2018年05月03日
Girish and the Chronicles インドのロックシーンを大いに語る!
以前予告していたように、インド北東部シッキム州出身のハードロックンロールバンドGirish and the Chronicles(以下「GATC」)にインタビューを申し込んだところ、ありがたいことに二つ返事で引き受けてくれた。
今回はその様子をお届けします。
ちょうど彼らがドバイへのツアー中だったので、メールインタビューという形になったのだが、音楽への愛、インドやシッキムのロックシーンについて、存分に語ってくれた。(そして例によってそれがまたいろいろと考えさせられる内容だった)
インタビューに移る前に、
Girish and the Chronicleの音楽を紹介したページはこちら
インド北東部のヘヴィーメタルシーンについてはこちら
(今回のGATCの故郷シッキムは、ここで紹介している「北東部7姉妹州」には含まれていないが、地域的にも非常に近く、非アーリア系の東アジア系の人種が多いこと、いわゆるインド文化の影響が比較的薄いことなど、7姉妹州とよく似た状況にある。デスメタルバンドAlien Nation, Sacred SecrecyのTanaや、Third SovereignのVedantへのインタビュー記事も良かったらどうぞ)
シッキム州と7姉妹州との位置関係はご覧の通り。南北に長いウエスト・ベンガル州に隔てられているが、一般的には7姉妹州同様に「インド北東部」(地図上の赤く塗られた部分)として扱われる。ちなみにシッキムと7姉妹州の間の空白には、ブータンがある。
前置きが長くなった。
インタビューに答えてくれたのは、バンドの創設者にしてフロントマン(ギター/ヴォーカル)のGirish.
質問に答える前に、こんなありがたいメッセージを寄せてくれた。
「まず最初に、コンタクトしてくれてありがとう。
何よりも、日本は僕にとってもバンドのメンバーにとっても、ずっと夢の場所だったってことを言わないといけないね。僕らはブリーチやNARUTO、ドラゴンボールZみたいなアニメの大ファンなんだ。
このインタビューのおかげで君の美しい国と僕らが近づける気がしてうれしいよ。」
とのこと。
ありがとう!
それではさっそくインタビューの様子をお届けします!
凡「今プレイしているような音楽には、いつ、どんなふうに出会ったの?Facebookでは、レッド・ツェッペリン、AC/DC、ディープ・パープル、ガンズ・アンド・ローゼス、エアロスミス、ブラックサバス、ジューダス・プリースト、アイアン・メイデンをお気に入りとして挙げているよね。最初に聞いたバンドはどれだった?
G「最初に音楽に真剣に向き合おうって気持ちにさせてくれたバンドはイーグルスだな。とくに彼らの曲”Hotel California”だよ。そのあと、もっといろんな音楽とかもっとヘヴィーな音楽を聴くようになった。Bon Jovi、Aerosmith、Iron Maiden、Judas Priestとか、もっと他にもたくさんあるけど、彼らには歌うことに関しても影響を受けたよ。そのあとでもっとブルース色のある音楽を聴くようになった。たとえばツェッペリンとか」
イーグルスから80年代のメタル、ハードロックに進んだあと、さらに現代的な方向には進まずに、また70年代のツェッペリンに戻ったってのが面白い。
また、Girishの好みが一貫してメロディーを大事にするバンドにあるということも印象的だ。GATCの音楽性からも分かることだが、「スラッシュメタル以降」のヘヴィーミュージックは好みでは無いようだ。
次に、以前から気になっていた、シッキムはロックが盛んなのか?という質問をしてみた。
凡「地元シッキムのロックシーンについて教えて。じつは20年前にシッキム州のガントクやルムテクに行ったことがあるんだ。その頃、インドの中心地域(メインランド)ではロックファンなんて一人も会わなかったけど、シッキムにはロック好きが何人かいたのを覚えてる。シッキムではメインランドよりもロックが盛んなの?」
G「そうだな。20年前はその傾向がより顕著だったと言えるかもしれない。子どもの頃、素晴らしいロックのカセットを何本か持ってたってこととか、Steven Namchyo Lepcha率いるお気に入りのバンドCRABHのライブを見たのを覚えてるよ。
僕が思うに、シッキムだけってよりも、シッキムを含む北東部全体について考える必要があるんじゃないかな。シッキムよりも、メガラヤ州とか、ナガランド州にはこういう音楽の有名なプロモーターがいて、すごくいいフェスティバルを開催していたりするよ。
でも最近はエレクトロニック・ミュージックやボリウッドに国じゅうが侵略されてしまっていて、悲しいことにこういうタイプの音楽はずいぶん減ってしまったよ。僕の周りで今でもこういう音楽に携わっている場所はほんの一握りになってしまって、シッキムでさえも、崖っぷちだよ。いくつかの熱心なアーティストやバンドがシーンを生き長らえさせているって感じさ。僕らもそのうちのひとつだけど、実をいうと僕ら最近はバンドとしては拠点をバンガロールに移しているんだ。裕福な街だし、優れたロックミュージシャンや大勢のオーディエンスもいるからね」
これは皮肉な話だ。
インターネットの発達で音楽を取り巻く状況は大きく変わり、どこにいてもいろんな場所の音楽に触れられるようになった。
だからこそ、日本にいながらこうしてインドのロックを聴くことができて、「インド北東部は昔も今もロックが盛んだなあ!」なんてことを見つけることができるのだけど、当のインド北東部では、いろいろな音楽を聴けるようになったことで、かえってインド中心部の音楽文化の影響が強くなり、地元のシーンは風前の灯火になってしまった。そして彼らは北東部を離れ、南部の大都市に拠点を移した。
グローバリゼーションによる文化の均質化の光と闇といったら大げさだろうか。
次に、インドではとても珍しいと感じていた、彼らのようなハードロックのシーンについて尋ねてみた。
凡「最近インドのメタルバンドをいろいろ聴いているんだけど、デスメタルタイプのバンドが多いよね。GATCみたいなハードロックンロールタイプのバンドは他にもいる?ケララのRocazaurusは知ってるんだけど」
G「僕が知ってるのは、Still Waters(シッキム州ガントク)、Gingerfeet(ウェストベンガル州コルカタ)、Thermal and a Quarter(カルナータカ州バンガロール)、Skrat(タミルナードゥ州チェンナイ)、Soulmate(メガラヤ州シロン)、Mad Orange Fireworks(バンガロール)、 Perfect Strangers(バンガロール)、Junkyard Groove(チェンナイ)。もっと古いバンドだと、Parikrama(デリー、91年結成)、Motherjane(ケララ州コチ、96年結成)、Baiju Dharmajan(コチ出身のギタリストで元Motherjaneのメンバー)Syndicate(ゴア?)、Pentagram(マハーラーシュトラ州ムンバイ、1994年結成)、Indus Creed(ムンバイ、1984年結成!)がいる。最近じゃもっといろんなバンドがいるよ。
と、たくさんのバンドを挙げてくれた。
チェックしてみたところ、これらのすべてがGATCのようなハードロックというわけではなく、レッチリやデイヴ・マシューズ・バンドに影響を受けたバンドもいれば、ファンク系、ブルースロック系のバンドもいる。
共通しているのはいずれも「90年代以前の洋楽」的なサウンドを志向しているバンドだということだ。Baiju Dharamjanだけはもっとインド古典色の強いプレイスタイルだが、GirishとはSweet Indian Child of Mineというガンズのインド風カバーで共演している。
凡「楽曲を書くとき、特定の昔のバンドをイメージしてたりする?たとえばGATCの曲のなかで”Revolving Barrel”はツェッペリンっぽいし、”Born with a Big Attitude”はガンズみたいに聴こえるよね。パクリだって言いたいわけじゃなくて、影響を受けたバンドへのオマージュってことなの?」
G「うん、まさにそうだよ!アルバム全体が(註:2014年にリリースしたアルバム”Back on Earth”のこと)小さい頃に聴いてきたバンドへのトリビュートなんだ。実際、アルバムカバーのイメージはアイアン・メイデンへのオマージュで、タイトルそのものはオジー・オズボーンの曲から取ったんだ。
最近のキッズはこういったバンドを全然しらないからびっくりしていたんだ。だから僕らがこういう音楽に夢中になったように、彼らにも素晴らしい気分を味わってもらうっていうのはいいアイデアだと思った」
なるほど。確かにアイアン・メイデンのマスコット的キャラクター、エディーを思わせるジャケットだ。
オジーの曲で“Back on Earth”というのは聞いたことないぞと思って調べてみたら、1997年リリースのベスト盤”Ozzman Cometh”収録の未発表曲だった。マニアックなところから持ってくるなあー。
引き続き、彼らが影響を受けたバンドについて聞いてみよう。
凡「オリジナル曲も素晴らしいけど、GATCのカバー曲もとても良いよね。とくに、AC/DCのマルコム・ヤングのトリビュート・メドレーは最高!今じゃマルコムは亡くなってしまって、ブライアン(ヴォーカリスト)はツアーから引退してしまったけど、AC/DCの思い出があったら聞かせてくれる?
G「AC/DCから逃れる方法はひとつも無いみたいだな。ハハハ。最近のバカテクなギタリストやバンドは、彼らのヴォーカルやギターのスタイルがすごく難しいことを理解しようとしないで、彼らがやっていることを単純だと思って無視してるみたいだけどね。僕が言いたいのは、僕らの世代にとって初めて聴くハードロック・アンセムは、いつだって「Highway to Hellだってことさ。
実際、2009年から僕らはAC/DCをシンプルでタイトなリフのお手本にし始めた。昼も夜もホテルの部屋でずっとAC/DCの曲をジャムセッションしていたものさ!」
まわりの部屋の人たちはさぞうるさくて迷惑だったはずだ。
ちなみに「バカテクなギタリスト」と訳した部分、実際はGuiter Shredderという言葉を使っていた。
”Highway to Hell”は1979年にリリースされたAC/DCのアルバムのタイトル曲だから、世代的には彼らのリアルタイムであろうはずがないが、それだけ長く聞かれ続けてきた曲ということなのだろう。
インドのメインランドが自国の映画音楽ばっかり聴いている一方で、北東部では70年代の名曲をアンセムとするロックシーンが存在していたのだ。
凡「インドやいろんな国をツアーしてるよね。オーディエンスやリアクションに違いはある?」
G「うん。簡単に言うと、本当のロックファンはステージに立てばすぐに分かる。ロックを全く知らない人もいるけど、彼らもすぐにフルタイムのロックリスナーに変わるね」
凡「これは聴くべき、っていうインドのバンドやミュージシャンを教えてくれる?どんなジャンルでも構わないよ」
G「さっき挙げたようなバンドだな。他には、Kryptos(バンガロール)、Avial(コチ)もいる。ヴォーカリストとしては、僕のお気に入りのロックシンガーをチェックすることをお勧めするよ。Abhishek Lemo Gurung(Gingerfeet/Still Waters)、Siddhant Sharma(コルカタ)、SoulmateのTipriti、Alobo Naga(ナガランド)だね。あんまり他のアーティストを知らないんだけど。ハハハ。”Bajai De”ていうのも聴いてみるといいよ。これはインドじゅうのいろんな地域のギタリストのコラボレーション動画なんだ」
Kryptosは、Girishが挙げたバンドの中で唯一スラッシュ/デスメタル的なスタイルの(つまり、ヴォーカルが歌い上げるのではなく、がなるようなスタイルの)バンドだが、リフやサウンドそのものは「スラッシュメタル以前」の非常にクラシックなスタイルのユニークなバンドだ。ドイツのヴァッケン・オープンエアー・フェスティバルでの演奏経験もある実力派でもある。
AvialはMotherjaneを脱退したギタリストが作ったバンド。
“Bajai De”、これはギターをやっている人には面白いかもしれない。
凡「インドのライブハウスとかお店とかで、ロックファンは絶対行かなきゃ、って場所を教えてくれる?バンガロールでもガントク(シッキム州の州都)でも他の街でもいいんだけど」
G「知ってるのはライブハウスくらいだけど、お気に入りを挙げるなら、こんな感じかな。
バンガロール: B flat、Take 5、 Hard Rock Café、The Humming Tree
ガントク: Gangtok groove、 cafe live and loud
コルカタ: Some Place Else
シリグリー: Hi spirits
プネー: Hi spirits、 Hard Rock Cafe
インドで見るべき素晴らしいフェスティバルとしては、どこの街でもいいけどNH7 Weekender(註:このフェスはいろんな街で行われている)、Bangalore Open Air、ナガランドのHornbill Festivalかな」
インドを訪れる機会があればぜひ立ち寄ってみてほしい。
NH7 WeekenderはOnly Much Louderというプロモーターがインドじゅうのいろいろな街で行っているフェスで、洋楽ハードロック/ヘヴィーメタルではスティーヴ・ヴァイ、メガデス、フィア・ファクトリー等が出演してきた。他のジャンルでも、モグワイ、マーク・ロンソン、ベースメント・ジャックス、ウェイラーズ等、多様なジャンルのトップアーティストを招聘している。Hornbill Festivalは、伝統行事やスポーツやファッションやミスコンなどを含めた、毎年12月に10日間にわたって開催されるお祭りで、その一環としてHornbill International Rock Festivalが行なわれている。80年代〜90年代に活躍した欧米のバンドも多く参加しており、非常に面白そうなので、このブログでも改めて取り上げる機会を持ちたい。
凡「今のインドのロックシーンについて教えてくれる? 僕が思うに、多くのバンドが自分たちで音楽をリリースしているよね。インディーズレーベルと契約するようなこともしないみたいだけど、実際どう?」
G「そうだね。とくに英語でパフォームするバンドについてはそうだと言える。もしレーベルとの契約にサインしたとしても、なにかメリットがあるとは思えないしね。実際、熱心なバンドにとっては支障になるだけだよ。うん、誰もレーベルと契約することなんて気にしちゃいないね。
僕らはしたいことをするだけだし、それでどうなるかも分かってる。英語じゃなくて、地元の言語とかヒンディー語で歌ってるバンドについてはもちろん別の話だと思うけど」
なるほど。レーベルというのは形のあるCDやカセットテープを流通させるためのもの。
より地域に根ざした地域言語で歌うアーティストならともかく、インド全土や世界中をマーケットとすることができる(=英語で表現する)アーティストにとっては、自分たちでインターネットを通じて楽曲をリリースするほうが効率的かつ効果的なのだろう。
物流が未成熟であるというインドの弱点が、インディーズレーベルさえも不要という超近代的な音楽流通形態を生み出しているのかもしれない。
実際、GATCのような70〜80年代的なハードロックというのは、現代のシーンの主流ではないし、また今後ふたたび主流になることも難しいジャンルだとは思うが、インドじゅう、世界中を見渡せばそれなりに愛好者はいるジャンルだ。
レーベルを介することで物流に制限が生じたり、自分たちの利益が減ってしまうより、自分たちで音楽を配信するほうがメリットが大きいというのはうなずける。
最後にGirishはこんなことを言ってくれた。
G「アリガトウゴザイマス!夢は叶うっていうけど、僕らの夢は日本でライブをすることなんだ。それから次のアルバムはヒマラヤのエスニックな要素とロックが合わさったものになるってことも伝えたいよ」
どこまでもロックを愛する好青年なGirishなのだった。
ところで、Girishが教えてくれたバンドを1つ1つチェックしてみて、感じたことがある。
それは、インターネットの発展とロックの普及がほぼ同時に起こったインドでは、「ロックは時代とともに変化してゆくジャンルでは無い」ということ。
どういうことかというと、プレスリーやビートルズから樹形図のように表される発展を経て「今のロック」があるのではなく、インドのシーンではこれまでの時代に生まれて(そして消えて)きた様々なジャンルが並列に、平等に並べられているということだ。
インドではロックの歴史は流れずに積み重なっている(ちょうど「百年泥」のように!)。
70年代のロックも、90年代のロックも、2000年以降にインターネットといっしょに同時にやってきたからだ。
その積み重なったロックを横から眺めて、めいめいのバンドやミュージシャンが、自分の気に入った音楽を選び取って演奏している。
そのことは、例えばRolling Stone Indiaのような尖った雑誌が選んだ2017年のベストアルバムのうち、1位がヒップホップアーティスト、2位がジェフ・ベック風ギターインスト、6位がデスメタルというラインナップであることからも伺える。
「その時代のサウンド」であるかどうかよりも、「良いものは良い」として評価されているのだ。
もちろん、過去のロックに非常に忠実なサウンドを演奏するバンドは他の国にもいるが、欧米や日本では、彼らはよりマニアックなシーンに属している。
でも、インドの場合、シーンがまだ小さいが故に、ひとつの大きな枠組みの中であらゆるバンドを見ることができる。
欧米の音楽シーンとは地理的にも文化的にも距離があるということも、こうしたシーンの特殊性の理由のひとつだろう。
そして、インドの地理的な広大さ、文化的な多様さが、80年代の享楽的なロックに共感する人も、90年代の退廃的なロックに共感する人も、2000年代以降のよりモダンな音楽に惹かれる人も共存しうる稀有なシーンを作り出している。
外から眺めると、それはむしろ健全なことのようにも思えるのだけど、その中で演奏するアーティストにとっては、依然としてメインストリームである映画音楽などの存在が大きく、厳しい状況であるようだ。
GATCもまた、自分たちが大好きな音楽をただひたすらに演奏するミュージシャン。
バンドメンバー、とくにヴォーカルのGirishの力量は非常に高いものを感じる。
彼らが演奏しているようなジャンルがインドでも世界中でも主流ではないとしても、愛好家はあらゆる国にいるだろう。
ドバイ等のツアーも成功させている彼らではあるが(ドバイはインド系の移民労働者も多く、ドバイでのオーディエンスが地元の人中心だったのか、インド系移民中心だったのかは気になるところだ)、より多くの国や地域の人々に受け入れられることを願わずにはいられない。
それでは今日はこのへんで!
2018年04月30日
なんと!インドのデスメタルバンドが来日!
そのツアーには、なんとここ日本も含まれている!
インドのメタルバンドとしては、いや、ひょっとしたらロックバンドとしても初の来日公演ではないだろうか?
"Amputheatre"収録の彼らの曲を改めて紹介します。"Scaphism"
わりと古典的なデスメタルのスタイルだけど、演奏もタイトでめちゃくちゃレベル高い!
あとベーシストがシク教徒なのだろうが、しっかりとターバンをかぶっているのだけど、音楽性に合わせて色は黒!というところもかっこいい。
今回の来日はドイツのデスメタルバンドStillbirthとのスプリットツアーとなるようで、その名も"Gutted at Birth"ツアー!(Cannibal Corpseの名盤"Butchered at Birth"のパロディか?いずれにしてもジャンルに違わない悪趣味さ!)
ツアー先は、ドバイ、母国インド、ネパール、タイ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、そして日本と韓国での公演が予定されている!
彼らのFacebookページによると、日程は以下のとおり。
21st September Friday - DUBAI
22nd September Saturday - TBA
23rd September Sunday - MUMBAI, INDIA
24th September Monday - DELHI, INDIA
25th September Tuesday - NEPAL
27th September Thursday - CAMBODIA
28th September Friday - Ho Chi Minh, VIETNAM
29th September Saturday - TBA
30th September Sunday - TBA
1st October Monday - TBA
2nd October Tuesday - Manila, THE PHILIPPINES
3rd October Wednesday - Cebu, THE PHILIPPINES
4th October Thursday - TAIWAN
5th October Friday - Tokyo, JAPAN
6th October Saturday - SOUTH KOREA
7th October Sunday - Bangkok, THAILAND日本公演は10月5日、東京のみ。
それはそれとして、おいおい、いくらなんでも日程、タイト過ぎないか?
現時点で未定のところを含めて、17日間で16公演!
これ、演奏無しで移動だけでも結構きついスケジュールだと思うが、さらに各地で激しいライヴを繰り広げるって、なんだかほとんど自殺行為って気が…。
彼ら自身もそれは分かっているようで、バンド創設メンバーのベーシスト、Gurdip Singh Narang(黒ターバンでキメていた彼だ!)はRolling Stone Indiaのインタビューに、
「こんなにタイトな日程でスケジュールを組むなんて、俺たちはキンタマがすわってるだろ。ちゃんと全ての国に機材と一緒に降り立ってプレイできるように、いろんな国の航空会社を信頼するってことさ」
と語っている。
どうやらヨーロッパツアーを終えて自信をつけたようで、Gurdip曰く、
「なぜって、俺はプロモーターを信用してるし、俺は100%有言実行だ。いつもと同じように、考えに考えて計画した通りにやるだけさ」とのこと。
自信満々、頼もしい。かっこいい。
と思ったら、このツアーはクラウドファンディングで成り立っていて、見てみたらまだ予定の金額の10%くらいしか集まっていないみたい…。
大丈夫か?とちょっと心配になるところだが、正直に言うと、超過密なツアースケジュールといい、資金面での見切り発車といい、こういう行き当たりばったりな感じ、理屈抜きでもう最高!って思ったよ。
海外にツアーするようなバンドになると、万が一の間違いもないように綿密に計画されたスケジュールで動きそうなものだけど、本来、ロックンロールバンド(彼らはデスメタルだけど、あえてこう言わせてもらう)のツアーなんてこういうものでもいいんじゃないだろうか。
自分の大好きな音楽をいろんな場所で演奏するために、楽器をバンに詰めてひたすらドサ回り。
海外ツアーだからって姿勢は変わらない、そのバンが飛行機になっただけ。
やるほうは大変だろうけど、なんていうか、こう、夢があるよな。
ボロボロになるかもしれないけど、これがやりたいんだ!っていう熱さがびんびん伝わってくる。
もちろん「そんなのはきれいごと。各地で待つファンをがっかりさせないよう、最高のパフォーマンスをするためには無理は禁物!」っていう意見もあるだろう。
でもさあ、これだけいろんなことがきっちりしちゃってる世の中で、こういう行き当たりばったり&気合で乗り切る!みたいなツアーをするバンドがいるって、ものすごく素晴らしいことなんじゃないだろうか。
いつもインドのロックバンドのことを「インドじゃ楽器買えるのは富裕層だけ」みたいに書いているけど、生半可な根性じゃこんなツアーできないよね。
確かに彼らは裕福な家庭に生まれたのかもしれないけど、その環境に甘えて音楽をやっているような連中じゃない(演奏レベルを見てもそれは一目瞭然)。
彼らの音楽へのハンパない情熱に最大限の敬意を表したいよ。
彼らのことを意気に感じて、ぜひ応援したい!という方はこちらから!
Gutslitのみなさんにコンタクトしてみたところ、あとちょっとでライブ会場やなんかがはっきりするので、インタビューにも応じてくれるとのこと。
乞うご期待!
(このブログ、インタビューの告知ばっかでなかなか掲載されないけど、どうなってんの?とお思いの方もいるかもしれないけど、気長に待って頂きたく。そんなもんよ。インドも人生も…)
インドの今までにインタビューしてきたインドのメタルアーティストのThird SovereignのVedantも、Alien Nation(Sacred Secrecy)のTanaも、日本でのライブが夢だと語ってくれていた。
何度も書いているように、こういったコアな音楽ほど国境は無い。
今回のGutslitの来日でインドのメタルバンドのレベルの高さが知れ渡り、彼らにも道が開けたら良いなと思います。
2018年04月29日
謎のターバン・トラップ!Gurbax
といっても、また面白いやつ(とアタクシは思っている)を載せまっせー。
今回紹介するのは、記念すべき第1回目のSu Real以来のトラップ・ミュージック。
このブログで紹介するくらいなので、もちろんインド色強めのやつだ!
まずは1曲、聴いてみてください。
Gurbaxで、"Boom Shankar"
サードゥー(世捨て人的な生き方をするヒンドゥー教の行者)の集団がサイケなペイントの車に乗り込んでレイヴ会場に繰り出すっていう、強烈な内容!
Gurbaxはクラウドファウンディングで集めた資金をもとに、この曲と同名のBoom Shankar Festivalというイベントをバンガロールで開催している。
この曲のビデオについてのインタビューによると、「リシケシュ(ガンジス源流近くの聖地)のサードゥーたちが仲間とリラックスして楽しんでいるいるところ(ガンジャを吸ったりしているイメージかな)」という明確なビジョンのもとに作られたとのこと。
やがて、サードゥーたちがコンサートの熱狂に触れたらどうなるか、というアイデアに発展し、最終的にはこういうシロモノになったそうだ。
「街でいちばんヤバいサードゥーで不思議なパワーの化身であるBoom Shankarを、Gurbaxが彼の名前のフェスティヴァルに呼び出した。Boom Shankarとその信者が巡礼に使っていたバンはステージへと変化し、その上でプレイするGurbax。熱狂する観客。やがてBoom Shankarもステージに上がり、火吹きを披露してその場をパワーで満たす」
…なんだかよく分からないが、この手のダンスミュージックへのヒンドゥー神秘主義の導入は、90年代末頃の欧米や日本のレイヴ・カルチャーによく見られたもの。
このビデオはそうした文化の逆輸入版とも言えそうだ。
GurbaxことKunaal Gurbaxaniは、バンガロールでパンクやスラッシュメタルのバンドのギタリストとして音楽活動を始めた。
大学進学で進んだ米国アトランタでベースミュージックに出会い、DJ/クリエイターとしてのキャリアをスタートさせたようで、彼もまたおなじみの海外で触れた音楽をインドに導入して活躍しているパターンだ。
先ほどのBoom Shankarのような、インド的要素を取り入れたベースミュージックは"Turban Trap"というくくりで紹介されるているのだが(YoutubeのチャンネルやFacebookのページもある)、このターバントラップという概念、ジャンルなんだかレーベルなんだかちょっとよく分からない。
GurbaxがMr.Dossと共演しているターバントラップの曲。"Aghori"
調べてみたところAghoriというのはサードゥーの一派のことらしい。
ターバントラップのサイトには"Sikhest trap music"とあるが(Sickest=最もヤバい、とシク教のSikhをかけた表現)、シク教というよりはヒンドゥー的な要素が入っている楽曲が多いようで、この音楽ジャンルの宗教的バックグラウンドがどんなものなのか、シリアスなものなのかはちょっとよく分からない。
いずれにしても「ターバントラップ」には他にも面白いアーティストがいるので、調べてみてまた紹介たいと思います。
さてこのGurbax、インド的な要素のないトラックもたくさん手がけていて、これがもうインドとか国籍とか関係なく普遍的にかっこいい。
"Get it"
"Lucid Fuck"
彼の2017年の活動をまとめた動画がこちら。
インドのパリピのみなさんが熱い!
電気や水道の通っていない環境で暮らす人も多いインドだが、これもまたインドの一側面。
とくに電子系ダンスミュージック界隈の垢抜けっぷりにはいつも驚かされる。
こういう人たちでも、ダンスミュージックに宗教的恍惚感(トランス的要素)を加えるためにヒンドゥーの伝統的な要素を加えてみるんだなあ、と思うとしみじみする。
それとも信仰心なんてもう全然なくて、単にシャレでやってるのだろうか。
インド的なサウンドから欧米的、無国籍なサウンドまで躊躇なく行き来することができるのもインドのアーティストの魅力の一つ。
我々日本人が昼は蕎麦食って夜はパスタなんてことがあるのと同じようなものかもしれないけどね。
それではまた!
2018年04月25日
原点、っていうか20年前の思い出。シッキムにて。
インドによく通ってた20年ほど前、今となっては前世紀末の話。
当時のインドでは、街角で流れていたのは映画音楽か宗教歌ばかり。
ロックやヒップホップなんて洋楽も国産のも全然聴こえてこなかったし、カセットテープ屋さん(当時、インドの主流音楽メディアはCDではなくカセットだった)に行っても映画音楽と古典音楽しか並んでいなかった。
当時、アタクシはインドとロックが三度のメシより好きな若者だったので、インド感たっぷりのインドのロックバンドってのがあったら聴きたいなあ、と思っていたものだった。
その頃、ラヴィ・シャンカルの甥のアナンダ・シャンカルがロックの名曲をシタールでカバーしたアルバムがCDで再発されていたのだけど、B級趣味の企画盤っぽくてあんまり好みじゃなかったし。
前にも書いたけど、デリーのカセット屋で「インドのロックをくれ」と言ったら、出てきたのはジュリアナ東京みたいな音楽だった。
インドのロック好きの人たちが本気でやっているロックバンドは無いものか、と探していたけどどこにも見つからなかったし、そもそも見つけ方が分からなかった。仕方なく、イギリスのインドかぶれバンドのクーラシェイカーあたりを「なんか現地のノリと違うんだよなあ」とか思いながら聴いていたものだった。
これはインド北東部、シッキム州を訪れたときのお話。
シッキムはネパール国境の東にちょこんとあるごく小さな州で、1975年まで「シッキム王国」という独立国だった歴史を持つ。
シッキム州の場所
シッキムの住民はネパール系やチベット系の、日本人と似た、いわゆる「平たい顔族」の人たちが多い。
どこを開いてもアーリア系やドラヴィダ系の濃い顔ばかりの「地球の歩き方 インド」の中で、薄い顔の人たちが民族衣装を着て微笑んでいるシッキムのページに、どことなく安心感と懐かしさを感じたものだった。
シッキムの州都ガントクから乗り合いバスで山あいのルムテクという村に向かったときのこと。
ルムテクはチベット仏教の大きな僧院が有名(っていうかそれしかない)な小さな村で、オフシーズンだったせいか、1軒だけ営業していた宿にも英語が分かる人がおらず、「ここ泊まる。食事する」と身振り手振りでなんとかチェックインを済ませた。
ルムテクは素朴な雰囲気の村で、とてもリラックスして過ごすことができた。
僧院も素晴らしく、おおぜいの少年僧たちがめいめいに暗唱するお経は、伽藍の高い天井に反響して、不思議な音楽的な響きが感じられた。
さて、翌日。
他に見る場所もないので、ガントクに帰るバス乗り場に行くと、もうその日のバスは全て出た後だという。
途方に暮れていると、こぎれいな車に乗ったインド人男性がやって来て、「これからガントクに行くんだけど、よかったら一緒に乗っていかないか」と誘ってくれた。
「観光客に向こうから声をかけてくる奴はほぼ悪者」というインドの大原則があるのだけど、このあたりは素朴な人たちばっかりだったし、オフシーズンのこんな小さな村に観光客相手の詐欺師もいないだろうと判断して、ありがたく乗せてもらうことにした。
彼の名前はパサンサン。カリンポンという街で自営業をしているという。
ドライバーが運転する車の後部座席で、パサンサンとの会話は大いに盛り上がった。
何故か。それは彼がインドで初めて出会ったロック好きだったから。
「ディープパープルがデリーに来た時には3日かけて見に行ったんだ。スティーヴ・モーズは凄いね。リッチーのプレイを再現するだけじゃなくて、自分のフレーズも弾けるんだ」「ブータンに行った時に、旅行で来ていたミック・ジャガーに会ったことがあるんだよ」なんて話がまさかこんなところで聞けるとは!
最初ちょっと警戒したことも忘れ、すっかり打ち解けた私に、彼は「ローリング・ストーンズのYou Can’t Always Get What You Wantをインド風にカバーしたこともあるんだ」と言うと、おもむろに歌い出した。
「まずイントロはシタールから入るんだ」
“I saw her today at the reception
A glass of wine in her hand…”
「ここでタブラが入ってくる」
タブラ の音色を真似ながら、パサンサンは歌い続ける。
“I knew she would meet her connection
At her feet was a footloose man…”
「ここでギターが入って、サビだ」
“You can’t always get what you want…”
これには本当にびっくりした。
なぜって、これこそがまさに当時の自分が聴きたかったインドのロックそのものだったから!
すっかり意気投合したパサンサンは、その日1日、ガントクの街を案内してくれた。
晩御飯はパサンサンの奢りでビールを飲みながらまたロック談義。
当時の日記によると、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ストーンズ、ザ・フー、ジェスロ・タル、ジャニス・ジョプリン、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、スコーピオンズ、テン・イヤーズ・アフター、ゴダイゴなんかの話をしたとある。
インターネットも一般的になる前、西洋の音楽の音源もほとんど流通していないインドで、彼はどうやってこんなに(当時から見ても)昔のバンドの知識を得たんだろう。
その日は二人ともガントクに泊まって、次の日一緒にカリンポンを案内してくれることになった。ロックをインド風にカバーした音源も聴かせてくれるという。
ホテルに帰る前、パサンサンが言った。
「ドライバーに給料を支払わないといけないんだけど、今日は銀行が休みなんだ。800ルピー貸してくれないか?」
おっと。
これはインドでは絶対にお金を貸してはいけない場面。貸したら絶対に返ってこない。
ガイドブックにも、大学教授を名乗る身なりのいい家族連れにお金を騙し取られたとか、そういう体験談がわんさと載っている。
でも。アタクシは思った。
あんな小さな村でたまたま会って、ここまで趣味が一致して意気投合した男が、さらに詐欺師だなんて、いくらなんでもそんな偶然は無いんじゃないだろうか。
それに800ルピーは当時の日本円で2,000円くらい。
インドでは大金とはいえ、ドライバーを雇えるくらいの男がかすめ取ろうとする金額ではないだろう。
翌日に返してもらうことを約束し、その日はパサンサンが紹介してくれた、ふざけた名前の「ホテル・パンダ」に宿泊。酔いも手伝って心地よい眠りについた。
翌日。
約束していた朝9時にホテルのフロントに行くと、パサンサンはまだ来ていない。まあ、インド人だしな…と思いながら10分、20分、30分。
さすがにおかしいと思ってパサンサンが宿泊していた部屋をノックしてみたが返事がない。
よく見ると、鍵は外からかかっている。
やばい!と思ってホテルのフロントで聞くと、「その男ならもうとっくにチェックアウトしたよ」とのこと。
やられた!
信じた俺がバカだった!
800ルピーも惜しいけど、彼がカリンポンで聴かせると約束してくれた、インド風にカバーしたロックの名曲の数々が聴けなくなってしまったことが何よりも残念だった。
ホテルの前で困った顔をしていると、映画俳優のようにハンサムな向かいのオーディオ屋の兄ちゃんが「どうした?」と声をかけてきた。
「昨日ここに泊まってたロック好きのパサンサンって男を知ってるか?」
と聞くと、「おー、君もロック好きなのか!」と店のステレオで大音量でボンジョビやドアーズやエルヴィス(すごい組み合わせ!)を流して、ロックの話をしてくる。
音が大きすぎて通りの人はみんなこっちを不快そうに見てくるし、そもそも会話がままならないくらいのヴォリュームだ。
「で、昨日俺が800ルピー貸したパサンサンって男のことなんだけど…」
「いや、そんな奴は知らない。よく知らない人にお金を貸したらいけないよ」
知らないんなら早く言ってくれよ!
それにシッキム、どうしてこんなにロック好きが多いんだよ!
情けないやら悔しいやらで、その日は一日中、前日にパサンサンに案内された場所を巡りながら彼の消息を探したけど、結局何も分からないまま。
彼を探すことはあきらめて、次の目的地のネパールに向かうことにした。
それ以降、インドの旅の中であんなにロックが好きな男に会うことは無かった。
ゴアにはトランスのCDを売るインド人がいたし、ネパールのポカラでは、欧米人ツーリスト向けに当時流行ってたオアシスの曲をカバーしているバンドを見かけたけど、どちらも「仕事としてやってる」って感じで、心からの音楽好きであるようには見えなかった。
欧米のロックをインド風にカバーした音楽なんてものも聴く機会は無かった。
当時そんなことをやっていたのはパサンサンとその仲間くらいだったんだろうか。
インターネットが発達した時代になり、インドでもロックバンドが増えてきていて、遠く離れた日本でもインドのインディーズ音楽が容易に聴けるようになった。
それでも、あの日パサンサンから聞いたようなアプローチで洋楽のロックを演奏しているバンドにはいまだにお目にかかったことがない。
今でも、彼の音源が聴いてみたいと思う。
そして、あのとき感じた「インドのロックが聴いてみたい」という気持ちが、このブログを書くきっかけのずっと根っこのほうにあるのかな、とも少しだけ思う。
それにしてもパサンサン、晩飯もホテル代も出してくれて、1日潰してまで800ルピー騙し取るって、彼の暮らしぶりを考えたらずいぶんわりに合わないペテンだったと思うけど、あれは本当になんだったんだろう。
思うに、彼も最初は純粋にロック談義を楽しんでいたのだろうけど、途中で間抜けな日本人が完全に気心を許してるのを感じて、「これくらいの金なら掠め取ってもいいかな」と考えたんじゃないだろうか。
次回あたりで、この20年前からロックが盛んな(?)シッキム州出身のロックンロールバンド、先日紹介したGirish and the Chroniclesのインタビューがお届けできそうです。
本日はこのへんで。
続きを読む2018年04月21日
本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編
インドのヒップホップシーンはここ数年爆発的に拡大・多様化していて、ストリート寄りのスタイルの彼らとは別に、Yo Yo Honey SinghやBadshahのように、ボリウッド的メインストリームで活躍するラッパーもいるし(Youtubeの再生回数は彼らの方がずっと多い)、BK(Borkung Hrangkhawl)やUNBのようなインド北東部における差別問題を訴える社会派のラッパーもいる。
インドの古典のリズムとの融合も行われていて、各地に各言語のシーンがある。
以前も書いたように、インドのヒップホップって、アメリカの黒人文化に憧れて寄せていくのではなく、自分たちの側にヒップホップをぐいっと引き寄せて、完全に自分たちのものしてしまっているような雰囲気がある。
いわゆる「ストリート」の描き方も、アメリカのゲットーを模したフィクショナルな場所としてではなく、オバチャンがローカルフードを売り、好奇心旺盛な子ども達が駆け回り、洗濯物が干してあるインドの「路地」。
インドのラッパーたちは、スタイルやファッションとしてのヒップホップではなく、自分たちが本当に語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて発信するという、ヒップホップカルチャーの本質を直感的に理解しているかのようだ。
なぜそれができているのかというと、ひとつには彼らが英語を解することが挙げられるだろう。
インドは、英語を公用語とする国では世界で最大の人口を誇る(実際に流暢に英語を話すのは1億〜3億人くらいと言われている)。
英語を解する彼らが米国のヒップホップに接したときに、ファッションやサウンドよりも、まずそこで語られている内容に耳が向けられたとしても不思議ではない。
そしてもうひとつ、インドには彼らが声を上げるべき社会的問題が山積しているということ。
貧富の差、差別、コミュニティーの対立、暴力、汚職。挙げていけばきりがない。
インドの若者たちがヒップホップに触れたとき、アメリカのゲットーの黒人たちのように、自分たちが語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて、ラップという形で表現しようと思うのは至極当然のことと言えるだろう。
でも、インドにヒップホップが急速に根付いた理由はきっとそれだけではない、というのが今回の内容。
さて、ここまで、「ヒップホップ」という言葉を、音楽ジャンルの「ラップ」とほぼ同義のものとしてこの文章を書いてきた。
でも「ヒップホップ」という言葉の本来の定義では、ヒップホップはMC(ラップ)、ブレイクダンス、DJ、グラフィティーの4つの要素を合わせた概念だという。
今回はその中のダンスのお話。
インドに行ったことがある人ならご存知の通り、インド人はみんなダンスが大好き。
各地方の古典舞踊をやっている人たちもたくさんいるけど、あのマイケル・ジャクソンのミュージックビデオにも影響を与えたと言われるインド映画のダンスのような、モダンなスタイルのダンスも大人気で、道ばたの子ども達がラジカセから流れる映画音楽に合わせて上手に踊っているのを見たことがある人も多いんじゃないだろうか。
(ちなみに、いやいや逆にインドの映画がマイケル・ジャクソンのミュージックビデオに影響を受けたんだよ、という説もある)
今回は、イギリスの大手メディア「ガーディアン」が、あの「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台にもなったムンバイ最大のスラム街、ダラヴィで撮影したヒップホップのドキュメンタリー映像を紹介します。
タイトルは、Slumdogならぬ"Slumgods of Mumbai".
これがもうホンモノで、実に見応えがある。
まるでヒップホップ黎明期のニューヨークのゲットーのようだ(よく知らないけど)。
スラム街の中で誰に見せるともなくダンスする少年達。
束の間の楽しみなのか、やるせない境遇を踊ることで忘れたいのか。
ダラヴィに暮らす少年ヴィクラムに、母親はしっかり勉強して立派な職に就くよう語りかける。
教育こそが立派な未来を切り拓くのだと。
だがヴィクラムには母親に内緒で出かける場所があった。
B BOY AKKUことAKASHの教える無料のダンス教室だ。
彼はここで同世代の少年たちとブレイクダンスを習うことが喜びだった。
でもヴィクラムは教育熱心な母親にダンス教室に通っていることを伝えることができない。
両親が必死に働いたお金を自分の教育のためにつぎ込んでくれていることを知っているからだ。
で、このダンス教室の様子が素晴らしいんだよ。
子ども達が自分の内側から湧き上がってくる衝動が、そのままダンスという形で吹き出しているかのようだ。
人生/生活、即ダンス。
それを残念そうに見つめるAKKU.
誰もが金のために必死で働くダラヴィで、AKKUは、ダンスを通して子ども達に、生きてゆくうえで何よりも大切な、人としての「誇り」を教えようとしていた。
大勢の人たちの前で踊り、喝采を浴びることで、スラムの子ども達が自分に誇りを持つことができる。
だが、周囲の大人たちは適齢期のAKKUに結婚することを勧めていた。
結婚して夫婦の分の稼ぎを得てこそ、責任感のある人間になれると。
しかし二人分の稼ぎを得るには、ダンス教室を続けることは難しい。
AKKUは自分のダンス教室を通して、子ども達に誇りを感じてもらうこと、ヒップホップカルチャーの一翼を担うことこそが自分の役割だと感じていた。
自分がダンス教室をやめてしまえば、誰が子どもたちに誇りを教えるのか。
ヒップホップは彼自身の誇りでもあり、彼もまた葛藤の中にいる…。
AKKUは、ヴィクラムの両親の理解を得るべく、彼が内緒でダンス教室に来ていることを伝えに行くのだった。
だが、両親の理解はなかなか得られない。
さまざまな葛藤をかかえたまま、AKKUのヴィクラムへのダンスレッスンが続いていく。
そして迎えたある夜、薄暗い照明のダンス教室の中、ヴィクラムの両親も招待されたスラムのB BOYたちのダンス大会が始まった。
次々にダンスを披露する少年たち。
家では見せたことがないほど活き活きと踊るヴィクラムの姿に、両親もやがて満面の笑顔を見せる。
そう、我が子が一生懸命に打ち込む姿を喜ばない親はいない。
そして、コンテストの結果は…。
この物語のラストで、AKKUはヴィクラムに、あるプレゼントを渡す…。
いつも両親に「ミルクを買いに行く」と嘘をついてダンス教室に来ていたヴィクラムに、勉強して成功を収めるということとはまた別の、希望と誇りが託される場面だ。
このドキュメンタリーを見れば、音楽やダンスが抑圧された人々にとってどんな意味を持つことができるかを改めて感じることができる。
世界中の多くの場所と同様に、ここダラヴィでも、音楽やダンスが、日々の辛さを忘れ、喜びを感じさせてくれるという以上のものになっていることが分かる。
そして音楽やダンスがもたらす希望は、言葉や文化を異にする我々にも、普遍的な魅力を持って迫ってくる。
人はパンのみにて生きるにあらず。
貧しくとも、人はお金のためだけに生きているわけではない。
ヒップホップは、ただの音楽やダンスではなく、本来はそうした人間の尊厳を取り戻すための営為なのだということに改めて気付かされる。
もちろんヒップホップを発明したのはアメリカの黒人たちだけど、ヒップホップというフォーマットは国籍や文化に関係なく、あらゆる抑圧された人たちが(抑圧されていない人でさえも!)共有できる文化遺産であるということを改めて感じた。
ダラヴィの生活は夢が簡単に叶う環境ではないだろう。
AKKUが今もダンス教室に通っているのか、彼らのうち何人が今もダンスを続けているのか、煌びやかなムンバイのクラブシーンで活躍できるようになったB BOYはいるのか、それは分からない。
でもこのドキュメンタリーからは、きっと何か感じるものがあるはず。
たったの13分で英語字幕もあるので是非みんな見てみて!
追記: Youtubeで確認したところ、AKKUは今でもダンスを、ダンス教室を続けているようだ。
昨年行われたTEDxでのAKKUのプレゼンテーションを見たら、最後にダンス教室の生徒たちも出ていたけど、ヴィクラムの姿は確認できなかった。
成長して見分けがつかなくなってしまっただけなのか、ダンスをやめてしまったのか、たまたまここにいなかっただけなのか…