2023年05月08日

インド産トランスミュージック各種!(ヒンドゥーモチーフから人力トランスバンドまで)



今回は「最近のインドのトランス・ミュージック」の話を書く。

ゴアトランスというジャンルを生んだことからも分かるとおり、インドはトランスというジャンルに多大な影響を与えてきた国である。

インドの古典音楽が持つ深く瞑想的な響きや、ヨガなどの精神文化が持つ西洋文明に対するオルタナティブなイメージは、ビートルズの時代から、欧米のポピュラー音楽のカウンターカルチャーとしての側面に大きな影響を与えてきた。
インドの宗教的/哲学的な「悟り」は、欧米のポピュラー音楽シーンでは、ドラッグによる精神変容、すなわちサイケデリックという感覚と同一視されて扱われてきた歴史を持つ。
トランスは、そうしたオルタナティブな精神性〜サイケデリックという方向性を煮詰めたようなジャンルだった。

それゆえ、伝統音楽がサンプリングされたり、ヒンドゥーの神々がアートワークに使われたりしていた往年のトランスは、改めて思い返してみれば、インドの伝統のエキゾチシズム的消費というか、今風に言うところの「文化の盗用」みたいな側面がかなり強い音楽でもあった。
このサイケデリックなパーティー音楽においては、インドからの影響は、あくまでも表面的なものでしかなかったのだ。

ゴアにトランスがどう定着し、そして廃れていったかは、以前、3回に分けて書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。




(こちらの記事参照)

トランスアーティストたちによるインド理解が表層的なものだったとは言っても、欧米目線から見たニンジャやサムライが日本人にとってキッチュでありながらもクールだと感じられるのと同じように、インド人にとっても、サイケデリックに解釈されたインド文化は、どこかかっこよく、魅力的なものだったのだろう。
インドでは、いまだにオールドスクールなゴア/サイケデリックトランスの人気は根強く、その名も3rd Eye Eventsという、まるでインドかぶれの外国人がつけたみたいな名前のオーガナイザーが、海外からDJを招聘して各都市でパーティーを開催していたりもする。


今回注目したいのは、そうした海外直輸入のスタイルで実践されているトランスではなく、インドのフィルターを通して、さまざまな形で解釈・表現されているインド式のトランスミュージックだ。
トランスというジャンルは、ときに誇張され、ときに模倣されながら、インドで独自の進化・発展を遂げているのだが、それがかなり面白いのだ。

例えば、2年ほど前にリリースされたこの曲では、かつてゴアトランスの時代に西洋のアーティストがエキゾチックかつスピリチュアルな雰囲気作りに借用していたヒンドゥー教の要素を、マジで導入している。

Vinay Joshi "Mai Shiv Hun"


お聴きのとおり、ヒンドゥー教の観点から、本気でシヴァ神を讃えるというテーマの曲である。
この曲をリリースしているJSR Record Labelというところは、この曲以外は普通のポップミュージックを扱っているようなので、本気の信仰というよりは、もうちょっと洒落っぽいものである可能性もあるが…。


Agam Aggarwal "Mahamrityunjay Mantra"

シヴァ神を讃えるマントラに壮大なエレクトロニック・サウンドを加えた曲。
さっきの曲同様に、CGで描かれたヒンドゥー神話的な世界が面白い。
クラブミュージック世代には、純粋な声楽だけの宗教歌や伝統的な宗教画より、こういうアレンジが施されているほうが親しみやすかったりするのだろうか。


DJ NYK at Adiyogi (Shiv Mantra Mix)



インドでは、ポピュラー音楽やクラブミュージックと宗教的なものがシームレスに繋がっている。
ふだんはボリウッドソングをプレイすることが多いDJ NYKは、タミルナードゥにある巨大なシヴァ神像(世界最大の胸像らしい)Adhiyogi Shiva Statueの前で、シヴァ神を讃える曲をミックスしたパフォーマンスを披露している。
トランス特有のクセの強い音の少ないミックスなので、インドっぽいクラブミュージックは聴きたいがトランスは苦手という人(そんな人いる?)にも比較的聴きやすいんじゃないかと思う。
このDJプレイは、ヨガ行者で神秘思想家でもあるSadhguruという人物が提唱した環境保護活動Save Soilムーブメントのために行われたものとのこと。


エレクトロニック系/DJ以外の人力トランスをやっているバンドも面白い、
ケーララのShanka Tribeは、「トライバルの文化的遺産や伝統を重視し、さまざまな音楽を取り入れたトライバルミュージックバンド」とのこと。

Shanka Tribe "When Nature Calls"


Shanka Tribe "Travelling Gypsies ft. 6091"


トライバルというのは、インドではおもに「法的に優遇政策の対象となっている少数民族/先住民族」に対して使われる言葉だが、音楽的にどのあたりがトライバル要素なのかはちょっと分からなかった。
オーストラリアのディジュリドゥとか西アフリカのジェンベとかリコーダーのような海外の楽器が多用されていて、結果的に、南アフリカのパーカッショングループAmampondoと共演していたころのJuno Reactor(ゴアトランスを代表するアーティスト。"Pistolero"あたりを聴いてみてほしい)みたいな音になっている。


(以下、斜体部分は2023年5月11日追記)
初めてShanka Tribeを聴いた時から、彼らの曲、とくに"When Nature Calls"がJuno Reactorの"Pistolero"にどことなく似ている気がするなあ、と感じたていたのだが、あらためて久しぶりにJunoを聴いてみたら、「どことなく」どころじゃなくて、本当にそっくりな音像だった。


この時期のJuno Reactor、サウンド的にはかなり好きだったのだが、南アフリカのパーカッショングループAmampondoを従えてのライブパフォーマンスに関しては、どうにも植民地主義的な構図に見えてしまって、複雑な感情を抱いたものだった。


Shanka TribeがPistolero時代のJuno Reactorを音作りの参考にしていたのは間違いないだろう。
当時のJunoの、典型的な白人音楽であるトランスにアフリカのパーカッショングループを取り入れるという方法論、そしてそれをエキゾチックな演出として受け入れるオーディエンスという構造は、どうも支配/被支配の関係に見えてしまって、居心地の悪さを感じたものだった。
当時、(今もだと思うが)トランスのリスナーに黒人は極めて少なく、白人やイスラエリ、そして日本人がほとんどだったという背景も、その印象を強くしていたのかもしれない。
何が言いたいのかというと、インドの中で非差別的な立場に置かれてきた先住民族の文化や伝統を重視していると主張するShanka Tribeが、この時代のJunoのサウンドを引用しているということに、皮肉めいたものを感じざるを得ない、ということだ。
結局のところ、インド社会の中で、「持てるものの音楽」のなかに「持たざるものの音楽やイメージ」を剽窃しているだけなのではないか、という疑問が湧いてきてしまうのだ。
彼らがそれを、マイノリティ包摂のための方法論として好意的に捉えていたのだとしても。
一応付記しておくと、そうした感情を抜きにして、純粋に音として味わうのであれば、Shanka Tribeのサウンドは、かなり好きなタイプではある。

(さらに蛇足になるが、よくよく調べてみると、当時のJuno Reactorがスタジオ録音でAmampondoと共演していたのはConga Fury"など一部の曲のみだということが分かった。ライブではAmampondoが全面的にフィーチャーされていたので、スタジオでの彼らの貢献も大きいものと誤解していたのだ。つまり、リアルタイムで当時ライブを見ていないであろう彼らが、私が解釈したような植民地主義的な構造をいっさい意識しないままに、Junoのサウンドを参照している可能性もあることを付記しておく)




イギリス在住のインド系古典パーカッション奏者、Sarahy Korwarは、これまでにジャズやヒップホップの要素の強い作品をリリースしてきたが、最新作では人力トランス的なサウンドに挑戦している。

Sarathy Korwar "Songs Or People"


ちょっとRovoとかBoredoms人脈のサウンドっぽく聴こえるところもある。


こちらはベンガルールのNaadというアーティストの曲で、かなり紋切り型なサウンドではあるが、Sitar Trance Indian Classical Fusionとのこと。


Naad "Bhairavi Sunrise"


90年代末頃のBuddha Bar系のコンピレーションに入っていそうな曲だが、要は、その頃に確立したフュージョン電子音楽的な手法がいまだにインドでは根強く支持されているということなのだろう。



最後に、海外のアーティストでいまだにエキゾチック目線でインドっぽいトランスを作っている人たちもいたので、ちょっと紹介してみたい。
こちらは、トランス大国イスラエルのアーティストがデンマークのIboga Recordsというところからリリースした作品。

Technical Hitch "Mama India"
 


この曲は、フランスのアーティストによるもの。

Kalki "Varanasi"


曲名の通り、ヒンドゥーの聖地ヴァーラーナシーの路地裏や、砂漠の中の城塞を囲む「ブルーシティ」ジョードプルの旧市街で撮影されたミュージックビデオが印象的。
我々外国人にとってはかなり異国情緒を感じさせられる映像ではあるが、地元の人にとっては京都とか浅草寺の仲見世の日常風景みたいなものだろうから、こんなふうにサイケデリックなエフェクトを施してトランスのミュージックビデオに使われているのはどんな感じがするものなのだろうか。


ジャンルとしてはかなり定型化した印象の強い「トランス」だが、インドではまだまだいろいろな解釈・発展の余地がありそうで、また面白いものを見つけたら紹介してみたいと思います。


2023年6月26日追記:
このSajankaというアーティストも本格インド的トランスに取り組んでいて面白い音を作っている。
類型的な部分もあるが、アコースティックギターのストロークで始まるトランスなんて聴いたことがなかった。(トランスよく聴いていたのはかなり前なので、ここ数年は珍しくなかったりするのかもしれないが)



彼はもとの記事で紹介したShanka Tribeのリミックスを手掛けていたりもする。


結果的にインドかぶれのドイツ人トランスアーティストのDJ JorgがShiva Shidapu名義でリリースした"Power of Celtic"(1997年?リリース)みたいになっていて、海外目線で見たインド的トランスサウンドが内在化する見本みたいになっている。
(…なんて書いて分かる人が何人くらいいるのか分からないが、興奮のあまり書いてしまった。"Power of Celtic"聴きなおしてみたらあんまり似ていなかった。)


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2023年04月30日

インドのパーティーラップとストリートラップ、融解する境界線


久しぶりにインドのヒップホップに関する記事を書く。
これまで、このブログでインドのヒップホップについて書く時、便宜的に「享楽的で商業的なパーティーラップ」(パンジャーブ出身者がシーンの中心だが、他の地域にもある)と「よりリアルでコンシャスなストリートラップ」に分けて扱ってきた。

インドにおいて、この2つのジャンルは成り立ちからスタイルまで見事に対照的で、交わることはないだろうと思っていた。
ところが、少し前からその境界線が曖昧になってきているみたいだ、というのが今回の話。

長くなるので簡単に説明すると、インドのパーティーラップは、'00年代にパンジャーブ系の欧米移住者が伝統音楽の要素を取り入れて始めた「バングラーラップ」が逆輸入されたことに端を発する。
バングラーラップはパーティー好きなパンジャービーたちの嗜好を反映して(かなりステレオタイプでごめん)インド国内でド派手に進化し、ボリウッド映画の都会的なナイトクラブのシーンなどに多用され、人気を博すようになった。
これがだいたい'10年代半ばくらいまでの話。


一方で、'10年代以降、パンジャービーたちが逆輸入したバングラーラップとは無関係に、インターネットを通じて本場アメリカのラッパーから直接影響を受けたストリートラップのシーンも形成されるようになる。
初期のストリートラッパーたちは、同時代の音楽よりも、Nas, 2Pac, Notorious B.I.G., Eminemといった'90年代USヒップホップの影響を強く受けていた。
商業的なパーティーラップが虚飾的な享楽の世界を描いているのに対して、彼らはあくまでリアルにこだわった表現を志していた。

とくにムンバイでは、『スラムドッグ$ミリオネア』の舞台にもなったスラム街ダラヴィなどでシーンが形成され、徐々に注目を集めるようになってゆく。


2018年には、ムンバイを代表するストリートラッパーNaezyとDIVINEをモデルにしたボリウッド映画『ガリーボーイ』が公開され(この二人はダラヴィの出身ではない)、ストリートラップシーンは一気に脚光を浴びる。
ストリートで生まれたインディペンデントなラップシーンが、エンタメの王道であるボリウッドをきっかけに注目を集めたのは皮肉といえば皮肉だが、ともかく、こうしてストリートラップシーンはアンダーグラウンドから脱却し、多くの人に知られるようになった。

簡単に説明すると書いたわりには結構長くなってしまったが、さらに詳しく読みたい方はこちらの記事をどうぞ。




典型的なインドのパーティーラップというのは、例えばこんな感じ。
このジャンルを代表するラッパー、Yo Yo Honey Singhが2014年にリリースした"Love Dose"のミュージックビデオを見れば、その雰囲気は一目瞭然だろう。


この曲のYouTubeでの再生回数は約4億5,000万回。(2023年4月現在。以下同)
他にもHoney Singhのパーティーソングは4億、5億再生の曲がざくざくある。
インドの音楽をよく知らない方には吉幾三っぽく聴こえるかもしれないが、この幾三っぽい歌い回しこそが、バングラー由来の部分である。

もういっちょ紹介すると、これはちょうどHoney Singhが世に出た頃、2011年にDeep Moneyというシンガーと共演した"Dope Shope".


ターバンを巻いてバングラーっぽい歌い回しを披露しているのがDeep Money、途中からラップをしているのがHoney Singhだ。
さっきの曲もチャラかったが、この曲も酒、女、パーティーっていう非常に分かりやすい世界観。
この曲の再生回数も2億回を超えている。


その彼が2021年最近リリースした"Boom Boom"になると、突然こうなる。


ビートはパーカッシブながらもぐっとシンプルになり、バングラー的な歌い回しは鳴りを潜めて、よりヒップホップ的になっている。
そしてミュージックビデオは薄暗く、男臭くなった。
再生回数は、Honey Singhにしてはかなり少ない1900万再生ほど。

この曲のYouTubeのコメント欄が泣ける。
トップコメントは「昔のYo Yoが懐かしいって人いる?(Who miss our old Yo Yo?)」という思いっきり後ろ向きな内容で、3万を超えるイイネがついている。
他にも、「Dope Shopeとか歌ってた昔のYo Yoのほうがいい」とか「2010年から2016年までがHoney Singhの黄金時代」といった、コレジャナイ感を表明した率直すぎるコメントが並んでいて、比較的優しいファンも「正直よくわからないけど、彼はいつも時代を先取りしているから10年くらい経ったら僕らも良さがわかるようになると思う」とか書いている。
このスタイルはファンに歓迎されなかったのだ。
ほどなくしてHoney Singhは再びコマーシャルなパーティーラップのスタイルに戻っている。

なぜ彼が急にこの地味なスタイルに切り替えたかというと、思うにそれはインドで急速にストリート系のリアルなラップが支持され始めて来たからだろう。
インドでストリート系のラップが世にで始めた2010年代後半頃、ストリート系のラッパーのYouTubeコメント欄には「Honey Singhなんかよりずっといい」といったコメントが溢れていたものだった。


そのインドのストリートラップというのはどんなものかというと、いつもこの曲を例に挙げている気がするが、ムンバイのシーンを代表するラッパーDIVINEの出世作、2013年の"Yeh Mera Bombay"を見れば、こちらも一目瞭然だ。




インド最大の都市ムンバイの、高層ビル街やオシャレスポットではなく、下町の路地裏を練り歩きながら「これが俺のムンバイだ」とラップするDIVINEは、物質主義的な憧れを詰め込んだような既存のパーティーラップに比べて、確かにリアルで、嘘がないように見える。
この曲の再生回数は450万回ほどに過ぎないが、ラップといえば虚飾的なスタイルがほとんどだったインドに突如として現れた「持たざる自分を誇る」スタイルがシーンに大きな衝撃を与えたことは想像に難くない。

『ガリーボーイ』公開後、スターの仲間入りをした彼の「ストリートからの成り上がりの美学」を象徴しているのが、2021年にリリースされたこの"Rider"だ。


下町練り歩きの"Yeh Mera Bombay"と比べると、予算の掛け方も二桁くらい違うが、それでもストリート上がりのルーツをレペゼンする姿勢は変わっていない。
成り上がりの美学に多くのファンが共鳴したのか、この曲の再生回数は3,000万回ほどと、"Yeh Mera Bombay"に比べてぐっと多くなる。

ところが事情はそんなに簡単ではない。
この"Rider"が収録されている"Punya Paap"には、真逆のスタイルのこんな曲も収録されているのだ。


タイトルの"Mirchi"は唐辛子という意味。初めて見た時は、DIVINEずいぶんチャラくなったなー、と思ったものだが、Honey Singhを見た後だとそこまで違和感がないかもしれない。
それでも、ボリウッドばりに色とりどりの女性ダンサーが踊るパーティー路線のミュージックビデオは、男っぽさを売りにしていた過去のイメージからはほど遠い。

ぶっちゃけた話、ダサくなったような気もするが、インドのファンはストリートラップよりもこのパーティー路線のほうがずっと好きなようで、この曲のYouTube再生回数は3億回近くにも達する。

この"Mirchi"でDIVINEと共演しているダラヴィ出身のラッパー、MC Altafの転向も面白い。
これも何度か紹介している好きな曲なのだが、ダラヴィの郵便番号をタイトルに関した"Code Mumbai 17"もまた、典型的なガリーラップだ。


2019年にリリースされた曲とは思えない90'sスタイル。
TBSラジオの宇多丸さんのアトロクで「Ozrosaurusの『AREA  AREA』と繋げたら合うと思う」と言ったら「めっちゃ合う!」と同意してもらえた曲。
このMC Altafが、2022年にリリースした"Bansi"だとこうなる。


なんというか、インド人って「振付が揃った群舞」が本当に好きなんだなあ、としみじみと感じるミュージックビデオだ。
DIVINEの"Mirchi"もそうだが、群舞を取り入れながらも、メインストリーム的な過剰な華やかさから脱するために取られている手法が「照明を暗めにする」という極めてシンプルな方法論なのが面白い。


もう一人この手の例を挙げてみる。
このMC Altafとの共演も多いD'Evilというムンバイのベテランラッパーがいるのだが、2019年にリリースされた"Wazan Hai"という曲ではこんな感じだった。


スラム的下町っぽさを強調した初期のDIVINEやMC Altafに比べると、「スニーカーへの愛着」というテーマはミドルクラス的だが、D'Evilもストリート感を強調した結構コワモテなタイプのラッパーだということが分かるだろう。
それが2022年にリリースされた"Rani"だとこうなる。


豪邸、チャラい女の子たち、ポメラニアン、そしてピンクの衣装。
どうしてこうなった。
リリースはDIVINEのレーベルのGully Gangからだが、このレーベルは出自のわりにこういうノリを厭わない傾向がある。
インドでは珍しいこの手のラテンっぽいビート(レゲトン系は多いが)は、Karan Kanchanによるもの。

まあともかく、こんなふうに、『ガリーボーイ』以降にわかに有名になったストリートラッパーたちは、多くが急速にパーティー系路線へと舵を切った。
インドのヒップホップ的サクセスストーリーa.k.a.成り上がりの、典型的なあり方と言えるのかもしれない。


最初にあげたHoney Singhのように、パーティー系ラッパーがストリート系に転向したという、「逆成り上がり」の例をもう一人挙げるとしたら、メインストリームでHoney Singhと並ぶ人気のBadshahが好例だ。

2017年にリリースされた"DJ Waley Babu"は、これまた酒、女、パーティーの典型的なコマーシャル系享楽路線だ。


ところが、彼のストリート系へのアプローチはかなり早くて、2018年にはインド随一のヒップホップ系ビートメーカー、Sez On The Beatを迎えてこんな曲もリリースしている。


以前のパーティーラップ的世界観と比べると、急にシブい感じになってきた。

Badshahの最新曲はこんな感じだ。


Badshahの面白いところは、完全に硬派路線に切り替えたわけではなく、今でも分かりやすいパーティーチューンもたびたびリリースしていることである。


この"Jugnu"は3連のシャッフルっぽいリズムがかっこいい1曲。

さらに変わったところだと、コロンビア出身のレゲトンシンガー、J Balvinを迎えたこんな曲もリリースしている。


だんだん訳がわからなくなってきた。
長々と書いたが、結局のところ、ナンパなパーティー系スタイルであろうと、硬派なストリートスタイルであろうと、当然ながらどちらもヒップホップカルチャーの一部な訳で、どっちかが本物でどっちかが偽物というわけではない。
アメリカのラッパーも、本当は金持ちじゃないのに豪邸で美女をはべらせているようなミュージックビデオを撮るために、借金を抱えたりとかしていると聞いたことがある。

それからインドがどんどん豊かになって、ネットの影響もあって海外のカルチャーがより広く、リアルタイムに入ってくるようになったことによって、ヒップホップの解釈の幅が大きく広がっているということもあるだろう。
Prabh DeepとかSeedhe Maut、あるいはTienasみたいに、また違う方法論でヒップホップを実践しているラッパーたちも出てきているし。


さらに言うと、最近では人的交流の面でも、「ストリート → パーティー」勢と「メインストリーム → ストリート」勢の共演が進んでいる。

最近パンジャービー/バングラー系ラッパーとのコラボレーションが目立っていたDIVINEは、この"Bach Ke Rehna"でとうとうBadshahと共演。
映画音楽を含めた王道ポップシンガーのJonita Ghandhiをフィーチャーしたこの曲は、ドウェイン・ジョンソン主演のNetflix映画"Red Notice"のインド版イメージソングという位置付けらしい。



他にもMafia Mundeer(Honey SinghやBadshahを輩出したデリーのクルー)出身で、早い時期からストリートラップ的アプローチをしていたRaftaarがデリーのアンダーグラウンドラップの帝王Prabh Deepと共演したりとか、もはやメジャーとインディーの垣根すらなくなってしまったのではないか、というコラボレーションが目立つようになってきた。




何が言いたいのかというと、インドのシーンはあいかわらずどんどん面白くなっていくなー!
ということでした。

以上!




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goshimasayama18 at 23:20|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

2023年04月19日

(ほとんど)誰も知らない天才インディーポップアーティスト、Topshe

ウェブ版TRANSITのためにベンガルのインディペンデント音楽のプレイリストを作っていたときに、そうだ、Topsheの曲を入れようと思い立った。

Topsheというのは、コルカタ在住らしい男性シンガーソングライターだ。
10年近いキャリアがあるものの、それ以の情報はほとんどない。
率直に言うと、まだ無名であるがゆえに、メディアへの露出も少ないからだ。

ところが、彼はその無名っぷり反して、かなり質の高いインディーポップを作っている(と思う)。
例を挙げると、彼のキャッチーで品のあるメロディーセンスに最初に衝撃を受けたこの曲。

Topshe "The Best Time"


シュールというか意味不明なミュージックビデオに気を取られてしまうが、ここは楽曲自体の質の高さに注目してほしい。
サビの最後に女性ヴォーカルになるところなんてもう、やられた!って感じがする。

この曲も素晴らしい。

Topshe "1000 AQI"


ミュージックビデオはあいかわらず酷いが、アレンジも、後半のウォールオブサウンド的なコーラスワークも、すごくセンスがいい。
ベルベットのような心地よいサウンドは、同郷のドリームポップデュオで、海外での評価も高いParekh & Singhに勝るとも劣らない。
ところが、このTopshe、冒頭に書いたとおり、全然話題になっていないのである。

"The Best Time"のYouTubeでの再生回数は、なんとたったの773回、"1000AQI"でも1,953回に過ぎない。(いずれも2023年4月18日時点)
友達や親戚しか聴いてないのか?

Topsheが素晴らしいのは、いろいろなタイプの曲を書いていて、そのいずれもがとてもポップだということである。

Topshi "Language"


この曲の再生回数は1,170回。(2023年4月18日時点)
楽曲の質の高さは言うまでもないが、低予算すぎるミュージックビデオはあいかわらず謎。
ここまで紹介した3曲は、すべて2019年にリリースされた"Never A Romantic"というアルバムに収録されている。
ベースとバックヴォーカル以外は、全てTopsheによる演奏だそうで、マルチプレイヤーとしても安定した力量を持っていることが分かる。

それなのに、なぜこんなにもTopsheは無視され続けているのか。
ここまで無名だと、もしかして、彼の音楽を素晴らしいと思う自分の感覚のほうがおかしいんじゃないかという気すらしてくる。
歌が若干脱力系なのと、超安っぽいミュージックビデオのせいで、その感覚はより増幅される。
(狙ってるのか天然なのかは分からないが、おそらくは予算がなくて、なかばヤケクソで作ったのではないかと思う)

でも、今回改めて聴いてみて確信した。
Topshe、やっぱり、めちゃくちゃ良い(よね?)。

だいたい、ベンガルのアーティストは、その才能に比べて再生回数が伸びない傾向がある。
イギリスのPeacefrog Recordsとの契約を持ち、毎回お金のかかったミュージックビデオを制作するParekh & Singh(実家が大金持ち)は別として、ポップなメロディーを書くことに関しては非凡な才能を持つSayantika Ghoshだって、名曲"Extraordinary Love"のYouTube再生回数はたったの11,000回程度に過ぎない。
インドのインディペンデント音楽には、地域や言語による厳然とした格差が存在していて、例えばムンバイやデリーあたりのシンガーがヒンディー語で歌う楽曲と比べると、地方都市コルカタのアーティストによる、しかも英語で歌われる曲はかなり分が悪いのだ。
(ちなみにコルカタのインディーポップでも、この地域の公用語であるベンガル語で歌われる楽曲はより聴かれやすい傾向がある。例えばSayantika Ghoshのベンガル語曲"Aami Banglar"はYouTubeで40,000回以上再生されている。それでも、人気アーティストならインディーズ系でもすぐに100万再生くらいは超えてしまうヒンディー語圏の都市部とは比べるべくもないが)


シンプルなインディーロック風の曲も素晴らしいが、電子音楽系のプロデューサーPhiltersoupと共演した楽曲では、さらにポップなサウンドを披露している。

Topshe feat. Philtersoup "All I Want"


今回もまともなミュージックビデオを撮るお金はなかったようで、今度は猫ちゃん。
あいかわらず意味不明だけど、かわいいじゃねえか。
終盤の80年代っぽいギターとコーラスが入ってくるところなんて、もう抱きしめたくなってしまう素晴らしさだ。

Topshe feat. Philtersoup "Always Ends This Way"

この曲もたまらない。
Topshe、君は天才なんじゃないか。
Philtersoupくんもいい仕事してくれてありがとう。

現時点で最も再生回数の多い曲が、この"Meant To Be".

Topshe "Meant To Be"


2023年4月18日時点で、YouTubeで6,284回。
Spotifyでは19,183回。
派手な曲の少ない彼の曲の中でも、かなり地味な曲だと思うのだけど、どうしてこの曲が一番人気なのだろう。
いつものミュージックビデオもないし。

Topsheは、インドのインディーズシーンに数多いるもっともっとたくさんの人に聴かれて、評価されるべきアーティストの最右翼だ。
彼の才能は、生まれた場所やその土地の母語に関係なく、普遍的なポピュラー音楽(もっともマーケットの大きい英語で歌われる西洋的ポップスという意味で)の作家として讃えられるべきだろう。

でも、いつか彼が音楽で大金を手にして、予算はかかっているけどつまらないミュージックビデオを撮るようになったら、さみしい気持ちになるんだろうなあ。

音楽面の素晴らしいセンス同様に、そのわけのわからない映像センスもどうかそのままでいてほしい。





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goshimasayama18 at 21:56|PermalinkComments(0)

2023年04月12日

こんな本が読みたかった!『デスメタル・インディア』


deathmetalindia

4月14日にパブリブから出版される『デスメタルインディア スリランカ・ネパール・パキスタン・バングラデシュ・ブータン・モルディヴ』(水科哲哉 著)がめちゃくちゃ面白い。


出オチ感満載のタイトルに反して、これはヘヴィメタルの伝播というグローバリゼーションと南アジアのローカル文化の邂逅を描いた良質な比較文化論であり、決してメインストリームではないヘヴィメタルというジャンルが南アジアでどんな意味を持つのかを扱ったサブカルチャー論でもある。
そしてもちろん、この本がきわめて稀有な音楽ガイドでもあることは言うまでもない。

タイトルに「デスメタル」を冠しているものの、オールドスクールなハードロックやパワーメタルから、よりエクストリーム/エクスペリメンタルなものまで、およそメタルと名のつくジャンルを包括的にカバーしていて、収録アーティストは南アジア全域から657組、レビューした作品は737作にも及ぶ。
その中には、欧米のバンドと変わらないような王道スタイルのバンドもいれば、シタールの導入や古典音楽との融合を図っている「フュージョン・メタル」のアーティストもいる。
要するに、可能な限り広く深くシーンを掘り下げているということだ。

インタビュー記事も充実している。
例えば、南インド・ケーララ州のダリット(カースト最下層の被差別民)によるバンドWilluwandiへのインタビューでは、もともと欧米で過激な反キリスト教主義を標榜するジャンルだったブラックメタルを、彼らがヒンドゥー教に基づくカースト制度の否定や、北インドへの反発を表現する手段として使っている背景を丁寧に聞き出している。
(彼らのユニークなアプローチはこのブログでも4年ほど前に取り上げている。リンクはこちらから)
スリランカのバンドStigmataへのインタビューでは、シンハラ人とタミル人、仏教とヒンドゥーとイスラームという、ときに激しく対立し合うコミュニティの構成員がひとつのバンドを構成し、ヘヴィメタルという文化を通して調和・共存している様子が伝わってくる。
いずれも、音を聴くだけでは分からない、彼らの魂が伝わってくる貴重なインタビューである。

これは以前から感じていたことだが、南アジアでは、メタルやヒップホップといった欧米由来の新しい音楽カルチャーが、保守的な価値観や宗教的な束縛から逃れるための一種のアジールとして機能しているところがある。

そうした状況をリアルに知ることができる媒体は、手前味噌ながら、これまでこのブログくらいしかなかったように思うが、強力な仲間を見つけた気分だ。

丁寧なインタビューに加えて、それぞれの国や地域の歴史、文化、宗教、社会などの情報も充実している。
要するに、単なる音楽ガイドの枠を超えて、対象地域へのリスペクトがしっかりとしているということだ。
インドとか周辺地域のヘヴィメタルというだけで、いくらでもキワモノ的な切り口で書くこともできたと思うが、そういうことはいっさいせずに、真摯に対象を扱っている姿勢には、大変好感が持てる。

作品レビューに関しては、歯に衣着せずに正直に書いているところがいい。
これだけのバンド/作品をレビューするとなれば、当然駄作にも多くぶちあたるわけだが、そんなときは「曲調も平板で、プロダクションも劣悪」とか「歌唱が不安定かつ調子外れ」とか「曲としての体をなしているとは言い難い」とか「出来栄えは著しくチープ」とか、手加減無用でぶった斬っている。
ただでさえ無名のメタル後進国のバンドに対してこんなふうに書いたら、誰も聴かなくなるんじゃないかと思うのだが、これは正しいスタンスだろう。
音楽ガイドとしての信憑性を保つには、音楽面での評価はあくまでもフェアに行う必要がある。
そこを手加減するのはかえって失礼というものだ。

なんだか全体的に褒めすぎのような気もするが、さらに望みたかった点を挙げるとすれば、各バンドが導入している固有の文化的、音楽的な要素に対する記述がもう少し具体的であっても良かったかな、ということだ。
さまざまな伝統音楽、古典音楽を導入したサウンドに対して、軒並み「土着色が濃厚」といった表現が使われているのだが、もう少し深く書くこともできたのではないかと思う。
ただ、文字数の都合もあるだろうし、この本はあくまで「南インド音楽文化入門」ではなくて「メタル系作品ガイド」なので、致し方ないところではあるだろう。
ヘヴィメタルのリスナーに対して「カルナーティックの要素を導入したフレーズ」とか「マニプル州のメイテイ人の伝統音楽を取り入れたヴォーカル」とか言ってもイメージできないだろうし、ここでは掘り下げるべきポイントではないのだ。

この本を出版しているパブリブは、以前からどこにニーズあるのか分からないマニアックな本を出しまくっているのだが(褒め言葉)、今作も、はたして自分以外に喜んで手に取る人がどれくらいいるのか、ちょっと謎ではある。

だが、繰り返しになるが、南アジア文化と音楽(メタルじゃなくてもいい)のどちらかに興味があれば、相当楽しめる内容だし、もし両方に興味があるならば、絶対に読むべき一冊だ。
インドのインディペンデント音楽を紹介している一人として、こういう本が出版されたということが、本当にうれしい。



最後に、この本で取り上げられているバンドのいくつかをこのブログで書いたときのリンクを貼っておく。
どっちを先に読んでも楽しめると思う。


単独来日公演も決まったBloodywoodについて、去年のフジロックでの初来日が決まる前に書いた記事。
この頃はまさか日本のTwitterのトレンドに彼らの名前が入る日が来るとは思わなかった。




ムンバイのシンフォニックデスメタルバンド、Demonic Resurrectionについては、当ブログでもインタビューを含めて何度か取り上げている。
まだ初期のブログで、適切な分量が分からなかった頃に書いたもので(今もそうだが)、ひたすら文字数が多いので、お暇なときにどうぞ。
Sahilに教えてもらった、あまりにも安っぽいインド神話のテレビドラマの映像はリンク切れで見れなくなっていた。






ケーララのダリット(非差別民)によるアンチカースト・ブラックメタルバンド、Willuwandiについて書いた記事。
彼らは先日京都の南インドレストラン、ティラガさんでのトークイベントで紹介した際にも、非常に評判が良かった。




インド北東部、シッキム州のハードロックバンド、Girish & Chroniclesには、インタビューも敢行。




独自の文化を持つインド北東部のメタルシーンについても、インタビュー含めてごく初期にいくつかの記事を書いている。
この2つのデスメタルバンドへのインタビューを通して、インドの音楽シーンについての見方が一段と深まった、個人的に非常に思い入れの強い記事である。






これもごく初期に、ヴェーディック・メタルについて書いた記事。



その後、まったくメタルっぽくない音楽性になってしまったせいか、『デスメタルインディア』には掲載されていなかったが、「サウンドトラックメタル」と名付けたFriends from Moonも面白いバンド。



コルカタの社会派ブラックメタル/グラインドコアバンド、Heathen Beastについては、インドの社会問題を扱った全曲をレビュー。
メタルを聴けばインドの社会が分かる。



またこのブログでもインドのメタルについて書いてみたいと思います!




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2023年03月20日

インド映画音楽いろいろ!(2023年度版)


Radikoのタイムフリーで聞ける期間も終わった頃なので、こないだのJ-WAVEの'SONAR MUSIC'のインド映画音楽特集で紹介した音楽を改め紹介しておきます。

最初に自分の立ち位置をはっきりさせておくと、私はインドのインディー音楽シーンを追いかけている人間なので、メインストリームである娯楽映画に対しては、そのエンタメとしての途方もないパワーに敬意を抱きつつも、なんつうか、ちょっとアンビバレンツな感情を抱いていた。
音楽は映画の奴隷じゃねえぞ、みたいなね。
(注:インド映画というカルチャーをディスるつもりは全くないです。「ミュージシャンが自主的に表現しているものこそが音楽」という先入観に囚われた人間の断末魔として捉えてください)

とはいえ、インディー文化を語るにはメインストリームも知っておかないといけない、と思ってチェックしてみると、映画音楽には、欧米のトレンドを躊躇なく取り入れて、見事にインディアナイズした面白くてかっこいい曲がたくさんある。
さすが巨大産業。

そもそも、誰もが表現者になれるこのご時世、メジャーな枠組みのなかで真摯な表現を追求している人もいれば、完全にインディペンデントでもマーケティング的にバズりを狙っている人もいるのはあたり前な話で、メインストリームとかインディペンデントとか分けて考えること自体が無意味なのかもしれない。
たぶん、自分は「どこで誰かどんな音を鳴らしているか」にこだわり過ぎていたのだ。
単純に音としてカッコいいものを味わうことを忘れていたのかもしれない。

というわけで、だいたい2000年以降のインド映画の音楽からピックアップしたカッコよかったり面白かったりする曲を紹介してみます。

諸般の事情でオンエアすることができなかった曲もたくさんあるので、それはまた別の機会に紹介したい(本当はサウスの曲をもっと入れたかった)。

後半が最近の曲になっています。



映画:『ガリーボーイ』("Gully Boy"/2018年/ヒンディー語)
曲名:"Mere Gully Mein"



このブログで何度も書いている通り、『ガリーボーイ』のこの曲は「映画のために作られた専門の作曲家/作詞家による曲」ではなく、映画のモデルとなったラッパーのDIVINEとNaezyのオリジナル曲。
ストリートラッパーの曲がほぼそのままの形でボリウッド映画に起用されるというのは、前列のない事件だった。

この映画バージョンでは、オリジナル音源で主人公ムラドのモデルNaezyがラップしていたパートを主役を務めたランヴィール・シン自らがラップしている。
相棒のMCシェールのパートは、モデルとなったDIVINEのラップにシッダーント・チャトゥルヴェーディがリップシンク。
アメリカで生まれたヒップホップという文化がインドの階級社会の中でどんな意味を持ち得るのか、それを大衆娯楽であるボリウッドの中で、それをどう表現できるのかという点に果敢に挑んだ意欲作だ。



映画:『カーラ 黒い砦の闘い』("Kaara"/2018年/タミル語)
曲名:"Semma Weightu"



『ガリーボーイ』と同じ年に公開されたタミル語作品で、舞台も同じムンバイのスラム街ダラヴィ。
主演はタミル映画の「スーパースター」ラジニカーントで、監督は自らもダリット(被差別階級)出身のPa. Ranjith.
彼は反カーストをテーマにしたフュージョンラップグループCasteless Collectiveの発起人でもある。
ダラヴィといえばヒップホップという共通認識があるのか、特段ヒップホップ要素のないこの作品でも、サウンドトラックはラップの曲が多く採用されていて、実際にダラヴィ出身のタミル系ラッパーがミュージカルシーンにも出演している。
タミル映画となると、同じダラヴィが舞台のラップでもボリウッド(ヒンディー語作品)と違って、映像も音楽もこんなに濃くなる。



映画:『君が気づいていなくても』"Jaane Tu Ya…Jaane Na"(2008年/ヒンディー語)
曲名:"Pappu Can't Dance" 


映画音楽特集ということで、現代インド映画音楽の最大の偉人、A.R.ラフマーンの曲を何かひとつ紹介したいと思って選曲したのがこの曲。
ラフマーンといえば、1997年に日本で大ブームを巻き起こした『ムトゥ 踊るマハラジャ』の音楽を手掛けたタミル出身の音楽家で、ミック・ジャガー、ダミアン・マーリー、ジョス・ストーン、デイヴ・スチュアート(元Eurhythmics)と結成したプロジェクトSuperheavyを覚えている人もいるだろう。

ラフマーンはインド古典音楽から西洋クラシック、クラブミュージックまで幅広い音楽的素養のある人で、映画の内容によってその作風は千変万化する。
今回はとくにインドに興味のないリスナーの方にも面白いと思ってもらえそうな曲を選んでみた。
この曲は2008年の映画に使われた曲で、お聴きいただいて分かる通り、ビッグビート的なテクノサウンドをインド映画音楽に違和感なく導入した、彼の才能と大衆性が伝わる一曲だと思う。
2008年といえば、日本ではPerfumeの『ポリリズム』がヒットした頃で、J-Popにクラブミュージックを取り入れる方法論が提示された年でもあったわけだが、同じようなことがじつはインドでも起こっていたのだ。
ローカルな音楽シーンにクラブミュージック的な高揚感を導入する様式が確立する時代だったのか。
他の地域に関しては分からんけど。

この曲が使われた"Jaane Tu Ya...Jaane Na"は、今現在(2023年3月)Netflixで『君が気づいていなくても』という邦題で日本語字幕で見られるようなので、興味がある方はチェックしてみてください。
アーミル・カーンの甥のイムラーン・カーン主演のロマンチック・コメディとのこと。



映画:"Gangubai Kathiawadi"(2022年/ヒンディー語) 曲名:"Dholida"


番組後半からは、最近の映画の曲を厳選して紹介しています。
前半で紹介したのがヒップホップとかエレクトロニック系の曲ばかりだったので、オールドスクールなインドっぽい曲を紹介しようと思って選んだのがこの曲。
欧米のダンスミュージックを取り入れなくても、インドの伝統的なパーカッションと歌だけでこんなにかっこいいグルーヴが出せるということを示したかった。
インド音楽的には、ベースが入っているところとコーラスがハーモニーになっているところが現代的なアレンジと言えるだろうか。
インドの音楽にはもともと通奏低音や和声といった概念がなく、例えば90年代頃でも、伝統的なアレンジの映画音楽にはベースが入っていなかった。

映画はNetflix制作の"Gangbai Kathiawadi".
『RRR』や『ガリーボーイ』でもヒロインを務めていたアーリヤー・バットが実在したムンバイの娼館の女ボスを演じている。
映画としては、主人公を性産業で働く女性たちの権利のために立ち上がる存在として描いているところに現代的な味付けがあると言えるか。
Netflixの言語設定を英語にすると英語字幕で見ることができる。



映画:『ダマカ テロ独占生中継』(2021年/ヒンディー語) 曲名:"Kasoor (Acoustic)"


こちらもNetflix映画の曲で、この作品(『ダマカ テロ独占中継』)は日本語字幕で見ることができる。
面白いのは、この映画が韓国映画の『テロ、ライブ』という作品のリメイクだということ。
それが、海外資本によるネット配信作品として公開されるという、新しいタイプのインド映画だと言えるだろう。
この曲はインドのインディー音楽シーンで最高のシンガーソングライターと言っても過言ではないPrateek Kuhadの既発曲で、映画のために作られた曲ではなくて既存の曲が起用されたという点でも新しい。
"Kasoor"はこのブログでも何度も紹介してきた名曲中の名曲。
映画に使用されているのはそのアコースティックバージョンだ。



映画:"Pathaan"(2023年/ヒンディー語) 曲名:"Besharam Rang"


EDM的かつラテン的という近年のボリウッドのトレンドをばっちり取り入れた曲ということで選んだのがこの曲。
ヒンディー語の歌以外のトラック部分は、欧米のヒットチャートに入っていても全く違和感のない音作りで、そういう意味では日本よりも「進んでいる」とも言える。
ヨーロッパロケのミュージカルシーンも、ディーピカー・パードゥコーンが披露するヒップホップ的な挑発的セクシーさも、今のボリウッド現代劇を象徴しているかのようだ。

音楽を手掛けているのは2000年代以降のボリウッドに洋楽的な洗練を持ち込んだ二人組Vishal-Shekhar.
メンバーのVishal Dadlaniは1994年に結成されたインダストリアル・メタルバンドPentagramでのメンバーでもあった。

映画は今年1月に公開されたシャー・ルク・カーン4年ぶりの主演作である国際スパイ・アクション"Pathaan".
(3月27日追記:2月に公開、5年ぶりと書いてしまってましたが、コメント欄でご指摘いただいて修正しました)
日本公開が待たれる作品である

今回紹介できなかった曲は、また改めて書きたいと思ってます!




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goshimasayama18 at 23:32|PermalinkComments(2)インド映画