2019年02月

2019年02月25日

インド北東部アルナーチャル・プラデーシュ州で今起きていること

今回はインド北東部アルナーチャル・プラデーシュ州の州都Itanagarで起きている暴動のニュースをお届けする。

私も正確に状況を追いきれていないのだが、同州の政権を握っているBJP(インド人民党)が、隣接するアッサム州の指定部族(=Scheduled Tribe. インド政府の保護政策の対象となっている部族)に対して、アルナーチャル・プラデーシュへの永住権を許可しようとしたことへの抗議運動が激化し暴徒化した模様。
州政府の大臣の邸宅に火が放たれたり、鎮圧のために警官が発砲し死傷者が出る事態となっている。

そもそもの発端として、インド中央政府が発表したバングラデシュやアフガニスタンからの「ムスリム以外の」少数民族のインド北東部7州への移住を認める法案(いろいろと突っ込みどころがあるが)に対し、ただでさえインドのマジョリティーとは民族も文化も異なり被差別的な立場に置かれている北東部の住民から「そんな勝手なことをされては自分たちの文化が破壊される」と反発が起きていた、という背景がある。

これまでこのブログでも何度も書いていた通り、セブン・シスターズ(7姉妹州)と呼ばれるインド北東部は、州ごとに異なる文化を持ち、一つの州の中にも多様性を持つ複数の民族が暮らしている美しい土地だ。
彼らはアーリア系・ドラヴィダ系の二大民族やヒンドゥー・イスラームの二大宗教に代表される典型的なインド文化とは全く異なるルーツを持ち、マジョリティーである彼らからの差別や抑圧に苦しんできた歴史を持っている。

ヒンドゥー至上主義的な傾向を持つとされるBJP政府が、こうした歴史の上にある住民感情を無視した政策を発表したことに対して、地元の怒りが爆発したというのがこのニュースの背景のようだ。

実際のニュース映像。
ニュース中のPRCというのはPermanent Residenc Certificate(永住許可証)を意味している。


以前ナガランドを舞台にした「あまねき旋律」について書いた記事で紹介したナガのスーパースター、Alobo Nagaもこの混乱に巻き込まれ、Itanagarでの映画祭に出演しようとしていたところ車両を襲われ、25万ルピー相当の楽器や車両を失ったとのこと。
幸いにして彼とバンドメンバーたちに怪我はなかったようだ。


この事件について解説された記事:
https://indianexpress.com/article/explained/arunachal-pradesh-what-is-permanent-resident-certificate-protests-bandh-curfew-5598729/
https://www.indiatoday.in/india/story/arunachal-pradesh-bandh-against-govt-panel-proposals-prc-turns-violent-1462928-2019-02-22

Alobo Nagaが襲撃されたニュースはこちら
http://www.easternmirrornagaland.com/alobo-naga-faces-mob-fury-in-arunachal/


インド好きな人でもインド北東部について詳しい人は少ないだろうし、アルナーチャル・プラデーシュと言われてピンと来る人も少ないと思うが、この暴動が起きているItanagarは、まだこのブログを始めたばかりの頃、いちばん最初にインタビューに答えてくれたメタルバンドSacred SecrecyのTana Doniが暮らす街だ。
正直言って、こう言っては大変失礼だが、私もこういうブログを始めて、インドの音楽を深く掘っていかなければ、意識することのない土地だったかもしれない。

でも、ここに暮らすミュージシャンのことを知ってみれば、Itanagarは私たちと同じように音楽を愛し、演奏し、チャンスの少ない田舎暮らしにうんざりしている、日本人によく似た人たちが暮らす無視することのできない土地だ。

このニュースに関してはどうすれば正解なのか、知識も知恵も足りなさすぎて全くわからないし、正解があるのかどうかも分からない。
それでも、日本では大きく報道されないであろうこのニュースのことを、少しでも読者のみなさんに知って欲しくてこの記事を書いた。
自分の暮らす街で大変なことが起きているのに、そのことを自分と同じように音楽を愛する他の国の人たちが知らない、なんてどうしようもなくさみしいことが少しでも無いように。

世界中では毎日たくさんの悲劇的なことが起こっていて、全てのニュースを追い続けることなんてとても無理だけど、ご縁ができた場所だけでも、せめて気にかけていたい。

Itanagarに早く穏やかな日々が訪れ、俺たちのメタル・ブラザー、Tanaが思う存分"Shitanagar"(この街のことを呪った曲)と叫べますように!
東京から祈りを込めて。



Tana Doniへのインタビュー記事:
この頃は、「なぜインドのなかでも辺境地帯の北東部にたくさんのデスメタル・バンドがいるのか?」という疑問を持っていた時期だった。
「デスメタルバンドから返事が来た!Alien Godsのギタリストが語るインド北東部の音楽シーン」

彼の曲"Shitanagar"はこちらから。
「アルナーチャルのメタル・ブラザー、Tana Doniの新曲!」

アルナーチャル・プラデーシュは自然が豊かな美しい州で、こんなに素晴らしいフェスもある。
今年は日本からポストロックバンドのMONOが出演した。
「日本や海外のアーティストも出演!Ziro Festival!」


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2019年02月24日

Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史

今回は、ボリウッドの大スターであるRanveer Singh主演の映画"Gully Boy"を生み出すまでに至ったインドのヒップホップシーンの歴史を振り返ってみます。
(ムンバイのラッパー、DivineとNaezyをモデルにした映画"Gully Boy"についての記事はこちらから:
「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」
「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」
「映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア」

在外インド人によるDesi hip hopの誕生から、インド都市部でのストリートラップの誕生まで、インドのヒップホップの歴史を、3つに区切って紹介!
(アーティスト名など、文字の色が変わっているところは、そのアーティストを紹介している記事へのリンクになっているのでよろしく)

【Desi Hip Hopのはじまり】(20世紀末〜2005年頃)

「インド系」のヒップホップは、総称して'desi hip hop'と呼ばれる。
'Desi'という接頭辞は、本来は南アジア系ディアスポラ(在外コミュニティー)を意味する言葉。
'Desi hip hop'という言葉は、もともとはイギリスやカナダなどで暮らす南アジア系(インドのみならず、パキスタン、バングラデシュなども含む)移民によるラップミュージックを指していたが、現在ではインド国内のヒップホップを含めた総称として使われることもある。
とにかく、この呼び名からも分かる通り、インドのヒップホップは、海外に暮らす移民たちによる、「在外南アジア系コミュニティーの音楽」として始まった。

Desi hip hop誕生前夜の90年代後半には、イギリスを中心に「バングラー・ブーム」が巻き起こっていた。
このパンジャーブ州発祥の強烈にシンプルでエスニックなリズムは、インド系移民からメインストリームにも飛び火し、そのブームはPanjabi MCが1998年にリリースした"Mundian To Bach Ke"が2003年には世界的なヒットとなるまでに拡大した。
同じく90年代には、タブラ奏者のTalvin SinghやAsian Dub Foundationのようなバンドによる「エイジアン・アンダーグラウンド」と呼ばれるムーブメントもイギリスで勃興。
南アジア系移民によるクラブミュージックとルーツ音楽の融合が本格的に始まり、インド系ヒップホップ誕生の期は十分に熟していたのだ。
こうした状況下で、同時代の欧米の音楽にも親しんだ移民の若者たちが、自分たちの言葉をラップに載せて吐き出すのは必然だった。

初期のdesi hip hopを代表するアーティストを一人挙げるとしたら、カリフォルニアのBohemiaということになるだろう。
Desi hip hopの創始者と言われるBohemiaは、1979年にパキスタンのカラチで生まれ、13歳のときに家族とともにカリフォルニアに移住してきた。
母の死をきっかけに高校をドロップアウトした彼は、南アジア系の仲間とバンドを組んで音楽を作り始める。
やがて彼は、故郷を持たずに放浪するボヘミアンの名を借りて、移民の青春や文化的衝突をリリックに乗せた世界最初のパンジャービー語ラッパーとなり、在外パンジャーブ系コミュニティーを中心に人気を博してゆく。
2002年に発表した彼のデビューアルバムは、地元カリフォルニアよりもインド系移民の多いイギリスで高く評価され、BBCラジオのトップ10にもランクインした。
彼は俳優Akshay Kumarとの親交でも知られ、'Chandni Chowk To China'や'Desi Boyz'といった彼の主演作品への楽曲提供も行なうなど、ボリウッドとヒップホップの橋渡しという意味でも大きな役割を果たした。
Desi hip hopのラッパーたちはアメリカやカナダからも登場したが、シーンの中心はインド系移民の多いイギリスで、マンチェスターのMetz and TrixやウエストヨークシャーのRDBら、多くのアーティストがこの時代から活躍している。

Desi hip hopは、その後も独自の進化を続け、Raxstar(ルートン〔英〕、2005年デビュー)、Shizzio(ロンドン。2006年デビュー)、Swami Baracus(ロンドン。2006年デビュー?)、J.Hind(カリフォルニア。2009年デビュー)ら、多彩なアーティストを輩出している。
2010年代に入ってからは、Desi hip hopという用語の古臭さを嫌い、Burban(Brown Urbanの略。Brownは南アジア系の意)というジャンル名を提唱するアーティストも出始め、Jay Sean(ロンドン。2014年デビュー)のように、音楽性からインドらしさを取り払って人種に関係なく受け入れられるアーティストが登場するなど、シーンは一層の多様化を見せている。


【インド製エンターテインメント・ラップの登場】
海外でのdesi hip hopの流行がインド本国にも伝わると、インドの一大エンターテインメント産業である映画音楽業界が放っておくはずがなかった。
Desi hip hopのアーティストは、イギリスのインド系移民の主流で、バングラーの故郷でもあるパンジャーブ系のラッパーが多かったが、その影響からか、この時期にインドで活躍しはじめたラッパーもパンジャーブ系が多かったのが特徴だ。

その代表格がYo Yo Honey Singhだ。
パンジャーブ州ホシアールプル出身の彼は、イギリス留学を経てデリーを拠点に音楽活動を開始。
Desi hip hopシーンの影響を受けた彼は、2006年にBadshah, Raftaarらとバングラー/ラップユニットMafia Mundeerを結成し、国産バングラー・ラップを作り始める(名義としては各メンバーの名前でリリースされている楽曲が多い)。
この新しいサウンドに流行に敏感なボリウッドが飛びつくと、当初はシンプルなものだった彼らの音楽性は、映画音楽に採用されるにしたがって、どんどん派手に、きらびやかになってゆく。Mafia Mundeer出身のアーティストでは、Honey Singh同様にゴージャスなサウンドが特徴のBadshah、よりヒップホップ色の強いサウンドのRaftaarらもヒット曲を量産し、インドのエンターテインメント・ラップの雛形を作り上げた。
インターネットの普及によりインド国内で多様な音楽が聴ける環境が整うと、ガラパゴス的だったインドの映画音楽は一気に発展し、派手なサウンドのバングラー・ラップはボリウッドでひんぱんに取り上げられるようになる。
また同じ時期には、おそらくはインド初のフィーメイルラッパーということになるであろうHard Kaur(彼女もイギリス育ち)も登場し、現在も映画音楽を中心に活躍している。

彼らのサウンドは、インドではヒップホップとして扱われることが多いが、その音楽性はむしろバングラー・ビートをEDM的に発展させた楽曲にラップを合わせたもの。
アーティストの名前を知らなくても、インド料理店などで流れているのを耳にしたことがある人も多いかもしれない。


【インドのストリートヒップホップ Gully Rapの台頭】(2010年頃〜)
インド社会にインターネットが完全に定着すると、それまで耳に入る音楽といえば国内の映画音楽ばかりだった状況が一変する。
エンターテインメント色の強いボリウッド・ラップとは一線を画するラッパーたちが次々と登場してきたのだ。
高価な楽器がなくても始められるラップがインドの若者たちに広まるのは当然のことだった。
それまで、映画音楽などのようにエンターテインメント産業によって制作され、提供されるのが常識だった音楽を、若者が自分で作って発信できる時代が訪れたのだ。
こうして、インドじゅうの大都市に、アンダーグラウンドなヒップホップ・シーンが誕生した。

ムンバイからは、ケニア出身のラッパーBob Omulo率いるバンドスタイルのBombay Bassment, Mumbai's Finest、そしてストリート出身のDivineやNaezyが登場。
Divineはヒンディー語で「裏路地」を意味するGullyという言葉を多用し、インド産ストリートラップの誕生を印象付けた。
ムンバイは他にもEmiway Bantai, Swadesi, Tienas, Dharavi United, Ibexら、多くのラッパーを輩出し、インドのアンダーグラウンド・ヒップホップの一大中心地となった。
英語、ヒンディー、マラーティーと多様性のある言語が使用されているのもムンバイのシーンの特徴だ。

首都デリーでは名トラックメーカーSez on the Beatを擁するAzadi Recordsが人気を集め、パンジャービーながらバングラではなくアンダーグラウンド・スタイルで人気を博しているPrabh DeepやSeedhe Mautらが台頭してきている。

デカン高原のITシティ、バンガロールでは、バッドボーイだった過去とヒンドゥーの信仰をテーマにしたBrodha Vや、出身地オディシャの誇りや日印ハーフであることで受けた差別の経験をラップするBig Dealらがこなれた英語のラップを聴かせる一方で、地元言語カンナダ語でラップするMC BijjuやGubbiら、よりローカル色の強いラッパーたちも活躍している。

南インドのタミル・ナードゥ州ではHip Hop TamizhaやMadurai Souljourが、ケーララ州ではStreet Academicsらがそれぞれの地元言語(タミル語、マラヤーラム語)で楽曲をリリースし、インド北東部でも、トリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)、メガラヤ州のKhasi Bloodz、アルナーチャル・プラデーシュ州のK4 Kekhoらがマイノリティーとしての民族の誇りや反差別をラップしている。

こうしたアーティストの特徴は、彼らの音楽的影響源がDesi Hiphopやいわゆるボリウッド・ラップではなく、EminemやKendrick Lamarらのアメリカのラッパーだということ。
よりシンプルなトラックにメッセージ性の強いリリックを乗せた彼らは、エンターテインメント色の強いボリウッド・ラップがすくいきれない若者たちの気持ちを代弁し、支持を集めてきた。

各地で同時多発的に勃興したムーブメントは少しずつ大波となってゆく。
ここにきて、アンダーグラウンドなものとされてきたGully Rapが"Gully Boy"としてボリウッドの大作映画に取り上げられるなど、インドのヒップホップシーンはよりボーダレス化、多様化が進み、ますます面白くなっている。
アンダーグラウンドシーン出身のラッパーがメジャーシーンである映画音楽の楽曲を手がけることも多くなってきた。
また、在外インド人系アーティストでは、カリフォルニア出身でソングライターとしてグラミー賞にもノミネートされたことがある米国籍のフィーメイル・ラッパーのRaja Kumariが、映画音楽からDivineとの共演まで、インド系ヒップホップシーンのあらゆる場面で活躍している。

当初、インドのストリート系ラップはアッパーな曲調が大半を占めていたが、昨今ではTre Ess, Tienas, Smokey The Ghost, Enkoreのようによりメロウでローファイ的なトラックの楽曲を発表するアーティストも増えてきた。
世界的なチルホップ、ローファイ・ヒップホップの流行に呼応した動きと見てよいだろう。
ムンバイのラッパーIbexが日本人アーティストのHiroko、トラックメーカーのKushmirとともに日本語のリリックを取り入れたチルホップ曲"Mystic Jounetsu"をリリースしたのも記憶に新しい。

"Gully Boy"のヒットで一気にメジャーシーンに躍り出て来たインドのヒップホップシーンは今後どのように発展し、変化してゆくのか、これからもますます注目してゆきたい。
(…といいつつ、あまりにもアーティストの数が増え続け、もはや追い続けることが不可能なレベルに入って来たとも思うのだけど)


今回の記事で紹介したラッパーたちの楽曲をいくつか紹介します。
かなりの量になるので、興味があるところだけでも聞いてみて。

Desi Hip Hop前夜に世界中でヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach He"(1998年)

今にして思うとあのバングラ・ブームは何だったんだろう。
世界的なブームは一瞬だったけど、その後もインド国内のみならず在外インド人の間でもバングラは愛され続けており、インド系ヒップホップにも多大な影響を与えてきた。

Bohemiaのファースト・アルバム"Vich Pardesa de"(2002年)。

改めて聴いてみて、このあとにインドで流行するヒップホップと比較すると、オリジナルの(アメリカの黒人の)ヒップホップのヴァイブを一番持っているようにも感じる。

そのBohemiaが映画音楽を手がけるとこうなる"Chandni Chowk To China"(2009年)

その後のボリウッド・ラップとも異なる、これはこれで面白い音楽性。
Chandni Chowkはデリーの要塞遺跡ラール・キラーにつながる歴史ある繁華街の通りの名前だ。

Sunit & Raxstar "Keep It Undercover"(2005年)

トラックにインド音楽をサンプリングするのはその後のインド本国でのヒップホップでもよく見られる手法。

Shizzio FT Tigerstyle "I Swear"(2009年)

Shizzioは2010年代以降、新しいDesiミュージックとしてBurbanを提唱するアーティストの一人。

Swami Baracusは音楽的にはまったくインドらしさを感じさせないラッパー。 "The Recipe"(2011年)


Jay Sean "Down ft. Lil Wayne"(2009年)

かつてはもっとインド色の強い音楽性だったJay Seanは、無国籍な作風となったこの曲でビルボードチャートNo.1を達成。
インド系のアーティストとしては初の快挙。

Yo Yo Honey Singh ft. Bill Singh "Peshi"(2005年)

Yo Yo Honey Singhのデビュー曲はのちの音楽性よりもシンプルでバングラ色が濃厚!

最新の楽曲は昨今流行りのバングラのラテン的解釈
Yo Yo Honey Singh "Makhna"(2018年)


Badshah "Saturday Saturday"(2012年) 

典型的なボリウッド・パーティー・ラップ。
歌い始めのところで「食べやすい」と聞こえる空耳にも注目。

Raftaar x Brodha V "Naachne Ka Shaunq"

ボリウッド・ラップとストリートシーン出身のラッパーの共演例のひとつ。

Hard Kaur "Sherni"(2016年)

イギリス育ちのフィーメイル・ラッパーの草分けHard Kaur.
Raja Kumariもそうだが、こういうラッパー然とした佇まいはなかなかインド出身の女性には出せないのかもしれない。

Bombay Bassment "Hip Hop (Never Be the Same)"(2011年)

レゲエ的な曲を演奏することも多いBombay Bassmentはムンバイのシーンの初期から活動しているグループだ。ベースやドラムがいるというのも珍しい。

Mumbai's Finest "Beast Mode"(2016年)

オールドスクールな雰囲気満載のこの曲はダンスやスケボーも含めたムンバイのヒップホップシーンの元気の良さが伝わる楽曲。

Divine ft. Naezy "Mere Gully Mein"(2015年)

映画"Gully Boy"でも効果的に使われていた楽曲のDivineとNaezyによるオリジナル・バージョン。
映画公開以来Youtubeの再生回数もうなぎのぼりで、ボリウッドの力を思い知らされた。

"Suede Gully"(2017年)はDivine, Prabh Deep, Khasi Bloodz, Madurai Souljourとインド各地のシーンで活躍するストリートラッパーの共演。

Gullyという言葉がインドのヒップホップシーンで多様されていることが分かる。
ご覧の通りPumaのプロモーション的な意味合いが強い楽曲で、この頃からアンダーグラウンド・シーンに大手企業が注目してきていたことが分かる。

Street Academics "Vandi Puncture"(2012年)

ケララ州を代表するラッパーデュオStreet Academics.

Smokey the Ghost "Only My Name ft. Prabh Deep"(2017年)

 Sezプロデュースのこの曲はチルでジャジーな新しいタイプのインディアン・ヒップホップサウンド。

Tienas "18th Dec"(2018年)

ムンバイのTienasのこの曲はインドのヒップホップ界を牽引するデリーの新進レーベルAzadi Recordsからのリリース。

Raja Kumari "Karma"(2019年)

Raja Kumariはこの曲や先日紹介した"Shook"を含む5曲入りのアルバム"Bloodline"を2月22日にリリースしたばかり。
やはり唯一無二の存在感。

2019.3.7追記:このあとに書いた印パ対立の犠牲となってきた悲劇の地カシミールで自由を求めてラップするストリートラッパーMC Kashについてはこちらから。「カシミール問題とラッパーMC Kash

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2019年02月17日

映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)

インドでもここ日本でも大注目の、ムンバイのヒップホップシーンを題材にした映画"Gully Boy"の自主上映会に行ってきました!(Spaceboxさん主催、@キネカ大森)

GullyBoy

あらすじは自分が見るまで知りたくないという人もいると思うので、別の記事にまとめてあります。
他に、ストーリーに関連した見どころやトリビアなんかも書いてあるので、そっちも読んでみたい方はこちらからどうぞ( "Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア)。

じつは、感想を書くにあたって、「たぶんこんな感じだろうな」と思って書きかけていたものがあったのだけど、実際に映画を見てみたら、これがもう本当に素晴らしく、あまりにも感じたことや気づかされたことが多くかったので、事前に書いたものを全て消して今新たにこの文章を書いている。

Ranveer Singh演じる主人公は、ムスリムのラッパー、Murad.
以前も書いたように、この映画は実在のムンバイのラッパー、Divine(クリスチャン)Naezy(ムスリム)を題材にしたもので、MuradはNaezyをモデルにしたキャラクターということになるようだ。
てっきりDivineが主人公だと思っていたので、これにはけっこう驚いた。
どうやら映画の中でMuradの兄貴分にあたるMC Sher(Siddhant Chatruvedi)がDivineをモデルにしたキャラクター(ラップの吹き替えもDivine)にあたるらしい。
(DivineやNaezyについては、こちらの記事をどうぞ「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」) 

とはいえ、二人のキャラクター設定は実際のDivineとNaezyとは違うところが結構あるので、やはりZoya Aktar監督の言うとおり、これは伝記映画というよりも、彼らをモチーフにしたフィクションとして見るべき作品なのだろう。
(映画の冒頭には、きちんと'Original Gully Boys'としてDivineとNaezyの名前が出てくるのだが)

なんといってもこの映画でとにかく印象に残ったのは、Ranveerの演技の素晴らしさ!
予告編やポスターを見る限り、Ranveerの七三分けみたいな髪型や自信なさげな様子が、ラッパー役にしては違和感があるなあと感じていたのだけど、これが実はMuradの内面の繊細さや抑圧された状況を表す演出であって、そんな彼がラップを通して自信と自由と成功を手に入れてゆく過程が、じっくりと丁寧に描かれている。
実際のNaezyを撮影した"Mumbai 70"という短編ドキュメンタリーを見たことがあるが、この中でオフステージのNaezyが見せていたのと同様の繊細さがうまく再現されていた。



まだまだヒップホップが一般的でないインドで、兄貴肌でワイルドなイメージのDivineを主人公にしても共感は得られにくいだろうから、この設定は非常にうまくできているのではないだろうか。
吹き替え無しで臨んだラッパーとしてのパフォーマンスシーンももちろん圧巻で、Ranveerはこの映画でほんとうに良い仕事をしたと思う。

映画全体を見ても、貧しい生まれの青年のラッパーとしてのサクセスストーリーを軸に、恋愛、家族との葛藤、格差、貧しさゆえに手を染める悪事などの要素もうまく盛り込まれていて、単なる音楽映画でも青春映画でもない重厚な作品に仕上がっていた。
また映像がとても美しかったのも印象的だ。

ボリウッドにつきもののミュージカル/ダンスシーンのヒップホップへの翻案は、下手をするとかなりださいものになってしまうのでは、と心配していたのだけど、ミュージックビデオの撮影というとても自然な取り入れられ方をしていて、ストリート感覚とエンタメのバランスの良さに感心させられた。


また、ラップのリリックの内容に社会性が強いものが多かったという点も特筆したい。
いくつか紹介すると、「なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか」というテーマの"Doori"はZoya Akhtar監督の父で、詩人/作詞家/脚本家としても著名なJaved Akhtarの詩をDivineがリライトしたもの。
 

"Azadi"は「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。
Azadiは自由という意味のヒンディー語で、デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
この曲の"A-Za-di!"というコーラスはデモ行進のシュプレヒコールを思わせるもので、この映画がヒップホップを社会運動的な側面を持つものとして描いていることがよくわかる楽曲。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.

 

こうしたテーマは、じつはストリートの生活やそこに暮らす人々の心のうちを扱うことが多い実際のNaezyやDivineのリリックよりも、かなり具体的で政治的なものだ。
(ムンバイで政治的、社会的なテーマを扱うラッパーとしては、MC MawaliとMC TodfodのデュオであるSwadesiがいる)
インドで最初のストリートヒップホップを題材にした映画(それも大物俳優の出演した大作)が、娯楽的なサクセスストーリーだけではなく、こうしたラップが持つ社会的な意義をもテーマにしたということは、すごく重要なことだと思う。
ボリウッドが、ラップを単なるエンターテインメントでも成り上がりの手段でもなく、持たざるものが声を上げ、社会に対峙するための武器として描いたことはきちんと評価したい。

日本でヒップホップ映画を撮ると、どうしても『サイタマノラッパー』みたいに、「ヒップホップの美学と日本人のメンタリティーの間にあるギャップにフォーカスする」という視点になりがちだけど(それはそれで大好きだが)、映画の中のムンバイのラッパーたちは、自身のおかれた社会的状況や格差や不正義をストレートにラップし、喝采を浴びる。
これは国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、表現者がどれだけ社会の抑圧をリアルに感じているかということが大きく関係しているように思う。

抑圧された人間が、自分の心のうちを自分の言葉(ラップ)で表現することによって、いかに自由とプライドを取り戻せるのか。
ヒップホップでどんな夢が見られるのか。
個人のラップが、一人の人間だけでなく、彼がレペゼンするコミュニティーにとってどんな意味を持ちうるのか。

この映画で提示されたテーマは、インドのみならず、世界中の都市に暮らす人々やヒップホップファンにとってもリアルに感じることができるものだと思う。
つまり、この映画は、DVDになったときに、『バーフバリ』とか『ムトゥ』の隣ではなく、"8 Mile"とか、"Straight Outta Compton"の隣に並べてもまったく構わないということだ。
夢を追うミュージシャンのサクセスストーリー、もしくは実在のアーティストの脚色された伝記という括りで、『アリー スター誕生』とか、『ボヘミアン・ラプソディ』の隣にこの映画のDVDを並べたって構わない。
いや、むしろそうしてほしい。 
この傑作映画は、インド映画好きのためだけの映画ではまったくない。

また、この手のヒップホップがまだまだアンダーグラウンドであるインドの市場を考えてのことだと思うが、ストーリーの中で、ヒップホップ/ラップがどんなものなのかという説明もさりげなくされる構成になっているところにも感心した。
ヒップホップに興味のない人も置いていかないようになっているから、ヒップホップ映画ではなく、単に一人の人間の成長物語としても、社会的な映画として見ることもできるのだ。


個人的な話になるが、現代のインドの音楽に興味を持ったきっかけのひとつが、90年代にインドを旅したときに、「インド社会の中で抑圧された人たちが、アメリカの黒人のように音楽で主張をし始めたら、すごいことになるだろうなあ」という気持ちを抱いたことだった。
今、それがまさに実現していて、こうしてインドのエンターテインメント界の大本山であるボリウッド映画にまでなったということに、なんというかもう感慨無量だ。

インド映画について語る時、「インド社会は現実があまりにも厳しいから、現実にはありえないような夢物語が大衆に好まれる」という趣旨のことが言われがちだが、この映画に関しては夢物語でもなんでもなく、実際にストリートからのし上がったラッパーたちがモデルになっているのだ。
エミネム主演の"8 Mile"に似ている部分もあるが(とくにラップバトルのシーン)、"8 Mile"の背景として、音楽業界の発展したアメリカ社会では、ラッパーとして有名になることによって社会的・経済的な成功が得られるというコンセンサスがあった。
インドの場合、ストリート出身者がラップをしても、それでプロになって暮らしてゆけるなんて、かつては誰も思っていなかった。
"Gully Boy"は、すでに確立された形で夢を叶えた成功物語ではなくて、インドの常識を変えた「最初の一人」を象徴的に描いているというところにも大きな意味があるのだ。

そして、「インドにおけるストリートラッパー(=gully boy)のサクセスストーリー」という映画の物語とは別に、「ストリートラッパーの人生がスター俳優主演でボリウッドで映画化する」というこの映画そのものが、この映画のモデルになったNaezyやDivineにとっての最高のサクセスストーリーになっているわけで、この現実と映画がリアル絡み合った状況がインドのインディーミュージックファンにはもうたまらない。

この映画のテーマ曲"Apna Time Aayega"は「俺の時代がやって来る!」と宣言する楽曲。


この「俺の時代」とは、インドじゅうのアンダーグラウンドラッパーが注目される時代であり、声なき者たちの声をラップという形で社会に広く届けることができる時代であり、また抑圧された境遇に生まれた者がインディーミュージックに夢を持つことができる時代のことなのだ。

学生時代以降、あんまりインドに行けていないけど、ずっとインドを好きでいて良かった。
素直にそう思えた映画だった。
まだインターネットが一般的でない時代の、欧米や東アジアとは完全に別世界だったインドも懐かしいけど、新しいインドもやっぱり最高に面白い。
そのインドの中から、こうして普遍的な魅力をもった音楽映画が出てきたということが、とても感慨深かった。
でもほんと、そんな個人の感慨なんてどうでもいいくらいの歴史的な映画だった!

改めて、日本での一般公開が待たれる素晴らしい映画でした。
今度は日本語字幕でしっかりと見てみたい! 
本当はヒンディーやウルドゥーが分かったら何倍も楽しいのだろうけど。

多少ネタバレがあっても良いからもっと読みたい、という人はあらすじの記事も読んでみてください。


(関連記事「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」

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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 


映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア

映画"Gully Boy"のレビューを書いてみたのだけど(リンクはこちら)、あらすじについては映画を観るまで知りたくない、という人もいると思うので、レビューとは別にこちらの記事に書くことにします。
あらすじと言っても、全てを書いてしまっているわけではなく、ちょうど映画のパンフレットに書いてあるくらいの感じにしたつもりです。
見どころ、楽曲紹介とトリビアも書いてあるので、映画を観終わってから読んでも「あのシーンにはああいう背景があったのか」と楽しめるものと思います。

あらすじは読みたくないけど見どころとか楽曲紹介とかトリビアだけ読みたい、という人は、一度記事の一番下までスクロールしていただいて、そこから少しだけ上に戻ってみてください。
多めの改行がしてあるので、あらすじを読まずに済むようになっています。

前置きが長くなりましたが、あらすじはこの下から!
























"Gully Boy"あらすじ

イスラム教徒の大学生Murad(Ranveer Singh)は、家族とともにインド最大のスラム、ダラヴィに暮らしている。
彼はときに悪友の起こす悪事に巻き込まれたりしながら、退屈で希望の持てない青春を過ごしていた。
彼は一人になるとノートに自作のラップのリリックを書くほどのヒップホップファンだが、憧れのNas(アメリカのラッパー)はあまりにも遠い存在だ。
MuradにはSafeena(Alia Bhatt)という幼なじみの恋人がいるが、裕福で保守的な彼女の両親は、二人の交際を認めてくれるはずもなく、二人はお互いの家族に分からないように会わなければならなかった。

ある日、大学でのコンサートでMC Sher(ライオン)と名乗るラッパー(Siddhant Chaturvedi)のステージを見たMuradは大きな衝撃を受ける。
ムンバイにもアンダーグラウンドなヒップホップシーンがあることを知ったMuradは、ラップバトルの場を訪れ、Sherに「よかったら自分が書いたリリックをラップしてくれないか」と話しかけるが「ラップは自分自身の言葉で語るものだ」と返されてしまう。
自分がラッパーになる気は無かったMuradだったが、Sherにうながされ、彼は自作のリリックを初めて人前で披露することになるのだった。

彼がYoutubeにアップした動画は、アメリカの名門音楽学校、バークリー出身の女性ビートメーカーSky(Kalki Koechlin)の目に留まり、Sherと彼女とMuradの3人での音楽活動が始まった。
本格的にラッパーとなったMuradは、スラムのストリート出身であることから、「ストリートの少年」を意味する'Gully Boy'と名乗ることになった。

ラッパーとしての活動を始めたMuradだが、そんな時に父が事故にあい、怪我のために働けなくなってしまう。
彼は父に代わって裕福な家族の運転手として働くことになるが、そこでスラムに暮らす自分との圧倒的な貧富の差を目の当たりにするのだった。
Sherの励ましで、自分の見たこと、感じたことを率直にラップすることを決意したMuradは、格差やストリートでの生活をテーマにしたラップをレコーディングし、地元ダラヴィのストリートでミュージックビデオ撮影を決行。
その動画が高い評価を受け、Muradは人気ラッパーになってゆく。
しかし父は彼のラッパーとしての活動に大反対する。
「音楽などして何になるのか。お前にそんなことをさせるために教育に金を注ぎ込んできたわけではない」と父は激怒。
ミュージックビデオの成功を祝うパーティーでは、嫉妬深いSafeenaがSkyとの関係を誤解してトラブルになり、そのことがきっかけでSafeenaとも別れてしまう。
家では父が母に暴力を振るい、Muradと母と弟は家を出て暮らすことになる。

途方にくれるMuradだったが、彼はアメリカの人気ラッパー、Nasのインド公演のオープニングアクトを決めるラップバトルが行われることを知り、この夢のような機会に応募することを決める。

なんとか大学を卒業したMuradは、叔父の会社で働くことになった。 
貧しい生まれの彼にしては十分すぎるほどの境遇だ。
だがそこでは、ラップバトルに参加するための休みを取ることは許されず、「使用人の子はしょせん使用人」と屈辱的な言葉を浴びせられてしまう。
Muradは夢を選ぶのか、安定した人生を選ぶのか…。



























'Gully Boy'の見どころ!
  • この映画の中で、ヒップホップは、序盤では退屈で希望が持てない日常を忘れさせてくれるものとして、中盤では自分自身の言葉を語り誇りと自由を取り戻すためのものとして、終盤ではストリート出身のMuradが夢を叶えるための手段として描かれている。また、終盤のあるシーンで、Muradのラップが、Muradのためだけのものではなく、彼が暮らすダラヴィ17のコミュニティーの声を代弁するものであることが示唆される。Zoya Akhtar監督は、本当にヒップホップに対する正しい理解のもとでこの映画を作成したと思う。
  • 映画の序盤、Muradは、「ヒップホップファンではあるが、ラッパーになる気はない若者」として描かれる。この映画は、そんな彼がラッパーになろうとする過程で、Sherからヒップホップの表現者としての精神を教わってゆくという構成になっている。まだこの手のヒップホップがアンダーグラウンドな存在であるインドで、観客に分かりやすくヒップホップ文化を伝えることができるよう、うまくできた構成だ。
  • 映画の冒頭、悪友Moeenが車両強盗をするシーンで、盗んだ車の中でかかる曲は、典型的なインドの売れ線ヒップホップ。Muradがこの手のヒップホップを拒否するシーンを見せることで、彼がコマーシャルなものではなく、よりリアルなヒップホップを志向していることを暗示している。(MC Sherのステージを見るまで、Muradが地元のシーンを知らなかったようにも見えるので、「彼はアメリカのヒップホップに憧れてヒンディーでリリックを書いているがムンバイにヒップホップを実践している人がいるとは知らなかった」ということだろう)
  • この映画のラップバトルのシーンが独特で、DJやビートに合わせるのではなく、トラック無しで1ターンずつラップしあうというもの。インドではこれが一般的なのだろうか。
  • Muradのラップを高く評価して、トラックメーカーとして名乗り出たSkyと名乗る人物を、彼とSherは男性だと思っていたが、会ってみると正体はボストンの名門バークリーで学んだ女性だった。貧しいMuradとSherは、大学で音楽を学ぶということが想像できない。二人にとって、教育とは現実的な収入の良い仕事につくためのものでしかなく、音楽がキャリアになるとは考えたこともないからだ。インドの富裕層/エリート層のミュージシャンが、ヒップホップというカルチャーを通して、ストリート出身の二人と出会う象徴的なシーンだ。実際にバークリー出身のインド人女性ミュージシャンに、シンガーソングライターのSanjeeta Bhattacharyaや日本で活躍するジャズ/ソウルシンガーのTea(Trupti Pandkar)らがいる。
  • Muradに惹かれてゆくSkyに、生まれ育った境遇があまりに違う彼は戸惑って「どうして僕のことなんかが好きなんだい?貧しい階級の出身なのに」と尋ねる。それに対してSkyは「あなたはアーティスト。どこから来たかなんて気にしない」と答える。ヒップホップという自由を希求する音楽に惹かれながらも、Muradもまた階級意識から自由になれていないということが分かる。
  • 若者が主人公のインド映画では、たいてい親子の価値観の違いによる断絶が描かれるが、この映画もまた然り。Muradの親もSafeenaの親も厳格で保守的だが、それは子どもたちに安定した幸福な暮らしができるようになってもらうための愛情でもある。だが、若い世代にとっては安定よりも自由こそが幸福なのだ。
  • ラップコンテストのシーンで審査員を務めている垢抜けた感じの人たちは、アメリカやイギリス生まれのインド系移民のミュージシャンたち。このブログでも取り上げたRaja Kumariの姿も見える。このシーンは、これまで海外のインド系移民や、裕福な層(この映画の中ではSky)を中心に作られてきたインドのインディーミュージックシーンに、いよいよ本物のストリート出身のアーティストが加わることになる瞬間を描いたものとして見ることもできる。
  • ラップコンテスト予選のシーンは、最初のラップバトルのシーンと対になっている。ヒップホップにおいて大事なのはファッションではなく言葉の中身であることが示されるシーンだ。「インドで最初のヒップホップ映画」がヒップホップをファッションではなくよりリアルなものとして描いていることはきちんと覚えておきたい。
  • 負傷した父に代わり、裕福な家庭の運転手として働くことになるMurad. 運転手は、貧しい生まれの者が決して手が届くことがない富裕層の世界に触れることができる象徴的な職業だ。金持ちの運転手を務める使用人の境遇については、アラヴィンド・アディガ(Aravind Adiga)の小説「グローバリズム出づる国の殺人者より」(原題"The White Tiger")に詳しい。
  • ラップコンテストのシーンでは、実際にインドのアンダーグラウンドシーンで活躍するラッパーが何人もカメオ出演している。名前が出てきただけでも、Shah Rule, Emiway Bantai, Kaam Bhari, MC Todfod, Malic Sahab, Checkmate, Stony Psyko, Shaikspeare… 他にもいたかな。
  • ステージに向かうMuradが神に祈りを捧げるシーンがある。また、成功を納めた彼をスラムの住人が老若男女も宗教の区別もなく祝福する場面もある。ムンバイのスラムで、ヒップホップが信仰やローカル社会と矛盾するアメリカの文化ではなく、生活に根ざしコミュニティーを代弁するものになっていることが分かるシーンだ。 
  • Muradがダラヴィのストリートで撮影した映像は評判を呼び、多くの支持を集めるが、それでも彼は音楽で生きてゆくという決心がなかなかつかず、父親も彼がラッパーとして生きてゆくことを認めようとしない。インドではCDやカセットテープが音楽流通の主体だった時代にインディーミュージックが栄えることはついになかった。インドで音楽で生計を立てるには、映画音楽などの商業音楽の道に進むか、厳しい修行を経て古典音楽のミュージシャンになる以外の道は、ほぼなかったのだ。インターネットを介して誰もが様々な音楽を享受/発信できる時代になって、初めてインドのインディーミュージックシーンが発展しはじめた。つまり、音楽は無料で聴くものであって、いくらそこで評判を得ても、音楽を売ってプロになるという道はいまだに整備されていないのだ。そういう現状を踏まえると、ストリートから音楽で成功したNaezyとDivine、そして映画の中のMuradの見え方がまた変わってくるのではないだろうか。






映画に使われた楽曲たちをいくつか紹介!

傷ついた心と母親への愛、そしてインドに本物のヒップホップを届けるぜ!という気持ちをラップする"Asli Hip Hop"はアンダーグラウンドシーンのラッパーSpitfireによるもので、ラップしているのは主演のRanveer自身。
映画の中ではラップバトルのシーンに使われていた。
インド人の母親への愛情表現はいつもストレートだが、ラップバトルでお母さんへの愛情をラップするというのはちょっと面白い。
アメリカだと相手の母親をけなすというのは聞いたことがあるけど。


「俺たちの時代が来る」とラップする"Apna Time Aayega".
この曲はボリウッドに取り上げられにわかに注目を集めたアンダーグラウンド・ラップの象徴的な扱いをされていて、多くのラッパーがこの曲のタイトルに関連した発信をソーシャルメディア上でしている。
DivineとDub Sharmaによる楽曲をこれもRanveer自身がラップ。
映画のなかのこの曲のシーンでは、涙が止まらなくなった。


Zoya Akhtar監督の父、Javed Akhtarによる詩をDivineがリライトした"Doori".
映画の中ではこの曲でMuradの詩的センスが高く評価されることになる。
なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか、といった内容を詩的に表現した曲で、これもRanveer.
彼は本当にラップをがんばっている。


「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。"Azadi"
Azadiは自由という意味。デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
この曲の"A-Za-di!"というコーラスはデモ行進のシュプレヒコールを思わせるもので、この映画がヒップホップを社会運動的な側面を持つものとして描いていることがよくわかる楽曲。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.

"Azadi"のコール&レスポンスはインドのデモの定番で、音楽の場で使われている例としては、以前紹介したデリーの社会派レゲエ・アーティストのTaru Dalmiaの活動を追ったドキュメンタリー(「Ska Vengersの中心人物 Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」)の最後にも出てくる。

"Train Song"はカルナータカ州出身の人気フォーク(伝統音楽)系ポップ歌手Raghu Dixitと90年代から活躍する在英エレクトロニカ系アーティスト/タブラプレイヤーKarsh Kaleの共演で、プロデュースにはMidival Punditzの名も。


"India 91"は古典音楽カルナーティックのパーカッション奏者Viveick Rajagopalanのリズムに合わせてMC Altaf, MC TodFod, 100 RBH, Maharya & Noxious Dがラップする楽曲。
伝統のリズムとラップの融合という、インド特有のヒップホップ文化にもきちんと目配りがされていることがうれしかった。
元ネタは以前このブログでも紹介したRajagopalanとSwadesiのコラボレーションによる楽曲"Ta Dhom".(「インド古典音楽とラップ!インドのラップのもうひとつのルーツ」



トリビア

最後に、映画の設定と実際のDivineとNaezyとで違うところや、トリビア的なものを挙げる。
これ以外にもたくさんあると思うけど、やはり監督Zoya Akhtarの言う通り、これは伝記映画ではなく、DivineとNaezyをモデルにアンダーグラウンド・ヒップホップシーンを描いたフィクション映画として楽しむべきものなのだろう。

  • 映画の舞台は、『スラムドッグ・ミリオネア』と同じ「インド最大のスラム」ダラヴィになっていたが、Naezyが生まれ育った街はBombay70ことクルラ地区の出身で、Divineは西アンデーリー出身。いずれもスラムと呼ばれる土地ではある。
  • Divineをモデルにしたと思われるMC Sherは、映画ではどうやらヒンドゥーという設定のようだったが、実際のDivineはクリスチャンで、本名はVivian Fernandes. 不良少年だったが、教会では敬虔に祈りを捧げることから、Divineの名を名乗ることになった。
  • 映画ではMC Sherは母親がいない設定だったが、実際のDivineが育った環境はシングルマザーの家庭だった。実際はその母親も海外に出稼ぎに出ていたため、祖母のもとで育てられた。
  • Muradが暮らす家をスラム体験ツアーで欧米人ツーリストが訪れたときに、Muradがツーリストが着ているNasのTシャツに反応するシーンがあるが、実際のDivineがヒップホップに興味を持ったきっかけは、彼のクラスメートが50 CentのTシャツを着ていたことだった。
  • 映画では、MC SherがMuradに自分の言葉で自分でラップするように諭す存在として描かれているが、現実の世界でも、活動初期に英語でラップしていたDivineに対して、ヒンディー語でのラップを勧めたラッパーがいる。Camoflaugeの名でトロントでラッパーとして活動しているGangis Khanだ。
  • 最初のラップバトルで、Muradが着ていたニセモノのアディダスを馬鹿にされ、何も言い返せなくなってしまうシーンがあるが、実際にニセモノのアディダスをテーマにした曲をリリースしたムンバイのラッパーがいる。英語でラップするTienasが2017年に発表した"Fake Adiddas"がそれで「ニセモノのアディダスと安物の服にはもうウンザリ」という内容。
  •  
  • 映画ではMuradはSafeenaにプレゼントされたiPadを使って本格的にラップを始めるが、実際のNaezyは、父親にプレゼントされたiPadを使ってレコーディングし、ミュージックビデオを撮影してYoutubeにアップロードしたことが注目されるきっかけとなった。


ちなみにDivineの"Jungli Sher"もiPhoneで撮影されたミュージックビデオという触れ込みだが、これはメジャーのソニーからリリースされた楽曲なので、貧しさゆえというよりは話題作りという意味合いの強いものだろう。


映画の中でも、彼らが地元ダラヴィでミュージックビデオを撮影するシーンが出てくるが、この"Mere Gully Mein"はDivineとNaezyによるオリジナルにRanveerのパートを追加したもの。
 

  • 映画ではMuradが暮らすスラムの地区は「ダラヴィ17」と呼ばれ、Gully Boyはダラヴィ17をレペゼンするラッパーとしてラップコンテストに望むことになるが、Naezyが生まれ育ったクルラ地区のスラムのエリアコードは"Bombay 70"。彼をモチーフにした短編ドキュメンタリー映画のタイトルにもなった。
 

  • この映画のエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている米ヒップホップ界の大スターNas(ナズ). パキスタンや北インドのムスリムの間で話されるウルドゥー語で'Naz'とは「あなたがどんなときも常に愛されていることを知ることで得られる安心感と自信」という意味の他の言語に訳せない言葉。単なる偶然だが、この映画のテーマを考えると暗示的ではある。この映画のためにNas, Divine, Naezy, Ranveer Singhがコラボした"NY Se Mumbai".
 

と、いろいろと語らせてもらいました。
個人的に好きなのは、Muradが家の中でiPadでラップの練習をしていて「独り言はやめなさい。縁起が悪いから」と母親に言われるシーンと、家でステージでのパフォーマンスの練習をしていたところに父親が帰ってきて、あわてて何もしていない振りをするシーン。
世界中のラッパー志望の若者たちが共感できて笑えるすごく素敵なシーンだと思った。


いずれにしても、この映画でインドのヒップホップシーンがますます注目され、活性化することは間違いない。
そんな中で、Divineは自らのレーベル'Gully Gang Entertainment'を発足することをアナウンスした。
そこからいったいどんなアーティストが出て来るのか、本当に楽しみで仕方がない。 


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2019年02月15日

日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?

このブログではこれまでも日本のカルチャーの影響をうけたインドの音楽を紹介してきたが、ここに来てその究極とも言える楽曲がリリースされた。

ムンバイを拠点に活動するラッパーIbexが、現地でインドの伝統舞踊カタックのダンサーとして活躍するHiroko Sarah(この曲ではコーラスを担当)とコラボレーションし、ビートメーカーのKushmirがトラックを作った曲の名前は"Mystic Jounetsu(ミスティック情熱)"!!

以前からこのプロジェクトについて、日印の文化が融合したものになると聞いてはいたのだが、まさかこう来るとは!
様々な言語のラッパーが活躍するインドで、ここまで本格的に日本語でラップしたのはIbexが初めてではないだろうか。
アゲアゲなトラックが多いインドのヒップホップシーンのなかで、この曲ではKushmirのチルホップ寄りのトラックにHirokoが歌うどことなく和風なメロディーがきれいにはまっている。

リリックはこちら(https://genius.com/Ibex-mystic-jounetsu-lyrics-lyrics)からご覧いただけるが、なんといきなり故Nujabes(チルホップの創始者とされる日本のアーティスト)への追悼から始まる。
お聴きの通り日本語の単語がほとんど全てのラインに入っていて、Ibexの日本のカルチャーへの愛着が感じられるものになっているので、聴くだけではなく、ぜひ読んでみてほしい。

さっそくIbex, Hiroko, Kushmirの3人にインタビューを申し込み、この曲が生み出された背景やインドのヒップホップシーン、そしてインドにおける日本文化についてたっぷり語ってもらった。
今回はその様子をお届けします。
読み応えあり!



凡平「このプロジェクトを始めたきっかけを教えてください。そもそも誰の発案だったのでしょうか?」

Ibex「俺は基本的にはラッパーだけど、ミキサーもやっているんだ。
あるときクライアントの一人がチルホップのビートにあわせてレコーディングしていて、それがきっかけでチルホップというジャンルに興味を持った。
そこから掘り下げて聞いているうちに、チルホップのパイオニアの今は亡きNujabesサンを見つけたんだ。
俺は大のアニメファンでもあって『サムライ・チャンプルー』を見ていたんだけど、あとになってこのアニメの曲は全部Nujabesサンがやっていたって気がついたよ。
ラッパーにとってチルホップのビートに合わせて曲を作るのは本当にクールなこと。
このジャンルは日本で生まれたわけだし、日本の要素を入れることでこの曲をさらなるレベルに高められると思ったんだ」

チルホップ(Chill-hop)やローファイ・ヒップホップ(Lo-Fi Hiphop/Lo-Fi Beats)と呼ばれるジャンルはここ数年世界的なブームになっていて、興味深いことに世界中のこのジャンルのトラックメイカーたちが、ヴィジュアルイメージに日本のアニメを取り入れている。
(例えばこんな感じ。このジャンルについてはこの記事に詳しい。beipana: Lo-Fi Hip Hopはどうやって拡大したか

もともと典型的なバッドボーイ文化だったヒップホップと、オタク・カルチャーであるアニメがこんなふうに結びつくというのは非常に面白い現象だ。
Beipanaの記事にも、アニメ『サムライ・チャンプルー』がこの2つを結びつけたきっかけのひとつだと書かれているが、このIbexの回答はそれを裏付けるものだ。


凡平「3人はどうやって出会ったんですか?HirokoとIbexが最初に知り合って、そのあとにこのトラックを作るためにKushmirを見つけた、と聞きましたが…」

Hiroko「Ibexは昔からドラゴンボールやジブリのアニメとか、ゲーム、寿司や日本食、日本文化が大好きで、私が日本人だからということと、二人ともムンバイをベースにアーティスト活動と会社勤めをしているという状況が似ていたので、意気投合して、そのうち何かコラボで作品が作れたら良いねーと話していたんです。
そんななかで、Ibexが日本語ラップの作品を作りたいとアイディアを出して、私がそれに賛同してこのプロジェクトが始動しました。
私はIbexに日本語を教えたり、作詞を手伝ったり、そしてコーラスもすることになったんです」
 
Ibex「こういうジャンルはインドでは全く新しいものだったから、プロデュースしてくれるアーティストを探していたんだ。日本人のアーティストも探したよ。
そのときにKushmirのアルバムを聴いたんだ。それはアンビエントだったんだけど、まさに15分間の至福だった。
アンビエントとチルホップは近いジャンルだし、彼こそが俺たちの曲をプロデュースするのに最適だと感じた。そしたら彼もこのアイデアを気に入って、すぐにこのプロジェクトに入ってくれたんだ」

Hiroko「実は、『ミスティック情熱』は三年越しのプロジェクトなんですよ。
最初にIbexと私で日本語で歌詞を作って、Nujabesのビートにラップとコーラスを乗せたデモテープを作り、それをベースにしてビートメイカーを探しました。
インドではchillhopはメジャーではないので、ビートメイカーは海外か日本で探していたんですが、なかなか決まらなくて。そんな時にIbexのひらめきでKushmirに打診したら、快諾してくれて、ようやくビート制作が始動しました。
ビートが完成して、私が日本に一時帰国中に歌のレコーディングと日本のシーンの撮影を行ったんです。
そしてラップと歌を乗せてミックス・マスタリングした曲が完成し、ムンバイでのMV撮影を計画したんですが、DOPの人が忙しかったり、ムンバイの長いモンスーンシーズン(雨期)に入って撮影ができなかったりで、延び延びになってしまって。その後数ヶ月して、ようやく撮影が完了し、映像編集へ入れました。
しかし、またまた依頼していたエディターが忙しくて進まず、結局Ibex自身が映像編集をすることに決めたんです。
会社の仕事や次の音楽プロジェクトと並行しての映像編集はかなり大変だったと思いますが、Ibexは諦めず、頑張ってベストな作品を作ってくれました。
映像編集をするときには、元ウェブデザイナー、グラフィックデザイナーでもある私がカラーコレクションのアドバイスをしました」


ここで少し補足すると、映画音楽や伝統音楽以外の音楽シーンがまだまだ発展途上のインドでは、音楽だけで生計を立てているミュージシャンというのは本当に少ない。
ほとんどのミュージシャンが、昼は別の仕事をしながら、限られた時間を音楽制作に充てているという現実がある。
インドでは映画音楽などの商業音楽でない限り、「音楽で食べてゆく」というのは極めて難しい。
難しいというよりも、「インディーミュージシャンからプロになる」という道筋が、いまだにきちんと整備されていないのが現状なのだ。
日本に例えると、バンドブーム以前の状況を思い出してもらえれば少し近いかもしれない。
ストリートラッパーのDivineやNaezyの半生をモデルに"Gully Boy"という映画がとても話題になっているが、これは逆説的に音楽で成り上がることが本当に珍しいということの証でもある。
音楽制作が必ずしも成功というゴールに繋がっていない中で、これだけの時間と労力をかけて音楽を作ってゆくインドのミュージシャンたちの情熱には感服するしかない。

楽曲だけでなくミュージックビデオにおいても、イメージの決定、撮影場所の選定、画面の構図、衣装、編集など全てをHirokoとIbexが行ったという。

Hiroko「そんなこだわりに対して、協力してくださった皆様には本当に感謝しています。
また、日本の伝統文化を紹介するために、インド ムンバイにある日本山妙法寺の森田上人、ムンバイ剣道部の皆様にもご協力いただきました。
お陰様でとてもクールな映像を撮ることができたと思います。
今回のMVには神社やお寺のシーンも出てきますが、どの場所でもまず最初にきちんとお参りしてから、撮影をしたんです。私の神仏への礼儀、こだわりですね(笑)」

日本で撮ったように見えるIbexのシーンが全てインドで撮られていると聞いてびっくり。
ちなみにビデオの最初にABBAのレコードが出てくるが、ABBAがサンプリングされているわけではなく、この曲のためにシーケンスを組んだビートが使われている。

凡平「IbexとKushmirに聞きたいのですが、いつ、どんなふうにヒップホップと出会ったんですか?影響を受けたアーティストや、どうやってパフォーマーになったかを教えてください」

Ibex「学校に通っていた1998年頃に、Eminemで最初にヒップホップに触れたんだ。自分にとって最初に覚えたラップの曲はLinkin Parkの"The End"だよ。
最初に聴いたのはEminemだけど、影響を受けたのはSean PaulとかDamian Marleyだな。俺の曲はジャンル的にはダンスホールだから。
たくさんのローカル・ギグをクラブでやるようになって、そのまま止まらずにここまで来たって感じだよ。俺たちは情熱があるから、続けられているんだ」

ダンスホールスタイルのIbexの曲。こっちが本業ということらしい。


Kushmir「俺の場合はMTVでいろんなヒップホップのビデオを見ていたんだ。大学時代に友達がTupac Shakurのアルバムをくれて、それからだんだんこのジャンルにのめり込んでいった。
影響を受けたのはNotrious BIGとKanye Westだな。
Kanye WestがMPC(リズムマシン)でパフォーマンスしているのを見て、すごく影響を受けた。次の日には自分で買って来て、自分で音楽を作り始めたってわけ」


凡平「Ibexが日本語でラップしているのを聴いて驚きました。日本語のリリックはどうやって作ったんですか?」

Ibex「このことについては、リリックの名義は全部Hirokoサンにしないといけないな。翻訳サイトを使おうと思って検索もしてみたんだけど、彼女の手助けがなかったらちょうどいい言葉やセンテンスを見つけられなかったよ。
彼女のおかげで日本語のリリックがずいぶんスムースに進んだんだ。Hirokoサンにアリガトウ、だよ」

Hiroko「日本語ラップ部分は、Ibexが英語で歌詞を書いてそれを私が日本語に訳したり、Ibexから指定された言葉と韻をふめる日本語の単語を私が調べて送ったりして作りました。
私の歌パートの歌詞も、Ibexが英語でイメージした文章を作って、それを私が日本語に訳しながら、こう変えたらどう?とアドバイスして変えていき、今回の歌詞になりました。
あと、レコーディング前にIbexに日本語の発音の特訓をしたんです。かなりスパルタに(笑)
スパルタレッスンの甲斐あって、Ibexの日本語ラップはかなりスムースなflowに仕上がったと思います。
Ibexはもともと英語・ヒンディーでのラップは上手くてスムースなフロウなのですが、日本語ラップは初めてだったので、レコーディング前にたくさん練習したと思います。
私の声で日本語ラップ部分をモバイルで録音して、そのデータを発音の参考としてIbexに送ったり。
私はラップはできないんですけどね(笑)」


凡平「リリックは日本語と英語のミックスということで、一般的なインド人や英語圏のリスナーには意味が伝わりにくいと思うのですが、そこは雰囲気や響きを重視したということですか?
インドだと、いろんな言語のラップや音楽があるので、言葉の一部がわからなくても雰囲気や響きで楽しめる、みたいなこともあるのかなあ、と思ったのですが」

Ibex「うん。俺は最初は日本だけをターゲットにしようとしたんだけど、この曲が英語と日本語のミックスになったことで、世界中にいる多くのチルホップのリスナーにより届けやすくなったと気づいたんだ。
インドのリスナーに関してはラウドでアップビートなボリウッドの曲のようには楽しんでくれないかも、とも思っていた。
でもリリースしてみたら、インド人の友達やファンもみんなこの曲をとても気に入ってくれて驚いたよ。
大勢の人からリリックの訳について聴かれたけど、Youtubeの英語翻訳つきの字幕とかで解決する問題さ。
リスナーがリリックの意味を理解できなくても、雰囲気やサウンドを重視して聴いたりするだろ?
理想を言えば、俺はみんなに最初は楽曲と映像を楽しんでもらって、次に歌詞に注目してほしい。Youtubeを字幕付きで見るとかしてね。
genius.comで歌詞を読むこともできるよ。
テレビやパーティーやYoutubeで海外の曲を楽しむことも多いと思うけど、例えば有名なスペイン語の曲の"Taki Taki"は、意味はわからなくても世界中のたくさんの国でヒットして楽しまれているだろ。
インドにはいろんな言語の音楽やラップがある。だから部分的に言葉がわからなくても、雰囲気やサウンドを楽しむことができると思うんだ。
インドは多様性があって、全ての州にそれぞれのスタイルの伝統音楽や文化がある。
インドはこんなふうに多様性に富んだ国だから、あらゆる形式の音楽や文化を受け入れて楽しむことができるんだ。たとえそれが海外のものでもね。
日本は俺を含めて多くのインド人にとって憧れの場所だよ。音楽もとても進んでいるし。
サウンド、音楽性、ビジュアルの要素がうまくいっていれば、言葉がわからなくても曲は楽しめると思うんだ」

Hiroko「私達日本人がヒンディー語映画の歌を意味がわからなくても楽しめるように、海外のリスナーも日本語の意味がわからなくても、音楽や雰囲気が良ければ楽しんでもらえるのではないかと考えました。
ただ、インドでは英語ラップよりヒンディー語ラップがより好まれる傾向にありますね。
IbexもDIVINEと同様クリスチャンで、母語は英語ですが、ヒンディー語でのラップ作品も制作しています」
  
Ibexの「インドのリスナーに関してはラウドでアップビートなボリウッドの曲のようには楽しんでくれないかも」という心配は、インドの音楽シーンでは派手なボリウッド映画のミュージカルナンバーが主流で、こうしたサウンドのヒップホップはまだまだアンダーグラウンドなものだということを意味している。
今度はインドのヒップホップシーンの現状について聞いてみた。


凡平「インドのヒップホップはどんどん成長して来ているようだけど、それについてどう思います?」

Ibex「その通りだね。2008年ごろからヒップホップシーンにいるけど、その頃は全然シーンは大きくなかった。アンダーグラウンドラップは、みんなが集まるパーティーで聴いて楽しむような音楽だとは思われていないんだけど、商業的な映画のGully Boyが公開されて、今まさにそれが変わろうとしているところなんだ。
インドのアンダーグラウンドなヒップホップやラップも、レストランやクラブや結婚パーティーでプレイされるようになってきた。
インド中に広く知れ渡って、受け入れられて来ているところだよ」

Kushmir「今はインドのアンダーグラウンド・ヒップホップシーンの黄金時代だね。アンダーグラウンドのヒップホップアーティストにとって、才能を見せつけるいい機会だよ」


ここでいう「アンダーグラウンド・ラップ」は、ボリウッド的なラップミュージック(例えばYo Yo Honey Singhとか)に対比して言われているものだ。
日本でいうと、DA PUMPのような音楽と、漢とかKOHHがやっているヒップホップの違いを想像してみると近いかもしれない。


凡平「インドのレゲエ・シーンはどうですか?Ibexはダンスホールに合わせてラップしたりもしていますよね。Reggae RajahsとかSka Vengers以外でオススメのアーティストがいたら教えてください」

Ibex「Reggae RajahsとSka Vengersはインドじゅうにレゲエやダンスホールを行き渡らせたパイオニアだね。
Reggae RajahsのメンバーのGeneral Zoozがムンバイでダンスホールを流行らせた中心人物だよ。
DJ Bob Omuloもレゲエでラップしたり歌ったりしている。彼はヒップホップアーティストとしてのほうが有名ではあるけど。
レゲエ/ダンスホールならDJ Major Cがトップ・セレクタ(註:レゲエにおけるDJ)だね。
King Jassimも注目すべきレゲエアーティストだ。
Apache Indianは今や国際的なスターだけど、運が良ければムンバイのClub Raastaで彼のライブが見られるよ」


凡平「『Mystic Jounetsu』はチルホップということですが、インドでも最近Smokey The GhostとかTienasとかTre EssとかEnkoreみたいに、チルホップ/ローファイ・ヒップホップっぽいトラックを作るアーティストが増えて来ているように感じます。インドのヒップホップシーンのトレンドはどんな感じですか?」

Ibex「うん。今名前を挙げたようなアーティストは俺たちがいるアンダーグラウンド・ヒップホップシーンに属している。チルホップやローファイは、次にインドじゅうで流行するものになるかもしれないね。(註:今はまだ流行っていないということだろう)
俺たちインドのアンダーグラウンド・シーンは、もともと英語でラップを始めたんだけど、今の流行はヒンディー・ラップだ。ヒンディーはインドじゅうで話されている主要言語だから、そのほうがより理解してもらえて、受け入れてもらえるんだ。
英語や他の言語のラップがインドで流行するにはまだ時間がかかるかもしれないけど、英語や他の外国語のラップや音楽がインドじゅうで受け入れられる日が来ると思うよ。俺たちは好きなこと、情熱を注げることをやり続けるよ」

Kushmir「チルホップやローファイはまだまだニッチなリスナーのものだな。でも世界中で少しずつ成長して来ているよ」

ちなみに二人にインドでおすすめのラッパーを聞いたところ、Emiway, Seedhe Maut, Enkoreの名前が挙がった。


凡平「ここで少し話題を変えて、IbexやKushmirも日本の文化(アニメやゲーム)が好きだと聞きました。
インドにも日本の文化の影響を受けているミュージシャンはいるようですが(エレクトロニカのKomorebiや、ロックバンドのKrakenなど)、日本文化ってインドでも存在感、あるんでしょうか?」

Ibex「ああ。日本に関するものをずっと楽しんできたよ。とくにビデオゲームを小さい頃から日本のものだとは気づかずにずっと楽しんできたんだ。
例えばカプコンの『ストリートファイター』とか、Neo Geoの『キング・オブ・ファイターズ』とか、ニンテンドーのファミコンの8-bitゲームとか。
日本のカルチャーに影響を受けているうちに、アニメや映画の音楽も楽しむようになったんだ。
まだまだニッチではあるけど、もし日本文化が好きなら、インドでも見つけたり体験したりできるようになってきたよ。
ありがたいことに、ムンバイでは日本にいるみたいな気分になれる場所がたくさんある。レストランとか、クールジャパンフェスティバルとか、コスプレ、アニメや映画、カフェ、日本映画のフェスティバルとかね」

Kushmir「俺もビデオゲームやアニメを見て育ってきたから、それらは俺の人生の大きな部分を占めているよ。とくに『鋼の錬金術師』だな。見てると涙が出てくるよ。あとは『デスノート』。ビデオゲームだと『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』と『ストリート・ファイター』だな。日本文化に影響を受けているインド人ミュージシャンは多いよ。
ドラゴンボールのフィギュアのコレクションも持ってる」

『Mystic Jounetsu』のミュージックビデオ(3:09頃)にも出てきたスーパーサイヤ人の悟空のフィギュアもKushmirのものだそうで、ビデオの中の折り鶴はIbexとHirokoが折ったものだとのこと。

Hiroko「日本人目線で見ても、インドの人達は日本人に対してとても友好的で、特にムンバイは私にとって居心地が良い場所です。
日本の文化や日本のテクノロジーはインドでも評価が高くて、日本人は親切で礼儀正しいというイメージが浸透していますね。
ムンバイとデリーで不定期に開催される『クールジャパンフェスティバル』では、たくさんのインド人アニメファンやコスプレイヤーが集まって盛り上がっています」

おお、これはナガランドのコスプレファンたちが行きたがっていたイベントのことだ。
離れてはいても同じアジアという親近感があるのだろうか。たとえまだニッチな存在だとしても、アメリカやイギリスと比べて、日本文化に影響を受けたアーティストの割合は確実に多いような印象を受ける。 

Hirokoがデザインしたジャケットは、サムライチャンプルーの決めポーズから取ったもの。
mysticjounetsu
彼女が触媒になって、ヒップホップ、アニメ、日本文化がチルホップという象徴的な形でインドで結晶したというわけだ。
だが彼らの間での日印の文化的影響は、一方向だけのものではない。
IbexとKushmirが日本文化に影響を受けているのと同様に、Hirokoもまた豊かなインド文化から、大きな影響を受けている。

凡平「Hirokoさんはもともとダンサーですが、この曲ではすごくきれいなコーラスを聴かせてくれていますね」

Hiroko「
ありがとうございます。
シンガーとしてオフィシャルな作品に参加したのは今回が初めてなんですが、実は5才から10年間ピアノと声楽を学んでいたんです。
子供の頃から歌や踊りや演技が大好きで、ずっと何らかのステージに立ってました。
子供〜学生時代はチアガールをやったり、ピアノと声楽以外にも演劇で舞台に立ったり、合唱部に所属してコンクールに出場したり。
大人になってからは、毎週末クラブ通いをして音楽と踊りを楽しんでました。
日本でベリーダンスを習ったのちにインドでボリウッドダンス、ラジャスターニダンスや古典舞踊のカタックを学び、ステージで踊っています。
今はインドで古典舞踊カタックをメインに踊っていて、時には『ラーマーヤナ』のダンスドラマ内でヒンディー語の台詞で演技をしたり、時々インドのTV CMに演技や踊りで出演したりしています」

なんだかもうすごいバイタリティーだ。
Hirokoさんのこれまでの人生とダンス遍歴は、日経WOMANのこの記事に詳しい。(日経WOMAN「趣味だったインドのダンス 40歳で現地のCM出演へ」) 
クラブ通い時代は
筋金入りのクラバーで、有名DJの友人も多いと伺った。
舞台に立つのが大好きな女の子が大人になってクラバーになり、やがてインドで古典舞踊のダンサーになって現地のラッパーと曲をリリースするようになるって、なんて面白い人生なんだろう。


凡平「古典舞踊とは別にインドのクラブでパフォーマンスをされたりしているようですが、ムンバイのクラブでオススメのところがあったら教えてください」 

Hiroko「Raasta Bombayがオススメですね。
ムンバイには色々なナイトクラブやバーがありますが、ボリウッドやトランスのDJイベントが多いなか、Raastaはボリウッド音楽禁止(笑)で、純粋にクラブミュージックを楽しみたい人が集まる場所です。
レゲエやヒップホップの定例イベントや、Apache Indianのようなスペシャルゲスト出演のイベントなどが開催されています」

Raasta BombayでのHiroko&Ibexの共演したときの映像を教えてもらった。
 

Ibex「ああ。クラブでもやっているよ。もしレゲエやダンスホールが好きなら、ムンバイならRaastaを強くすすめるよ。ヒップホップなら、たくさんあるけど、Hard Rock CafeかBlue Frog, I-Bar, Social Offline, 3-Wise Monkeysかな」

Kushmir「俺はヒップホップとかエレクトロニックミュージックが好きなんだけど、今じゃムンバイにはいろんなタイプのジャンルを楽しめる場所がたくさんあるよ。でも俺が好きなのはThe Denだな。水曜にプレイされるエレクトロニック・ミュージックが素晴らしいよ」


凡平「このメンバーで、ライブをしたり新作を作ったりする予定はありますか?」

Ibex「ああ、この曲をライブでもやってみたいと思ってる。ショーが決まったら連絡するよ。このミスティック情熱チームでもっとたくさんのコラボレーションもしてみたいね」

Hiroko「次はIbexとラップとタブラとカタックダンスのコラボレーションを考えているんです。それか、IbexのラップとKushmirのビートと私のコーラスに、三味線みたいな日本の楽器を入れてみるとか。
ライブについては、実は、MVを観てくださった日本のイベント・音楽関係の方からインドで開催されるクールジャパン的なイベントやDJイベントでのパフォーマンスオファーをいただいたんですよ。とても有り難いお話です。
そのうち日本でも、Ibex feat. Hirokoでパフォーマンスができたら良いなぁと思います。
日本のオーガナイザーさん、是非呼んでください!笑


曲名同様に、音楽やパフォーマンスにかける情熱と、日本文化への愛情が強く印象に残ったインタビューだった。
以前Tre Essを取り上げた時にも思ったことだが、こういう突然変異的な面白いサウンドが出てくることにインドのアンダーグラウンドシーンの自由さや懐の深さをしみじみと感じた。
発展途上のシーンだからこその情熱と自由さがあるように思えるのだ。

日本とインドの音楽をシーンをつなぐきっかけにもなりそうなこの一曲。
Gully Boyの公開という追い風もある中で、この異彩を放つ楽曲がインドでどう受け入れられるかもとっても気になる。
日本でのパフォーマンスもぜひとも実現してほしい。
インドのアンダーグラウンドな音楽が、少しずつ、我々の身近な存在になってきているのを感じる。
さらなるコラボレーションも期待して待ちたい。

この楽曲を聴いたり購入したりは、こちらから!
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2019年02月10日

Raja Kumariがレペゼンするインド人としてのルーツ、そしてインド人女性であるということ

以前も紹介したアメリカ国籍のインド系女性ラッパー、Raja Kumariが昨年11月にリリースした楽曲"Shook"がかっこいい。
この曲は、今年前半にリリースが予定されているニューアルバム、"Blood Line"(血統)からの先行リリース。

以前の曲と比べてよりドスのきいた声で、ミッシー・エリオットのような凄みが出てきた。
イントロからサンプリングされている伝統音楽っぽい歌がインドっぽくないなあと思っていたら、どうやらスワヒリ語のチャントだとのこと。
つまりこの曲はアフリカ系アメリカ人が発明したヒップホップとそのルーツであるアフリカの音楽、そしてインド系アメリカ人である彼女とそのルーツであるインドの音楽(この曲ではちょっとだけど)が融合した非常に野心的な楽曲なのだ。

この曲のサウンドがとても気に入ってよく聴いていたのだけど、彼女のインタビューに基づいて歌詞を読んでみると、歌詞もまた非常に興味深いものだということがわかる。

最初のヴァースは'Diamond bindi shining with bangles out' と始まる。
「ビンディー」はヒンドゥーの女性が額につける飾りで、もともとは悟りとともに開かれるとされる第3の目を模したもの。
「バングル」は今ではすっかり一般的な単語になっているが、もともとはインド人女性がつけるインドの腕輪を指す言葉だ。
インド人女性としての誇りや美的感覚を自信を持って見せつけよう、というところからリリックは始まる。

この曲の最も重要なテーマはその後のラインに出てくる'Hindu guap'.
'guap'は現金を意味するスラングだが、彼女曰く「ヒンドゥー文化の豊かさに誇りを持とう」という意味を表す言葉だという。

つまりこの曲は、インド系アメリカ人として米国で育った彼女が自らのルーツをレペゼンするとともに、グローバル社会で生きるインド系の人々(とくに女性)に誇りを持つことを促すメッセージソングでもあるというわけだ。

Raja Kumari自身が歌詞の意味を説明したビデオ。


ニューヨークのメディア'The Knockturnal'のインタビューで、彼女は自らの半生とアメリカでインド系女性として生きる現実を語っている。
The Knockturnal 'Exclusive: Raja Kumari Talks New Single "Shook" Upcoming Album "Bloodline" & Musical Beginnings'

彼女の両親は1970年代にアメリカン・ドリームを夢見て渡米したインド人移民だ。
インド系移民の常として、彼女の両親は子どもたちの教育に力を注いだ。
Raja Kumariいわく、彼女の兄弟は典型的なインド人。
勉強の成果を生かして脳神経外科医や法律家として活躍しているという。
兄弟のなかで彼女だけが音楽の道に進んだが、両親はそんな彼女を幼い頃から応援し、優れた師匠のもとで古典舞踊を習わせた。
それが今の彼女の音楽の基礎になっているのだ。
古典舞踊を踊る少女時代の彼女をフィーチャーしたミュージックビデオ、"Believe in You". 


やがて古典舞踊ではなく、R&Bやヒップホップの道に進んだ彼女は、Iggy Azaleaに提供した曲でグラミー賞候補になったのち、音楽活動の場をインドにまで広げた。

カリフォルニアで生まれ育った彼女だが、それでもインドは居心地の良い場所だったという。
南アジアやインド文化がなかなか理解されにくいアメリカと比べ、インドでは自分のしていることがより受け入れられていると感じることができたからだ。
南アジアの女性にステレオタイプな保守的なイメージを持っている人々に対しても、彼女は戦ってゆく必要があると語っている。
こうした状況の中で、彼女は自身のルーツを、音楽とリリックを通して表現しようとしているのだ。
映画Bohemian Rhapsodyのなかで、インド系であるFreddie Marcuryが名前を変え、南アジア的な要素を排除しようとしている姿で描かれていたのとは対照的である。
(これはヒンドゥーであるKumariに対して、Freddieがパールシーであることも多少関係しているのかもしれないが)

そういえば、彼女がミュージックビデオで着ている衣装も、インド的な美意識をいかにヒップホップ的ファッションに落とし込むかということに挑戦しているように見える。




こうした背景を踏まえてDivineと共演した楽曲"Roots"を改めて聞くと、これまた非常に趣深い。
Raja Kumariは、ヒップホップアーティストという、インド人女性のステレオタイプからはみ出した生き方をしながらも、インド古典音楽やインドの伝統的なファッションの要素を取り入れ、米国社会のなかでインドの文化や宗教を誇らしげに掲げている。
つまり、彼女なりのやり方で、アメリカ社会では周辺化されてしまっているインドのルーツをレペゼンしているというわけだ。

先日紹介したDivineは、対照的だ。
巨大産業である映画音楽系シンガーや帰国子女・留学経験者ばかりだったインドのヒップホップ界で、ムンバイの貧民街出身のラッパーとして、本物のストリート(Gully)のラップを届けることで頭角を現してきた。
彼はインドの都市の中で周辺化されてしまっているスラム出身というルーツをレペゼンしているのだ。

Raja KumariとDivine.
この曲、"Roots"では、インド系ではあるが、性別も宗教も(Divineはクリスチャン)生まれ育ちも、まったく異なるルーツを持った二人がヒップホップという一点でつながり、コラボレーションしているというわけだ。
もちろん、この2つは矛盾しているわけではなく、いずれも本物のヒップホップのアティテュードと言えるものだろう。


Raja Kumariのニューアルバム'Bloodline'はアメリカで製作され、マイアミのDanja(Timbaland, Mriah Carey, Missy Elliott, Madonnaらとの仕事で知られる)、アトランタのSean Garrett(Beyonce, Nicky Minaj, Usher, Britney Spearsらとの仕事で知られる)ら、そうそうたる顔ぶれが参加したものになるようだ。
彼女はこのアルバムを、インドやディアスポラ向けのものではなく、より普遍的なものとして製作しているという。
"Shook"を聞く限り、内容も素晴らしいものになりそうで、期待しながらリリースを待ちたい。
それでは今日はこのへんで。



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goshimasayama18 at 20:46|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

2019年02月04日

ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開!"Gully Boy"

1年ほど前にこのブログで紹介した、ムンバイを、いやインドを代表するラッパーDivineの半生をモデルにした映画が公開される。
タイトルは"Gully Boy".
GullyBoy

主演はランヴィール・シン(Ranveer Singh)。
マッチョなボディー(マッチョが多いインド人俳優のなかでも群を抜く)と甘いマスクで日本にも根強いファンがいる俳優だ。
インド映画好きにとっては、昨年"Om Shanti Om"等で有名なディーピカー・パドゥコーン(Deepika Padukone)との美男美女カップルの結婚式を覚えている人も多いことと思う。
Deepika_Ranveer_traditional
Deepika_Ranveer_Western
さすがに何着ても似合うね。

共演は英国籍インド人のアリア・バット(Alia Bhatt).
これまでベストセラー小説"2 States" の映画版のヒロインなどを務めており、歌手としても活動している。
監督はゾーヤ・アクタル(Zoya Akhtar).

タイトルの'Gully'という英単語を調べると「小峡谷」や「水路」という訳が出てきて「はて?」となるが、ヒンディーが分かる人に聞いてみたところ、これは実はヒンディー語で、「路地」というような意味とのこと。
さしずめ「ストリート」のニュアンスで捉えたらよいのだと思う(Divineのラップクルーの名前も'Gully Gang'だ)
予告編を見ると、スラムからヒップホップでのし上がってゆくという内容の映画のようだ。


Divineは以前の記事でも書いたとおり、ムンバイの貧しい地区で育ったクリスチャン。
初めは英語でラップしていたが、自分自身をより的確に表現するためにヒンディーでラップするようになったという。
クリスチャンはインド社会のなかでは少数派(人口の2%くらい)であるため、映画では主人公の背景がどのように描かれるのか(あるいは描かれないのか)気になるところだ。
あらためて代表曲を紹介すると、「これがオレのボンベイ(ムンバイの旧名)だぜ!」と宣言する"Yeh Mera Bombay".

ムンバイとはいってもそこは'Gully'出身のDivine.
このビデオには高層ビルもオシャレエリアも出てこず、出てくるのは屋台のオヤジやリクシャードライバーのオッサンばかり。
こんなふうに下町を練り歩いていた彼がボリウッド映画にまでなると思うと非常に感慨深い。

Divineと並んでこの映画のモデルとなったのは、同じくムンバイを代表するラッパーのNaezy.
彼の代表曲"Aafat!".
さびれた埠頭やトラック駐車場といった「大都会でない」ムンバイを映したビデオからは、彼がDivine同様にストリートに出自を持つラッパーであり、同時に確かなスキルを持っているということが分かるだろう。

このビデオではいかにもストリート系なコワモテのイメージだが、彼は敬虔なムスリムでもあり、不良少年からヒップホップで立ち直ったという経験を持つ。
彼の生き様を取り上げたこの短いドキュメンタリー(英語字幕付き)は2014年のムンバイフィルムフェスティバルで最優秀短編映画賞を受賞した。

白いムスリムの衣装に身を包んだ彼からは、ラッパーとしてパフォーマンスしているときとは全く異なる印象を受ける。
彼もまた貧しい地区に生まれ、盗みや暴力行為を繰り返す不良少年だったが、あるとき逮捕されたことをきっかけに誤った道にいることに気づき、部屋に籠ってリリックを書き始め、ラッパーとしてのキャリアをスタートさせた。
偶然聞いたショーン・ポールに憧れ、英語のラップを覚えてクラスメートや女の子の注目を集めていた彼は、こうした過ちを経て自分の言語で、自分の言葉をラップし始めるようになった。
彼が初めて書いたリリックはこんな感じだ。

たくさんの道が目の前にある / だがお前は多くの誘惑に溺れかけている
初めからやり直せたらと思っているが / 時間は過去に戻してはくれない
もしもまだ完全に溺れてしまっていないなら / しっかりするんだ
神様はお前のために何か考えてくれているはずだから


「これが俺のホームスタジオさ」と彼が見せるのは、父親からプレゼントしてもらったiPadだ。
スラムに暮らす家族のプレゼントがiPadというのにも驚かされるが、このiPadで、彼はビートをダウンロードし、ループさせ、彼のリリックを乗せて、ビデオクリップまで撮影した。
こうしてインターネットにアップした映像が先ほどの"Aafat!"で、1年間で10万ビューもの注目を集めることとなった(今では400万ビューにも達している)。

だが、彼の母親は、不良の道から更生したことを喜びながらも、彼のしていることを「イスラームでは認められていないことよ」とも言う。
「みんなはサングラスが似合っているというけれど、目を隠すためにしているのさ」と語る彼は、細やかな感性を持ち、音楽と家族との間で葛藤する若者でもあるのだ。
こうした繊細な部分が映画ではどのように描かれるのだろうか。

監督のZoya Akhtarは、インドではまだアンダーグラウンドな存在であるヒップホップシーンの熱さと魅力に触発されてこの映画を撮ったとのことで、この映画はDivineとNaezyの伝記ではなく、あくまで二人にインスパイアされた架空の物語だとしている。
彼らと同じムンバイ出身で、大のヒップホップファンで知られる主演のRanveer Singhは、この映画の主人公を演じることを熱望し、「俺はこの映画をやるために生まれてきた」とまで語っている。
インドの娯楽のメインストリームである洗練された映画業界に生きる彼から見て、初期衝動むき出しのムンバイのヒップホップシーンは逆にまぶしく映るのだろう。
映画のモデルとなったDivineは、監督やRanveerのヒップホップへの情熱に対して「(たとえこれが自分とNaezyの伝記でなくても)これは俺たちみんなの物語なんだ。 俺のメッセージがより多くの人たちに届く助けになるのであれば…」と映画への協力を決めた模様。

DivineとNaezyがコラボした、オリジナルの"Mere Gully Mein"

Ranveer Singhらによる"Gully Boy"バージョンの"Mere Gully Mein"

ストリートラッパー達がスラムを練り歩いて撮ったビデオを人気俳優がリメイクする日が来るとは、当時は誰も想像しなかっただろう。
ヒップホップ好きというだけあって、Ranveerのラップのスキルもなかなかのものだ。
ボリウッドスターが出演している注目作ということもあり、2019年の1月に公開されたこのビデオの再生回数は、さっそくオリジナルを超えてしまった(現時点で1,600万回ほど。オリジナルのミュージックビデオは2015年に公開され、約1,400万回)

一方で、この曲をめぐってちょっとしたトラブルも発生している。
このブログでも何度も紹介してきた鬼才トラックメーカーのSez On The Beatは、もともと彼がプロデュースした"Mere Gully Mein"の新しいバージョンが映画の中で無断で使われていたことに対して、Facebook上で抗議を表明した。
彼はこの映画でDivineとNaezyのために書いたオリジナル音源が使われると信じていたとして、インドのヒップホップを大きく変えたこの曲への敬意に欠く映画業界のやり方を非難していた。
しかし彼も映画でヒップホップシーンが取り上げられること自体には肯定的な意見を述べていて、どうやらこの問題は映画の製作者側がSezの名前をクレジットに入れ、しかるべき楽曲使用料を払うということで決着しそうな見通し。

映画のサウンドトラックは全曲がYoutubeで公開されているが、当然ながらほぼ全曲がラップというインド映画のサントラとしては異色の作品となっている。
 
参加しているミュージシャンも、Divineの他にDub Sharma、Midival Punditz、Bandish Projekt、Karsh Kaleとクラブよりの人脈が揃っており、ご覧いただいたとおり主演のRanveerもラップを披露している。
この映画はインドではまだまだストリートカルチャーだったヒップホップが、エンターテインメントのメインストリームに取り入れられる瞬間を切り取った記念碑的な作品と見ることもできるのだ。
 
インドの映画ファン/ヒップホップファンの間では、さっそくこの映画をEminemの自伝的映画"8 mile"と比較する向きもあるとのこと。
トップクラスの俳優を起用したこの映画で、インドでのヒップホップ人気の裾野はますます広がることだろう。
インドから、次はどんな面白いヒップホップーティストが登場するのだろう。

ボヘミアン・ラプソディーをはじめミュージシャンの人生を扱った映画の公開が続いていることもこの映画を後押しするかもしれない。
バーフバリ以降、日本ではインド映画の「絶叫上映」がよく開催されているが、日本人がスクリーンを前にDivineのラップを大音量で聴きながら熱狂する、みたいな日がくるのだろうか。
日本での公開が待たれるところだ。

今回の記事の参考にしたサイトはこちら
NDTB  '"Not A Biopic", Director Zoya Akhtar Explains What Ranveer Singh, Alia Bhatt's Gully Boy Is About'
Entertainment Times 'Ranveer Singh: I was born to do "Gully Boy"'

Filmfare.com 'Rapper Divine reacts to Gully Boy not being a biopic on him'
Rock Street Journal 'Sez On The Beat to get Credits & Royalties for Mere Gully Mein on Gully Boy'


熱いのはラッパーたちだけじゃない。ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ地区のヒップホップダンサーをめぐるドキュメンタリーを紹介した記事はこちらから! 「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」



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