2019年03月

2019年03月27日

ヒンドゥー・ナショナリズムとインドの音楽シーン

先日、映画「バジュランギおじさんと小さな迷子」の話題と絡めてヒンドゥー・ナショナリズムの話を書いた。(「バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(前編)」
ヒンドゥー・ナショナリズムは、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想で、この思想のもとに教育や貧困支援などの慈善活動が行われている反面、ヒンドゥーの伝統に反するもの(例えば外来の宗教であるイスラームやキリスト教)をときに暴力的に排除しようとする側面があるとして問題視されている。
こうした運動は現代インドで無視できないほどの力を持っており、よく言われる例では現在の政権与党であるモディ首相の所属するBJP(インド人民党)は、ヒンドゥー・ナショナリズム団体RSS(民族義勇団)を母体とする政党だったりもする。

このブログで紹介しているようなロックやヒップホップ、エレクトロニックなどの音楽シーンでは、これらのジャンルがもともと自由や反権威を志向するものだということもあって、一般的にこうしたヒンドゥー至上主義的な動きに反対する傾向が強い。
その最もラディカルな例が以前紹介したデリーのレゲエバンドSka VengersのDelhi SultanateことTaru DalmiaのユニットBFR Soundsystemだろう。
彼はジャマイカン・ミュージックを闘争のための音楽と位置づけ、レゲエ未開の地インドでサウンドシステムを通してヒンドゥー・ナショナリズムや抑圧的な体制からの自由を訴えるという、なかばドン・キホーテ的な活動を繰り広げている。

Ska Vengersの痛烈なモディ批判ソング"Modi, A Message for you".
Taruはこの曲を発表したことで殺害予告を受けたこともあるそうだが、命の危険を冒してまで、彼らは音楽を通してメッセージを発信しているのだ。

ヒンドゥー・ナショナリズムについては、地域や所属するコミュニティーや個人の考え方によって、まったく捉えられ方が異なる。
たとえばムンバイのような先進的な大都市に暮らす人に話を聞くと、度を越したナショナリズム的な傾向があるのはごく一部であって、ほとんどの人は全くそんなこと考えずに生活しているよ、なんて言われたりもする。
(ムンバイはムンバイで、シヴ・セーナーという地域ナショナリズム政党が強い土地柄であるにもかかわらず、だ)
こんなふうに聞くと、なーんだ、ヒンドゥー・ナショナリズムなんて言っても、実際は一部の偏屈な連中が騒いでいるだけなんじゃないの?と言いたくなってしまうが、地方では、ナショナリズム的な傾向と伝統的な価値観が合わさって、なかなかに厳しい状況のようなのだ。

昨年8月に書かれたインドのカルチャー系ウェブサイトHomegrownの記事では、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の街ジャーンシーの信じられない状況が報告されている。
Homegrown "Communal ‘Hate Songs’ Top The Playlists Of DJs In Jhansi"
さらにそのもとになった記事は、ThePrint "The Hindu & Muslim DJs behind India’s hate soundtrack"

この街では、なんとDJたちがヒンドゥー至上主義や反ムスリム、反リベラル的なリリックの楽曲を作り、大勢の人々が繰り出すラーマ神やガネーシャ神の祭礼の際に大音量でプレイして、住民たちが大盛り上がりで踊っているという。
「シヴァ神がカイラーシュ山からメッセージを送り、サフラン色(ヒンドゥー至上主義を象徴する色)の旗がパキスタンにもはためく」とか「インドに暮らしたければ"Jai Sri Ram"を唱えろ」とか「アヨーディヤーのバブリー・マスジッドを破壊した跡地にラーマ寺院を建てよう」なんていう狂信的で偏見に満ちた曲が流されているというのだ。
"Jai Sri Ram"というヒンドゥーの祈りの言葉は、映画「バジュランギおじさん」では印パ/ヒンドゥーとムスリムの相互理解の象徴として使われていたことを覚えている人も多いだろう。
その言葉が、ここではムスリムに対する踏み絵のような使われ方をしている。
アヨーディヤーというのはイスラーム教の歴史あるモスク、バブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒が破壊するという事件が起きた街の名前だ。
この事件は現代インドの宗教対立の大きな火種となっており、このリリックはムスリムに対する明白な挑発だ。(Ska vengersを紹介した記事でも少し触れている)

なんだか悲しい話だが、この問題を扱ったこの短いドキュメンタリー映像(6分弱)を見る限り、こうしたヘイト的な曲に合わせてダンスする人々の様子は、憎しみに燃えているというよりもむしろ無邪気に楽しんでいるようで、それがまた余計にやりきれない気持ちにさせられる。

これらのヘイトソングを作成しているDJ達(記事やビデオではDJと呼ばれているが、いわゆるトラックメイカーのことようだ)は、インタビューで「個人的にはムスリムのことを憎んではいない。でも求められた曲を作ることが俺たちの仕事で、こういう曲のほうが金になるんだ」と語っている。
彼らにこういう楽曲を発注して、行き過ぎたナショナリズムを煽動している黒幕がいるのだ。
DJたちもさすがに「モスクの前なんかでこういう曲をプレイするのは問題だね」という意識はあるようだが、保守的な田舎町で音楽で生計を立ててゆくために、てっとり早く金になるヘイト的な楽曲を作ることへのためらいは見られない。

偏見に満ちた思想が音楽を愛するアーティスト自身の主張ではないということに少しだけ救われるが、宗教的な祭礼において、祝福や神への献身よりもヘイトのほうに需要があるというのは、部外者ながらどう考えてもおかしいと感じざるを得ない。

このジャーンシー、私も20年ほど前に、バスの乗り継ぎのために降り立ったことがあるが、そのときはのどかでごく普通の小さな地方都市という以上の印象は感じなかった。
ところが、記事によるとこの地域はリンチや暴動、カーストやコミュニティーの違いによる暴力沙汰などが頻発しているとのことで、インドの保守的なエリアの暗部がさまざまな形で噴出しているようなのである。
地域や貧富による多様性と格差がすさまじいインドでは、ムンバイのような大都市の常識が地方ではまったく通じない。
インドの田舎には古き良き暮らしや伝統が残っている反面、旧弊な偏見が残り、コミュニティー同士が時代の変化のなかで対立を激化させているという部分もあるのだ。

上記のThe Printの記事によると、実際にウエストベンガル州やビハール州では、こうしたヘイトソングがモスクの近くでプレイされたことをきっかけとする衝突が発生しているという。
ふだんこのブログで紹介している都市部の開かれた音楽カルチャーと比較すると、とても信じられない話だが、残念ながらこれもまたインドの音楽シーンの一側面ということになるのだろう。

こうした排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの音楽シーンへの影響は、じつは地方都市だけに限ったことではない。
マハーラーシュトラ州のプネーは多くの大学が集まる学園都市で、多数の有名外国人アーティストがライブを行うなど文化的に開かれた印象の土地だが、2018年にはヒンドゥー・ナショナリストたちがここで行われたSunburn Festival(以前紹介したアジア最大のエレクトロニック系音楽フェスだ)をテロの標的としたという疑いで逮捕されている。
(The New Indian Express "Suspected right-wing activists wanted to target Sunburn Festival in Pune: ATS"
この件で逮捕されたヒンドゥー右翼団体'Sanatan Sanstha'のメンバー5人は、ヒンドゥー教の伝統に反するという理由で、EDM系のフェスティバルであるSunburn Festivalや、大ヒット映画"Padmaavat"の上映館に爆発物を仕掛けることを計画していたという。


2018年のSunburn Festivalの様子


"Padmaavat"予告編。主演は"Gully Boy"のRanveer Singhで、彼の奥さんDeepika Padukoneも出演し、大ヒットを記録した映画だ。
こうして並べてみると、もう何がヒンドゥー至上主義者の逆鱗に触れるのか、全くもって分からなくなってくる。

"Padmaavat"に関して言うと、歴史映画のなかでのキャラクターや宗教の描き方についてヒンドゥー、イスラームそれぞれの宗教団体から抗議を受け、撮影の妨害なども行われていたということのようだ。
こうしたタイプの映画への反対運動は頻繁に行われていて、州によっては特定の映画の上映が禁止されてしまうといったことも起きている。

Sunburn Festivalに関しては言わずもがなで、享楽的なEDMに合わせて踊る人々は伝統を重んじるヒンドゥー至上主義者たちにとっては堕落以外の何ものでもないと映るのだろう。
資本主義・物質主義的な価値観の急速な浸透(インドは90年代初めごろまで社会主義的な経済政策をとっていた)に対する反発は、ヒンドゥー・ナショナリズム隆盛の原因のひとつだが、その矛先はこうして新しいタイプの音楽の流行にも向けられるようになった。

今更こんなことを大上段に構えて言うのもなんだが、音楽や芸術は人間の精神の自由を象徴するものだ。
音楽に合わせて肉体と精神を解放して生を祝福するという行為は、有史以前から人類が行ってきたことのはずなのに、自らの価値観に合わないからという理由でそれを(ときに暴力的に)潰そうとする人々がいる。
音楽が好きな人なら、「特定の価値観を持つ人たちが、音楽表現の場を、音楽を楽しむ場を、奪うなんてことがあってはならない」ということに同意してくれるだろう。

だが、我々もインドの過激な伝統主義者たちのニュースを人ごとだとは言っていられない。
ここ日本でも、アーティストの表現をサポートすべきレコード会社が、特定のアーティストが「容疑者」となったことで、彼が関わった作品の配信を停止したり、CDを店頭から回収したりなんていう馬鹿馬鹿しいことがあったばかりだ。
脅迫に屈したわけでもないのに、事なかれ主義の自粛こそが正義だと考え、とても音楽文化を扱う企業とは思えないような判断をしているということに、開いた口がふさがらない。
坂本龍一が言うとおり、いったい誰のための、何のための自粛なんだろうか。
しかも、同じ会社がオーバードーズで死んだジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、明らかにドラッグの影響を受けている(コカイン所持で逮捕されたこともある)ジョージ・クリントンの作品は平気で扱っているというから開いた口がふさがらない。
自粛したければ、個々のリスナーが聴かないことを選べば良いだけだ。


話が大幅に逸れたけど、いろいろと考えせられるインドと、そして日本の状況について書かせてもらいました。
それぞれが、それぞれの好きな音楽を楽しむ。そんな当たり前のことができる世の中が日本に無いっていうのが情けないね。
インドじゃ命懸けで表現に向き合っているアーティストもいるというのに。

A-ZA-DI!! (Freedom)
それではまた。

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2019年03月20日

今年のホーリー系フェスとホーリーソング他 インド春のフェス事情

今年もホーリー(Holi)の季節がやってきた。今年のホーリーは明日3月21日。

ホーリーとは、春の訪れを祝うインドの伝統行事で、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の伝説に基づいて紀元前から行われていたと言われている。(興味のある方は各自調べてください)
正確には今日20日の日没後から焚き火を囲んでの歌や祈りの儀式が始まるのだが、有名なのはなんといっても2日目に行われる、色のついた粉や水をぶっかけあうという風習だ。
この日だけは身分もカーストも気にせず、色粉や色水をぶっかけてよいということになっており、いつも以上に無秩序かつ無礼講な、無茶苦茶なお祭りなわけである。

とくにホーリーが賑わう街として知られているヴリンダーヴァン(Vrindavan)のホーリーの様子はたとえばこんな感じだ。
 
車の中に色水を思いっきりぶっかけたりしていたけど、大丈夫なんだろうか。
それにしてもさすが本場の無礼講、誰一人本気で怒る人などおらず(カメラに映っていないところではいるのかもしれないが)、笑顔で楽しんでいるのはさすがだ。
このホーリー、伝統行事とはいえ、旅行者にはハードすぎるのもまた事実。
あまりの混沌、アナーキーっぷりに、あらゆるガイドブックで旅行者に厳重な注意が呼びかけられているという、じつに過激なお祭りなのだ。

例えば「オマツリジャパン」というウェブサイトには、こんなふうに書かれている。
ホーリー祭は楽しいだけのお祭りではありません。それは本当に危険と隣り合わせですので、十分に注意してください。
一人で参加しない!圧倒的に事故・犯罪に巻き込まれる危険が高くなります。
女性はできるだけ参加しない!(痴漢、セクハラ、性暴力など悲しい事件が実際に起きています。インド人女性は絶対に大騒ぎの時間には参加しないので、もともと男性の祭りだと理解してください)
スリや犯罪に注意。貴重品は絶対に持ち歩かない。
泥酔者に注意。(普段お酒を飲まないヒンドゥー教徒が、年に一度お酒を飲む日です。当然、現地の男性は全員が酔っぱらっていると考えてください)。
捨ててもよい服で行く(色がついたら二度と取れません)。
サングラスやゴーグルで目を守る。
危険な時間帯、場所はホテルに避難。遅い時間はもちろん、参加者のテンションが上がった二日目の午後も危険です。
(「過激さ世界一!インド ホーリー祭に参加するには!?2019年は3月20日・21日!行き方や注意点を解説!」https://omatsurijapan.com/blog/holi-festival-india/

もはや普通に楽しめるのかどうかすらも分からないほどの厳重注意っぷり。
コレ、もはや怖いもの見たさか罰ゲームの領域なんじゃないだろうか。
私はインドには何度か行ったことがあるものの、幸いというかホーリーの経験はないので何とも言えないのだけど、ネットで検索すると参加した人のブログも結構ヒットするので、興味のある方は読んでみるといいかもしれない。

昨年も紹介したとおり、近年では大都市を中心に、音楽フェスとホーリーを融合したイベントもたくさん開催されていて、大いに盛り上がっている。
(昨年の記事「音楽フェス化するホーリー」

例えばニューデリーではHoli Moo, Unite Holi Music Festivalといったイベントがホーリーの日に合わせて開催されている。
holi moo lineup 2019

Holi Mooは4つのステージで100以上のアーティストが登場。
伝統音楽からEDM、レゲエ、ヒップホップまで、あらゆるジャンルが揃っている。

UniteHoli2019
Unite HoliにはEDM系のDJが出演。
その模様はこんな感じだ。
もはや伝統的なお祭りの面影はなく、パリピ感満載のイベントに。

インドのテクノ/EDM系オーガナイザーのSunburnが主催するムンバイのHoli Bashにはあの"Taki Taki"のDJ Snakeが登場!
HoliBashDJSnake

同じくムンバイのWeb Of Colorsではヒップホップ映画"Gully Boy"にもカメオ出演したアンダーグラウンド・ヒップホップシーンで人気のラッパーEmiway Bantaiと、世界的に活躍するEDMアーティストのZaedenが出演。
Web-Of-Colors

他にもHoli Reloadedとか、RangRaveとか、EDM系のホーリーフェスはデリーやムンバイなどの大都市でたくさん開かれている。

バンガロールのMaa Holiではインドのストリートヒップホップの英雄Divineが登場。
地元ムンバイじゃなくてバンガロールに出るのか。
maaholi

ホーリーって楽しそうだけど、フツーの道端で色粉、色水をぶっかけあうノリについていけるかなあ、という向きには、ダンスミュージックがガンガンにかかっているこういうホーリー系フェスに参加してみてはいかがでしょう?
音楽で盛り上がりながら色粉をぶっかけ合えば、あなたもきっと普段の自分から解放されて新しい自分にであえるはず。
そこまでしてホーリーを楽しまなくても別にいいやって人も多いかもしれないが(私もだ)、こんなふうに伝統行事にどんどん新しい要素を入れて楽しんでしまうのも、じつにインドらしい傾向だと言える。

ホーリーにあわせて音楽シーンこれだけ盛り上がっているということは、当然ホーリーをテーマにした曲もたくさんリリースされている。
インドのヒップホップシーン黎明期から活躍するKRSNAと、ニューデリー出身のパンジャビ系シンガーDeep Kalsiが昨年のホーリーシーズンにリリースした曲は、その名も"Hip Hop Holi"


こちらはShobi Sarwan Ft. PKという人たちによるトラップっぽいリズムのホーリーソング。


このRapper Nanyoo x Yz SDという人たちはどうやらチャッティースガル州の小さな街ライガール(Raigarh)のラッパーのようだが、強烈なバングラのリズムに乗せてラップ! 

全くもって垢抜けないが、それだけにインドの田舎町の若者の雰囲気がびんびん伝わってくる。

こちらはボリウッド映画のホーリーソング。
去年公開された"Genius"という映画の挿入歌。
たまたま目についたものをいくつか紹介したが、Youtube等ではホーリー向けのパーティーミックスなどがたくさんアップされているので、日本でホーリーをお祝いしたい人もチェックしてみてほしい。

ちなみにホーリー系フェスは(去年も書いたけど)インドのみならずイギリス、ドイツ、アメリカ、オーストラリアなど多くの国でも開催されている。
外国のこうしたフェスティバルは暦の上のホーリーとは関係なく開催されることも多く、例えば昨年ベルリンで行われたこの"Holi Festival of Colors"は8月24日に開催されたようだ。
 
ご覧のようにインド系の人々ではなく、ほぼ地元のパリピのみなさんで盛り上がっている様子。
日本だと、まあ場所貸してくれるところがなかなかないだろうなあ。

インドで春に行われる音楽フェスティヴァルはホーリー関連のものだけではない。
3月9〜10日にかけてムンバイ郊外のMaladの農場で行われたControl ALT Delete(CAD)は、商業主義を排してクラウドファンディングで集めた資金のみで開催されるフェスで、今年で8年めの開催となる。
ControlALTdelete
入場チケットの代金も、定価ではなく払いたいだけ払えば良いという非常に画期的なこのイベントは、出演者もジャンルを問わず先鋭的かつ純粋な音楽表現を追求しているアーティストが集まっている。
今年の出演者は、これまでこのブログで紹介した中では、北東部の女性R&BシンガーMeba Ofilia, シンガーソングライターのRaghav Meattle, Aditi Ramesh率いるLadies Compartment, ラップユニットのSwadesi, 来日経験もあるデスメタルバンドのGutslitら。

地元ムンバイのエレクトロニックデュオFlex Machinaのステージの様子はこんな感じだ。

こちらはホーリー系の大規模フェスと比べるとぐっと手作り感溢れる感じ。
とはいえこれだけ多くのアーティストを集めながら(テントを張ってキャンプして参加したアーティストもいるらしい)、とことんまでインディペンデントにこだわった姿勢は素晴らしい。
今年はクラウドファンディングで目標額の50万ルピーを大きく上回る65万ルピーを集めることに成功し、近所からの騒音のクレームもあったようだが、無事2日間の日程を終えたということのようだ。

というわけで、今回はコマーシャルからアーティスティックまで盛りだくさんのインド春のフェス事情を紹介しました!
それではまた!




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2019年03月17日

コルカタに凄腕ブルースマンがいた!Arinjoy Trio インド・ブルース事情

90年代に初めてインドを訪れたとき、インド社会の格差や不平等、そして人々のバイタリティーと口の達者さに触れて、インド人がラップを始めたらすごいことになるだろうなあ、と思ったものだった。
あれから20年余り、ようやくインドにもヒップホップが根付いてきて、すごいことになりつつある、というのは今まで何度も書いた通り

あの頃のインドで、「インド人が本気でやりはじめたらすごいことになるんじゃないか」と思ったジャンルがもう一つある。
それはブルースだ。

ブルースは アメリカの黒人の労働歌にルーツを持つ音楽で、その名の通りブルー(憂鬱)な感情をプリミティブかつ強烈に表現してロックなどその後の音楽に大きな影響を与えた。
というのがブルースの一般的な解説になるのだが、 実際のブルースは憂鬱といってもじめじめした暗い音楽ではなく、救いのない日々のやるせなさも恋人と別れたさみしさも痛烈に笑い飛ばしてしまうような豪快な音楽でもある。
ブルースは「辛すぎると泣けるのを通り越して笑えてくるぜ」という悲しくも開き直った感覚と、「俺は精力絶倫だぜ」みたいな下世話さが渾然一体となった音楽なのだ。 
レコードとしてブルースが広く流通し始めた1950年代、Muddy Warters, Howlin' Wolf, Buddy Guy, B.B.King, Lightnin' Hopkins, John Lee Hookerら、幾多の伝説的ブルースマンが登場すると、彼らは人種の枠を越えてやがて白人ロックミュージシャンたちにも大きな影響を与えた。

何が言いたいかというと、インドの下町で出会った庶民たち、例えば人力車夫や道端で働く人夫たちから、そうしたいにしえのブルースマン達に通じる、力強さとあきらめが同居した、シブくて強くて明るくて、でもその根底にはやるせない憂鬱があるんだぜ、みたいな印象を受けたということなのである。 
この人たちにギターを教えてブルースをやらせたら凄いことになるだろうなあ、なんて感じたものだった。

さてその後、インドの労働者の中からとんでもないブルースミュージシャンが登場したかというと、そんなことはなかった。
そりゃそうだ。
だいたい、ブルースは1950年代くらいまでのアメリカの黒人の文化的・社会的なバックグラウンドと音楽的な流行から発生した音楽なわけで、それを全く状況が異なる現代のインドに求めてもしょうがない。
そもそもアメリカの黒人からして、今ではヒップホップに流行が移ってしまったし、遠く離れたインドで、それもアメリカの音楽なんて知るはずもない労働者階級がブルースをやるわけがないのだ。

いつもながら大変に前置きが長くて申し訳ない。
では、これだけ音楽の趣味が多様化した現代インドで、誰もブルースを聴いていないのだろうか。そして、誰もブルースを演奏していないのだろうか。

と思ったら、いた。
それもかなりの腕前のミュージシャンが。
コルカタを拠点に活動する彼の名前はArinjoy Sarkar.
まずはさっそく、彼が率いるArinjoy Trioが先ごろリリースしたセルフタイトルのデビューアルバムから"Cold, Cold, Cold"という曲を聴いてみてほしい。

言われなければとてもインドのバンドだとは思えない本格的なブルース!
タメの効いたギターのフレージングも、決して上手いわけではないがツボを押さえた歌い回しも、ブルースファンなら「分かってるなあ〜」と膝を打ちたくなるのではないだろうか。

弾き語りスタイルの"Don't You Leave Me Behind"


ブルース一辺倒というわけじゃなくて、レニー・クラヴィッツみたいなロックの曲も。
"Who You Are"

2:28あたりからの急にPink Floydみたいになる展開もカッコイイ!

Bo DiddleyのビートにJeff Beckのトーンのインスト"Beyond The Lines"

こうして聴くと、けっこう引き出しの多い器用なバンドだということが分かる。
Arinjoyが影響を受けたミュージシャンとして名前を挙げているのは、Stevie Ray Vaughan, Buddy Guy, Albert Collins, Larry Carltonとのことで、かなりいろいろなタイプのブルースを聴きこんできたようだ。

コルカタのBlooperhouse Studioでレコーディングしたこのアルバムは、Coldplayのクリス・マーティンやJohn Legendとの仕事で知られるSara Carterがマスタリングを行ってリリースされた。
フロントマンのArinjoy Sarkarは、以前はJack Rabbitという地元言語のベンガリ語で歌うバンドのギタリストだったという。


Arinjoy Trioは2018年にムンバイで行われたMahindra Blues Festivalでのバンド・コンテストで優勝したことで一気に注目を集めた。
このMahindra Blies Festival、じつはアジア最大のブルースフェスティバルとして知られており、これまBuddy Guy, John Lee Hooker, Jimmy Vaughan, Keb Mo, John Mayallといったアメリカやイギリスの大御所ブルースミュージシャンが出演してきた。
2018年のフェスの様子はこんな感じ。


Buddy Guyらが出演した2015年のフェスのトリを飾ったパフォーマンスの様子がこちら。
 
さすがにこれまで紹介してきたEDM系やロック系の大規模フェスに比べれば落ち着いたものだが、それでもこれだけのオーディエンスを集めることのできるブルース系のフェスティバルは東京でもなかなかできないだろう。
少なくともインドの大都市では、ブルースのリスナーに関してはそれなりにたくさんいるようだ。

では演奏者のほうはどうかというと、Arinjoy Trioのようなコテコテのブルースバンドは数少ないようだが、ブルースロックに関しては優れたバンドがけっこういるので紹介してみたい。

今年のMahindra Blues Festivalのバンドコンテストで優勝したのは、以前Ziro Festivalの記事2018年インド北東部ベストミュージックビデオ18選でも取り上げたメガラヤ州シロンのBlue Temptation.


同じく「インドのロックの首都」シロンから2003年結成の女性ヴォーカルのベテランバンド、Soulmate.


さらにシロンのバンドが続くが、2009年結成のBig Bang Bluesも渋い。

彼らはブルースベースのハードロックバンドSkyEyesとしても活動をしている。

ムンバイのジェフ・ベックのようなスタイルのギタープレイヤーのWarren Mendosa率いるBlackstratbluesは、インストゥルメンタルながらRolling Stone Indiaが選ぶ2017年ベストアルバムの2位に選出された実力派。


同じくムンバイから、心理学者でもあり、ガンを克服した経験も持つソウルフルな女性ヴォーカリストのKanchan Daniel率いるKanchan Daniel and the Beards.


以前も紹介したジャールカンド州ラーンチーのThe Mellow Turtleはブルースの影響を受けつつもヒップホップなどの要素も取り入れた面白い音楽性。
この曲も同郷の盟友であるラッパーのTre Essとの共演。


と、なにやらほとんどシロンとムンバイのバンドになってしまったが、ざっとインドで活躍するブルースロック系のアーティストを紹介してみた。
こうして聴いてみると、インドのブルースといっても、当初私が期待していたような、「抑圧された境遇から否応なくあふれ出る魂の発露」みたいなものではなく、世界中の他の国々同様、ブルースにあこがれて演奏する中産階級のバンドが多いようだ。
そりゃインドじゃ楽器を買おうにも本当に貧しい層にはなかなか手も届かないだろうし、当然といえば当然なのだけど。
やはりインドでも、「抑圧された人々」の表現は、これからもヒップホップでされてゆくことになるのだろう。

でもなあ。
あれだけの人口がいて、文化の多様性のあるインド。 
アメリカの黒人のブルースとは違っても、どこかにブルースみたいに俗っぽくて憂鬱で楽しい音楽があるような気がするのだけど。
これからも探してみることにします。

それでは今日はこのへんで。
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2019年03月15日

インドのインディーズシーンの歴史その11 極上のフュージョン・アンビエント Karsh Kale

インドのインディーズシーンの歴史を彩った名曲をひたすら紹介するこの企画
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回はとりあげるのはまた在外インド人アーティストによる作品で、Karsh Kaleが2001年に発表した'Anja'.

Karsh Kaleはイギリス出身のインド系タブラプレイヤー/エレクトロニカアーティストで、現在は米国籍を取得している。
彼自身はマラーティー系(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州がルーツ)だが、この曲のヴォーカルはどうやらテルグ語(南部アーンドラ・プラデーシュ州の言語)らしく、テルグの民族音楽とのフュージョン(もしくはテルグ系シンガーのコラボレーション)ということのようだ。

Karsh Kaleは以前紹介したTalvin Singh同様、 90年代にイギリスを中心に勃興した「エイジアン・アンダーグラウンド」のシーンで頭角を現した。
このエイジアン・アンダーグラウンドはクラブミュージック(電子音楽)と南アジア(インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ)の伝統音楽を融合したもので、当時、伝統音楽のルーツを持つ多くの移民アーティストが活躍していた。

Talvin Singhがよりドラムンベース的なアプローチだったのに対して、Karsh Kaleはどちらかというとアンビエントっぽい音楽性が特徴。
当時、こういうインド音楽とアンビエントを融合したサウンドは、Buddha Barとかのチルアウト/エスニック系のコンピレーション盤で重宝されていた記憶がある。

タブラ奏者には他ジャンルとの共演で名を上げたプレイヤーがとても多くて、タブラ界の最高峰Zakir HussainはGrateful DeadのドラマーMicky HartらとのDiga Rhythm Bandやジャズ・ギタリストJohn MclaughlinとのShaktiをやっているし、Trilok Gurtuもジャズ系のミュージシャンと共演して多くの作品を残している。
Bill Laswellによるタブラと電子音楽の融合プロジェクトであるTabla Beat Scienceにはここに名前を挙げたタブラプレイヤー全員が参加している。

Karsh Kaleの他の曲も紹介する。'Milan'

アンビエントから始まってストリングスも入って盛り上がる構成は映画音楽的でもあるが、Karshは実際に映画音楽のプロデュースなども手がけている。

先日公開になったGully Boyのサウンドトラックから、"Train Song".

デリー出身の国産エレクトロニカ・アーティストの先駆けMidival Punditzとの共作で、ヴォーカルは人気シンガーのRaghu Dixit.

次回のこの企画で紹介するシタール奏者のAnoushka ShankarとあのStingが共演した楽曲もある。

結果的に非常にイギリス的というか、ロンドン的な空気感のサウンドとなったと感じるが、いかがだろうか。

Karsh Kaleのサウンドを聴いていると、まるくて抜けのよいタブラの音色の心地よさが、音の気持ちよさを追求するアンビエント/エレクトロニカ的な音像に見事にはまっていることが分かる。
00年代初期の時代性を感じるサウンドではあるが、音楽としての質の高さ、心地良さは今聞いてもまったく色褪せていない。

現代では、インド本国にもアンビエント/エレクトロニカ系の優れたアーティストが非常にたくさんいるが、インド音楽と電子音楽の「音の心地良さ」を追究する姿勢には本質的な共通点があるのかもしれない。
いずれにしても、今回紹介したKarsh Kaleは、インド系アンビエントミュージックのさきがけ的な存在と言うことができるのではないかな。

それでは、また!

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2019年03月11日

3.11 あれから8年、忘れたくない遠い国からの支援

今日で2011.3.11東日本大震災からちょうど8年。
亡くなった方への追悼、次の災害への備え、原子力政策の今後など、思うべきことはたくさんある。

もう一つ忘れたくないのは、8年前に多くの国が日本のためにたくさんの有形・無形の支援をしてくれたということ。
多くの国の方が、支援物資や祈りを届けてくれたことを忘れないでいたい。
そして、同じような優しさを、自分もまた遠い国の人や、すぐ近くの人にも届けられるような人間でありたい。
そう思う人は多いのではないでしょうか。

このブログで扱っているインドや南アジアの国々も、あのときたくさんの支援をしてくれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災に対するアジア諸国の対応#南アジア

また日本に住むパキスタンなど南アジアの国々のムスリムが、震災の直後からカレーの炊き出しという形で被災地を元気づけてくれたことを覚えている人も多いだろう。

今回は、日本であまり知られていないナガランドの国々からの支援を紹介したい。
このブログでも紹介した、ナガランドでの日本文化(アニメやコスプレ)ブーム。
「特集ナガランドその3 ナガの地で花開く日本文化 ナガランドのオタク・カルチャー事情とは?」
ナガランドで日本文化がポピュラーになったきっかけの一つが、東日本大震災のときに、日本の支援のためにナガランドのミュージシャンたちがチャリティーコンサートを開いたことだという。

当時の現地の報道によると、以下のようにたくさんのミュージシャンが無償で追悼・支援のためのパフォーマンスをしてくれたとある。

Methaneilie, OFF, Divine Connection, XTC, Dementia, De band, Ebenezer Band, Chakhesang Church Choir, NBCC male Choir, children from Ao Baptist Church, Rengma male voices, Menei Chale, NSACS brand Ambassador 2010, Toshinaro, Naga Idol 2008, Topeni Naga Idol 2009, Menguse-u, Shursoseilie, Alobo, Dr Nicky Kire 他多数。

このブログでも紹介したナガを代表するアーティストAlobo Naga(当時はまだメジャーじゃなかったのか、ずいぶん最後のほうに書かれている)や、映画『あまねき旋律』の舞台となったペク地方に暮らすチャケサン族の聖歌隊の名前もある。

せっかくだから参加してくれたバンドたちをいくつか紹介します。

エイリアンが歌い踊るビデオも謎だが、もっと驚いたのが「Head Hunter Entertainment」(首刈り族エンターテインメント!)というプロダクションの名前!がいかにもナガランドらしい。

クリスチャン・ロックバンドのDivine Connection.



そしてナガの大スター、Alobo Naga.



ANTB(Alobo Naga and The Band)名義のCome Back Homeでは豪邸のいたるところに飾られた鹿の頭に注目。
ナガではかつて首刈り族だった名残からか、動物の頭部を飾る風習は今でも盛んらしい。

今回はたまたまこのブログで取り上げたことのあるナガランドの当時の支援について紹介したが、あの時、きっと同じように世界中の様々な地域の人々が優しさを寄せてくれたはず。
感謝の思いもまた新たに今日の日を過ごしましょう。
いつかその優しさを返せるように。

それではまた!


参考サイト:
https://www.thehindu.com/society/history-and-culture/nagalands-japanese-subculture/article24481651.ece
http://kanglaonline.com/2011/03/kohima-concert-for-japan-earthquake-tsunami-victims/
 
 

2019年03月09日

"Gully Boy"と『あまねき旋律』をつなぐヒップホップ・アーティストたち 

ムンバイのストリート・ヒップホップシーンを描いたRanveer Singh主演の"Gully Boy"がインドで大ヒットを続けている。
ここ日本での自主上映でもかなり評判が良いようで、今までになくインドのヒップホップが注目を集めている。
残念ながらSpace Boxさんによる英語字幕の自主上映は本日がラストとのことだが、これまでに日本でヒットしてきたインド映画とはまた違う毛色の本作、改めて正式な劇場公開が待たれる。
(Gully Boyについては不肖、軽刈田も大絶賛しております。「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」

この映画はムンバイのラッパーNaezyとDivineをモデルにしているが、インドではここ数年、大都市ムンバイのみならず、様々な都市や地域でアンダーグラウンドなヒップホップシーンが形成されている。

それはインドのなかでも独自の文化を持つインド北東部も例外ではない。
インド北東部のナガランド州を舞台にしたドキュメンタリー映画『あまねき旋律』をご覧になった方は、ナガの地に駐留するインド軍が映し出された、重苦しい無音のシーンを覚えていることだろう。
かつて村が焼き払われ、この土地の独立運動が徹底的に弾圧された歴史が、字幕で伝えられる場面だ。
山あいの農村に暮らすチャケサン・ナガ族のみずみずしい歌声にあふれたこの映画の中で、そこだけ生気が失せたような沈黙がとても印象的なシーンだった。
(ナガランドについては何度も書いているが、『あまねき旋律』についてはこちらから:「特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画『あまねき旋律』」
インド北東部地図NEとシッキムインド北東部地図拡大
(地図出展:Wikipedia)

インド北東部は、ヒンドゥー/イスラームの二大宗教や、アーリア/ドラヴィダの二大民族に代表される典型的なインド文化とは全く異なるルーツを持つため、周縁的な存在であることを余儀なくされ、差別や偏見の対象となってきた。
そのため、北東部ではナガランド以外でも多くの州で、独立運動や権利を求める闘争が行われてきた。
そうした運動を牽制するため、インド北東部の多くの地域が、前回紹介したカシミール同様にAFSPA(Armed Force Special Power Act. 軍事特別法と訳されることがある)の対象地域とされ、軍や警察による令状なしの捜査・逮捕・資産の収奪が認められている。
そして残念なことにその特権は必ずしも正義のために行使されているわけではなく、これまでに多くの一般市民が権力を持つ側の犠牲になっており、それゆえに権利や自由を求める意識はさらに高まってきたという歴史がある。
このブログでも紹介してきたとおり、インド北東部は典型的なインド文化の影響が少なく、クリスチャンが多いこともあって相対的に欧米文化の影響が大きいため、インドのなかでもかなり洗練されたポピュラー音楽文化を持っている地域だ。
当然ながらアンダーグラウンドヒップホップシーンにも数多くの素晴らしいアーティストがいる。

インド北東部では多くのラッパーが差別や偏見に抵抗し、民族の誇りを掲げたラップをリリースしているが、その代表格がトリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)だ。

"Fighter ft. Meyi"

"Roots (Chini Haa)"
ヒップホップというよりはEDMに近いビートに乗せてポジティブなリリックを吐き出す姿勢がとても印象的なBorkung Hrankhawlについては、以前も詳しく紹介した。(「トリプラ州の“コンシャス”ラッパー Borkung Hrangkhawl」

メガラヤ州からは、この地に暮らすカシ族の名を取ったKhasi Bloodzが、「インドのロックの首都」とも言われるほどインディーミュージックが盛んな州都シロン(Shillong)を拠点に活動している。
この曲はその名も"Hip Hop"

メンバーのBig-Riは同郷の女性R&BシンガーMeba Ofiliaとコラボレーションしたこの楽曲でMTV Europeの2018年Best India Actに選ばれた(こちらの記事でも特集)。
"Done Talking"  


と、ここまではイントロダクション(いつも長くて申し訳ない)。
今回は奇しくも3人のラッパーが似たタイトルの楽曲を発表していることを紹介します。

まずは北東部でも最北の地、アルナーチャル・プラデーシュ州のラッパーK4 Kekhoが昨年リリースした"I am an Indian"から。

「北東部出身者が、インドの主要部で中国人やネパール人に間違えられて経験する真実に基づいている」というメッセージから始まるこのミュージックビデオは、インド国内でも十分に認識されず、高等教育を受けるために進んだ主要都市では外見や文化の違いから差別と偏見にさらされる過酷な現実を訴えている。
それでもなお「俺もまたインド人だ」と主張するラップは、ある意味独立を訴えるよりも悲しみを感じさせるものだ。
後半では主要都市の大学で差別や暴力によって北東部出身者が命を落とした事件に対する抗議の様子が出てくるが、これはBorkung Hrankhawlもフリースタイルのスポークンワードで訴えていた深刻な問題だ。

続いて紹介するのはインドに併合される1975年まで独立国だったシッキム州のラッパー、UNBが2014年に紹介した"Call Me Indian".

彼のことも以前ブログで取り上げたのを覚えている方もいるかもしれない(そのときの記事)。
ユーモラスなフロウでラップされているが、インド人としての誇りを持っていてもインド人して見られず、見た目を馬鹿にされ、声をあげれば暴力さえ振るわれるというリリックの中身は悲痛なものだ。

そして3曲めに取り上げるのは、オディシャ州出身のラッパー、Big Deal.
オディシャ州は地図を見ればわかる通りインド北東部ではないが、インド人の父と日本人の母のもとに生まれた彼は外見的に北東部出身者にうりふたつで、彼もまた幼少期に外見ゆえの差別を受けてきたという。
Odisha
(地図出展:Wikipedia)

彼が昨年リリースした楽曲のタイトルは"Are You Indian".

"I Am Indian", "Call Me Indian", "Are You Indian"と、奇しくも3曲が3曲とも「外見からインド人みなされず差別にさらされる北東部出身者が、自分も同じインド人だと抗議する」というテーマを掲げているのがお分かりいただけるだろう。
これらの曲は、北東部出身者は、インドの主要地域出身者に比べて、同等の尊厳が認められていないという状況を表している。

Big Dealのこの"Are You Indian"はアメリカのラッパーJoyner Lucasの"I'm Not Racist"という曲にインスパイアされて書かれたものだという(この曲もアメリカの黒人の心情が非常に分かるものになっているので、興味があればぜひビデオを見てほしい)。
前半では、ヒンドゥー、ムスリム、南部出身者ら、多様ではあるがインド主要部を構成する人々からの北東部への偏見が吐き出される。
それに対して後半は北東部出身者からの返答という構成になっている。

これがかなり面白いので、相当長くなるがリリックの訳を載せてみます。
まずは前半、インドのメインランドからの偏見はこんな内容だ。

お前は誰だ?ここで何をしている?
よくは知らんが最近インドじゃ移民が多すぎる
中国人に見えるが国境をくぐり抜けて来たのか?
差別するわけじゃないが、お前のマヌケな顔を見て言ってるんだ
小さい目に無いような眉毛
お前がインド人だって?疑わしいね
お前がインド人だって?何言ってんだ
インド人を探してるってんなら、あいつを見てみな

お前たちの女どもは挑発的な格好をして一晩中パーティーするんだろ
そりゃレイプされるのも仕方が無いね
全然違うんだよ 俺たちは最高で、お前たちは病気だ
お前らの学生どもはアル中か大麻中毒だろ
自分には関係無いって言うのは勝手だが、俺はお前らが大嫌いだ
お前らの近所に住んでるが、お前らがでかい音でかける音楽が大嫌いだ
大学に行ってる奴らも多いみたいだが
さぼってばかりで金を無駄にしているんだろう
どうして仕事につかないんだ?自分の価値も見つけられないのか?
いつまでも親のスネかじりか? 
ゲームばかりやって時間を無駄にしてるのか?
少数民族の優遇制度のおかげで仕事につくんだろ
政府のお情けにすがって生きてるのか?
 
お前らの女どもは早いって聞くが
処女を失ったみたいに尊厳も無くしちまったのか?ひどいもんだ
 
お前らもお前らの臭い食べ物も地獄に堕ちろ
お前らが料理すると黄色いクソみたいな匂いがして吐きそうになる
肉が入ったものしか食べないんだろ
鶏肉じゃ満足できなくて犬も食べるんだろ
 
調子を合わせてみたり、自分たちは違うって言ってみたり
西洋人になりたがってみたり、インド人になりたがってみたり
お前らは矛盾ばっかりだ
どうしてどっちかに決められないんだ?
お前らが思ってるなりたい人間になれよ
その方が楽だからって誰かの真似をするな、被害者ぶるな
それがお前らの地域のテロの理由だろ
自分たちの権利のために戦ってるって言うんだろ
人殺しはやめろ
 
お前らの人種は何か変なんだ
男らしいって言うがヒゲもないじゃないか
法律なんかクソくらえだ 裁判所なんか信じないね
正義なんて盲目だし、盲目ってのがキーワードなんだ
だから犯罪者どもが好き勝手したり無罪の人間が聴取されたりするんだ
俺たちが汚い言葉を使ったって言って5年も刑務所に入れるんだ
メアリー・コムは好きだぜ
彼女は自分の地元だけじゃなくてインドを代表してるんだ
俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
お前らはインド人か?
インド人になりたいのか?


まずはここでも中国人に似ていることや外見に対する差別から歌詞が始まり、ヒンドゥーやイスラーム的な価値観とは異なる彼らへの偏見が続く。
今回紹介した3曲全てに北東部の食文化に対する差別が入っているのも興味深い。
インドのマジョリティーであるヒンドゥー文化は菜食を清浄なものとし、肉食を忌避する傾向があるが、北東部出身者は伝統的に肉をよく食べることから、差別の対象となりやすい。
「犬肉を食べているんだろう」というのは、典型的な北東部出身者への偏見の一例だ。
指定部族(Scheduled Tribe=STという。ちなみに不可触民などの指定カーストはScheduled Caste=STと略される)優遇制度の恩恵を受けていることや、テロリズム的独立運動というのも北東部のステレオタイプへの批判と言ってよいだろう。
最後の方に出てくるメアリー・コムというのは北東部のマニプル州出身の女子ボクシング世界チャンピオンのこと。
彼女はモンゴロイドだが、彼女の半生が映画化された際には、典型的なインド美人の女優、プリヤンカ・チョープラーが彼女の役を演じた。

さて、前半の偏見に対する北東部からの反論はこんなふうに続く。

俺は俺だ インド人としてうまくやろうとしてる
お前の無知には我慢できないな 俺を移民だと思っていやがる
国境のそばに住んでるんだ もちろんその左側さ
(※国境の右側は中国ということだろう)
俺の顔で判断したってことはあんたはまぎれもない人種差別主義者だ
アルナーチャル、アッサム、マニプル、ミゾラム、
メガラヤ、トリプラ、シッキム、ナガランド
これが北東部、インドのセブン・シスターズだ
俺たちはまぎれもないインド人、中国でも日本でもない
 
俺たちがいい暮らしをしていて苦々しいんだろ
目は小さくても大きいビジョンで見渡せるんだ
いつの日かいっしょになれるかもな
調和のうちに共存できるかもな 俺たちもテロはこりごりだ

女性たちへの差別的な感性
あんた達の服だって思ってるほど立派じゃない
正義のための道に毎日集まるんだ
ムスリムへの差別も止めろ
(※この4行のヒンディー語部分は機械翻訳なのであやしいです)
 
俺たちは歴史的にひどく抑圧されてきた
不平等と混乱にさらされてきた
差別され、マイノリティーとして抑圧されてきた
だから俺たちには優遇制度が与えられているんだ
簡単に言おう 俺たちはあらゆる優遇制度に十分に価する
お情けにすがって生きているんじゃない お前がそう思わなかったとしてもだ
なんなら今すぐ役所に行って問題提起してみな
 
俺たちの中には同化しようとする奴も、違ったままでいたい奴もいる
俺たちの中には西洋人になりたがる奴もいるが、それはお前たちが俺たちもインド人だと感じさせないからだ
俺が言いたいのはお前らがこうさせたってことだ
どうして心を決めないんだ
俺たちに心の底から好きなようにさせてくれ
俺たちに好きなようにさせてくれ、俺たちは犠牲者だ
俺たちの地域のテロの理由は
政府がしてくれないから自分たちの権利のために戦っているんだ
体制なんてクソくらえだ

メアリーを讃えろ
男どもは毛深くてクソみたいな匂いがする
俺たちの女が怖がるのも無理はない
ガンディーは肌の色のせいで電車から降ろされた
イギリス人はそんなふうに俺たちを人種差別して、そして出て行った
今日まで俺たちは同じようなことをしている

俺たちは俺たちのプライドの奴隷
罪のないものが代償を払わされてる
暴力的に命が奪われ、また母親が泣く
また娘がレイプされ、息子が死んでゆく
すべての犠牲は、誰が正しいか証明するために起きているんだ
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、
生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ


無知や見た目による差別への反論がこれでもかと畳みかけられる。
逆差別との批判も受けがちな優遇制度も、独立運動にも、彼ら自身さえうんざりしているテロ行為にさえ、それに値するだけの理由があるのだという主張には、犠牲者でありつづけてきた悲痛が込もっている。
リリックはさらに激しさを増し、かつてインド人を差別したイギリス人と同じことをしている差別主義者や、差別することで自尊心を満たす彼らの生き方を糾弾する。

ここまで聞くと、やはり差別される側である北東部出身者の声に一部の理があるように思える。
Youtubeのコメント欄には、この曲に対して北東部出身者からの共感の声と、メインランドの理解者からの賞賛の声が並んでいるが、その中にいくつか気になるものがあった。
「こういう音楽を作ることで、かえって分断を強調してしまうのではないか」とか「北東部にもメインランドから移住した者に対する差別がある」といったものだ。

正直にいうと、私も北東部の人々のおかれた状況に同情しつつも、この曲の後半のかなり過激な糾弾に対しては、差別主義者の心に届くのなあ、と疑問に感じていた。
北東部出身者でないBig Dealのリリックが、実際の当事者であるK4 KekhoやUNBの表現よりも赤裸々で激しいことも気になる。

Big Dealは、当事者が反発を招かないために、あえて越えないようにしていたラインを越えてしまったのではないか。
こうした表現方法では、共感者の理解は得られても、そうでない人(例えばST制度反対論者)の気持ちを変えることはできないのではないか。

その点に対して、Big Dealは、この曲について解説した動画の中で非常に興味深い話を語っている。

オディシャ州の小さな街プリーで育った彼は、幼少期に東アジア的な見た目ゆえの差別を経験した。
プリーの街にはそんな顔の人間は誰もいなかったからだ。
インド北東部にほど近いウエストベンガル州ダージリンの寄宿舎学校進むと、そこには彼によく似た見た目の同級生たちがいた。
ところが、今度こそよく似た仲間たちに溶け込めたのかというと、そうではなかった。
そこで会った北東部出身者は、見た目は似ていてもよその地域から彼をやはり差別したのだという。
(そこからラップに出会ったことで自信を得てゆく過程は彼の"One Kid"という曲に詳しく表現されている

こうした経験を通して、彼は偏見というものが決して一方向だけのものではないことを知る。
偏見とは双方向的なもので、それぞれが「正しい」と思っていることの中に含まれているのだ。
それがマジョリティーとマイノリティーに分断されたときに、差別という問題になって表出する。
これは「差別される側にも原因がある」というような意味ではなく、人間の本質についての話だ。

この曲は北東部への差別を扱った楽曲ではあるが、メインテーマは前半と後半、それぞれのヴァースの最後の部分なのだ。

俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
 
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、
生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ

Big Dealは、自分と異なる容姿の人々と、よく似た人々の双方からの差別を経験したからこそ、この曲を作ったと語っている。
「差別する側の言い分」である前半のラストにも理解を求める言葉があるのは、無知や偏見ゆえに差別する人々も、心の底では相互理解の必要性を分かっているということを表しているのだろう。
この曲が扱っているのはインドだけの問題ではなく、世界中の誰にとっても普遍的なテーマなのだ。

本日はこのへんまで!
今回はずいぶん長い記事を読んでいただいてありがとうございました!



Big Dealのことも以前書いていたので興味のある方はこちらからどうぞ。
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」2018.2.28
「律儀なBig Deal」(インタビュー)2018.3.24




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2019年03月07日

バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後半)

(一応前回の続き。前回を読まなくてもとくに問題はないです)

一連のインドによるパキスタン領内への攻撃に対して、ソーシャル・メディア上で支持や祝意を表明している著名人も多い。
例えば、前回紹介した「バジュランギおじさんと小さな迷子(Bajrangi Bhaijaan)」の主演俳優サルマン・カーン(Salman Khan)もその一人だ。

南アジアを遠く離れた日本でこうした知らせを聞く限り、核保有国同士の戦争の一歩手前である武力行使への礼賛は、どうしても受け入れがたく感じてしまう。
しかしながら同時に自分の国が度重なるテロに脅かされた経験などない我々に、彼らを批判する資格などないのではないかとも考えさせられる。
自国民を守るべき軍隊が、自国の脅威となるテロの根絶を図るのは当然とも言えるからだ。

では、対国家ではなく対テロならば他国領土への武力行使も容認すべきなのか。
そもそも今回の攻撃対象がテロの拠点だという証拠は本当にあるのか。
もしそうだとしても、多くの人々が、平和を愛する気持ちではなく、報復的な感情や敵意や愛国心にもとづいて歓喜の声を上げている状況を、どう解釈したらいいのだろうか。
もやもやした気持ちはなかなか晴れそうにない。

今回のインドによるパキスタン領内への空爆は、2月14日のカシミールでの爆弾テロへの報復的措置だと言われている。
カシミール問題は非常に根が深く複雑で、歴史を振り返るにしても、どの立場を取るかによっても大きく解釈が変わってくる非常にやっかいなものだが、ごく大まかに言うとこういうことになる。

1947年のインド・パキスタン分離独立時、カシミール地方では、ムスリムが大半を占める住民をヒンドゥーの藩王(マハーラージャ)が統治する体制が取られていた。
この時点で、カシミールには、

1.インド(ヒンドゥーがマジョリティーを占める世俗国家)への帰属
2.パキスタン(イスラーム国家)への帰属
3.独立

の3つの選択肢があった。
しかし、藩王国としての意思が表明される前にパキスタンがこの地域に武力介入して来たため、藩王はインドへの帰属を決意する。
インドも軍隊を派遣し、結果的にカシミールは南部をインド、北西部をパキスタンが実効支配することとなった。
(さらに言うと、このジャンムー・カシミール地域の北東部は中国が実効支配しているのだが、ややこしくなるので、今回は割愛する)

インド領となったジャンムー・カシミール州では、インドへの帰属に反対するムスリムの住民たちによる抗議運動が始まり、それを阻止するインド政府側との抗争で多くの犠牲者が出る悲劇が繰り返された。
過激派による暗殺やテロ行為、そしてそれに対するインド政府の弾圧によって、今日まで多くの一般市民が犠牲となっている。
カシミール情勢の泥沼化は、印パ両国の対立激化や、ヒンドゥー至上主義とイスラーム原理主義の台頭と結びつき、もはやどう転んでも誰かの逆鱗に触れてしまうという、大変な状況になってしまった。

こうした複雑かつデリケートなカシミールの歴史を、分かりやすく読むことができる小説が、インドのジャーナリスト、ヴィクラム・A・チャンドラ(Vikram A. Chandra)の「カシミールから来た暗殺者」(現代:"The Srinagar Conspiracy")だ。
前回紹介した「バジュランギおじさんと、小さな迷子」(Bajrangi Bhaijaan)が、「宗教と国家のナショナリズムを、個人の絆と人間愛が乗り越えてゆく物語」だとすると、この「カシミールから来た暗殺者」は、「個人の絆や人間愛が、宗教と国家のナショナリズムによって分断され、蹂躙されてゆく物語」だ。

物語は1947年のカシミールから始まる。
印パ分離独立にともない国中が混乱する中、インド領カシミールに暮らすヒンドゥーのカウール家とムスリムのシャー家は、そうした情勢に関係なくお互いに結婚や孫の誕生を祝いあい、家族同然のつきあいを続けていた。
シャー家の人々は、イスラーム国家であるパキスタンに帰属することよりも、世俗国家インドでヒンドゥーの友人たちとも共存できることを喜んでいた。

カシミールをめぐる印パの抗争は続く1960年半ば、両家に相次いで男の子が生まれる。
カウール家に生まれたヴィジャイとシャー家に生まれたハビーブは、兄弟同然に育っていった。
ヴィジャイの夢は父の跡を継いで軍人になること、ハビーブの夢は高級官僚だ。
カシミールの美しい自然の中、ハビーブはカウール家にショールを売りに来る身寄りのないムスリムの少女ヤースミーンに淡い恋心を抱き、3人は友情を育みながら大きくなってゆく。
  
だが、インドとパキスタンとの対立構造の緊張の中で、ムスリムの間では、ヒンドゥーがマジョリティーを占めるインドの支配下にいることへの不満が少しずつ大きくなってゆく。
イスラーム学校に通う友人のひとりが独立運動に傾倒すると、やがてハビーブもその影響を受け、カシミールの独立を目指す組織に加盟する。

はじめのうち、それはあくまで自由と独立を目的とした運動であり、極端なイスラーム原理主義とは距離を置いていたはずだった。
だが、その運動をパキスタンのイスラーム武装組織が支援しはじめると、自由を求める闘争は過激化してゆく。
暗殺や誘拐が横行し、パキスタンで武装訓練を受けたハビーブも反対派の殺害に手を染める。 

過激化した独立運動に対するインド側の取り締まりは、情け容赦がなかった。
数多くの民族問題や独立運動を抱えるインドにとって、カシミールの独立は決して認めることができないものだからだ。
インド政府による独立運動への弾圧。過激派による体制派やヒンドゥー教徒への報復。
無関係の市民も大勢が巻き込まれ、この地上で最も美しい土地のはずだったカシミールの亀裂は、もはや修復不能なものとなってしまう。

やがて政府側の巧みな鎮圧で独立運動が下火になると、国外から来たイスラーム原理主義者が闘争を牛耳るようになる。
カシミールのための闘争は、カシミール人の手を離れ、カシミールのためのものですらなくなってしまう。

「バジュランギおじさんと、小さな迷子」が理解と理想を描いたものだとしたら、「カシミールから来た暗殺者」に描かれているのは、悲しみと現実だ。
ただただ自由と平和を願っていた人々が不条理な暴力の犠牲になり、抱いていた理想はもはや夢想することもできないほどに遠ざかってゆく。

読むのが辛くなるような部分もあるが、人間ドラマやサスペンス的展開を丁寧に描いたストーリーは緊張感があって飽きさせることがなく、この小説はエンターテインメントとしても優れている。
(インド側いちジャーナリストの視点から描かれた小説であること、この小説の発表が今から20年近く前の2000年だということには留意が必要だろう。カシミールが印パ両国の間で翻弄され続けていることは今も変わらないが)
あまりにもドラマティックな展開に「ボリウッド的すぎる」という批判もあるようだが、それでもこの小説は実際の歴史にそって書かれたものだし、いつ身近な人が犠牲になるかも分からない暮らしは、カシミールの現実そのものなのだ。


そんなカシミールのリアルを、ラップで表現するアーティストがいる。
1990年にジャンムー・カシミール州の州都スリナガルで生まれたRoushan Illahiは、故郷カシミールからその名を取ったMC Kashの名義で、カシミールの現実とそこで暮らす市民の心情を綴った楽曲を発表している。

彼が最初の楽曲をリリースしたのは2010年。
この年、インド軍による民間人の殺害に対する抗議行動が鎮圧される中で、10代の少年たちを含む100名以上の犠牲者が出る惨事が起きた(インド政府はこの暴動はパキスタンの煽動によるものだと主張している)。
MC Kashもまた、この弾圧で自らの友人を失った。
この出来事に触発された彼は、あまりにも理不尽な現実に抗議し、自由を求める気持ちを綴った"I Protest"を発表する。
彼はカシミールの状況についての認識を広めるため、故郷の母語であるカシミーリー語ではなく、より多くの人々に自分の言葉を届けられるよう、英語でラップすることを選んだ。

組織的な暴力のもと、人の命がいとも簡単に奪われる現実のなかで、自由を求めて抗議する、あまりにもヘヴィーな内容のリリック。
この曲の最後に読み上げられるのは、弾圧のなかで命を落としたカシミールの市民たちの名前だ。

この楽曲をリリースしたことで、彼は過激派や分離主義者との関係を疑われ、スタジオにいたところを警察に急襲される。
彼は誰のサポートも受けておらず、自分の意思で活動していると主張したが、スリナガルのほとんどのスタジオは、厄介ごとを恐れて協力を拒否するようになってしまう。
だが、この曲は自由を求める人々のアンセムとなり、"I Protest"の言葉はインド軍の横暴に抗議する人々の合言葉として、ソーシャルメディア上で使われるようになった。
その後も彼は困難にめげず、カシミール市民の魂と日常をラップした数多くの楽曲を発表している。

この"Beneath This Sky"では真実を直視しろと訴え、体制の腐敗を批判する。

全てのシャッターが下ろされ、鉄条網が張られたスリナガルのストリートがリアルだ。
 
ポップカルチャーを扱うメディア'101India'の企画で、同郷のスーフィー・ロックバンドAlifと共演した楽曲"Like A Sufi".
祈りの音楽と自由を求めるラップが相乗効果で胸に迫ってくる。  
スーフィズムはイスラーム神秘主義と訳される、自己を滅却し神との合一を目指す思想。
「バジュランギおじさん」で、パワンたちが訪れた聖者廟で歌われていたのも、カッワーリーというスーフィズムの音楽だ。
「カシミールから来た暗殺者」にも聖者廟が出てくるが、聖者崇拝は南アジアのイスラームに独特なもので、他の地域のムスリムからは、唯一神のみを信仰すべきとする本来のイスラームにはそぐわないものとされることもある。
だが聖者廟に祀られた聖者たちは、宗教の枠を超えてヒンドゥー教徒たちにも崇拝されていることも多く、地元の人々にとってはとても大事な存在だ。
「カシミールから来た暗殺者」では、外国から来たイスラーム原理主義者たちが、聖者崇拝の伝統を軽視する様子を通して、闘争がカシミールの人々の手を離れてゆく様子が描かれている。
 
"My Brother" は生まれながらに自由を奪われる不条理を嘆き、金のために魂を売り渡す仲間たちに団結を呼びかける楽曲で、同じくAlifとのコラボレーション。
 

過酷な環境のなか、ヒップホップこそが彼の生活であり、魂であることを綴った"Everyday Hustle"

ヒップホップという音楽が、インドのなかでも他の都市とは段違いに過酷なカシミールにあってさえ希望になりうることが分かる一曲だ。

MC Kashの音楽は、ヒップホップと言ってもダンスミュージックやパーティーミュージックではないし、その内容に反してアジテーション的でもない。
静かで美しいトラックに切実な言葉を紡ぐそのスタイルは、むしろスラム(ポエトリーリーディングの一形態)に近いと言えるかもしれない。

このドキュメンタリーで、MC Kashは、幼い頃から銃口を向けられ、女性はレイプに怯えながら暮らす日常について語っている。
 
あまりにも過酷な環境のなか、彼にとってヒップホップだけが情熱を注げる対象であり、自分を解放できる故郷のような存在でもあり、そして自分が育ったスリナガルのストリートの現状を伝える手段だった。
音楽的には2pacに、思想的にはマルコムXやチェ・ゲバラに影響を受け、自分はカシミールの反逆者たちを代弁する存在だと語る彼は、カシミールの独立によって自由と平和がもたらされることを信じて待ち望んでいることを打ち明ける。

だが、彼はカリスマティックな革命家のような、特別な存在になることを目指しているのではない。
何よりも彼は、自分の音楽を通して、カシミールの人々が、この曲を平和な地で聴くリスナーたちと同じように、尊厳ある幸せな生活を望む普通の人々であることを伝えたいと語っている。
彼もまた、暴力にさらされつづける街で、ヒップホップを愛し、人並みの幸福や自由を望む、一人のごく普通な青年なのだ。


「バジュランギおじさんと、小さな迷子」のような、現実が厳しいからこその理想を描いた映画もまた素晴らしいが、一方で、「カシミールから来た暗殺者」やMC Kashが語る、厳しすぎる現実についてもきちんと目を背けずにいたい。
昨今の印パの衝突で、またしても暴力や政治によって、この美しい土地に暮らす人々に苦しみがもたらされていると思うと本当に胸が痛む。

いつの日か、人々であふれた平和なスリナガルのストリートを歩きながらラップするMC Kashの姿を見ることができるのだろうか。
その日が来ることを、心から願っている。


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2019年03月04日

バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(前編)

(この記事の途中に、映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のラストシーンに関する記述があるので、ラストを知りたくない方は読まないことをおすすめします)

カシミール地方での悲しいニュースが続く。
2月14日に自爆攻撃で41人が死亡。
2月18日に銃撃戦で9人が死亡。

25日にはテロリストの拠点への攻撃として、インド空軍がパキスタン領内に空爆。
インド側は約300名を殺害と主張しているが、パキスタンは被害はごく軽微なものだったと真っ向から対立する内容を発表した。
パキスタンはインドの戦闘機を撃墜してパイロットを捕虜にしたが、対話による解決を望むとして3月1日に解放(パイロットに暴力を振るおうとしていた民間人をパキスタン軍が制止したという報道もあった)。
インドもパキスタン機を撃墜したと発表したがパキスタンはこれを否定。
両国ともに自国民へのメンツの維持と国際社会への正当性のアピールという思惑があり、事実は杳として分からない。
そもそもインド政府の「テロリストの拠点がパキスタン領内にあり、パキスタンはテロ取り締まりを怠っている」という主張をパキスタン側は否定しており、はじめから議論は噛み合っていないのだ。

インド国内ではイスラーム過激派によるテロがたびたび起きているが、インドではその背景にパキスタンがいるという見方が強く、今回の空爆は、まもなく総選挙を控えたインドのモディ首相が強硬姿勢により支持率の挽回を狙って行ったものという見方もされている。
実際にインド国内ではこの空爆を評価する(「憎きパキスタンによくぞやった!」的なものも含めて)声も強いようだ。

2015年のインド映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は、国家の対立や宗教の違いを乗り越えるヒューマニズムを描いて印パ両国で大ヒットとなったが、ひとたび今回のような事態になると、ナショナリズムが加速し報復感情が高まるのは毎度のこと。
今はことが大きくならないことを願うのみだ。 


ご存知の方も多いと思うが、『バジュランギおじさんと小さな迷子(原題:Bajrangi Bhaijaan)』は、迷子になり国境を越えてデリーにたどり着いたパキスタンの女の子シャーヒダ(彼女は口がきけない)を、敬虔なヒンドゥー教徒のパワン(別名バジュランギ)が両親のもとに送り届ける道中の試練と奇跡を描いた映画だ。

インドは世俗主義を掲げるもののヒンドゥー教徒がマジョリティーであり、一方のパキスタンはイスラーム国家。
さらには解決の糸口の見えないカシミールの領土問題もある。
今回の空爆からも分かる通り、インドとパキスタンは核兵器を向け合う敵国同士であり、両国の国民感情はもともと険悪だ。
国家対立、宗教対立にもとづく偏見や誤解を正直者のパワンがどう乗り越えてゆくのか、というのがこの映画の見所というわけである。

映画を見て、国家や宗教という重いテーマをほのぼのとした娯楽作品に仕上げたカビール・カーン監督の手腕とバランス感覚に舌を巻いた。
南アジアから離れた感想を言わせてもらうなら、隣国との関係で憎しみが高まりつつある今の日本でこそ、もっと見られるべき映画だと感じた。
(そもそも日本だったらこんなリスキーなテーマの娯楽映画は制作することも難しいだろう。商業主義と批判されがちなボリウッドだが、こうしたインド映画人の気骨にはただただリスペクトしかない)

この映画にまつわる文化的、宗教的、神話的背景についてはすでに多くの方が的確な解説をしてくれているので、今回はこの映画のなかでも扱われている「ヒンドゥー・ナショナリズム」について書いてみる。

「ヒンドゥー・ナショナリズム」を非常に簡単に言うと、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想と言い換えられる。
そのため、ヒンドゥー・ナショナリズムでは外来の宗教であるイスラームやキリスト教を自国文化を破壊するものとして敵視する傾向がある。
実際に、ヒンドゥー教徒にとって聖なる存在である牛を屠畜したムスリムを襲撃したり、クリスマスやバレンタインデーのようなキリスト教の習慣への反対運動を起こしたり、暴動に乗じてモスクを破壊したり他宗教の信者を虐殺したりするような問題が起きている。
大きすぎる大国インドでは、ナショナリズムにおいてすら国民がひとつにまとまることは難しい。

映画の中でヒンドゥー・ナショナリズムが明確に描かれている場面のひとつが、パワンの少年時代の回想シーンにある。
「父はRSSに所属していた」というシーンがあるが、RSSは正式名称をRashtriya Swayamsenak Sanghと称し、日本語では「民族義勇団」と訳されるヒンドゥー至上主義団体のこと。
イギリス統治下の時代にヒンドゥー精神の発揚を目的として結成されたこの団体は、やがてイスラーム排斥的な傾向を帯び、ヒンドゥーとイスラームの融和を目指したマハートマー・ガーンディーを暗殺するに至る。
一度は活動が非合法化されたRSSだが、その後すぐにそれが撤回されるとヒンドゥー強硬派の支持を集め勢力を拡大してゆく。
今日でもモディ首相が所属する政権与党BJP(Bharatiya Janata Party「インド人民党」と訳される)をはじめとする多くの団体を傘下に持ち、インド全土に強い影響力を維持している。

回想シーンの中で、少年時代のパワンがボーイスカウトのような制服に身を包み、体操のようなことをしているシーンが出てくるが(「やってみたけどうまくいかなかった」とか言っているシーンだ)、これはRSSが朝夕に行なっている「シャーカー(Shakha)」と呼ばれる運動だ。
掛け声に合わせていっせいに動く運動によって子どもたちを含めた構成員の統一感を作り上げるとともに、講話などを通してヒンドゥー至上主義の思想を説くための活動として、インド各地の公園で行われている。
つまり、主人公パワンは、単に「敬虔なヒンドゥー教徒」というだけではなく、ヒンドゥー至上主義的な家庭に生まれ育ったという設定なのだ。

数あるヒンドゥー至上主義団体の中で、ときに暴力行為も起こす反イスラーム色の強い団体に、世界ヒンドゥー協会(VHP)傘下のバジュラング・ダル(Bhajrang Dal)がある。
この「バジュラング」は映画の主人公パワンの別名「バジュランギ」と同じくヒンドゥー教の神ハヌマーンを指しており、バジュラング・ダルは「ハヌマーンの軍隊」を意味している。
猿の神ハヌマーンは、「ラーマーヤナ」の主人公である英雄ラーマ(ヴィシュヌ神の化身のひとつ)への忠誠を尽くす戦士であったことから、ラーマ神への帰依と忠誠を象徴するようになり、転じてヒンドゥー至上主義では外敵(イスラームを指すことが多い)と戦う戦士としてのイメージが与えられるようになった。
1992年にラーマ神の生誕地と言われるウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーでモスクを破壊し(いわゆるアヨーディヤー事件)、今日の宗教間対立の大きな火種を作ったのも、このバジュラング・ダルのメンバーが中心だったとされる。
「バジュランギ」という名前は、敬虔な信仰と表裏一体の排他性・攻撃性を孕んでいるのである。

次にヒンドゥー・ナショナリズムが描かれるのは、パワンがシャーヒダを連れてパキスタン大使館に行くシーンだ。
反パキスタンのデモを行っていたヒンドゥー至上主義者たちが暴徒化し、大使館を襲い始める。
ヒンドゥー至上主義の家庭で育ったパワンが、その暴力性に直面する場面だ。
暴力的なナショナリズムに対して、理屈や主張をふりかざすのではなく、あくまで純真さで対峙しているというのが、この映画の非常に上手いところだと思う。
議論ではなく、万人の感情に訴える方法を用いて描くことで、巧みに批判をかわすことに成功している。

この映画は、インド国内でも大きなうねりとなっているヒンドゥー至上主義に対して疑問を呈し、自重を呼びかけるという、一歩間違えると強い反発を招きかねないテーマを扱っているわけだが、さらに絶妙のバランス感覚だなあと思ったのがラストシーンだ。

パキスタンから国境を超えてインドに戻るパワンを囲む両国の大観衆の前で、奇跡が起きて声が出せるようになったシャーヒダがパワンに向かって叫ぶ言葉は、
「Jai Shri Ram!(ジャイ・シュリー・ラーム=ラーマ神万歳)」
ヒンドゥー教徒の間ではあいさつのように使われる言葉ではあるが、パキスタンのムスリムが口にするものとしてはありえない言葉。
それに対してパワンは「アーダーブ」という手のひらを顔に向けるイスラームの挨拶を返す。
「個人間の結びつきは国家や宗教の対立を超える」というテーマを表現した美しいシーンだ。

両国の国民感情に無関係な日本人の立場からすると、ここでパワンに「Assalamu Alaikum!(アッサラーム・アライクム。ムスリムが使うアラビア語の挨拶だが、本来の意味は「あなたの上に平和を」)」と叫ばせれば尚良かったはずだと思う。
それを言わせずに、アーダーブだけで済ませたところがインドのマジョリティーであるヒンドゥー教徒の感情に配慮したカビール・カーン監督のバランス感覚なのだろう。
そもそも、原題の"Bajrangi Bhaijaan"のBhaijaanというのも、パキスタンのムスリムの言語ウルドゥー語で「兄弟」を意味する呼びかけの言葉(「にいちゃん」とか「兄貴」みたいなものだろう)で、ヒンドゥーの神ハヌマーンの別名であるバジュランギのあとにつくのは違和感のある言葉だ。
要するに、「インド(もしくはヒンドゥー)がパキスタン(もしくはイスラーム)を受け入れる」というより、「パキスタン(もしくはイスラーム)がインド(もしくはヒンドゥー)を受け入れる」という色合いのほうが、少しだけ濃くなっているように感じる部分があるということだ。

「バジュランギおじさん〜」はパキスタンでも人気だったというが、このあたりについてはどうだったんだろうかと気になって調べてみたところ、ネットで(英語で)調べた限りではとくに批判的な記述は見つけられず、パキスタンでも大好評だったという記事ばかりがヒットしてほっと一安心。
というか単に私がいろいろと考えすぎだっただけなのかもしれない。


ヒンドゥー・ナショナリズムに関しては、少し古い本になるが、2002年に中公新書ラクレから出版された中島岳志著『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』がとても分かりやすい。
ナショナリズムというと排他的な意味合いばかりが強調されるが、RSSに代表されるヒンドゥー・ナショナリズム団体は、医療活動や教育活動、障害者や農村の支援なども積極的に行っているという。
RSSは、カルト宗教のような怪しげな存在ではなく、少なくともボリウッド映画の愛すべき主人公の父親が所属していても違和感がないほどに、一般的なものなのだ。

著者によると、意外なことに、RSS内部では、ヒンドゥーの旧弊とされるカーストによる差別は一切ないという。
RSSの内部では、最上位のブラーミンとカーストの枠外に置かれたアウトカースト(不可触民)が同じ場所で同じように過ごし、触れ合っている。
これはヒンドゥーの歴史や差別の苛烈さを知る人にとっては、にわかには信じられないことだろう。
ここでは同じヒンドゥー教徒としての団結が、カーストという小さなコミュニティーの利益よりも重視されることで、カースト差別というヒンドゥー社会最大の問題がいともたやすく解決されてしまっている。
彼らが単に時代遅れな伝統主義者の集まりではないということが分かるだろう。

中島氏は、実際にRSSの人々と寝食をともにして、ヒンドゥー・ナショナリズムに惹かれる若者たちのなまの姿を目の当たりにする。
あの「シャーカー」にも実際に参加し、その様子を書いているが、号令にあわせて一斉に動くシャーカーが最も上手にできたのは、他でもない中島氏だったという。
ふつうの日本の学校教育を受けてきただけの著者が、「回れ右」のような号令のもとに全体行動を行うシャーカーを、ナショナリズム団体に所属するインド人の誰よりも完璧にできたという記述には、大いに考えさせられるものがあった。

RSSのメンバーは、予想に反して人当たりがよく、外国人である著者に好奇心旺盛な、純粋な若者たちだったという。
物質主義文明が広がり、腐敗が進むインド社会の中で、倫理や規範を求めて宗教的伝統を見つめ直そうとする若者たちにとって、RSSが精神的な受け皿となっているのである。

ところが、真面目で精神性を大事にし、公式声明ではムスリムも仲間だと言う彼らは、ひとたびイスラームとの間の緊張が高まると(たとえそれが3.11同時多発テロやバーミヤンの大仏破壊のような国外のニュースであっても)、ムスリムを敵視し、デモ行進でインドからの追放を訴え、暴力すら辞さないほどの激しさを見せる。
若者たちの倫理や宗教的規範を求める気持ちが、排外的な愛国心に回収されてしまっているのだ。
ラーマーヤナのような古典が異教排斥のシンボルとして流用され、イスラームやキリスト教といった外来の宗教は、伝統を破壊する脅威として標的となる。
友好的で純粋だった若者たちは、全てのムスリムはテロリストだというような極論を、日常のフラストレーションとともに吐き出してゆく。

ヒンドゥー・ナショナリズムでは、本来は普遍的であるべき思想が、インドの土地を守るためのものへの矮小化され、宗教的善行は国家への奉仕に置き換えられてしまっている。
インドという国に魅力を感じたことがある人間にとって、ヒンドゥーの文化と信仰は多かれ少なかれ興味と敬意の対象だったはずだ。
貧しい人々の素朴な信仰心から、その歴史の背後にある深淵な哲学まで、インドを訪れた多くの人がヒンドゥーという伝統に惹きつけられてきた。
「私自身の生き方に、さまざまな形で影響を与えてきたヒンドゥーの信仰が、このような形で他者に対する暴力に繋がることが、私には悲しくてしかたがなかった」 という著者の言葉に、私を含めた多くの人々のヒンドゥー・ナショナリズムに対する気持ちが簡潔に表されている。

ヒンドゥー至上主義団体の構成員の多くが、過度な功利主義に疑問を抱く純粋な若者たちだということからも分かる通り、ナショナリズムの暴力性は純粋な信仰と地続きのものだ。
一見過激なナショナリズム団体が、多くの慈善事業を行っていることもその証拠だろう。
(一方でここ日本で昨今高まりつつあるナショナリズムにそうした人間性があるだろうかと思うと暗澹たる気持ちになるが)
本来はヒューマニズムに基づいたものであるはずの信仰心が、テロリズムへの恐怖や他者への無理解、そして政治的な意図によって、排他性や暴力性を帯びてしまっているのだ。

『バジュランギおじさんと、小さな迷子』にはヒンドゥーやイスラームの「祈り」の場面がたくさん出てくるが、宗教や国籍が違っても、彼らが祈っている内容は憎しみや破滅ではなく、幸福や安心であるはずだ。
この映画では、主人公のキャラクターを「愛すべき愚か者」(パワンは嘘をつくことすらできない)とすることで、ごく自然に「頭(先入観や偏見)ではなく、心に基づいて行動すること」の大切さを伝えることに成功している。
この映画は「本来の信仰」が「宗教や国家のナショナリズム」を超克する物語であり、印パ両国だけでないあらゆる人々にとって、普遍的なメッセージを有している。

おっと、例によって今回も語りすぎてしまった。
長くなりすぎたので、続きはまた次回! 


今回ブログを書くにあたって特に参考になったWebの記事はこちら。
インドのニュースサイトKafina Online:"Of Hanuman, Pakistan and Bhaijaan: Prabhat Kumar"(2015年8月23日) 

後編はこちらからどうぞ:バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後編)

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goshimasayama18 at 00:04|PermalinkComments(4)インド映画 | インド本

2019年03月01日

早すぎたインド系ラッパーたち アジアのPublic Enemyとインドの吉幾三、他

先日の記事で、南アジア系移民たちによるDesi hiphopを起点としたインドのヒップホップシーンの歴史について書いてみたが、Desi hiphop以前にも南アジア系のラッパーがいなかったわけではない。

まずイギリスに目を向けると、パキスタン系イギリス人Aki Nawazを中心に1991年に結成されたFun-Da-Mentalというグループがいる。
彼らは1992年に"Janaam", "Gandhi's Revenge"の2枚のシングルをリリースしてシーンに登場した。
Desi hiphopの第一人者といわれるBohemiaのデビューが2002年だから、彼よりも10年も早かったということになる。

中心人物のAkiは、Fun-Da-Mental結成以前、のちのゴシックロックバンドThe Cult(念のため書くと、イアン・アストベリーのあのThe Cultだ!) の前身Southern Death Cultのドラマーを務めていたというから、Queenのフレディ・マーキュリーのように、南アジア系移民の中でも若い頃からロックに親しんだ暮らしを送っていたのだろう。
しかし、その後の活動は、南アジア系のルーツから距離を置いてブリティッシュ・ハードロックの道に進んだフレディとは大きく異なっている。

Fun-Da-Mentalは、アメリカの急進的な黒人運動ブラック・パンサーの影響を受けた反人種差別や、イスラームの擁護、反アメリカ主義をテーマにラップする非常に政治的・社会的なバンドで、そうした姿勢から、アメリカの政治的ヒップホップユニットになぞらえて、'Asian Public Enemy'とも呼ばれた。

1994年のファーストアルバムのタイトルトラック"Seize the Time".

今聴くとちょっととっちらかった印象だが、伝統音楽のサンプリングという後年の南アジア系ヒップホップのスタイルがこの時点ですでに確立されていることが分かる。

1998年にリリースされたアルバム"Erotic Terrorism"からの"Ja Sha Taan"はカッワーリーとヒップホップとロックの融合!貴重なライブ映像を見つけた。
 

彼らに続くUKの南アジア系政治的ラップ・バンドとしては、よりダンサブルで音楽的ミクスチャーを進めたAsian Dub Foundation(1995年デビュー)が日本でも人気だが、だんだんヒップホップから離れてくるので今回は割愛。
この系統のアーティストは、その強すぎる政治性からか、その後大きな潮流とはなっていないようだが、南アジア系の音楽と社会運動が結びついた初期の例としても大きな意味があるように思う。


さて、本国インドはどうかというと、こちらもまた強烈なアーティストがいる。
Fun-Da-Mentalよりもさらに早い1990年にデビューしたBaba Sehgal(本名Harjeet Singh Sehgal)は、ウッタル・プラデーシュ州ラクナウ出身の「インドで最初のラッパー」とも「最初のヒンディー・ラッパー」とも言われるアーティストだ。
インド本国でバングラー系ラップが流行しだすのが2010年頃からであることを考えると、いかに彼が早かったかが分かるだろう。

彼は在英インド系レゲエ・アーティストのApache Indianの影響で音楽活動を開始したというが、後進的というか保守的なウッタル・プラデーシュでどうやって海外の音楽に触れたのかとか、機材の使い方や音楽の作り方をどう学んだのかとか、そのキャリアの初期にはよくわからない部分が多い。
そもそも、Apache Indianに影響を受けて音楽を始めたと言っているのに、そのApache Indianと同じ年にデビューしているのも解せない。
名前を見ると彼もまたパンジャーブ系のようなので(Apache Indianもだ)、移民と本国とをつなぐパンジャーブ・コネクションがあって、彼に誰よりも早く最先端の音楽をもたらしたのだろうか。

とにかく、彼は大学卒業後、デリーで電気技師として働きながら本格的に音楽活動を始めた。
1990年にリリースした"Dilruba"、1991年にリリースした"Alibaba"が思うようにヒットしなかった彼は、一念発起してムンバイに拠点を移すと、1992年にリリースしたサードアルバムの"Thanda Thanda Pani"が大ヒット。
一躍スターとなった彼だが、当時はまだ電話のない家に住んでいたため、隣の通りのパーン(インドの噛みタバコ)ショップが連絡先で、電話が来ると店の子供が彼を呼びに来ていたという。
(もとの記事では"Gully"という言葉が使われていた。そういう意味では、彼は最初のHiphop Gully Boyと呼べるかもしれない。いずれにしてもインドのヒップホップはムンバイのGullyで生まれたのだ)

"Thanda Thanda Pani"から、'Cool Cool Water'という意味のタイトルトラック。
 
Queen & David Bowieの"Under Pressure"をサンプリングしたVanila Iceの"Ice Ice Baby"をさらにパクったというなんだかすごい楽曲。
このアルバムの売上枚数については、記事によって3万枚から50万枚までかなり開きがあるが、とにかく当時の大ヒットとなったことは間違いないようだ。

同じアルバムから"Dil Dhadke".

当時のインドにしてはえらくかっこいいトラックが始まったと思ったら、曲が始まった途端に吉幾三みたいな感じでずっこける。

いろんな記事を読むと、どうも彼は今のインドのオシャレな音楽ファンからは、古いというかダサいというか、あまり好意的に受け止められていないようで、このブログで連載している「インドのインディー音楽史」にも入っていないし、まさに日本のラップ史における吉幾三の「おら東京さ行くだ」的な存在なのかもしれない。

その後、映画音楽を含めた何枚かのアルバムをリリースした後にヒンディー語圏の音楽シーンから姿を消した彼は、南インド(テルグ語)映画のプレイバックシンガーに活動の場を移した。

すっかり過去の人となっていた彼は、2015年に自身のYoutubeチャンネルを開設してカムバックすると、この"Going To The Gym"が久しぶりのヒットとなり、フェスティバル等にも出演するようになる。

ちょっと松平健にも似ているような気がするが、ちょうどマツケンサンバのように、彼の音楽をキッチュなものとして楽しめる土壌がインドにできてきた、といったところだろうか。

(Baba Sehgalの半生については主にこれらのサイトを参考にしました。
http://www.vervemagazine.in/people/mapping-the-unique-trajectory-of-baba-sehgals-success
https://www.indiatoday.in/magazine/society-the-arts/story/19921130-thanda-thanda-pani-hots-up-the-hindi-rap-scene-767167-2012-12-21

 
映画音楽の分野では、A.R.Rahmanが1994年のタミル語映画"Kadhalan"のために作った"Pettai Rap"あたりがインドで最初のラップ・ソングということになりそうだ。

こちらもインド音楽の要素を取り入れたオールドスクール風の曲で、これはこれで結構かっこよく、さすがRahmanといった出来栄え。
バンガロールのラッパー、Brodha Vが初めて聴いたラップとして挙げているこの曲は、世界初のタミル語ラップでもあるかもしれない。
まさか当時はインド各地にストリートラップシーンができ、ボリウッドスター主演のヒップホップ映画が大ヒットする時代が来るとは誰も思っていなかったことだろう。

インドではちょうど昨日、世界最大手の音楽ストリーミングサービスSpotifyが使用できるようになり、音楽メディアはその話題で持ちきりだ。
よりいっそう世界の音楽にアクセスしやすくなったインド。
きっともう5年、10年したらシーンの様相もまたすっかり変わっているのだろうなあ。
ますます楽しみになってきた。

それでは今回はこのへんで!


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