2018年12月

2018年12月30日

2018年を振り返る

いつもご愛読ありがとうございます。
2017年12月25日に始めたこのブログも約1年あまり、これまでに書いた記事もなんと109本にもなりました。

最初は、「インドの音楽と社会」というテーマに自分以外誰が興味を持ってくれるのか分からずに始めたブログでしたが、大勢の方に読んでいただけて本当に感謝です。
ブログを書いてきたなかで、多くのインドのミュージシャンたちにインタビューさせてもらったり、POPEYEとSTUDIO VOICEという歴史あるカルチャー誌の音楽特集に関わらせてもらったりと、素晴らしい機会をたくさんいただきました。
この1年で関わった全ての方、そしてお読みいただいた全ての方にあらためて御礼申し上げます。

記事もずいぶん多くなってきたところなので、ここで、「軽刈田 凡平 自選ベストトピック2018」というのをやってみたいと思います。
最近このブログを見つけたけど、なんかいろいろあって何を読んだら面白いのか分からないという方も、ぜひ参考にしてみてください。
あ、みなさんすでにお気づきのことと思うけど、字の色が変わっているところがリンクになっていて、該当する記事に飛べるようになっているのでヨロシク。
ではさっそく。


まず、なんといっても大発見だったのが、インド北東部の音楽!
このブログを書き始めた当初は、北東部のシーンは完全にノーマークだったのだけど、インド文化(アーリア/ドラヴィダ系文化)の影響が薄く、信仰が盛んなキリスト教のせいか欧米の影響の強い音楽は驚きだった。
エクストリームメタルから、民族の誇りをライムするラップまで、北東部の音楽シーンについてはこちらから。
カテゴリー:インド北東部 

なかでも気合を入れて書いたのは、
・デスメタルバンドへのインタビュー(アルナーチャル・プラデーシュ州のArien Gods/Sacred SecrecyのTana Doniへのインタビュー、Third SovereignのVedantへのインタビュー
・トリプラ州のプライドをラップするBorkung Hrankhawlその2はこちら)
 ・ナガランド3部作(その1その2その3、おまけのクリスマス編
あたりかな。
北東部を扱った記事はどれも思い入れがある。
ここにきて、ナガランドを舞台にした映画「あまねき旋律」のヒットで、静かなインド北東部ブーム?が来つつあるのもうれしい。


インドらしさが最も感じられるジャンルといえばヒップホップ。
インドのメジャーどころのアーティストも紹介したけど、個人的に気に入ったのはローカル色ばりばりのラージャスタンのシーン
砂漠のギャングスタラップJ19 Squadインタビューも敢行。結局続きはなかったけど)は、最近じゃアンダーグラウンドシーンではそれなりの知名度のあるラッパーのEmiwayとビーフを繰り広げるなど、相変わらずコワモテの活動をしているようだ。

インドのヒップホップは(も)土地ごとのシーンの地方色が大きな魅力で、各地の特徴を紹介した記事はかなり思い入れがあったのだけど、なぜか誰もいいねしてくれなかったのはなぜだろう。
実はつまらないのかもしれない。 (「レペゼン俺の街!各地のラッパーと巡るインドの旅」)

この記事でも紹介した日印ハーフのラッパーBig Dealもかなり熱い男で、インタビューでも誠実な人柄が感じられた。年末年始でやる気がでない人なんかにおすすめ。 

マイナーな地方のシーンでは、ジャールカンド州(というか、このTre Ess)もかなり面白かった。
Tre Essの相棒のMellow Turtleもまた才能あるミュージシャンで、彼らからは、「ネットワークで繋がった世界では地域差によるディスアドバンテージはいともたやすく乗り越えられる」ということを教えられた。
彼らへのインタビューでは世界中のマニアックなミュージシャンの名前がばんばん出てきてとても刺激的だった。(Tre EssのインタビューThe Mellow Turtleのインタビュー

そしてインドのヒップホップの音楽的な面に迫ったのはこの記事。
インドのヒップホップは決してアメリカの黒人音楽からの影響だけで作られているわけではなくて、自分たちのリズムもしっかりと咀嚼して作られているという話
インド人とラテン系の共通点」を見つけたというのも自分的には大発見で、とくにこの記事は後半のインド人によるDespacitoカバー集は必見!


音楽を離れた余談としては、謎のインド人占い師ヨギ・シンの話(その1その2)、20年前のシッキム州での思い出話なんかがわりと面白いと思うけどどうだろう。
インド人はプロレス(WWE)好き、なんてことも今まであんまり紹介されていなかったように思う。
2019年はタイガー・ジェット・シンについての記事を書くつもりなので、興味のある方はご期待ください。

あとは順不同で、日本に影響を受けたアーティスト(ロック編エレクトロニカ編、そして脅威のナガランドのコスプレカルチャー!)、ジャマイカン・ミュージックを通じた社会改革を目指すSka Vengers(とくに中心人物のTaru)あたりがわりと面白いんじゃないかな。


他にも思い入れのある記事はいっぱいいっぱいあるのだけれども、これ以上紹介すると結局全ての記事を取り上げることになりそうなので、ここまでにしておきます。
ブログに適した記事の分量(長さ)というものがあるということは分かっているのだけど、いつも書いているうちに長くなってしまって、それなのに読んでくださっている皆さんには本当に感謝してます。
来年はもっと短くまとめられるよう精進します。
そして素晴らしいインスピレーションをいつも与えてくれるインドという国にも改めて感謝を。

今年の記事はこれでおしまいです。
みなさん、よいお年を!
そして来年もよろしくお願いします! 


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goshimasayama18 at 03:39|PermalinkComments(0)インドよもやま話 

2018年12月26日

新世代R&Bクイーン、Anushqa!

このブログを始めてちょうど1年が経ったのだけれども、少し困っていることがある。
紹介するアーティストに、インド古典音楽の要素と欧米のロックの要素が入り混じったバンドが増えてきたので、先日記事のカテゴリーに新しく「フュージョン・ロック」というのを増やしたのだけど、ここに来て、今度はR&Bの分野でも、インド古典の要素を取り入れたアーティストが結構いることに気がついてしまったのだ。

ここはひとつ、新たに「フュージョンR&B」というカテゴリーを作るべきだろうか。
でもそれをやり始めると、「フュージョン・ エレクトロニカ」も「フュージョン・レゲエ」も作らなきゃいけなくなって、きりが無くなってしまうんだよなあ。
どうしたものか。

今回紹介するAnushqaは、まさにフュージョンR&Bと言えるサウンドを作り上げているアーティストだ。
まずは彼女のデビューシングル"Ecstacy"を聴いてみてください。

彼女の場合、インド的な要素は主にトラックのみで、歌唱についてはほぼインドの要素ナシというタイプだけど、ラップの部分のフロウには若干のインドらしさが感じられる(ような気がする)。

このAnushqaは、2015年にヴォーカリスト発掘をテーマにしたテレビ番組'The Stage'のシーズン1のファイナリストに残ったことをきっかけに音楽の世界に入ったという経歴の持ち主。
本名のAnushka Shahaneyとしてボリウッド映画のプレイバックシンガー(つまり女優が口パクで演じるミュージカルシーン専用の歌手)としても活躍していて、インドのベストセラー小説家チェタン・バガット(Chetan Bhagat)原作の映画、'Half Girlfriend'の挿入歌でその名を上げた。
映画を離れてソロのシンガーソングライターとして活動するときには、名前のkをqに変えて、Anushqaという名義を使っているようだ。
このユニークな綴りは、インドではよくあるアヌーシュカという名前をより識別されやすくするためだろう(ネット検索のときも便利!)。

こうした経歴からもわかるとおり、彼女はこのブログでいつも紹介しているインディーズ系のミュージシャンとは一線を画す、インドのショービジネスのかなりメインストリームに近いところで活動をしているアーティストということになる。

彼女のデビューのきっかけとなったようなオーディション番組は、インドでもかなりの人気を集めているようで、Slumdog Millionaireの原作者でもあるヴィカス・スワループの小説'Accidental Apprentice'でも、主人公の美人の妹がテレビのオーディションに出演するエピソードが出てくる。
オーディション番組でスター歌手になるというサクセスストーリーは、ちょうど70年代日本の「スター誕生!」みたいに、インドの新しい世代の憧れとして認識されているのだろう。
先天的な美貌がないと務まらない役者の世界と違って、「歌さえ上手ければ…」という夢を見させてくれるところも人気の秘密なのではないかと思う。
(その小説では、オーディション番組の裏側はセクハラやパワハラが横行するずいぶんとダーティーな世界として描かれていたけれど、実際のところはどうなんだろう。秋元康プロデュースのムンバイのMUM48も、プロジェクトが発表されたのち全く音沙汰がないが、インド芸能界のこうした闇の部分によって頓挫してしまっているのだろうか)

話をAnushqaに戻そう。
彼女は幼少期からムンバイで(西洋の)クラシック音楽を学んで育った。
インドの先進的ミュージシャンの常で、彼女もまた海外への留学を経験している。
カナダの大学で心理学を学んでいたそうだが、音楽のキャリアを追求したいという気持ちが強くなり、'The Stage'へのエントリーへとつながったようだ。

彼女のインターナショナル・デビューとなったのはこの曲、'Something in Common'.

おそらくは海外のマーケットを意識してエキゾチックな雰囲気のビデオにしたのだろうが、ここで見られるエキゾチックさはインド独自のものではなく、イメージ優先のなんちゃってエキゾチック(だと思う。ちょっとどこかの部族の民族衣装っぽくも見えるけど、監督はイギリス人のようなのでそこまで意識していなさそう)。
結果的にMajor Lazer & DJ Snake feat. MØの'Lean On'にそっくりになっているんじゃないかっていう指摘もされているようだが、インドらしさでいえばむしろ'Lean On'のほうが上だ('Lean On'のほうはロケ地もインドのどっかのお城だし)。

とはいえエキゾチックなのはビデオだけで、彼女の歌唱については、今回もインドらしさよりも直球のR&Bテイストで勝負している。
このあたり、カルナーティック音楽をルーツにもつRaja KumariAditi Rameshとの明確な違いと言ってよいだろう。

映画'Half Girlfriend'の挿入歌'Stay A Little Longer'.
 
この曲は作詞は彼女が手がけているけど作曲は別の人。
バラード調の曲調に、サーランギーっぽい擦弦楽器の音が絶妙なインド風味を醸し出している。
お聴きの通りインドの映画挿入歌、すなわちメインストリームポップスもここ数年で大きく変わってきていて、一昔前のYo Yo Honey SinghやBadshahみたいなクサイ(もっとストレートに言うとちょっとださい)曲調からだいぶ垢抜けてきた。

このAnushqa、これからもシンガーソングライターとプレイバックシンガーの二足のわらじを続けるのかどうかは不明だが、いずれにしても新しい時代のインドの歌姫として活躍していくことと思う。
日本での公開が増えてきているインド映画でもその歌声を聴く機会があるかもしれないので、要注目です。

今回はここまで。
それでは!


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goshimasayama18 at 23:30|PermalinkComments(0)インドのR&B | インド映画

2018年12月21日

インド北東部ナガランドのクリスマスソング!

街中はクリスマス一色といった今日この頃。
いかがお過ごしでしょうか。

インドでもこの頃は、都市部の富裕層を中心に、クリスチャンでなくてもクリスマスをお祝いする習慣が広がってきているのだけれど、そこはやっぱりヒンドゥー/イスラーム文化圏のインド、日本みたいに毎年のようにクリスマスをテーマにしたポップソングがリリースされるような風潮は無い。
そんなインドで例外的にクリスマス・ソングがたくさんあるのが、クリスチャンがマジョリティーを占めるインド北東部。
というわけで、今回はドキュメンタリー映画「あまねき旋律」の舞台にもなった、独特の民族音楽を持つナガランド州のクリスマスソングを紹介します。

このブログでも何度も書いてきているように、インドの北東部にある7つの州(アルナーチャル・プラデーシュ、アッサム、マニプル、メガラヤ、ミゾラム、ナガランド、トリプラ。Seven Sisters Statesと呼ばれる)には多くのキリスト教徒が暮らしている。
インド北東部
インドのことを多少知っている人であれば、南部のゴアやケララ州にはキリスト教が普及しているという話を聞いたことがあるだろう。
ゴアやケララには、大航海時代や、そのはるか以前の1世紀に聖トマスが伝えたとされるキリスト教を信仰する人が多く暮らしており、キリスト教文化が確固たる地位を占めているが、それでもクリスチャンの割合は人口の3割ほどであり、彼らの多くはカトリックの信者だ。
それに対して、インド北東部の場合、クリスチャンのほとんどはプロテスタントを信仰しているという違いがある。
とくに、ナガランド州やミゾラム州は、なんと人口の8割〜9割がクリスチャンであり、インドでも最もキリスト教徒の比率が高い州となっている。
(ナガランドについては、その反動か悪魔崇拝が社会問題になっているというのは以前書いた通り。同じプロテスタントでも、ナガランドはバプテスト派、ミゾラムでは長老派が主流だ。また、北東部でもトリプラ州のようにヒンドゥー教徒が多い州もある)

インドの北東部は、北インドのアーリア系ヒンドゥー文化やイスラーム王朝文化とは全く異なる文化を持つモンゴロイド系の人々が暮らしている土地だ。
彼らはもともとアニミズム(精霊崇拝)を信仰していたが、19世紀末から20世紀にかけてこの地を訪れた欧米の宣教師によってキリスト教が伝えられ、 ナガやミゾの地では、その新しい信仰が主流になるまでに至った。
インドの中では比較的キリスト教の歴史が浅いこの地域ではあるが、だからこそというか、ポップなクリスマス・ソングも多くリリースされている。
(対照的に、ゴアやケララでは、キリスト教の歴史が長いせいか、クリスマス・ソングといっても聖歌のような曲調のものが多い)

まず紹介するのは、以前も取り上げた、当地の民族音楽とポップミュージックを融合したTetseo Sistersが歌う、クリスマスのスタンダード'Winter Wonderland'.

部屋の飾り付けやクリスマスツリーは日本や欧米と全く変わらないし、彼女たちの顔立ちとナガランド風の帽子を除けば、まったくアジアらしさを感じさせないミュージックビデオだ。
彼女たちも、いつものナガ風の歌唱ではなく、美しい英語のハーモニーを聴かせてくれている。
ナガランドは同じ州内でも民族ごとの言語が異なるという土地柄から、英語の普及率がインドの中でとくに高い地域でもあるのだ。

続いては、Tetseo Sistersと、同じくナガランドの大スター、Alobo Nagaが歌う、みなさんご存知の'Jingle Bells'.

イントロでTetseo Sistersが聴かせるこの地方独特のハーモニーがじつに心地いい。
'Winter Wonderland'とはうってかわって、伝統的なナガランドの囲炉裏を囲んでのビデオも素敵だ。
彼女たちは英語のカバー曲のセンスもいつもとても良い。

より宗教的な雰囲気を感じさせる歌としては、Virie, Zaza & Shalo Kent Feat. Akokというナガの複数のアーティストたちが歌う'Angels in Bethlehem'.

イエス生誕の地ベツレヘムを遠く離れたナガの地でクリスマスを祝福するこの曲を聴くと、現代風に見えるナガの若者たちもまた敬虔なクリスチャンなんだなあ、と改めて感じる。

最後に紹介するのは、Nagagenousという、ナガランドの文化や伝統をテーマにしたグループ(たぶん)が歌う、Khrismas Ye Niphulo pavi (Christmas is best in my village)という曲。
この曲はポピュラーミュージックではなく、ナガランドの教会音楽のような曲と思われるが、英語の字幕もついているので、ぜひじっくり聴いてみてほしい。
 
素朴で美しい伝統的なナガの暮らしの中でクリスマスを祝福する歌詞が心に響く。

私たちの村に雪は降らないし
サンタクロースのこともよく知らない
クリスマスケーキなんて無いけれども
やっぱり自分の村のクリスマスが最高さ

私たちの森にはトナカイなんて走っていないし
プレゼントを交換する習慣もない
ベツレヘムがどんなところかも知らないけど
やっぱり自分の村のクリスマスが最高さ



クリスチャンではない私たちにも馴染み深いサンタクロースやクリスマスケーキ、プレゼント交換のような習慣はなくても、自分たちの村で、自分たちのやり方で救い主の誕生を祝うことが最高に幸せなんだと彼らは歌う。
さらにこの曲の歌詞は驚くべき展開を見せる。


神々しい納豆の香りに
美味しいお餅
香ばしく焼けるキビとハトムギ
どんなに私の村のクリスマスを待ちわびたことか


納豆と訳したのは、Axoneという日本の納豆によく似た豆を発酵させたナガランドの伝統食品。
ナガの納豆については高野秀行氏の著作に詳しいが、納豆にdivine(=神々しい)っていうイメージがあるのが凄い。
餅と訳した部分はDelicious sticky rice breadという字幕だが、いったいどういったものなのだろう。
キビやハトムギというのも、いわゆる典型的なインド料理ではあまり見ないものだ。
ナガの食文化がインドのメインランドよりも、日本と同じいわゆる照葉樹林文化に近いものだということがよく分かる。
いずれにしても、キリスト教のルーツからは遠く離れたナガランドで、心からクリスマスをお祝いするナガの人々を思うと、信仰というものの純粋さをあらためて感じさせられる。

今日はここまで!
どんな宗教の人も、どんな民族の人も、どんな国籍の人も、素敵なホリデイ・シーズンが過ごせますように!


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2018年12月17日

インドの音楽シーンと企業文化! 酒とダンスとスニーカー、そしてデスメタルにG-Shock!

これまでこのブログでいくつかのインドのフェスを取り上げてきて、ひとつ気づいたことがある。
それは、様々なイベントで、お酒を扱うグローバル企業がスポンサーになっているケースがやたらと多いということ。

以前記事にした'Badardi NH7 Weekender'は、ラムで有名なバカルディが冠スポンサーについているし、先日紹介した超巨大EDMフェス'Sunburn'については、2007年の第1回はスミノフ、2008年はカールスバーグ、2009年にはインドのキングフィッシャー、2010年にはデンマークのビール会社Tuborgと、毎年酒造メーカーのスポンサーがついて実施されている。
BacardiNH7Weekender

他にも大規模フェスのVH1 Supersonicはバドワイザー、先日紹介したDJ NOBUが出演したムンバイの'Far Out Left'はスミノフとハイネケンがスポンサーについている。
BudweiserVh1supersonic
faroutleftmumbai

というわけで、今回は酒造メーカーをはじめとするいろんな企業とインドの音楽シーンとの関わりについて紹介してみたいと思います。

今日ではいろんなアルコール飲料の会社が音楽フェスをサポートするようになっているのだけれど、飲酒という行為はインド文化の中では長らく悪徳とされてきた。
長らくインドを支配していたイスラム教ではもちろんアルコールはご法度だし、人口の8割を占めるヒンドゥー教でも、飲酒は戒めるべきものという扱いだ。
今日でも、グジャラート州のような保守的な州(Dry Stateと呼ばれる)では公の場での飲酒が禁止されているし、それ以外の州でもヒンドゥー教の祝日などには酒類の提供が禁止されていたりもする(Dry Dayという)。
インドの保守的な社会では、飲酒は後ろめたいことであり、「酒好き」は不名誉な称号。
インドの酒飲みたちにとって、酒は味わうものではなく、手っ取り早く酔っ払って憂さを忘れるためのものであり、味はともかく度数の高い強い酒ほどありがたがられてきた。
そんなだからよけい酒飲みのイメージが悪くなるっていう悪循環とも言える状況がインド社会のアルコール事情だ。

ところがそんなインドでも、ここにきて少しずつアルコールのイメージが変わりつつある。
経済成長や欧米文化からの影響で、飲酒が肯定的でお洒落な文化に変わりつつあるのだ。
13億の人口(例え富裕層がそのうちの1割程度だとしても)を抱え、発展を続けるインドを世界の酒造会社が放っておくはずがない。

「酔うためのお酒」ではなく「飲むことがかっこいいお酒」へ。
新しい音楽を楽しめるセンスと経済的余裕のある若者たちが集まる音楽フェスは、お洒落で現代的な、新しいアルコールのイメージにぴったりなのだろう。
インドの音楽フェスへの酒造メーカーの手厚いサポートは、こうした背景が大きく影響している。

インド国内の酒造産業もこうした流れと無関係ではなく、日本のインド料理屋でもよく見かけるインド産ワインメーカーの'Sula'は、自分たちのワイナリーで独自のフェスティバル、その名も'Sula Fest'を開催している。

ご覧の通り、かなり本格的なフェスで、2018年はインドのエミネムことBrodha V、インディアン・ロックの大御所Indian Ocean、インド音楽とダンスミュージックの融合の第一人者Nucleyaなどの国内の人気アーティストに加え、海外のバンドも招聘して開催しており、相当な力の入れようであることが分かる。

お酒の会社以外で音楽シーンとの関わりが目立つのは、スポーツ関連の会社だ。
例えばこちらの'Suede Gully'という曲。

ムンバイのDivine、デリーのPrabh Deep、北東部メガラヤ州のKhasi Bloodz、タミルのMadurai Souljourと、まさにインドじゅうのヒップホップの実力派アーティストが集まったこの曲は、ご覧のようにPumaが全面的なバックアップをしている。
白シャツのボタンを上まで留めて、ターバン姿でアグレッシブなパフォーマンスを見せるPrabh Deepがかっこいい!
ラップ、ダンス、グラフィティとヒップホップの様々な要素が詰まったこのビデオは、Pumaのスニーカーを新しいカルチャーの象徴として印象づけるに十分なものだ。

続いて、ミュージックビデオではないがNikeのインド向けプロモーション動画。

インドのトップアスリート達が出演しているこのビデオからは、スポーツを単なる競技以上のカルチャーというかライフスタイルとして定着させようという意図が感じられる。
インドは人口のわりにオリンピックのような国際大会でめったに名前を聞かないことからも分かる通り、スポーツ文化の未成熟な国だが、ここにもまた伸びしろがあるということなのだろう。
'Da Da Ding'というこの楽曲は、インド人ではなくフランス人プロデューサーのGener8ionとアメリカ人ラッパーGizzleによるものだが、スポーツにもとづく新しいライフスタイルの一部として、音楽もまた印象的な使われ方をしているのが分かるだろう。

続いて紹介するのは、Prabh Deepと同じAzadi Recordsに所属するムンバイのラッパー、Tienasの曲、その名も'Fake Adidas'.

偽物のアディダスと安物の服しかないとラップするこの曲は、逆説的に本物のヒップホップのフィーリングを間違いなく持っている。
インドらしからぬセンスのトラックからも新しい世代のラッパーの矜持がうかがえるというものだ。
スニーカーがヒップホップの象徴的なファッションアイテムとしてインドでも浸透していることがよく分かる楽曲だ。
このRaja Kumariのビデオでも、彼女がAdidasを履きこなしているのが分かる(1:40あたりから)。
本場カリフォルニア育ちの彼女が履いているのはフェイクではなくもちろん本物。


ここまでヒップホップとスニーカーの関係を紹介してきたが、スニーカーメーカーがサポートしているのはヒップホップだけではない。
先日の記事で紹介した少年ナイフが出演したゴアのインディーロックフェスはVansが冠スポンサーとなったものだった。
VansNewWaveMusicFest 

インドで靴といえば、伝統的なもの以外は、長らくビジネススーツと合わせるドレスシューズかサンダルかという状況だった。
それが、ごらんの通り、ヒップホップなどの人気が高まってきたことに合わせて、スニーカーは単なる機能的な運動靴からお洒落アイテムとしての地位を獲得することになった。
ここでも、インドの経済成長と市場規模を見越したグローバル企業の戦略が働いていることは言うまでもないだろう。

フェスに酒造会社、ヒップホップにスニーカーの会社と、ここまではまあ想像の通りかもしれないが、個人的にすごく気に入っているのがコレ。
G-Shock
このブログでも紹介したDemonic Resurrectionや、先日来日公演を行ったGutslitも出演するエクストリームメタル系のフェス、Fireballの冠スポンサーは、なんと我らがカシオのG-Shock!

フェスに酒、ヒップホップにスニーカー、そしてデスメタルにG-Shock.
G-Shockの不必要なほどの頑丈さをファッションとして受け入れてもらうために選んだのがデスメタルというのがなかなかに味わい深い。
どんなに激しくモッシュしても壊れないってことだろうか。
このFireball、共演のZygnemaも2006年結成のムンバイのベテランバンドで、出演バンド数こそ少ないものの、北東部以外の実力派バンドが揃ったイベントだ。

そういえば、インドの航空会社のJet Airwaysが「シンガポールでのJudas Priestのライブのチケットが当たる!」という謎のキャンペーンをやっていたこともあった(ちなみのそのライブの前座はBabymetal)。
JudasPriestJetAirwaysSingapore
日本や欧米では邪悪で悪趣味なイメージのヘヴィーメタルが企業のキャンペーンに使われることはほとんどないが、インドではメタルもクールで先鋭的な音楽のひとつ、ということのようだ。

というわけで、今回はインドの音楽シーンと企業との関係についてざっと紹介してみました。
映画音楽に比べるとまだまだ非主流のロックやヒップホップとはいえ、これだけのサポートが各企業から得られているというのは、こうした音楽の愛好家がそれだけの経済力・購買力のある層と重なっているということの証左でもあるのだろう。

それでは!


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2018年12月10日

まるで日本! 演歌?歌謡曲? 驚愕のゴアのローカルミュージック!

4回連続となったインドの楽園、ゴアの音楽シーンを紹介するこの企画も今回で最終回!
欧米のヒッピーたちの聖地として栄えたゴアの音楽シーンは、トランスブームの終焉とドラッグ取り締まりの強化によって衰退するかに見えたが、経済成長を続けるインドの人々の音楽フェスの街として、往時を上回る盛り上がりを見せるようになった、というのが前回までのお話。

これまで紹介してきたゴアのシーンで鳴らされていたのは、いつもトランスにEDMにロックにレゲエという、欧米から来た流行の音楽だった。
それは欧米人からインド人の手に音楽を取り戻した今日でも変わらないし、そもそもゴアのフェスのオーガナイザーだって、地元ではなくムンバイやデリーやバンガロールの人たちだ。
そう、ゴアのシーンは、これまでずっと外部の人間によって作られてきたのだ。

それでは、そもそもゴアにはどんな音楽があったのだろうか。
インドの音楽に興味がある人ならば、インドには北のヒンドゥスターニー、南のカルナーティックという二大古典音楽があり、大衆音楽としては映画音楽が長く人気を博してきたことをご存知だろう。
だが、1961年までの長きにわたりポルトガルの支配下にあったゴアは、そうした文化や伝統とは異なる歴史を歩んできた。
カウンターカルチャーやポップカルチャーのメッカとして有名なゴアだが、そのローカル音楽に関しては、あたかもドーナツの中心の空洞のように、杳として未知のままなのだ。

そんなゴアのローカル音楽を教えてくれたのは、日本の音楽文化に造詣の深いインドの友人だった。
そして、初めて聴いたゴアのローカル音楽は、今までのゴアのイメージをぶち壊すに十分な、とんでもないインパクトのある代物だったのだ!

それではさっそく聴いていただきましょう。
ゴアン・ポップスの名シンガー、Jose Rodで、'Tarvoti'
 
個人が適当に作ったみたいな手作り感あふれるビデオはひとまず置いておくとして…。

なんと、聴いてお分りいただけた通り、これ思いっきり演歌!
大げさなイントロといい、安っぽいストリングスの使い方といい。サビでラテンっぽくなる以外、思いっきり演歌じゃないですか。

偶然この曲だけ演歌っぽいのを持ってきたんだろうと思う人もいるかもしれないが、このJose Rodさん、他の曲もびっくりするほど演歌だ。例えばこの曲'Govai'.
 
目を細めて情感を込めて歌うところも、チープなミュージックビデオも、まさしく演歌そのもの!
日本を遠く離れたインドに、それもインドの中でも独自の文化を誇るゴアに、こんなにも日本の心を感じる音楽があったということに、ただただ驚くほかない。
このJose Rodさんは、1938年生まれの超ベテランシンガー。
当然ながらこれらの音楽がゴアの最新のヒットチューンというわけではなく、まさに日本の演歌のように、懐かしのメロディーということになるのだが、それにしたってこれは演歌に似すぎている。

疑り深いあなたは、たまたまこのJose Rodさんが演歌っぽいシンガーなだけでしょう、と思っているかもしれないが、さにあらず。
他の歌手もまた、驚くべきサウンドを聴かせてくれている。
例えば1970年代に活躍していた女性シンガーのLorna Cordeiroさんの歌を聴いてみましょう。
 
もろにド演歌なイントロに続いて、今度は60年代の歌謡曲のような軽快なサウンドが出てきた!
サザエさんのエンディングテーマのみたいな軽快なフルートの音色と、ラテンっぽいアレンジにホーンセクション。
演歌とは別の方向に懐かしいサウンドは、またしても日本の心を感じさせる。

続いては、1966年のゴアでのヒット映画、'Nirmon'のテーマ曲'Claudia'という曲。
 
今度は、少しハワイアンっぽいというか南国風のアレンジだが、これまた60年代あたりの日本の歌謡曲を思わせる。

これらの音楽は、ゴア地方で話されている言語「コンカニ語」で歌われている。
コンカニ語のネイティブ・スピーカーは230万人程度で、ヒンディー語やタミル語のようなインドのメジャーな言語と比較すると、話者数はかなり少ない言語ということになる。
だが、いったいどうしてこのコンカニ語の楽曲が、演歌や日本の歌謡曲のようなサウンドを持つことになったのだろうか。

「インドと演歌」と聞いてまっさきに思いつくのはチャダ。

1970年代から活躍するチャダだが、彼はその見た目からも分かる通り、パンジャーブ系のシク教徒(出身はデリー)だ。
彼の演歌との出会いは来日してからだというし、彼の地元はゴアとはあまりに遠い。
ここではあまり関係がなさそうだ。

では、コンカニ・ポップスと演歌の共通点はどこにあるのだろうか。
思うに、その理由のひとつは、ゴアがポルトガル領であったことにあるのではないか。
インドのなかにあって、キリスト教の影響が強く、インド文化(ヒンドゥー文化、イスラーム文化)の影響が薄いのがゴアの特徴だ。

なぜかは分からないが
(インド)ー(インド文化)+(ヨーロッパ文化)=ほぼ演歌
という方程式が成り立つようなのだ。
これはもう本当に不思議というほかない。

そういえば、ポルトガルの大衆伝統音楽である「ファド」も、演歌と似ていると言われることの多い音楽だ。

要するに、ゴアの人々が、インド音楽ではなく、西洋音楽の伝統のもと、素朴な情感を湛えた音楽を作ったら、ファド以上に演歌によく似たものになってしまった、ということなのだろうか。

ゴアは港町。
港町といえば演歌にもよく登場する舞台だが、港町が持つ哀愁や、海の男たちの悲しみが、人種を超えた潜在意識にある演歌のスイッチを入れてしまうのかもしれない、と言ったらこじつけが過ぎるか。

コンカニ・ポップスに日本の心を感じてしまうもうひとつの秘密は、楽曲のアレンジにある。
さきほど紹介したコンカニ・ポップスに特徴的なのは、インドよりもむしろラテンやハワイアンを思わせるアレンジだ。
ラテンとハワイアンといえば、60年代の日本の歌謡曲でも流行した音楽である。
こうした日本の懐メロと共通するサウンドの傾向を持っていることも、コンカニ・ポップスに「日本の心」を感じてしまう一因であるように感じる。
あるいは、単にこの時代の世界的なトレンドだったのかもしれないが。

とはいえ、1960年代の他の国の音楽を聴いても、異国情緒こそ感じても、こんなにド演歌な、超ドメスティックな懐かしさを感じることはない。
日本から遠く離れたインドの、それもゴアという一地方にだけ、こんなにも演歌ライクな音楽があったということに、何か音楽の神様の悪戯のようなものを感じないでもない。
さっぱりわけのわからない悪戯だけれども。

今度ゴアに行ったら、最新の音楽が流れるクラブやフェスだけでなく、こんな懐かしいメロディーが流れる酒場にもふらりと立ち寄ってみたい。
(キリスト教文化の強いゴアはインドでは珍しく飲酒に寛容な土地柄だ)
そんなおっさんめいた感傷に浸らせてくれる、コンカニ・ポップス。
今回はゴアのまた知られざる一面を紹介してみました。
また行きたいなあ、ゴア。

今回の記事を書くにあたって、古いコンカニポップスの情報について、ムンバイ在住の友人に多大な協力をしてもらった。
彼は私とは反対に、日本の音楽シーンに興味を持っているインド人で、とくにPerfumeの大ファンでもある。
彼はツイッターの@prfmindiaのアカウントで、PerfumeやJ-Pop、日印の文化について発信している。
興味があったらぜひフォローしてみて!

それでは!

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2018年12月04日

ゴアトランス後のゴアの音楽シーン インドのEDM/レゲエ/ロック系フェスティバル!

前回前々回の記事で、1960年代から00年代中頃まで続いたゴアのサイケデリックな狂騒を、ヒッピー側とローカル側の双方の視点から取り上げた。
今回はその後のゴアのシーンの変遷と発展を書いてみたいと思います!

00年代のゴアは変化の10年だった。
ゴアのトランスパーティーが徐々に規制されるようになってきたのは、21世紀に入った頃からだったと記憶している。
この頃、インターネット上では「警察にパーティーが規制されて、今シーズンは全く開催できないみたい」とか「こないだのフルムーンは久しぶりにパーティーが開かれてた。完全にダメってわけでもないらしい」とか、刻々と変化するゴアの情報が飛び交っていた。
ゴアでも、ヨーロッパ同様に、野外でのフリーパーティー(いわゆるレイヴ)は年々規制が厳しくなり、きちんとした営業形態のクラブのような場所(トランスで言えば、Shiva ValleyやHilltopなど)や大規模な商業レイヴでなければパーティーが開けない時代がやってきたのだ。
良かれ悪しかれ、ゴアはもはや、外国人たちが無秩序な祝祭を楽しめる場所ではなくなってしまった。

ハードコアなパーティーフリークはゴアを去り、代わりに増えてきたのが、インドの富裕層の若者たちだった。
サラーム海上氏が著書で、「10年ぶりにゴアに行ったら、かかっている音楽は10年前と同じなのにセンスのいい欧米人はもういなくなって、騒いでいるのはインド人ばかり。ゴアはもう終わった。」(うろ覚え)といった趣旨のことを書いていたのも、この頃だ。
「ほっとけ。今までさんざん植民地扱いされてたところで、やっとインドの人たちが楽しめるようになったんだからいいじゃねえか」と思ったものだった。

インド人はとにかくダンスが好きだ。
急速な経済成長によって可処分所得が増え、インターネットの普及とグローバル化の影響で世界中の音楽に触れられるようになった新しい世代のインド人たちが、ボリウッド音楽では飽き足らずにより本格的なダンスミュージックに惹かれてゆくのは必然だった。
彼らにとって、ゴアは欧米文化の影響が強く、なにやら楽しそうなパーティーも行われている最先端のビーチリゾート。
関東近郊で例えるなら、ものすごくオシャレな湘南をイメージをしてもらえれば近い雰囲気かもしれない(よく分からんけど)。

そんな時代背景の中、2007年に、満を持してインド人の主催による大規模なダンスミュージックフェスティバルがゴアで開催された。
'Sunburn Festival'と名付けられたそのイベントの第一回目の様子がこちら。

このときの目玉はイギリスの大御所Carl CoxとSwedish House Mafiaの一員、Axwell.
新しい、そして最高に楽しい遊び場を見つけたインド人たちのこのうれしそうな様子!
トランスのレイヴでゾンビみたいに踊るヒッピーたちと比べると、このポジティブなエネルギーの発散は目を見張るものがある。
このフェスティバルのオーガナイザーは、起業家にしてEDM系のプロモーターであるShailendra Singhという人物。
第1回目のSunburnは、彼を中心に、MTV Indiaの元MCで、のちにインドで最初にして最大のEDMオーガナイザー'Submerge'を立ち上げるNikhil Chinapaと、バンガロールのDJであるRohit Barkerがホストを務める形で行われた。いずれも拡大する一方のインドEDMシーンの立役者だ。

初回の2007年の来場者は5,000人だったそうだが、回を追うごとに参加者は増加の一途をたどり、2010年には13万人が集結。
そして今ではSunburnは35万人以上を集めるアジア最大にして世界で3番目の規模(Tommorowland, Ultra Festivalに次ぐということ!)の超ビッグフェスとなった。


これまでに招聘した欧米のアーティストは、Carl Cox, Axwell(よほど気に入ったのか2007年以降毎年のように出演している)、Paul Van Dyke, Ferry Corsten, Afrojack, Paul Oakenfold, David Guetta, Tiesto, Swedish House Mafiaら。
テクノ、EDM系のアーティストに混じって、GMS, Infected Mushroom, Skazi, Domino, Riktam & Bansiらトランス系の面々が出演しているのはゴアトランスの名残と言えるだろうか。
また、地元インドのDJたちもPearl, Tuhin Mehta, Lost Storiesらが出演し、会場を盛り上げている。

Sunburn Festivalは2015年までゴアのビーチで開催されていたが、規模が大きくなりすぎたせいか、2016年からはマハーラーシュトラ州プネー(ムンバイから150kmほどの距離にある学園都市)に会場を移している。

その代わりにというわけではないが、2016年からゴアで開催されるようになったのが、レゲエ・ミュージックの祭典、Goa Sunsplashだ。

デリーのレゲエバンド、Reggae Rajahsによって始められたこの南アジア最大のレゲエフェスティバルは、今までにNaaman(フランス),  General Levy(UK), Brother Culture(UK)といったヨーロッパのレゲエ・アクトや、Johnny Osbourne, Mad Professor, Anthony Bといった本場ジャマイカのアーティストを招いて開催されている。
レゲエといえばトランスやジャムバンドと並んでヒッピーに人気の高かった音楽ジャンルだが、トランスに変わって現在のパーティーミュージックの主流となったEDMに比べると、インドでの人気はまだまだそこまでではない。
そのせいか、見たところ観客はインド人よりもヒッピー風の欧米人が多いようだが、出演者ではGereral ZoozやDJ MocityなどReggae Rajahsまわりの人脈や、Ska VengersDelhi Sultanate&Begum X、さらには地元ゴアのサウンドシステム10,000 Lions(サルデーニャ出身のPierre ObinoとReggae Rajahsのメンバーらで結成)など、インドのレゲエ・アーティストも多く見受けられる。
ちなみに2018年のプレパーティーには、日本人レゲエダンサーのCornbreadも参加していたようだ。
これはインドに限った傾向ではないと思うが、もはやレゲエがジャマイカンや黒人だけの音楽ではなく、普遍的なグッドタイム・ミュージックとして(あるいは闘争の音楽として)広く受け入れられているということの証左だろう。

ゴアでは他にもEDMやロック系のフェスが頻繁に行われており、2014年に開催されたNew Wave Musicfestというパンク/インディーロック系のフェスティバルには、日本の少年ナイフも出演している(彼女たちの様子は2:14頃から)。


かつてはヒッピーたちがサイケデリック・パーティーに興じたゴアは、いまではインドの若者たちが集う、インドで最もクールなフェスが数多く行われる街となった。
経済成長とそれにともなうサブカルチャーの発展によって、インドはゴアをヒッピーたちの植民地から取り戻した、と言ったら愛国的に過ぎるだろうか。

集まる人々こそ欧米のヒッピーからインドの音楽好きの若者たちに変わったが、ゴアはあいかわらず最高にゴキゲンな音楽を楽しむことができるリゾート地であり続けている。
これからこの街でどんな音楽文化が育まれてゆくのだろう。
もちろん、ゴアは排他的な街ではないのだから、我々外国人ツーリストも、その様子を一緒に楽しむことができる。
そのときは、地元への敬意も忘れずにね。


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2018年12月01日

サイケデリック・リゾート ゴアの表と裏(その2 2000年代以降のゴア)

前回の記事では、1960年代のアメリカで発生したヒッピームーヴメントが本国で下火になった後も、ゴアがヒッピーの楽園であり続け、90年代にはゴアトランスという独自のダンスミュージックを生み出した過程を書いた。
あまり曲の紹介ができなかったので、今回はまずゴアトランスの代表的なトラックをいくつか紹介してみます。

イギリス人アーティストSimon Posfordによるプロジェクト、Hallucinogenの名盤'Twisted'.
意味ありげなナレーションと効果音で始まって、エフェクトのかかった電子音が重なってゆく典型的なゴアトランスのサウンドだ。
 
ある時期までのゴアトランスはだいたいどれもこんな感じ。

こんなふうにヘヴィーなギターが入っている曲もあった。スウェーデンの女性アーティスト、Mirandaの'Real Rush'.
ギターのリフは1:55頃から。

今聴くとダサいって?ほっとけ…。

ゴアトランスの進化系。
よりダークでハードなロシアのParasense.
 
このころにはもうゴアとは呼ばずにサイトランス(Psy-Trance)とか呼ばれてた。
彼らは実はロシアのマフィアだという噂があったが、ゴアトランスにもっとピースフルなイメージを持っていた私は、マフィアって何だよ、って思ったものだ。

Simon Posfordとオーストラリア人のRaja Ram(本名Ronald Rothfield)によるプロジェクト、Shpongleはダンス/パーティーミュージックというよりもリスニングミュージックとしてのトランスを追求したサウンド。
 
生楽器やヴォーカル、ダンサーも交えたパフォーマンスにも定評がある、また別の方面に進化したトランスミュージックだ。

と、ご覧のように、いろんな国のアーティストたちがいる。
60年代のヒッピームーヴメントのロックアーティストはアメリカ中心だったが、90年代のゴアトランスの時代にはほんとうに多様な国籍のアーティストが活躍していた。
そもそも、この頃トランス系のパーティーに集っていた人たちは、もはやヒッピーとは自称せず、「レイヴァー(Raver)」と名乗っていた。
ゴアトランスの音楽的なルーツの一つはジャーマン・トランスだし、アーティストやファンで目立っていたのはイスラエル人トラベラーたちだった(イスラエル系のアーティストにはAstral Projection, Miko, Oforiaらがいる)。
他にもフランスのTotal Eclipse、イタリアのEtnica、デンマークのKoxboxがいたし、日本人でもTSUYOSHIやUbar Tmarが活躍していた。
まだインターネットもようやく産声をあげたばかりの1990年代前半だったが、この時期のトランスミュージックは本当にグローバルなムーヴメントだったのだ。

グローバルとはいっても、いままで紹介してきたアーティストに地元のゴアやインドの出身者は一人もいない。
ゴアの名を名乗りながらも、グローバルではあってもローカルではなかったのが、ゴアトランスだった。
果たして、ゴアの地元の人々は、彼らにしてみたら得体のしれない音楽に踊り狂うレイヴァーたちに対して、どのような印象を持っていたのだろうか。

「小さい頃、親からはヒッピーには絶対に近づくなって言われてたよ。彼らのことは大嫌いだ。臭いし、汚いし、ドラッグをやってめちゃくちゃなことをするし」
ゴア出身者にヒッピー系のトラベラーの印象を訪ねたところ、この答えが返ってきた。
彼は生粋のゴア人で、祖父母とはポルトガル語、両親とは英語、地元の友達とはコンカニ語(ゴアの地元言語)で話していたというエリートだ。
彼の意見は、ある程度の階層のゴア人の一般的な感覚と言って良いだろう。

レイヴァーにとってみれば、宿のおじちゃんは優しいし、パーティー会場に行けば地元のおばちゃんや子どもたちがチャイやドリンクを売っている。
ビーチの近くでヒッピー好みのシヴァ神やサンスクリット文字がプリントされたタイダイのTシャツを売っているのもインド人だし、ゴアトランスに興味を持ってDJの真似事を始める地元の若者もいる。
自分たちは歓迎されている、少なくとも許容されていると感じていたヒッピーやレイヴァーも多かっただろう。

だがしかし、ヒッピーの流入につれ、ゴアではドラッグの売買が盛んになり、良からぬ連中が幅を利かすようになった。
外国人ツーリストがたちが、かつては穏やかだった地元の浜辺で、法律もモラルも無視した乱痴気騒ぎを繰り広げるようになった。
そう、ヒッピーもレイヴァーも、まっとうな地元の人々にはひどく嫌われていたのだ。
今まで、ローカルの視点からこれらのムーブメントが語られることは極端に少なかったが、今後歴史を振り返るときに、このことは覚えておいたほうが良い。

そもそも、90年代にゴアでトランスパーティーが隆盛した理由のひとつに、当時のヨーロッパの社会背景がある。
当時、レイヴはゴアなどのリゾート地(他にはタイのパンガン島、スペインのイビサ島など)のみならず、西ヨーロッパ全体に広まったムーヴメントだった。
若者たちはサウンドシステムを野外に持ち出し、音楽とドラッグで自由を謳歌した。
(60年代ヒッピーカルチャーを象徴的するドラッグはLSDとマリファナだったが、90年代のレイヴカルチャーを象徴するドラッグはエクスタシー(MDMA)だ)
こうした動きに対して、当然当局側は規制を強めていくことになる。
イギリス政府は、レイヴによる薬物の蔓延、秩序の紊乱、騒音などを憂慮し1994年に「クリミナル・ジャスティス・アクト」という法案を施行した。
これは「野外で『反復するビート』を持つ音楽を10人以上で聴いている集団を解散させる権限を警察に与える」という条文を持った、実質上の「レイヴ規制法」だ。
期を同じくして、他のヨーロッパ各国でも、野外パーティーの開催を制限する風潮が強まってくる。
そんな中で、若者たちが自国の法を逃れ、自由と無秩序を謳歌できる場所が、ヨーロッパを遠く離れたインドのゴアだった。

日常のモラルやルールを忘れ、祝祭の時間を過ごす。
パーカッシブな音楽に合わせて夜通し踊り、生を肯定する。
こうした有史以前から行われているような人間の根源的な行為を、国家が管理、制限して良いのか。
真剣に考えるべき課題ではあるが、これは欧米社会の中の問題で、遠く離れたゴアの人々には関係のない話だ。

レイヴァーたちはドラッグを持ち込み、我が物顔で振る舞い、浜辺で夜通し騒ぎ、ヒンドゥーのイメージをサイケデリックの文脈に盗用した。
ゴアのドラッグの取引を取り仕切っていたのはロシアのマフィアで、警察とも繋がっていたという話を読んだことがある(前述のParasenseと関係があるかどうかは、知らない)。
まっとうな地元民からしたら、得体の知れない連中が地元の文化も法律も無視した大騒ぎを繰り広げた挙句に、外国のマフィアが違法薬物を売りさばいているとしたら、とても許容できる話ではないだろう。

欧米のヒッピーやレイヴァーたちがゴアに求めたのは、無制限の自由と温暖な気候、物価の安さだけだった。
愛と平和を訴え、資本主義社会に対する抗議を表明していたヒッピーたちがゴアでしていたことは、自国でできない逸脱行為を発展途上国に求めるという、きわめて植民地主義的なものだった。
結局のところ、侵略戦争に反対し、物質主義社会に疑問を投げかけていた彼らは、先進国の経済力を背景に地域の治安を乱す侵略者だったのだ。

いよいよ本格的にゴアでもパーティーの取り締まりが始まると(2000年以降だったと記憶している)、レイヴァーたちは、「ゴアのシーンは終わった」とかいって、三々五々、別の街に旅立っていった。
彼らは、決してゴアという街そのものを愛していたわけではなかったのだ。
こうして、名実ともに、ゴアトランスは終わりを告げた。

2010年代に入り、かつてのようにゴアでゲリラ的にトランスパーティーが開かれることはなくなったが、今でもゴアにはオールドスクールなトランスをかけている店がある。
ゴアにおけるヒッピーカルチャーの中心地、アンジュナ・ビーチにあるShiva Valleyもそのひとつだ。

この映像のYoutubeのコメントのいくつかを見ると「こいつらは俺たちの国に来るべきじゃない。さっさと追放されるべきだ」とか、「まるでゾンビみたいな連中だ。こんな奴らを見たくはないね」といったものもちらほら。

欧米サブカルチャーの文脈では、平和や自由といった普遍的な価値観を愛する旅人といったイメージのあるヒッピーやレイヴァーだが、反面、彼らは地元の人々にとっては植民地主義者的な存在でもあったということは、覚えておくべきことだろう。

ヒッピーカルチャーやトランスのムーヴメントに触れられるとき、ゴアの「まっとうな」ローカルからの視点がこれまであまりにも欠けていると思ったので、この記事を書いてみました。
もちろん、ゴアトランス/レイヴカルチャーがインドに残したのはこうした負の側面だけでなく、とくに音楽文化については非常にポジティブな影響も与えている。
だが、それはまた別のお話。
次回じっくり紹介したいと思います。
それでは!

(つづき)
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