2023年11月06日
ヨギ・シンとの対話(後編)
前回の記事
ヨギ・シンたちは世界中を渡り歩いて、路上で人の心を読む「技」を披露する。
魔法のように見えるその技にはもちろんトリックがあるのだが、彼らは、それは瞑想による特殊能力で、マジックではなく本当に心を読んでいるのだという。
その主張を100%信じるならば、彼らはパンジャーブの寺で貧しい子ども達を養っていて、世界中で占いをしながら寄付を募っているのだ。
…冷静に考えると、かなり無理のある話だが、プラディープとの会話を通して、彼らはたとえそのトリックを見破られても「そういうことをする愚か者もいるが、俺は違う」と、その設定を絶対に崩さないことがわかった。
彼らの技は、あくまでもリアルだというのだ。
この感覚、どこかで覚えがあると頭をひねっていたら、思いあたるものがあった。
それはプロレスだ。
プロレスは、選手同士がお互いの協力のもと技を掛け合って見せるという極めてエンターテイメント性の強い「格闘技」(というか、格闘技の形を借りたエンターテイメント)だが、あくまで「真剣勝負」としてリング上で演じられる。
プロレスラーたちは、ときにスーダン生まれの「黒い呪術師」とか「シカゴのスラム街の用心棒」とか、現実とは異なる荒唐無稽なキャラクターを演じて、ファンを沸かせる。(ちなみに前者はアブドーラ・ザ・ブッチャー、後者は名タッグのロード・ウォリアーズ。彼らの出身地も肩書きも完全なフィクションだ)
現実にはありえない離れ業をリアルとして見せ、現実とは異なるキャラクターを演じ切るという意味で、ヨギ・シンはプロレスと全く同じなのである。
プロレスに関して言えば、総合格闘技ブームとミスター高橋による暴露本(プロレスには勝敗や筋書きの取り決めがあり、それがどのように決められるかを詳述した)によって、いわゆる「リアルファイト」ではないことがファンに知れ渡ることになった。
だが、それでプロレスというジャンルが滅びることはなく、ファンは今では「お約束」を分かった上で楽しむものとして受け入れている。
ヨギ・シンをプロレスに例えるなら、彼らが行っているのは、そうした裏を知られることなく、ファンに「最強の格闘技」だと信じられていた昭和の時代のプロレスということになるだろう。
当時からプロレスを八百長だと批判する人がいたように、ヨギ・シンもまた、彼らの世界観を共有しない世界中の人たちから、「詐欺」として非難されている。
確かに、頼んでもいない占いをいきなりしてきて、法外な金を請求されたら気分が悪いのも分からなくもない。
とはいえ、こうしたグレーゾーンの不思議さを味わう余裕なく詐欺師呼ばわりするのはなんだかちょっと悲しい気がする。
私がプロレスファンだからだろうか。
私はヨギ・シンの正体を暴き、そのトリックをネット上で晒してしまったわけだが、決して暴露本を書いたミスター高橋になりたいわけではない。
まだプロレスがうさんくさくていかがわしいものと思われていた(しかしファンは最強の格闘技だと信じて疑わなかった)1980年代に『私、プロレスの味方です』という本を出版した、作家の村松友視になりたいのだ。
いくらその謎を解いても、プロレスにもヨギ・シンにもなお到達できない永遠の謎がある。
夢が覚めても、夢が終わるわけではない。
だんだん何を書いているのかわからなくなってきたが、プラディープとの会話はまだまだ続く。
「それじゃあ君はメディテーションをして、カレッジで学んで、ときに海外に出かけて占いをして、お寺のためにお金を稼いでいるってわけ?」
「うん。コロナのときは大変だった。世界中でコロナが流行していたからね」
パンデミックの時期には海外に行くことができず、占いで稼ぐことができなかったと言っているのだろう。
まだ若い彼は、コロナ禍の頃は占い師ではなかったと思うが、コロナは彼の「デビュー」の時期にも影響を与えたのだろうか。「じつはコロナの前、2019年にもこのあたりで君のような占い師に会ったことがあるんだ」
「日本でってこと? それはどんな人だった?」
と聞く彼に、当時遭遇報告をくれた人から送ってもらったターバン姿の男の画像を見せた。
「この右側に写っているターバンの人、知ってる?」
プラディープはしばらく私のスマホを凝視した後、
「知らないな。でも僕の先生なら知っているかもしれないから、聞いてみるよ。もし知ってたらあなたに伝える。この画面の写真撮ってもいい?」と彼は私のスマホの画像を撮影した。
撮影した目的は「自分たちが怪しまれて詮索されている」もしくは「自分たちとは別のグループが東京で活動していた」という事実をリーダー的な人物に報告するためだろう。
この写真を入手した経緯を伝えると、誰が撮影したのかと尋ねてきた。撮影した目的は「自分たちが怪しまれて詮索されている」もしくは「自分たちとは別のグループが東京で活動していた」という事実をリーダー的な人物に報告するためだろう。
「2019年のことだし、直接交流がある人じゃないから誰なのかは分からない。その人が君たちについてネガティブなことを言っていたわけじゃないよ。
でも、君のような占い師についてインターネットで調べると…そうだな、例えばグーグルで『シク 占い師』と検索すると、詐欺だと言っている人がたくさんいる。私はこういう状況が悲しいんだ」
「それ、見せてもらえる?」と身を乗り出した彼に、私は適当に検索して、ロンドンで、ターバン姿の占い師たちを詐欺として告発しているtiktokの映像を見せた。
「これは誰が言っているの?」
「分からないけど、ロンドンにいる人みたい。シクの占い師の詐欺だと言っている」
「これはシク教徒じゃないと思う。別の人たちだよ」
「とにかく、こういうのをシク教徒の占い師の詐欺だと言っている人もいるんだよ。
悲しいことだよ。あなたのことを詐欺師だといいたいわけじゃないけど」
「うん。こういう詐欺をする人もいるってことは知っている。寺もなければ先生もいないような人たちが、こういうことをしてお金を騙し取るんだ。明日国に帰ったら、寺の写真を撮って送るよ」
結論から言うと、彼からその写真は送られてこなかった。
論理的に考えれば、仮に彼から寺の写真が送られてきたとしても、それで彼のやっていることが詐欺ではないという証明にはならない。
彼の主張は「プロレスは八百長なんですよね?」と聞かれたときに、デスマッチでできた体じゅうの傷を見せて「この傷を見ろ!これでも八百長だって言うのか!」と答えた大仁田厚と同じ論法である。
大仁田の傷が本物だからといって、試合の勝敗が事前に決められていなかったことにはならないし、彼が寺の写真を送ってきたからといって、彼が本当のことを言っているかどうかは分かりようがない。
ここで注目したいのは、少し前に彼が「詐欺師たち」を「別の寺の人たち」だと言っていたのにもかかわらず、今度は「詐欺師たちはシク教徒ではなく、寺も師匠もない人々だ」と言っていることだ。
彼は、自身も(そう呼びたくはないが)詐欺師であるにもかかわらず、詐欺師の悪評をできるだけ自分のコミュニティから遠ざけようとしているのだ。
ナイーブすぎるかもしれないが、この言葉には少し胸が痛んだ。
プロレスに例えれば「なかには八百長をする選手もいる。うちの団体にはいないけどね」と言わざるを得ないプロレスラーの心境といったところだろうか。
別に悪いことをしているわけではないのだが、思わず彼をフォローする言葉を発してしまった。
「あなたを詐欺師だって言いたいわけじゃない。あなたは誠実な人でしょう」
「オーケー」
「あなたはまだ若い。上の世代の占い師は変われないかもしれないけど、あなたはこれから他のものになることだってできる」
率直に言うと君はいい奴だし、君みたいな人が詐欺師呼ばわりされるのは私も辛い、と続けようとしたのだが、彼は遮って、
「上の世代にはすごく力のある人たちもいる。何も必要としないで、ただ見るだけで相手のことが分かる人もいるんだ」
と自信を持って返してきた。
私にトリックを見破られているのに、彼は「自分たちの占いはリアルだ。俺はしくじったかもしれないが、先輩たちは本当にすごいんだ」と答えたのである。
総合格闘技の試合に負けたときのプロレスラーのような発言である。
それとも、もしかしたら本当に超能力が使える占い師がいるのだろうか?
「本物の占い師もいるのは分かるよ」
「うん」
「でも、他に詐欺師もいるでしょ」
「いろんな人がいる」
「ところで、どうして占いをする場所としてここを選んだの?」
「日本ってこと?」
「いや、このエリア(丸の内・大手町)のこと。はっきり言って、ここはベストな選択だよ。このあたりには大きい会社も多いし、お金持ちの人も多い。誰かがアドバイスしたの?」
2019年にこのエリアにヨギ・シンが出没した時から、私は日本に彼らをサポートし、助言している存在がいるのではないかとにらんでいた。
おそらくそれは、彼らと同じコミュニティ出身の、別の仕事をしている(例えばIT系のエンジニアとか)仲間なのではないかと考えている。
パンジャーブにルーツを持つシク系移民は世界中に散らばっている。
この説には自信があるのだが、プラディープは尻尾を掴ませるようなことは言わない。
「このあたりは英語を話せる人が多いからね。他の地域にも行ったけど、他の地域では英語を話せる人はほとんどいないから」
彼はこう答えたが、私が知る限り、これまで日本で丸の内、大手町、銀座以外の場所でヨギ・シンの出没報告が寄せられたことはない。
彼らは試行錯誤せず、最初から丸の内を選んでいた。彼はこう答えたが、私が知る限り、これまで日本で丸の内、大手町、銀座以外の場所でヨギ・シンの出没報告が寄せられたことはない。
ここがベストだと彼らに助言した、東京に詳しい人間が背後にいるはずなのである。
彼らの「仲間」について、もう少しつっこんで聞いてみる。
「今回、日本には一人で来たの?」
「そうだ」
前回会った時と同じ回答だが、これは明確に嘘である。
彼の出没とほとんど時を同じくして、このエリアで中年のターバンを巻いた占い師との遭遇報告も寄せられている。
彼の出没とほとんど時を同じくして、このエリアで中年のターバンを巻いた占い師との遭遇報告も寄せられている。
「この近くで、もっと年配のターバンを巻いた別の占い師を見たって言う人もいるよ。君の家族か友達じゃないの?」
「知らないな。さっきの写真の人のこと?」
「違うよ。あれは2019年に撮られた写真だ。写真は持ってないけど、最近そういう占い師に会ったって言っている人がいる。
50歳か60歳くらいのターバンを巻いた人に会って、貧しい人は5,000円、ミドルクラスは10,000円とか書いた紙を見せられたって。それで1万円払ってルドラクシャ(菩提樹の実)をもらったっていう人がいるんだよ。あなたの知り合いじゃないの?」
「いや、まったく知らないね」
「本当に?」
「本当だ。まったく知らない。このエリアで会ったのか?」
「そう。このエリアでターバンを巻いた占い師に会ったっていう人がいるんだ。SNSで見かけたんだよ」
「オーケー」
ここで私は、彼がオーケーと答えるとき、どこか自信のなさが漂っているということに気づいた。
「もしその人の写真があるなら、先生に聞いてみる。写真はあるの?」
「その人の写真はないんだけど、その人がくれたルドラクシャ(菩提樹の実)の写真はアップされているよ」
その遭遇者の方は、数日前に丸の内で会ったターバンを巻いた占い師に1万円を払い、このルドラクシャを「寝室に置くように」と渡されたのだという。
プラディープはこの画像も自分のスマホで撮影していた。
これ以上この話題を突き詰めても得られるものがなさそうなので、先日彼が見せてくれた「先生」の写真について、気になっていたことを聞いてみた。
「こないだ見せてくれた君の先生の写真だけど、ターバンを巻いていなかったよね? シク教徒っぽくなかったけど彼はヒンドゥーなの?」
「彼らは宗教を持っていないと言っている。ヒンドゥーでもシクでもないんだ。だから僕も先生がヒンドゥーなのかシクなのかムスリムなのか知らない。
人間は、生まれた時はシクとかヒンドゥーとかムスリムとか関係なく、ただの人間だ。でも人々には寺があって、ある人はシクだとか、ある人はヒンドゥーだとか、ある人はムスリムだとかいう。まるでジャーティーみたいにね」
プラディープは最初に「彼ら(they)」と言ったが、確かにインドにはこうした特定の宗教に依拠しない精神的指導者がいる。
彼の師匠もそうした導師の一人だと言いたいのだろう。
「ジャーティー」というのはカーストに基づく職能集団のことで、インドには、これによって優越感を持ったり差別したりする因習(われわれがイメージするいわゆるカースト制度)がいまだに残っている。
「じゃあこの先生は、宗教の指導者ではなく、精神的な指導者ってことだね」
「そう。彼らは神はひとつだと言っている」
「そういう考え方は好きだな。特定の宗教は信じてないけど、神の存在は信じているから」
「うん、いい考え方だね」
彼の精神的な「師匠」が実在するのかどうかは分からないが(それっぽい適当な写真を使っている可能性も高い)、このあたりの考え方には彼の本音が見え隠れしているようにも聞こえる。
インドの伝統的な思想のひとつであり、また現代的に言えばかなりリベラルでもあるこうした考え方は、彼の雰囲気に合っているように感じた。
ここでもうひとつ、以前からずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ところで、君たちみたいな占い師は、ほとんどの人がヨギ・シンと名乗っているよね」
「ヨギは『ヨガをする男』(ヨガ・マン)という意味だ。それは名前じゃなくて、ただのヨガという意味だよ」
「つまり本当の名前じゃないってことだね」
「そうだ」
「シンはシク教徒の男性がみんな名乗る名前だね」
「そう。つまりヨガ・マンという意味だ。名前じゃなくて、ヨガをやっている、メディテーションをやっているということだ」
「ヨギ・シンというのがこの占いをするシク教徒の名前だと思っている人はたくさんいるよ」
「あなたはスマホやインターネットでいろんなことを見て詐欺だと思っているようだね。僕も先生から詐欺をする人もたくさんいると聞いているよ」
ところで、今気づいたのだが、彼が使っている「瞑想(メディテーション)」という言葉は、「ヨガ」の訳語なのではないだろうか。
ヨガはもともと哲学であり瞑想法だが、日本や西洋ではエクササイズとしてのイメージが強い。
このあたりの誤解を招かないように、彼はメディテーションという言葉を選んでいるのかもしれない。
そのことに気づいている彼は、ヨギ・シンと名乗らなかったのではないか。
ヨギ・シンという名前についての会話から、話題はだんだんと彼の出自へと移っていった。
「君はずっと寺に滞在しているの?」
「うん。僕は寺で生まれた」
「それで君は今も寺のために働いているというわけだね」
「そう。そこは保護施設(シェルター)のようなところでもあるんだ」
「子ども達のための保護施設っていうこと?」
「そうだよ」
「デリケートな話題でごめん、君は両親なしで育ったの?」
「うん。両親ともいなかった。僕は両親を知らないんだ」
「それは大変だったね」
「今はそう感じていないけどね」
昨日は「占いは先祖代々の家業だ」と言っていたプラディープが、今日は自分は孤児だったと主張している。
どちらが真実かは分からないが、身寄りのない子どもたちが瞑想による超能力を身につけた導師がいる寺で育ち(じつはそれはトリックのある技術なのだが)、その技を身につけて世界中を旅して寺院の運営資金を集めているというのは、なんだかタイガーマスクみたいな話ではある。
しかし、この話を続けていると、そのうちお金を要求されそうなので、話題を変えてみる。
「そういえば、カナダでシク教のリーダーが殺されて、インドとカナダの間で国際問題になっているよね。インド政府が彼を殺したと言っている人もいるみたいだね」
今年6月にカナダで起きたシク教指導者ハルディープ・シン・ニジャールの暗殺事件について、彼に話を振ってみた。
この事件を受けて、カナダのトルドー首相は、ハルディープ師が「カリスタン運動」に関与していたためにインド政府によって暗殺されたとほのめかし、両国の関係は一気に険悪化した。
カリスタン運動とは、パンジャーブにシク教徒の独立国家建設を目指す動きのことだ。
この運動の支持者にはテロ行為も辞さない過激派もいて、彼らは1984年には弾圧への報復として時のインド首相インディラ・ガーンディーを暗殺し、1985年に329人が犠牲になったエア・インディア182便爆破事件を起こしている。
「そうだ。シク教徒を殺したと言ってカナダ政府がインドを批判したことで、問題になっている」
「このことについてどう思う?」
「カナダ人のこと? カナダの政府には好感を持っているよ。インドの政府は、シク教徒やムスリムを殺して、インドに住んでいいのはヒンドゥー教徒だけだと言っている。これは良いことじゃない」
インドの与党であり、モディ首相が所属するインド人民党(BJP)はヒンドゥー至上主義を基盤としており、とくにムスリムを排斥する傾向があるとして国内外からの批判を受けている。
しかしシク教とBJPの関係は決して険悪ではないと聞いていたので、この辛辣な批判には驚いた。
「BJPはかなりヒンドゥー至上主義的な政党だよね」
「うん。だから僕らはカリスタン(シク教徒による独立国家)が欲しいんだ。ヒンドゥスタン(インド)とパキスタンが分離したようにね。
パキスタンとヒンドゥスタンが分裂したとき、僕たちシク教徒は新しい国を作ることもできた。でも僕らは断ったんだ。インドと別々になりたくはないと言ってね。でも今になってインド政府はヒンドゥーこそが宗教だという。だから僕らはインドからカリスタンを分割したいと思っているんだ」
カナダのシク教徒ギャング団による資金が、カリスタン運動に流れているという話もある。
海外でグレーな活動に手を染めるヨギ・シンの一派も、こうした思想を持っているのだろうか。
「あなたはカリスタン運動を支持しているの?」
「いや、支持しているわけじゃないよ。僕がインドに住んでいること自体はとてもいいことだ。でももし政府がヒンドゥー教だけが宗教だと言ったら、それは良くないことだ。
僕らが政府に言っているのは、宗教はヒンドゥーだけじゃないということ。僕らは一つだ。シクもムスリムも平等だと言っている。宗教なんて意味はない。みんな人間だ」
今ひとつ彼の思想がわかりにくいが、前半の発言は、シク教徒の一般論としてのカリスタンに対する考え方で、後半が彼の個人的な意見ということだろうか。
それとも、思わず出てしまったカリスタン支持を隠そうとしているのかもしれない。
「1947年の分離独立のときにパンジャーブ地方も印パ両国に分割されたよね。分離独立の時、たくさんのシク教徒がパキスタン側からインドに移り住んだって聞いている」
「そうだ。僕もパキスタンから来た」
21歳の彼がパキスタンから移住してきたとは考えにくいから、彼の両親や祖父母がパキスタンから来たと言いたいのだろう。
だが、少し前に「両親を知らない」と言ったこととの矛盾に気がついたのか、彼はこう言い直した。
21歳の彼がパキスタンから移住してきたとは考えにくいから、彼の両親や祖父母がパキスタンから来たと言いたいのだろう。
だが、少し前に「両親を知らない」と言ったこととの矛盾に気がついたのか、彼はこう言い直した。
「僕の、僕の、えーと、僕の先生は、僕らはパキスタンから来たと言っている」
「僕ら」というのが、彼のコミュニティを指しているのかどうか定かではないが、これは興味深い情報だ。
なぜなら、ヨギ・シンの正体と目される'B'というコミュニティは、もともとその多くが現パキスタン領内にあるシアールコートという街に住んでいたと言われているからだ。
「パキスタンのどこから来たの?シアールコート?」
「いや、いや。分からない。ただ、僕の先生は僕らはパキスタンから来たと言った。
僕の両親もそんな感じだと言っていた。でも僕は両親は知らないから」
彼の回答はあいかわらず要領を得ないが、私が少し質問を急ぎすぎたのかもしれない。
昨日会ったときから、彼は明確に'B'のコミュニティの一員であることを否定していた。
私の質問の意図を感じ取って、うまくかわした可能性もある。
彼の回答はあいかわらず要領を得ないが、私が少し質問を急ぎすぎたのかもしれない。
昨日会ったときから、彼は明確に'B'のコミュニティの一員であることを否定していた。
私の質問の意図を感じ取って、うまくかわした可能性もある。
「じゃあ君は、自分のジャーティーを知らないんだね」
「そうだ。でも僕の先生は僕はシク教徒だと言った。だから僕は髪を切ってないんだ。髭は短くしているけどね」
彼の髪は肩くらいまでの長さで、髭は5ミリくらいに揃えられている。
シク教には、髪も髭も神から与えられたものであるから切ったり剃ったりしてはいけないという戒律がある。
今では全員が厳密にその教えを守っているわけではないが(髭や髪の手入れをしている人も多い)、彼が「髪を切っていないんだ」と言ったとき、その言葉は誇らしげに聞こえたし、「髭は短くしているけど」と言った時はすこしバツが悪そうに見えた。
彼の髪は肩くらいまでの長さで、髭は5ミリくらいに揃えられている。
シク教には、髪も髭も神から与えられたものであるから切ったり剃ったりしてはいけないという戒律がある。
今では全員が厳密にその教えを守っているわけではないが(髭や髪の手入れをしている人も多い)、彼が「髪を切っていないんだ」と言ったとき、その言葉は誇らしげに聞こえたし、「髭は短くしているけど」と言った時はすこしバツが悪そうに見えた。
「グッドルッキングだよ」というと、彼は照れくさそうにありがとうと言った。
ふと腕時計を見ると、彼がここを離れる時間だと言っていた17時を回っていた。
まだまだ聞きたいことはあったが、これから飛行機に乗って帰国するという話が本当なら、あまり引き止めるわけにはいかない。
「もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃない?」
「もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃない?」
「あと5分くらいは大丈夫だよ」
この返事には正直驚いたし、ちょっと感動した。
私は彼に占いを見破ったと言い、彼が隠そうとしていることをあの手この手で暴こうとしている。
私が彼の立場だったら、一刻も早く立ち去ろうとするだろう。
プラディープは私に、少しは親しみや安心感を感じてくれているのだろうか。
残りの時間で、聞きたかったことをできるだけ聞いてみよう。
「女の人は君みたいな占いはしないの?」
「女の人?しないね。僕の寺では女の人はしない。他の寺は知らないけど。あなたは女性の占い師の写真を持っているの?」
「いや、持ってないし私も知らない。ニューヨークとかシンガポールとかロンドンであなたみたいな占い師に会ったという人は、みんな男性だったというから聞いたんだ」
「そう、男の占い師だけだ。ロンドンに行ったことある?」
「ないよ。インドには5回行ったことがあるけど、ヨーロッパには行ったことはない。インドのほうが好きだな」
「ナイス。いつインドに来るの?」
「次?たぶん来年かな。最後に行ったのは10年くらい前だから、もうずいぶん前になる。今度は家族も連れて行きたいよ」
「いいね」
「インドからいろんなことを学んだよ。日本にはインドの文化が好きな人がたくさんいるよ。ボリウッド映画のファンもね」
「日本人はインド人が好きなの?」
「うん。たくさんのインド料理屋さんもあるし、インド映画のファンもたくさんいる。最近『パターン』っていう映画を見たよ」
「シャー・ルク・カーンだね」
インド映画やK-Popについての本当に他愛のない話をしているうちに、いよいよ彼が立ち去らなければいけない時刻が来てしまった。
別れの挨拶の前に、リラックスして雑談できたのは、良かったと思う。
「ありがとう。会えてよかった。ペンもありがとう」
「これからも連絡を取り合おうね」
「ハバナイスデイ、グッバイ」
雑踏に消える彼を見て、私ははっと気づいた。
彼は今日、一度もお金の要求をしなかった。
お金のためでないなら、どうして私に会ってくれたのだろう。雑踏に消える彼を見て、私ははっと気づいた。
彼は今日、一度もお金の要求をしなかった。
彼の正体を探ろうとしている人物に会っても、彼にメリットはひとつもない。
途中で話を切り上げて去ることだってできたはずだ。
もしかして、プラディープは本当に友情のためだけに会ってくれたのだろうか。
そんなふうに考えるのはさすがにナイーブすぎると思うが、もしかしたら。
21歳の若さで、自分の腕とハッタリだけを頼りに異国な街でグレーな仕事をして生きる彼の心境を想像してみる。
警察沙汰になるリスクもあるし、うまくいっても詐欺師呼ばわりされる仕事は、決して誇らしいわけではないのだろう。
5年後、10年後も、彼はまだこの家業を続けているのだろうか。
ヨギ・シンという存在が世界中からいなくなってしまう未来を想像するとさみしい気持ちになるが、プラディープにずっとこの生き方をしてほしいとは思わない。
インドに帰った彼は、東京をどう思い出すのだろう。
ところで冒頭部分で、プロレスの本質はエンタメであると書いたが、ではプロレスには戦いがないのかというと、そんなことはなくて、それは間違いなく存在している。
(もうこの話題はいいよと思っている人がほとんどだろうが、もう少し続けさせてもらう)
プロレスの根底にはガチの格闘技がある。
プロレスの根底にはガチの格闘技がある。
華麗な空中殺法でファンを魅了した初代タイガーマスク(佐山サトル)はその後シューティング(リアルファイト)へと進み、日本にアメリカ的ショープロレスを持ち込んだ第一人者である武藤敬司は道場でのガチンコ勝負でもめっぽう強かったという。
世界各地に出没しているヨギ・シンのほとんどが、占い師としてはフェイクだったとしても、彼らの中には本物の超能力者もいるのかもしれない。
「上の世代にはもっとすごい人もいる」
と断言したプラディープの言葉には、もしかしたらと思わせる力強さがあった。
はたして、さらなる強力なヨギ・シンが来日することはあるのだろうか。
(つづく)
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世界各地に出没しているヨギ・シンのほとんどが、占い師としてはフェイクだったとしても、彼らの中には本物の超能力者もいるのかもしれない。
「上の世代にはもっとすごい人もいる」
と断言したプラディープの言葉には、もしかしたらと思わせる力強さがあった。
はたして、さらなる強力なヨギ・シンが来日することはあるのだろうか。
(つづく)
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2023年10月29日
ついに実現! 若きヨギ・シンとの対話
前々回の記事:
前回の記事:
これまでのヨギ・シン関連記事:
若きヨギ・シンことプラディープ君(仮名)とのアポイントは結局日曜日では都合がつかず、月曜の午後3時半に、前回と同じ東京駅前で再会することになった。
午後10時羽田発の飛行機に乗るという彼がその前に時間を作ってくれたのだ。
東京駅にしたのは、きっと今日も丸の内〜大手町エリアで「占い」をしている彼が来やすいようにと気遣ってのことである。
ほぼ詐欺師の占い師に気を遣うのもバカバカしいが、「めんどくさいからやっぱり会うのやめた」と思われてはかなわない。
自分はこの機会を10年待っていた。
とはいえ、夢にまで見たヨギ・シンとの再会の約束を喜んでいたのは前日までの話だ。
東京駅に向かう私は、すっかり憂鬱な気持ちになっていた。
会えば必ずまたお金の要求をされるだろう。
前回は不意打ちのような形でいろいろ聞き出すことができたが、今回は向こうも十分に心の準備をしてくるはずだ。
彼が私に会う理由はひとつしかなく、それは私を金ヅルだと思っているからだ。
whatsappで約束の日時を調整している間も、彼は「会ったら私の寺を助けてくれるか?」とか「会ったら贈り物をくれるよね」というメッセージを送ってきていた。
ノーと答えれば来ないだろうし、イエスといえばしつこく要求してくるだろう。
「考えておくよ」とか「会えるのを楽しみにしてるよ」とか適当にはぐらかしたものの、この曖昧な返答が彼の中でイエスと解釈されている可能性もある。
さらには「どうして僕に会いたいんだ?」という至極もっともな質問もしてきた。
「こないだも言ったけど、私はインドもインド人も好きなんだ。君が生まれる前のインドで撮った写真も見てもらいたい。つまり友情のためだよ」
と送ると、彼は初めて笑顔とグッドサインの絵文字を返してきた。
このやりとりの過程で、彼がまだ21歳であることも分かった。
「私はその歳の頃にインドに行ったんだ」
と伝えたのは、インチキ占い師である彼に、自分が運命論的なものを信じているように見せて、関心を持ってもらう(要は、インチキ占いを信じる可能性があると思ってもらう)ためだ。
いろいろ聞かせてもらう代償に、まったくお金を払わないというわけにもいかないだろう。
今回は財布の中に千円札を3枚だけ残して、残りをかばんの奥にしまっておいた。いろいろ聞かせてもらう代償に、まったくお金を払わないというわけにもいかないだろう。
日本人らしく定刻前に東京駅に着いた私は、プラディープに駅前で待っているというメッセージを送った。
しかし10分待っても20分待っても返信はなく、返信がないどころか既読にすらならならない。
相手はインド人だし、待たされるのは覚悟していたが、ここまで無視されるとさすがに不安になる。
「今どこ?」と送っても、通話機能で連絡をしても、なんの返事もない。
「東京駅前」というかなりざっくりした場所を指定した自分が悪かったのだろうか?
Wi-Fiが繋がらなくて連絡がつかないとか?
駅前広場をくまなく探してみたが、やはり姿はない。
30分を過ぎた頃、ようやくスマホが振動した。
「今どこにいる?」
プラディープからのメッセージだ!
周囲の画像を撮って「ここにいるよ」と送ってからさらに数分が経った頃、先日と同じ人懐っこい笑顔でプラディープがやってきた。
今日も片手に革の手帳(例の占いの時に使ってたやつだ)だけを持ったほぼ手ぶらスタイルだ。
通り一遍の挨拶のあと、さっそく気になった点を尋ねてみた。
「今日、日本を発つんだよね? ところで荷物は?」
「部屋に置いてある」
「近くのホテルに滞在してるの?」
「ここから2、3駅のところ。巣鴨のホステルに泊まってる。今4時半だから、5時には行かないと」
「それなら宿に近い巣鴨で話そうか?」
「5時にこの近くで別の人に会わないといけないんだ。だからこのへんで話そう」
東京駅から羽田空港に行かなきゃいけないのに、巣鴨に戻るのは逆方向だ。
この日に日本を発つという話や、5時に別の約束があるというのが本当なのか、ちょっと怪しい。
でも「ホテルに泊まっているのか?」という問いにわざわざ「ホステル(安宿)」と答えている点には若干のリアリティがある。
初めに書いておくと、私の質問に対する彼の回答は、どこまでが真実で、どこまでが嘘なのか、いまひとつ分からない。
明確に嘘だと分かる発言もあれば、もしかしたら本当かもと思わせる部分もあったし、これは真実だろうと確信できる部分もあった。
今回のインタビュー(というか会話)は、まずは彼の言葉を否定せず、私の質問に対してどう答えるのかを探るという趣旨で行った。
できれば彼とは今後も関係を維持して、ヨギ・シンのさらなる真実が知りたい。
明らかな嘘であっても、今回はそこを追求するのではなく、彼が何を隠そうとしているのか、どうはぐらかすのかをまずは知りたかった。
ともあれ、2日前と同じように、東京駅前広場のベンチに腰を下ろして、会話が始まった。
「これはすごく小さな贈り物だけど、このペンはすごくスムースに書ける。
君は占いのときに心を読んで紙に書くでしょ。だからこれ使って」
「ありがとう」
彼からの「贈り物をくれるよね」という要望に、若干の皮肉を込めてジェットストリームの4色ボールペンを渡したところ、思いのほか素直な反応が返ってきた。
「これだけか? 他にはないのか?」とか言われると思っていたので、これは肩透かしだった。
このプレゼントは今日の対面が物やお金の要求に終始するのか、それともまともな会話ができるのかを探る試金石のつもりだったのだが、これはいい兆しだ。
続いてもう一つ、反応を探るための質問をしてみた。
「もう一度君の寺の写真を見せてもらって良い? 寺の名前を教えてもらえる? 情報をみんなにシェアしたいんだ。お寺のウェブサイトはあるの?」
「(田舎にある)村の寺だからウェブサイトなんてないよ。でもFategarh Sahibで検索してくれたらいい。その近くにある寺だよ」
彼はおととい見せてくれた子どもたちとターバンの男たちが写った写真を見せてくれた。
聞いたことがない地名が出てきたので、手元のノートに綴りを書いてもらう。
聞いたことがない地名が出てきたので、手元のノートに綴りを書いてもらう。
「ファテガル・サーヒブね。これはアムリトサルにあるの?」
「そうだ。アムリトサルの近くだよ」
「この写真、撮影させてもらっていい?」
「なんで僕の寺の写真を撮りたいんだ?」
「ツイッターとかインスタでシェアしたいんだよ」
「ツイッターとかインスタでシェアしたいんだよ」
「そうか。この写真はシェアしてもOKだけど…他の情報はインターネットでシェアしないでくれ」
申し訳ないが、そう言われたけどいろいろ書いてしまっている(本名や彼の写真を載せるつもりはないけれど)。
もし彼が本当にまっとうな寺や孤児院のための寄付を募っているのなら、訝しんだりしないで、寺の名前や情報、寄付の方法などを喜んで教えてくれるはずだ。
もともと寺への寄付というのは作り話だろうと思っていたが、やはり嘘なのだろう。
あとで調べたところ、ファテガル・サーヒブという街は実際に存在していて、シク教の巡礼地になっている同名の大きな寺院がある。
しかし実際はその街はアムリトサルからは200キロも離れていて、とても「アムリトサルの近く」と言える場所ではない。
前回彼はアムリトサル出身だと言っていたので、これは明らかに矛盾している。
出身地については毎回その場しのぎの適当なことを言っているのだろう。
そして、「他の情報をインターネットに書き込まないでくれ」と言っているということは、彼は自分たちの行動を「知られては困ること」だと自覚しているのだ。
あまり突っ込みすぎても警戒されるだけだろうから、事前のやりとりで伝えていたように、学生時代にインドで撮影した写真を見てもらいながらしばし雑談に興じてから、また質問を続けてみた。
「日本の次はどこに行くの?」
「インドに帰る」
「パンジャーブに帰るの? 君の村に?」
「そうだ。寺に帰る。アムリトサルの近くの」
(前述の通り、彼の寺はファテガル・サーヒブはアムリトサルからは遠い)
(前述の通り、彼の寺はファテガル・サーヒブはアムリトサルからは遠い)
「君は寺に住んでいるの?」
「そうだ。寺に住んでいる」
「そこで瞑想をしてるの?」
「そうだよ」
この部分もかなり怪しいと思っているのだが、彼にとって「寺で暮らし、瞑想に生きる男」という設定は譲れない部分らしい。
ここで以前から聞きたかった質問をぶつけてみた。
「世界には君みたいな占いができる人は何人ぐらいいるの?」
「世界中で? わからないなあ。僕らの寺はひとつだけじゃないからね。
ある人は別の寺に所属しているし、またある人は別の寺に所属している。
僕らの寺には瞑想や他の術ができる人が5人いる」
前回同様、私は彼の「占い」のことを英語でフォーチュンテリングと呼んでいるが、彼はずっとメディテーションという言葉を使っている。
ここにも彼のこだわりがあるようだ。
「君の家族には何人くらい占いができる人がいるの?」
「僕の家族? できる人はだれもいないよ。
僕は寺に住んでいる。僕らは寺で生まれた。別のところに住んでいる先生や友達がいるんだ」
僕は寺に住んでいる。僕らは寺で生まれた。別のところに住んでいる先生や友達がいるんだ」
「お父さんは占いをしないの?」
「僕は父を知らない。僕は寺で暮らしている」
「他の瞑想を学んでいる生徒たちは占いができるの?」
(彼が使っていたメディテーション・スチューデントという言葉を使ってみた)「何人かの敬虔な(holy)魂を持っている人は、瞑想をすると祝福されて(blessed)、この技術が使えるようになる」
彼が本当に寺で暮らしているかどうかは不明だが、何人もこの「占い」の師匠(彼はティーチャーと呼んでいた)がいて、プラディープの寺(派閥)には5人のヨギ・シンがいるというのは、なんだかありそうな話に聞こえる。
一方で、彼の父親を知らないという発言は、前回の対面時に聞いた「この占いは代々の家業(puchtani)」という話と明らかに矛盾する。
前回の話が真実だったとすれば、彼に家族と占いとの関係を隠す意図があるということだ。
彼が本当に寺で暮らしているかどうかは不明だが、何人もこの「占い」の師匠(彼はティーチャーと呼んでいた)がいて、プラディープの寺(派閥)には5人のヨギ・シンがいるというのは、なんだかありそうな話に聞こえる。
一方で、彼の父親を知らないという発言は、前回の対面時に聞いた「この占いは代々の家業(puchtani)」という話と明らかに矛盾する。
前回の話が真実だったとすれば、彼に家族と占いとの関係を隠す意図があるということだ。
「君はとても若いよね。今21歳?」
「そう」
「これから君は何をするの? 君はカレッジにも通っている?」
「どんなカレッジのこと?」
「つまり、カレッジに通って瞑想以外のことも学んでいるの?」
「僕は薬学とか物理学も学んでいるよ」
正直に書くと、プラディープがここでPharmacy(薬学)あるいはPharma(製薬)と言っていたのを、私は農家(farmer)と聞き違えていたようだ。
そのため私は「農業はパンジャーブの文化だよね」とか「ファーマーになるんだね」とかトンチンカンな発言をしてしまい、彼もイエスと答えながらもちょっと困惑していたようだった。
間違いに気がついたのは後になってからのことだ。そのため私は「農業はパンジャーブの文化だよね」とか「ファーマーになるんだね」とかトンチンカンな発言をしてしまい、彼もイエスと答えながらもちょっと困惑していたようだった。
ともかく、彼がカレッジで薬学や物理学を学んでいるというのは、リアリティがあるように思える。
もし彼が神秘的な占い師としての印象を強くしたいのなら、ずっと寺で瞑想をしているという回答をしたはずだ。
カレッジで学んでいる内容について詳しく聞かれるかもしれないのに、ここで嘘をつくメリットは彼にはない。
そして何より、彼のたたずまいは、流浪の占い師ではなく、ふつうのインドの大学生っぽかった。
ずっと路上で後ろ暗い生き方をしてきた者が持つ影が、彼には全くない。
ここで私はズバッと、彼の最大の秘密を知ってしまったことを伝え、そのリアクションを観察してみることにした。
「悪く思わないでほしいんだけど、私には君の占いのトリックが分かってしまった。
おとといの占いの時、君が私の手の上で紙をすり替えるのを見たんだ」
世界中で「占い」をしてきたヨギ・シンたちが、ずっと見破られなかった秘密を本人に突きつける。
さすがに逃げられてしまうかもしれない。
そうしたらどう引き止めて会話を続けようか。
だが彼は立ち去ることも沈黙することもなく、あまり表情を変えずに、すぐにこう答えた。
「Oh. いったいどうやってすり変えたっていうんだ?」
「私が紙を握ったあと、君に名前や誕生月や望みを教えたね。そのあと、私が手を開いたときに、君は『これがあなたが握っていた紙だね』と言って一度その紙を手に取った。そのときに君が紙をすり変えたのを見たんだ」
彼はあからさまにうろたえたりはしなかったが、どうにかして内心の動揺を隠しているように見えなくもない。
「いや、そんなことはしていない。
私たちには2種類の人間がいる。ある人たちはそういうことをするけど、他の人たちはしない。僕はしないんだ。さっき言った通り、たくさんの寺があって、いい寺もあるし、そうじゃない寺もある」
明らかに手の内がバレてしまっている状況でも、彼はあくまでも瞑想によって人の心を読むことができるというキャラを変えるつもりはないようだ。
こちらも、そういうリアクションをするのだということが分かれば、ひとまずは十分だ。
必要以上に警戒されることは望んでいない。
「悪く思わないでくれ。どっちにしろ私は別に気にしていないから」
「オーケー」
「私はただ、君みたいな占い師が世界中に出没していると知って、いったい何者なのか、何人くらいいるのかを知りたいだけなんだ」
「オーケー。アムリトサルに来て、僕の寺を見たらいいよ」
彼のオーケーという返事にあまり元気がないように感じたが、会話を打ち切って逃げられてしまうようなことはなさそうだ。
どうやら、彼は自分の占いのトリックが見破られているにも関わらず、「自分は良い占い師で、他に悪い奴もいる」というストーリーでこの状況を乗り切ろうとしているようだ。
(つづく)
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2023年10月22日
ヨギ・シンとの対決(その2)
(前回までのあらすじ)
世界中に出没する謎のインド人占い師ヨギ・シンが再び東京に出没したという情報を得た私は、捜索の末、ついに本人との遭遇を果たした。
そして、世界を騙し続けて来た彼のトリックを見破ることに成功する。
前回の記事:
「見てくれ、これがインドにいる僕の瞑想(メディテーション)の先生だ」
(グルという言葉ではなく、ティーチャーという英単語を使っていたと記憶している)
彼が手帳から取り出した写真には、長髪に長い髭をたくわえたインド人男性が映っていた。
ターバンも巻いておらず、ヒンドゥー教の行者のように見えるが、額にシヴァ信仰やヴィシュヌ信仰を示す印はない。
インドでは決して珍しくはない修行僧風の格好だが、知らない人にとっては何かすごい仙人のように見えないこともないだろう。
要するに、彼はこの師匠のおかげで人の心が読めるようになったと言いたいらしい。
ここまでは彼のペースで話に付き合ってきたが、そろそろこちらが質問する番だ。
怪しまれないように、基本的なことから確認する。
「君はインド人なんだね?」
「そうだ」
「私はこれまで5回、インドに行ったことがある」
これは、今まで多くのインド人と話してきたやりとりだ。
彼が不審がることはないだろう。
案の定、彼は他のインド人と同じように私に聞き返してきた。
案の定、彼は他のインド人と同じように私に聞き返してきた。
「行ったことがある場所は?」
「デリー、アーグラー、ヴァーラーナシー…」
訪れたことがある街の名前を羅列し始めると、彼はすぐにさえぎって、「僕はデリーの近くから来た」と答えた。
感じの良い笑顔を浮かべているものの、会話を楽しみたいというより早く話を先に進めたいようだ。
気づかないふりをして質問を続けた。
「デリーの近くってどのあたり?」
「パンジャーブだ」
「へえ、パンジャーブは行ったことがないな。いつか行ってみたいよ」
その言葉には答えずに、彼は手帳からもう1枚の写真を取り出した。
大勢の子供たちのまわりに、ターバンの男たちが映っている。
「これが僕の寺院(マイ・テンプルと言っていた)。ここで親のいない子どもたちを支援している」
お決まりの展開だ。
彼が寄付を募ってくることは分かっていたが、こちらにも聞きたいことはたくさんある。
「あなたはシク教徒なの?」
「そうだ」
「つまり、この寺院(テンプル)はグルドワラ(シク寺院)なんだね」
グルドワラという、普通の日本人がなかなか知らないような単語を言ったらどんな反応をするか試してみたのだが、彼はペースを崩さず、
「そうだ。彼らはターバンを巻いているだろう」
と応じた。
シク教はパンジャーブで生まれた宗教で、男性が巻くターバンはそのシンボルだ。
しかしこの話を続けるつもりはないらしい。
彼は話の流れを無視してメディテーションやカルマの話題を出すと、口の中で私の名前が入った短い呪文のようなものを唱えた。
はっきりとは聞き取れなかったし、そもそもシク教の祈りの言葉がどんなものか私は知らないのだが、その祈りには、シヴァとか、いくつかヒンドゥー教っぽい単語が含まれていたように思えた。
私のために祈ったということなのだろうが、その短い祈りはいかにもとってつけたようで、説得力もありがたみも感じられなかった。「ぜひ僕の寺院のために喜捨をしてほしい。お金を払ってくれたら、あなたにもっと大きな幸せが戻ってくる」
予想通りだ。
彼の機嫌を損ねないため、そして彼の「芸」へのリスペクトとして、多少のお金を払う覚悟はできていた。
一方で、いくら払ったとしても、彼がそれ以上の金額を要求してくることも分かっていた。
そこで私は、あらかじめ余分な紙幣をかばんの奥にしまって、千円札1枚だけを財布に残していた。
「今これしかないんだ」
と財布の中身が見えるように千円札を取り出して渡すと、彼は手帳を開いて、
Poor 30,000 Middle 60,000 Rich 90,000
と書かれたページを示した。
「貧乏人でも30,000円が相場だ」
人懐こい笑顔のままそう主張する彼を見て思った。
彼はまだ未熟なのだ。
手練の詐欺師や商売人なら、ここはいかにも不満そうに「インドのありがたい秘術に対してこれっぽっちか。お前は何と言う失礼なやつなんだ」という態度を取るところだ。
相手に後ろめたい気持ちを植え付けて、もっとお金を払わせるためだ。
もし彼が、今の人あたりの良さとそういった図太さをうまく使い分けられたら、かなり手強いヨギ・シンになれそうなのだが、残念なことに(私にとっては幸運なことに)今の彼にその技量はない。
それにしても、この貧乏人、中流、金持ちと3パターンの勝手な値段を示すやり方、勝手に祈って寄付を募るインドのインチキ宗教家の常套手段なのだが、教科書でもあるのだろうか?
「今これしか持ってないんだよ」
「1,000円ではほんの小さな支援しかできない。もっと継続した支援が必要なんだ。なぜ他の人ではなくあなたに声をかけたか分かるか? あなたの額から良い人のオーラが出ていたからだ。キャッシュマシーンでお金をおろしてきてくれないか」
「いや1,000円で十分だろう。そもそも貧乏人でも30,000円払うなんてありえない」
「カルマを知っているか? この寺院に寄付をすれば、それは良いカルマになって戻ってくる。もしあなたのお母さんの名前を当てることができたら、30,000円払ってくれるか?」
全て予想通りの言葉だ。
ここであまりにも明確に拒絶したら彼は立ち去ってしまうかもしれないし、払うかどうか悩んでいる様子を見せたら逆につけこまれるだろう。
だが、彼はまだ若く、手練のインド商人のようなしたたかさはない。
もっとこちらのペースで話を進められるかもしれない。
「いくつか質問をさせてもらえるかな? 君の名前は?」
私は、当然彼が「ヨギ・シン」と答えることを予想していたのだが、彼が名乗った名前はまったく別の、あるミュージシャン(彼もシク教徒だ)と同じ名前だった。
ところで、私の目的は悪質な外国人詐欺師への注意喚起ではなく(私は彼らの行動を詐欺だとはあまり思っていない)、純粋な好奇心なので、ここで彼の本名かもしれない名前を晒すのは本意ではない。
彼の名前を仮にプラディープとしておく。
「プラディープ、君は日本に住んでいるの?」
「世界中を旅している。月曜日には東京を発つんだ」
本当かどうかはともかく、彼は聞いたことには答えてくれるようだ。
ここで思い切って核心をつく質問をしてみた。
「じつは君みたいな占い師に会ったという人が世界中にいると聞いていて、自分も会ってみたいと思っていた。君たちは世界中でこういうことをやっているんだろう? 君はシンガポールやメルボルン(どちらもヨギ・シンの出没がよく報告される)にも行ったことがある?」
この質問に対して、彼はあからさまに狼狽するようなことはなかったが、ちょっと困惑した様子で「ノー」と答えた。
「ずっと旅しているわけではなく、いつもは寺でメディテーションをしている」
「それで世界中を旅して、寄付(donation)を募っているの?」
「いや、寄付を求めているんじゃない。人々を導いているんだ」
どんなこだわりがあるのか分からないが、寺院や子どもたちへの寄付を募ることが目的なのではなく、瞑想を通して人々を導くことが大事なのだというのが彼の理屈のようだ。
「なぜ東京を選んだの?」
「美しい場所だと聞いていたから」
「これまでに行ったことがある場所は?」
「台湾とヨーロッパ。スイスとドイツとパリに行ったことがある」
じゃあ、記念に一緒に写真を撮ろうと言うと、一瞬躊躇したようにも見えたが、断るのも不自然だと思ったのだか、セルフィーに応じてくれた。
彼にとって写真を撮られるのは望ましくないはずだ。
ネットで公開されたり、警察に届け出られたりするリスクがあるからだ。
前述の理由(晒すのが目的ではない)で、やはりここには載せないが、あとで見たら笑顔で写っている自分とは対照的に、彼はこわばった表情をしていた。
「パンジャーブから来たと聞いたけど、パンジャーブのどこの出身?」
「アムリトサル」
「黄金寺院(ゴールデン・テンプル)があるシク教の聖地だね」
「そう。ハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院のパンジャービー語名)がある」
彼の答えが本当かどうか知るすべはないが、私は否定せずに聞きながら、彼ら(つまりインド人、シク教徒、そして、ヨギ・シン)に理解があることと、敵意がないことを示そうとしていた。
ここまでの反応を見る限り、どうやら彼が急に心を閉ざして立ち去ってしまうということもなさそうだ。
そう判断して、勇気を出していちばん聞きたかったことを聞いてみる。
彼の出自、正体だ。
彼の出自、正体だ。
「ところで、君は'B'というコミュニティの出身なのか?」
しばしの沈黙ののち、彼は「ノー」と答えた。
'B'というのは、以前の調査で判明したヨギ・シンの正体と目される、もともと路上の占い師をしていたと言われるシク教徒のコミュニティ(いわゆるカースト)である。
シク教は本来はカースト制度を認めていないのだが、実際にはカーストにあたるコミュニティごとの順列があり、'B'は低い地位とみなされているらしい。
こうしたインドの伝統的な身分制度にかかわる話題はデリケートなので、カーストという言葉は使わなかった(そのため、ここでもそのコミュニティ名は伏せ字とする)。
しばしの沈黙ののち、彼は「ノー」と答えた。
'B'というのは、以前の調査で判明したヨギ・シンの正体と目される、もともと路上の占い師をしていたと言われるシク教徒のコミュニティ(いわゆるカースト)である。
シク教は本来はカースト制度を認めていないのだが、実際にはカーストにあたるコミュニティごとの順列があり、'B'は低い地位とみなされているらしい。
こうしたインドの伝統的な身分制度にかかわる話題はデリケートなので、カーストという言葉は使わなかった(そのため、ここでもそのコミュニティ名は伏せ字とする)。
ノーと答えた後で、彼は独り言のように「'B'...」(コミュニティ名)と復唱すると、こう聞き返してきた。
「なぜそんなことを聞くんだ?」
「なぜそんなことを聞くんだ?」
この反応が、「どうしてそのことを知っているのか」という狼狽を意味するのか、それとも私の質問が的はずれで戸惑っていただけなのかは分からない。
「じつは、君のような不思議な占い師が世界中に出没していると聞いて、とても興味が湧いたんだ。そこで本やインターネットで何年もかけて調べた。そこで、あなたのような占い師が'B'というコミュニティ出身らしいということを知った。悪く言うつもりはない。すごいことだし、興味深いと思っている」
私が「調査(リサーチ)した」という言葉を発した時、彼はまた先程と同じように「リサーチ…」とつぶやいた。
単に繰り返しただけなのか「まさかそこまで調べたのか」という意味だったのかは、やはり分からない。
'B'ではないと言う彼に、質問を続けた。
「では、君のコミュニティはみんなこういった占いをするのか」
「これは自分の信仰(レリジョン)なんだ」
私は彼が道端で行っているテクニックに対して「占い(フォーチュンテリング)」という単語を使っていたが、彼は一度も「フォーチュンテリング」とは言わずに、最後まで「メディテーション」という言葉を使い、こでは宗教/信仰(レリジョン)と回答した。
率直に言って彼がいつも寺院で瞑想をしているというのは嘘だと思うが、この言葉選びには何かこだわりがあるのかもしれない。
「シク教徒全員がこういう占いをするわけではないだろう? あなたみたいな占い師が100年前から世界中に出没していると聞いている。あなたのお父さんも、そのお父さんも、ずっとこの占いをやっているのか?」
「そうだ。父も。その父も。これは…(聞き取り不能)だ」
彼が聞いたことのない単語を発したので、アルファベットの綴りを書いてもらったところ、それは'puchtani'という、パンジャービー語の言葉だそうだ。
あとで検索してみると、ヒンディー語の「先祖から伝わる伝統」「生まれ育った故郷」という意味の単語がヒットした。
パンジャービー語とヒンディー語は近い言語なので、同じような意味の可能性が高い。
パンジャービー語とヒンディー語は近い言語なので、同じような意味の可能性が高い。
「東京にはどれくらい滞在しているの?」
「10日間」
これもあとで調べて分かったことだが、X (旧twitter)上で、東京でのヨギ・シンとの遭遇と思われるもっとも早い投稿は10月7日だった。
この日が10月14日、彼が東京を発つと言っていた月曜日は10月16日なので、これは本当のことを言っているようだ。
この日が10月14日、彼が東京を発つと言っていた月曜日は10月16日なので、これは本当のことを言っているようだ。
「一人で来ているの? それとも家族と来ているの?」
「一人だ」
これはおそらく事実ではない。
ここ数日の間に、この界隈で彼とは別にもう一人、中年でターバン姿のヨギ・シンが目撃されている。
ここ数日の間に、この界隈で彼とは別にもう一人、中年でターバン姿のヨギ・シンが目撃されている。
なぜ彼がここで嘘をついたのかは分からない。
余計な詮索から仲間を守ろうとしたのだろうか。
余計な詮索から仲間を守ろうとしたのだろうか。
「この近くに滞在しているの?」
「そうだ」
順番は多少異なっている可能性があるが、彼との会話はこんなふうに進んでいた。
順調に聞き込みが進んでいるように思えるかもしれないが、彼はこの間にも「もっと払う気はないのか」とか「あなたの母親の名前をあてたら30,000円払ってくれるか?」としつこかった。
それを、「ノー」とか「今お金ないの見せたでしょ」とかかわしながら質問を続けていたのだ。
結局のところ、彼はやっぱりお金が目的なのだろう。
会話のなかで「連絡先を教えてほしい」と頼んでみると、彼はメールアドレスとwhatsapp(インド人がよく使うLINEのようなアプリ)の連絡先を教えてくれた。
2日前にプラディープと思われる占い師との遭遇を報告してくれたSIさんにも、彼は「メールアドレスを伝えるからなにか困ったことがあればまた連絡が欲しい」と伝えていたという。
あわよくば再び会ってお金をもらおうという魂胆があるのかもしれない。
つまり、また別の機会に会って聞くこともできるということだ。
あまりしつこくして、そのチャンスすら失ってしまったら元も子もない。
あまりしつこくして、そのチャンスすら失ってしまったら元も子もない。
もしかしたら、彼が帰国した後もwhatsappで情報を得ることができる可能性もある。
今にして思えば、このタイミングでそんな考えが頭をよぎったのは、極度の緊張と駆け引きで疲れてしまっていたからだろう。何を聞いても一言しか返さない彼に対して、お金の話題を出されないよう、間を空けずに質問を考えながら話すのは、かなり神経を使うやりとりだった。
彼もまた、この男はこれ以上金を払うことはなさそうだという判断をしたのだろうか。
会話のテンポも弾まなくなった頃、どちらからともなく、ごく自然と別れの挨拶が交わされた。
彼は最後まで感じの良い笑顔で手を差し出し、握手をすると、「See you」と言って東京駅のほうへと歩いて行った。
どっと疲れが出て、ため息をつく。
ついさっきまで起こっていたことに、いまだに現実感が湧かない。
世界中に出没する謎の占い師、ヨギ・シンの存在に気づき、彼を探し始めて10年。
とうとうヨギ・シンに声をかけられて、占いを体験し、そしていろいろなことを聞くことができた。
若きヨギ・シンことプラディープとの会話ひとつひとつを反芻する。
パンジャーブ出身。
世界中を旅している。
代々占い師の家系の出身。
このあたりは予想通りと言っていいだろう。
だが、結局のところ、ヨギ・シンとはいったい何者なのだろうか。
彼らは何人くらいいるのか。
彼らはもともとどこから来たのか。
どうしてみんなヨギ・シンと名乗るのか(プラディープはそうではなかったが)。
まだまだ聞けていないことがたくさんある。
連絡先を教えてくれたからと言って、また会えるという確証はない。
質問を送っても無視されるだけかもしれない。
そう思うと、またしても絶好の機会を逸してしまったのだという後悔の念が押し寄せてきて、愕然とした。
今ならまだ彼は近くにいるかもしれない。
急いでwhatsappでメッセージを送る。
「もしまだ時間があるなら、晩ごはんでも食べないか?」
しかし返信が来ないどころか、いつまでたっても既読にすらならない。
whatsappの通話機能で呼びかけてみるが、反応はなく、呼び出し音が鳴るだけだ。
やってしまった!
前回の遭遇のあと、私は次に会うことができたら、なんとかしてヨギ・シンとの関係を構築し、彼らが本当は何を考えているのかを知ろうと決意していた。
あれから4年が経ち、すっかり忘れた頃の急な来日。
さらに、あまりにも簡単に会えてしまったことで、しっかりとしたプランを立てることなく彼との対面を迎え、そして終えてしまった。
返事を待ちながら1時間ほど過ごしたが、全く音沙汰がなく、失意のうちに帰路につく頃、携帯が振動した。
プラディープからの返信だ。
「今日はもう部屋に帰ってしまったから無理だ。明日ではどうだ?」
(つづき)
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2023年10月18日
ヨギ・シンとの対決(その1)
これまでのヨギ・シンに関する記事:
前回の記事:
謎のインド人占い師、ヨギ・シンが再び東京に出没している!
10月12日(木)にその情報を得た私は、翌13日(金)の仕事帰りに、さっそく同エリアを捜索した。
前回同様、遭遇報告は丸の内〜大手町のごく狭いエリアに限られている。
しかし、1時間ほどくまなく歩いても、怪しげな占い師の姿は見あたらない。
これまでの報告では、暗くなってからの遭遇事例はなかった。
時間帯が悪かったのかもしれない。
翌14日、土曜日。
この日は昼過ぎに捜索を開始した。
東京駅の丸の内北口を出た私は、大手町から丸の内エリアを歩き回ったのち、念のため4月に目撃情報があった銀座にも足を伸ばした。
しかし歩行者天国となっている銀座通りはかなりの人出で、また裏道は歩道が狭くて、いずれにしても彼の「占い」が満足にできる環境ではない。
再び丸の内エリアに戻ったが、ここも空振り。
そうこうしているうちに時刻は午後5時半を過ぎ、かなり暗くなってきた。
あきらめて家路に着こうと、東京駅のレンガ駅舎前の広場に続く横断歩道を渡ろうとした、ちょうどその時だった。
視線の先で、インド系の男性がベンチに座っている日本人の若者に声をかけている。
その男は、ターバンは巻いておらず、少し長い髪を後ろで留めていた。
細身で、身長は170センチ程度。
とても若く、歳の頃は二十代前半くらいだろうか、まだ学生のように見え、その手にはヨギ・シンの商売道具でもある手帳を持っている。
その姿は、ブログに情報を寄せてくれたSIさんの報告にあった「身長170〜175センチほどで、ヒゲなし、ターバンなしの清潔感のある好青年」とほとんど一致している。
怪しげな占い師の雰囲気はまったくなく、ハンサムで人の良い若者といった印象で、もしヨギ・シンを探していなければ、彼はフレンドリーな旅行者のように見えたことだろう。
しかし、よく見ると、ポケットには収まらない大きさの革製の手帳を手にしているのにカバンを持っていないのが不自然で、銀座で何人も見かけた南アジア系の観光客とは明らかに異なる雰囲気を醸し出していた。
声をかけられた若者は、困惑しながらも「悪い人ではなさそうだ」と感じたようで、若干こわばった笑顔で応じている。
そっと近づいて、数メートル離れたところに腰掛け、様子を見る。
気づかれないように視線を向けると、このヨギ・シンらしき若い男は、もみあげからあごや鼻の下まで、短く整えられた髭を生やしている。
このヒゲがSIさんの報告と一致しない唯一の点だが、華奢で物腰が柔らかい彼からは「ヒゲ面のインド人」として連想されるような押しが強い印象はまったくない。
彼の短いヒゲがSIさんの記憶に残らなかったとしても、不思議ではない。
座った場所からは二人の会話はかすかにしか聞こえないが、どうやら手帳を手にした男は「メディテーション」とか「カルマ」とか言っているようだ。
さらに彼は革製の手帳を開いて、写真を見せたり、何かを書いたりしている。
ヨギ・シンに間違いなさそうだ。
気づかれないようにするため、直視することも近づくこともできないのがもどかしい。
しばらくすると、日本人の青年が驚いたように「マジックみたいだ」と言うのが聞こえた。
彼がヨギ・シンであることはもう疑いの余地がない。
自分の鼓動が急速に早くなるのが分かった。
何年も探し求めていた光景が目の前で展開されていることが、あまりにも非現実的で、信じられなかった。
前回の遭遇では、こちらから声をかけて詮索したせいで、ヨギ・シンに怪しまれて逃げられてしまった。
今回は絶対に気づかれないようにしなくてはならない。
だが、この若いインド系の男は、目の前の青年と話すのに夢中で、周囲にまで注意が及んでいないようだった。
そっと立ち上がり、東京駅の駅舎と周囲の景色を撮影するふりをして、彼の姿を撮影することに成功。
短い動画も撮影することができた。
できるだけ落ち着いて行動していても、脈拍は階段をダッシュで駆け上がった後のようになっている。
しばらくすると二人は立ち上がり、簡単な別れの挨拶をして、別々の方向に歩いて行った。
日本人の若者が彼にお金を払ったかどうかは分からないが、少なくともしつこい要求に声を荒げたり、機嫌を悪くしたりはしていないようだ。
日本人青年は私の目の前を通り過ぎて信号を渡り日比谷方面へ、そしてインド系の男は反対に駅前広場のほうへ歩いてゆく。
日本人青年に声をかけて、今起きたことを詳しく聞くべきか、それともヨギ・シンらしき若者を追うべきか。
一瞬迷ったが、「本物」と会える千載一遇のチャンス。ここはヨギ・シンを追うしかない。
すっかり暗くなった広場で、気づかれないように、しかし見失わないようにインド系の男を目で追うことにした。
彼は広場の真ん中らへんまで歩くと立ち止まって周囲を見渡し、次に声をかける相手を探しているようだった。
私はさっきの日本人青年が座っていた場所に腰を下ろし、彼の様子を見ながら、退屈そうにスマホをいじるふりをしていた。
やはりこの場所が声をかけやすいスポットだったのだろうか。
他のベンチの近くをひと通り歩き回った彼は、なんとこちらに向かって近づいて来た!
どうやら次のターゲットを私に決めたようだ。
絶対に怪しまれないように、手元のスマホを凝視するふりをする。
ほんの2、3メートルのところまで彼が来た時、まるで今気づいたかのように顔を上げると、彼は人懐っこい笑顔で声をかけてきた。
その第一声は、もちろんあの言葉だ。
「You have a lucky face.」
この唐突な言葉にどう答えるのが正解なのかいまだに分からないが、私は「よく分からないけど、あなたの言葉をポジティブに受け取っているよ」といった感じで
「Thank you.」
と答えた。
彼は、笑顔で自分の額のあたりを指しながら「あなたの額からオーラが出ている」と言うと、「自分はmeditation studentだからそれが分かった。あなたはいい人だが、ときに考えすぎるところがある」
と続けた。
どれも過去の遭遇報告やネット上の投稿で読んだヨギ・シンのフレーズだ。
これは現実なのだろうか。
私は興奮とも緊張ともつかない精神状態だが、当然ながら彼はそのことを知らない。
笑顔だがテンポよく話を進めている彼は、こちらに言葉を挟む余地を与えないようにしているのだろう。
彼の英語にはインド人特有の訛りがあり、慣れていない人にはかなり聞き取りにくいだろうが、幸い私はインド人の英語には慣れているほうだし、何より彼がこれから何を話し、何をするのかを知っている。
次に発した言葉は、これまでの報告で読んだことがないものだったが、彼がしようとしていることはすぐに分かった。
「あなたの目を見せてくれ。あなたのことを読んでみる(caliculate youという表現を使っていた)」
ハンサムで人の良さそうな彼の目に胡散臭さはまったく感じられないが、彼はこれから私を騙そうとしているのだ。
いや、私がそう気づいていることを彼は知らないのだから、私が彼を騙そうとしているのだろうか。
彼は、私の目を見ながら、手帳を下敷きにして何かを書きつけている。
私の心を読んで分かったことを書いているという演出なのだろう。
彼はその紙を丸めて私に渡すと、それを手で握りしめるように言った。
いよいよ彼の「占い」が始まる。
「あなたの名前を教えてくれ(Can I have your good name?)」
この「グッドネーム」という言い方はインド人特有の言い回しで、ヒンディー語のフレーズを直訳したものだと聞いたことがある。
本名を答えると、日本人の名前に馴染みのない彼は、
「K...?」
と尋ねてきた。
「心が読めるなら、綴りも分かるはずだろう」とは言わない。
アルファベットを1文字ずつ発音して伝えると、彼は手帳を下敷きに、それを手元の別の紙に書き留めた。
最初に渡された紙はずっと握ったままで、彼がすり替えそうな兆候はない、。
次に彼は、
「何月生まれだ?」
と尋ねた。
「1月(ジャニュアリー)」と答えると、彼は「ジャニュアリーだな」と確認してまたメモをする。
続いての質問は「好きな花は?」
何と答えようか迷ったが、バラ(rose)とかよりも文字数の多い花のほうがボロが出るかもしれないと思って「チェリー・ブロッサム」と回答。
彼はまた私の答えを復唱してメモを取る。
最初に渡された紙は、まだ私が握りしめている。
最後に彼は、
「あなたの望みは?」
と尋ねてきた。
「自分は十分幸せに暮らしているので、これ以上の望みはない」
と答えると、
「そうかもしれないが、健康とか、そういった望みが何かあるだろう(他にもいくつか例を挙げていたが、覚えていない)」と食い下がる。
適当に「じゃあ、健康(グッドヘルス)」と答えると、彼はまた確認して、メモを取る。
全ての質問を終えた彼は、わざとらしく、
「あなたは私が質問する前から、ずっとその紙を握っているね」
と聞いてきた。
こんなことを言うのは、彼がまだ若くて技術に自信がないからだろうか。
次の展開がわかっている私は、「イエス」と答えて紙を握っていた手を開いた。
その瞬間だ。
彼は、
「確かにあなたはこの紙をずっと握っていた」
と言って私の手のひらから一瞬紙をつまみ上げ、すぐに私の手に戻した。
このとき、注意深く観察していた私には、彼が手の中にもう一つ小さく丸めた紙を隠しているのが見えた。
そして、握った手の中指の内側のあたりに隠していたその紙を、素早く私が持っていた紙とすり替えたように見えた。
気づかれたことを知らない彼は、ペースを崩さずに「占い」を続けてゆく。
次に彼は、再びまるめた紙を握り、その拳をしばらく額にあてるよう指示した。
言われた通りにすると、今度は紙を握った手に息を吹きかけろと言う。
私が従うと、彼はようやく彼は握った紙を開くよう告げた。
予想通り、そこには1月(January)を意味すると思われるJanという文字、私の本名、そしてCherryという殴り書きと判別不能な3文字?が書かれている。
彼は自分の手元のメモを見せて、私の手のひらのメモと照らし合わせながら言った。
「ここに書かれているのはあなたの名前。生まれたのは1月。好きな花はCherry。(blossomまでは書かれていなかった)この一番下に書いてあるのは健康という意味だ。あなたが答える前からずっとこの紙を握っていたのに、答えが書かれているだろう」
最後の判読不能な文字について話した時、ちょっと気まずそうにも見えたのは気のせいだろうか。
反応しないのも不自然なので、適当にさっきの青年をまねて「マジックみたいだ」と言うと、彼は、
「マジックじゃない。メディテーションであなたの心を読んだんだ」
と答えた。
もうお気づきだろうが、彼のトリックはこういうことだ。
まず、私の目を覗き込んで、私の心を読んでいるふりをしながら、手元の紙に何かを書く。
当然ながら本当に私の心が読めているわけではないので、この時に書くのは何でもいい。というか、書いているふりだけすれば良い。
その紙を丸めて私に握らせてから、名前、誕生月、好きな花と望みを尋ねる。
彼は私の答えをメモしていたのだが、このときに大急ぎで2枚の紙に答えを書いていたのだろう。
(彼は手帳を下敷きのように使って、手元が見えないようにしていた)
1枚のメモを取るスピードで2枚分のメモを取るには、かなり素早く書かなければならない。
私が握っていた紙の文字が殴り書きで、最後の「健康」に至ってはまったく読めないほどだったのはそのためだ。
メモのひとつを気づかれないように丸めると、彼は私が手を開いた瞬間に「あなたはこの紙をずっと握っていたね」と確認するふりをして、私が握っていた紙とすり替えたのだ。
よくできているのはその後だ。
彼は私にもう一度紙を握らせると、ジェスチャーを交えてその拳を額にあてさせたり、息を吹きかけさせたりした。
この動きは、まるで特別な願いをこめるかのような印象的なものだ。
この一手間には、その前に紙をすり替えるためにした動きの記憶を消す効果がある。
紙を握った手を額に当て、さらにその手に息を吹きかけるという非日常的な動作に比べると、その前の「確かにこの紙を握っていたね」と一瞬手でつまむ動きは、道理にかなっていると言うか、ごく自然なものだから、その印象はすぐに薄れてしまう。
これまでヨギ・シンに会ったと報告した人たちは、みんな「自分はずっと紙を握っていた。すり替えるタイミングはなかった」と言っていた。
私が気づくことができたのは、何が起きるかを知っていたからだ。
彼らが二人以上でいる人に声をかけないのも、このトリックが他の一人に見破られてしまうリスクが高いからだろう。
全てのヨギ・シンがこの技を使うのかは分からないが、私が会ったヨギ・シンは間違いなくこのテクニックを使っていた。
ヨギ・シン、破れたり。
だが、私に見破られたことを知らない彼は、いつもと同じように、手帳に挟んだ写真を私に見せてきた。
(つづきはこちらから)
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2023年10月16日
ヨギ・シンふたたび東京に出現!
事態はいつも突然動く。
謎のインド人占い師ヨギ・シンのことである。
詳細は、こちらのリンクを読んでいただくとして(めちゃくちゃ長いのでお時間があるときにどうぞ)、かいつまんで話すと、世界中の都市に、不思議なインド人占い師が出没しているのである。
シク教徒と思われるその占い師は、街中で声をかけた人にまるめた紙を握らせてから、好きな色や好きな数字などを尋ねるという。
答えた後でその紙を開くと、信じられないことに、紙にはさっき回答した質問の答えが書かれているのだ。
「彼」は100年ほど前から世界中に出没していて、会った人の話によると年齢もさまざま。
多くの場合 'You have a lucky face.' と声をかけてくることで知られている。
「占い」のあとに寺院への寄付としてお金を要求すること、パンジャーブ出身の「ヨギ・シン」という名前を名乗ることといった共通点がある。つまり、同じような行為を世界中でおこなっている謎のグループが大昔から存在しているのだ。
私が調べたところでは、少なくともインターネット上や書籍にその謎に深く迫った情報はなかった。
21世紀に、誰も正体を知らない謎の集団がいる。
この不思議な事実に、私はどんどんのめり込んでいき、ブログに記事を書いた。
(このリンク先の1本目と2本目)
最初の事態が動いたのは2019年11月のこと。
彼らのことについて書いたブログに、丸の内で同じようなインド人の占い師に会ったというコメントが寄せられた。
その後数日の間に、多くの方から同様の情報が集まり、どうやら3人のヨギ・シンが丸の内付近で例の「占い」をしているらしいことが判明。
何度も足を運び、彼らの出没地帯の捜索を行ったところ、ついにヨギ・シンと思われる人物に遭遇!
しかし、接触方法を誤った私は、この怪しい占い師に思いっきり怪しまれ、逃げられてしまった。
こちらから声をかけてはいけなかったのだ。
私との遭遇以来、連日のように姿を現していたヨギ・シンたちは、二度と現れることはなかった。
痛恨の失敗である。
彼らとの接触の機会を失った私は、書籍やネットでの調査を開始した。
その結果、彼らのトリックは19世紀の本に書かれているマジックの技法で説明がつくこと(しかもそのトリックには「導師のからくり」を意味するインド由来の名前がつけられている)、彼らがシク教徒の保守的なマイノリティ・グループに属していること、インチキ占いでシク教徒の評判を落としていることに対して、同胞からも快く思われていないことなどが分かった。
しかし、そこで手詰まりである。
世界は新型コロナウイルスの蔓延を迎えた。
見ず知らずの人に至近距離で話しかけ、接触する彼らの「占い」は、感染リスクをともなう。
世界中で人の行き来が制限され、海外の都市で活動する彼らには致命的な状況になった。
果たして彼らはパンデミックを生き延びてくれるのか。
大いに心配だったのだが、コロナが一段落すると、昨年11月にパリで、今年の4月15日には銀座でヨギ・シンに遭遇したという報告が私のもとに届き、ほっと胸を撫で下ろしていた。
銀座の事例は、多くの人から報告が相次いだ丸の内の事例とは異なり、たった一人からの報告しかなく、捜索でも姿を見付けることができなかった。
おそらくはグループではなく単独での来日で、本業ではない小遣い稼ぎ的なものだったのかもしれない。
さて、次に事態が唐突に動いたのはつい先日、2023年10月12日。
ブログに「SIさん」という方から、同日に大手町で、同様の手口で占いをするインド人に遭遇したという報告が寄せられたのだ。
SIさんは、さらにX(旧ツイッター)で別にも同様の占い師に遭遇したという報告があると教えてくれた。
リンクを開くと、2日前の10月10日に、こんな投稿がされていたのだ。
丸の内の交差点で急にインド人に占いされて草
— Richard (@richardnotnice) October 10, 2023
変な紙握らされて、年齢、嫁の名前、祖父の名前とか聞かれて、終わった後に紙開いたら解答全部書いてあって草
ちゃんと最後に現金せびられて持ってないって言ったらスタバ奢らされて草 pic.twitter.com/KajZ3we0rl
間違いない。
ヨギ・シンだ。
私はSIさんにメールで遭遇時の詳しい状況を聞くと、快く返信してくれた。
ご本人の了解のもと、その内容を転載する。
遭遇場所は大手町の高層オフィスビル。
今回の「ヨギ・シン」は身長170〜175センチほどのターバンをしていない、ヒゲのない清潔感のある好青年といった印象だったそうである。
(一部、会社名や建物名については、軽刈田が固有名詞を変えています)
会議の合間の空き時間に上述のベンチで私は電子タバコを吸いながら休憩しておりました。
目線はスマートフォンにありましたが、人の気配を感じ隣に目をやったところ、すぐ横にはスーツを着たインド人が。
そのオフィスビルには大手商社や外資系IT企業が入っており、インド人が常日頃から出入りがあることはよく見かけておりましたので、なんの疑いもなく単なる人懐っこいタバコミュニケーションとして絡まれたのかと思っておりました。
彼の第一声は「You have a lucky face!」
(やり取りは全て英語でしたが以下日本語で書きます。)
そして続け様に自分の額を指差し、「君の額からいいオーラが出ている。来月良いことが訪れるよ!」と。
なんのことやらと思いながら適当に相槌と謝意を伝えると
「自分はMeditation studentです」と一礼。
どうやらこの類のスピリチュアルなことを学んできたので
オーラを感じることができると言いたいのでしょう。
そしておもむろに茶色い革製の手帳を取り出しました。
「僕のインドにいる師匠だ」と古びた写真を見せてきました。そこには白髪長髪・白髭の爺があぐらをかいて(座禅を組んで?)座っていました。あぐら姿勢でヒゲが股間付近まで伸びており、まるで印風麻原彰晃のようでした。
彼はおもむろに手帳の紙を破き、何かをそこに書き始めました。
そしてそれを渡され、「握りしめて一息吹きかけ、それを一度額にかざせ」と言う。とりあえず従ってやってみる。
何かが書かれた紙切れは右手に握りしめたままでした。
その後、「僕と君は今初めて会ったよね。お互いのこと何も知らないよね」ということを前提としてやたら強調してきます。(確かに1ミリも私はこのインド人のことを知りません)
インド人「名前を教えて」
私「○○(本名の下の名前だけ)です」
インド人「??」
(私の名前、長くて外国人にはやや難関なんです…)
私「スペルはこうかく」(アルファベット1文字ずつ言う)
インド人「次は誕生月を教えて」
私「12月です」
インド人「最後に1〜50の間で任意のラッキーナンバーを教えて」
私「4!」(頭の中で自分の誕生日の4日にするか妻の誕生日の5日にするか少し迷って答えました)
インド人「今教えてもらったことと、握っている紙に書いてることが一致してたら、来月いいことが起こるのは確実だよ」
そして私は手に握った紙を指示通り開いてみると、そこには
「(私の名前)/December/4」と書かれていました。
驚きです。ずっと紙切れは私の握り拳の中でしたし、
すり替えらにしてもどのタイミングですり替える余地があったのか、また、すり替えのためのミスディレクションもいつ行われたのか全く見当がつきません。
私が十分に驚きを見せた後、またまた茶色い革製の手帳を彼は開きました。
見せられたのは小学校低学年程度の子どもたちの集合写真。
それを見た瞬間すぐに察しがつきました。
インド人「僕は52人のインドの貧しい子どもたちを支援している。彼らは学校で勉強をしている。もし、彼らの教材の足しにするためにお金をくれたら彼らは君の幸運のために全員で祈りを捧げます」
正直私はそれが本当であろうが嘘であろうが、楽しませてもらったのでその占い代?手品代?としての対価は払ってもいいと思っていました。せいぜい1,000円程度ですが。
しかし生憎タバコを吸いに行っていただけなので財布を持ち歩いておらず、キャッシュが今ないことを伝えました。
インド人「ATMでおろしてもらえるなら待っている」
私「そもそも財布を持ち合わせていない」
インド人「お金持ち歩かないでどうやって今日一日ここまで来て過ごしていたの?」
私「時代はキャッシュレスでしょ。電子マネーオンリーよ。」
インド人「ではPayPalはやってる?もしくは子どもたちのために何か購入して欲しい」
私「PayPalはやっていない。購入はいいけど、何が欲しいの?」
インド人「彼らが学ぶツールにiPadを使いたいのでそれを買って欲しい。」
私「寄付にしては高すぎる。それは買えない。」
インド人「それ以上の幸運が来月君には返ってくるから、全然高くないよ。」
私「そういう問題ではなく、そもそも価格的にも買えないし、アップルストアに行く時間もない。」
インド人「ではもし私があなたのお母さんの名前を答えられたら買ってくれる?」
私「なぜお母さんの名前?意味がわからないが、そういう問題ではない。もっと手軽に1,000円程度で買えるもの。例えばコーヒー飲みたいとかチョコレートが食べたいとかそういうのだったらビルの中にも店があるし、すぐに買えるよ」
インド人「じゃあセブンイレブンに行かないか?」
私「OKそれならビルの中に入ってる」
やりとりののち、そのビルのB1フロアのセブンイレブンに入りました。
そこで彼はポッキーやキットカットなどと言ったチョコレート菓子を中心にセレクト。
途中途中で子どもが52人いるのでもう少し買ってもいいかと確認を取りながら図々しくカゴに詰めていきました。
最終的な会計は3,400円ほど。
会議の時間にすでに遅刻していた私は電子マネー決済だけして袋詰めの時間を待たず、レシートも受け取らぬままインド人をレジ前に残して足早にオフィスへ戻りました。
時刻は16:35頃。
計15分程度の時間でしたが、最終的な彼の謙虚さのない図々しい振る舞いや、会議までの時間が無いと言っているのに食い下がってくるところにイライラしました。
金額は大したこと無いものの、せっかく買ってあげるなら最後まで気分良く買いたかったものです。
もしかしたらその後レシートとともに返品し、現金化している可能性もなきにしもあらずですが、真相は不明です。
帰り際に、「メールアドレスを伝えるからなにか困ったことがあればまた連絡が欲しい」と言っていたのですが、すでに嫌気がさしていた私は断りをいれました。
軽刈田さんのことを知っていれば聞いておけばよかったなぁとも今は思っております。
'You have a lucky face'という第一声、「君の額からオーラが出ている」という言葉、そしてその後の不思議な「占い」。
さらには慈善団体への寄付を装ってお金の請求をすることなど、最後までヨギ・シンとは名乗らなかったようだが、明らかヨギ・シンの手口である。
さらにX(Twitter)に遭遇報告を上げていたRichardさんにも詳細を聞くと、以下のような返信が返ってきた。
— Richard (@richardnotnice) October 14, 2023
・2023/10/10 16:30ごろ
・ターバン有、髭有、40-60代
・丸の内ブリックスクエアのロブションブティック前
です!
これはターバン・ヒゲ無しで清潔感のある好青年だったというSIさんの報告とは明らかに違う人物だ。
今回も彼らは複数で行動しているらしい。
Richardさんのポストにコメントする形で遭遇報告をしていた「かぐばろん」さんからも返信があった。
10/10(火)17:30頃@丸ビル1階
— かぐばろん (@kagbaron) October 14, 2023
20代で普通の青年風(ターバンやヒゲなし)
英語は下手で現地語?も混ざっていたのか、基本的に何言ってるか分かりませんでした。
占いなのか手品なのか一通りして、手帳内に20人くらい写ってる写真を見せてきて、ペンパルがどうたらこうたらで金よこせって感じです。
これはおそらくSIさんが会ったのと同じヨギ・シンだろう。
「ペンパルがどうたら」というのはおそらくSIさんが書いていた「PayPalでお金を払ってほしい」という内容だと思われる。
今回の出没地点も、2019年同様に、大手町から丸の内のごく狭いエリアに限られているようだ。
この地域を重点的に捜索すれば、必ず会えるはずだ。
待ってろよ、ヨギ・シン。
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