに共感してヒップホップを始めたのと同様に、北東部のロックミュージシャンたちが、ディランやRATMが訴えた社会的・政治的メッセージに自分たちの環境を重ね合わせ、心を動かされたからに違いない。
こうした現象は、音楽的には面白いが、まずは暴力や不正義がはびこる北東部の状況が一刻も早く改善されることを願うばかりである。

以前、こうした北東部の状況について、現地在住の音楽ジャーナリストから話を聞いてブログに書こうとしたときに、彼から「北東部の状況は本当にデリケートなんだ。よく調べて、気をつけて書いてくれ。俺が話したということで、逮捕されることだってありうる」と言われたことがある。
日本人が日本語でブログに書いたことがきっかけで、インドのジャーナリストが逮捕されるようなことが本当にあるのかどうかは分からないが、少なくともそれくらい気をつける必要がある状況ということなのだろう。

日本ではほとんど情報が入ってこないインド北東部だが、北東部の人々が演奏する音楽を通して、楽しい気持ちにも、厳しい状況にも、少しでも心を寄せることができたらと思う。
これからも、このブログではインド北東部の音楽を硬軟あわせていろいろと紹介してゆきます。


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2019年10月06日

インド北東部にボブ・ディランがいた(その1)!マニプル州のImphal Talkies!



個人的な話になるが、ボブ・ディランのなかでいちばん好きな曲はこの"Don't Think Twice, It's Alright".
『くよくよするなよ』っていう素敵な放題もついている。
(この音源は本物。インドのボブ・ディランはこの後出てきます)

学生時代、就職を控えた最後の春休み、当面最後になるであろう1ヶ月単位でのインドの旅(そして実際、それ以来そんなに長くインドには行けていない)の終わり頃だったと記憶している。
あれはどの街に向かう鉄道だったろうか。
夕暮れに染まるインドの大地を眺めるともなく眺めつつ、CDウォークマンでこの曲を聴きながら、自分の人生はこれからどうなるんだろうか、なんてしみじみと考えたものだった。
就職先が古いタイプの日本企業で、最初の勤務地は出身地とは違う地方に配属になるというしきたりがあった。
1ヶ月後、自分はどこの街でどんな人とどんな仕事をしているのだろうか。
あと、この"Freewheelin' Bob Dylan"のジャケットのような、寄り添ってくれる彼女も欲しかった(ちなみにこの女性は、実際にディランがつきあっていた彼女)。
今にして思うと、めちゃくちゃ安っぽい感傷だが、きっとそんな感傷に浸りたい年頃だったんだろう。
ああ恥ずかしい。
そんな思い出話はさておき。

先日、「インド北東部にJ-Popバンドがいた!?」という記事をお届けした。
インド北東部は"7 Sisters States"と呼ばれる7つの州から構成され(さらにシッキム州を北東部に含めることもある)インドのマジョリティとは異なるモンゴロイド系の民族が暮らす地域だ。
インド北東部地図NEとシッキム

インド北東部地図拡大 

この地域は、中国、ミャンマー、バングラデシュ、ブータンと入り組んだ国境を接する地政学上重要な地域であり、また多くの州で過激な独立運動が行われていたため、長らく外国人観光客の入域が制限されていた謎の多いエリアでもある。
その北東部に、「J-Popバンド」がいたというので、ずいぶんとびっくりしたものだった。

ところが、北東部の驚異はそれだけにとどまらない。
今度は、なんとインド北東部に「ボブ・ディラン」がいるのを見つけてしまったのだ。
「インドのボブ・ディラン」が発見されたのは、マニプル州の州都インパール。
第二次世界大戦中に、日本軍がイギリス軍による中国への補給路(いわゆる援蔣ルート)を遮断するために攻略を目指し、無謀な作戦により大勢の死者を出したあの「インパール作戦」の目的地だった街だ。

それではさっそく聴いていただこう。
インドのボブ・ディランこと、Imphal Talkiesの"Hey Juliet".


どうだろう、この独特の節回しと、ヘタクソ、もとい味のあるハーモニカ、どう聴いても1960年代のボブ・ディランではないだろうか。
このサウンドにして、2013年にリリースされた楽曲だというからさらに驚きだ。 
この曲は、「ロミオとジュリエット」をモチーフに、独立闘争とその弾圧によって殺伐としたインパールで、自由なアメリカに憧れる少女について歌った内容のようだ。

以前の記事でも紹介したとおり、インド北東部はなぜかいまだに80年代から90年代のメタルバンドが高い人気を誇る土地。
メタル以外でも、Bonny MとかBig Mountainみたいな懐かしのアーティストたちが北東部で開催されるフェスに呼ばれていたりする。
先日の渋谷系J-Popといい、北東部はどこか時空が歪んでいるのかもしれない。
(参考:「インド北東部のロック・フェスティバルは、懐かしのメタル天国だった!」) 

彼らの"Hey Little Girl"という曲もかなりのディランっぷりなので、興味のある方はご一聴を。(YoutubeやSoundcloud上には無かったが、Spotifyでは聴ける。ちなみにこちらはなんと2017年の作品)

ディラン的なサウンドのなかで、彼らの個性と呼べる部分を挙げるとするならば、それはアルペジオの中に聴こえるシンプルで印象的なギターのフレーズだろう。
繰り返されるシンプルなメロディーは、この地方の伝統音楽によく似ており、彼らのルーツに根ざしたもののようだ。

それにしても、21世紀に入って20年が経とうとしている今、50年以上前のプロテスト・フォークのサウンドを再現するImphal Talkiesとはいったいどんなバンドなのだろうか。

Imphal Talkiesは、フロントマンでソングライターのAkhu Chingangbamを中心に2008年に結成された。
バンド名の由来は地元にあった映画館で、映画大国インドでは、同じように映画館の名前からとられた"◯◯ Talkies"というバンドが他にも何組か存在している。
よりロック色の強いサウンドを発表するときは、Imphal Talkies and Howlersという名前で活動しているようだ。

Akhuが扱う歌詞のテーマは、文学的・抽象的でもあったボブ・ディランに比べると、極めて政治的に明瞭なものだ。
例えば、それはインド北東部を苦しめ続けているAFSPA(Armed Force Special Power Act. 「軍事特別法」と訳されることがあるようだ)への抗議だ。

AFSPAは、加熱する独立運動を警戒したインド中央政府が、1958年にインド北東部やカシミールを対象地域として施行した法律だ。
宗教や民族や文化や言語の多様性を抱えるインドにとって、独立運動は不満を持つ他の地域にも飛び火しかねない見過ごせない問題だ。
このAFSPAは、独立運動を徹底的に弾圧するために、警察や治安部隊に令状なしの人々の拘束や殺傷、財産の破壊・収奪を認るものだった。
この法律のもと、インド北東部では多くの無辜の市民が中央政府側の弾圧の犠牲となった。

AFSPAは、過去に国連人権委員会や国際的な人権NGOであるヒューマン・ライツ・ウォッチから廃止を求められるなど、正当性に疑問が持たれている。
Imphal Talkiesの"AFSPA, Why Don't You Go Fuck Youself"は、この法案を率直に糾弾したものだ。

このビデオに出てくる新聞記事やニュース映像、そして激しい抗議運動を見れば、この法のもとでいかに北東部の人々がしいたげられてきたか、分かるだろう。

Imphal Talkiesの中心人物Akhuは、紛争が続くインパールの街で育ち、故郷を離れてデリーに進学したときに、はじめて平和な街の暮らしというものを知ったという。
だが、デリーでは、同時に北東部出身のマイノリティとしての差別や偏見にも直面することとなった。
こうした経験が、社会の矛盾や不条理に対する音楽を制作するきっかけになったそうだ。

これまで意図的にディラン的な楽曲ばかりを紹介してきたが、じつはこうしたスタイル以外の楽曲も多く、 インドの大統領プラナーブ・ムケルジーが2013年にインパールを訪問中に、バンドメンバーが警察から暴力を受けたことをきっかけに作られた曲"Mr. President is Coming"
 

紛争地で生まれた子どもたちに捧げられた"Lullaby"は、同じような環境で育った彼らならではの楽曲だ。



インド北東部が置かれた状況は、周縁部であるがゆえに、海外はもとより、インド国内でもあまり知られてはいない。
この地域の音楽シーンと合わせて、彼らが直面しているさまざまな問題も注目されてほしいと願うばかりである。

さて、そろそろこの記事はおしまいなわけだが、最後にさらなる衝撃的な事実をお伝えしたい。
じつは、一般的に「インドのボブ・ディラン」と呼ばれているのは、このImphal Talkiesではなく、別のアーティストなのだ。
インド北東部には、なんとImphal Talkiesよりもっと早く「インドのボブ・ディラン」と呼ばれたアーティストが存在している。
彼の名は、Lou Majaw.
「インドのロックの首都」と呼ばれるメガラヤ州シロン出身のアーティストだ。
いわば、「元祖インドのボブ・ディラン」だ。
アメリカにはボブ・ディランは一人しかいないが、インド北東部にはディランはたくさんいるのである。
北東部のロックシーンで大きな役割を果たしてきた彼のことは、また改めて紹介したい。

それでは!

 参考記事:The Hindu "I will make music till end of time, says 'Imphal Talkies and the Howlers' founder Akhu Chingangbam"  MARCH 27, 2019 
 


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2019年10月01日

インドの英語ラップ/ヒップホップまとめ!

先日インドの新進英語ラッパーのSmokey The GhostTienasを紹介したときに、ここらで一度インドの英語ラッパーたちを総括してみたくなったので、今回は「インドの英語ラップ/ヒップホップまとめ」をお届けします。
アメリカのヒップホップを中心に聴いてきたリスナーにも、きっと馴染みやすいはずの英語ラップ。
様々なスタイルのアーティストがいるので、きっとお気に入りが見つかるはず。
それではさっそく始めます。

今回あらためていろいろ聴いてみて気づいたのは、インドの英語ラッパーたちは、どうやらいくつかのタイプに分類することができるということ。
まず最初に紹介するのは、アメリカのヒップホップにあまりに大きな影響を受けたがゆえに、地元言語ではなく英語でラップすることを選んだ第一世代のヒップホップ・アーティストたちから。

インドのラップミュージックは、90年代から00年代に、在英パンジャーブ系インド人から巻き起こったバングラー・ビートが逆輸入され、第一次のブームを迎えた。
(今回は便宜的に彼らはヒップホップではないものとして扱う)
バングラー・ビートとは、パンジャーブ地方の伝統音楽バングラーに現代的なダンスビートを取り入れたもの。
全盛期にはPanjabi MCがJay Zとコラボレーションした"Mundian Bach Ke"がパンジャービー語にもかかわらず全世界的なヒットとなるなど、バングラーはインドやインド系ディアスポラのみならず、一時期世界中で流行した。
バングラー・ビートにはインドっぽいフロウのラップが頻繁に取り入れられ、流行に目ざといインドの映画産業に導入されると、バングラー・ラップは一躍インドのメインストリームの一部となった。
その後、バングラーはEDMやレゲトンとも融合し、独特の発展を遂げる。
インドのエンターテイメント系ラッパーの曲が、アメリカのヒップホップとは全く異なるサウンドなのは、こうした背景によるものだ。

2010年前後になると、衛星放送やインターネットの普及によって、今度はアメリカのヒップホップに直接影響を受けたラッパーたちがインドに出現しはじめる。
彼らがまず始めたのは、アメリカのラッパーたちを真似て英語でラップすることだった。
映画『ガリーボーイ』以降、急速に注目を集めたガリー(路地裏)ラッパーの第一世代DivineNaezyも、キャリアの初期にはヒンディーやウルドゥーではなく、英語でラップしていたのだ。
2013年にリリースされたDivineの初期の代表曲"Yeh Mera Bombay"の2番のヴァース(1:15〜)は英語でラップされていることに注目。

インド伝統音楽の影響を感じさせるビートは典型的なガリーラップのもの。
英語ラッパーとしてキャリアをスタートさせた彼らは、自分自身のサウンドと、よりリアルなコトバを求めて、母語でラップする道を選んだのだ。


かつてDivineが在籍していたヒップホップクルー、Mumbai's Finestも、現在はヒンディーでラップすることが多いが、この楽曲では、オールドスクールなビートに合わせて英語ラップを披露している。

もろに80年代風のサウンドは、とても2016年にリリースされた楽曲とは思えないが、インドのラッパーたちは、不思議とリアルタイムのアメリカのヒップホップよりも、古い世代のサウンドに影響を受けることが多いようだ。
このサウンドにインドの言語が似合わないことは容易に想像でき、このオールドスクールなトラックが英語でラップすることを要求したとも考えられる。
ラップ、ダンス、スケートボードにBMXと、ムンバイのストリート系カルチャーの勢いが感じられる1曲だ。


こちらはムンバイのヒップホップ/レゲエシーンのベテラン、Bombay Bassmentが2012年にリリースした"Hip Hop Never Be The Same".
生のドラムとベースがいるグループは珍しい。

もっとも、彼らの場合は、フロントマンのBob Omulo a.k.a. Bobkatがケニア人であるということが英語でラップする最大の理由だとは思うが。


英語でラップしながらも、インド人としてのルーツを大事にしているアーティストもいる。
その代表格が、カリフォルニアで生まれ育った米国籍のラッパー、Raja Kumariだ。
彼女は歌詞や衣装にインドの要素を取り入れるだけでなく、英語でラップするときのフロウやリズムにも、幼い頃から習っていたというカルナーティック音楽を直接的に導入している。
ヒップホップの本場アメリカで育った彼女が、アフリカ系アメリカ人の模倣をするのではなく、自身のルーツを強く打ち出しているのは興味深い。
これはインド国内または海外のディアスポラ向けの演出という面もあるかもしれないが、自分のコミュニティをレペゼンするというヒップホップ的な意識の現れでもあるはずだ。
2:41頃からのラップに注目!


スワヒリ語のチャントをトラックに使ったこの楽曲でも、彼女のラップのフロウにはどこかインドのリズムが感じられる。

Gwen StefaniやFall Out Boyなど多くのアーティストに楽曲提供し、グラミー賞にもノミネートされるなど、アメリカでキャリアを築いてきた彼女も、最近はインドのヒップホップシーンの成長にともない、活動の拠点をインド(ムンバイ)に移しつつある。

バンガロールのラッパーBrodha Vは、かなりEminemっぽいフロウを聴かせるが、楽曲のテーマはなんとヒンドゥー教のラーマ神を讃えるというもの。
 
英語のこなれたラップから一転、サビでヒンドゥーの賛歌になだれ込む展開が聴きどころ。
「若い頃はお金もなく悪さに明け暮れていたが、ヒップホップに出会い希望を見出した俺は、目を閉じてラーマに祈るんだ」といったリリックは、クリスチャン・ラップならぬインドならではのヒンドゥー・ラップだ。


最近インドでも増えてきたJazzy Hip Hop/Lo-Fi Beats/Chill Hopも、英語ラッパーが多いジャンルだ。
Brodha Vと同じユニットM.W.A.で活動していたSmokey The Ghostは、アメリカ各地のラッパーたちがそれぞれの地方のアクセントでラップしているのと同じように、あえて南インド訛りの英語でラップするという面白いこだわりを見せている。
 

新世代ラッパーの代表格Tienasもまたインドのヒップホップシーンの最先端を行くアーティストの一人。
こうした音楽性のヒップホップは、急速に支持を得ている「ガリーラップ」(インドのストリート・ラップ)のさらなるカウンターとして位置付けられているようだ。


この音楽性でとくに実力を発揮するトラックメーカーが、デリーを拠点に活動するSez On The Beatだ。
Rolling Stone Indiaが選ぶ2018年のベストアルバムTop10にも選ばれたEnkoreのBombay Soulも彼のプロデュースによるものだ。
 
ところどころに顔を出すインド風味も良いアクセントになっている。

一般的には後進地域として位置付けられているジャールカンド州ラーンチーのラッパーTre Essも突然変異的に同様の音楽性で活動しており、地元の不穏な日常を英語でラップしている。

セカンド・ヴァースのヒンディー語はムンバイのラッパーGravity.
この手のアーティストが英語でラップするのは、彼らのリリカルなサウンドに、つい吉幾三っぽく聞こえてしまうヒンディー語のラップが合わないという理由もあるのではないかと思う。

こうした傾向のラッパーの極北に位置付けられるアーティストがHanumankindだ。
彼のリリックには日本のサブカルチャーをテーマにした言葉が多く、この曲のタイトルはなんと"Kamehameha"。
あのドラゴンボールの「かめはめ波」だ。

アニメやゲームといったテーマへの興味は、チルホップ系サウンドの伝説的アーティストであり、アニメ『サムライ・チャンプルー』のサウンドトラックも手がけた故Nujabesの影響かもしれない。


ラッパーたちが育ってきた環境や地域性が、英語という言語を選ばせているということもありそうだ。
ゴア出身のフィーメイル・ラッパーのManmeet Kaur(彼女自身はパンジャービー系のようだが)は、地元についてラップした楽曲で、じつに心地いい英語ラップを披露している。
ゴアはインドのなかでもとりわけ欧米の影響が強い土地だ。
彼女にとっては、話者数の少ないローカル言語(コンカニ語)ではなく、英語でラップすることがごく自然なことなのだろう。

のどかな田園風景をバックに小粋な英語ラップで地元をレペゼンするなんて、インド広しと言えどもゴア以外ではちょっとありえない光景。
欧米目線の「ヒッピーの聖地」ではない、ローカルの視点からのゴアがとても新鮮だ。
生演奏主体のセンスの良いトラックにもゴアの底力を感じる。

バンガロールもまた英語ラッパーが多い土地だ。
日印ハーフのBig Dealは、インド東部のオディシャ州の出身だが、バンガロールを拠点にラッパーとしてのキャリアを築いている。
彼自身はマルチリンガル・ラッパーで、故郷の言語オディア語(彼は世界初のオディア語ラッパー!)やヒンディー語でラップすることもあるが、基本的には英語でラップすることが多いアーティストだ。
彼の半生を綴った代表曲"One Kid"でも、インドらしさあふれるトラックに乗せて歯切れの良い英語ラップを披露している。

オディシャ州にはムンバイやバンガロールのような大都市がなく、彼が英語でラップする理由は、オディア語のマーケットが小さいという理由もあるのだろう。
それでも、彼はオディシャ人であることを誇る"Mu Heli Odia"や、母への感謝をテーマにした"Bou"のような、自身のルーツに関わるテーマの楽曲では、母語であるオディア語でラップすることを選んでいる。


モンゴロイド系の民族が多く暮らす北東部も、地域ごとに独自の言語を持っているが、それぞれの話者数が少なく、またクリスチャンが多く欧米文化の影響が強いこともあって、インドのなかでとくに英語話者が多い地域だ。
北東部メガラヤ州のシンガーMeba Ofiriaと、同郷のラップグループKhasi Bloodz(Khasiはメガラヤに暮らす民族の名称)のメンバーBig Riが共演したこのDone Talkingは、2018年のMTV Europe Music AwardのBest Indian Actにも選出された。

典型的なインドらしさもインド訛りも皆無のサウンドは、まさに北東部のスタイルだ。


同じくインド北東部トリプラ州のBorkung Hrankhawl(a.k.a. BK)は、ヒップホップではなくロック/EDM的なビートに合わせてラップする珍しいスタイルのアーティスト。

トリプラ人としての誇りをテーマにすることが多い彼の夢は大きく、グラミー賞を受賞することだという。
彼はが英語でラップする理由は、インドじゅう、そして世界中をターゲットにしているからでもあるのだろう。

北東部のラッパーたちは、マイノリティであるがゆえの差別に対する抗議をテーマにすることが多い。
アルナーチャル・プラデーシュ州のK4 Kekhoやシッキム州のUNBが、差別反対のメッセージを英語でラップしているが、そこには、より多くの人々に自分のメッセージを伝えたいという理由が感じられる。

インド独立以降、インド・パキスタン両国、そしてヒンドゥーとイスラームという二つの宗教のはざまでの受難が続くカシミールのMC Kashも、英語でラップすることを選んでいる。

この曲は同郷のスーフィー・ロックバンドAlifと共演したもの。
あまりにも過酷な環境下での団結を綴ったリリックは真摯かつヘヴィーだ。
彼もまた、世界中に自分の言葉を届けるためにあえて英語でラップしていると公言しているラッパーの一人だ。

政治的な主張を伝えるために英語を選んでいるラッパーといえば、デリーのSumeet BlueことSumeet Samosもその一人。

彼のリリックのテーマは、カースト差別への反対だ。
インドの被差別階級は、ヒンドゥーの清浄/不浄の概念のなかで、接触したり視界に入ることすら禁忌とされる「不可触民」として差別を受けてきた(今日では被差別民を表す「ダリット」と呼ばれることが多い)。
Sumeetのラップは、その差別撤廃のために尽力したインド憲法起草者のアンベードカル博士の思想に基づくもので、彼のステージネームの'Blue'は、アンベードカルの平等思想のシンボルカラーだ。


探せばもっといると思うが、さしあたって思いつく限りのインドの英語ラッパーを紹介してみた。
インドのヒップホップシーンはまだまだ発展途上だが、同じ南アジア系ラッパーでは、スリランカ系英国人のフィーメイルラッパーM.I.A.のようにすでに世界的な評価を確立しているアーティストもいる。
英語でラップすることで、彼らのメッセージはインド国内のみならず世界中で評価される可能性も秘めているのだ。
さしあたって彼らの目標は、インドじゅうの英語話者に自身の音楽を届けることかもしれないが、インド人は総じて言葉が達者(言語が得意という意味だけでなく、とにかく彼らは弁がたつ)でリズム感にも優れている。
いずれインドのヒップホップアーティストが、世界的に高い評価を受けたり、ビルボードのチャートにランクインする日が来るのかもしれない。


(今回紹介したラッパーたちのうち、これまでに特集した人たちについてはアーティスト名のところから記事へのリンクが貼ってあります。今回は原則各アーティスト1曲の紹介にしたのですが、それぞれもっと違うテイストの曲をやっていたりもするので、心に引っかかったアーティストがいたらぜひチェックしてみてください)


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goshimasayama18 at 22:12|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ