2018年01月13日

Rolling Stone Indiaによる2017年ベスト・アルバム!

Rolling Stone India誌が選ぶ2017年のベストアルバム10枚が発表された。

昨年はロック、ポップス、ヒップホップともにインドのインディーズ(略して印ディーズ)始まって以来の豊作だったとのこと。

記事はこちら


順位は以下のとおり。

各ミュージシャンの出身地とジャンルも添えて紹介します!

 

1. Prabh Deep: Class-Sikh  デリー ヒップホップ

 アルバムタイトルを見てわかる通りシク教徒のラッパーで、これがデビューアルバム。
10月のリリース以来、大きな話題になっている作品。
デリーのヒップホップシーンはボリウッド系の華やかな(軽薄な)印象が強いけど、こうしたよりリアルな題材を扱ったシーンもちゃんとある。

知的かつ叙情的なトラックはデリーのトラックメーカーSez on the Beatによるもの。

2曲ほど紹介してみます。



 

2. Blackstratblues: The Last Analog Generation ムンバイ ロック(インスト)

 その名に違わぬ、ポストロックや打ち込みの要素を一切含まない70年代風ギターインスト!

 2017年のアルバムからのビデオがないので、こちらで聴いてみてください。

 一音一音に心地よさのあるギターがジェフ・ベックを思わせる、最近いないタイプのギタリスト。

 3位のTejasがゲスト参加している曲「Love Song To The Truth」もAOR風で、まったく「今」を感じさせないこのアルバムが2位っていうのも凄い!

 

3. Tejas: Make It Happen ムンバイ ロック(シンガーソングライター)

 70年代的な要素に現代的・都会的なニュアンスもあるロック。

 レニー・クラヴィッツとかMaroon5とかSuchmosあたりを思わせるところがある。
 

 

 

4. Skrat: Bison チェンナイ ロック

 こちらもニューアルバムからのビデオがなかったのでこちらから音をどうぞ。

 オルタナっぽかったり、例えばニュージーランドのDatsunsみたいな70年代ハードロックリバイバル的な雰囲気のある曲も。
 

5. Menwhopause: Neon Delhi ニューデリー ロック

 これも最新アルバムからビデオになっている曲があんまり良くなかったので、こちらから音だけ聴いてみてください。

 例えばFranz FerdinandRadioheadっぽいUK色が強い曲、流麗なピアノソロがある曲、ちょっとプログレっぽい曲など。

 

 

6. Gutslit: Amputheatre ムンバイ デスメタル

来た!ブルータル・デスメタルバンド!演奏も上手い!ドラムとかやばいよ。

シーク教徒のベーシスト(6弦ベース!)はメタルらしくターバンも黒で決めてる!

こんな常識や世間体なんかクソ喰らえみたいな音楽やってるのに、戒律を守ってターバンはちゃんと巻くんだなあとしみじみ。

インドのデスメタルは結構盛んらしく、他にも面白いバンドがいるのでいずれ紹介します。

 
 

7. Kraken: LUSH デリー ロック

なんと日本のアニメや文化から影響を受けているバンドとのこと。

デリーには他にも日本文化に影響を受けたTarana Marwahというエレクトロニカのミュージシャンもいる。

なにかと欧米志向の印象が強いインドでも日本のサブカルチャーは一定の存在感を放っているみたいだ。

ビデオも日本のジブリの森?


 

8. Joshish: Ird Gird ムンバイ ロック

ポスト・プログレ(post-prog)バンドとして紹介されていて、そういうジャンル名は聞いたことがないけど、ポスト・ロックと呼ぶにはプログレ色が強くて、そう呼ぶのがいちばんしっくりくるバンド。

リズムチェンジや変わったコード感のバッキングが印象的。

 

9. Disco Puppet: Princess This バンガロール エレクトロニカ

インドのエレクトロニカは他のジャンルと比べてもかなりレベルが高いと思っているのだけど、これまた素晴らしく不思議な雰囲気のバンド。
アンビエントっぽかったり、ドラムンベースっぽいところがあったり。

中心人物のShoumik Biswasは同じくバンガロールのポストロックバンドSpace Behind The Yellow RoomのドラマーとカルカッタのポップロックバンドMonkey In Meのドラマーも勤めているとのこと。

カルカッタってずいぶん遠いけど大丈夫なのか。


 

10. Aswekeepsearching: Zia  アーメダーバード ポストロック

個人的にこのバンドは凄く良いと思うなあ。10位じゃなくてもっと上でいいのに!

心地よい静かなパートから激しい部分まで、詩的かつ映像的なサウンドが素晴らしい。インドはポストロックが結構盛んなようだけど、酒も飲めないグジャラート州にこんなバンドがいるなんて!
 

Rolling Stoneという媒体の性質なんだろうけど、無国籍というかインド色の薄いものが多い中、社会派の1位と日本風味の7位が際立っているというのがアタクシの印象。
それにしてもヒップホップから70年代ロック、デスメタル、ポストロックまでというバラエティーの広さは凄い。

世界的な視点で見たときに、各バンドのサウンドに圧倒的なオリジナリティーや革新性があるかと言われるとそういうわけでもないけど、日本でもよくあるように、「まるで本場」みたいなサウンドが評価されてのランクインと思われる。
あんまりインド色の強いサウンドは敬遠してみました、みたいなね。 

あとなんか頭が良さそうなバンドが多いよね。

バカです!ロックです!みたいなのは少なくともこの中にはいない。

Rolling Stone Indiaの好みなのか、インドでロックはけっこう上流説を裏付けるものなのか。

面白いバンドにもたくさん出会えたので、そのうち細かく紹介したいと思います!



2018年01月12日

Yeh mera Bombay, not Mumbai!

さて、今日は、前回ムンバイのラッパー、Divineの曲「Yeh mera Bombay」(This is my Bombay)を紹介したときに考えたことを少し書きたいと思います。

なぜYeh mera MumbaiではなくYeh mera Bombayなのか?って考えたときに、ひょっとしたら音の響き以上の理由があるかもしれない、と思ったのがことの発端。

もっかい聞いてみましょう。



曲の最後(2:15あたりから)に、ムンバイでなくボンベイと呼ぶことを説明するかのように、英語で「I love my city. You could change the name. But you know what it is. Same old Bombay」という語りが入ることに注目。


前回書いたように、ボンベイは1995年にムンバイに改称された。

この頃から、ムンバイでは、通りの名前から駅の名前にいたるまで、イギリス植民地時代の名称がインド固有の名称にどんどん改称されていて、植民地時代の名称を一掃する運動が進められている。

そんなわけで、久しぶりにムンバイに行く人のために、新旧の通りの名前一覧のサイトもあったりする。



海辺の大通り「マリン・ドライブ」みたいな、かなり有名な通りの名前でも、構うこたねえって感じでインド由来の名前にがんがん変えられていて、ムンバイの玄関口の駅の名前も、1996年には「ヴィクトリア・ターミナス」から、かつてこの地方を支配していたマラータ王国の創始者の名を冠した「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス」に改称され、さらに2107年にはチャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ターミナス駅に改められている。

「マハーラージ」は「偉大な王」を意味する尊称なのだけど、いくらなんでもここまでしなくてもいいんじゃないか、という意見が地元でも囁かれていたりもする。


これが世界遺産にも登録されているその駅舎(wikipediaから)。
CHATRAPATI_SHIVAJI_MAHARAJ_TERMINUS



植民地時代の呼称から地元の言語への変更はインド中で行われていて、カルカッタはコルカタに、マドラスはチェンナイに、ITで有名なバンガロールはベンガルールに改名された。

この動きは一見良いことのように思えるけれども、ムンバイの場合、この地名改名運動を主導しているのがナショナリズム政党であるシヴ・セーナーだというのがややこしいところ。

インドのナショナリズムは、一般的にはヒンドゥー・ナショナリズムと呼ばれるもので、いわゆる「ヒンドゥー至上主義」。

簡単に説明すると、母なる大地インドはヒンドゥー教徒のものだという考えで、イスラム教を敵視し、キリスト教は堕落した西洋の文明をインドにもたらす害悪、と考える排外主義的な側面が強い。

(以前紹介したSu Realの記事でも少し触れた通り)

ところが、このシヴ・セーナーのややこしいところは、ヒンドゥー至上主義だけではなくてマラータ至上主義という側面が非常に強いこと。

これは、ムンバイを含むマハーラーシュートラ州、その中でもマラーティー語を話す人たちのナショナリズムで、攻撃の矛先は他州から移住してくる人たちにも向けられる。

ムンバイでは、このシヴ・セーナーと対抗すべく、中央で政権を握るBJP(インド人民党。これもヒンドゥー・ナショナリズム色が非常に強い政党とされている)も州のマジョリティーであるマラータ人の歓心を買うために、植民地時代の地名を改名しているというから、きりがない。

しかも、改名するにしても、その地域になんの関係もない女神の名前とかに慣れ親しんだ地名が変えられることもしばしば。

当然、こういう動きに批判的な意見もあって、「こんなバカバカしいことやめようぜ」という記事もあったりする。

現代インド文学の大作家、ロヒントン・ミストリーの小説「かくも長き旅」でも、パールシー(ゾロアスター教徒)である主人公とクリスチャンの友人が、シヴ・セーナーによってムンバイの地名がどんどん変えられてしまうことに対して、「故郷が無くなってしまうようだ」と嘆く場面が出てくるのだが、ナショナリズムの埒外にいる人間にとっては、かなり居心地の悪い状況なのだろう。

前回書いたように、DIVINEもクリスチャンで、マラーティーではなくヒンディー語が第一言語のようだ。

彼がムンバイではなくてボンベイをその曲名に選んだことには、スラムの生活改善よりも人気取りの地名変更ばかり行っている政府へのプロテストの気持ちが込められているのかもしれないと思った次第。



ふと思い出したけど、2010年から活動しているムンバイのヒップホップ/レゲエユニットのBombay Bassmentもムンバイではなくてボンベイをその名に選んでいる。



彼らはケニア出身のBobを中心メンバーとした面白いユニットで、いずれ紹介したいと思います。

インドの地名(駅名)改名についてはこの記事も詳しい。

BJPの主な支持基盤が、ビジネスマン、マールワーリー(ラージャスタン、グジャラートあたりをルーツに持つ商人カーストで経済的な力が強い)、ジャイナ教徒だなんて知らなかった。

それでは今日はこのへんで!

2018年01月08日

ムンバイのHip Hopシーンを代表するスラム出身のラッパー DIVINE

さてさて、本日紹介しますのは、ムンバイを代表するラッパー、DIVINEさん。

以前紹介した通り、インドはデリー、バンガロール、ムンバイと街ごとにカラーが違うシーンがあるのだけど、DIVINEさんはムンバイを代表するラッパー。
おさらいするとムンバイのシーンはエンタメ色、アート色よりもかなりストリート色が強いのが特色。

まずはレペゼンムンバイって感じのこの曲から!



かっこいい!

この曲は2014年にRolling Stone India誌でベストビデオに選ばれたとのこと。
Yeh mera Bombayっていうのは、「This is my Bombay」って意味。

ご存知の通りボンベイはアタクシの名前にもさせてもらっているインド最大の都市ムンバイの1995年までの名前。
この曲に出てくるムンバイは高層ビルが並ぶ超近代的なオフィス街やオシャレ都市ではなく、貧しい人々が暮らす下町エリアだ。
高級スーツを着たビジネスマンでもボリウッド俳優でもなく、チャイ屋のオヤジとか、通りに面した床屋の客とか、オートリクシャーの運転手なんかが「これが俺のボンベイだぜ!」と連呼する。

ヒンディー語、偉そうなこと言っているくせにに全然分からないんすけど、この曲に関しては英語に翻訳しているサイトがあった。

このサイトの通りだとすると、拙い訳ですが歌詞はこんな感じ。


 (ヴァース1)
 俺の真実は道端の塵に隠れている
 新しい1日 だが通りはいつもと同じ
 このあたりには花も咲かない イバラが繁るだけ
 自分のプライドを売り渡すよりもストリートで生きていたい
 俺はこの街と結婚したんだ この街角が俺の恋人

 (ヴァース2)
 俺を傷つけてみな どうせ届かないだろうけど
 お前が従業員なら雇ってるのは俺の友だち
 俺の言葉こそ この炎が燃え上がる理由
 最近じゃ俺はゴヴィンダのポット※みたいに爆発寸前
 俺の母さんを馬鹿にしたら張り倒すぜ

 (ヴァース3)
 このジャングルの陰の部分
 ここじゃ政治家はヤギの群れの中の畜殺者
 俺たちは自分たちのための戦士
 救い主とは名ばかり ここじゃ警官はチンピラと同じ
 これが俺のボンベイ 誰もがそう言う

 (ヴァース4 英語)
 ここがバッチャン※2の住む街 テンドゥルカール※3もプレイしてる
 アンバーニーの※4金もある 芝居じゃない本物のスラムドッグ
 テロリストの攻撃だってあるが
 俺たちは街を再建するだけ 競技場のジャマイカ人※5よりも速く
 ハトの群れ 道路の窪み ヤシの木陰
 俺は日曜日のチキンみたいにスラムに住んでる
 クリケットやってる奴らの代表
 とにかく金を手にするために必要なことをするだけ

 (ヴァース5)
 もし本を手にしていないなら 手には自分自身の気持ちを持ってるってこと
 この国の王様 この街にはタージ※6がある
 食えなくてもいいって奴もいる 友だちはみんな仕事を持ってる
 若いの、ここじゃ誰もが成功を望んでる
 線路、おばあちゃんの杖、オフィスの蜘蛛、スラム街、オートリクシャー
 この街みたいな場所は他にない
 信じないなら誰かに聞いてみな

 俺はこの街を愛している 名前を変えたって 昔と同じボンベイさ


※1どうやらムンバイのお祭りで行われる組体操みたいなものみたいです  
※2 名優アミターブ・バッチャン。
※3 クリケットの大スター選手
※4 ムケーシュ・アンバーニー。インドの実業家。フォーブス誌による世界長者番付の2008年度版で第5番目の長者になったインド最大の民間企業であるリライアンス・インダストリーズの会長。
※5 ウサイン・ボルトのことと思われる。
※6 ムンバイの歴史ある超高級ホテルのタージ・マハル・ホテルのこと。アグラの霊廟タージ・マハルの名を冠したこのホテルはイギリス統治下のボンベイで、インド人であることを理由にホテルへの宿泊を断られた大富豪ターターが、それならば自分でホテルを作ろうと建設した。



ところどころ訳が意味不明なのは、韻を踏むためか、俺の英語力不足のせいだと思う。
問題だらけの街だけど、ここが俺の故郷なんだぜ、っていう街への愛着を歌った曲。

あえてボンベイと昔の名前を使っているのはリズムに乗せやすいからかな。
途中でボンボボンボンボボンベーイ!(カタカナで書くと超間抜け)っていうキメが出てくるけど、ムンムムンムンムムンバーイ!じゃ締まらないもんね。
最後のヴァースは自身の生い立ちのことと思われる。


続いては2016年のこの曲!



こちらもヘヴィーなトラックでかっこいい!

ヒンディーの部分は分からないけど、I was raised in the gutter, I know what is hunger, I’m the voice of the streets ってところから、ストリートで育ってきたことを歌っているものなんじゃないかと思います。


続いて他のアーティストとコラボしている曲をいくつか紹介!



これは同じくムンバイのラッパーNaezyとやってる曲。
ビデオはYeh mera Bombayと同じムンバイの下町練り歩きパターンで、地元意識の強いひとなんだなと思う。

Naezyはいつかきちんと紹介したいムスリムのラッパーです。



こっちはアメリカ生まれのインド系シンガー、Raja Kumariとの共演。
彼女もとても面白い存在なので、いずれ紹介します!


DIVINEの本名はVivian Fernandes.

本名が西洋風の名前なのはクリスチャンの家系だからで、DIVINEという名前も敬虔なクリスチャンであることが理由で名乗っているそうだ。
ムンバイのアンデリー(Andheri)という地区のスラムで生まれ育ち、家庭環境はというと、小さい頃に父親が出て行ってしまい、母と兄は海外に出稼ぎに行っていたため、祖母に育てられたという。

学校の友達が50 centのTシャツを着ていたことがきっかけでラップに興味を持った彼は、祖母のCDプレイヤーで50centやEminemのCDを聴いてラップを覚えた。
やがてアメリカのクリスチャンラッパー、Lecraeが神についてラップをしているのを聴いて衝撃を受け、自分でも同様のラップを作り始めたのがキャリアのスタートとなったようだ。

最初は英語でラップしていたが、やがてヒンディー語に切り替えてスタイルを確立した。
ムンバイのあるマハーラーシュトラ州の公用語はヒンディー語ではなくてマラーティー語だけど、彼の育った地区ではヒンディーが話されていたようで、このへんは多言語国家インドの大都市ならではと言える。

友達が次々と安定した仕事につく中、ラップを続けていた彼はソニーと契約を結び、スターへの道を歩むこととなった。

これは大会場でのライヴシーンもある2017年のミュージックビデオ。
でもあいかわらず下町練り歩きもしているけど。



最近ではトラックメーカーNucleyaとコラボしてPaintraっていうボリウッド映画の曲もやっている。



インドでは、「メジャー」イコール「映画の曲」みたいなところがあるから、ムンバイのスラムからHip Hopドリームを叶えたってことなのかもしれない。


締めは、インドのウェブサイト、VERVEのインタビューから、DIVINEのこの言葉で。

“Hip-hop is a lifestyle and you can embody it through dance, by making music or through the console, using any language that comes naturally. Being a fan or a manager or writing about it makes you a part of the movement too. It doesn’t matter how you contribute to the culture as long as you do what feels right to you.”

−ヒップホップは生き方だ。ダンスでも歌や演奏やDJでも、自然と湧き上がってくるどんな言語を通してでも、誰もが具体化することができるんだ。ファンになることや、マネジメントに関わることや、ヒップホップについて書くことでもこのムーブメントの一部になることができる。自分にとって正しいと感じることをする限り、君がこのカルチャーにどんなふうに貢献してるかなんてことは関係ないのさ。
続きを読む

2018年01月06日

インド少数民族アート・ミーツ・ブルース!!「Brer Rabbit Retold」

「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」@板橋区立美術館に行ってきた。

この企画展は、チェンナイにあるタラブックスという出版社による、インド先住民族(アーディヴァーシーと呼ばれる)の絵画を用いた絵本の原画を中心に展示したもの。

はて、ユーラシア大陸のど真ん中のインドで先住民族とはなんぞ?と思う向きも多いと思うのですが、彼らはインドにアーリア系民族、ドラヴィダ系民族が来る前から暮らしていた人々で、今でもインド各地に独自の文化を保って暮らしている。

つまり、数千年〜数万年前から自分たちの独自性を維持して暮らしている人たちというわけだ。

その中でも、とくに独自の伝統絵画で有名なゴンド、ミティラー、ワールリーなどの部族の絵描きたちに、インドや世界の民話や伝承をモチーフにイラストを描いてもらったものが展示の中心になっている。

こう言ってはなんですが、はて、こんなニッチというかマイナーな企画に人が集まるのかいな、と思って行ってみたら、どうも複数のメディアに取り上げられたみたいで、会場は大盛況、チケット買うにも大行列!

 KIMG3997

 こんな自虐的なノボリがあったけど、いやいやどうして大混雑。

都営三田線の終点、西高島平から徒歩15分という、23区内で最果ての地みたいなところなのに。

 

KIMG3996

これはどうでもいいけど会場の近くの公園にて。

犬を連れこんで良いのか、ダメなのか、字が消えちゃっててわからない。

 
KIMG3998
 

会場内は撮影ほぼ全面OKだったのだけど、あっしは写真センスゼロかつ骨董品レベルの携帯では綺麗に撮れるはずもなく、作品の様子はタラブックスのサイトなどでご覧ください。「tarabooks」で画像検索などしてみるのもオススメです。

(日本語サイトはこちら


 

インドの少数民族とかインドの文化とかそういう予備知識を抜きにして、とにかく単純に美しくて力強い絵がたくさん楽しめました!

会場の盛況も、インド好きとか美術好きが集まってるってことじゃなくて、作品の普遍的な魅力によるものなんでしょう。

 
他にも、インドの手書きの映画ポスターとかマッチ箱とか、そういう今までアートと見なされていなかったものを取り上げたりもしている。
KIMG4009
 最近 政界に進出すると話題のスーパースター、ラジニもこの泥臭さ。
描かれている人が見切れてる人質っぽい人以外、みんな斧とか鞭とかナイフとか持ってるのも凄い。
 

展示されている作品は、アーディヴァーシーの伝統的な作品をそのまま持ってきたわけではなくて、現代的なセンスを持ったタラブックスの人たちとのワークショップによって、より西洋的にアーティスティックなスタイルで作られたもの。
いわば伝統ミーツ現代。 

このブログのテーマの一つは、「面白いものは境界線上で起きている!」ということなんだけど、どこか共通するものを感じる、とても面白い美術展でした。

 

さて、ここはインドの今の音楽を紹介するブログなので、関連する音楽ネタをひとつ。

西インドに伝わる礼拝用の布「マタニパチェディ」の作家と、アフリカ系アメリカ人の吟遊詩人アーサー・フラワーズによる共作の絵本「新釈ブレア・ラビット」という作品も展示されていたのですが、その絵本にあわせて、フラワーズがインド人ミュージシャンたちの演奏をバックに朗読した映像がこちら


これがまた凄くいい!

このアーサー・フラワーズさん、吟遊詩人と紹介されているけれども、もうほとんどブルースマンで、その語りからして完全にブルース!

ジャズとインド音楽の融合ってのはいくつか見たことがあるけど、ブルース・ミーツ・インドというのは新しい!

そしてこんなにはまるとは思わなかった!

アニメーション化されたイラストもすごく美しい。

このブレア・ラビットのブレアというのは「brother」の変形で、悩みを抱えるウサギが「笑いの国」を求めて旅に出かけるストーリー。

じつはディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンもこの話がもとになっている。

https://ameblo.jp/love-light-godbreath/entry-10661877559.html

今回はフラワーズさんも自分なりにアレンジして語っているみたいですね。

アフリカン・アメリカンの伝承である民話やブルースと、同じように苦難の歴史を重ねてきたであろうアーディヴァーシー(アーディヴァーシーたちは被差別的な立場に置かれ、貧しい暮らしをしているものがほとんど。行政上はScheduled Tribe=指定部族と呼ばれ、カースト外の指定カースト=Scheduled Casteと合わせてSC/STとして保護の対象になっている。)の美しい融合の紹介でした。

 

この板橋区立美術館の企画展は201818日まで!

終わる直前に紹介するなって話ですが、行く価値ありすぎ!

ちなみにアーディヴァーシーの美術については、バックパッカー界の大御所、蔵前仁一の「わけいっても、わけいっても、インド」で紀行もかねて詳しく楽しく知ることができます。
KIMG4021
 

それでは今日はこの辺で!



goshimasayama18 at 23:43|PermalinkComments(0)インド本 | インドよもやま話

2018年01月03日

インドと落語!インドの下町は江戸の長屋か

新年明けましておめでとうございます。
新年ってことでなんかめでたい感じの話題で書きたいな、と思ったので、今回のテーマは「インドと落語」!

唐突で申し訳ない。
あたくし、実は落語も好きなんですが、インドへの旅の経験とインドの小説をいくつか読んでみた結果、インドの生活ってどうやら相当落語っぽいところがあるぞ、と気がついた次第なのです。
というわけで、お年玉代わりにみなさんにこの発見を勝手にお裾分けさせてもらいます。
いらねえよ、とか言わないでおつきあいくださいませ。

まずは、インドの社会そのものが相当落語っぽいぞ、という話から。
インドの場合、そもそも貧しい庶民は長屋暮らしなわけで、そこに落語に欠かせない大家と店子の関係ってのがある。
インドの小説なんかを読むってえと、インドの大家はたいがい落語の「大工調べ」みたいな、義理も人情もない容赦ない悪役タイプと決まってるみたいなんですが。

それから貧富の差から奉公人制度(召使い、サーバントといったほうが良いのかな。最近じゃサーバントという言葉も前近代的ということであまりインドでも使わないようでもあるが)というのも今に至るまで残っていて、これまた落語的な社会制度が今日でも生きていると言える。

さらに、歴史的に生活の基盤となってきた「ジャーティ」(世襲的な生業による共同体。共同体ごとに貴賎の差もあり、いわゆる実質的な「カースト」)ってえのに基づいた「家業」があって、子が親のあとを継いで、徒弟制があって…というのも、今となってはだいぶ変わってきているけど、落語の世界(江戸〜明治)を思わせるところがあるってわけです。

あとはインドというのが一つの国でありながら、地理的、文化的に非常に広大だというのも、古い時代を彷彿とさせるところがある。
デリーとムンバイじゃ言葉も文化もだいぶ違って、江戸と上方みたいなものなのかもしれないし、いまでも大都会を離れると田舎はとことん田舎ってのも落語っぽい。
日本だと、違う街から出てきたら全然勝手がわからないとか、絵に描いたような「いなか者」ってもうフィクションに近いような気がするけど、インドだとまだまだリアリティーがある。

役人がいばってるのも封建社会の江戸時代っぽいような気もするし、道端のチャイ屋さんに若い衆がたむろしてたり、おかみさんたちが井戸端会議してたり、なんかあるとすぐ大勢寄ってたかって議論が始まったりするところとかも、いちいち落語っぽいよなあーと思うわけであります。
神頼みもみんな好きだしね。

あとインドって、街中の店だと定価制度じゃなくて、交渉して値段決めるでしょ。あのへんもすごく落語っぽいと思う。
落語でいうと例えば「壺算」。
水甕を買いに行くのに、高く売りつけられないように買い物上手の仲間を連れて行って甕屋と価格交渉するって筋なんだけど「大勢並ぶ甕屋の中でうちを選んでくれたんですから、勉強して3円50銭でいかがでしょう」ってところから始まるやり取りなんか、ものすごくインド的。
交渉して値切るのもそうだし、インドも、古い街だと生地屋なら生地屋、金物屋なら金物屋、って、同じ商売の店がまとまって並んでる。
ああ、あれって江戸と同じなんだなあって思う。
モノが水瓶ってのも、インドの田舎だとまだまだ現役だしね。

他の噺でも、例えば「猫の皿」のなんとかして値打ち物の皿を手に入れようっていうやり取りとか、「時そば」のしょうもないペテンとか、「インドっぽいなあ〜」って感じてしまう。
こんなふうに、インドは現代日本と比べて、ずいぶんと落語的っていうか、江戸的な世界だなあって思うんです。
古典落語って、今の日本だと、ある程度時代背景とか当時の社会のことを知らないと理解が難しい部分があったりするけど、インドだったらほとんど説明不要で通じるんじゃないかしら。
それだけ古い時代が残ってるとも言えるわけだけど。

英語で落語ができる噺家さんは何人かいるんだけど、インドでやるんだったら「進歩・教養・上流」の象徴である英語よりも、地元の言葉のヒンディー語とかベンガル語とかでやったらすごくはまりそう。
次に、インドの小説の中に出てくるエピソードで、「落語っぽいなあ」と感じたところをいくつかご紹介。(ちょっと長くなりますがご勘弁を)

例えばロヒントン・ミストリーの「A Fine Balance」(超名作なのに残念ながら未邦訳)は、仕立屋として暮らす未亡人のところに、彼女の友人の息子である学生(彼らはパールシーと呼ばれるゾロアスター教徒)と、故あって故郷から逃げてきたヒンドゥーの叔父・甥の二人組が住み込みの職人として働くっていう話。
この学生と甥っ子が、同世代同士、打ち解けて仲良くなってゆくところなんか、落語の若旦那と奉公人(出入りの商人も可)のやりとりみたいな面白みがある。
女主人(未亡人)の不在中に、2人で端切れでできた生理用品を「何だろこれ?」って投げあって大騒ぎして遊んでたら、気づかないうちに女主人が帰って大目玉を食らう、なんてシーンは、すごく落語的。

他にも、
「それを固くするために手でこする。それを中に入れるためになめる。何をしようとしてるか分かるかい」
「何って、そりゃセックスだろ」
「針に糸を入れるとこだよ」 なんていう小咄も出てくる。

スラムドッグ$ミリオネアの原作、ヴィカス・スワループの「ぼくと1ルピーの神様」(原題:Q&A)の中の武勲をたてた法螺吹き話をする元軍人のシーク教徒のじいさんの話なんかも落語っぽい。
悲劇的なエピソードではあるのだけど、長屋の仲間に「戦争の英雄だった」って話してたのが全部ホラだった、っていうしょうもない感じも非常に落語を感じる。
そもそも「ぼくと1ルピーの神様」自体が人情噺みたいなストーリーだし。

アラヴィンド・アディガの「グローバリズム出づる処の殺人者より」(原題:A White Tiger)っていう小説でも、主人公の貧しい運転手が、奉公先の奥さんが酒に酔って起こしたひき逃げ事故の身代わりに出頭することになって、
「刑務所に入ったらきっと他の受刑者にオカマを掘られるよなあ。そうだ、俺HIV持ちです、って言えばオカマ掘られないで済むかもしれない。でもそんなこと言ったらそういうのに慣れてると思われて余計オカマ掘られちゃうかもしれないなあ」
なんて悩むシーンが出てくるんだけど、この救いようの無さの中にどうしようもなく可笑しみが出てきてしまうあたりも、すごく落語っぽさを感じた。

面白いのが、ここで挙げた落語を感じる小説って、全部、貧しい層が主人公の話だったり、昔の話だったりすること。
イギリス出身でアメリカ国籍のインド系作家で、世界的に高い評価を得ているジュンパ・ラヒリとか、インド国内で大人気の、都会の中の上くらいの階級のトレンディドラマ的小説を書いているChetan Bhagatの小説なんかだと、いくら舞台がインドでも落語っぽい部分って見当たらないんだよなあ。

って、こんな発見を面白いって思ってるのは自分一人のような気もしないでも無いのですが、まあいいや、これにて新年の挨拶に代えさせて頂きたく候。
なんの画像もリンクもないのもさみしいので、写真はずいぶん若いころにインドのジャマー・マスジッドで撮った1枚。

今年もよろしくおねげえしやす。 
デリーにて若い頃
 


goshimasayama18 at 15:20|PermalinkComments(0)インドの小説 | 落語