2021年06月13日

バングラー・ギャングスタ・ヒップホップの現在形 Sidhu Moose Wala(その1)



これまでも何度か書いてきた通り、インドの「ヒップホップ」には大きく分けて2つの成り立ちがある。


インドにおけるヒップホップ第一波は、1990年代に欧米(おもにイギリス)経由で流入してきた「バングラー・ビート」だった。
このムーブメントの主役は、インド系移民、そのなかでもとくに、シク教徒などのパンジャーブ人(パンジャービー)たちだ。
彼らは、もともとパンジャーブ(インド北西部からパキスタン東部にわたる地域)の民謡/ダンス音楽だった「バングラー」をヒップホップやクラブミュージックと融合させ、「バングラー・ビート」 という独自の音楽を作り上げた。
バングラー・ビートはインド国内に逆輸入され、またたく間に大人気となった。

(そのあたりの詳細は、この記事から続く全3回のシリーズで)

インドだけではない。
この時代、バングラーは世界を席巻していた。
2003年には、Jay-ZがリミックスしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"(Beware of the Boys)が、UKのR&Bチャートで1位、USのダンスチャートで3位になるという快挙を達成する。
世界的に見れば、バングラーはこの時代に一瞬だけ注目を浴びた「一発屋ジャンル」ということになるだろう。

だが、インド国内ではその後もモダン・バングラーの勢いは止まらなかった。
パンジャーブ系のメンバーを中心にデリーで結成されたMafia Mundeer (インドの音楽シーンを牽引するYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaarなどが在籍していたユニット)らが人気を博し、バングラー・ラップは今日に至るまで人気ジャンルであり続けている。
こうした「バングラー系ヒップホップ」に「物言い」をつけるとしたら、「ヒップホップと言われているけど、音楽的には全然ヒップホップじゃない」ということ、そして「コマーシャルな音楽で、ストリートの精神がない」ということになるだろう。 

「音楽的には全然ヒップホップでない」とは、どういうことか。
これは説明するよりも、聴いてもらったほうが早いだろう。
例えば、さきほど話題に出たPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"はこんな感じ。


バングラー・ビートは、間違いなくヒップホップの影響を受けたジャンルであり、それまでにインドに存在していたどんなジャンルよりもヒップホップ的ではあるが、お聴きいただいて分かる通り、決して「ヒップホップ」ではない。
(正確に言うと、Panjabi MCはこれよりも早い時期にはよりヒップホップ的なサウンドを志していたが、ある時期からよりバングラ―的なスタイルへと大きく舵を切った。また、同じ時期にイギリスで活躍していたRDBのように、よりヒップホップに近い音楽性のグループも存在している。)

その後もバングラー系「ヒップホップ」は独自の進化を遂げるが、音楽的にはむしろEDMやラテン的なリズムに接近しており、やはりヒップホップと呼んでいいものかどうか、微妙な状態が続いている。(最近になってRaftaarやBadshahがヒップホップ回帰的な音楽性を打ち出しているのは面白い現象)
例えば、インド国内のバングラー・ラップの代表格、Yo Yo Honey Singhが昨年リリースした"Loka"はこんな感じである。

この曲をヒップホップとカテゴライズするのは無理があると思うかもしれないが、インド人に「インドのヒップホップに興味がある」と言ったら「Honey Singhとか?」と聞かれたことが実際にある。
インドでは、彼の音楽はヒップホップの範疇に入っていると考えて間違いないだろう。

もうひとつの批判である「バングラーは売れ線の音楽で、ストリートの精神がない」とはどういうことか。
1990年代〜2000年頃、まだインターネットが一般的ではなく、海外が今よりはるかに遠かった時代に、バングラー・ビートは、映画音楽などの商業音楽のプロデューサーたちによってインドに導入された。
つまり、インドでは、バングラー・ラップは日本で言うところの「歌謡曲」的なメインカルチャーの一部であり、ストリートから自発的に発生したムーブメントではなかったのだ。
インドでは、こうしてコマーシャルな形で入ってきたバングラー・ラップが、ヒップホップとして受け入れられていた。 
だが、インドにもヒップホップ・グローバリゼーションの波がやってくる。


2010年代の中頃にインドに登場したのが「ガリー・ラップ」だ。
彼らは、インターネットの発展によって出会った本場アメリカのヒップホップの影響を直接的に受けていることを特徴としている。
(狭義の「ガリー・ラップ」とは、映画『ガリーボーイ』のモデルになったNaezyやDIVINEなどムンバイのストリート・ラッパーたちによるムーブメントを指すが、ここでは便宜的に2010年代以降の、おもにUSのヒップホップに影響を受けたインド国内のヒップホップ・ムーブメント全体を表す言葉として使う)
ガリー・ラッパーたちは、アメリカのラッパーたちが、貧困や差別、格差や不正義といったインドとも共通するテーマを表現していることに刺激を受け、自分たちの言葉でラップを始めた。

彼らの多くが、それまでインドにほとんど存在しなかった英語ラップ的なフロウでラップし、これまでのバングラー・ヒップホップとは一線を画す音楽性を提示した。
また、(ボリウッド・ダンス的でない)ブレイクダンスや、グラフィティ、ヒューマン・ビートボックスといったヒップホップ・カルチャー全般も、スラムを含めた都市部のストリートで人気を集めるようになった。

ミュージックビデオの世界観も含めて、ガリーラップの象徴的な楽曲を挙げるとしたら、(たびたび紹介しているが)DIVINEの"Yeh Mera Bombay"、そしてDIVINEとNaezyが共演した"Mere Gully Mein"となるだろう。

映画『ガリーボーイ』でも使われたこの曲のビートは、USのヒップホップとはまた異なる感触だが、この時代のガリーラップに特有のものだ。

商業主義的かつリアルさに欠けたバングラー系のヒップホップは、ガリー系ラッパーにとっては「フェイク」だった。
映画『ガリーボーイ』の冒頭で、主人公が盗んだ車の中で流れたパンジャービー系の「ヒップホップ」に嫌悪を表すシーンには、こういう背景がある。
日本のストリート系ヒップホップの黎明期に、ハードコア寄りの姿勢を示していたラッパーが、一様に'J-Rap'としてカテゴライズされていたJ-Pop寄りのラッパーを叩いていた現象に近いとも言えるかもしれない。

さらに長くなるが、音楽性ではなく、スタイルというかアティテュードの話をするとまた面白い。

ガリー・ラップがヒップホップの社会的かつコンシャスな部分を踏襲しているとすれば、バングラー系ラップはヒップホップのパーティー的・ギャングスタ的な側面を踏襲していると言える。

二重にステレオタイプ的な表現をすることを許してもらえるならば、パンジャービー系ラッパーたちの価値観というのは、ヒップホップの露悪的な部分と親和性が高い。
すなわち、「金、オンナ、車(とくにランボルギーニが最高)、力、パーティー、バイオレンス」みたいな要素が、バングラー・ラップのミュージックビデオでは称揚されているのだ。

こうしたマチズモ的な価値観は、おそらく、ヒップホップの影響だけではなく、パンジャービー文化にもともと内包されていたものでもあるのだろう。
(念のためことわっておくと、パンジャーブ系ラッパーの多くが信仰しているシク教では、男女平等が教義とされており、「ギャングスタ」的な傾向は、宗教的な理由にもとづくものではない。また、ミュージックビデオなどで表される暴力性や物質主義的な要素を快く思わないパンジャービーたちも大勢いることは言うまでもない。ちなみに最近では、DIVINEやEmiway Bantaiといったガリー出身のラッパーたちも、スーパーカーや南国のリゾートが出てくる「成功者」のイメージのミュージックビデオを作るようになってきている)


まだ主役のSidhu Moose Walaが出てきていませんが、長くなりそうなので、2回に分けます!
(続き)


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goshimasayama18 at 23:20|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ 

2021年06月01日

K-pop meets 'I-Pop'! インドと韓国のコラボレーションは新しい扉を開くのか?


5月21日にリリースされたArmaan Malik, Eric Nam, KSHMRのコラボレーションによる新曲"Echo"の評判が良い。

6月1日の時点でYouTubeの再生回数は1,000万回以上。
ヒット映画の音楽ともなれば億を超えることも珍しくないインドでは決してずば抜けた数字ではないが、映画と関係のない音楽としては大健闘していると言っていいだろう。 


この楽曲に関わった人物を整理してみよう。
Armaan Malikはムンバイ出身のシンガー。
代々インド映画の音楽を作ってきた一家に生まれたArmaanは、幼い頃から古典音楽を学び、アメリカの名門バークリー音楽大学で学んだのち、EDM, R&B, そしてもちろん映画音楽などの分野で活躍している。
インド映画のプレイバック・シンガーにはよくある話だが、彼もまた多くの言語で歌っており、ヒンディー、英語、ベンガル語、テルグー語、マラーティー語、タミル語、グジャラーティー語、パンジャービー語、ウルドゥー語、マラヤーラム語、カンナダ語の楽曲をレコーディングしたことがあるという。


この"Chale Aana"は2019年のボリウッド映画"De De Pyaar De"の挿入歌で、作曲はArmaanの兄であるAmaal Mallik. (兄のAmaalは、弟と違って姓のアルファベット表記の'L'が2つある)

この曲の再生回数は1.6億回とケタ違いだ。
彼が歌う他の映画音楽では、5億再生を超えているものもある。

映画音楽以外の活動も見逃せない。
2020年のMTV Europe Music Awardsで、近年勢いづくヒップホップ勢を抑えてBest India Actを受賞した"Control"は、"Echo"同様にインドらしさをまったく感じさせない「洋楽的」なポップソングだ。

Armaanは、映画音楽という大衆音楽と、洋楽的なポピュラー・ミュージックという、対照的なふたつのジャンルの第一線で活躍しているシンガーなのだ。


Eric Namはアトランタ出身の韓国系アメリカ人シンガー。
011年に名門ボストン・カレッジを卒業し、ニューヨークのデロイト・コンサルティングで勤務するというエリート中のエリートだった彼は、YouTubeへのカバー曲動画の投稿や韓国でのオーディション番組への参加を経て、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた。

シンガーとしては、韓国語と英語の両方で楽曲をリリースしており、海外ツアーを行うなど、すでに国際的な活躍をしている。

この"Honestly"を聴けば分かる通り、そのサウンドはK-popのイメージを裏切らないきらびやかなダンスポップ。
声の質もArmaanに近く、ヴォーカリストとしての相性がぴったりなのがこの曲からも分かるだろう。


"Echo"のプロデュースを務めたKSHMRことNiles Hollwell-Dharはカリフォルニア出身のインド系アメリカ人のEDMアーティストだ。
名前の通り、カシミール地方出身のヒンドゥー教徒の父を持つ(母親はインド系ではないようだ)。
2003年に高校の友人と結成したヒップホップユニットThe Cataracsで活動したのち、2014年にKSHMRの名義でEDMに転向。
UltrasやTommorowlandなどの大規模フェスでもプレイし、2016年、2017年、2020年にはDJ Magの世界トップDJの12位に輝いているEDMシーンのトップスターの一人だ。

活動の場が違うので簡単には比較できないが、ジャンル内の評価で言えば、このKSHMRが3人の中でもっとも大きな成功を収めていると言えるかもしれない。
(再生回数で言えば圧倒的にArmaan Malikだが)

この曲はインドで行われたアジア最大のEDMフェス'Sunburn'のテーマ曲として作られたもの。

インド国内のマーケットを意識した作品では、このようにビジュアルにもサウンドにもインドらしい要素を取り入れており、最近ではインド国内のアーティストとのコラボレーションも多い。


…長くなったが、要は、この曲でコラボレーションした3人には、非常に多様性に富んだ背景があるということである。
国籍としては、インド、韓国、アメリカ。
音楽ジャンルとしては、フィルミ(インド映画音楽)、インド古典音楽、R&B、K-pop、EDM...
こうした多様性のある3人のコラボレーションなのだから、ものすごい化学反応が起きて、斬新なフュージョン音楽が生まれるのではないかと期待していたのだが、誤解を恐れずに言えば、出来上がった作品は、ポップミュージックとしての質は高いものの、音楽的な冒険はせずに、手堅くまとめたという印象だ。
"Echo"には、Armaanの古典音楽的な歌い回しも出てこなければ、KSHMRの得意なフュージョンの要素もない。
ミュージックビデオの映像も、K-Pop的な派手さや伝統的なインドのイメージとは無縁な、率直に言うとかなり地味なものである。

Eric Namは、Rolling Stone Indiaにこう語っている。
「"Echo"は3人のアジア人がグローバルな舞台で団結した重要な例なんだ。僕らの仲間がもっと増えたらいいのにって思ってる。僕たち(引用者注:アジア人)全体を代表してやってのけることができる人たちの、もっと大きなネットワークが欲しいんだ。僕らは、自分たちみたいなカルチャーに関わる人たちを、もっと大きなスクリーンで見たいと思って成長してきた。でも、伝統的に、そういう場所は僕らにオープンじゃなかったんだ。ようやく、少しずつオープンになってきてはいるけどね。それから今、人種間や社会的な緊張がこれまでになく高まってきている。だから、僕らにとって、今こそこういうことをやるのに最高の時なんだよ」

この言葉の中の、「アジア人にもショービジネスが少しずつオープンになってきている」というのはK-popの成功を、「人種間や社会的な緊張が高まっている」というのはコロナ以降のアジア人差別を指しているのだろう。
"Echo"をこのタイミングでリリースしたのは、5月がアメリカ合衆国における「アジア系アメリカ人および太平洋諸島出身者月間」(Asian American and Pacific Islander Heritage Month)であることも意識していたという。

だからこそ、彼らは偏見にもつながるステレオタイプと裏表な典型的なアジアの要素を前面に出すのではなく、あえて無国籍なポップミュージックを作り、音楽の質そのもので勝負しようとしたのだろう。
しかし、無国籍なポップミュージックとは、結局のところ、欧米の白人が作ったジャンルを意味している。
今のところ、インド国内と韓国の一部のファンには高い評価を得ているようだが、この方法論が世界でどこまで通用するのか、応援しつつ見守ってゆきたい。

ところで、記事のタイトルに'K-pop meets "I-pop"'と書いたが、'I-pop'とはこの曲を紹介するにあたり、インドの媒体が多用している言葉。
インドは英語が話せる人材も多いし、最近ではArmaanのようにバークリーなどの欧米の一流の音楽大学に進学する若者も増えている。
I-PopがK-Popのように、世界で評価される日が来るのだろうか。
その時に、"Echo"はエポック・メイキングな楽曲として思い出されるものになるはずだ。


関連記事:






参考サイト:
https://rollingstoneindia.com/exclusive-armaan-malik-eric-nam-and-kshmr-collaborate-on-new-single-echo/

https://www.bollywoodbubble.com/bollywood-news/exclusive-armaan-malik-on-echo-taking-i-pop-global-dabbling-with-wanting-to-breakout-and-fear-of-rejection/




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2021年05月22日

翻訳熱望! "Indian Migrants in Tokyo" インド人は日本でどう暮らしているのか?


英語の本を読むのが遅いので、紹介するのがすっかり遅くなってしまったが、Megha Wadhwa著の"Indian Migrants in Tokyo: A Study of Socio-Cultural, Religious, and Working Worlds"がめっぽう面白かった!
IndianMigrantsInTokyo
 
この本はイギリスの学術系出版社Routledgeの'Studies on Asia in the World'シリーズの一冊として刊行された、在日インド人に関する研究書である。
なんて書くと生真面目で小難しい本を想像してしまうかもしれないが、この本はとにかく読みやすくて面白い。
自分はアカデミックな立場の人間ではないので、学術的な本というと「本来は心躍る面白いテーマでも、平板かつ無味乾燥に書かなきゃいけないもの」という偏見を持っていたのだが(一般書とは違うお作法があることは存じ上げております…)、それはこの本にはまったくあてはまらない。

"Indian Migrants in Tokyo"の内容を簡単に説明すると、「日本に5年以上暮らしているインド人たちへの聞き取り調査をまとめたもの」ということになる。
だが、その内容はインタビュー記録や考察の羅列にとどまらない。
本書は、回答に協力してくれた人々や、著者本人(彼女も5年以上日本で暮らしている「当事者」の一人だ)の人生観と悲喜こもごもが込めらた、読みものとしても非常に面白いものなのだ。
ところが、洋書の研究書/専門書であるこの本はバカ高く、ハードカバーの書籍で16,510円、Kindle版でも6,510円もする(2021年5月時点)。
いくら面白いとはいえ、さすがに個人で買うのはちょっと厳しい代物である。
(幸運なことに、私はたまたま某大学の図書館で借りることができた)

率直に言って、この興味深い本を研究者だけに独占させてしまうのはもったいない。
日本語への翻訳と、もっと安価に読めるようになることを強く期待したいのだが、今回はその時の楽しみをうばわない程度に、この本の内容を紹介したい。


著者のMegha Wadhwaはデリー出身。
世界一周旅行を経験したという祖母の影響で日本に興味を持ち、日本企業での勤務を経て、上智大学のPDとして在日インド人の研究を始めた。(現在はベルリン自由大学に研究者としての籍を置いているようだ)
"Indian Migrants in Tokyo"はその7年以上におよぶ研究の集大成で、この本は、我々にとって遠いようで近く、近いようで遠い東京のインド人コミュニティを、同胞の目から覗き見るという、稀有な体験ができるものになっている。

以下、私が面白いと思った部分をいくつかのトピックとして紹介するが、これはこの本の章立てに沿っているわけではなく、独断で興味深いと感じたところをかいつまんだものだということをお断りしておく。



在日インド人は、宗教や言語や階層といったサブ・コミュニティではなく、「インド人」というアイデンティティの大きいコミュニティとしてまとまりがち!

ご存知の方も多い思うが、インドはひとつの国家でありながら、言語、民族、文化、宗教など、多様すぎるほどの多様性に溢れている。
こうした多様性は我々日本人には想像しづらいものだが、インドをひとつの国ではなく「ヨーロッパ」や「東南アジア」と同じような「地域」だと捉えると分かりやすい。
つまり、インドに28ある州が、国家と同じくらいの独自性を持ち、他と区別できる固有の文化や言語を持っているのだ。
さらに、地域や言語によって「ヨコ方向」に分けられるだけではなく、インドには、カーストや経済状況による「タテ方向」に分けられる階層も存在している。

こうした特性から、英米やドバイのようなインド系住民が多く暮らす国では、インド人たちは母国で属していた集団ごとに、別々のコミュニティを形成する傾向があるという。
(2015年の集計では、アメリカには450万人、イギリスには180万人、UAEには200万人のインド人が暮らしている)
ところが、日本で暮らすインド人は、増え続けているとはいえ35,000人程度で、そのうち東京とその近郊に暮らしているのは20,000人ほどに過ぎない。(いずれも2018年のデータ。地域的にはとくに江戸川区、江東区に多い)
こうした事情から、日本で暮らすインド人たちは、母国での地域、言語、信仰、階層といった壁を超えて、「インド人」としてひとつのコミュニティを作る傾向があるそうだ。
在日インド人たちのこんな言葉がそれを象徴している。

「私はアムリトサル(インド北西部パンジャーブ州)出身のシク教徒ですが、日本で最初にできたインド人の友達はオリッサ(インド東部)から来た女性でした。しかも私はいまだに彼女の宗教を知りません。結婚して東京に引っ越してきたとき、最優先だったのはインド人(の友達)を見つけることでした。(…中略…)夫には男友達が何人かいましたが、私は女友達を探していたんです。(…)その後、交友関係が広がって、今ではシク教徒も、そうでない人も、インド人の友達がたくさんいます」


アムリトサルとオリッサ州(現オディシャ州)はまったく別の言語や文化を持つ地域で、オリッサ出身の友人はおそらくシク教徒ではないはずである。
インド国内やインド人の多い都市に暮らしていたら、この二人は知り合うことすらなかったかもしれない。
また別の在日インド人はこう語る。

「ドバイに住んでいたときは、インド人がたくさんいたので、私は付き合う友だちを選ぶことができました。でも日本ではそんなに選択肢はありません。率直に言うと、(東京では)ドバイやインドにいたら絶対に付き合わなかったような友人も何人かいます。でもここでは、選んでなんかいられないんです。幸いなことに彼らのことを好きになることができましたが、最初のうちは、必要だったから付き合っただけでした。とても孤独だったので、誰もいないよりはましだったんです」

日本にいくつもある言語・地域によるインド人グループ(ベンガル人とか、タミル人とか)は、別のコミュニティ出身のインド人も歓迎して活動しているという。
はからずも、日本での暮らしが、彼らに「インド人」というより大きな帰属意識を感じさせているのだ。



インド人が日本の暮らしで困ること

インド人が日本で暮らすうえで困ることのトップ3は、「言語」「住居」「食生活」。

とくに言語に関しては、古い時代に移住してきた人ほど苦労が大きかったようだ。
彼らのほとんどが流暢な英語を話すが、日本人には英語すら通じないことが多かったからだ。
今では日常生活での言葉の問題は比較的少なくなってはきたものの、こと仕事の場面では、今でも言語面で苦労することが多いという。
そりゃそうだ。
ビジネスで使う日本語は、日本人でも難しい。
言語も文化も全く違うインド人が、話し言葉とは全く違う「平素は格別のご高配を賜り〜」なんて文章を読んだり書いたりするのは苦痛以外の何ものでもないだろう。
(というか、この手のビジネス文はほとんどの日本人にとっても苦痛でしかないと思う)
そのため、海外でのキャリアを追求するインド人の多くは、せっかく日本に好印象を持っていても、日本に見切りをつけて、英語が通じる欧米やシンガポールなどに渡ってしまうという。
(ちなみに日本特有の職場カルチャーについては、合う人も合わない人もいるようだ)
今では世界中に広く知られている通り、インドはITなどの分野で多くの優秀な人材を輩出している国である。
彼らが日本に定着しないということは、日本がそのまま世界市場から遅れをとってゆくことを意味する。
こうした理由で日本を離れる才能ある外国人はきっとインド人以外にも多いはずだ。
日本人としてなんとも耳が痛い話である。


「住居探し」については想像の通り。
ここでも日本の排外主義的な側面(もう少しマイルドに言うなら、外国人を苦手に感じる側面)が彼らの壁となっていて、読んでいてなんだか申し訳ない気持ちを覚える。

興味深いのは(と言っては申し訳ないが)、食に関する問題だ。
インドにはベジタリアンが多く、またノンベジタリアンであっても、日本で一般的な牛肉や豚肉を食べる習慣はほとんどない。
魚を食べることも沿岸部など一部の地域を除いては一般的ではないし、味付けも、出汁や醤油がベースの日本と、マサラの国インドでは全く異なる。
インド人が日本で食べ物に苦労していることは想像にかたくないが、その解決方法はなんともユニークだ。
ベジタリアンの間では、食べられるものが見つからないときに、マクドナルドでパティ抜きのハンバーガーとポテトフライを頼んで、バンズにポテトフライを挟んで食べるというライフハックが浸透しているという。
それが美味しいかどうかは別にして、彼らのたくましさと工夫(いわゆるジュガール〔Jugaad〕の精神)には、いつもながら驚かされる。



インドと日本と男と女

インド人から見た日本の男性像・女性像は、奇妙に映ることもあるようだ。
かつて大阪のインド総領事を務めていたVikas Swarup(ヴィカス・スワループ。映画『スラムドッグ・ミリオネア』の原作の著者としても知られる)の"Accidental Apprentice"には、日本人である登場人物の亡き妻が夫に対して非常に献身的だったという記述が出てくるし、現代インドのベストセラー作家Chetan Bhagat(『きっと、うまくいく〔3 Idiots〕』や"2 States"といったボリウッド映画の原作者でもある)の小説には、日本企業の男性が女性社員を使用人のように扱う場面が出てくる。
インドも保守的な伝統の残る国だが、高い教育を受けてきたインド人にとっては、日本こそ今なお男性上位の保守的な文化の国という印象があるのかもしれない。(これは、この本には関係のない話)

"Indian Migrants in Japan"によると、インド人から見た日本人男性の印象は「会話が長く続かない」「ハードワーキング」「家族より仕事を優先」といったものだそうで、日本人女性には「いつも笑顔」「たくさん食べるのにスリム」「見た目にすごく気を遣ってる(目は私の方が大きいけど)」と感じているようだ。
日本人女性に対しては、インドの女性から「『カワイイ』に囚われることをやめて、もっとリーダーシップを発揮すべき」という指摘もあったが、男性からは「インドの女性より話しやすいし、お酒も一緒に飲めて良い」(インドでは大っぴらに飲酒する女性はまだまだ少ない)なんていう意見も。
ちなみにインド人女性から見ると、「職場ではインド人女性のほうが強いけど、家庭では日本人女性のほうが強い」とのこと。
これには全面的に同意!



日本に来たインド人はどう変わる?

男と女をめぐる話題は続く。
貧富の差の激しいインドでは、中流階級以上の家庭では使用人を雇うことが一般的だが、日本では家政婦は非常に高くつく。
そのため、ほとんどの家庭は夫婦だけでやりくりしなければならない。
このことは悪いことばかりではなく、「結果として、夫が家事や子育てに参加してくれるようになって良かった」という女性からの意見もある。
結婚早々に日本で暮らすことになったある主婦は、インドに帰ったら夫の家族と一緒に暮らさなければならないので、年長者に従わなければならないという恐怖感と、まわりにたくさんの人がいる環境で暮らせる期待の両方を感じているという。

様々な違いがあるとはいえ、インドの人たちにとっても、日本の社会が便利で安全であることや、時間に正確であることは、総じて高く評価されている。
日本で暮らした結果、インドに帰っても時間の正確さを求めるようになってしまう人もいるという。
面白かったのは、日本文化の影響を受けて、在日インド人社会では、インド的な部分と日本的な部分が奇妙に混ざってしまうこともあるという話。
例えば、日本で行われているインドのお祭りだと、スケジュール通りに進まないという時間にルーズな部分はインド的でありつつ、行列にきちんと並ぶところは日本的、なんてこともあるそうだ。

それにしても、この本に出てくるインド人たちの日本社会に対するコメントはいちいち面白い。
たとえば、「日本では社会性と協調性が尊重されているが、インドでは個人と一人一人の努力が重視されている」。
これには同意する人が多いだろう。
ビジネスについては、「日本人は6ヶ月で決めて1ヶ月で仕上げるが、インド人は1ヶ月で決めて、6ヶ月かけて仕上げる」だそうで、これも仕事文化の違いを見事に言い当てている。



在日インド人と信仰

インド人は総じて信仰に厚い。
また、祈りや瞑想といった精神的な活動を大切にしている人たちも多い。

著者もまた、日本での生活の中で祈りの場を求めて、まず仏教のお寺や神道の神社、キリスト教の教会を訪ねてみたという。
しかし、そこにインドの寺院のような祈りや心の平安を見出すことができず、当時中野にあったというヒンドゥー寺院を訪れることになった。
(しかしそこは彼女が思っていた「寺院」とは違って…と話はさらに続くのだが、今は割愛する)
こうした記述からは、日本に暮らすインド人たちが、精神文化を非常に大事にしていることが分かるし、寺院や教会が、宗教的な意味だけでなく、社会的、文化的な集会所としての意味も持っているという考察もとても興味深い。

彼らにとって、信仰とは、自身と神とを繋ぎ人生の指針を示すだけではなく、家族やコミュニティの絆であり、アイデンティティでもある。
とくに、異国の地で子どもを育てる人々にとっては、自身の文化を引きついてゆくためにも、信仰の伝統を守ることは大きな意味を持つのだ。

この本では、ヒンドゥー教、イスラム教、シク教、ジャイナ教、キリスト教を信仰するインド人たちが、ここ日本でどのように祈りの場を設け、信仰生活を守って来たかについて詳細に記されているが、とくに興味深いのは、やはりヒンドゥー、シク、ジャイナ教といったインドで生まれた宗教の話だ。

なかでも、ターバンを巻いた姿ゆえに、日本では良くも悪くも目立ってしまうシク教徒たちの日本社会での奮闘は印象的だ。
彼らは、ときに警察に怪しまれたりしながらも、はじめは仲間が経営するレストランを借りて祈りの場を確保し、やがて専用の寺院を設けるに至る。
しかし、日本でシク教徒が戒律を守って生きるのは大変だ。
髪の毛やヒゲを伸ばすという戒律は上司の理解が得られないし、男の子が女の子と間違われるのをいやがって、髪を切りたがることもあるという。
日本で育った子どもたちが野球やサッカーのチームに入るためにターバンを巻くのをやめたり、逆にチームをやめてターバンを巻き続けることを選ぶケースもある。
こうしたトラブルだけではなく、電気店に務めるシク教徒が、そのターバン姿ゆえに人気となって、おおいに売り上げに貢献しているという例もあるというから、在日インド人の人生もいろいろだ。

各宗教の説明も丁寧で、さまざまな宗教施設での祈りや祭礼の様子も詳しく書かれており、本書はインドの宗教入門としてもよくできている。


本当はまだまだ書きたいのだが、もうずいぶん長くなったし、この本がいつか翻訳されたときの楽しみを奪ってしまうのは本意ではないので、このあたりにしておく。

最後まで面白く読ませてもらったが、できればもっと詳しく書いてほしかった部分もなかったわけではない。
ぜいたくを言えば、在日インド人の暮らしや社会に、他の南アジア諸国(ネパール、パキスタン、バングラデシュなど)出身の人々がどのように関わっているのかも知りたかった。
北インドで広く話されているヒンディー語とパキスタンの公用語であるウルドゥー語は極めて近い言語だし、インドの西ベンガル州とバングラデシュはいずれもベンガル語を公用語としている。
ここ日本で、南アジア出身者たちの国境を超えた営みが、どの程度、どのような形で行われているのか、そのあたりも今後の研究に期待したいところだ。

それから、取り上げられている移民の人選が、ホワイトカラーに偏っているように思えたのも少々残念だった。
できれば、我々が多く接するインド料理店で働く人々などのライフヒストリーも取り上げてもらえたら、より興味深い内容になったのではないかと思う。

とはいえ、これらはこの本の充実度から考えれば、あくまで些細なこと。

もう一度くりかえすが、この"Indian Migrants in Tokyo"はとにかく面白く、興味の尽きない本だった。
小林真樹さんの『日本の中のインド亜大陸食紀行』とか、高野秀行さんの『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』、室橋裕和さんの『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』と同じように、異文化に興味のある人だったら誰でも面白く読めること間違いなし。
日本で暮らすインド人の目線から見た我々の社会の姿に、はっとさせられることも多かった。
この本が翻訳され、日本でも多くの人に読まれるようになることを、祈ってやまない。




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goshimasayama18 at 13:39|PermalinkComments(0)インド本 

2021年05月10日

次世代の主流になりうるか? インドの「アンダーグラウンド・メインストリーム・ポップ」!


ご存知の通り、インドのポピュラーミュージックの主流は映画音楽である。

ところが、21世期に入った頃から、少しずつ状況が変わり始めた。
インドの経済成長による衛星放送の普及、そしてインターネットの発展にともなって、人々が様々な音楽を聴く機会が増えてきたのだ。
2010年代になると、そうした音楽を好む若者たちのなかから、多くのラッパーやロックバンドや電子音楽アーティストが登場した…というのは、いつもこのブログで紹介している通りである。

とはいえ、インド全体の音楽シーンのなかでインディペンデント・ミュージックが占める割合はまだまだ少ない。
都市部の若者を中心にファンやリスナーを獲得しているものの、圧倒的な規模や予算で市場を席巻する映画音楽には遠く及ばない。
やはり、いまでもインドの音楽シーンは、映画音楽を中心に回っているのだ。

それでも、桁違いの人口規模を誇るインドのインディーミュージックシーンはびっくりするほど多様だ。
なかには、インドらしさをまったく感じさせない、アメリカやイギリスのチャートの上位を賑わせそうなポップサウンドを作っているアーティストたちもいる。
いわば彼らは「世界のメインストリームの音楽を作っているインドのアンダーグラウンド・アーティスト」というわけだ。

今のところ、彼らの音楽はまだポピュラリティを獲得しているとは言い難いが、質の高い音楽を作っているアーティストも多い。
といわうけで、今回はそんなアーティストたちを紹介したいと思います。


手始めに、先日紹介した「日本語で歌うインド在住のインド人シンガー」Drish Tとも共演していたAnimeshの"Pressure on It"を聴いてみて欲しい。
ファンキーなリズムに乗ったキャッチーなメロディーは、ちょっとBruno Marsのアップテンポな曲を思わせるところもある。
ヴォーカルのFranz Dowlingはオーストラリアのブリスベン在住のシンガーだそうで、国籍を超えたコラボレーションであるという点もとても今っぽい。
AnimeshはDrish Tと同じチェンナイのKM Music Conservatory(A.R.ラフマーンが作った音楽学校)に通う学生とのことで、彼女と同年代なら、まだ20歳くらいということになる。
これから洗練されてゆけば、かなり面白い存在になりそうだ。


続いて紹介するのは、同じくチェンナイのポップアーティストKevin Fernandoが、プロデューサーのAshwin Vinayagamoorthyと女性シンガーのNivedita Lakraと共演した"Foxy".
Kevin Fernandoという欧米風の名前は、おそらく彼がクリスチャンの家庭に生まれたことによるものだろう。
プロデューサーのAshwin Vinayagamoorthyは、ふだんはタミル語映画の音楽を手掛けている人物のようだ。
ラフマーンも然り、いつもは地元のマーケットを意識した音楽を作っていても、こういう欧米ポップス的な引き出しも当然のように持っているというのが現代インドの商業音楽家の強みだろう。


3月にデビュー曲の"Summer Nights"をリリースしたばかりのAneeshは、ムンバイのエレクトロニック・ミュージックのプロデューサー。
ちょっとラテンっぽいリズムを取り入れた楽曲は今の気分にぴったり。
AneeshはAviciiやJonas Blue, KSHMRなどのEDMアーティストの影響を受けているという。
この曲のヴォーカルは、テキサス在住のシンガーソングライターBrandon Chaseで、ここでも国境を超えたコラボレーションが行われている。
インドのインディペンデントシーンには、欧米での生活や留学を経験したアーティストも多く、英語圏のシーンとの心理的・言語的な距離は我々が想像するよりもずっと近い。
他のアジア圏のアーティストと比較して、彼らのこうした点もグローバルな成功へのアドバンテージとなるはずだ。


Chirag Todiはインド西部グジャラート州アーメダーバードのプログレッシブロックバンドHeat Sinkのギタリスト。
ソロ作品の"Desire"ではファンキーな心地よいグルーヴを聴かせてくれている。
男性ヴォーカルはムンバイのバンドSecond SightのPushkar Srivatsar, 女性ヴォーカルはデリーのTania Nambier.
この曲はRolling Stone Indiaが選ぶ2020年のベストシングルにも選ばれていて、こうしたファンキーかつクールなグルーヴはインドの音楽好きに好まれているようだ。


もっとローカルなところだと、例えばこのAdhiraj Mathur.
まだ無名なミュージシャンで、情報はほとんど無いのだが、この曲は「シャワーを浴びているときに思いついて、ベッドルームでミキシングとマスタリングして、iPhoneでミュージックビデオを撮影した作品とのこと。
アナログビデオ風の映像の加工も最近インドのミュージックビデオでよく見られる傾向。
こうした映像が撮れるビデオカメラの時代には生まれていなかった若い世代が、アナログ的な要素を積極的に取り入れているのが興味深い(そもそも、もし生まれていたとしても、当時のインドにはこうした家庭用の映像機材はほとんど出回っていなかったはずだ)。
渋谷系の日本のミュージシャンが60年代や70年代の洋楽の影響を強く受けていたように、自分たちが持ち得なかった過去へのあこがれがひとつの原動力になっているのだろうか。


ムンバイのエレクトロニック系プロデューサーChaitxnyaの"You Broke Me First Flip"は女性ヴォーカルもの。
アーティスト名は'Chaitanya'と読むのだと思うが、おそらくは同名異人との混同を避けるために、名前を独特の綴りにするというのは、インドの有名人によく見られる手法だ。


ここまで紹介したアーティストたちは、インドのなかでもまだまだ無名で、YouTubeの再生回数も数百回から数千回、もっとも多いChirag Todiでもせいぜい15,000回程度の、ごくマイナーな存在に過ぎない。
オリジナリティーあふれるサウンドで、インドのインディペンデントシーンでより高い評価を確立しているアーティストたちも、コアなジャンルではなく、現代メインストリーム的な楽曲を手掛けている例が散見される。

例えば、日本にも存在しない和風のトラップ・ミュージックである'J-Trap'というジャンルを開拓し、最近ではヒップホップのビートメーカーとしても大活躍しているKaran Kanchan.
DIVINEのようなビッグネームとのコラボレーションでは、YouTubeで1,000万回を超える再生回数を叩き出している彼は、R&BシンガーRamya Pothuriとコラボレーションして、こんなキャッチーな曲をリリースしている。
ぶっといビートのイメージが強かったKanchanが、ここまでスムースかつポップな曲を手がけるのは非常に新鮮!
彼のビートメーカーとしての引き出しは非常に多く、最近ではDIVINEがコロナ禍で奮闘する人々に捧げた"Salaam"でのメロウなサウンドや、Shah RuleがMass Appeal Indiaからリリースした"Clap Clap"でのピアノを導入したビートが印象に残っている。


インディペンデント・シーンでの評価の高いムンバイのシンガーソングライターTejasは、この"Down and Out"でAviciiの"Wake Me Up"を思わせるカントリーっぽいメロディーと四つ打ちのビートの融合を試みている。
このブログでもこれまでにPrateek KuhadRaghav Meattleといった才能あふれるアーティストを紹介してきたが、彼の楽曲からもインドのシンガーソングライターのレベルの高さを改めて感じさせられる。


今回紹介したような「アンダーグラウンド・メインストリーム・ポップ」はまだ小さな潮流だが、彼らのポップセンスと、英詞での表現が得意という特性がうまく化ければ、インド国内のみならず、グローバルな市場で幅広いリスナーを獲得することも夢ではないように思う。
インドのインディー音楽に注目する立場としては、インドならではのユニークなサウンドを作っているアーティストも大好きが、こうした世界に通用するサウンドを作ろうとしているアーティストたちも応援したい。

彼らの今後の活躍に期待!




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2021年05月02日

iPadで奏でる古典音楽! 自由すぎるカルナーティック奏者 Mahesh Raghvan

インドでは、ジャズやロックやヒップホップなどの現代音楽と古典音楽との融合が頻繁に行われており、こうした新旧・東西を融合した音楽は、「フュージョン・ミュージック」と呼ばれている。

…なんていう書き出しの記事を、このブログですでに10本近く書いただろうか。






インド人の「あらゆるものを自分たちの音楽に取り込んでしまう」という傾向は、昨日今日に始まったものではない。
例えば、南インドの古典であるカルナーティック音楽ではバイオリンが主要な楽器として使われているし、古典音楽・伝統音楽で広く使われている鍵盤楽器ハルモニウムも、もともとはヨーロッパ発祥の楽器である。
インドの古典音楽に詳しい人なら、それに加えてサックスやギターや大正琴までもが、古典を奏でる楽器として使われていることをご存知だろう。(というか、古典音楽に全く詳しくない私でも知っている)


バイオリンもカルナーティック音楽に使われるとご覧の通り。
フレットのない構造を生かして、ダイナミックに上下する旋律を表現するさまからは、もはや西洋楽器の面影はまったく感じられない…


この床置き式のアコーディオンみたいな楽器がハルモニウム。
ハルモニウムはもはや西洋音楽で使われる機会は消滅してしまい、ほとんど南アジア専用の楽器として使われている。
この演奏はパキスタン〜インドで親しまれているイスラーム神秘主義(スーフィズム)の宗教歌謡カゥワーリー。

 
サックスの倍音豊かな音色は声楽にも近く、思ったよりも違和感なくカルナーティック音楽になっている。

 
さきほどのバイオリンの演奏を見て、フレットがないからああいう演奏ができるんだよな…と思った人もいるかもしれないが、ギターでもこの通り。
ちなみにギターはインド古典音楽で使われる場合は、インド風に「ギタール」と呼ばれるらしい(単にインド訛りの英語なのかもしれないが)。

大正琴は現地では'bulbul tarang'という名前で呼ばれている。
この演奏方法は、日本人の発想ではまず思いつかない。
インド人たちは、初めて触れる楽器と出会うたびに、古典音楽を演奏する方法を考えずにはいられないのだろうか。

おそらくだが、インド古典音楽の根底には、その音楽の本質を表すことさえできれば、定まった様式(使われる楽器や演奏方法)は問わないという哲学があるのだろう。

古今のインド人たちのフュージョンっぷりを見れば、彼らがどんな楽器で古典を奏でようと、もう驚くことはない。
そう思っていた私はまだまだ甘かった。

今回の記事の主役、Mahesh Raghvanを初めて見た時、私が考える「フュージョン」の限界は、インド人には遠く及ばないということを思い知らされた。
カルナーティック音楽をベースとしたフュージョン・ミュージックを演奏する彼がプレイする「楽器」は(それを楽器と呼ぶなら、だが)、なんとiPadなのだ。

18世期に作られたこの古典楽曲の、1:23から始まるソロに注目!
Mahesh RaghvanがプレイしているのはGeoshredというiPadのアプリである。
iPad上に表示された音階をなぞることで、フレットレスの弦楽器と同じように無段階に音程をコントロールすることができるこのアプリを利用して、彼はカルナーティック音楽特有の大きなビブラートや微妙な音階を自在に表現している。

この"ShiRaga2.0"は18〜19世紀の作曲家Tyagarajaの作品をダブステップにアレンジしたという意欲作。
彼らは'Carnatic 2.0'と称して、カルナーティック音楽を現代風にアレンジする取り組みを進めている。
こうした取り組みは、インドではMaheshに限ったことではなく、たとえばロックバンドではPinapple Expressがプログレッシブ・メタルとカルナーティック音楽との融合に取り組んでいる。

Maheshは、純粋な古典音楽を追求するというよりは、あくまでも古典の要素を新しい形で表現するということに興味があるようで、彼のYouTubeチャンネルでは、現代のヒット曲や映画音楽をカルナーティック・スタイルで演奏した動画が何百万回もの再生回数を叩き出している。


「ホグワーツがインドに開校したら…」という設定も面白い『ハリー・ポッター』のインド風カバーは、1,000万回再生にも迫る勢いだ。
 
ホグワーツのインド校にはきっとサイババみたいな見た目の校長がいることだろう。

スターウォーズの『帝国のマーチ』をインド風に演奏すれば、ダースベイダーもボリウッドダンスを踊りそうな雰囲気に。
スターウォーズが黒澤明の時代劇映画影響を受けていることはよく知られているが、もしジョージ・ルーカスがインド映画に影響を受けていたらこんな雰囲気になっていたのだろうか…。

Luis FonsiとDaddy Yankeeの大ヒット曲"Despacito"もタブラやバーンスリーを交えた編成で演奏すればこの通り。
ラテンのリズムとメロディーがここまでインド的なアレンジに合うとは思わなかった。

同じ編成で演奏したMaroon 5の"Girls Like You"も聴きごたえたっぷりだ。

インド古典音楽は国内外にこだわりの強いファンが非常に多いジャンルなので、彼らがMaheshの演奏を聴いてどう感じるのか、気になるところではあるが、YouTubeのコメント欄を見る限り、インドでは好意的に受け止める声ばかりのようだ。

師のもとで一生かけて追求するほどの深さを持ちながら、これだけの自由さとフットワークを持ったインド古典音楽は、現代社会における伝統芸能として、理想的なあり方をしているように思える。

インドの音楽シーンとiPadの関わりといえば、今日のインドのストリートラップブームの火付け役となったNaezy(映画『ガリーボーイ』の主人公ムラドのモデルとなったことでも有名)が、出世作となった楽曲"Aafat!"をiPadのみで作ったことが知られている。(ビートをダウンロードし、マイクを繋いでラップを吹き込み、ビデオクリップを撮影してYouTubeにアップロードするという行為を全てiPadのみで完結し、新しいストリートラップのあり方を提示した)
インドには"Jugaad(ジュガール)"という「今あるもので工夫して、困難を解決する」という発想があるが、インド人とiPadの組み合わせは、音楽界に無限の可能性をもたらしてくれそうだ。



…と、ここまで書いて記事を終わりにしようと思っていたのだが、もうひとつインド古典音楽に合いそうな楽器を思いついてしまった。
それは、1920年にロシアの発明家が作り出した「世界初の電子楽器」テルミンである。
かつてインドが、ソビエトとの経済的なつながりが強かったことを考えれば、テルミンで古典音楽を演奏する人がいてもいいはずだと思ったのだが、ちょっと調べた限りでは、「古典テルミン奏者」は見つけられなかった。

無段階に音程を調整でき、ビブラートも自在なテルミン、インド音楽にぴったりだと思うんだけどなあ。

インド古典音楽界に新風を巻き起こしたいあなた。(誰だよ)
テルミンが狙い目ですよ!
動画をYouTubeにアップすれば、注目されること間違い無し!


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(追記)















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