2018年06月

2018年06月27日

メタルdeクッキング!メキシコ料理編(しかも健康に良い) Demonic Resurrection!

ここのところちょっと重めの(内容の濃い)記事が続いたので、今回は軽めの内容で行きたいと思います。
軽めといっても音楽的には重め!
今回は北東部ミゾラム州のデスメタルバンド、我らが Third Sovereignが出演している謎の音楽番組を紹介します!

Third Sovereignに関しては、こちらの彼らへのインタビュー記事をどうぞ。
デスメタルというコアな音楽性ながら、このブログ史上最多の「いいね!」を獲得した人気記事となっております。
インドの音楽シーンを見ていくうえで非常に大事なことを語っているので、メタルなんか聴かないよという人も是非ご一読を!

さて、本日紹介する番組は、その名も「Headbanger's Kitchen」
内容はというと、「ヘビーメタル・クッキングショー」という、かなりシュールというか意味不明なもので、メタラーっぽい料理人が大真面目に料理の作り方を披露するという訳のわからなさ。
毎回インド国内や海外のいろんなミュージシャンを招いて料理とメタルを紹介するという、おそらく世界でも唯一無二の番組だ。
インドでも、メタルという過激で暴力的な音楽を、料理という日常的で家庭的なものと対比させて面白がる、っていうメタ的な楽しみ方が成立するほどに、音楽の聴き方が成熟しているってわけだ。

Third Sovereignがゲストとして出演しているこの回で紹介される料理は「Necro Chili Con Carne」(暗黒チリ・コン・カルネ)とのこと。
なんじゃいそりゃ、と思うけど、その模様はこちらからどうぞ。


見てもらうと分かるが、このネクロ・チリ・コン・カルネ、別にThird Sovereignにちなんだ料理というわけでもなく、バンドのメンバーがいっしょに料理をするというわけでもなく、もっぱら司会の男性が一人で進行。
意外にも料理のコーナーはこれといったおふざけもなく、肝心のメタルの要素もないまま極めてまっとうに進んでゆく。

で、料理のコーナーが終わると今度はいよいよ司会の男性によるThird Sovereignへのインタビューが始まる(11:05頃から)のだが、このインタビューも、作った料理を食べながらするわけでもなく、好きな食べ物の話題が出るでもなく、今度は料理のことなんか忘れてしまったかのように普通のインタビューが始まり、ますますわけのわからなさが募る展開となっている。
インタビューでいちばん右に座っているインド訛りの少ない流暢な英語を話している男性が、このサイトでインタビューさせてもらったVedant.
この映像を見て、アタクシのインタビューのときは分かりやすいようにずいぶんゆっくり話をしてくれていたんだなあ、と再認識した。
彼はそういう気配りがさりげなくできる男です。

気になって調べてみたところ、この司会の男性はなんとムンバイのシンフォニック・デスメタルバンド、Demonic Resurrectionのヴォーカリストを務めるSahilという人物だということが判明!
Demonic Resurrectionはなかなか個性的なバンドで「いつか紹介したいアーティスト」のリストに入れていたのだけど、こんなところでこんな形で会ってしまうとは…。
でもせっかくなので紹介すると、彼らはドイツの有名なメタル系フェス、ヴァッケン・オープンエアにも出たことがあり、この5月にも英国ツアーを成功させた国際的にも高く評価されているバンドだ。
ヴァッケン出演時の模様がこちら。



この番組紹介の映像で、「キート、キート(Keto)」と連呼しているので何かと思って調べてみたら、どうやらこれは日本では「ケトン食」と呼ばれている健康食のことらしい。
「ケトン食」とは、もともと小児難治性てんかんの治療のために開発された食事法で、糖や炭水化物の摂取を大きく制限してエネルギーの多くを脂肪やたんぱく質から取るというもの。
日本でも流行った「低炭水化物ダイエット」「ロカボ」にも似たもののようだが、検索すると、日本でも「ケトン食ががんを消す」とか、「奇跡の食事療法」といった本も出版されており、世界中に熱心なファンがいる健康法のようだ。
で、その熱心なファンのインド代表がこのDemonic ResurrectionのヴォーカリストのSahilということのようで、この番組は単なるメタルと料理のミスマッチを狙ったバラエティー番組ではなく、このケトン料理のレシピを視聴者の健康のために紹介するという、非常に真面目な使命を持ったもの(にメタルアーティストのインタビューも入っている)なのだ。
インド料理はチャパティーや米、ジャガイモなどで炭水化物過多になりやすいと言われているのだが、まさかデスメタルバンドのヴォーカリストが食事療法を通してインドの健康状況改善に取り組んでいるとは思わなかった。
インドのデスメタルシーン、奥が深すぎる…。

さらに謎なのは、Sahilが紹介しているレシピがチリ・コン・カルネだということ。
チリ・コン・カルネは米南部テキサス州からメキシコあたりで食べられている、いわゆる「テックスメックス」料理で、英語風にチリ・コン・カンと呼ばれることもある。
そのメキシコ料理(と番組では紹介されている)のチリ・コン・カルネを、サヒールさん、インドでは手に入りづらいと言いながらアボカドを使ったワカモレを作ったり、かなり本格的な作り方でクッキングしているではないか。
食に関しては一様に保守的と言われているインドで、何故に遠く離れたメキシコの料理なのか。

謎を解くカギは、「新版 インドを知る辞典」(山下博司・岡光信子著)という本の中に見つかった。
この本の中の最近のインドの夕食事情についての記述で、こんなことが書かれていた。
「都会の裕福な家庭では、インド料理だけでなく、時には中華料理、メキシコ料理、タイ料理、西洋料理なども並べられる」
なんと、家庭でよく食べられる外国料理の2番目にメキシコ料理が来ているではないか!
1番目が地理的にも近く、世界的にも美食とされている中華料理なのは分かるとして、その次に遠く離れたメキシコ料理。
これは日本でいうとイタリア料理あたりのポジションということだろうか。
でもよく考えてみたらインド料理で欠かせない唐辛子も、サモサ等でよく使われるジャガイモも、もともとは中南米原産。
香辛料をたくさん使うという共通点もあるし、メキシコ料理はじつはインド人にとってかなり馴染みやすいものなんじゃないだろうか。
と思ってデリーやムンバイのメキシカンレストランをググってみたら、あるわあるわ。
しかも、メキシコ料理専門店だけじゃなくて、「インド料理とメキシコ料理」とか、「イタリアンとメキシコ料理」みたいなお店がたくさんヒットする。
ムンバイに暮らすインド人の友人に聞いてみたところ、「ナチョスやケサディーヤ、タコスやブリトーは一般的だよ。インド風に料理されたものだけどね。裕福な人は専門店で本物のメキシコ料理を食べてるんじゃないかなあ」とのこと。
おお!インド風にアレンジまでされているなんて、まさに日本でいうところのイタリアン、たらこスパゲッティーやナポリタンを彷彿とさせるじゃないか!

ちなみに大航海時代に中南米原産の唐辛子(チリ)がインドに渡ってきて料理が発展していった様子は「インドカレー伝」(リジー・コリンガム著、東郷えりか訳)という本に詳しい。
食に関しては戒律や浄・不浄の概念のせいで保守的と言われるインド人だが、じつはとっくの昔に食のグローバリゼーションを成し遂げていた、とも言えるわけだ。

さらに余談だが、メキシコで伝統的なコーヒーの飲み方の「カフェ・デ・オジャ」といえば、コーヒーにシナモンを入れたもののことを指す。
シナモンは南アジア原産の香辛料。
中南米原産の唐辛子がインドの料理で、南アジア原産のシナモンがメキシコの飲み物でそれぞれ欠かせないものになっている、っていうものなかなかに面白い話なのではないかと思う。

話を番組に戻すと、もうひとつ驚いたのは、このレシピに牛肉が使われていること。
ご存知のとおり、インドでは人口の8割がヒンドゥー教を信仰している。
ヒンドゥー教において牛は「聖なる動物」とされており、殺したり食べたりすることに対する忌避意識は相当に強いものがある。
とくに、ヒンドゥーナショナリズム的な傾向が高まっている昨今では、牛の屠殺を禁じる法律が州議会で可決されたり、牛肉を所持していたイスラム教徒が集団リンチにあったりするという事件も起きている。
田舎だけではなく、Demonic Resurrectionの本拠地、大都会のムンバイでも起きていることだ。
その中で、あえて(それもさも普通のことのようにしれっと)牛肉を使った料理を紹介するっていうのは、じつはすごく勇気がいることなんじゃないだろうか。

この「チリ・コン・カルネ(chili con carne)」はもともとはスペイン語で、conは英語のwith、carneはmeatを意味している。
このカルネは本場メキシコやテキサスでも必ずしも牛肉である必要はなく、鶏肉でも良いとされている。
何故そこを、あえてそこを牛肉で行くのか?

もちろん、牛肉のほうが美味しい(少なくとも、Sahilにとっては)ということなのだろうが、本当にそれだけだろうか。
これは完全に想像だが、Third SovereignのVedant がインタビューで言っていたように、彼らメタルミュージシャンにとってはヘヴィーメタルこそが宗教というか信念の拠り所であって、既存の宗教による規範になんてとらわれねえぞ!という意識が働いているの可能性はないだろうか。

Sahilが所属するDemonic Resurrectionの曲の中には、こんなふうに冒頭で神の実在や慈悲を否定しているものもある。

(男塾の民明書房風に書くと、この曲はマツヤというタイトルだが、牛丼をテーマにした歌ではなく、だから番組でも牛肉を食べているのでないことは言うまでもない)

冒頭の語りに続いて始まるシタールとメタルサウンドの融合がシビれる!
しかもそれが単なる意外性だけで終わらずに、ドラマチックな曲調の中で非常にうまく使われているのが印象的だ。
冒頭で神の権威を否定している一方で、歌詞にはヒンドゥー教的な単語もずいぶん出てくる。
が、大事なのはダルマ(Dharma=法、理ことわり)であって、様々な神々はその多様な側面を表したものに過ぎない、というのもまたインドの哲学の一部。
これはこれで非常にインド的なメタルと言えるのではないだろうか。


また別の曲では、ヒンドゥーの神々がばんばん出てきて、もう完全にヴェーディックメタル
(ヴェーディックメタルについてはこちらをどうぞ)
デス声以外の部分も多く、ドラマティックにインド神話の世界創造を歌った壮大すぎるテーマのメタル組曲だ。
思うに、彼らは曲を書くにあたって、ヘヴィーメタルにふさわしい題材として、インドの伝統であるヒンドゥーの神話世界を扱ってはいるものの、ヒンドゥー教という宗教を生活の規範にしようというつもりはさらさらない、というスタンスで活動しているのではないだろうか。

それから、つい歌詞や背景の分析が長くなってしまったけど、ブルータルだったりテクニカルだったりするデスメタルバンドが多いインドのメタルバンドの中で、Demonic Resurrectionのドラマチックかつシンフォニックなサウンドは非常に個性的で面白い。
楽曲もよくできていて、演奏レベルも非常に高く、欧米でツアーができるほどに人気があるのもうなづける。
日本でももっと人気が出てよいタイプのサウンドじゃないだろか。


それにしても、この動画のトップ画像を見ていたら、最近ちょっと太り気味のアタクシもケトン食やってみようかな…という気持ちになってきてしまった(内容は、体重の数字だけじゃなくて、トータルの健康に気を配れ、っていうみんなが言うやつなんだけど)。
糖質や炭水化物の摂取をやめると初めのうちはイライラすると聞くが、そんなときに彼らのデスメタルを聴けば気分もすっきりするかもしれない。
余計怒りが込み上げてきて何かを破壊したくなるかもしれないが。 

ああ、今回も軽い話題のつもりがずいぶん長くなってしまった。
楽しんで読んでもらえたら良いのだけど。
それでは今日はこのへんで! 

2018年06月23日

The Mellow Turtleインタビュー!驚異の音楽性の秘密とは?

先日紹介した、ジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき音楽性を誇るギタリスト/シンガー・ソングライターのThe Mellow Turtle.
インドの中でも後進的な地域の出身ながら、時代もジャンルも超越した先進的なハイブリッドサウンドを奏でる彼の音楽遍歴やバックグラウンドはいかなるものなのか?
想像を超える実態が明らかになった驚愕のメールインタビューの模様をお届けします!
その前に、The Mellow Turtleの紹介記事はこちら

—あなたのFacebookページを読むと、ずいぶんいろんなタイプの音楽を聴いてきたみたいだね(註:彼はおすすめとして、Tom Misch, FKJ, Bonobo, B.B.King, Muddy Waters, Alt J, Ratatat, Ska Vengers, The F16sなど、海外、国内を問わず非常に多様なアーティストを挙げている)。 それにブルースロックだったり、ヒップホップだったり、エクスペリメンタルなものだったり、すごくいろいろなスタイルの曲を書いているけど、いったいどんな音楽的影響を受けてきたのか、教えてもらえる


MT
「最近聞いているのはアフリカのマリのブルースだよ。Ali Farka Toure, Songhoy Blues, Vieux Farka Toureとかだな。 大きな影響を受けたアーティストといえば、The Black Keys, Ratatat, Gorillaz, Chet Faker, Glass Animals, Morcheeba, Thievery Corporation, Muddy Waters, Howlin Wolfあたりってことになる。 最近じゃヒンドゥスターニー(北インド)の古典音楽も聴き始めたよ。」 

マリのブルース!そっちから球が飛んでくるとは思わなかった!
他にも、インディーロック、新世代シンガー・ソングライター、ローファイ、伝説的ブルースマンと、古典から現代まで、センス良すぎるラインナップだ。
さらに地元インドの古典音楽まで聴き始めたとは!
ギタリストにもかかわらず、いわゆるギターヒーロー的なテクニカルなプレイヤーを挙げずに、いろいろなジャンルのグッドミュージックを挙げているのも印象的。
本当に音楽そのものが大好きなのだろう。

 

—マリのブルースって、いったいどこで知ったの?

 MTYoutubeで見つけて、そこからインターネットで調べ始めたんだ。Ali Farka ToureRy Cooderのアルバム「Talking Timbuktu」はチェックすべきだよ。すごく美しい音楽だ」

 

 
Ali Farka Toureのソロアルバムはこちら!

 

Ali Farka Toure、不勉強にして初耳だったのだけど、聴いてみてびっくりした。
なぜって、もはやすっかり伝統芸能として形骸化し、息絶えたと思っていたブルースの「精神」が、彼の音楽に生々しく息づいていたから。
アフリカ系アメリカ人によって生まれ、そのままアメリカで死んだと思われていたブルースは、その精神的故郷アフリカで今も生き残っていた。
そしてインドの後進地域のミュージシャンに影響を与え、さらに新しい音楽の母胎となっている。
なんて素晴らしい話なんだろう!


—いつ、どんなふうにギターの演奏を始めたの?

MT
134歳のころにギターを弾き始めた。理由はギターのサウンドにどっぷりはまっちゃってたから。それでギターのレッスンを始めたんだけど、少しの間だけレッスンを受けて、あとはウェブ上のタブ譜を見ながら練習したよ」 


—お気に入りのソングライターやパフォーマー、ギタリストは誰?

MT
「それは難しい質問だな。ソングライターとしては、Ben Howardが大好きだ。ベスト・パフォーマーを挙げるなら、Anderson Paakってことになるね。お気に入りのギタリストってことなら、B.B.Kingがいちばんだよ」 

Ben Howardは先日紹介したAsterix Majorを思わせる叙情的なフォーク系シンガー・ソングライターだ。
The Mellow Turtle、守備範囲広すぎだろう。


Anderson Paakはカリフォルニアのゲットー出身のアーティスト。アメリカの黒人音楽の誕生から現在までを全て詰め込んだようなラッパー/シンガー/ドラマー。
ケンドリック・ラマーらと並んで、現在のヒップホップシーンで高い評価を得ている。


B.B.Kingは言うまでもないブルースの大御所だ。これは彼が映画ブルースブラザーズ2000でも披露していた代表曲の1つ。
 

こうして彼のお気に入りの音楽を並べてみると、音楽性は様々だが、サウンドやスタイルのかっこよさを追求するだけでなく、魂を込めて真摯に表現しているタイプのアーティストが多いことに気がつく。
とくに彼の黒人音楽の好みに関しては、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ばざるを得ないジャールカンドの暮らしの中で育まれた感覚が共鳴するアーティストを挙げているようにも感じる。考えすぎだろうか?


—あなたがTre Essと競演している曲がすごく好きなんだけど、彼もラーンチー出身だよね。いつ、どんなふうに出会って、共作を始めるようになったか教えてもらえる?

MT
「ありがとう!友達のJayantElephant RideEPを作っていたときに、SumitTre Essの本名)もJayantのスタジオでソロアルバムをレコーディングしてたんだ。ある日スタジオに顔を出したらJayantが、僕らの曲に合わせてラップをした奴がいるって言うんだ。それをチェックしてみたらすごく良かったから、そのTangerineって曲のラップをそのまま残しておくことにしたんだよ。その後、僕らはスタジオで顔を合わせて、いっしょにレコーディングするようになった。それで今じゃすっかり大親友になったってわけさ。」 

それがこの曲、Tangerine. Tre Essのラップは2:10頃から。
ラップが入ることで、ブルースロック調の曲がより現代的、立体的になっているのがわかる。



—ラーンチーやジャールカンド州のミュージックシーンについて教えてくれる?ジャールカンドじゃどんなところでライブをしているの?ライブハウスみたいなところとか、フェスとかあるの?

MT
「ラーンチーのシーンは本当に退屈だよ。生演奏が聴ける場所なんてないね。へヴィーメタルとカバーバンドのリスナーがいるだけさ。ラーンチーでライブを企画しようとしたことがあったんだ。でも観客は古いヒンディー語とか英語の曲のカバーばっかりリクエストしてきた。ここで新しいタイプの音楽を聴く人を見つけるのは本当に大変だよ」 

音楽好きがほとんどいない街で、偶然出会った全く違うジャンルの才能あふれるミュージシャン2人。
ムンバイやデリーのような音楽シーンが成熟した大都市だったら、出会わずにすれ違うだけだったかもしれない。
音楽の神様はたまにこうして才能のあるもの同士を引き合わせる。
そして、そんな音楽好きがほとんどいない街で、純粋に自分たちの音楽を追求しつづけるThe Mellow TurtleTre Essには、心からのリスペクトを感じる。
でも、本当に今のままでいいの?

 —インドの場合、多くの才能あるミュージシャンがデリーやムンバイやバンガロールみたいな大都市に活動拠点を移しているよね。あなたも活動拠点を大都市に移したいと思う?それともラーンチーにとどまり続けるつもり?


MT「正直言って、まだなんとも言えないよ。理想を言えば、ラーンチーとムンバイと両方で過ごすことができればいいけど。都会の生活はとても厳しいよね。生活にお金もかかるし、交通状況も最悪で(駐:ラッシュアワーや交通渋滞のことか)移動のためにずいぶん時間を無駄にしなきゃならない。でもボンベイみたいな街に住めば、もっとライブの機会は増えるし、音楽業界の先頭に立っている人たちにも会える。僕の音楽を聴いてくれるファンを増やすこともできると思うし。」

 日本でも、いや世界中でも、同じように感じている地方在住のミュージシャンは多いことと思う。上京して一人暮らしするのだってバカにならないお金がかかる。

都会出身のミュージシャンとは、そもそも前提条件から違うってわけだ。
でも、だからこそ、彼のように地方から大都市のシーンとは関係なく面白い音楽が出てきたりもするのだけど。

 

—あなたのアルバムのタイトル『Dzong』(ゾン)とか、曲名の『Dzongka』(ゾンカ)っていうのは、ブータンの言語の『ゾンカ語』のことだよね?もしそうなら、どうしてこのタイトルをつけたのか、意味を教えてもらえる?

MT「ブータンの言葉だと、『Dzong』っていうのは宗教や行政や社会福祉を全て執り行う城のことなんだ。このアルバムを通して、僕は精神的なことや政治的なこと、社会的なことを表現したかった。それから僕は建物としての『Dzong』にすっかり魅了されてるんだ。すごくきれいなんだよ。そういうわけでアルバムに『Dzong』ってタイトルをつけたんだ。

 これが「Dzong」(ゾン)

PunakhaDzongInSpring
Dzongka』っていうのはブータンの言葉を意味している。この曲では、自分たちの独自のサウンドを追求してみたんだ。ブータンが独自の言語や文化を持っているようにね。『Dzong』をレコーディングしているとき、僕とSumitTre Ess)でブータンに行く機会があったんだ。二人ともブータンの文化や雰囲気がすっかり気に入ったんだよ。僕が今までに見た中で一番美しい国だった。」


今度はブータンと来たか!
アメリカや世界中のグッドセンスな音楽のスタイルに乗せて、地元の街のブルース(憂鬱)を歌う。それだけでも十分なのに、隣国の文化からもインスパイアを受けたという彼らの感受性には恐れ入る。時代も地理的な条件もいっさい関係ないみたいだ。

 

-あなたのFacebookのページによると、ソーシャルワーカーや起業家としても活躍しているみたいだね。音楽以外ではどんなことをしているの?

MT
「父の不動産会社で働いていて、プロジェクトの責任者をしているよ。ソーシャルワーカーとしては、今はSt.Michales盲学校のとても才能あるミュージシャンたちのメンターとレコーディングをしているよ。学校で週に2回、ギターも教えているんだ。学校でセッションのための部屋も作ろうとしているんだ」

 不動産会社はともかく、盲学校でのプロジェクトはとても面白そうだ

初期のブルースマンからレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーを経てラウル・ミドンまで、盲目の素晴らしいミュージシャンは数多くいる。
彼の音楽的センスと、インドの土壌から、どんなミュージシャンが出てくるのだろうか。

インタビューを通して感じたのは、彼の音楽全般に対する情熱だ。
地域も時代も超え、あらゆる音楽に興味を持ち、良いものを聴き分ける音楽ファンとしての情熱。
そしてそこから受けた影響を、音楽シーンのない街で世界中のどこにもない自分の音楽として作り、表現する情熱。

また、音楽の普遍性と地域性ということについても考えさせられた。
彼の音楽は、先に述べたような世界中のさまざまな音楽からの影響で成り立っている。
だが、彼の作るサウンドの、ビートの隙間からは、紛れもないインドの地方都市の空気が漂ってくるのもまた事実だ(これは、Tre Essの音楽からも感じることだ)。

ニューヨークの音楽にはニューヨークの、西海岸の音楽には西海岸の空気があるように、彼の作る音楽からは、ジャールカンドの空気感が伝わって来る。
昼の暑さを忘れさせるくらい涼しくなった夜の、排気ガスやどこからともなく漂う煮炊きの匂い、オートリクシャーのエンジンとクラクションの音、暗い街角で行くあてもなく佇む人々の眼差しや息遣いが感じられるような音像だと、私は感じている。

The Mellow Turtle. ジャールカンド州ラーンチーが生んだ稀有な才能。
今後彼がどんな音楽を作り出すのか。
またみなさんに紹介できることを楽しみにしています。



2018年06月17日

心地よい憂鬱と叙情…。 Asterix Major

いつもインパクトを出すためにブログのタイトルに「!」を入れるようにしているのだけど、今回はビックリマーク無し。代わりに「…」を入れてみた。
なんたって憂鬱と叙情だからね…。

さて、このブログでは、これまでいろいろなタイプのインドの音楽を紹介してきた。
かっこいい音楽。面白い音楽。いかにもインドらしい音楽。インド社会の知られざる側面がよくわかる音楽。などなど。
今回紹介するのは、何ていったらいいんだろう。
インドとか日本とか、そういう限定的な枠を超えて、すごく、じんとくる音楽だ。 

デリーのシンガーソングライター、Asterix Majorの新曲、"Falling Up".
これまでにこのブログで紹介したことがない、ギターの弾き語り中心の穏やかな曲。
決してポップでキャッチーなわけでもない。
でも静かだが、力強く、重く、深いメッセージが伝わってくる曲だ。
ぜひ、歌詞や映像と一緒に味わってみてほしい一曲です。

モノクロ中心の 美しい映像は、インドのことを映しているはずなのに、曲調や歌詞とあいまって、遠く離れた場所に住んでいる我々の胸にも迫ってくる。

美しい映像の中に映される、信じられないほどの格差。路上で暮らす人たち。
豊かな生活と引き換えの環境汚染。農作物への大量の化学薬品の使用。
様々な形での暴力に晒される子供や女性など社会的の弱者。
我々はこうした問題がインド固有のものではなく、日本でも、世界中のあらゆるところでも起きているということを知っている。
また、途上国で起きている深刻な問題が、先進国が主導する世界的な経済システムの中で引き起こされたものだということも知っている。

物質的にも経済的にも発展してきたはずなのに、社会の歪みは大きくなるばかり。
こんなことををこの先ずっと続けていくことができるのだろうか。
でも誰もが、世の中の不安や矛盾から目を背けて、日々を生きている。
この、とてもやっかいで、でもとても大事な真実を、この曲は非常に美しい方法で表現している。

この"Falling Up"について彼は、断罪しているのではなく、ただ我々が暮らしている社会のあり方を描写しているんだと語っている。
こうした超越者的な視点のせいだろうか。
この曲には、絶望というよりも、諦観にも似たやさしさを感じる不思議な味わいがある。
個人的には、この曲が持つ「やさしい虚無感 」みたいな感覚とフォーク的な曲調に、先ごろ亡くなった森田童子を思い出したりもした。

彼の他の楽曲も、また同じように独特の情感をたたえており、美しい映像で綴られている。
エレクトロニカ系のアーティスト、NYNとのコラボレーション、"Desire"

フォーキーな"Falling Up"とはうって変わって、EDM的なトラックに乗せてラップ的な歌唱も披露している。

こちらはもう少しアンビエント寄りな、7 bucksとの曲、"Someday"

彼の音楽の叙情性がより活きた曲調だ。
クオリティーの高い映像は、デリーのShunya Picturesというところが製作しているもの。
Shunyaって日本人の名前みたいにも聴こえるけど、何なんだろう?

このAsterix Majorは、Facebookのプロフィールによると、専業ミュージシャンというわけではなく、現在デリーのマルチ・スズキ(日本のスズキがインドで立ち上げた合弁企業で、インドを含む南アジア全域で高いシェアを誇る)でインターンシップをしているそうだ。

彼の非凡な才能が今後どのような楽曲を生み出すのか、非常に楽しみなミュージシャンである。

最後に、この曲は「人生」についての曲。
多少拙い部分はあるけど、この胸を抉られるような感覚はどこから来るんだろうなあ。
 

2018年06月15日

ジャールカンドの突然変異! The Mellow Turtle

前回、ジャールカンド州ラーンチー出身のラッパー、Tre Essを紹介した。
貧しく保守的な地域だと思っていたジャールカンドから本格的なラッパーが出てきたことに大いに驚いたものだが、驚きはこれだけでは終わらなかった。

Tre Essと頻繁に共演している同じくラーンチー出身のギタリスト、The Mellow TurtleことRishabh Lohia .
ブルースをベースにしつつ、トリップホップやエレクトロニカの要素もある楽曲の数々は、これまたジャールカンド離れした驚愕のサウンド!
まずはぜひ聴いてみてください。

昨年リリースされたセカンドアルバム"Dzong"から、"Minor Men"


Tre Essと共演した曲"Lake Dive"

アルバムタイトルの"Dzong"とは、ブータンの言語「ゾンカ語」のことだが、ブータンからは距離のあるジャールカンドで、どういう意味が込められているのだろうか。

ファーストアルバムではよりルーツ的なサウンドを聴かせている!
静止画と字幕、フリー素材だけで作ったみたいなビデオが微笑ましいぞ。
地元の写真なのだろうか。

これは何だろう、ローファイ・ヘヴィー・ブルース・ロックとでも呼ぶべきか。
途中で入ってくるラップがG.Love的な雰囲気も醸し出している。

インド古典を使った"Laced"もセンスが良い!


何なんでしょう。この、古いものも新しいものもセンスよくミックスしたオリジナリティー溢れるサウンドは。
ジャールカンドや周辺地域の後進性については前回の記事でも触れたが、デリーやムンバイといった大都市ではなく、ラーンチーからこのサウンドが生み出されるということは、インドに詳しくない人のために分かりやすく説明すると、東京に例えるとすれば足立区からコーネリアスが出てきたくらいのインパクトがある。

彼のFacebookのページによると、お気に入りのミュージシャンとして、Tom MischやFKJといった、ルーツミュージックを現代的な方法で再構築しているアーティストに加えて、B.B. KingやMuddy Watersのような昔ながらのブルースアーティストを挙げている。
ちなみにインドのアーティストでは、お気に入りとしてこのブログでも取り上げたSka Vengersの名前が挙がっていた。
同ページには、The Mellow Turtleは起業家、社会活動家としての顔も持っていると紹介されていたが、彼もまたSka VengersのTaruのような啓蒙活動をしているのだろうか。
ぜひ本人に聞いてみたいところだ。

これまでこのブログで見てきたインドのミュージシャンは、ロックならロック、ラップならラップとひとつのジャンルからの影響しか表現しないアーティストばかりだった。
中には、インドの伝統音楽や映画音楽など、地元の文化と欧米の音楽との融合を試みているミュージシャンはいたが、彼のように西洋音楽の中の異なるジャンルを、それも時代をまたいでセンスよく融合させるという、言ってみればBeck的なセンスを持ち合わせたミュージシャンというのはインドでは本当に稀有。
いったいどうやってジャールカンドでこのセンスが育まれたのだろう。

Tre EssとThe Mellow Turtle.
ジャールカンドが生んだ突然変異。
ラーンチーにはいったいどんなシーンがあるのか。
彼らの音楽的センスはどのように育まれたのか。
二人にメッセージを送って確かめてみたいと思います。
返事がもらえるといいなあ。 


追記:
The Mellow TurtleとTre Essのコラボレーションで最も気に入っているのがここで聴けるアルバム「Blues off the Ashtray」からの楽曲。
https://soundcloud.com/nrtya/sets/tre-ess-x-the-mellow-turtle
以前聞いて「おおっ!」と思ったものの記事を書いているときに見つけられなかったのだけど、再び発見したので改めて載せておきます。
ブルースとヒップホップ、黒人音楽の始まりと現在地がまさかインドで違和感なく融合するとは。 

2018年06月11日

インドのヒップホップの「新宗教」って何だ?Tre Ess!

こないだRolling Stone Indiaのウェブサイトを開いたら、いきなり日本語で書かれた「新宗教」っていう文字が目に入ってきてびっくりした。

いったい何事かと思ってみたら、数々の才能あるアーティストが所属するムンバイのレーベル、NRTYAに所属するラッパー/トラックメイカーのTre Essによる新曲「New Religion」を紹介する記事だった。
この曲は、Tre Essがムンバイ、コルカタ、ニューヨークのラッパーと共演した、総勢8名によるマルチリンガル・ラップだ(なぜジャケットに漢字が使われているのかは全くもって不明)。



小慣れた英語のフロウもはまってるし、ところどころにインドの要素を入れつつ最後はギターも入ってヘヴィーロック的な展開を見せるディープなトラックもかっこいい!

マイクリレーの順番は、
Cizzy(コルカタ、ベンガル語)
Tienas(ムンバイ、英語)
Kav E(ムンバイ、英語)
Tre Ess( ラーンチー、英語)
Gravity( ムンバイ、ヒンディー語)
Jay Kila(ニューヨークのインド系ラッパー、英語)
Nihal Shatty and the Accountant(ムンバイ、英語)
最後にまたTre Ess、と続く。

Gravityのパートでヒンディー語になったところで、タブラの音が入ってサウンドもインドっぽくなるところなんかもなかなか小粋にできている。
ヒンドゥー、イスラム、シク教、キリスト教、仏教など多くの宗教を抱えるインドで「新宗教」とはどういうことかと思ったが、その真意はリリックからははっきりしない。
リリックの内容は、英語のパートを見る限りだと不穏で暴力的な都市での生活を語ったもののようで、宗教っぽい部分といえば、TienasとTre Essのパートで"I'm a god"というフレーズが使われているくらいか。
推測するに、「神に祈っても救われないこの世の中で、ヒップホップの価値観こそが俺たちの新しい宗教なのさ」といったところだろうか。

そういえば、キリスト教が盛んなインド北東部のデスメタルバンド、Third Sovereignも、彼らの音楽にブラックメタルのような反キリスト教的な要素があるのかという質問に対して、「俺たちは、反宗教というより、宗教同士、コミュニティー同士の対立にうんざりしているんだ。ヘヴィーメタルはそれ自身がひとつの宗教みたいな感じだ。違いや対立にこだわるんじゃなくて、音楽は個人のバックグラウンドに関係なく夢中になることができる。ブラックメタルのアーティストは宗教の垣根を越えた表現として音楽を演奏しているんだ」と語っていた。
この曲についても、ジャンルは違えど同じような意味合いがあるのかもしれない。

さて、もう1つこの曲でびっくりしたのは、この流暢な英語ラップと完成度の高いトラックを披露しているTre Essが、ムンバイやデリーのような大都市ではなく、ジャールカンド州のラーンチーの出身だということ。
ジャールカンドといってもピンと来ない人が多いと思うが、地理的には下の地図の赤い部分にあたり、コルカタがあるウエスト・ベンガル州の西、仏教の聖地ブッダガヤがあるビハール州の南、タージマハルで有名なアーグラーやヒンドゥーの聖地ヴァラナシがあるウッタル・プラデーシュ州の南東に位置している。
ジャールカンドは2000年にビハール州から独立して生まれた新しい州で、先に述べた周辺の州と比べると、これといった大都市や観光地があるわけではないため、インドに行ったことがある人でも、訪れたことがある人はあまりいないのではないかと思う。

ジャールカンド
で、なぜそのジャールカンド州出身だとそんなにびっくりするのかというと、ジャールカンドはインドに33ある州と連邦直轄領のうち、住民一人当たりGDPが下から5番目の、極めて貧しい州だからということに尽きる(ジャールカンドのGDPは2015-16年のデータでUS$960)。
隣接するビハール州が住民一人当たりGDPのワースト1(US$520)、ウッタル・プラデーシュ州がワースト2(US$740)で、このあたりは人口こそ多いものの、インド主要部の中でもとくに貧しく後進的な地域とされている。(人口に関していうと、この3州は合計で約3.5億人を擁し、インド全体の3割弱を占める地域ではある)
首都デリーの一人当たり年間GDPはUS$4,500だから、その格差の程がお分かり頂けると思う。

また、ジャールカンドは人口の3割ほどを「指定部族」が占める。
指定部族とは、ヒンドゥーやイスラムとは異なる伝統を持ち、歴史的に被差別的な立場を強いられてきた人々であり、ビハール州からの独立にも、そうした背景が関係していると聞く。

先日のレゲエ活動家Taru Dalmiaの記事でも書いた通り、英語のラップはインドの一般大衆からすると、まだまだエリート・ミュージックという印象を持たれるジャンル。
失礼ながら、こんな後進的なイメージの州から、ここまで洗練されたヒップホップ(歌詞はリアルなストリートライフだとしても)が出てきたら、そりゃあ驚くってものでしょう。
ちなみに以前行った「全インド州別ヘヴィーメタル状況調査」でも、ジャールカンドにはメタルバンドは一組も存在していないという結果が出ている。おそらくは貧困や保守性を原因として、ラップだけでなく現代的な西洋音楽全般が普及していない様子が伺える。

そんなジャールカンド出身のTre Ess、「New Religion」だけが他のミュージシャンの助けもあって奇跡的な出来なのかと思ったら、そんなことは全然なく、他の曲もやはり驚愕の出来。

Tre Ess "Bycicle Thieves"(ft. Gravity) 

こちらもムンバイのGravityとの共演だが、ジャジーで夜の空気感を感じさせるトラックのクールさといったら!

Tre Ess "Through the Window"

こちらも生演奏の不穏な感じのトラック(インドのヒップホップにありがちな、アゲる方向に持っていかないところが逆に重い!)に、ジャールカンドの荒んだ暮らしが綴られている。
リリックはYoutubeから見ると確認できるんだけど、

Everybody and their momma is a rebel in Jharkhand
  誰もが、母親でさえもがジャールカンドでは反逆者
Several consequences / For your lil princess, born in war trenches 
  戦場みたいな所で生まれたあんたの娘の成り行きさ

というラインから始まって、

Your worst nightmare is cuter than my dreams お前の最悪の悪夢も俺の夢よりずっとマシさ
Don't ever fuck with boys from RNC! ラーンチーの男達を怒らせるんじゃないぜ
I Told you, Don't fuck with boys from RNC! 言っただろ、ラーンチーの男達を怒らせるな
I could show you 14 years old killers from the local basti! 地元のスラムじゃ14歳の殺し屋だっているんだ

と終わる(bastiはヒンディー語で貧しい人々が住む過密地域という意味らしい)。

…少し話がそれるが、アタクシがインドの最近の音楽を熱心に聴き始めた最初のきっかけは、ヒップホップだった。
インドの特定のアーティストという意味ではない。
これだけインターネットが発達して、簡単な機材とスマホでもあれば、誰もが自分の表現を世の中に訴えることができる時代。
様々な差別や貧富の差、不条理で非合理なことに満ちているインドにこそ、ラップという形でリアルな自己表現をするアーティストが必ずいるんじゃないかと思って、いろんな音楽を掘り始めた。
その後、いろんな意味で面白い音楽にたくさん出会えたということはこのブログでいつも書いている通り。
そのなかでも、これは久しぶりのめっけもの感がある。

Tre Ess レペゼン・ジャールカンド。
このサウンド、このリリック。
これは本物かもしれない。

ウェブ上の記事によると、Tre Essはお気に入りとして、Vince Staplesのようなラッパーに加え、フューチャー・ソウルのHiatus Kaiyoteや、ジャズ/ファンク寄りのSnarky Puppy、ダブ・ステップ的シンガーソングライターのJames Blakeなど、ジャンルにこだわらない(というかジャンル分けが非常にしづらい)アーティストを挙げており、やはりジャールカンドらしからぬセンスを感じる。

あ、ちなみにTre Essの名前の由来は、本名の頭文字が全てSから始まるというころで、アメリカのプロレス団体WWEのTriple Hにあやかってつけたものだそうだ。
これもまた「インド人WWE好き説」を裏付けるエピソードのひとつと言えそうだ。

そしてジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき才能はこのTre Ess だけじゃない!
その話はまた改めて! 


goshimasayama18 at 21:41|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

2018年06月09日

アルナーチャルのメタル・ブラザー、Tana Doniの新曲!

まだこのブログが海のものとも山のものともつかなかった頃(今でもそうですが)、いちばん初めにインタビューに答えてくれたインド北東部の最果て、アルナーチャル・プラデーシュ州イタナガルのギタリスト、Tana Doniが在籍するデスメタルバンド、Sacred Secrecyが新曲2曲を発表した。

SacredSacrecy

当時はAlien Godsというバンドのギタリストとしてインタビューに答えてくれたが、現在は自らがギターとヴォーカルを務めるこのSacred Secrecyというバンドでライブを重ねており、Sacred Secrecyのスタジオレコーディング音源としてはどうやらこれが最初のリリースとなる模様。

今回リリースした曲は、"Leech" (見慣れない単語なので調べてみたら、意味は"蛭")と"Shitanagar".
どちらもブルータルでグルーヴィーなデスメタル!
速さやテクニカルに走るバンドが多い中で、このスタイルは逆に新鮮に響くのではないだろうか。

"Shitanagar"


曲はこちらのサイトReverbNationから視聴&無料ダウンロード可能なので、メタルヘッズのみなさんはぜひ聴いてみてください。

"Shitanagar"は、彼のホームタウンのイタナガル(Itanagar)にクソのShitを合わせたタイトルで、無理やり訳せば「クソナガル」か。
辺境の田舎町で暮らさざるを得ない彼の気持ちが歌われており(というか咆哮されており)、以前聞いたところによると、

俺たちはクソの川から水を飲む…
気づかないままクソまみれの穴の中で暮らす…
クソの上で転がっているのに幸せだと思っている連中…
ブタのほうがまだ清潔なくらいだ…
クソナガル…


といった歌詞。

ワタクシからはさすがに行ったこともない街をここまでディスるのは憚られるが、閉鎖的な田舎の小さな街でデスメタルみたいなコアな音楽を演奏する彼の焦燥感やある種の絶望感は想像に難くなく、むしろパンク的なアティテュードの曲だと言える。
厭世的な歌詞を極端に激しいサウンドに乗せることで憂鬱をぶっとばす、というのはパンクロック以降に発明された退屈への特効薬だ。
こういうタイプの(まあ表現はずいぶん過激だが)屈折した故郷への感情は、かえって国や地域を問わない普遍的なものなんじゃないだろうか。

ところで手前味噌でなんだけど、Tanaへのインタビューに至る、インド北東部のメタル事情を巡る一連の記事は結構面白いと思うので、改めてリンクを貼っておきます。

まずはイントロダクション。インド固有?の神話メタル、ヴェーディック・メタルについてはこちらから
インド北東部はもしやメタルが盛んなのでは?という疑惑と推論の記事はこちらから
記念すべき当ブログインタビュー第一弾、Tanaへのインタビューはこちらから
やはりインドの北東部はメタルが盛んみたいだ、という統計と分析はこちらから
忘れた頃に返事が来た、ミゾラム州のメタルブラザーVedantのバンド、Third Sovereignについてはこちらから
Third SovereignのVedantへのインタビューはこちらから 
デスメタルばっかりじゃないぜ。シッキム州のハードロックバンド、Girish and the Chroniclesの紹介はこちらから
そのGirishへのインタビューはこちらから

うわ、こんなに書いてたのか。
たぶん、インド北東部のメタル事情に関しては、俺が日本でいちばん詳しいんじゃないかと思うよ。
これからも、こんなもの好きなこのブログをヨロシクお願いします。 

2018年06月06日

タブラ奏者Arunangshu Chaudhury来日公演を観てきた!

今日は早稲田の東京コンサーツラボというところでインドのタブラ奏者アルナングシュ・チョウドリィ(Arunangshu Chaudhury)氏のコンサートを見に行ってきた。
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今回のライヴは日本人のシタール奏者、ヨシダダイキチさんと、チョウドリィ師の弟子の日本人タブラプレイヤーのキュウリくんとのトリオ編成。

いつも最近のインドの音楽のことを偉そうに書いているアタクシですが、古典音楽の知識はさっぱり。
今回はライブの前にヨシダ師によるインド古典音楽(北インドのヒンドゥスターニー音楽)の解説というのもあったのだが、要約するとこういうことらしい。

・インド音楽の根底にはインド哲学があり、それは無の境地、「サマディ(三昧)」を目指すものである。

・インドの音階とされる「ラーガ」は1オクターブが西洋音楽のような12音階ではなく、22音階に分けられる。微妙な音階は、シタールの場合、ギターのチョーキングのような音程のなめらかな変化(揺らぎ)として表される。但し、ラーガ=音階(スケール)という意味ではなく、ラーガはメロディーの規則なども含む概念である。

・インドのリズムとされる「ターラ」は、西洋音楽のように例えば「4拍子で前に進んで行く」ようなイメージのものではなく、循環する概念として考えられる。例えば16拍子だったら、16拍子の中に陰と陽があり、1〜8拍は陽、9〜12拍は陰、13〜16拍は始点に戻るためのものと捉えられたりする(正直、よくわかりませんでした)。

・そもそも音楽を言葉で表そうとすること自体に無理があり、ただ楽しめば良い。

最後のやつ以外は理解できたのかどうか甚だ疑問ではあるのだけれども、コンサート自体は素晴らしかった。
おだやかなさざなみが徐々に彩られながらリズムとメロディーの大波となって自在に形を変えてゆくアンサンブルはまるでひとつのストーリーを見ているよう。
コルカタ出身のチョウドリィ氏のタブラはファルカバード・ガラナ(流派)だそうだが(これも何やらよく分かってないけど)、激速かつ緩急自在にして千変万化なプレイは圧巻の一言だった。
三昧の境地といってもダメなサイケデリックロックみたいな独りよがりの恍惚みたいなものではなく、すべての音が完全にコントロールされた上での到達点。
3人の演奏は絶頂に至る大波(しかも毎回、形が違う)を何度も繰り返しながらノンストップで1時間近く続き、知識はなくとも楽しめば良いの言葉通り、誰もが満喫できる内容だった。

同じ3人による昨年のライブの模様がこちら。
 
たまにあるキメの部分はどれくらい事前に決まっているんだろう、とか気にならないでもないが、そういうことは考えずにただ音を楽しむべし! 
生ならともかく、映像だと静かな前半がかったるい、という方は19分あたりから聴くとよいかもしれない。
即興演奏が中心で楽器同士で会話しているかのようなセッション的な部分があったりするのはジャズ的と言えるし、一つのフレーズやリズムを様々に変化させ、音を重ねながら盛り上げてゆくさまはむしろテクノ的とも言えるかもしれない。
詳しくないジャンルのことを書いているので、語尾が「かもしれない」ばかりになっているかもしれない。
あとカタカナ表記がチョードリーじゃなくてチョウドリィなのはどうして?とか、いろいろ思わないでもないけど、まあ細かいことは気にしないで楽しむべし! 

goshimasayama18 at 23:57|PermalinkComments(0)インドのその他の音楽 

2018年06月05日

上智大学で講演会を開催!

こんばんは。
軽刈田凡平です。
「かるかった ぼんべい」と読みます。
こないだ、本名でなく凡平名義で会ったひとに「軽刈田ポンペイさん」と言われてしまいました。
それは大昔に火山の噴火で滅亡したイタリアの街で、私はインドのボンベイのほうですのでお間違えのなきよう。

ちょっと前の話になりますが、上智大学で行われていた、学生団体主催の「インド・フィリピンウィーク」というイベントで「インドのロック、ヒップホップ、EDMが面白いんど!」と題した講演会をやらせてもらいました。
こんなふざけた名前の人間に、ふざけた名前の講演会をやらせてくれた関係者各位に感謝。

軽刈田講演会フライヤー
チラシにはRaja KumariとGutslitとReggae Rajahs

講演会というと堅っ苦しいけど、やったのは「おしながき」と称して「黒ターバンのデスメタル」とか「砂漠のギャングスタラップ」とか書いた中からリクエストをもらって、いろんな曲のビデオをかけて背景を説明するっていうもの。
お昼時だったので入れ替わりもあったけど、40人くらいは聴いてくれたんじゃないかと思います。
EDM系のリクエストが多かったのに時代を感じました。

学生たちの反応も上々で、普段自分が紹介している音楽の反応を直接聞ける機会っていうのもとても貴重で、なかなか面白い経験でした。
またどこかでやれたらうれしいな、と思った次第でございます。


goshimasayama18 at 23:26|PermalinkComments(0)インドよもやま話 

2018年06月03日

Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス

前回の記事で、デリーのスカ・バンドSka Vengersを紹介した。
彼らがレゲエやスカを単なるゴキゲンな音楽としてではなく、抑圧や専制に対する闘争の手段として捉え、 ヒンドゥー・ナショナリズムやインド社会の不正義と戦う姿勢を示していることは記事の通りだ。

Ska Vnegersの中心人物、Delhi SultanateことTaru Dalmiaは、バンド以外でもBFR(Bass Foundation Roots) Sound Systemという名義でジャマイカン・ミュージックを通した自由への抑圧に対する抗議行動を行っている。
アル・ジャジーラが製作した"India's Reggae Resistance: Defending Dissent Under Modi" はそんな彼の活動を追いかけたドキュメンタリーだ。



モディ政権後、ヒンドゥー原理主義が力を持ち言論の自由が脅かされつつあるインドで、Taruは音楽を通した闘争を始めるべく、クラウドファンディングで集めた資金でサウンドシステムを作り上げることにした。抗議活動の場で自由を求めるレゲエ・サウンドを鳴らすために。

サウンドシステムとは、ジャマイカで生まれた移動式の巨大なスピーカーとDJブースのこと。
クラブのような音楽を楽しむための場所がなかった時代に、音楽にあわせてラップや語りや歌を乗せるスタイルで、人々を踊らせ、音楽によるひとときの自由を提供するための手段として生まれた(やがて海を渡ってヒップホップやレイヴ・カルチャー誕生の揺籃ともなったのは、また別のお話)。

Taruにとってジャマイカン・ミュージックは自由のための闘争の手段。
「レゲエの本質に戻ってみると、サウンドシステムに行き着く。サウンドシステムは単なる積み重ねたスピーカーじゃない。音楽や自由を自分たちの手に取り戻し、ストリートに届ける手段なんだ」
彼の広い庭に巨大なスピーカーが組み上がる。
まったく歴史的、文化的背景の違うインドで、ジャマイカと同じようにレゲエを闘争の手段にしようとしている彼こそ、ヒンドゥー原理主義者ならぬレゲエ原理主義者なんじゃないか、という気がしないでもないが、彼はいたって真剣だ。

最初の活動の場は、デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)。
言論の自由を求める活動の中心地であり、Taruの出身大学でもある。
「同志よ!ジャイ・ビーム!ラール・サラーム!ジャマイカの奴隷農園の革命の歌を演奏する!」
ジャイ・ビームはインド憲法の起草者で、最下層の被差別階級出身の活動家、ビームラーオ・アンベードカルを讃える言葉。
カーストに基づく差別からの脱却のため、被差別階級の人々と集団で仏教に改宗した彼を讃えるこのフレーズは、改宗仏教徒など、旧弊な社会秩序に異を唱える人々の合言葉だ。
ラール・サラーム(赤色万歳)は、共産主義のシンボルカラーを讃える反資本主義者たちの合言葉。
Taruの言葉に活動家たちから歓声が上がるが、音楽をかけても人々は踊らない。
彼の思想には共鳴しても、レゲエなんて聴いたことがない彼らは、初めて耳にするリズムにどうして良いか分からずじっと座っているばかりだ。

すっかり盛り上がりに欠けたまま、やがて大学当局者に音を止めるように言われ、しぶしぶDJを止めるTaru.
すると当局の介入によって演奏を止められたことに抗議して、学生たちから自由を求めるコール&レスポンスが始まる。
皮肉なことに、音楽が止められたことで、抗議運動は初めて盛り上がりを見せたのだった。
やはりインドでレゲエを使った社会運動は無理があるのか。

それでもTaruはあきらめない。
次なる活動の場は幾多の大学を抱える街、プネーのFTII (Film and Television Institute of India)。
抗議行動をオーガナイズする学生組織とのミーティングで、Taruはこんなことを言われる。
「初めてレゲエを聞いたけど、僕たちの文化の中では共感を得にくいんじゃないかな。なんというか、エリートの音楽っていう感じがする。英語だし、ラップだから」
「欧米から来た音楽だからって、みんなエリートの音楽ってわけじゃない。ブロークンな英語で歌われている音楽なんだ」
Taruは反論するが、こう言われてしまう。
「僕たち活動家が理解できないっていうのに、どうやって一般の人々がそれを理解できるんだい?」
Taruの理想と現実の乖離を率直に指摘する言葉だ。

地元の人々に受け入れられるために、彼らの言語であるヒンディーやマラーティーをレゲエのリズムに乗せることにした。
レゲエをインドでの社会運動において意味あるものとするために、彼らの工夫は続く。
地元の社会派ラッパー、Swadesiにも声をかけた。
ジャマイカの大衆のための音楽が、少しずつインドの大衆のためのものに変わってゆく…。

憲法記念日。プネーで行われる野外コンサートの当日。
主宰者側はカシミール問題(パキスタンとの間の、ヒンドゥーとイスラムの宗教問題を含んだ領土問題)のようなデリケートな話題を持ち出し、当局に集会を潰されることを心配していた。
言論の自由を求める集まりであるにもかかわらず、だ。
「世界最大の民主主義国」インドの自由は微妙なバランスの上に成り立っている。

集まった人々に、Taruはこう語りかける。
「独立したはずのインドでも、最近じゃこんな雰囲気だ。でも、いつの日か正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになろう。俺たちは団結している。もし体制側のスパイがいたとしたっていい。一緒に踊ろう」
Taruがプレイするジャマイカのリズムに、地元の活動家たちがスローガンの言葉を乗せて行く。
地元の言語を使ったラップや、苦労した選曲の甲斐あってか、デリーのときとは違って観客も大いに盛り上がっている。

最後の曲の前に、Taruは「俺たちが求めるものは?」と観客に問いかけた。
即座に「自由(Azadi)!」との答えが返ってくる。
RSS(ヒンドゥー至上主義組織)からの、モディ政権からの、ヒンドゥーナショナリズムからの、企業のルールからの自由。コール&レスポンスは熱気を帯びてくる。
最後の曲は60年代のジャマイカン・ナンバー、Toots & Maytalsの"54 46 Was My Number".
警察の横暴を批判するスカ・ソングだ。

彼の言葉に、サウンドに、集まった人々は心のままに踊り始める。
このシーンは圧巻だ。
インド人は総じて踊りが得意だが、スカのリズムに合わせて魂を解放して踊る彼らは、とても初めてジャマイカの音楽を聴いたようには見えない。
まるで生まれた時からスカやレゲエを聴いて育ったジャマイカンたちのように見える。
音楽が、レゲエミュージックが、束の間であっても変革を求めるインドの人々に精神の自由をもたらした瞬間だ。

この映像は、インドにおけるレベルミュージック(反抗の音楽)としてのレゲエのスタート地点であり、現時点での到達地点の記録でもある。 

名門大学出身で大きな庭のある家に住んでいる彼が、ジャマイカのゲットーで生まれた音楽を、全く文化の異なるインドで大衆革命の手段としようとすることに、いささかのドン・キホーテ的な滑稽さを感じるのも事実だ。
今後、レゲエがインドでのこうした活動の中で大きな意味を持つかと考えると、正直に言うとかなり難しいんじゃないかと思う。(この映像を見る限りだと、もっとインドの大衆の理解がしやすい音楽や伝達方法があるように感じる)

でもレゲエやパンクやヒップホップに夢中になったことがある人だったら、音楽とは単なる心地よいサウンドではなく、人々の意識や社会構造に大きく働きかけるものであることを知っているはず。
そして、サウンドそのものよりも、そうしたスピリットの部分にこそ、音楽の本質があることを分かっているはずだ。
音楽好きとしては、音楽の力を信じて愚直に活動を続ける彼に、なんというかこう、ぐっとくるのを禁じ得ない。
ヒップホップに比べると、まだまだインドではマイナーな感があるレゲエミュージックシーンだが、今後こうした社会的な意味のあるジャンルとして根づいてゆくのかどうか、これからもTaruの活動に注目してゆきたい。