2019年05月

2019年05月26日

「ラージャスターンの風」Jaisalmer Beats東京公演に行って来た!

目黒区中小企業センターで行われた「ラージャスターンの風」東京公演に行ってきた。
このコンサートは、ラージャスターン州ジャイサルメールの音楽家カースト「マンガニヤール」のグループ"Jaisalmer Beats"の日本ツアーの最終公演。

インド北西部のラージャスターン州は、タール砂漠が広がる乾いた土地だ。
堅固な城壁を持つ古い都市が多く、インドのなかでも伝統文化を色濃く残す魅力的な地方で、最近ではインド映画「パドマーワト 女神の誕生」の舞台としても知られている。
(参考:「史劇映画『パドマーワト 女神の誕生』はほぼ実写版『北斗の拳』だった!(絶賛です)」

今回来日したJaisalmer Beatsは、ケテ・カーンとサリム・カーンの兄弟と、その従兄弟にあたるビルバル・カーン、叔父のサワイ・カーンの4人組だ。
彼らの出身カーストであるマンガニヤールは、ジャイサルメール地方で代々音楽家として暮らしてきたイスラームを信仰する人々。
ムスリムとはいえ、ヒンドゥー教徒がマジョリティーを占める土地に根ざして暮らしてきた彼らは、ヒンドゥーの祭礼や結婚式に呼ばれることもあり、ヒンドゥーの神々を讃える歌を演奏することもある。
彼らもまた、インドの多様性と寛容さの落とし子なのだ。

兄弟のケテとサリムは、カルタール(2枚の板で出来たカスタネットのような楽器。これを超絶な速さで鳴らしまくる)、ハルモニウム、モールチャン(ラージャスタンの口琴)といった多様で珍しい楽器と、カッワーリーのようなハリのある歌声を聴かせ、いとこのビルバルも両面太鼓ドーラックのリズムで二人を支える。
笑顔で演奏する3人とは対照的に、叔父のサワイ・カーンだけはただ一人、シブい表情を崩さずにマンガニヤールに伝わる擦弦楽器「カマイチャー」の乾いた音色を鳴らす。

歌声はどこまでも伸びやかで、演奏はどこまでもにぎやか。
乾燥した大地に暮らす人々を永年にわたって楽しませてきた彼らの音楽は、アートというよりも芸能としての音楽の素晴らしさに満ちていた。

 
何より印象に残ったのは、彼らが実に楽しそうに演奏していたこと。
こんなに楽しそうにパフォーマンスしているミュージシャンを見たのはジャンルを問わず初めてではないかと思ったくらいだ。
決して豊かではない場所に生まれ、自らの意志でこの道を選んだのではなく、カーストの掟によって演奏家になることを運命づけられた人たちが、なぜこんなに楽しそうに演奏できるのだろうと不思議になるくらいに、それはもう楽しそうに演奏していた。
単純に演奏することが楽しいのか、遠く離れた日本のオーディエンスが自分たちの音に夢中になっているからなのか、それとも人前でプロフェッショナルとして演奏する以上、楽しい雰囲気を出すべきだという信念があるのか。
彼らの楽しげな雰囲気が客席にも伝わり、聴いているほうも自然と笑顔がこぼれ手拍子や歓声が湧き上がる。

インドの伝統音楽にありがちな、観念的だったり小難しかったりする感じがここには全くない。
発声方法や節回し、ハルモニウムの演奏はカッワーリーにもよく似ているが、彼らの音色はカッワーリーよりもずっと人懐っこいものだ。
スーフィーの音楽であるカッワーリーには、演奏者と神とのつながりを、歌声を通してその場にいる観客に届けるための音楽といった印象がある。
ところが、マンガニヤールの音楽は、天上の神だけではなく、まず目の前のオーディエンスとつながり、演奏者同士もつながり、自分たちの楽しい音の世界に巻き込んでしまう。
神に捧げる楽曲を演奏していても、その神の恩寵をオーディエンス全員に届けることを意図しているかのような、観客を置いていかないあたたかさがある。


超絶に速いリズムやフレディ・マーキュリーのような張りのある歌声、面白楽器博覧会とも言えるような見たこともない楽器の演奏などなど、プロフェッショナルとして非常にレベルの高いパフォーマンスをしながらも、「音を楽しむ」「音で楽しませる」という意味の「音楽」に、彼らは終始徹しているのだ。
それも、ここ日本で初めて彼らの音楽を聴くリスナーを一人も置いていかずに、である。
砂漠の芸能、恐るべし。

今回のコンサートは、もともとは5月上旬に予定されていたものが、ビザの問題で延期になってこのたび行われたものだ。
実行委員会を務めた写真家の井生さん、ダンサーのMadhuさんは、今回の公演実現まで数々の苦労があったことと思う。
とくに、いくつかの曲でラージャスターニー・ダンスを披露してくれ、メンバーや楽曲の紹介までしてくれたMadhuさんのMCは胸に迫るものがあった。
彼女は、ラージャスターニー・ダンスに魅了され、ダンス未経験の状態で彼らのなかに飛び込み、師弟関係を結んでダンス修行に励んで来たという。
彼らの専属ダンサーとしてインド各地を旅して踊ってきた彼女は、今回の公演を最後に彼らのもとをしばらく離れるそうで、今回はその節目の公演でもあった。

MadhuさんのMCによると、彼らは事前に決めた曲を演奏せずに違う曲を始めてしまうことも多く、急に「出て来て踊れ」と目で合図されることもよくあるという。
エンターテインメントに徹しているように見えて、彼らのパフォーマンスはかっちりと決められたものではなく、即興と自由さに満ち溢れたものでもあるのだ。
 
ここで、もう一度彼らの音楽を聴いた印象に話は戻る。
なぜ、彼らはあんなに楽しそうに演奏するのか。
それは、きっと彼らが楽しい人たちだからなのだ。
マンガニヤールにもいろんな人たちがいるのだろうが、少なくとも彼らは、常にポジティブなヴァイブに満ちた人たちであるに違いない。
彼らにとって「演奏すること」や「歌うこと」は、「生きること」や「生活すること」と不可分なはず。
彼らにとって、生活や音楽や労働や芸術は、別々の概念ではなく、きっとひとつながりのものなのだ。
この印象は、ラージャスターンを遠く離れたインド北東部ナガランド州の田園の人々の暮らしを綴ったドキュメンタリー映画「あまねき旋律」を見たときにも感じたことだ。
何世代も前から演奏家になることを運命づけられた人々だからこそ、彼らの歌や演奏は彼らそのものと一体であり、単なる技巧やリズムやメロディー以上のものが音楽に乗って伝わってくるのだろう。 

思えば、彼らの演奏する楽器で、電気を必要とするものはひとつもない。
たとえ明日電気が止まっても、彼らは同じようにパフォーマンスができる。
ミュージシャンとしてだけではなく、長年砂漠に暮らす人間としての地力の強さみたいなものに圧倒された2時間だった。


さて、そんな変わらぬ伝統をパフォーマンスするJaisalmer Beatsであり、マンガニヤール音楽なわけだが、こんな素晴らしい音楽なのであれば、ぜひ普段伝統音楽を聴かないオーディエンスにも聴いてほしい。
前回も書いてきた通り、インド音楽は、現代音楽、西洋音楽と様々なフュージョンが行われている。
(参考「混ぜたがるインド人、分けたがる日本人  古典音楽とポピュラーミュージックの話」
彼らのコシのある歌声はロックでも行けそうだし、複雑かつ楽しげでもあるリズムはエレクトロニック・ミュージックにも合いそうだ。

もちろん彼らの音楽は、いまのままで十分に完成されているのだが、現代の音楽に聴き慣れた耳で聴くと、低音があまり鳴っていないのが少々もったいなくも感じてしまう。
もしこのリズムにボトムを支える低音が入っていたら、最高のダンスミュージックになることは確実だ。
ということで、最後にラージャスターニー・フュージョンミュージックを紹介してしめくくりたい。
Jaisalmer Beatsがバンドと共演したパフォーマンス。
彼らのアクの強さが完全に支配してしまっているが、2:30あたりからのラップ的な歌唱が掛け合いになるところがかっこいい!

インド各地のみならず世界各国のフェスへの出演経験もあるBarmer Boysは、マンガニヤール音楽にビートボックスを合わせた音楽性で、DJとの共演プロジェクトも行なっている。



マンガニヤールからは離れるが、このブログでなんども紹介しているラージャスターニー・ラッパー、ジョードプルのJ19 Squadが、地元のシンガーRapperiya Baalamと共演した曲。

彼らの新曲はよりフォーク色が濃厚(曲は1:30あたりから)で、ビデオはおとぎ話のように美しい。
どうでもいいけど、砂漠の中でこの衣装、暑くないのか?

Rapperiya Baalamの新曲は、ボリウッドスターのRanveer Singhとの共演かと思って驚いたが、Rajveer Singhという別人だった。
ポップな色彩のビデオに、大胆にデジタルビートを導入しているが、どうしても滲み出る垢抜けなさ。
これがまたラージャスターニー・フュージョンの魅力でもあるのだけどね。



追伸:
今回の彼らの東京公演をクラウドファンディングでCD化しようという話が動いている。
CD化に十分な金額は無事集まり、さらにライブの模様とオフショットを収録したDVDもリリースしようという目標に向けて、支援を募っている。
興味のある方はこちらから。


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goshimasayama18 at 22:30|PermalinkComments(0)インドのその他の音楽 

マサラワーラー武田尋善さんの個展に行く

池ノ上のギャラリーDeepdanで行われている武田尋善さんの個展に行ってきた。

武田さんはミュージシャンの鹿島信治さんとの出張インド料理ユニット「マサラワーラー」でも有名なイラストレーター。
溢れるインド愛にインスパイアされたイラストを発表している。
初めてその名前を聴いたのは、尾久の南インド料理店、「なんどり」のファンキーすぎるテント絵だったか。

武田さんの作品は、インドをモチーフにしながらも、インドのことをよく知らない人が見ても、美しさやかわいらしさや人間らしさや不思議さを感じられる、普遍的な良さがある。
(インド好きの私が言っても説得力がないかもしれないが)


ここで唐突に思い出話的な話題に移る。
インドでよく見る絵といえば、ヒンドゥーの神様の絵。
リクシャーやタクシーの運転席に飾られていたり、マリーゴールドの花が飾られてお香が焚かれていたりするあれである。
青黒い肌や象の頭の神様たちは、インドで見るとすごく生活に溶け込んでいて、なんというかいい感じなんである。
ありがたいと同時にフレンドリー。
哲学的、神話的な存在なのに、現世利益的な祈りもばっちこい。
宗教にこだわりのない日本人は(私のことだが)、寺院の参道でシヴァファミリーとかサラスヴァティ(当時ギターを弾いていたので、ご利益がありそうな気がした)とかの絵を買ってきて、部屋に飾ったりしたものである。

ところが、日本の部屋に飾られたインドの神様は、浮いて見えることこの上ない。
そもそも、一般的な日本の部屋にそこだけ強烈にインドというのはものすごく場違いで、神様本人も居心地が悪そうだ。
遊びに来た友だちにも不審な目で見られること確実だ。
しばらく飾ってはいたものの、とうとう自分でも違和感に我慢できなくなって、そっと外して、インド旅行の写真と一緒に箱にしまったりしたものだった。
残念なことに、ここ日本では、インドの魔法は効かないのである。
日本で飲むチャイが、インドと同じ淹れ方をしても甘ったるくしか感じられないのも、インドで買ってきたスナックが辛くしか感じられないのも、全て魔法が解けてしまうからだ。

前置きが長くなったが、武田さんの絵には、どういう秘密があるのか知らないが、不思議なことに、そのインドの魔法が日本でも生きているのだ。
神様の絵だけでなく、牛や鳥や木をモチーフにした作品にも、天上の世界のような神秘性と同時に、近所の公園のような親しみやすさがある。
 
別に極度にマンガ風だったり、 デフォルメされてたりしているわけではない。
むしろ、その画風は(絵のことはよくわからないけど)ものすごく緻密で、きっと作品を作るのはもう「創作」っていうよりも、「行」って感じなんじゃないかって思うくらいのものだ。

武田さんは今日も個展会場の片隅で絵を描かれていたのだが、驚いたことに、お客さんが話しかけたり、すぐそばでマサラワーラーの鹿島さんと私がインドのロックとプロレスの話題で盛り上がっていたりしても、全く動じずに、ときに話に加わりながら、下書きも無しに白紙にペンで描いているのである。
聞けば、「どんな環境でも描ける」とのこと。
メンタリティーが完全にインド人なのかもしれない。

インド的ソウルと日本人のハート、それにおそらく門外不出のスパイス的な何か。
武田さんの絵の魔法には、きっとそんな秘密があるのだと思う。
もちろん、人知れぬ努力の賜物でもあるのだろうけど、不思議とそれを感じさせないのも凄いことだ。

武田さんの絵はホームページでも見られますが、(https://hiroyoshi-takeda.com)機会があったらぜひ一度生で見ることをオススメします。

最近話題のインド少数民族アートが好きな方にもオススメです。
とまたインド好きに対して勧めてしまったけど、インド好きだけのものにしてはいけない素晴らしさがあります。
個展は池の上Deepdanで、今日(5月26日)まで!

aurora


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goshimasayama18 at 00:09|PermalinkComments(0)インドよもやま話 

2019年05月24日

混ぜたがるインド人、分けたがる日本人  古典音楽とポピュラーミュージックの話

『喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの[日本体験記]』という本がある(文春文庫)。
M.K.シャルマなる人物が書いた本を、インドに関する著書で有名な山田和氏が翻訳したものだ。
山田氏は、デリーの小さな書店で「日本の思い出」と題されたヒンディー語の私家版と思しき本を見つけて購入し、その後、奇遇にもその本の著者のシャルマ氏と知り合うこととなった。(曰く「9億5000万分の1の偶然」)。
この奇縁から、山田氏がシャルマ氏にヒンディー語から英語への翻訳を依頼し、それを山田氏がさらに日本語に訳して出版されたのが、この本というわけだ。

日本人のインド体験記は数多く出版されているが、インド人による日本体験記は珍しい。
シャルマ氏は、90年代初期の日本に滞在した経験をもとに、持ち前の好奇心と分析力を活かして、日印の文化の相違や、虚飾に走りがちな日本人の姿を、ときにユーモラスに、ときに鋭く指摘している。
全体を通して面白いエピソードには事欠かない本書だが、とくに印象に残っているのは、シャルマ氏が日本人の同僚とインド料理店を訪れた時の顛末だ。

私は料理同士をミックスさせ、捏ねると美味しくなると、何度もアドヴァイスをしたのだが、誰も実行しようとしなかった。混ぜると何を食べているのかわからなくなる、美味そうでない、生理的に受けつけない、というのが彼らの返事だった。
その態度があまりにも頑ななので、私は彼らが「生(き)(本来のままで混じり気のないこと)」と呼んで重視する純粋性、単一性への信仰、つまり「混ぜることを良しとしない価値観」がそこに介在していることに気づいたのである。
インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。

(同書「インド人は混ぜ、日本人は並べる」の章より)

その後、シャルマ氏は「日本食も混ぜた方が美味しくなると思うか」という質問に「そう思う」と本音で答えた結果、「それは犬猫の食べ物」と言われてしまったという。
インド人は様々な要素を混ぜ合わせることを豊穣の象徴として良しとし、日本人はそれぞれの要素の純粋性を尊重するという、食を通した比較文化論である。

なぜ唐突にこんな話をしたかというと、インドの音楽シーンにも、私はこれと全く同じような印象を受けているからだ。
彼ら(インド人)は、とにかくよく混ぜる。
何を混ぜるのか?
それは、彼らの豊かな文化的遺産である古典音楽と、欧米のポピュラーミュージックを混ぜるということである。
それも、奇を衒ったり、ウケを狙っているふうでもなく、まるで「俺たちにとっては普通のことだし、こうしたほうが俺たちらしくてかっこいいだろ」と言うがごとく、インドのミュージシャン達は、ごく自然に、時間も場所も超越して音楽を混ぜてしまうのだ。
日本では「フュージョン」と言うと、ジャズとロックとイージーリスニングの中間のような音楽を指すことが多いが、インドで「フュージョン」と言った場合、それはおもに伝統音楽と現代音楽の融合を意味する。

その一例が、前回紹介した「シタールメタル」だ。
古典音楽一家に生まれ育ったRishabh Seenは、シタールとプログレッシブ・メタルの融合に本気で取り組んでいる。

ヒップホップの世界でも、Bandish ProjektやRaja Kumariが古典音楽のリズムをラップに導入したり、Brodha Vがヒンドゥーの讃歌を取り入れたり、そして多くのラッパーがトラックに伝統音楽をサンプリングしたりと、様々なフュージョンが試みられている。


Bandish ProjektもRaja Kumariも、インド伝統の口で取るリズム(北インドではBol, 南インドではKonnakolという)からラップに展開してゆく楽曲の後半が聴きどころだ。

Eminemっぽいフロウを聴かせるBrodha Vの"Aatma Raama"はサビでラーマ神を讃える歌へとつながってゆく。

 Divineのトラックは、実際はテレビ番組のテーマ曲の一部だそうだが、伝統音楽っぽい笛の音色をBeastie Boysの"Sure Shot"みたいな雰囲気で使っている!
Divineはムンバイを、Big Dealはオディシャ州をそれぞれレペゼンするという内容の曲。トラックもテーマに合わせてルーツ色が強いものを選んでいるのだろうか。

伝統音楽との融合はヒップホップだけの話ではない。
Anand Bhaskar CollectiveやPaksheeといったロックバンドは、ヒンドゥスターニーやカルナーティックの古典声楽を、あたり前のようにロックの伴奏に乗せている。


タミルナードゥ州のプログレッシブメタルバンドAgamは、演奏もヴォーカルもカルナーティック音楽の影響を強く感じる音楽性だ。

例を挙げてゆくときりがないので、そろそろ終わりにするが、エレクトロニック・ミュージックの分野では、Nucleyaがひと昔前のボリウッド風の歌唱をトラップと融合させているし、古典音楽のミュージシャンたちも、ラテンポップスの大ヒット曲"Despacito"を伝統スタイルで見事にカバーしている。(しかも、彼らが使っている楽器のうちひとつはiPadだ!)



まったくなんという発想の自由さなんだろう。
異質なものを混ぜることに対する、驚くべき躊躇の無さだ。

翻って、我が国日本はどうかと考えると、我々日本人は、混ぜない。
最新の流行音楽に雅楽や純邦楽の要素を取り入れるなんてまずないし、ロックバンドが演歌や民謡の歌手をヴォーカリストに採用するなんてこともありそうにない(例外的なものを除いて)。
そう、日本は「分けたがる」のだ。
純邦楽は日本の伝統かもしれないけど、ロックやヒップホップとは絶対に相容れないもの。
民謡や演歌の歌い方は、今日の流行音楽に取り入れたら滑稽なもの。
素材の純粋さを活かす日本文化は、混ぜないで、分けることでそれぞれの良さを際立たせる。

いったいなぜ、日本人とインド人でこんなにも自国の伝統と西洋の流行音楽に対する接し方が違うのか。
なぜインド人は、何のためらいもなく古典音楽と最新の流行音楽を混ぜることができるのか。
その理由は、インドの地理的、歴史的な背景に求めることができるように思う。

よく言われるように、インドは非常に多くの文化や民族が混在している国で、公用語の数だけでも18言語とも22言語とも言われている(実際に話されている言語の数は、その何倍、何十倍になる)。
現在のインドは、もともとひとつの国や文化圏ではなく、異なる文化を持つたくさんの藩王国や民族、部族の集まりだった。
彼らは移動や貿易や侵略を通して、互いに影響を与えあってきた歴史を持つ。
11世紀以降本格的にインドに進入してきたイスラーム王朝もまた、インド文化に大きな影響を与えた。
かつての王侯たちは、異なる信仰の音楽家や芸術家たちをも庇護して文化の発展を支えていたし、イスラームのスーフィズムとヒンドゥーのバクティズムのように、異なる信仰のもとに共通点のある思想が生まれたこともあった。
インドの歴史は多様性のもとに育まれている。
こうした異文化どうしの交流と影響の上に成り立っているのが、インドの芸術であり、音楽なのだ。

また、スペインやポルトガルなどの貿易拠点となったり、イギリス支配下の時代を経験したことの影響も大きいだろう。
インド人は、かなり昔から南アジアの中だけでなく、東(インド)と西(ヨーロッパ) の文化もミックスしてきたのだ。
音楽においても東西文化の融合はかなり早い段階から行われていて、ヨーロッパ発祥のハルモニウム(手漕ぎオルガン)は今ではほとんど北インドやパキスタン音楽でしか使われていないし、南インドでは西洋のバイオリンがそっくりそのまま古典音楽を演奏する楽器として使われている。
 

彼らの音楽的フュージョンは、一朝一夕に成し遂げられたものではないのである。
彼らはスパイス同様、音楽的要素も混ぜることでもっと良くなるという思想を持っているに違いない。
そもそも例に上げているスパイスにしても、インド原産のものばかりではない。
例えば今ではインド料理の基本調味料のひとつとなっている唐辛子は、大航海時代にヨーロッパ人によってインドにもたらされたものだ。
古いものも、新しいものも、自国のものも、他所から来たものも、混ぜ合わせながら、より良いものを作ってきたという歴史。
その上に、今日の豊かで面白いフュージョン音楽文化が花開いている。
長く鎖国が続いた日本の歴史とは非常に対照的である。

日本の音楽シーンでは、ルーツであるはずの文化や伝統と、現代の流行との間に、深い断絶がある。
その断絶の起源が鎖国にあるのか、明治にあるのか、はたまた戦後にあるのかは分からないが、とにかく我々は長唄や民謡とヒップホップを混ぜようとしたりはしない。
というか、そもそも伝統音楽と流行音楽の両方を深く聴いているリスナー自体、ほとんどいないだろう。

日本人は、分ける。
インド人は、混ぜる。

と、ここまで書いて、ふと気がついたことがある。
スパイスや音楽については混ぜることが大好きなインド人も、なかなか混ぜたがらないものがある。
それは、彼らの「生活」そのものだ。
例えば、食。
スパイスについては混ぜることを良しとしている彼らも、食生活そのものに関しては、都市に住む一部の進歩的な人々以外、総じて保守的である。

牛を神聖視するヒンドゥーと、豚を穢れているとするムスリム、さらには人口の3割を占めるというベジタリアンなど、インドには多くの食に関するタブーがある。
それらは個人やコミュニティーのアイデンティティーと強く結びついており、気軽に変えられるものではない。
音楽に関する仕事をしていて、アメリカ留学経験も日本在住経験もあるとても都会的なインド人が、頑なにベジタリアンとしての食生活を守っている例を知っている。
その人は信仰心が強いタイプでは全くないが、生まれた頃からずっと食べていなかった肉を食べるということに、気持ち悪さのような感覚があるという。
(多様性の国インドにはいろんなタイプの人がいるので、あくまで一例。最近では逆にベジタリアン家庭に育っても、鶏肉くらいまでは好んで食べる若者もそれなりにいるようだ)
多くのインド人にとっては、小さな頃から食べ慣れた食生活を守ることが、何よりも安心できることなのだろう。

また、結婚についても同様に、インド人は混ぜたがらない。
ご存知のように、インドでは結婚相手を選ぶときに、自分と同等のコミュニティー(宗教、カースト、職業、経済や教育のレベルなど)から相手を選ぶことが多い。
保守的な地方では、カーストの低い相手との結婚を望む我が子を殺害する「名誉殺人」すら起こっている。(家族の血統が穢れることから名誉を守るという理屈だ)
 
一方、日本人は食のタブーのない人がほとんどだし、海外の珍しくて美味しい料理があると聞けば喜んで飛びつき、さらには日本風にアレンジしたりもする。
食に関して言えば、日本人は混ぜまくっている。
結婚に関しても、仮に「身分違いの恋」みたいなことになっても、せいぜい親や親族の強硬な反対に合うことがあるくらいで、殺されたりすることはまずない。
日々の暮らしに関わる部分では、日本人のほうが混ざることに対する躊躇が少なく、インド人のほうが分けたがっているというわけだ。
国や民族ごとに、人々が何を混ぜたがり、何を分けたがっているのかを考えると、いろいろなことが分かってくるような気もするが、話が大きくなり過ぎたのでこのへんでやめておく。


最後に、冒頭で紹介した山田和氏の「喪失の国、ニッポン〜」をもう一度紹介して終わりにする。
この本は、これまで読んだインド本の中で、確実にトップスリーには入る面白さで、唯一欠点があるとすれば、なんとも景気の悪いタイトルくらいだ。 
主人公のシャルマ氏は、花見の宴席を見て古代アラブの宴を思い起こし、「やっさん」というあだ名の同僚からペルシアの王ハッサンを想像してしまうぶっ飛びっぷりだし、後半では淡い恋のエピソードも楽しめる。 
実は、この本の内容は全て山田氏の創作なのではないかという疑惑もあるようなのだが(正直、私もちょっとそんな気がしている)、もしそうだとしても、それはそれで十分に面白い奇書なので、ご興味のある方はぜひご一読を!



インドのフュージョン音楽については、過去に何度か詳しく書いているので、興味がある方はこちらのリンクから!
混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか

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2019年05月19日

混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか


突然だが、みなさんは「インド音楽」と聞いて何を想像するだろうか。
今日では歌って踊る映画音楽が広く知られているが、インド映画が広く知られるようになる前であれば、インドの音楽といえば、古典楽器シタールの調べを思い浮かべる人が多かったはずである。
悠久の時間を感じさせるゆるやかなリズムの上を、異国情緒たっぷりの音色がたゆたうような旋律を奏でる。
そんなシタールの響きは、当時の人々がインドに抱いていた神秘的なイメージにぴったりだった。
(実際はインドの古典音楽は結構激しかったりするんだけど)

シタールは、古参のロックファンにとっては、60年代にジョージ・ハリスンやブライアン・ジョーンズがバンドサウンドにサイケデリックな響きを導入するために演奏した楽器としても有名だ。

1967年のモントレー・ポップでのラヴィ・シャンカルの演奏を聴けば、インド古典音楽(これはヒンドゥスターニー音楽)がロックファンをも魅了するダイナミズムと美しさ、そして即興の妙を持っていることが分かるだろう。

モントレー・ポップ・フェスティバルから五十余年。
いつもこのブログに書いているように、インドの音楽シーンも激変した。
そして今、かつてロックファンを虜にしたシタールの音色を、あろうことかロックのなかでも最も激しくうるさい音楽であるヘヴィーメタルと融合したバンドが登場したのである。
それも、1バンドだけではなく、複数のバンドがほぼ同時に出てきたというから驚かされる。
というわけで、今回は、インドだけが成し得た究極のキメラ・ミュージック、「シタール・メタル」を紹介します。

まず最初に紹介するバンドはMute The Saint.
古典音楽一家に生まれたシタール奏者Rishabh Seenを中心とするプロジェクトである。
2016年にリリースされたファーストアルバムから、"Sound of Scars".(曲は45秒あたりから)
 
ものすごいインパクト。
 速弾きから始まり、リフを弾いているあたりまでは、ギター風のフレーズを単にシタールで弾いているだけのような印象を受けるが、シタール特有の大きなベンディングやビブラートが入った旋律を演奏し始めると、曲の雰囲気は激変する。
硬質なメタルサウンドのうえで波打つようなシタールの響きが、唯一無二な音世界を作り上げているのが分かるだろう。
直線的なギターの音色と大きな波を描くシタールの対比も面白い。
この1曲だけで、シタールという楽器の特性と可能性を十分すぎるほどに理解できるはずだ。 

インド人のリズム隊とアメリカ人のギタリストに声をかけて制作されたこのアルバムは、なんとメンバーが一度も顔を合わせずに作られたという。
それぞれの場所で演奏するメンバー4人を映したこの"The Fall Of Sirius"では、より古典音楽色の強いシタールを聴かせてくれている。


Rishabh Seenは、もともと大好きだったMeshuggahやAnimals As Leadersといったテクニカルなメタルバンドの曲をシタールでカバーして、インターネット上で注目を集めていた。

Rishabhは、ムンバイのシンフォニック・デスメタルバンドDemonic Resurrectionによるヴィシュヌ神の転生をテーマにしたアルバム"Dashavatar"でもシタールを披露している。
インド広しと言えども、ヘヴィーメタルに合わせてシタールを弾くことに関しては間違いなく彼が第一人者だろう。
「メタルdeクッキング!メキシコ料理編(しかも健康に良い) Demonic Resurrection!」この記事で紹介している"Matsya"のシタールがRishabによるものだ。余談だがDemonic ResurrectionのヴォーカリストDemonstealerは料理番組の司会者兼料理人も務めている変わり種。興味がある方はご一読を)

そんなRishabが、満を持して自分のやりたい音楽、すなわちシタールとヘヴィーメタルの融合のために始めたプロジェクトが、このMute The Saintということになる。
彼らについては、日本の音楽サイト"Marunouchi Muzik Magazine"が非常に丁寧に紹介とインタビューを行なっているので、詳しく知りたい方はぜひこちらを参照してほしい。
Marunouchi Muzik Magazine 'NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MUTE THE SAINT : MUTE THE SAINT】'
彼が「音楽的にはメロディック、リズム的にはダイナミック」と指摘するインド古典音楽とプログレッシブ・メタルの共通点は、インドでプログレッシブ系のロック(ポストロックやマスロックなどを含めて)が盛んな理由を読み解く鍵といえるかもしれない。
例えば、ソロの応酬や変拍子のキメ、深遠な精神性など、インドの古典音楽とプログレッシブ・ロックには、意外にも共通する特徴がいくつもあるのだ。
余談だが、このMarunouchi Muzik Magazineはヘヴィーミュージックを中心に多くのアーティストを紹介しており、以前当ブログでも紹介したプログレッシブメタル/インド古典音楽/ジャズ/EDMを融合した超絶バンドPineapple Expressにもインタビューを行うなど、インド方面にもかなり目配りが効いた内容になっている。
この手の音楽が好きな方はぜひチェックしてみるとよいだろう。

Rishabhが現在取り組んでいるバンドの名前は、その名もずばりSitar Metal.
音源のリリースこそまだしていないが、アメリカの技巧派インストゥルメンタル・ロックバンドPolyphiaのインド公演のサポートを務めるなど、早くも注目を集めている。

「リミットレスなインドの楽器シタールをフロントに据え、ヒンドゥスターニー音楽とヘヴィーメタルの融合を目指す世界初のバンド」というコンセプトのもと、今回は遠隔地のミュージシャンたちによるプロジェクトではなく、ライブパフォーマンスも行うバンドとして活動をしてゆくようだ。

古典音楽のエリートがここまでヘヴィーメタルに入れ込むというのはかなり突飛な印象を受けるが、Talvin SinghやKarsh Kaleといったタブラ奏者たちが「究極のリズム音楽」であるドラムンベース的なアプローチでエレクトロニカに挑戦したことを考えれば、シタール奏者が「究極の弦楽器音楽」であるヘヴィーメタルに取り組むというのも十分に理解できるような気がしないでもない。
(ここでいう「究極」は「音数が多い」という意味と理解してください。ちなみにRishabhはそのTalvin Singhとの共演を行うなど、メタル界にとどまらないジャンルレスな活躍をしている)
Sitar Metalは2019年にはアルバムリリースも予定されており、今年もっとも活躍が楽しみなアーティストのひとつだ。


もうひとつ紹介するバンドはParatra.
Samron Jude(2003年結成のムンバイの重鎮スラッシュメタルバンドSystemHouse 33のギタリスト)によって2012年に結成された、シタール奏者Akshat Deoraとの二人組ユニットである。
シタールの音色だけでなくエレクトロニック的なサウンドも取り入れた、これまた唯一無二な音楽を演奏している。
 
Akshatのプレイスタイルは、エキゾチックな音階を弾いてはいるものの、Rishabh Seenとは異なりファンキーなリズムを感じさせるより現代的な印象のものだ。

彼らが2017年にリリースしたアルバム"Genesis"(vol.1とvol.2の同時リリース)では、同じ楽曲をエレクトロニック・バージョンとメタル・バージョンでそれぞれ発表するという非常に面白い試みをしている。
エレクトロニック・バージョンのほうは、欧米の音楽シーンでサイケデリックを表す記号として長年いいように使われて来たインドからの、なんというかお礼参りみたいな印象を受ける音楽だ。

ビデオ・ドラッグ(古すぎるか)みたいな映像と合わせて彼らのサウンドを聴いていると、オールドスクールな感じのトリップ感覚が味わえて、なかなかに気持ちがいい。

彼らはメタルバンドであるにも関わらず、アジア最大(そして世界で3番目!)のエレクトロニック・ミュージックのフェスであるプネーのSunburn Festivalへの出演経験もあり、古典とメタルだけでなく、ダンスミュージックとの間にある壁も軽々と乗り越えている。

DJブースにはシタール奏者とヘヴィーメタルギタリスト、さらに脇には生ドラムという、なんだかもうわけが分からない状況だが、観客は大盛り上がりだ。

昨年はシッキム州出身の実力派ハードロックヴォーカリストGirish Pradhanをフィーチャーしたヨーロッパツアー(ノルウェーのゴシックメタルバンドSireniaのサポートとして)も行なっており、一部では世界的な注目を集めているようだ。

タイプこそ異なるが、唯一無二であることに関しては甲乙つけがたいインドのシタール・メタルバンド2組。
いずれもが、古典音楽とさまざまな音楽のフュージョンを躊躇なく行ってきたインドが生んだ新たなる傑作と呼ぶにふさわしく、ぜひとも日本でもその雄姿を見てみたいものである。
フェスとかで来日したら盛り上がると思うんだけどなあ。


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2019年05月15日

インドのカルトロック映画"Rockstar"とは?

「パドマーワト 女神の誕生」の試写会でもお世話になったインド・イスラーム研究者の麻田豊先生から、「インドの現代音楽のことを書いているなら」と、"Rockstar"というヒンディー語映画のDVDを貸していただいた。
この映画は2011年に公開されたImtiaz Ali監督による大ヒット作品で、主演はRanbir Kapoor、ヒロイン役にNargis Fakhri.
英語版Wikipediaによると、今日でもインドの若者の間でカルトクラシックとして人気がある映画だそうだ。

ロック映画ということでやはり音楽が気になるが、手がけているのは、あのA.R.Rahman.
ご存知の方も多いと思うが、90年代初頭にタミル語映画の音楽からキャリアをスタートした彼は、手がける楽曲の斬新さと質の高さであっという間に人気を博し、インドじゅうの大作映画の音楽を手がけるようになった。
彼の活躍の舞台はインドにとどまらず、2009年にはムンバイを舞台にしたイギリス制作の映画「スラムドッグ・ミリオネア」でアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞を受賞。
映画音楽以外ではミック・ジャガー、ダミアン・マーリー、ジョス・ストーンらによる夢のプロジェクトSuperheavyに参加するなど、現代のインドを代表する音楽家である。
ご存知でない方は、インドにおける坂本龍一と久石譲と筒美京平と桑田佳祐を足して割らないくらいの存在だと思えば間違いないだろう(それよりもビッグかもしれないが、その誰よりも若く彼はまだ52歳だ)。
1994年には早くもヒップホップを取り入れるなど、新しい音楽への目配りも聞いており(こちらの記事を参照)、メインストリームの音楽を好まないインドのインディーミュージシャンたちの中にも、彼の影響を公言する者は多い。
しかしながら、映画のために彼が作る音楽は、いかにも映画音楽らしい、よくいえば重厚な、悪くいえばオーバープロデュース気味な、ロックとは真逆なもの。
果たしてロックとタイトルに冠したこの映画では、どんな音楽を聴かせてくれるのだろうか。
Rockstar

音楽についてはひとまず置いておいて、まずはストーリーの内容から。
こんな80年代のヘヴィーメタルバンドみたいなタイトルのロゴなので、あまり期待しないで見たのだが(麻田先生ゴメンナサイ)、これがまた素晴らしかった。
この映画のストーリーはこんなふうに始まる。
(ずいぶん前の映画でもあり、今後日本で上映される予定もなく、また英語版Wikipediaにも載っていることなので、あらすじを最後まで書いてしまっています。読みたくない方はここでお引き返しを)


物語は「ここから遠く離れた善悪の彼岸に、あなたに会える場所があるだろう」(Miles away from here, beyond good and evil, there's a ground. I will meet you there)という独白から始まる。
国際的ロックスターのJordanことJanardhan Jakharは、イタリアでの大規模野外コンサートを前に苛立ちを隠せず、大暴れした挙句、乗り合いバスに飛び乗ってようやくライブ会場に到着した。
熱狂する大観衆を目の前にした彼は、これまでの人生に思いを馳せる。(ここから、彼の回想として物語が始まる)

大学生の頃のJanardhanは、ジム・モリソンに憧れて歌手を目指す純朴な若者だった。
だが、不器用な彼の歌を聴こうとするものは誰もいない。
行きつけの食堂の店主に「スターになるためには、心の痛みを知る必要がある」と言われ、自分が何の苦労も悲しみも知らない平凡な人間であることに気づいた彼は、心の痛みを知るためだけに失恋を経験しようと決意する。
彼は大学のダンスコンテストで踊る美女Heerに一目惚れし、失恋の痛みを知るために猛烈なアプローチを始める。
初めのうちは全く相手にされなかったが、やがてHeerは少しずつ彼に心を開いてゆく。
イニシャルからJ.J.という名前を名乗っていた彼は、彼女にもっとロックスターらしいJordanというあだ名をつけられ、以後この名前で音楽活動をすることになる。

Heerは卒業後にチェコのプラハに暮らす裕福な婚約者と結婚することが決まっていた。
彼女は、それまでの時間をJanardhanと「独身のうちにしかできないような安っぽい楽しみ」をしながら過ごすことにしたのだ。
本当のHeerは、良家のお嬢様などではなく、刺激のある暮らしを楽しみたい活発な女の子だった。
下町の映画館で反道徳的な映画を見たり、強い酒を飲んだり、クラブに繰り出したりしているうちに、彼女は本当の自分を受け入れてくれるJordanに惹かれてしまう。

結婚すれば裕福だが退屈な生活を一生送ることになる。
彼女の心は、結婚を前に「どう(誰と)生きたいか」と「どう(誰と)生きなければならないか」に引き裂かれてゆく。
二人は彼女の故郷カシミールで結婚式の直前まで楽しい時間を過ごし、惹かれあいながらも、お互いの本心を隠したまま別れの時を迎える。

失恋の悲しみを知ったJordanは、歌手としての実力と名声を少しずつ上げてゆくのだった。

というのが序盤のストーリー。
読んでいただいて分かる通り、かなり荒唐無稽というかムチャクチャな展開である。
Jordanはドアーズのジム・モリソンに憧れている(若いのにシブすぎる!)という設定なのに、みんなの前で弾く曲はMr.Bigの"To Be with You"だし、食堂のオヤジに言われたことを鵜呑みにしてスターになるために失恋を決意するというのも、いくらなんでも純粋すぎる。
インド映画にありがちなことだが、Heerにしつこくつきまとう彼は完全にストーカーだし(インド映画に免疫のない人が見たら絶対引く)、ロックスターを目指す若者がアルコールを飲むだけで大冒険というのもお国柄とはいえ無邪気すぎる。

二人が下町オールドデリーの映画館で見た映画の題名は"Junglee Jawaani".
"Wild Youth"という意味のこのタイトルは、型にはまった結婚生活とは対照的な、自由な青春時代を象徴するものとして、この映画の中で効果的にくり返される。
タイトルが主人公と同じイニシャルのJ.J.なのも偶然ではないのだろう。
喜劇調に始まったストーリーが、少しずつシリアスに転換し、Jordanが好青年から影のあるロックスターに変化してゆくさまはこの映画の大きな見所のひとつだ。


カシミールから戻ったJordanは、勝手に家をあけて家族の知らない女の子の結婚式に出ていたことを咎められ、勘当されてしまう。
ギターを持って家を出た彼は、イスラームの聖者廟でカッワーリーを歌ったり、ヒンドゥー寺院でバジャンを歌ったりして暮らしていた(いずれもそれぞれの宗教の神への帰依を歌う音楽)。
Jordanの評判を耳にしたレコード会社は、彼を見つけ契約しようとするが、Heerを失った彼は思い悩んでいた。
だが、レコード会社と契約すればHeerの暮らすプラハでのコンサートに出演できることを知った彼は、 彼女に再び会うために契約を結び、歌手として彼女が暮らす街を訪れる。

裕福だが退屈な暮らしで精神を病みかけていたHeerは、Jordanと再会できたことで笑顔を取り戻した。
時間の許す限り、結婚前の日々のような「安っぽい楽しみ」の時間を過ごす二人。
ストリップを見に行ったり、安いディスコで踊ったり、赤線地帯に行ってみたり。二人きりの刺激的な時間を過ごす中で、とうとうJordanはHeerの関係は、許されないところまで進んでしまう。
プラハでのコンサートは大成功し、Jordanはメディアからも大絶賛を受ける。
しかしJordanはHeerへの愛を抑えきれなくなっていた。
家庭を壊してしまうことに恐怖を覚えたHeerは、彼を愛していながらも拒絶してしまう。
自制心を失った彼は、夜中にHeerの家を訪ねたことで不法侵入のかどで逮捕され、インドに強制送還されることになる。



これが中盤の展開。
ロック映画なのに主人公が下積み時代にカッワーリーやバジャンを歌ってしまうところがいかにもインドらしい。
この映画は宗教を主題にしたものではないから、ここでは宗教歌は特定の信仰の表明ではなく、超越者への帰依を通して自分自身からも自由になり、まだ知らぬ境地へ焦がれる気持ちを表すものとして扱われている。
音楽という芸術を模索する姿が、信仰心に重ねて表現されているのだ。
コブシの効いたカッワーリーにはロック的な歌唱法がよく似合う。
冷静に考えれば、チェコでは無名であろうインド人歌手が大ホールでコンサートを行うことや、そこに多くのマスコミが詰めかける点など、ツッコミどころはたくさんあるが、緊張感を持ったストーリーは見るものをぐいぐいと引き込みながら終盤に向かって進んでゆく。


Jordanの強制送還はインドでも大スキャンダルとなっていた。
警官相手にも粗暴に振る舞う彼は、ロックスター としての危険な魅力をまとっていた。
この話題を利用したいレコード会社は、このタイミングでCDをリリースし、彼は一躍大スターとなる。
だが、Heerを失った彼の心の傷は癒えず、彼の奇行は激しさを増し、それにともなってますます人気も高まってゆく。

2年後。
すっかり退廃的なロックスターとなった彼は、Heerの妹から、彼女が不治の病の床についていることを聞かされ、すぐにプラハに駆けつける.
彼女の家族は彼を歓迎しなかったが、彼が来たことでHeerは奇跡的な回復の兆候を示し、家族も彼の存在を受け入れざるを得なくなる。
結婚前のように二人の時間を過ごすJordanとHeer.
Jordanにとってもファンからの喝采では満たされなかった孤独が癒され、久しぶりに幸福を感じられる時間となった。
Heerは驚くべき回復を見せ、インド北部のヒマーチャル・プラデーシュでコンサートを行う彼に同行する。
独身時代の最後にJordanと見たヒマラヤを、もう一度二人で見たかったのだ。
人妻との恋愛スキャンダルを聞きつけたマスコミがJordanの元に殺到するが、彼は何も答えず、ホテルの部屋の中で二人は束の間の満たされた時間を過ごしたのだった。
だが、帰国したHeerは急激に体調を悪化させ、ICUに入院してしまう。
彼女はJordanの子を妊娠していたのだ。
すぐに病院を見舞った彼だったが、Heerは目を覚まさない。
愛するものを失うかもしれない焦燥感を抱えたまま、Jordanはイタリアでのコンサートに出演することになる(ここで、冒頭のシーンに繋がる)。
ステージで喝采を浴びる彼に、Heerの幻が現れ、二人で過ごした幸福な時間が彼の心に次々と浮かんでゆくのだった。



というのがこの映画のあらすじ。
安っぽい部分や予想がつく展開も多いが、それでも緊張感を持ったまま進んでゆくストーリーには飽きさせられなかったし、この時代のインドでのロックの描かれ方も面白かった。

スターとなった彼が出演したインドでの野外ライブのシーンでは、会場に掲げられたスローガンから、このコンサートが自由を求める市民運動の一環であることが分かるようになっている。
ロックが若者の心の内面だけを扱うものではなく、社会的なメッセージをも持った音楽であることを示唆した一場面と言えるだろう。
富と名声を得てもなお満たされないJordanの姿はニルヴァーナのカート・コバーンを彷彿とさせるし、ホテルのベッドのシーツにくるまって二人きりの時間を過ごすJordanとHeerは、60年代のジョン・レノンとオノ・ヨーコを思い起こさせる。
だが、典型的なロックスター像を題材にしながらも、この映画のテーマは、じつは典型的なインド映画とまったく同じものなのだ。

つまり、
・結ばれない運命の恋愛
・夢や自由の追求
・青春時代の自由と、その後の決められた退屈な人生
・親と子の世代間の葛藤
・夢を叶えるための大きすぎる代償
といった要素を中心に物語が構成されているというわけだ。

ありきたりとも言えるテーマを見応えのある作品に仕上げたのは、ひとえに監督の手腕と俳優たちの演技力によるものだろう。
主演のRanbirは純情な青年時代から退廃的なロックスターへの成長を見事に演じているし、Heerを演じたNargis Fakhriはこの映画がデビュー作ながら、高嶺の花のイメージの学生時代から、道ならぬ恋に溺れる結婚後の姿まで、難しい役柄を演じきっている(ちなみに彼女はパキスタン人とこの映画の舞台でもあるチェコ人とのハーフで、米国籍)。

中産階級の平凡な若者だったJordanが、ロックスターになるために必要な辛い経験を何もしていないことに悩むシーンは、コミカルではあるが、発展途上国のロック黎明期にありがちなパラドックスを示している。
つまり、アメリカやイギリスで労働者階級の反骨の音楽として誕生したロックは、途上国では高価な楽器が買える人々しか演奏することができない富裕層(少なくとも中産階級以上)音楽になってしまうということだ。
(その点、今年公開された"Gully Boy"は、ヒップホップという楽器すら必要としない音楽をテーマにすることで、都市の持たざるものの声が音楽に乗せられる瞬間を扱ったものとして、やはり歴史的な意味がある作品と言えるだろう)

この映画が公開された2011年は、インドではようやくインディーズのロックバンドの活躍が見られるようになった時代。
インターネットの発展で海外の音楽にも容易に触れられるようになり、大衆映画の観客にもロックのイメージが知れ渡った時期だったはずだ。
ワイルドで退廃的なロックの描かれ方は紋切り型だし、インド人ロックスターがヨーロッパで大人気になるという設定も現実離れしているが、それでも定番のテーマの映画に新しい息吹を吹き込む要素として、ロックが選ばれるべき時代だったのだろう。

また、Jordanの姿は、ロックスターであると同時に古典的な求道者の姿にも繋がる描かれ方をしている。
とくにスターとなった彼が衣装として着用する帽子は、古の時代の詩人やスーフィー(神との合一を目指すイスラームの修行者で、「イスラーム神秘主義者」と訳される)を想起させるものだ。
最後のシーンではHeerの死が示唆されるが、永遠に満たされない自分の片割れを希求する気持ちがロックの源泉となるというテーマは、ギリシア神話に着想を得たロック映画の名作「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」とも共通している。
つまり、ロックを扱いながらも、芸術や絶対者との合一の追及という普遍的な主題が、この映画の根底となっているのだ。

もうお分かりだろう。
冒頭の「ここから遠く離れた善悪の彼岸に、あなたに会える場所があるだろう」という言葉は、恋人(生きていても一緒になることができない人の妻でもある)を失った苦しみを抱えたままロック道を精進することで、恋人との現世を超えた次元での再開と合一を願う(そしてそれは神との合一ともつながる)という、ロック映画にしてはものすごく大げさで、同時に極めて古典的な世界観を表しているのだ。
こうした古典的で普遍的なテーマが巧みに表現されているからこそ、リアリティーに欠けるストーリーであっても、多くの人の心を打つヒット作品となったのだろう。
ここまで考えると、Jordanの憧れがジム・モリソンだというのも納得がいく。
ジムが単なる享楽的なイメージのロックスターではなく、奇行で知られながらも、どこか神秘的で、哲学的なイメージすらあるカリスマだからである。

さて、最後になったが、肝心のA.R.Rahmanによる音楽について。
Rahman流のロックを楽しみにしていたのだが、結論から言うとこの映画の音楽は、クオリティこそ高いものの「ロックの要素の入ったいつものRahman流映画音楽」に他ならなかった。
ロック音楽を聴かせることよりも、前述のような古典的なテーマを見せることが趣旨であることを考えれば致し方のないことだろう。
とはいえ、印象に残った楽曲を紹介したい。

Heerが結婚してしまった後の飾り気のない心情を歌う弾き語りから始まり、映画の場面に合わせてクラブのシーンでのダンスミュージックにつながってゆく展開が見事な"Phir Se Ud Chala".


チェコのストリートミュージシャンやジプシーっぽいダンサーと共演する設定の"Hawaa Hawaa"は、ジプシー音楽のルーツがインドにある(ラージャスタンのあたり)ことを思い出させる楽曲だ。


プラハでの許されない逢瀬からライブのシーンにつながる"Aur Ho"は、後半のドラムが入ってくるあたりで、レッド・ツェッペリンがインドやアラブの音楽を取り入れた楽曲に少し似た雰囲気になる。



今回もずいぶん長くなってしまいました。
蛇足ですが、実際に活躍するヒンディー語で歌うロックバンドを2つほど紹介しておしまいにします。
まずは、このブログでも以前紹介したデリーのバンド、Anand Bhaskar Collective.
RockstarのJordanのように、古典声楽の要素の入ったヴォーカルが特徴のバンドの代表曲は、"Hey Ram".
マハートマー・ガーンディーの最後の言葉でもあるタイトルのこの楽曲(「おお、ラーマ神よ」の意)は、宗教間の争いをテーマにしたもの。


古典音楽色の強い歌とバイオリンが、よりインドらしさを感じさせる"Malhar".

Pearl JamやSoundgardenのような90年代のアメリカのオルタナティブ・ロック風の楽曲に、こんなにインド風の歌い回しが合うとは思わなかった。


チャンディーガル出身で、現在はデリーを拠点に活動しているThe Local Trainは、ヒンディー語で歌いながらも、欧米のロックを思わせるメロディーラインを聴かせてくれるバンドだ。

毎回完成度の高いビデオを作っており、この"Khudi"はRolling Stone India誌が選ぶ2017年度ベストミュージックビデオの第3位に選ばれている。

2018年にリリースされたアルバム"Vaaqif"から、"Dilnawaz".

彼らの楽曲のクオリティーはとても高く、もし彼らが英語で歌うアメリカかイギリスのバンドだったら、世界的な人気を得られていたかもしれない。

現実のインドのロックバンドは、ワイルドでクレイジーなイメージではなく、こんなふうにどこか知的さや生真面目さを感じさせる雰囲気がある。
ポストロックやプログレッシブメタルのように、音響や構成の美学を追求したバンドも多く、やはりインドではロックは「中産階級以上の音楽」であるということを実感させられる。


それでは今回はここまで!
長い記事を読んでいただいてありがとうございました!


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goshimasayama18 at 19:55|PermalinkComments(0)インド映画 | インドのロック

2019年05月11日

母に捧げるインドのヒップホップ/ギターインストゥルメンタル

明日は母の日。
インド人といえば、お母さん大好きな国民性で知られている。
いや、そりゃどこの国でも母親の大切さというのは変わらないのだけれども、当然ながら感謝や愛情の表し方というのは国によって随分違う。

音楽でもそうだ。
日本よりも感情表現がストレートな英語圏でも、ポップミュージックのテーマは基本的に男女間の恋愛で、お母さんへの愛を直接的に表現した曲っていうのはあんまり聞いたことがない。
ところが、お母さんへの愛情も照れることなくストレートに表すインドでは、母への感謝や愛を歌った楽曲というのがけっこうあるのだ。
というわけで、今回は母の日を前に、インドの「お母さんありがとう」ソングを紹介します!

まず最初に紹介するのは、日印ハーフのラッパー、Big Deal.
英語でラップすることも多い彼が、生まれ故郷オディシャ州の言語オリヤー語でラップしたこの"Bou"は、そのものずばり「母」という意味のタイトルだ。

字幕を読むと、献身的な母親の愛情への感謝を率直に言葉にしたリリックであることが分かる。
Big Dealは、オディシャ人としての誇りや少年時代に受けた差別などをリリックのテーマにすることが多いが、つねにポジティブでまっすぐなメッセージを発信しているところが大きな魅力だ。
この曲もそんな彼の面目躍如といったところ。
ちなみに彼自身のお母さんはモハンティ三千枝という名前で活躍している小説家でもある。


先日公開され大ヒットとなったヒップホップ映画"Gully Boy"の中にも、母の愛をラップしたリリックが出てくる。

主演のランヴィール・シン自身がラップしているこの"Asli Hip Hop" は、本物のヒップホップに生きる決意を歌った内容だが、その中にもこんな内容のリリックが混じっている。

俺を嫌うやつは百万といるが、俺には母さんの愛がある
母さんの笑顔の中に俺の勝利があるのさ どうして失うことができようか
(中略)
俺はパフォーマーで、俺はアートを作っている
これこそが俺の宗教で、他にアイデンティティーはないのさ
母さんが神で、俺が育ったストリートこそが愛なんだ

(歌詞はヒンディー語の英訳から訳したもの)

この曲は映画の中のラップバトルのシーンで出てくる曲。
英語のラップだと相手の母親を侮辱するというのは聞いたことがあるけど、ここではヒンディー語で逆に自分のお母さんへの愛情をラップしてるっていうのが面白い。
2番目の歌詞をよく読んでみると、彼の育ったストリートと母親を並べて、誇るべきルーツとしてラップしていることが分かる。
インドでは、インドという国そのものを"バーラト・マーター(Bharat Mata=母なるインド)"という女神として、無償の愛を捧げてくれる母になぞらえて表現する伝統がある。
Bharat-mata
('Bharat Mata' 画像出店Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Bharat_Mata)

バーラト・マーターはインドの国土を背景に獅子を従えた美しい女性として描かれる。
独立闘争のなかで生まれたという、インドのなかでは歴史の浅い女神ではあるが、聖地ヴァーラーナシーにはこの女神を祀った寺院もある。
国家や自身のルーツを理想の母親像に似せて誇る文化と、お母さんへの愛情のストレート過ぎる表現には何か関連があるのだろうか。


超絶技巧のフィンガースタイル・ギターの名手Manan Guptaも、インストゥルメンタルではあるが"Dear Mother"というタイトルの曲を発表している。

ものすごいアイディアとテクニックを詰め込んだこの楽曲のどこが「親愛なる母さん」なのかさっぱり分からないが、きっと彼のスキルと発想の全てを反映した楽曲を、最も尊敬するお母さんに捧げたということなのだろう。

ちなみに「お父さんソング」っていうのは全然聞いたことがない。
インドの映画でも小説でも、父親って古い価値観で男性主人公と対立する存在として描かれることが多いし、あんまり面と向かってありがとうって感じでもないのかな(逆に娘と父親の愛情というのはすごくストレートに表されることが多いようだけど)。

というわけで、母の日前日の今回は、インドの「お母さんソング」を特集してみました。

今回紹介したアーティストをこれまでに紹介した記事もぜひお読みください。
Big Dealに関する記事:
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」
「律儀なBig Deal(ミニ・インタビュー)」
「"Gully Boy"と『あまねき旋律』をつなぐヒップホップ・アーティストたち」インド北東部版のJoyner Lucas"I'm not Racist"である"Are You Indian"は必聴!

Ranveer Singhの"Gully Boy"に関する記事:
「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開!"Gully Boy"」
「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」
「映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア」

Manan Guptaに関する記事:
「説明不要!新世代の天才!Rhythm Shaw他若き才能たち!」




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2019年05月06日

インドで盛り上がるK-Pop旋風!

カンボジアのトンレサップ湖に浮かぶ水上集落を訪れたときのことを、強烈に覚えている。
いきなりインドに関係のない話題で恐縮だが、今回のテーマを書くにあたって、どうしてもこの話から書き始めたかったのでご容赦いただきたい。
カンボジア最大の湖であるトンレサップ湖には、70年代まで続いたインドシナ半島の紛争から逃れてきた人々がボートハウスで暮らす水上集落がいくつも点在している。
正直にいうと、すでにインドで途上国の貧しい人々の現実を見聞きしていた私は、湖の水で食器を洗い、同じ湖に排泄する彼らの生活を見ても、さほどショックを受けることはなかった。
水上集落に学校や商店や携帯電話の基地局が作られ、地上の村々と同じようなコミュニティーが形成されている状況にも、感心こそすれ大きな驚きを感じることはなかった。
不法占拠によって形成されたスラムなどでも、同じようにコミュニティーを構成する要素が自然発生するということを知っていたからだ。
だが、彼らが暮らす貧しいボートハウスの壁に、雑誌から切り抜いたと思われる韓流スターのポスターが貼られているのを見たときには、心底びっくりした。
韓国のエンターテインメントが日本同様に多くの国で人気を博しているということを情報としては知ってはいたものの、地面に家を建てることすらできない人々にとってさえ、韓流カルチャーが憧れの対象になっているとは、全く想像していなかったからだ。
(5年ほど前の話である。水上集落にはベトナムからの難民が多かった。その後、昨今のベトナムの経済成長にともなって、母国へ帰国する者が増え、解体された集落も多くなったと聞いている)

日本でも韓流ブームと言われて久しいが、少なくともアジアにおいては、その人気は我々が考える以上にかなりの辺境まで及んでいるようだ。
その時のポスターは、ミュージシャンではなく韓国人俳優のものであったと記憶しているが、今日では音楽の分野でもBTSに代表されるK-popのアーティストたちが世界中でファンを獲得していることは周知の事実だ。
もちろんそれはインドも例外ではない。

インドの若者向けカルチャー誌であるRolling Stone Indiaでは、たびたびK-popアーティストが取り上げられている。
なかでも、BTSが表紙となった2017年の9月号は、現在では入手困難なコレクターズ・アイテムになっているほどの人気だという。
1-RS-Cover-sept-1
Rolling Stone Indiaは、カルチャー誌といってもボリウッドの大衆映画などは扱わず、先鋭的な表現を追求するインディーミュージシャンや海外のトップアーティストの情報を掲載する「センスの良さ」を売り物にした雑誌である。
日本でK-popが取り上げられる場合、日本のアイドル等と同じ「大衆歌謡系」の文化として取り上げられることが多いが、インドでは「クールなポップカルチャー」としての位置付けがされているのだ。
欧米のトレンドを押さえた質の高い楽曲と、確かな実力を伴ったパフォーマンスがそのような評価に繋がっているのだろう。

昨年公開されたBTSの活動を追った映画"Burn the Stage"は、インド全土の40都市で公開され、熱狂的に迎え入れられたという。
Rolling Stone Indiaでは、BTS以外でも、Exo, Blackpink, AteezといったK-Popの人気アーティストたちがたびたび取り上げられている。
同誌で取り上げられたことのある日本人が、ポストロックのMono(昨年北東部で行われたZiro Festivalに出演した)やエレクトロニカのDaisuke Tanabe(インドのレーベルからアルバムをリリースし、インドでのライブ経験もある)などのコアなジャンルのアーティストであることとは対照的である。

英語版のQ&AサイトQuoraに寄せられた回答によると、インドでの近年のK-Pop人気は爆発的に拡大しているようだ。(https://www.quora.com/Why-does-BTS-not-visit-India-for-a-concert

2012年にニューデリーの名門大学であるジャワハルラール・ネルー大学(JNU)の小さな講堂で行われたK-Popコンテスト(コピーダンス大会のようなものか?)に集まった参加者はたったの37名、観客も300名のみだったが、2018年にはインド全土の11都市で予選が行われ、900名近い参加者と2,000人を超える観客を集めるまでになったという。
このイベントは在インド韓国大使館の機関である韓国文化センターの主催で行われている。
韓国政府が積極的にK-Popの輸出をバックアップしていることは知られているが、同時にインドでのファンの受け入れ態勢についても万全のフォローがされているようだ。
ムンバイには、韓国政府の公認を受けたK-PopファンによるIndia Korea Friends Mumbai(IKFM)という組織もあるという。

日本文化に関してもアニメやゲームなどのオタクカルチャーを中心にインドに根強いファンを持っており、ムンバイのCool Japan Festivalのようなイベントには多くのインド人たちが集まっているが、コンテンツの輸出から現地でのファン組織までの全面的なサポート体制に関しては、韓国政府に大きく水を開けられているのかもしれない。
以前紹介したように、インドにもJ-Popの熱心なファンもいることはいるのだが、日本の音楽は、一般的にはまだまだ知名度が高いとは言い難い。
「電気グルーヴとインド古典音楽をリミックスして石野卓球にリツイートされたムンバイのJ-popファン」参照。)

韓国政府のみならず、K-Popのアーティストや所属事務所も、インドを未来の巨大マーケットとして重要視しているようだ。
インドではBTSやBlackpinkのような一線級のK-Popアーティストの公演こそまだ行われていないが、今後が期待される若手グループたちは、インドでの人気を確固たるものにすべく、次々とコンサートやプロモーションを行っている。

先日行われたムンバイのKorea Festivalに出演した若手男性グループIn2Itは、同イベントに出演していたAleXa(オーディション番組のProduce48出身)とともに、往年のボリウッドの大ヒット曲"Bole Chudiyan"をパフォーマンスして大喝采を浴びた。


今月(2019年5月)末からは、6人組の若手男性グループVAVがインドでのコンサートツアーとファンミーティングを実施すると発表した。(彼らはすでに米国、ブラジル、ヨーロッパ、日本、タイなどへのツアーを実施済み)

また、インド北東部のナガランド州で毎年行われているHornbill Festivalには、昨年は当時デビュー前だった3人組のMontというグループが出演。ファンの心をがっちり掴んだようだ。

このブログでも何度も紹介してきた通り、北東部はインドでは例外的にモンゴロイド系の人種が多く暮らす地域。
以前、ナガランドでは日本のアニメやコスプレが大人気であることを紹介したが、同様に東アジア系のカルチャーであるK-Popの人気もかなり高いということがこの映像からもお分かりいただけるだろう。
インドの中でもマイノリティーとして抑圧されがちな北東部の人々が、アーリア系やドラヴィダ系の顔立ちをしたインドのスターではなく、自分たちに似た外見のK-Popにより親近感を抱くというのは十分理解できることだ。
デビュー前のグループがこれだけの熱狂的な歓迎を受けるということは、個別のグループではなく、K-Popというブランドそのものの人気が完全に定着しているのだろう。

同じくインド北東部、メガラヤ州の州都シロンにあるSt.Mary's高校では、体操にBTSやNCT, BlackpinkなどのK-Popの楽曲を採用し、大いに盛り上がっているという。
(ちなみにこの情報は、英語版K-Pop情報サイト"Koreaboo.com"にも取り上げられており、それを昨年のMTV Europe Music AwardでBest India Actを受賞した同州出身のシンガーMeba OfiliaがFacebookで紹介していたのを読んで知ったものだ)

体育祭のようなイベントだと思うが、すごい盛り上がり。

先ほど紹介したVAVのツアーも、デリーと北東部マニプル州のインパールの2箇所で行われるとのことで、K-Popの仕掛け人たちも、北東部を重要なマーケットとして位置付けているようだ。

他にも、Imfact, Lucente, JJCC, ZE:A, 韓国系アメリカ人のDabitらがこれまでにインドを訪れている。
いずれもトップクラスの人気を誇るグループではないようだが、逆に駆け出しのグループがプロモーションのためにインドを訪れているということに、むしろ驚かされる。

昨今多くなってきている多国籍K-Popグループの究極とも言えるZ-Stars(それぞれ異なる国籍の7人組である男性グループのZ-Boysと女性グループのZ-Girlsから成る)には、なんとインド人のメンバーであるSidとPriyankaが在籍しており、K-Popの汎アジア戦略には、インドも確実に含まれていることを伺わせる。
(参考サイト:KPOPmonster「史上初インド人K-POPアイドル誕生へ! メンバー全員出身国が違う超多国籍グループ「Z-Girls」、「Z-Boys」2月デビューへ」

ちなみにSid(本名Siddhant Arora)はZ-Boys加入前はデリー大学に在籍しており、Youtuberとしてボリウッドのカバー等を歌っていたそうで、Priyanka(本名Priyanka Mazumdar)は北東部アッサム州のグワハティ出身で以前にインドのK-Popフェスティバルでの入賞経験もあったとのこと。

インドのポップスターといえば、映画のプレイバックシンガーや、同様の音楽性のソロシンガーが中心(このブログでいつも紹介しているインディーズ系ではない、いわゆるメインストリームの話)。
最近になってようやくストリートラッパーが出てきたくらいで、K-Popのようなダンス/ヴォーカルグループというのはほとんど存在しない。
今後、K-Pop人気がインドの音楽シーンにどのような影響を及ぼすのか、非常に興味深いところである。

一方で、クールでダンス色の強いK-Popとは対照的な「カワイイ」の一点突破型の日本式アイドルであるAKBグループのひとつとして、ムンバイを拠点にしたMUM48の結成が2017年末に発表されたが、その後とんと音沙汰がなく、こちらもどうなっているのか、少々気になるところではある。
いくら秋元康とはいえ、なんのコネクションもないインドでゼロからグループを作り上げるというのは大変困難なことだと思うが、やはり頓挫してしまったのだろうか。

個人的な意見だが、一般的にアイドルに代表される日本の大衆音楽は、ある種の未成熟な部分を愛でたり、ファンの共感の拠り所とする特徴があるように思う。
この特徴を持ち続けている限り、「成熟した/完成された音楽」を良しとする文化圏では、大々的に受け入れられることは難しいのではないか。
60年代にアメリカで「上を向いて歩こう」が1位になった理由は、楽曲の良さに加えて坂本九が極めて高い歌唱力を持っていたからだろう。
インドに日本式カワイイ的ポップカルチャーが本格的に根付くかどうかは、まだまだ未知数だ。
とはいえ、大衆的な人気とまでは行かなくても、世界中に非常にコアなファンを得ているのも日本のカルチャーの特徴だ。
これまで紹介してきたように、KomorebiやKrakenといったインディーアーティストは日本文化からの強い影響を打ち出しており、またSanjeeta Bhattacharyaのように日本語の歌詞を導入しているシンガーソングライターもいる。
(参考:「日本文化に影響を受けたインド人アーティスト、エレクトロニカ編! Komorebi, Hybrid Protokol」「日本の文化に影響を受けたインド人アーティスト! ロックバンド編 Kraken」「バークリー出身の才媛が日本語で歌うオーガニックソウル! Sanjeeta Bhattacharya」

韓国や日本のポップカルチャーやサブカルチャーが、今後インドでどう受け入れられてゆくのか、注目して見守ってゆきたい。



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2019年05月04日

インドのインディーズシーンの歴史その13 ケーララから登場!カルナーティック・メタルバンド、Motherjane!

インドのインディー音楽シーンの歴史的名曲を辿ってゆくこの企画、13回めの今回は、ケーララ州出身のロック/ヘヴィーメタルバンドMotherjaneを紹介します。
VH1INDIAによるインドのインディー100曲
これまで、この企画で紹介して来たアーティストは、在外インド人アーティストが6組、ムンバイを拠点とするアーティストが5組。
残りの1組はデリー出身なので、ここで初めて南インド出身のバンドが登場して来たことになる。

以前紹介した通り、ここケーララ州はインドのなかでもロックが盛んな土地。
「ケーララ州のロックシーン特集!」
伝統的に州政府が教育に力を入れてきたケーララ州は、インドの中でも高い識字率、インターネット普及率を誇る。
また、伝統的に海外への出稼ぎ労働者も多い地域であるため、欧米文化へのアクセスが他州に比べて容易な環境でもあった。
こうした背景が、州の規模に不釣り合いなロック普及の要因となったようだ。
インド北東部の諸州と同様にキリスト教文化が根付いていることも、欧米文化との親和性の高さの一因と言えるかもしれない。
(ただし、北東部は20世紀に入ってから布教されたプロテスタントの信者が多いのに対して、ケーララ州は早くも1世紀には聖トマスによってキリスト教が伝来したと伝えられており、また大航海時代にポルトガルの貿易拠点であった歴史もあることから、カトリックの信者が多い)

今回紹介するのは、1996年結成のMotherjaneが2007年に発表した楽曲"Broken".

インドロック界の名ギタリストと称されるBaiju Dharmajanによる古典音楽由来のフレーズが全編に散りばめられた楽曲だ。Motherjaneは南インドの伝統音楽とロックの融合に関しても先駆的なバンドである。

ケーララ州の都市コチで結成されたMotherjaneは、カレッジでのフェスティバルなどで演奏活動を開始した。
1999年にBaijuが加入すると、バンドは活躍の場を広げてゆき、2002年にデビューアルバムの"Insane Biography"を発表する。
このアルバムに収録された"Soul Corporations"という楽曲は、日本のヘヴィーメタル評論家の和田“キャプテン”誠が監修した「劇的メタル」というコンピレーションにも収録されており、さらに2003年にはAsian Rock Rising Festivalというイベントでなんと来日公演も実現している。
今回彼らのことを調べてみるまで、昨年来日したデスメタルバンドのGutslit以前に来日公演を行ったインドのメタルバンドがいたとは全く知らなかった。

そのコンピレーション盤に収録されていた、おそらくは日本に紹介された最初のインドのヘヴィーメタルということになる、"Soul Corporations".

この楽曲ではカルナーティック的な要素はギターソロに少し見られるくらいで、QueensrycheやDream Theaterの影響が感じられるプログレッシブ・メタル的な曲調だ。

彼らがカルナーティック音楽の要素を大きく取り入れたのは2008年にリリースされたセカンドアルバム"Maktub"から。
このアルバムではBaijuの独特のカルナーティック的ギターフレーズとともに、ケーララ州の伝統的な太鼓であるチェンダを取り入れるなどローカル色を全面的に打ち出し、彼らの個性を開花させた作品となった。

"Maktub"収録の"Mindstreet"では、正統派プログレッシブ・メタル的な音楽性を維持しながら随所にカルナーティック的な旋律が散りばめられている。
このアルバム発表後、彼らはインドを代表するメタルバンドとして、MegadethやMachine Head, Opethといった海外のバンドのインドでの公演のオープニング・アクトを務めるなど、さらに活躍の場を広げることになった。

その後、2010年にBaijuは自身のバンドWrenz Unitedを結成するためにバンドを脱退したが、その後も本家Motherjaneともども活躍を続けている。

Wrenz Unitedが5拍子のカルナーティック的フレーズが入ったリフを導入したKing and Pawn.

2:28からのギターソロも、他のギタリストでは思いつかないようなフレーズが飛び出してくる。

Baijuが以前紹介した北東部シッキム州のハードロック・ヴォーカリストGirish Pradhanと共演したGuns and Rosesの"Sweet Child of Mine"のカルナーティック風カバー。

インド南北の実力派ヴォーカリスト/ギタリストによる素晴らしいコラボレーションだ。

本家Motherjaneが昨年リリースした楽曲"Namaste"のビデオは二人組ダンサーUllas and Bhoomiをフィーチャーしたもの。

すっかりオーセンティックなハードロックに回帰しており、彼らが持っていたカルナーティックの要素はBaijuによってもたらされたものだったことが分かる。

2000年代、インドのインディーミュージックシーンは北部の大都市のみならず、全土に広がってゆく。
次回のこの企画で紹介するThermal and a Quarterは南部カルナータカ州のバンガロール出身。
お楽しみに!


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